60.本当に幸せなの
8月も中旬を過ぎて……私のお腹はものすごく大きくなっていた。
これが私の世界の話なら病院でエコー検査とかいろいろあって、男か女かも分かるんだろうけど……治療師と呼ばれる人たちが手を翳すだけなので、さっぱりわからない。
私にわかるのは……中の赤ちゃんがすごく元気に動いている、ということ。
「朝日……どう?」
南の村の警護を終えたユウが部屋にやってきた。ユウとは日本語で会話している。
基本的に治療師が少し離れたところに控えているし、聞かれたら恥ずかしい台詞もあるからね……。
「元気」
「……もうすぐかな」
「……早く会いたい……。でも、まだいて欲しいような……複雑な気持ちなの」
私は大きくなったお腹をさすった。
「ねぇ……テスラでは、誰が名前をつけるの?」
「テスラというか……フィラでは、両親が長老と相談して決めるものなんだってさ。でも今はフィラの長老はいないから……」
「じゃあ……私たちでつけていいのかな」
「多分……」
「あのね……私、つけたい名前があるの」
私はそう言うと、そばにおいてあるメモ帳に書いた字を見せた。
――暁。
「……何て読むの?」
ユウの知らない漢字のようだった。
「あきら。男の子でも、女の子でも」
「どうして……この字にしようと思ったの?」
ユウは不思議そうに聞いた。
「これはね……本来はあかつき、って言って、夜明け前を差すの。でも……そうだね、何かを成し遂げる、みたいな意味もあるかな」
「……」
「えっとね……戦争が終わったあかつきには、みたいな感じで使うのよ」
「なるほど……」
ユウはちょっと考えると
「いいと思うよ」
と言って、私のお腹にそっと触れた。
「……あきら……早く出ておいで……」
「ふふっ……」
ちょっと微笑んだ瞬間、私は激しい陣痛に襲われた。
「……っ……っ……」
「朝日!?」
ユウがおたおたする。控えていた治療師が静かに近寄ってきて私に手を翳した。
「……準備をしなくては。ユウディエンどの、ひとまずお下がりを」
「……でも……」
ユウの心配そうな顔が見える。
私は右手で小さくガッツポーズをつくった。
「大丈夫……頑張る…から」
「……」
ユウが何回も振り返りながら部屋を出ていく。
入れ違いに、女王が現れた。
「……アサヒよ。落ち着いて……前に言った通りじゃ。お前なら……できる。われも全力で補助するからの」
女王さまの声に、私は力強く頷いた。
前に言われていたこと……それは、暁のこと。
最初に私が倒れてしまった経緯からも……暁はかなりの力の持ち主で……もしユウの血が流れているなら、この王宮が軽く吹き飛ぶぐらいのフェルを放出する可能性があるのだそうだ。
私にはフェルを吸収する力がある。
何とか意識して……暁のフェルを封じ込めなければならない。
治療師は本来、「体力を回復させるフェルティガ」や「出産を促すフェルティガ」をかけることで補助するのだそうだ。
しかし私には、こういった治療師のフェルティガは一切効かない。ただただ吸収するだけ……。
それらを糧に、自らの力だけで成し遂げなければならない。
私の長く……苦しい戦いが始まった。
どれだけ時間が経ったのか分からない。
夜の藍色の空が……白く変わる頃。私は暁を生んだ。
覚えているのは……暁を生んだ瞬間……とても眩い光に包まれたこと。
そして……とても幸せな気分になれたこと。
「……よく頑張ったの」
暁を生んで……しばらくして、落ち着いてから。
女王が少し離れた場所で微笑んでいた。
「王宮は無事じゃ。神子のフェルティガはお前がほぼ吸収した」
「よかった……」
私のすぐ横には、小さな暁がすやすやと眠っていた。
髪は……すごく薄い茶色。まだ目も開いていないから、わからないけど……何となく、ユウに似ている気がした。
左耳には……神官の人につけてもらった花のピアスが光っている。男の子だった。
「来年の託宣まで確かなことはわからぬが……憂慮することはなさそうじゃの。母子ともに健康じゃ」
「暁……よかったね」
私が話しかけると、暁がちょっと欠伸をするかのように身じろぎした。
「ふうむ。アキラというのか……。覚えておこう」
女王さまはそう言うと「そろそろユウディエンを呼ぶか」と言って部屋を出て行った。
よかった……。無事に生まれてきてくれた。本当によかった。
私は少し起き上がり……隣で眠る暁を抱き上げた。
「……朝日……」
ユウがゆっくりと入ってきた。
「ユウ……。ほら、暁だよ。男の子」
「……」
ユウは黙って見つめると……ちょっと泣きそうになっていた。
「ユウに……似てるよね」
「そうかも……。ありがとう……朝日」
ユウがおっかなびっくり抱き上げる。暁はちょっと起きて暴れ、ユウをパシパシ叩いた。
「動いてる……すごく元気」
「それはそうよ。私たちの……息子だもの」
私がちょっと笑うと、ユウは「そうだね」と言って微笑んだ。
「……もうすっかり目が開いたのう」
女王さまが、私が抱き上げている暁を眺めて呟いた。
もう9月も半ばを過ぎて……外は少し冷たい風が時々吹くようになっていた。
そして私のテスラ語も、かなり上達して……ほぼ問題なく話せるようになっていた。
「……はい。奇麗な青色です」
「……」
女王が扇で顔を仰いだ。
何かを……思い出しているようだった。
「……この部屋は、私の娘が孫を産んだ時以来……使用していなかった」
「そうなんですか……」
女王さまが戦争のこと以外を話すのは、初めてのような気がする。
「あの……女王の娘が、やはり女王になるんですか?」
「娘ではなく……孫娘じゃな。われも、おばあ様が亡き後即位した」
「どちらも……お会いしたことはないですね」
「娘は孫娘の教育にあたっておる。特に戦争が長く続いておるゆえ……表には出てこぬ」
じゃあ、ずっと王宮の奥深くに閉じこもっているんだ……。
淋しくないのかな……。
でも、そういうものだって育てられてるんだよね……きっと。
「……不思議なものじゃの」
ふと、女王さまが微笑んだ。
「娘が孫を産んだときは、ちょうどフィラ侵攻の最中での。われは立ち会うこともできなかったのじゃ。だから……お前がここで暮らし、徐々に腹が大きくなって……そして子を産んで……今、そうしているところを見ると……子を産み育てるとはこういうことじゃったかの、と少し懐かしい気持ちになる」
「……」
私は暁を見つめた。暁は青い瞳で真っ直ぐ私を見上げる。
「お前は……産後、急に元気になったの」
「はい」
暁のフェルを吸収して……体の隅々まで水が行き渡る……そんな感じがした。
「多分、今……暁の傍にいるので……力を貰えているのかもしれません」
「そうじゃの。……ふとしたはずみで暴れ出したら、多分……お前しか止められんの」
女王は溜息をついた。
「暴れる……そんなことしますかね」
「お前の息子だぞ。何をするかわからぬ。ユウディエンとて……さして変わらぬ」
「ふふっ……」
女王さまは……最初に会った時の印象と、だいぶん変わった。
私が倒れていた間も……そして目が覚めてからも、とてもよくしてくれた。
それは……託宣の神子だから、というだけではないように感じた。
ママは早くに両親を亡くしたから、私にはお祖母ちゃんという人はいなかったんだけど……もしいたら、こんな感じなのかな。
「……さて……と」
女王が扇をパチリと閉じた。
急に、女王の顔になる。
「お前たち母子も落ち着いたし……そろそろ……じゃの」
「……そうですね」
そろそろ……キエラとの戦争のケリをつける。
……そういうことね。
私が暁を産んだとき……発散したフェルはほとんど私が吸収したのだけど……一部の漏れた分が女王の完全防御を激しく揺らしたらしい。
それで、それ以降……ここ1か月ぐらい、キエラは辺境の村を襲うのを止め、完全防御を破壊することに集中しているそうだ。
逆に言えば、キエラの全軍が一か所に集まっているため……キエラ要塞、そして南のフィラの民が囚われている施設は、かなり手薄になっているはずだ。つまり、今が攻め込むチャンスとも言える。
今は念のためこの王宮の奥の部屋を借りているけれど……もう、私はかなり元気だ。
一応筋トレとかは始めてるんだけど……早く夜斗と組手したいな……。
「……うー!」
何かを感じたのか、暁が右手を上げて何かを唸った。
「そうだよね、暁も頑張るもんねー」
「……やる気なのはいいことじゃがの」
女王は私たち母子を見て溜息をついた。
「……本当に、目が離せないのう。……厄介な親子じゃ」




