29.何かがおかしい
私の視線に気づいたのか、夜斗はちょっと「おっ」というような顔をした。
いけない、リアクションしちゃいけないんだった、と思って、私は慌てて目を伏せた。お茶を飲む。
「……何だ? フィラの消滅が気になるのか?」
「……」
だんまり、とにかくだんまり。
夜斗はふう、と息をつくと「それでだ」と話を続けた。
「フィラ消滅より後に生まれた人間……。ということは、ユウは攫われたフィラの人間から生まれて洗脳された、キエラ側の人間じゃないかっていう懸念があった。そのためユウにバレずに時間をかけて調べる必要が出てきて……そこで選ばれたのが、俺と理央の双子の姉弟だった……と」
「双子は本当だったんだ。何で二人だったの?」
疑問に思ったので思わず口を挟む。
「まず一つは、潜入するのに俺たちの容姿が一番日本人に近かったから。例えば幻覚で見た目を変えることもできるけど、それより上位のフェルティガエには見破られてしまう。絶対バレる訳にはいかなかったから、素で日本人っぽい俺たちが選ばれた」
なるほど……。じゃあ理央と夜斗の容姿は変装でも何でもない、自前なんだ。
「もう一つは、ユウに匹敵するフェルティガエでなければならなかったから」
夜斗はお茶を飲みながらそばに置いてあったお菓子を頬張る。
「俺たちもフィラの人間なんだ。フィラ消滅時、俺たち二人は母親と共に女王の宣託を受けにエルトラに来ていて、難を逃れた」
「……じゃあ二人は、実はすごく年上……」
「人をおっさん扱いするな。22だよ」
「……」
大人っぽく見えたのはあながち間違いではなかったんだ……。
「理央の本当の名前はリオネール=フィラ=ピュルヴィケン。俺の本当の名前はヤトゥーイ=フィラ=ピュルヴィケン。フィラの三家の一つ、『ピュルヴィケン』の直系だ」
何だか聞き覚えのある響き……。
ユウの名前……あの長い……ファル何とか……。
えっと、何だったっけ。
一生懸命に思い出そうとしたけど、どうしても出てこなかった。
「そして、ミュービュリの……日本語や朝日のいる学校について勉強して、6月にやっと、お前たちの前に現れた……という訳だな」
それが……あの夜。ディゲと初めて闘った日のことか……。
「でも、実際はあいつ、キエラ側の人間じゃなかったよな。キエラから朝日を守っていた。ちょうどミュービュリに来たとき、ユウが広場で闘っていて……。慌てて隠蔽したよ。誰かに見られたら大変だからな」
夜斗はやれやれ……といった感じで溜息をついた。
道理であの日、誰一人広場に入ってこなかった訳だ。
「理央はユウと同じ戦闘タイプのフェルティガエだ。フェルティガで攻撃できるし、自分の身も守れる。だけど、潜入するには幻惑が必要だ。それが、俺」
夜斗は自分を指差した。
「何か、逆っぽいのにね……」
思わず呟くと、夜斗は「ははっ」と声を出して笑った。
「確かに。でも、俺はこう見えてなかなか優秀だぞ。……あ、そうだ。学校とお前の母親には『朝日は留学している』ということにしておいた。急に消えて大騒ぎになったら大変だからな。すべてが終わったら、必ず俺が戻してやるから……そこは心配しなくていいぞ」
随分と用意周到だな……。それに私たちの荷物もちゃんと持ってきてるし。
でも、ママのことはちょっと感謝。多分ものすごく心配して仕事どころじゃなくなっちゃうもの。
「……何でユウにかけないの?」
ふと疑問に思って聞くと、夜斗は
「無理。リスクが大きすぎる。あいつはお前を守るために傍にいるんだろう。その根底を覆すような暗示、かかる可能性が低い。防がれて俺がとっ掴まる可能性の方が高いよ」
と言って身震いした。
「そんな訳で、理央は戦闘要員、俺は情報操作要員として来たわけだけど……。最初に見たのがそのディゲとの闘いだったからな。どう考えても理央よりユウの方が強い。とてもじゃないけど、ユウと闘って強引に朝日をエルトラに連れて行くのは不可能だと思った」
夜斗はお茶を飲み干すと、じっと私を見た。
「それで、あの夏……ユウと離れて実家に戻ったお前を連れて行こうと思ったら、今度は実家が見たこともないような霧に囲まれて入れない。あれも、かなり驚いたな」
「……」
「エルトラにも報告したけど……エルトラの高位のフェルティガエでも誰も見たことがないし、誰も知らなかった。女王ですら知らなかったんだ。古の禁術じゃないかって話になってる」
じゃあ、誰がママにかけたんだろう……。
エルトラの人が知らないんなら、昔のフィラの人なのかな……。
「実家というか、お前の母親にかけられていた霧……か」
「あれ? じゃあどうやって留学だっていう暗示をかけたの?」
不思議に思って聞くと
「もう消えてたから、難なくかけれたぞ。そうやって俺はミュービュリで後始末をして、理央より少し遅れてエルトラに戻ってきた……という訳だ」
と言って、自分のカップにお代わりのお茶を入れたあと、私にも注いでくれた。
「夏のあのときは、軽井沢で接触を試みて、お前が一人になる機会があれば……と思ったけど、そんな機会ないし。霧が遠ざかった瞬間、ユウが現れたからな」
「ずっと見張ってたんだ……」
「そりゃ、な。そして次の日、お前に暗示をかけようとしたら、暗示も全く効かない。びっくりしてたら脇から人間が現れてかっ攫われるし……」
夜斗は溜息をついた。
「本当に、想定外のことが多すぎて、かなり苦労した」
私の知ったことではないけどね……。
夜斗が注いてくれたお茶を飲む。
「……理央は闘いたがってたけど……俺は、無人島のあの惨状を見てるから、必死で止めたよ。絶対ユウには勝てないからな。あれは……規格外だ。昔フィラを消滅させた、ユウディエン=フィラ=ファルヴィケンに匹敵するな、多分」
「……」
それだ! ユウの本名。
……と思ったけど、私は反応しないように気を付けた。
夜斗が言っていた、フィラの三家の1つ、なのかな。こうして夜斗がフルネームを知ってるってことは。
……何か、気になるな。
私は思い切って
「さっきから言ってるフィラ消滅って何?」
と聞いてみた。
夜斗は「やっぱり」と言うような顔をすると、ふう、と息をついた。
「21年前、キエラがフィラを襲って……そのとき生まれたばかりの赤ん坊だったユウディエンが敵もろともフィラを焼き滅ぼしたんだ。ユウディエンはそのときに死んだ……と思われている」
ヤジュ様がユウに教えた内容と、ズレはない……。
21年前――矛盾が生じているのは、これだけ。
どういう意味があるんだろう……?
視線を感じてハッとして顔を上げると、夜斗がじっと私の顔を見つめていた。
「……何よ」
「……ユウは、もしかして本当は男なんじゃないのか?」
「何を馬鹿なことを……」
内心かなりドキッとしたけど、すっとぼける。
「年齢が合わないけど……ユウがそのユウディエンだったら、一番ピッタリくるんだよ。それに……」
夜斗が手を伸ばして私の頭の上にポンと手を載せた。
「あいつ、こういうことすると妙に嫉妬してなかったか?」
「!」
私は夜斗の手を振り払って
「触らないで」
とつっけんどんに返事した。
「……」
夜斗は黙って椅子からゆらりと立ち上がると、私の後ろに回ろうとした。
嫌な予感がして、私は背後を取られる前に席を立つと、夜斗を見つめたまま後じさった。
どんと、背中が壁に当たる。
夜斗はゆっくりと近づいてきた。いつもより、ちょっと怖い顔をしている。
「何よ……」
「俺は一通り話したぞ。今度はお前が俺に説明する番だ」
「約束してないし」
「ユウは何者なんだ?」
「さあ」
「じゃあ、朝日には、何でフェルティガが効かないんだ?」
「知らないわよ」
夜斗は私を逃がすまいと両腕をドンと壁につくと、私の顔をじっと見下ろした。
負けるもんか、と私もじっと夜斗を見上げた。
不意に、夜斗が私の顔を両手で掴むと――キスしてきた。
「――!」
こ、この野郎……!
私は夜斗を引き剥がそうとしたけど、力がかなり強くて離れてくれない。
とりあえず蹴りをかまそうと足を振り上げたその瞬間……夜斗が目の前で崩れ落ちた。
「わ、何よ!」
すかさず距離をとる。夜斗は膝をついて大きく息を乱していた。
「お前……いったい……」
「何がよ!」
「……フェルティガが効かないから、直接内部に仕掛けたら効くかな、と思ったんで試したんだけど……駄目だった」
「何てことすんのよ! もう!」
私は涙目になってゴシゴシと唇を拭った。
「もう絶対、夜斗のこと信用しない!」
「あーもう、悪かったって。泣くなよ……」
「泣きたくもなるわよ! 【もう二度と私に……】」
近づかないで、と言いかけた瞬間、夜斗が左手を振り払った。
その瞬間、何もない空間からパシッと音が聞こえた……ような気がした。
夜斗がかなり驚いた顔をして私を見ている。
「お前……強制執行が使えるのか?」
「何の話よ」
鼻をスンスン鳴らしながら夜斗を睨むと、夜斗は何か考え込んでいた。
『ヤバい……。これは……。それにさっきのも……』
テスラ語でブツブツと独り言を言っている。
しばらく様子を窺っていると、夜斗はふと顔をあげて
「……じゃあ、またな。大人しくしてろよ」
と言って慌ただしく部屋を出て行った。
「あっ、ちょっと……」
夜斗は振り返りもせずに、扉から外に出て行った。
再びガチャンと鍵をかけられる。
「もう……何なのよ……」
私はもう一度、袖で唇を拭った。
ユウとの大事な……イブの思い出が……。
胸の奥から何かがこみ上げる。
たまらなくなって、私はベッドに倒れ込んだ。
……ユウ……。会いたいよ……。
布団の中に引きこもる。
涙が出てきた。ユウが触れてくれた髪に口づける。
どうしたらいいの?
どうすれば、もう一度ユウに会える?
……まだ、私の気持ち、全然伝えてないのに……。
答えの出ない問いを……ずっと、頭の中で繰り返していた。




