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1.はじまりの夜


 ――大人になったら素敵な贈り物をあげる。


 それは、白珠しらたまがずっと大事にしてきた約束の言葉だった。


 花の精霊たち――とりわけ、この辺り一帯で月花げっかと呼ばれ親しまれる白い精霊たちの自立は早い。心身が成長し、蜜を生みだせる証である甘い香りがするようになれば、いつでも母親の元を立ち去ることが出来ることになっている。

 それは、人間や他の精霊たちからみればあっという間の出来事である。だが、当の花の子たちにしてみれば、果てしなく長い時間に思えるものだった。


 白珠も例外ではない。


 輝く銀髪に白い肌、そして燃えるように赤い目は幼い頃と同じまま。

 しかし、その顔立ちには色気が現れ始め、甘い香りがしてこないのが不思議なほど成長を重ねていくと、同時期に生まれた兄弟姉妹が次々に巣立っていくのを見送りながら、次こそは自分の番だと期待を募らせた。


 ――早く大人になりたい。


 白珠がそう期待するのには理由があった。約束を交わした者がいたのだ。


 彼女の名は瑠璃るりという。白珠の母親を定期的に訪ねる胡蝶こちょうという種族の精霊であった。

 花の精霊たちに勝るとも劣らない美貌と共に、怪しげな雰囲気を醸し出す瞳を持つ不可思議な女性。白珠よりも数年早く大人になった彼女は、母親の目を盗むようにこっそりと白珠に囁いたのだ。


 ――大人の精霊の世界はとても素晴らしいものなのよ。いつか、あなたにも見せてあげる。


 それから、瑠璃は訪れる度に白珠に声をかけ、内緒の話をしていくようになった。その一方で、母親とふたりきりで何をしているのか、普段は何処にいるのか、といった白珠の疑問には一切答えなかった。

 大人になったら教えてあげる。そう言って、頭を撫でるばかりだった。


 だから、白珠は早く大人になりたかった。大人になって、瑠璃と同じ目線に立って、今度こそ全てを教えてもらいたい。そして、素敵な贈り物が何なのかを知りたい。

 期待すればするほど、白珠は焦らされた。兄弟姉妹の方が先に大人になっていき、自分にはなかなか大人の兆候が表れない。


 しかし、待ち続ければ時間は経つものだ。

 やっと、その日はやってきたのだ。


 満月の美しい夜、甘い香りのするようになった白珠は、瑠璃に手を引かれて森を歩いていた。

 初めて見る景色、初めて感じる風、母親と共に隠れ家でひっそりと暮らしていた頃には知る機会すらなかった精霊の世界の常識、同じ大地で月の女神を崇めて暮らす他種族の精霊たち、そして、精霊たちの営みを見守る動植物たち。あらゆる息吹を感じながら、時折、瑠璃に教えてもらいながら、白珠は広々とした世界の一つ一つを噛みしめていた。


 大人になった月花には、住まいが必要だと瑠璃は白珠に言い聞かせた。

 魅力的な甘い香りはさまざまな精霊たちを呼び寄せる。蜜食精霊と呼ばれる彼らは大人の月花を言葉巧みに口説き、衣服を剥いでおいしい蜜を求めて交わろうとする。その中には恐ろしいほどに自分の事しか考えない精霊もいて、時には花の命すら奪ってしまうらしい。

 初めて知るその危険性に、白珠は少しだけ不安になった。


「だから、あなたのお母さんはひっそりとした家で限られた相手とだけ接していたのよ」


 手を引きながら瑠璃は優しく語り掛けた。


「私もその一人。家に引きこもっている彼女のために、外の事を見て回っては、お食事がてらお話をしていたの。あなたのお母さんは、とても優しい月花だった」


 瑠璃は実の子である白珠よりも、母親の事について詳しかった。


「優しくて、とても甘い人だった」


 我が子らに見せない母親の姿を聞いて、白珠は不思議な気持ちになっていた。そして、今一度、子供の頃から抱いてきた疑問を思い出したのだ。


 どうして、瑠璃は母親を訪ねていたのか。胡蝶とはどんな精霊なのか。


 容姿の違いだけが種族の違いを表すのではない。精霊たちはそれぞれ、異なる生き方を好んでいる。

 白珠の母はあらゆることを白珠に教えたが、それは主に月花として暮らすための知識であった。それ以外にも教えてくれたことはいくつもあったが、それでも広くて複雑な精霊の世界の全てに触れるほどの時間や見分はなかったのだろう。

 これからは誰に聞けばいいのか。どうやって知ればいいのか。

 白珠はふと大人になったことへの不安を感じていた。だが、その不安に応えるかのように、瑠璃は白珠へ美しい微笑みを向けた。


「大人になったといっても、あなたにはまだまだ知らないことがたくさんある」


 手をぎゅっと握り締め、瑠璃は笑みを深めた。


「これからは私が教えてあげる。私の言う事を聞いていればいいの。約束したもの。大人になったら教えてあげるって。それに、素敵な贈り物もね」


 そう言って、瑠璃は立ち止まった。


 目の前には大きな壁がある。白珠は恐る恐るその壁を見上げた。見渡す限りの視界を遮るそれは、どうやら古い大樹であるようだ。かつては天にまで届きそうなほど高かったようだが、白珠と瑠璃の遥か頭上でぽっきりと折れてしまっていた。

 もう生きてはいない。しかし、亡骸であっても圧倒的な存在感があり、白珠はすっかり見惚れてしまっていた。


 ――まるで神さまみたい。


 白珠がぼんやりとそう思っていると、瑠璃が大樹の根元の茂みを探り出した。


「ほら見て」


 言われるままに白珠は視線を戻す。瑠璃が指し示す場所には、穴が開いていた。どうやら、大樹の内部へと入れるようになっているらしい。恐る恐る穴を覗く白珠の背を、瑠璃は優しく押した。


「先に入って」


 促されるままに白珠は従った。覗いてすぐに目に入るのは土の段差で、中がどうなっているのかまでは分からない。だが、中に入って段差を登り切ってみれば、すぐにその光景は広がった。


 高い木の壁に囲まれたそこは、まるで別の世界が存在しているかのようだった。

 青々とした茂みと花畑が存在し、大人の精霊が何百人も入れるほどの広さがある。天井は高く、自然に出来た天窓が外の光を僅かに通していた。そして端々には苔むした岩や土が積み重なり、いくつもの部屋を造っていた。


 まるで人間の手によって作られた館のようだ。しかし、人気はなく、生き物の気配と言えば花畑に集う言葉も知らない小さな精霊たちのみであった。

 一人で住むにはあまりにも広すぎる。言葉を喋らない生き物たちが一緒なだけでは寂しすぎる。そんな美しくも心細い広々とした世界が大樹の中に存在していたのだ。

 突然現れた秘密の場所に白珠が呆然と見惚れていると、瑠璃がその肩をそっと抱きながら囁いた。


「ねえ、素敵でしょう? 今日からあなたの家よ」

「わたしの……家?」


 信じられない気持ちが勝り、白珠は瑠璃を見つめた。瑠璃は妖しく笑いかけながら、一方を指さした。


「あの場所が見える? 壁に寄り掛かっている人がいるでしょう?」


 白珠は目を凝らし、そして息を飲んだ。

 そこには生き物の亡骸があった。すっかり骨となり、生きていた頃の名残は殆どない。精霊によく似た体つきだが、それにしては少し大きかった。周辺には衣服や私物と思しき物品が散らばっていたが、精霊の世界ではあまり目にしない、しっかりとした作りの物ばかりだった。


「ここはずっと彼の場所だった。彼は人間の旅人で、ここからはるか遠くの太陽の大地から私たちの住む月の大地まで旅をしてきたの。でも、月の森に住む恐ろしい肉食花に襲われて、深い傷を負いながら、迷い込んでしまったのよ。しばらくは彼がこの場所の住人だったから、精霊たちは誰も住もうとしなかった。でも、そんな彼も、段々と弱っていってね、終いにはこの森に命を返してしまったの。それ以来、ここは私の場所になった」


 そして、瑠璃は白珠の頭を撫でた。


「大人になったあなたにあげる。約束したもの。でも、あなただけのものじゃないわ。今日からここは二人の家になるの」

「――二人の家」


 白珠は繰り返し、心のときめきを感じた。


 何しろ、一人で住むには広すぎる場所である。先住の者の亡骸は喋ったりしないし、小さな精霊たちの言葉を覚えようにも一生分の時間がかかってしまいそうだ。

 部屋数には恵まれているし、飲み水や光、そして柔らかな土といった花の精霊に必要な条件は揃っている。だが、それだけではあまりにも味気ない。精霊が精霊らしく暮らすには、適度な刺激や楽しみ、そして孤独を癒せる何かが必要不可欠であるのだ。


 瑠璃と一緒なら、どんなに幸せだろう。ずっと憧れてきた大人の精霊だったのだから。

 そのあまりの嬉しさに、白珠は惚けてしまった。


「私と一緒じゃ不満? せっかく大人になったのだから、ひとりで暮らしたい?」


 揶揄うように訊ねられ、白珠は慌てて首を振った。


「そんなことないわ。わたし、瑠璃と一緒がいい!」


 言葉にしてみれば、気持ちの高ぶりはさらに増した。

 勢いのままに白珠は瑠璃に抱き着き、悦びの気持ちのままに頬ずりしていた。


「ありがとう、瑠璃。とても素敵な贈り物よ」


 無邪気な白珠の反応に、瑠璃もまた満足そうに微笑んだ。そして、そのまま白珠の手を引っ張ると、ゆっくりと花畑の中央へと歩みだした。

 月の光の差し込む辺りで立ち止まると、小さな精霊たちが驚いて逃げて行った。白珠がその行方を目で追っていると、不意に肩を掴まれ、そのまま花畑へと押し倒されてしまった。


「瑠璃?」


 問いかけるも、答えの代わりに口づけがもたらされる。とても軽い口づけだったが、突然与えられた官能的な感触に、白珠はすっかり惚けてしまった。

 唇を離すと、瑠璃はにこりと笑った。


「気に入ってくれてよかった」


 その表情にこれまでにない妖しい魅惑を感じ、白珠はさらに見惚れてしまった。

 美しい人だというのは今までずっと思ってきたことだ。しかし、今日ほど美しい瑠璃を、白珠は知らない。それほどまでに、今宵の瑠璃には不思議な魅力が宿っていた。

 瑠璃はそっと白珠に囁いた。


「さっそく、あなたが大人になったお祝いをしましょう。あなたにはまだ知らないことがあるわ。お母さんは教えてくれなかったでしょう? 大人の月花と胡蝶が何をするのか。どうして私があなたのお母さんを訪ねていたのか。知りたいでしょう?」


 その目を見つめたまま、白珠は不思議な感覚に陥っていた。

 胡蝶という種族は大人になると魔法を使えるのだ。それは、白珠が昔、瑠璃から教えてもらったことだった。どんな魔法なのかは教えてもらえなかったが、今まさに教わっているところなのだと白珠は理解した。理解したまま、段々と何も考えられなくなってしまった。


 美しく、愛らしいその顔に魂さえも奪われてしまったかのように、白珠は仰向けのまま動けなくなっていた。

 そんな彼女を優しく愛でながら、瑠璃は少しずつ衣服を剥いでいった。開きたがらない蕾の花びらをやや強引に開かせるように。

 白い衣服に隠れていた肌が外気の冷たさに触れたとき、やっと白珠は我に返った。


「瑠璃……何を――」


 訊ねる彼女を黙らせるように、瑠璃はまたしてもその唇を奪った。

 その瞬間、白珠は今までにない感動を味わった。口の中から吸いだされていくのは、甘い香りのする蜜である。それは分かっているのだが、その後にもたらされる感触は未知のものだったのだ。

 それは、初めての経験だった。

 瑠璃に触れられるたびに、白珠にはその蜜の流れが血潮のように感じられ、興奮が高まっていく。遅れて訪れるのは純粋な快感であり、瑠璃の舌や手の動きそのものが感動的でたまらない。


 口づけはすぐに終わったが、白珠にはとても濃い瞬間だった。

 目を見開かせたまま初めての快楽をただただ受け止めていると、瑠璃もまた荒い吐息のまま白珠の身体に覆いかぶさり、囁きかけた。


「これが、大人の月花と胡蝶の秘密よ」


 そして妖しく目を細めると、白珠の衣服をさらに脱がしていった。


「もっと教えてあげる。だから、躊躇わないで。感じるままに、あなたの可愛い声を聞かせて」


 森の夜はゆっくりと更けていく。誰にも邪魔されない安全な壁の内側で、物言わぬ虫や小さな精霊たち、さらには人間の亡骸に見守られながら、白珠は瑠璃に身体を委ね、一つ一つ丁寧に教わっていった。

 大人になることの意味、生きる喜び、大切な使命。蜜による濃厚な甘い香りに包まれながら、白珠はその一つ一つを悦楽と共にしっかりと体に刻んでいった。

 そして、その中で、もっとも大切なことに気づいた。


 ――この人が愛おしい。


 それは、自覚すればするほど強まっていく瑠璃への愛情だった。

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