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13.誘惑の花


 青白いドレスに妖しい香り。

 手鏡に映る自分の姿を見て、白珠は茫然とした。日頃から美しいと呼ばれることに慣れている月花であっても、魔女と呼ばれる者の手によって生み出された美は、白珠に馴染みのない世界を生み出していた。

 ドレスを手掛けたのは自分だ。しかし、金剛が集めた素材で指示通りに作っただけ。それがこんなにも美しいものになるとは思いもしなかった。


 そんな美しいドレスの魅力を際立たせるのが香りである。

 金剛の指示によって身につけた蜜薬の香水もまた、白珠には初めて触れることになる香りだった。この香りに蜜食精霊の心は弄ばれるのだという。ただの月花には考えられないほど、彼らの心を容易く手玉に取ることが出来るらしい。

 いよいよ、罪の時間がやってくる。


「さあ、お行きなさい」


 白珠から手鏡を没収して、金剛はその背中を押した。


 この壁の向こうに行くのは、本当に久しぶりのことだった。段差を降り、地面を這ってようやく潜れるこの穴を越えたのはいつの事だっただろう。

 久しぶりの感覚に震えながら、白珠はドレスを汚さないように気を付けて進んでいった。そして、茂みの向こうへと這い出した直後、突如として目の前に広がった世界の光景に、目を奪われてしまった。


 世界はこんなにも広かっただろうか。

 木々に覆われてはいるが、今の白珠にとっては見渡しきれないほど外は大きな世界だった。かつては住み慣れていたはずなのに。その感覚を思い出せないくらい、白珠は緊張していた。


 何処から、誰に見られているか分からない。その恐怖を感じつつも、白珠はそっと歩みだした。

 あまり家から離れてはいけない。万が一、乱暴な精霊に見つかった時に助けて貰えないからだ。攫われて殺される恐怖もあったが、それよりも自分に何かあった後の瑠璃の待遇を考えると背筋が凍った。


 ――なるべく優しそうな人を誘わないと。


 じわじわと浮かぶ罪悪感を気にしている余裕はなかった。


 蜜の香りを漂わせてしばらく、精霊はようやく現れた。胡蝶ではなく、蜜蜂でもない。花潜はなむぐりと呼ばれる優しい雰囲気の精霊である。

 好奇心いっぱいの面持ちは、華やかな容姿であらずとも美しい。白珠の姿を見つけるなり、あっさりと近づいてきてしまった。


 ――とうとう来てしまったわ。


 内心、恐れている白珠の心情には気づかずに、花潜は柔らかな物腰で目を合わせてきた。


「こんにちは、月花のお嬢さん」


 そっと伸ばされたその手に触れられると、途端に白珠の身体は疼いた。

 初めて、瑠璃以外の精霊と関係を結ぼうとしている。その事実が恐ろしく、同時に、得体の知れない好奇心でいっぱいになる。

 複雑な心境で、白珠はどうにか金剛の教えを思い出して応答した。


「御機嫌よう、花潜のお姉さん。お腹が空いていませんこと?」


 蜜の流れを操り、指先にその香りを集めて触れる。そうされた花潜の表情にしどけなさが現れる。嗅がされているものが純粋な蜜ではないと彼女は気づいていないようだ。

 白珠は手ごたえを感じつつ、小声でそっと花潜に囁いた。


「もしもたくさん飲めそうなら、わたしのお家でゆっくりしていってくださらない? ……体が疼いて仕方がないの」


 目を潤ませて訊ねる白珠を見て、花潜は満面の笑みで答えた。


「もちろん、いいわ。せっかくのお誘いだもの。出来ればゆっくり頂きたい。こう見えてあたし、花の相手には自信があるの。その疼きも解消させてあげる」


 色っぽく笑って、花潜は白珠の手を握る。

 その手を引いて、白珠は住まいの中へと彼女を案内した。本当ならば、瑠璃と二人だけの隠れ家のはずだった秘密の場所へ。胡蝶と月花が安全に暮らせる国にするはずだった自然のお屋敷へ。

 何も知らない悲運な花潜を引っ張って、白珠は壁を越えた。


 金剛が特別に用意した食堂には、蜜食精霊たちが存分に白珠の蜜を楽しめるような食卓が置かれている。誰にも邪魔されず、気の散るようなものもない。だが、その部屋には秘密があった。壁には隠し穴が存在し、いつでも金剛が忍び寄れるようになっているのだ。

 そうとも知らず、花潜は白珠に導かれるままに食堂へと足を踏み入れた。蜜薬の香りが彼女を興奮させている。ほんの少しの違和感など気にならないほどに、花潜は白珠の香りに夢中になっていた。


「ああ、もう我慢できない!」


 とうとう花潜は白珠を捕まえて、寝台にも似たその食卓へと抑え込んだ。そのままあっという間に服を剥いでしまうと、すみやかに食事に取り掛かった。

 瑠璃以外の精霊との初めての関係に、白珠は始終、恍惚としていた。この体は、この蜜は、瑠璃のためだけに守ってきたはずだった。それなのに、今、名前も知らない行きずりの花潜の好きにさせてしまっている。

 その後ろめたい快楽に、白珠はすっかり呑まれてしまったのだ。


 自負していたように、花潜は花の扱いが上手いらしい。

 彼女の手に一度かかれば、経験の浅い白珠が冷静さを保つのは難しく、まるで瑠璃の食事に付き合っているときのように、のめり込んでしまっていた。


 だが、どんなに夢のような時間にも終わりは来る。瑠璃とのそれは夢うつつの微睡であった。

 けれど、この場合は違う。夢の終わりは突然やってきた。蜜を与える悦楽に浸る白珠の上で、名も知らない花潜が力を失うという形で。


「おかしいな……急に……力が――」


 白珠は我に返った。

 悦楽がすっと冷めていく。何が起こったのかをすぐに理解して、白珠は自分の罪を改めて自覚した。

 目の前では、花潜が力を失っていく。優しそうな表情にそっと苦痛の色を見せて、その意識がみるみるうちに混濁していく。

 そんな様子を見て、白珠は心の中で必死に謝った。 


 ――ごめんなさい。


 震えながら、その体を労わる。魔の手が近づいてきていた。花潜に気づかれないように、忍び寄ってきている。


 ――ごめんなさい……ごめんなさい……!


 白珠は詫び続けた。

 蜜を貰う代わりに丁寧に扱ってくれた花潜の女性。何も疑わずに優しくしてくれた。それなのに、自分が彼女に与えるのは破滅であったのだ。


「身体が……どうして……」


 うつ伏せのまま、花潜の意識は睡魔に攫われていった。

 瞼を閉じてしまうと、花潜は深い眠りへと沈んでいった。すぐそこに捕食者がいても、その捕食者に触れられても、起きて逃げる様子は全くなかった。

 金剛は目を細め、隠し持っていた小瓶の中身を花潜の口に含ませた。抵抗する力もなく、蜜薬は花潜の身体へと染み渡っていった。


 これでもう、彼女は逃げることが出来ない。その命運はすべて金剛の判断にゆだねられた。

 眠りから覚める様子のない花潜の身体を、金剛は何度も撫でていた。肌の感触、滑らかさを楽しんでいるらしい。白珠は分かっていた。蓄えた食料は減るばかりだ。主人がどう判断し、この花潜がその後どうなるのかも、想像がついていた。


「お疲れさま」


 金剛は淡々とそう言うと、起きる様子のない花潜の身体を担ぎ上げた。


「今日はもう休んでいいわ。眠くなくとも私の寝室で大人しくしていなさい」


 逆らうことを許さないその眼差しに、白珠は大人しく従った。


「分かりました、魔女さま」


 そして、床に落ちていたドレスを拾い上げると逃げるようにその場を去った。


 言われた通り、白珠はいつも眠る金剛のベッドの上で横たわっていた。しかし、眠りにつくことは全くできなかった。身体は休めても、頭が休まらない。どうしても、あの後のことを想像してしまって、落ち着かなかった。

 彼女が目を覚ますことはあるだろうか。あるとすれば、きっと自分を呪うだろう。それがとても辛かった。


 金剛が寝室へと戻ってきたのは、それからだいぶ経ってからのことだった。

 上機嫌な様子の金剛に抱きしめられ、白珠は緊張した。出来れば何も聞きたくない。だが、金剛は容赦なく話し始めたのだった。


「お前のお陰で良い肉が手に入った。この調子でまた美味しそうな精霊を呼び込むのよ」


 その一言で、さっきまで肌を重ねていた花潜のその後が分かってしまい、心苦しくなった。その震えさえも金剛は楽しみながら、白珠の身体に触れていく。


「瑠璃以外の精霊はどうだった、白珠? 花潜に愛されてとても幸せそうだったわね。あの姿を瑠璃が見たらきっと悔しがるわ」

「わ、わたしは……」


 震えながら、白珠は否定しようとした。だが、その唇を指で抑え、金剛は語り続けた。


「大人しく認めなさいな。月花とは本来そういうものよ。従順であっても、貞淑ではない。色んな相手に花開いて蜜を捧げて喜ぶのは当然の権利。たった一人の胡蝶のために咲く必要はないの」

「でも……それでも……瑠璃には言わないでください」


 泣き出しそうになりながら、白珠はそう言った。

 恐怖と罪悪感が重なって、どんどん具合が悪くなり、ただでさえ白い肌がさらに蒼ざめていく。そんな白珠を見つめながら、金剛はにこりと笑った。


「瑠璃に嫌われたくないのね。可愛い子。そうしてあげてもいいけれど、条件付きよ。新しい蜜薬造りのために、お前の血と蜜が欲しい。今から出来る?」

「魔女さまが欲しいというのでしたら――」


 蚊の鳴くような声で白珠はそう言った。

 悲しい事に体の疼きは治まっていない。花潜とは中途半端なまま終わってしまったのだ。そんな状態で放置されることは、花の精霊たちにとって苦痛でもあったのだ。


「――そう。それなら遠慮なくいただくわ。さっきのこと、瑠璃には内緒にしてあげる。これから私の見ることになるお前の官能的な姿もね」


 優しい口調でそう言って、金剛は白珠に口づけをした。


 悦びと痛みを伴いながら、白珠は蜜と血を捧げた。瞼からは大粒の涙が零れていく。愛など微塵も感じられない行為だと分かりながら、白珠は金剛の気が済むまで付き合い続けた。

 頭に浮かぶのは瑠璃の姿だ。すべては彼女と明日を生きるため、また楽しく会話をし、その愛しい身体と触れ合うため。そのための行為だと信じて、白珠は耐え続けた。


 それなのに、と、白珠は自分自身を嫌悪した。


 金剛に触れられるたびに、頭の中が真っ白になってしまうのだ。金剛のために血と蜜が溢れ、快感と痛みがもたらされる。その現実だけが、白珠の心を縛り上げてしまっていた。

 今にも崩れ落ちそうだ。身体だけでなく心までも。

 その危うさに追い詰められながら、白珠は焦りを感じていた。このままこんな日が続けば、きっと理性を失ってしまうだろう。そうなってしまったら、今のように瑠璃への愛を守り続けられるのだろうか。


 白珠は心から怯えていた。

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