61.私、再始動します
2日後、私たちは奥の部屋を出た。
東の塔の一階に新しく三人の部屋を貰えることになっている。
そう言えば、夜斗とは、すごく久し振りに会う。
確か……夜斗の誕生日の夜に「おやすみ」と言って別れた以来。
私がいた部屋は大広間の奥の男子禁制の部屋で……暁の父親であるユウだけが、特別に出入りできたらしい。
暁を抱きかかえて大広間から出ると、そこにはユウと夜斗、そして理央がいた。
「朝日!」
ユウが嬉しそうに駆け寄って、私の肩を抱いた。
「おかえり!」
「……ただいま」
二人で微笑み合う。
少し離れたところで、夜斗が
「マジか……」
と呟いたきりおののいていた。
その様子が、ちょっと可笑しかった。
私は夜斗の目の前まで歩いていって
「久し振り、夜斗」
と、テスラ語で話しかけた。
「お、おう……。テスラ語、うまいな」
何だかへどもどしている。
「練習したもの。……ところで、どうして後ずさりするの? だって、話は聞いてたよね?」
「聞くのと見るのは違うんだよ」
「……うー」
じーっと見上げると、暁も青い瞳でじーっと夜斗を見上げていた。
「……親子で同じ目をするな。ったく……」
夜斗はそう言うと、困ったようにその場を離れて行った。
理央はくすくす笑うと
「朝日、お疲れさま。……アキラ、だっけ? 可愛いわね」
と言って朗らかに微笑んだ。
「抱っこしてみる?」
「いいの? 王宮では、もうかなり長い間、赤ん坊なんていなかったの」
理央は嬉しそうに言うと、暁をそっと抱っこしてくれた。
「ユウに似てるわね」
「そうなの。よかった。すごくカッコよくなりそうで」
私が明るく言うと、理央はくすりと笑った。
「……でも多分、中身は朝日似だと思うわ」
「どうしてよ?」
「仕草や表情が似てるもの」
理央はそう言って笑うと、私に暁を返した。
「じゃあ、私はもう行くわね。兵士の訓練があるから」
「うん」
理央が颯爽と歩いて行った。
「じゃ、行こうか」
ユウは私たち三人が過ごす新しい部屋に案内してくれた。
そこは大広間からすぐそばの、比較的大きな部屋だった。
二十畳ぐらいあって、床はすべて淡い緑色のふかふかの絨毯が敷いてある。
壁の一方は大きい窓がいくつもあって、光が差し込んでとても明るい。
反対側の衝立で仕切られた奥はベッドルームになっていた。私たちのベッドだけでなく、暁のための小さなベッドも用意してあった。
どれもすべて真新しくてピカピカで、いい匂いがしていて、エルトラ王宮の人達が私たちのために精一杯やってくれたのがよくわかる。
暁は寝てしまっていたので、そっとベッドに寝かせた。
そして私とユウは、窓から外の景色を眺めた。すると、遠くからかすかに飛龍の鳴き声が聞こえてきた。
「ねぇ……そう言えば、サンはどうしているの? ダイダル岬に戻ったの?」
「エルトラの飛龍たちと一緒にいさせてもらってる。ダイダル岬だと、口笛が届かないからね」
「ふうん……」
「夜斗が結構まめに面倒を見てくれたみたいだ。最初は喧嘩してたけど……どうにかなったらしい」
「そっか、よかった。もう、独りじゃないね」
「……そう言えば、さ」
ユウがそっと、私の肩を抱いた。
「朝日……日本語とテスラ語、これからどっちがいい?」
ユウが急に日本語で聞いてきたので、ドキリとした。
最近は、他の人も交えて話をするときはテスラ語、二人きりの話をしたいときは日本語、という感じだったから……日本語になると、妙に雰囲気が甘くなる気がして、ちょっと照れてしまう。
「……どっちでもいいけど……でも……」
いろいろ考えてしまって、思わず赤くなった。
「二人の時は……日本語の方が、いいかな……?」
「何で赤くなるの?」
「……二人きり、久し振り、だから……。あ、暁もいるけど……」
ユウとは時々面会していたけど、いつもエリンか他の治療師が控えていた。
だから……本当の二人きりってよく考えたら……軽井沢の別荘以来なのよね。
何かいろいろ思い出してしまって、恥ずかしい。
「えっと……ごめん」
思わずバッと背を向けてしまった。
自分でも、顔が真っ赤になっているのがわかる。
それに……ユウは相変わらず素敵だし。
「……もう、ほんとに……」
ユウが溜息をつくのが聞こえた。
変なこと考えてるって飽きられちゃったかな……と不安になっていたら、急に後ろから抱きしめられた。
「朝日、何でそんなに可愛いの?」
「なっ……」
「はー……もう、戦争とかどうでもよくなりそう。ずっとここに閉じ込めておきたい」
「ん……もう!」
ユウが何だかおかしなことを言い始めたので、私はユウの腕を振りほどいて振り返った。
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ? 戦争を終わらせることが、何より大事なんだから。私も、明日から訓練始めようと思って張り切ってるのに!」
部屋に籠って休んでる場合じゃないもの。
どんと自分の胸を拳で叩いて力説すると、ユウは私をじっと見つめた。……何か、言いたそう。
「……」
「ん、何?」
私の問いに、ユウはぷるぷると首を横に振った。
そして少し溜息をつくと
「……鈍感なのは相変わらずだよね……」
と、ちょっと淋しそうに言った。
昨日宣言した通り、次の日から私は夜斗と軽く組手を始めた。
体はすっかり元気なんだけど……やっぱり、勘が戻らないから。
ユウと夜斗は止めたんだけど……女王さまが
「エリンを必ず傍につけるようにする。やりたいようにやらせておけ」
と言ってくれた。
今は、キエラの全軍が一か所に集結していて村を襲うこともないので、エルトラ軍は主に最終決戦に向けて訓練をしている。
理央はそちらの方の指揮やフェルティガエの訓練などに忙しいみたいだ。
けれど、夜斗はその能力から後方支援組なので、私の相手をする時間があったみたい。
ユウも定期的に身体を休めるように言われているので、周辺の村の確認に向かう以外は、私と一緒にいることが多かった。
今日はユウがいないので、エリンが暁を抱いてくれている。
私と夜斗は、王宮の庭で訓練をしていた。
前にユウと理央が破壊した西の塔は、崩れたままになっている。
最初は、まず動きの間合いを見るためにフェルを乗せることはせず、普通に空手の組手をした。
「……はっ! たぁっ!」
「ほい、ストップ!」
「……ふう」
姿勢を正して呼吸を整える。
「んー……やっぱり、キレは少し落ちてるかな」
夜斗が額の汗を拭きながら言った。
「まぁ、でも……それはそんなに問題ないと思う。毎日続けてれば多分、取り戻せるだろ」
「わかった。頑張る」
「おう」
ちょっと休憩する。
……ふと、ユウがいない間に夜斗に聞いてみようと思っていたことを思い出した。
「あのね、夜斗。……実は前に、ユウにちょっと剣術を習っていたの。空手より間合いが大きい武術も必要かな、と思って」
「へぇ……」
「ただ、あんまり身に付かなかったんだけど……でもやっぱりやった方がいいと思う?」
「うーん……」
夜斗は腕組みしてしばらく考えていたけど、首を横に振った。
「朝日は、相手に直接攻撃を打ち込む方がいいと思うぞ」
「どうして?」
「フェルティガを吸収できるってことは……意識してタイミングさえ合わせれば相手の防御を破壊できるから」
「……なるほど……」
それは思いつかなかった。
でも……そう言えば、ディゲの女の子と闘ったとき、防御してたけど構わず押し切ったことがあったっけ。
「だから……今のスタイルをより磨いた方がいいんじゃないか」
「……ちょっと、練習してもいい?」
「げっ」
夜斗がかなり嫌そうな顔をした。
「防御破壊、今まで意識したことなかったから……意識したらどう変わるかな、と思って」
「……いいけど……。お前、間違っても攻撃に上乗せするなよ。俺が怪我する」
「うん」
……深呼吸して、目を閉じる。
私の周りから、すべての音が消えていく。
「……」
夜斗が防御で身を固めたのが分かった。
再び目を開けると、真っすぐ夜斗に向かって走る。
「はぁっ! ……てやっ!」
最初は蹴りで攻撃してみる。なかなかタイミングが合わない。
やっぱり、防御を意識するなら突きの方がよさそうだ。
確か、ディゲの女の子を攻撃したときもそうだったはず。
「……たぁ!」
正拳突きを打ち込む。拳が何かに遮られた感じがしたが……構わず押し込む。
夜斗が「うっ」と呻いて少しよろめいた。
よし、ここですかさず身を翻して回し蹴り……!
「だぁ、待てー!」
「……へ?」
夜斗が咄嗟に後ろに仰け反った。
攻撃が空を切り、はっと我に返る。
「勝手に戦闘モードに入るんじゃない! 攻撃が加算されてた。俺が死ぬ!」
「あぁ……ごめん、ごめん」
ちょっと集中しすぎたかも。
慌てて謝ると、夜斗は「言わんこっちゃない……」と不機嫌そうにボヤいていた。
「……で、どうだった?」
「んー、突きの時に何か抉られた感覚があった。……イケるんじゃないかな。蹴りは……やっぱり得意技でもあるし、攻撃に集中した方がいいと思う」
夜斗がそう言ったとき、「あぁっ!」というエリンの声と「あうー!」という暁の声が聞こえた。
振り向くと、暁がエリンの腕からふわりと浮かび上がって、何やらポーズを取っている。
「んー……? 暁、どうしたの?」
とりあえず宙で捕まえる。すると、何やらふんわりとした感触がした。
しかしすぐに、私の中に吸い込まれる。
「……?」
「どうした?」
夜斗も近くにやってきた。
……今の感触……防御じゃないのかな。夜斗のを見て覚えたのかな?
「暁……浮遊ができるんだな。まぁ、ユウの血をひいてるから……当たり前か」
「うん……」
私はエリンに「もう一度抱いていてね」と言って暁を渡した。
私が暁を抱えているときは当然ながら暁は何もしなかったから、暁の力がよくわからなかったのかもしれない。
そして夜斗の方に振り返る。
「……夜斗、暁の前で防御してみせて」
「へ? 何で俺が……お前がやれ」
「私、苦手だもの。戦闘モードじゃないと無理」
「……ったく……」
夜斗がぶつくさ言いながらちょっとやってみせてくれた。
……すると、暁が夜斗をじーっと見上げて同じような動きをする。
「あー」
「うおっ?」
夜斗は少し驚くと、そっと暁をつつこうとした……けど、弾かれる。
「……防御だな」
「やっぱり?」
「しかも……かなり強い。……チェルヴィケンの血かな。息子の方が母親より優秀だな」
「……すごいねー、暁!」
私が暁を抱っこすると、暁は「うーうー」とはしゃいでいた。
その隣で夜斗は「とんでもないな……」と驚きを隠せない様子で呟いた。
夜になる前に、ユウが帰ってきた。
部屋の床に転がって暁と遊んでいる。
私が筋トレをしながら今日の昼間の出来事を話すと、ユウは
「おー、暁、すごいなー」
と言って嬉しそうに暁を抱きかかえた。暁はきゃっきゃっと喜んでいる。
「夜斗に言わせると……フェルの子供は生後一年は不安定だから……特に何も教えないらしいの。……確かパパも言ってたけど……フェルの干渉自体があまりよくないんだって」
「ふうん……」
暁が少し宙に浮きながらユウの身体を上ったり下りたりしている。
「それでね……実際に何らかの見える形で使い始めるのも三歳を過ぎてから……らしいんだ。普通はね。だから……暁は成長が早いみたい。……でも、自分で防御ができれば……危険が減るから、安心だよね」
「そうだね……って」
ユウが筋トレに勤しんでいる私を見て
「何か随分、頑張っているけど……。朝日……戦争に行くつもりなの?」
と半ば呆れたような声を出した。
「勿論よ。……というか、ユウの傍に付いているつもりだから」
「えっ?」
私はトレーニングを続けながらユウを見て笑った。
「女王さまに聞いたから。……ユウの身体のこと。ユウが無茶をしないように……見ておけって言われた。それに、もし万が一ユウが気を失ったら……私がちゃんと連れて帰る」
「……」
「それに……暁が託宣の神子、なら、歴史が変わる瞬間に立ち会わなければいけないと思う。そのために……頑張るの。闘うためではなく……ユウと暁を守るためにね」
ユウはじっと私を見ると、ちょっと微笑んだ。
「……ここで待っててって言っても……聞かないよね」
「うん。聞かない。……ねぇ、暁」
私がトレーニングをやめて両腕を伸ばすと、暁は私の方にぴょーんと飛んできた。
「あーう!」
「ほら、暁も頑張るって言ってる」
「またそんな……」
ユウはちょっと苦笑すると
「……ありがとう。俺は……そんな朝日と暁を守るために、闘うよ」
と言った。
――ねぇ、ユウ。
この頃が、一番穏やかで……幸せな日々だったよね。
戦争を終わらせて……三人で帰ろう。
そんな日を夢を見て。




