56.待たされる日々 -ユウside-
「……本当にいいのか」
夜斗が俺を見て、気まずそうに言った。
朝日の家での最後の夜。瑠衣子さんに挨拶をしたあと……俺たちは身支度をして、外に出ていた。
「……ああ。朝日には連れて行かないって言ってあるし……わかってくれると思う」
「だと、いいが……」
夜斗は手を掲げて上条家全体にかかっていた障壁を解除した。
「……これでよし、と。一応テスラから夢鏡で確認できるようにしておいた方がいいだろうからな」
「……キエラが朝日の方を襲ってくること……あるかな……?」
「ないとは言えないが……可能性は低いな。もし来たとしても、フェルティガエには朝日を捕えられないし……体術の方も、最低限、身を守れる特訓をした。まあ、大丈夫だろう」
夜斗が振り返って朝日の家を見上げた。
「……よし、行くか」
夜斗がゲートを開いた。エルトラ王宮につなぐなら、夜斗の方が確実だからだ。
二人で空間の切れ目から飛び込む。
「リオにはさっき連絡したから……多分待ち構えているだろうな」
夜斗が走りながら言った。
「理央……闘ったとき以来だ」
「いきなり殴られたりしてな」
「えー……」
裂け目から外に出る。エルトラ王宮の庭だった。
こちらもまだ夜のようで……藍色の空が王宮を包んでいる。
「くっ……」
夜斗が不意に苦しそうにその場にしゃがみこんだ。
「どうした?」
ゲートを越えた息苦しさは多少あるが、それほどでもない。
夜斗は俺を見上げると
「……そろそろ俺の限界が近い……ってことだろうな」
と悔しそうに言った。
限界……ゲートを越える限界か。
俺も、前に比べると少し息苦しい。多分……あと二、三回というところだろう。
「……お帰りなさい」
少し離れた所から声がした。
振り向くと、理央が腕組みをして立っていた。
「……おう」
夜斗が立ちあがって、気まずそうに返事をした。
俺は……「どうも」と小さく言った。
理央はつかつかと俺達に近づくと、思い切り夜斗を張り飛ばした。
「ぐはっ……!」
「えっ……」
夜斗がかなり遠くまで吹き飛ばされる。
「この愚弟が……!」
「……俺の方かよ……」
夜斗がよろよろと立ち上がった。
俺も張り飛ばされるのかと身構えていると、理央は俺の方を見てにっこり笑った。
「お久しぶり、ユウ。待っていたわ」
「どうも……」
随分、好意的だ。協力して欲しいからだろうか。
「朝日はどうしたの?」
理央が不思議そうに聞く。
「……置いてきた。危ないから」
「……そう」
「それで……あ、そうだ」
夜斗が荷物をごそごそと漁ると、写真立てを取り出した。
「これ……朝日から。リオに渡してくれって頼まれた。誕生日プレゼント」
「誕生日……?」
理央が訳が分からないという風に写真と夜斗を見比べる。
「6月1日が夜斗と理央の誕生日なんだよ」
理央は写真立てをまじまじと見ると
「これ、朝日から……?」
と不思議そうに言った。
「そうだよ」
「……可笑しな娘ね」
理央はちょっと笑うと「こっちよ」と言って先にスタスタと歩き出した。
とりあえず昼にならないと女王に謁見できないということで……俺に東の塔の部屋を一つ用意してくれた。
夜斗は別の塔に部屋を持っているらしく、俺の部屋まで来たあと、理央と共に去って行った。
あまり広くない部屋に、ベッドと机が置いてある。
俺は荷物を置くと、ヒールの指輪を取り出した。
◆ ◆ ◆
「あの、これ……」
あれは、俺の誕生日。
俺は瑠衣子さんにヒールの指輪を渡した。
指輪はそもそも瑠衣子さんのものだった訳だから、返そうと思って。
「これ……アオが持っていたの?」
瑠衣子さんが不思議そうに言う。
「そうみたいです。赤ん坊のとき、間違えて持ってきたみたいで。それで……ヒールは、ずっとこれを大事にしていて……。ヤジュ様となってからは、ずっと指にはめていました」
「……そう……」
瑠衣子さんは指輪を見ると、そのまま俺に返した。
「私はいいわ。アオが持ってて」
「え?」
思わず聞き返す。
「ヒロの形見として、持ってて。……私には、朝日がいるから。あなたにとっては思い出深い大事な指輪でしょう?」
瑠衣子さんはそう言って微笑んだ。
◆ ◆ ◆
指輪をしばらく眺めると、俺は左手の小指にはめた。
そっと、赤い石を触る。
ヒール……。俺にとっても、朝日はすごく大事だよ。
だから……これは約束の指輪。
ヒールがやり残したこと……俺がすべて、叶えてみせる。
そして、朝日のもとに帰るから……見守ってて。
アレクサンドライトの指輪がきらりと光って……俺の意思に答えてくれたように、見えた。
やがて藍色の空が白くなり……昼になった。
すぐに女王に謁見できるものと思っていたが……女王は託宣の間に行ってしまったらしい。
しばらく待機していてくれ、と言われてしまった。
エルトラ王宮の外では二つの村でキエラと戦闘状態にあるみたいだが、エルトラの兵士とフェルティガエで持ちこたえているらしい。
女王の完全防御は、前に見た時より少し薄くなっている気がしたが……まだ持ちこたえられそうだ。
「理央、時間はあるか? 模擬戦をしてほしいんだが」
俺が言うと、理央は
「必要ないわよ」
と答えた。
「どうして……」
「ユウのおかげで……強いディゲは殆どいないの。今出てきているのは最近実戦に出始めた若いディゲよ。12、3歳ぐらいの」
理央は窓から遠くを見つめた。
「もうしばらくしたら村の防衛に入ってもらうことになると思うわ。……それで十分リハビリになるわよ。今は……休めるときに休んでおいた方がいいわ」
そうは言っても……何だか落ち着かない。
朝日を振り切ってテスラに来て……。まだ1日も経ってないのに、俺はもう、朝日が恋しくなっている。
今頃だと
「ユウ、起きてる? おはよう!」
と言って部屋を覗き込んでる頃だよな……。
……ふう。
朝日は、もう目を覚ましただろうか。
瑠衣子さんには特に口止めをした訳でもないから……すぐに気が付いてしまうだろう。
連れて行かない、とは伝えてあったけど……どう思ってるだろう……。
泣いてないといいけど。
「じゃあ、夜斗、何か……」
「まあ、落ち着けって」
「でも……」
「女王の託宣を……ちゃんと待った方がいい。このタイミングだから……かなり重要な意味があるはずだ」
「……」
「お前……ほんとに極端な奴だな」
お茶を飲みながら、夜斗が呆れたように言った。
結局女王に会えたのは、さらに次の日になってからだった。
もう少し、もう少し、と言われて……ずっと王宮に足止めされていた。
丸1日空くんなら……サンに会いに行くこともできたのに。
長い廊下を歩いて大広間に辿りつく。
入ると、女王はすでに玉座に腰かけていた。
俺と夜斗と理央は中央まで進み……跪いた。
「待たせてすまんの」
女王は心なしか疲れているようだった。
だが、朝日や夜斗の話を聞いた限りでは60歳以上のはずなのに……とても若く見える。
「フレイヤ女王……大変申し訳ありませんでした」
夜斗が丁重に頭を下げた。女王は少し笑うと
「ヤトゥーイ。強制執行などに屈するとは、甘いのう」
と、何故か少し楽しげに言った。
「……すみません……」
夜斗は、言葉は丁寧だが、本当にすまないとは思ってなさそうだ。
……そして女王も、すべてが強制執行のせいだとは思っていない……そういう風に、見えた。
「……話は聞いた。で、お前がユウディエン=フィラ=ファルヴィケンか」
「……はい」
ちょっと話しただけでもすぐわかる。この女王はかなりの力の持ち主だ。
さっきの夜斗とのやり取りと言い……小細工は通じない。
正直に思ったことを言った方がよさそうだ。
「お主にはわれの宣託を授けておらぬ。まずはそれから……としようかの」
女王がそう言うと、傍らに控えていた神官の一人が俺の傍にやってきた。俺の左耳のピアスに手をかける。
ちょっと驚いたけど……夜斗がピアスで宣託を授ける話をしていたことを思い出して、そのまま黙っていた。
神官が女王のもとへピアスを運ぶ。
女王が俺のピアスに手を翳すと、周りに光が放たれた。かなり眩しい。
女王自身が何事かを呟きながら天を仰いでいる。
その状態がしばらく続き……やがて光は収まった。
「……」
女王は眉間に皺を寄せ、黙ったままだった。
「……あの……」
どうだったんだろう、と思って話しかけようとすると、理央にドンと肘でどつかれた。女王が言葉を発するまで待たないといけないらしい。
「……お前を育てたのはヒールヴェンであったか」
「はい……」
女王は眉間に皺を寄せたままだった。
「……かなり丁寧に育てたようじゃ……の。お前の持つフェルティガはまさしく戦闘系であるが……使い方によっては身を滅ぼしかねないものじゃ。そうならないように、抑えたり暗示をかけたりしてうまく使えるようにしていった。ヒールヴェンは……指導者としての才能は一流じゃの。でなければ、敵も味方も滅ぼす兵器になってしまったかもしれぬ」
凄い言われようだ。
でも、実際……その力でフィラの半分以上を消滅させたのは俺だ。
そして、その力で自分の身体をも傷つけ……キエラの技術がなければ死んでいたんだから。
「お前の……キエラでの経緯は聞いておる。ただ、お前には……重大な欠陥がある。それが、生まれつきなのか、キエラの技術によるものかはわからぬがの」
「欠陥……?」
女王は扇で顔を仰ぎながら……一つ一つ、丁寧に言葉を選んだ。
「フェルティガエが一度に使えるフェルティガには、限界があるのじゃ。それを超えると命の危険に晒されるため、それ以上使わないよう、気を失うようになっておる。しかしお前はその部分が欠落していて……寿命を削り、命尽きるまで使い続けてしまうのじゃ」
「えっ……」
少し驚いてしまったが……ふと、ヤジュ様……ヒールとの訓練のことを思い出す。
絶対に無理をするな。使ったら、必ず目をつむって体を休めろ、と口うるさく言っていた。
ヤジュ様は結構長く起きているのに、なぜ俺にはすぐ休むように言うのだろう……と不思議に思っていた。
そうか……。自分で意識的に休むようにしなければ、回復できないからなのか。
敵が気絶するのは見ても、自分が気絶したことはなかった。
あの……朝日の家で倒れたのが、初めてだ。
てっきりまだまだ余裕があるからなのかと思ってたけど……全然違うんだ。
確かに……気絶こそしないものの、疲労感は半端なかった。
俺は、自分の力を過信していたのかもしれない……。
「……ヒールヴェンは、それを恐れて……一つの縛りをお前に残しておる。お前が極端に寿命を削る行為に及んだときに強制的に意識を失わせるという暗示が残っておるのじゃ。……お前がフェルティガの浪費により死ぬのを防ぐためじゃのう」
女王の言葉が……少し暖かいものに聞こえた。
ヒール……。
本当にいろいろ考えて……ありとあらゆる手を尽くして……俺を育ててくれたんだな。
俺はヒールの最期の顔を思い出した。
ヒール……死んでしまったら、お礼を言うこともできないよ。
どうして、もっと……。
思わず涙ぐみそうになり、慌てて堪える。
「これは、残しておいた方がよいのか……難しいところじゃの。戦争の真っ最中で意識がなくなったら、逃げることもできぬ。尚更危ないかも……しれんしの」
「お……わたしは……戦争の状況がまだわかっていないので、もう少し待っていただけないでしょうか。様子を見て……かえって危険であれば外していただきたいですが……できれば、残しておきたいです」
考え込んだ女王に向かって、俺は思い切って答えた。
気づかない間に寿命を使い切って死ぬなんて……絶対に、嫌だ。
俺は、朝日のもとに……帰ると決めたんだから。
死ぬ覚悟なんてしない。
必ず生きて帰る道を選びたい。
「……そうじゃの」
女王は納得したように頷くと、ふと「おや?」というように眉間に皺を寄せた。
「ん? あの娘はどうしたのじゃ」
「あの娘……」
「チェルヴィケンの娘じゃ。決まっておろう。アサヒ……だったかの」
夜斗が俺の顔を見ると、一歩前に進み出た。
「……戦に役立つ力があるとは思えず……ミュービュリに置いてきました」
それを聞いた女王は夜斗と――そして俺と理央を見比べると、ガッと立ち上がった。
「……お前たちは阿呆か!」
女王の怒声が響き渡る。
俺はギョッとなった。夜斗も驚きを隠せないでいる。
「戦に役立つ、役立たないの問題ではない。保護することに意味があるのじゃぞ!」
「保護……?」
女王はひと睨みすると、再び玉座に腰かけた。
「……あの娘が、黙って待っているような人間か」
「いえ、それは……」
全然思わないけど。でも……。
「しかし、ゲートを開ける方法も知らない訳ですから……」
夜斗がフォローしようとすると
「だから阿呆だと言うのだ」
と、女王はバッサリ切り捨てた。
そして、ジロリと俺を睨む。
「ユウディエンよ。娘は強制執行の術を知っていたのか。お前が教えたのか」
「いえ、僕は何も……。多分、咄嗟に……出たのだと思いますが」
そう言って夜斗を見ると、夜斗もまだ女王の言わんとしていることがわかっておらず、動揺していた。
女王は次に夜斗を睨みつけた。
「ヤトゥーイよ……われの託宣を覚えていないのか。……ありとあらゆる術を使える可能性がある、と教えたはずじゃぞ」
「……!」
夜斗の顔色がサッと変わる。
俺にはまだ、何のことかわからないが……。
女王はそのまま続けた。
「強制執行のやり方も知らぬのに己の意思と言葉だけで発動させるような娘じゃぞ。娘が本気でテスラに来ようと思えば……ゲートぐらい簡単に開けてしまうわ!」
「……!」
俺は思わず立ち上がった。理央が俺の腕を引っ張って座らせようとしたが、俺はその手を振り払った。
「まさか、もうテスラのどこかに……?」
「……」
女王が扇で俺を差す。……すると、俺はその場でガクリと跪いてしまった。女王の暗示か何かだろうか。
「……無礼じゃぞ」
女王は俺を睨んでそう呟くと、傍に控えていた神官に
「夢鏡でミュービュリを覗いて……探せ。そして……テスラに来ていないかも探すのじゃ」
と命じた。
そして俺の方を見ると
「昨日の……精霊の託宣によれば……来ている可能性は高いのう」
と呟いた。
「精霊の……託宣……?」
「知りたいか?」
女王の言葉に、俺は黙って頷いた。
女王は「ふん」と鼻を鳴らすと……ゆっくりと口を開いた。
「いいか、よく聞け。……“遠き国の 神子の降臨を以て 時は動く”……じゃ」




