26.俺は、本当は…… -ユウside-
――ユウ……。
朝日が俺の目の前でちょっと微笑んでいる。
――夜斗は、違うと思うな……。
何でいつも、夜斗を庇うんだよ。
――私はユウに助けてもらうしかないんだね……。
淋しそうな笑顔。……どうして?
俺はそのために、傍にいるんじゃないか。何でそんな表情をするんだ?
――一言多い! ……っとにもう。
夜斗とは、ずいぶん楽しそうに喋るんだな。
――ユウには、私の気持ちなんてわからない……。
わからないよ。俺はただ、朝日をちゃんと守りたいだけなのに。
……何がそんなに不安にさせるんだ?
――ユウとちゃんと一緒に過ごした思い出を作っていきたいの……。
ああ、そうか……。俺は、自分の使命に囚われて、朝日のことをちゃんと見ていなかったかもしれない。
でも真っ直ぐ見てしまったら、俺は朝日から目を逸らせなくなる――そんな予感がしていたんだよ。
――……アレクサンドライトに込められた言葉、知ってる? ……秘めた想い……だよ。
秘めた想い……そうだな。
俺には、朝日に伝えたくても伝えられない、想いがあるよ。
長い間気付かなかったけど、本当はだいぶん前から……そうだったんじゃないかな。
もし伝えたら、朝日は笑って受け止めてくれる?
――うっかり間違えた……んだから、仕方がないよね。
違う……。間違いなんかじゃない。
でも、朝日に拒絶されるのが怖くて、言えなかったんだ。
いつもいつも「間違いなんかじゃない」ってちゃんと言おうと思って……でもはぐらかされて。
俺は、ひょっとしてまた朝日を傷つけたんじゃないか?
――絶対、寝てて!
そうだ。これ、朝日のフェルティガだ。朝日が本気で発した言葉に逆らえない。
だって、そうでなければテスラの民である俺が寝るなんて……。
……え、寝る?
「……!」
俺はガバッと起き上がった。カーテンの向こう側がうっすら明るい。
「嘘だ……」
寝てた……というか、今までの朝日との記憶がぐるぐる廻ってた。
少なくとも、意識は遠ざかっていたと思う。
朝日……何て恐ろしい能力を持ってるんだよ……。
俺はベッドから降りると、鏡の前に立った。
ヤジュ様のフェルティガは完璧だ。俺の目から見ても、鏡に映った姿は女の子にしか見えない。
自分の目で見た体や腕は、男の体なのに……。
もう随分長い間……男の俺の顔を見てないな。
――朝日の瞳にしか映らない、本当の俺。
幻覚の効かない瞳とフェルティガを一切通さない体をもつ朝日。
……いったい、どうなってるんだろう?
ふと見ると、朝日はあどけない顔で寝ていた。
俺は思わず溜息をついた。
「ユウ、よく休めたみたいだね。よかった」
ビュッフェで朝食をとりながら、朝日がにっこり笑った。
いや、君に強制的にリセットさせられたんだけどね……。
でもまあ、身体はかなり軽い。
「やっぱり温泉が合わなかったのかな?」
いや、温泉のせいではなく、完全に朝日のせいなんだけどね。
「違うよ。温泉はよかったよ。ちょっと疲れが溜まってたみたいでさ」
「ふうん……」
「よう」
夜斗が食べ物をのせたトレイを片手に現れた。
「あ、夜斗。おはよう」
「……おはよう」
一応挨拶はする。悪い奴でないことはわかっているが、敵の可能性も十分にあるし。
「理央は一緒じゃないの?」
「部屋も違うしな。今日は、クラス別でゲレンデを滑るとかで、先生と段取りを確認してるみたいだけど」
「ふうん……。そっか、今日はいよいよ滑るんだもんね。頑張らないと」
「……そうだね」
俺はちょっと笑って相槌を打った。
朝日は、よく『頑張る』という言葉を使う。
勉強も、運動も、イベントも、何でも。
好奇心旺盛で、いつも元気に駆け回る朝日は、俺にとっては眩しい存在だ。守る方としては大変だけど、一緒に思い出を作るって約束したし。
思い出か……。俺は、いつ、どんな状況で思い出すことになるのかな。
そのとき、朝日は……もう隣にはいないのかな……。
「ユウ、朝食足りないんじゃない? 何か取ってこようか」
朝日がややびっくりした様子で俺を見る。
気が付くと、取ってきた食べ物は全部きれいに食べ終わっていた。
『寝る』という行為は想像以上に俺の体をリフレッシュさせたらしい。
「昨日温泉に浸かったのがよかったかな。何かいつもより食欲があって」
「私もお代わりするから、ユウのも取ってきてあげるね」
朝日は席を立って食べ物を取りに行った。
まあ、視界に収まる範囲で動いてるから、一人でも大丈夫だろう。
一応、朝日の姿を目で追いながらオレンジジュースを飲んでいると、夜斗が
「……本当に見守ってるんだな」
とポツリと言った。
「ん? ああ……そうか。あのとき、言ったっけ」
朝日を視界の端で確認しつつ、夜斗を見て微笑む。
――僕は、朝日を守るために傍にいる。
ヘリコプターで、牽制の意味もこめて夜斗にぶつけた言葉だ。
夜斗がどう受け取ったのかは分からなかったが、あれ以来朝日に対する言動が積極的になったのは……事実なんだよな。
朝日を狙う敵としてなのか、それとも男としてなのか、どちらかはわからないが、挑発に乗ったということなんだろう。
「はい、持ってきたよ」
朝日が両手のトレイにどっさり食べ物を載せて帰ってきた。
「朝日……僕、さすがにこんなに食べれないよ……?」
少しげんなりしながら言うと、朝日は楽しそうに笑った。
「私はまだ食べれるよ。夜斗も食べるよね」
「ああ、食う、食う。このパン美味かったからもらっていい?」
「いいよ。2個ともは駄目だよ。1個だけね」
何だか楽しそうだよな、おい……。
「ユウがまだ選んでないんだから。さてと……ユウ、どれがいい?」
俺のため……か。
たかがパン1個の、こんなことで嬉しくなるんだから……馬鹿だよな。
「朝日は?」
「私はどれでもいいよ。ユウが先に選んで」
「僕は……じゃあその残りの1個と……こっちのオムレツ」
「はい」
朝日が渡してくれたパンとオムレツを食べ始めると、夜斗がじっと俺を見ていた。
「ん、何? 僕の顔に何かついてる?」
ちょっと気分がいいので、珍しく俺から話しかけてみる。
「いや……。その左耳のピンクのピアス、よく見ると花の形なんだな、と思って」
「ん……」
このピアスは、物心がついたときにはすでに身につけていた。
どうやっても外せないからそのままになってるんだけど……。
「気に入ってるんだ。校則がユルい高校で、よかったよ」
「可愛いよねー」
朝日が能天気に笑う。夜斗は「ふうん」とだけ言うと、朝日がもってきたパンを横から取って、むしゃむしゃと食べ始めた。
朝食後、少し休憩したあとクラスごとにゲレンデに集まった。
俺や朝日のいる初心者クラスは、まずは立ち上がる練習からだ。
「スキーって履くだけで結構大変だよね」
朝日が白い息を吐きながら言う。
初心者はよく転ぶためそのあと自力で立てないと駄目……ということで、まずは立ち上がる練習からするらしい。
「そうだね。結構、重いね」
「ようし、立つぞー……わきゃっ」
朝日は立ち上がろうと力を入れたけど……スキーが前に滑っていって足をとられて転んでしまった。
「朝日、横のエッジに力を入れるらしいよ」
朝日の体を支えながら聞きかじった情報を伝えると、朝日はもう一度気合を入れ直した。
「うーん……よっしゃ、こうか!」
すっくと立ち上がる。
もともと朝日は運動神経がすごくいいから、飲みこみが早い。
ちなみに俺は……ちょっとズルをしてフェルティガを使ったけど。
「さー、次は歩くぞー」
「やる気マンマンだな、朝日……」
後ろには夜斗もいた。
「スキーなんてなかなか来れないからね。この機会に完璧にマスターしようと思って」
「ほー」
「夜斗、馬鹿にしてるでしょ」
「してないって」
「見てなさい。午後には、華麗にゲレンデを滑り下りてみせるからね!」
……見慣れたやりとりだけど、やっぱりイラッとするのは止められないな。
「ほら朝日、行くよ」
俺は会話を断ち切って朝日を連れ出した。
朝日は「うん!」と元気よく返事をして俺の後に付いてきた。
午前中はボーゲンのやり方を教えてもらった。
うまくできた人は午後からリフトに乗ってもいいことになっている。
一応、俺も朝日も……ついでに夜斗もボーゲンはクリアしたので、午後からリフトに乗ることになった。
「リフトに乗るとき転ばないようにね」
「大丈夫!」
リフトは二人乗りだったから、俺と朝日で乗った。夜斗も後ろにいる。
リフトの宙に浮く感覚が心地いい。
今日は雪が降ってなくて、とてもよく晴れていた。空の青さが山の白さとよく映える。
「ふあー」
朝日が口を開けたまま周りをキョロキョロを見回した。
「何か空を飛んでるみたいだねー」
「そうだね。感覚は近いかも」
「あ、そっか。……ユウは空を飛べるんだった」
急に小声で言う。一応周りに気を使ったんだろう。
「ねえ、見たかった、雪山の景色はどう? 似てる?」
「うん。奇麗だね」
返事をしながら……胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。
朝日は、俺が何気なく言った言葉もちゃんと覚えている。
あの体育祭のとき以来、俺が傍観者じゃなくてちゃんと楽しめているか、気になるんだろう。
あの日から……朝日のそういうところも、感じられるようになった。
……それまで、ひょっとしたら淋しい思いをさせてたのかもしれないな。
そうだ。今なら、イブの夜の発言も撤回できるかも……。
「あさ……」
「あ、ユウ!」
急に朝日が叫ぶから、出鼻をくじかれた。
「あの山見て! 樹と雪がうまい感じで……男の子の坊主頭みたいだね!」
朝日はそういうと、楽しそうに笑った。
「……そうだね」
一緒になって笑ったけど、ちょっとやれやれだ。
……朝日は可愛いけど、こういうところはもうちょっと……何ていうか……鈍感だよね。
リフトで上に着くと、今上ってきたところを見下ろす。初心者コースだけど、意外に坂が急だ。
すぐ隣は上級者コースになっているから、間違って入り込まないように気を付けないと。
夜斗が後ろにいるのはわかっていたから、俺は
「朝日が先に滑って。僕は後ろからついていくから」
と言った。
「そうだね。ユウが先に滑ってて後ろの私が急にいなくなったら怖いもんね」
「……」
恐ろしいことを言わないでほしい。
「じゃ、行ってきます!」
朝日がにっこり笑って元気よく飛び出した。
さすがに「華麗に滑ってみせる!」と公言していただけあって、とても上手だ。素の俺じゃ、たちまち置いて行かれるだろう……。
一応ちょっとフェルティガを使って近すぎず離れすぎずついていく。
「……?」
ふと、急に目の前が雪で真っ白になった。
斜面の粉雪が舞いあがったのだろうか。それとも急に吹雪いてきたのか?
「!」
嫌な予感がして、目の前の白をフェルティガで振り払った。……途端に、視界が開ける。
前を確認すると、朝日らしき人物は……いた。でも少し遠い。慌ててスピードを上げて、その人物に近づこうとする。
……だが、どれだけスピードを上げても距離は全く近づかない。
――これはおかしい!
そう感じた瞬間、目の前の朝日らしき後ろ姿が……消えた。
――まさか。
急ブレーキをかけて止まる。周りを見渡したが、朝日の姿はどこにもなかった。
隣の上級者コースに紛れ込んだ可能性もあるが……。
そのとき、あることに気づいて、俺は青くなった。
――俺たちの後ろにいたはずの夜斗は、どこにもいなかった。




