51.自分が情けない -ユウside-
朝日の家に来て、1週間は……現実と夢の中を行ったり来たりしていて、殆ど記憶がなかった。
ただ……目を開けるとたいてい、朝日がいてくれて……俺が起きたことに気づくと、握っていた手をぎゅっとしてくれた。
「ユウはフェルが物凄く足りていないんだって。うまくいくかはわからないけど……頑張って送るからね」
朝日はそう言ってくれたっけ。
俺を眠らせようと一生懸命だったり、俺にフェルティガを渡そうと頑張ったり……そういう朝日の気持ちは、夢うつつでもとても伝わってきて……すごく嬉しかった。
でも、意識がはっきりしてくると……自分の不甲斐なさに腹が立って。
何で俺はこんな風になってしまったんだろう、何で守るべき朝日に守られているんだろう……そう思ったら情けなくて、悔しかった。
もし今、キエラの兵士が現れたら、俺は何もできないじゃないか……と。
そんな苛立ちもあって……全然心が晴れなかった。
朝日や夜斗にもキツい言い方をしたりした、と思う。
でも、俺の誕生日……ああいう風に祝ってくれて……アルバムをくれて……。
――そして、寝ている俺に、口づけた。
だいぶんうとうとしていたけれど、覚えている。
多分……俺が、「祝福の意味なんだよ」と言ったのをちゃんと覚えていて、テスラ式にお祝いしようと、思ったんだと思う。
それは真っ赤な嘘なんだけど……朝日の祝いたいという気持ちは本当だから、俺の乾いていた心が一気に潤った……気がした。
あれから何回もアルバムを見直しているんだけど……。
朝日って……最初から、いつも元気で、一生懸命だったよな。
夏は……別荘に行ったっけ。あの後が、大変だったよな。
でも、このときの俺……何を考えていたかな?
朝日はどんな表情をしていただろう?
瞬間を切り取った写真からは分からないことも、考えるようになった。
……そして気づいた。
やっぱり俺にとって、朝日は可愛くて、すごく大切な……存在だということを。
……ある日、夢を見た。目の前の朝日があんまりにも奇麗に笑うから
「朝……日……」
と呟いて抱きしめようとした。
そしたら、耳元で
「……ん? なあに?」
という朝日の声が聞こえてきて……俺は、急に目が覚めた。
目の前に、朝日の顔がある。
「……えぇっ!」
と少し驚いた声を出して仰け反ってしまった。
「ごめん……驚かせちゃった?」
……夢だと思っていて……もし、夢なら……俺は……。
俺はハッとすると、慌てて首を横に振った。
あんまり怪しい言動をしていたら、朝日が俺を訝しんでしまう。
……ただでさえ、倒れたことで心配されているのに。
「いや……」
やっとそれだけ言うと、朝日が自分の首と背中の方を差しながら笑った。
「首と背中が痛そうだったから、クッションを何個か持ってきたの。起き上がってアルバムや本を読む時とかに、自由に使ってね」
「……うん」
朝日は「じゃね」と小さく手を振って、俺の部屋を出て行った。
……多分、今から夜斗と特訓をするんだろう。
――どうしても、手を伸ばせない……大事な、大事な女の子。
朝日は、真っ直ぐで一生懸命すぎる。危険を承知で無茶をする。
これ以上、テスラの戦争に関わらせる訳にはいかない。
でも、俺の中には……絶対に忘れることなんてできない、もう一つの強い気持ちがある。
……どうしたらいいか、さっぱりわからなくなる。
俺と朝日の間には、ゲートという壁がある。
どんなに好きでも……いつかは絶対、離れなければならない。
そんなことを考えていたら、堂々巡りになってしまって迷宮から出れなくなる。
――だから俺は、考えるのをやめた。
俺に出来ることは、早く戦争を終わらせて朝日の身の安全を保証すること、これなんだ。
……そのことだけ考えよう。
そのあと……俺は、朝日を少し遠ざけるようになったと……思う。
ベッドに寝ている間は、まだよかった。
外の世界は何も目に入らなくて……雑音が俺を煩わせることもなくて……。
朝日が自分の傍で笑っていてくれれば、それでよかった。
でも、ある程度動けるようになると、いろいろなことが目に入るし、耳に入る。
朝日が学校のことを話していると、その未来にもう俺はいないんだよな、と思ってしまう。
朝日が瑠衣子さんとヒールの話をしていると、朝日もそのうち誰かと恋をするのかな、と思ってしまう。
朝日が夜斗と訓練を頑張っていると、朝日は夜斗と一緒にいる方が楽しいのかな、と思ってしまう。
朝日の周りすべてに嫉妬して……朝日の気持ちも考えずに、連れ去りたくなる。
キエラとか戦争とかどうでもいい。朝日を……どこか二人だけの世界に閉じ込めてしまおう。
――朝日と二人きりになると……そんな気持ちになってしまう。それじゃ、駄目なんだ。
そう考えて……俺は朝日を少し遠ざけた。
今、俺にできることは……雑念を少しでも払って、体調を万全に整えて、キエラとの戦いに備えることなんだ。
……それだけだ。
フェルティガの方は、かなり回復してきたように思う。
それでも……最大値にはまだまだだろう。
もう二度と倒れたくないから……フェルティガを使うなと言うなら絶対に使わない、と思った。
今回俺が倒れてしまったのは……朝日を想う気持ちが強すぎて、焦りすぎて、自分の管理ができなかったからだ。
今の俺は、朝日を守るということを一番重要視しなければならない。
朝日を想うことが、それを鈍らせるなら……俺はこの気持ちを封印しなければならないんだ。
……ここ二週間ぐらいは……ずっとそんなことを考えていた。
「てやっ! ……やぁ!」
窓を閉めていても……庭から朝日の声が聞こえる。夜斗と訓練をしているんだろう。
朝日は日増しに強くなっていて、もう俺じゃ相手にならない。
仮に俺が本調子だったとしても、厳しいだろう。
体術に関しては夜斗の方が上なので、朝日の訓練の相手はずっと、夜斗だった。
だから午後のこの時間は、いつも朝日は夜斗と一緒にいる。
俺は何だかもやもやするから……窓を閉め切って、部屋に籠っている。
……訓練なら仕方ない。考えないようにはしてるけど、胸がざわざわするのは止められない。
夜斗はいい奴だ。それはわかっている。
そして、多分……夜斗も、朝日をとても大事にしている。
朝日も、夜斗には遠慮なく接しているようだ。
……胸がざわめく。
駄目だ、ちゃんと落ち着こう。まだまだ修行が足りないな。
こうして心が乱れたとき……俺は自分の部屋で目を瞑って深呼吸したり、家の前の公園を散歩したり……どちらかというと、精神修行の方をしっかりしようと心がけていた。
やっぱり、感情に任せて闘うと、どうしても無駄な力を使ってしまう。
もう二度と倒れたくない。心を動かされてる場合じゃないんだ。
……お茶でも飲んで切り替えよう。
俺は部屋を出て、階段を下りた。
リビングのドアを開けようとして――ドキリとした。
夜斗がソファに寝転んでいて……朝日がその近くの絨毯に座っている。
夜斗が朝日の頭をなでていた。
俺は思わず、大きめの音を立ててリビングのドアを開けた。
朝日がびっくりしたようにこっちを見た。
「あれ? 何してるの?」
何事もなかったように声をかける。
朝日は少し笑って
「……ちょっとね。これからどういう鍛錬を積んだらいいか、夜斗に聞いてたの」
と、早口に答えた。
「ふうん……」
そう言う風には、見えなかったけどな。
俺は少しモヤッとしたけど、気にしないようにした。
台所に入って冷蔵庫を開ける。ここで何か飲んで行こうかと思っていたけど……一刻でも早く立ち去りたい気分だったから、ペットボトルのお茶を取った。
……二人は、ずいぶん仲良くなったんだな。……いつの間にか。
――俺は、朝日に触れないのに。
何だか黒い嫌な気持ちが広がってきて、俺は逃げるようにリビングを後にした。
階段を上がり、ベッドに転がる。
いや……俺は、朝日から目を逸らしているだけなんだよ。
自分でも、わかってる。
でも、そうしなければ……ちゃんと自分の役割を果たせる気がしない。
俺は……俺の中の優先順位を、ちゃんと守らなくては。
それから――いくつかの眠れない夜を過ごした。
5月も終わりに近づいている……。フェルティガも、ほぼ満タンに近い。もう、大丈夫だろう。
横になっていた期間が長かったから、体力や筋力の減退が心配だった。
5月に入ってからは筋トレを始めたから……身体はもう、だいぶんしっかりしてきたと思うけど……。
ただ、かなり長い間フェルティガを使っていなかったから、勘が狂っていないかは少し心配だ。
エルトラには6月には行くことになるだろう。そこで理央を相手にトレーニングすれば……どうにかなるかな。
今は、身体をつくることを充実させよう。
朝日はいつもと変わらず、何かあれば俺に話しかけてきた。やっぱり倒れたから、心配しているんだと思う。
二人っきりのときに近寄られると心が揺らぐので、ちょっと突き放してしまった。
それでも、俺との距離を計りながら何かと近づいてくる。
……学校生活を送っていたときも、そう言えばこんな感じだったかな。
いつも、俺の反応を見ていたような……気がする。
倒れたことで、かなり不安にさせてしまったかもしれない。
やっぱり俺は、ガードとして肉体的にも精神的にも逞しくならないと……駄目だ。
ある夜、夜斗とエルトラの状況について話をしていた。
夜斗は定期的に理央と連絡を取っていて、その内容を俺に知らせてくれていた。
戦争の話なので、朝日の前ではしないから……いつも深夜だった。
エルトラでは、女王の完全防御が少し揺らいでいて、不安を抱えているらしい。
俺はもう十日もすれば行くつもりだから……どうにかなるとは思うけど……。
いよいよ……なんだな。
その後はエルトラに行く段取りなんかを話していたけど、夜斗が不意に
『朝日のことは……どうするつもりなんだ』
と、俺に聞いた。
俺は一瞬、答えに詰まった。
夜斗がどういう意味で聞いたのかわからなかった……というのもある。
でも、朝日について考えると、思考がどんどんおかしくなってしまって……辛い。
だから、今は……
『――考えたくない』
と答えるのが精一杯だった。
夜斗の表情が少し険しくなったような気がした。
その瞬間、隣の部屋から何か物が倒れるような、激しい音がした。
「……朝日!?」
朝日の部屋だ。俺は咄嗟に自分の部屋を飛び出した。
「朝日、入るよ!」
ノックもせずに入って電気をつける。
朝日が床に仰向けになって倒れていた。
「――朝日!」
慌てて抱き起こす。体は温かかったのでホッとした。
……でも、顔だけ氷のように冷たい。顔色も青ざめている。
『……夜斗! 早く!』
夜斗は少し遅れてやってくると……朝日に手を翳していた。
『どうなんだ? 大丈夫なのか? 何か……攻撃でもされたのか?』
『いや……そういうのはないな。頭をぶつけたか、何か精神的にショックを受けたか……。とにかく、ベッドで休ませて様子を見よう』
夜斗はてきぱきと準備すると、朝日を抱え上げてベッドに寝かせた。
『俺が……』
『俺が見る。お前はまだ無理をしない方がいい』
夜斗が俺の言葉を遮った。
『でも……』
「どうしたの? 今、何か音が聞こえてきて……」
瑠衣子さんが起きてきて、朝日の部屋を覗きこんだ。
「朝日が……」
俺が言いかけると、俺の前にすっと出た夜斗が
「朝日が寝ぼけてベッドから落ちただけみたいです。大丈夫ですよ」
と言って俺達を部屋から出した。
「……そう……」
夜斗が何か仕掛けたのか、瑠衣子さんはそれ以上は何も言わず……自分の部屋に戻っていった。
俺は朝日の部屋に戻ろうと思ったけど……何だか夜斗に睨まれそうで、そのまま自分の部屋に戻った。
……夜斗の方が、朝日をちゃんと見ているような気がする。
俺は、このままじゃ……駄目なんじゃないか?
そう思ったけど……じゃあどうすればいいのか……答えなんて、到底見つかりそうになかった。




