40.何に代えても、守りたかった -ヒールside-
そんなある日……お前が1歳になった頃……事件が起こった。
お前がゲートを開いて、その裂け目に落ちてしまったのだ。
私はお前を追い……ゲートに飛び込んだ。
その曖昧な空間から戻ろうとしたら……入ってきた裂け目は閉じてしまった。
その頃の私はゲートについて何の知識も持たず……閉じ込められたと考えてしまった。
ゲートは……テスラとミュービュリをつなぐ通路だが……その道のりを越える道中でフェルティガを消費する。
よって、より短い距離で結ぶことが望ましいのだが……まだ1歳で偶然開いたユウディエンのゲートはかなりの距離があった。
だから私は出口があるとは思わず……しばらく留まってしまったのだ。
その中でお前を抱え、彷徨い……朦朧として……やがて出口らしきものを見つけて裂け目から出たものの……私は記憶を失ってしまった。
このときに出会ったのが……ルイだ。
「えっ……! あなたは……何者?」
「……?」
「そう……言葉が分からないのね。でも、ひどく顔色が……あっ!」
私は……ミュービュリに落ちて彼女と目が合って……何と美しい女性だろうと思った瞬間……気を失ってしまった。
ルイは……赤ん坊を抱えて言葉も通じない私を、家に連れて帰り、介抱してくれた……。
私はそのとき……テスラの知識もミュービュリの知識もどちらもない状態だったから、紙が水を染み込むように……瞬く間にミュービュリの世界に溶け込んでいった。
私のフェルティガは相手の精神に働きかけるものだから……言葉が通じなくてもある程度はルイの言いたいことがわかった、というのも大いにあるだろう。
当時の私は……勿論、自覚していなかったが……。
そうして……言葉も覚え、私がミュービュリに馴染んだ頃には……私にとって、ルイはかけがえのない女性になっていた。
「あなたは……神様の贈物かもしれないわね。両親を失い、孤独な私への……。そして、アオは……さしずめ天使ね」
「ルイ……」
「……ねぇ、ヒロ。ずっと……そばにいてね」
「……ああ、勿論」
……私は、ルイに会って……初めて笑ったような気がする。
自分のことは何一つ覚えておらず……なぜ一歳のお前と一緒にいたのかも全くわからなかったが……このまま、ずっと過ごせればいい……そう思っていた。
しかし……そんな生活は半年ほどで突然終わりを迎えた……。
「どうしよう……。 銀行の振込が明日まで……ああ、でも仕事の打ち合わせもあるし……」
「ルイ、僕が銀行に行ってあげるよ。……さ、アオ、一緒に行こう」
「……そう? じゃあ、お願いね」
私はルイからお金を預かって家を出たのだが……そこで記憶が途絶えている。
気が付いたら、またもやゲートの……曖昧な空間の中にいた。
それで、私は前に彷徨っていたときの続きだと……そう思ってしまった。
つまりこのとき……私は、今度はミュービュリでの記憶を失っていたのだ。
そして出口から出ると、林の中……そう、この場所だった。
私はキエラの研究室にいたはずなのに……いつの間にか見たこともない恰好をして見たこともない紙束を持っている……。
そう思った。
そしてこのときユウディエンは……ルイの大事にしていた指輪を咥えて持ってきてしまっていた。
お金と指輪はこのときの私には何のことかわからなかったのだが……何か大事な物だったような気がして、こっそりしまっておいた。
そして林の中で、お前たちも見ただろう……あの家を見つけた。今にして思えば、あの家の主に呼ばれたのかもしれんな……。
あの家は私の母の父……つまり、祖父の隠れ家だったのだ。
フィラ侵攻のときたまたま外に出ていて難を逃れた祖父は……そのあとあの家に独りでいたらしい。
私が行ったときは……もう息を引き取る間際だった。
「ヒールヴェン……よかった、間に合った……」
「なぜ、僕を……?」
「ここに……チェルヴィケンの古文書が眠っている。そして、わしの日記も……。お前が希望の光……確かに……」
祖父を看取った後……私はあの隠れ家で、祖父に言われた本を読み漁った……。
そして、祖父の日記から、私がキエラに閉じ込められていた経緯を知った。
私の名前、ヒールヴェン=フィラ=チェルヴィケンの意味も……。
そして私が閉じ込められていた間、テスラで何が起こっていたのかも……。
その過程で、ユウディエンがファルヴィケンの生き残りだったことも知った。
しかしテスラがどういう世界なのか……本当に祖父が残した日記の通りなのか……自分の目で知ろうと、幼いユウディエンを連れて、旅に出た。
隠れ家は隠蔽して……いつか、戻ってくる日のために。
キエラに戻るつもりはなかったのだが、まだフェルティガを使い慣れていなかった私は、ふとしたきっかけでカンゼルに見つかり……連れ戻されてしまった。
私の記憶が全くなく……そしてそれはフェルティガエに調べてもらっても嘘をついていないことがわかったので……私とユウディエンはそのまま再びキエラの要塞の奥深くに軟禁された。
祖父の家でのことは自分自身に隠蔽をすることでどうにか秘密を守った。
そうしてミュービュリに行く前と同じ生活が始まったのだが……私の中では何かが燻っていた。
そしてユウディエンも……ぐずって泣いてばかりいた。
一方……私が消えた一件でミュービュリの存在を知ったカンゼルは……どういう世界なのか、フェルティガエによってゲートを越えられるのか、などかなり熱心に研究していた。
捕らえてきたフィラの長老からも知識を得たようだ。
ゲートを越えられる人間がほんのわずかで、回数にも限度があり……また、ミュービュリに大きく関わると災いが起こる……などの昔の伝承のことも考え、ミュービュリを利用することは諦めたように思う。
しかし、私が消えていた半年ほどの間、いったい何をしていたのかを探っていたのだろう。
……その過程で、夢鏡というフェルティガでミュービュリを覗けることがわかった。
そして私も……ゲートとゲートの間で記憶のない半年間があることがわかり……何があったのか、知りたいと思っていた。
それは絶対、私にとって大切なことだと確信していたのだ。
カンゼルの目を盗んでゲートについての知識を得て……夢鏡でミュービュリを覗き……私は自分の記憶の欠片を必死に探した。
そして、4年ほど経ってから……やっと私はルイを見つけ……すべてを思い出した。
思い出した日のことを……今でも覚えている。
会いたかった。
きっと泣かせてしまったに違いない。
もう私のことは忘れてしまっただろうか……。
いろいろなことが頭を駆け巡って……人知れず泣いてしまった。
しかし夢鏡で覗いたルイは……懸命に生きていた。
独りではなかった。
……私の娘……アサヒ……お前がいたからだ。
「ママー」
「朝日! ただいまー!」
「お帰りなさいませ、奥様」
「……いつも朝日の面倒をみてくれてありがとう。お疲れさま。朝日はいい子にしてた?」
「奥様……お嬢様はホントに元気で……駆けずりまわって転んだりぶつけたり……大変ですよ」
「ふふっ……ごめんなさいね。……あら? でも怪我なんて……」
「不思議なんですけどね……ちょっと痛がっててもすぐ傷が治ってしまうんですよ」
「あらー、便利ねぇ、朝日!」
「……まあ、奥様がいいならいいですけど……」
私は……すぐにでもミュービュリに行きたかった。
行って……またルイと共に暮らしたかった。
でも……前とは違う。
ミュービュリに行っても……今度は夢鏡でカンゼルに見つけられてしまう。
そして私には……ルイとアサヒを守る力はない。
アサヒが不思議な力を持っていることは夢鏡を通してもわかっていた。
絶対に、カンゼルに見つからないようにしなくては……。
――そうして私がとった手段は……ルイとアサヒを守る代わりに……もう二度と、ルイに会えなくなるものだった……。




