25.私もユウも、どこかおかしい
あのイブの夜のあと――ユウが時折何か言いたそうにしていたけど、ずっと気付かないふりをしていた。
だって、私はもう、何も聞きたくなかった。
私にとっては、大事なファーストキスの思い出で……あのまま閉じ込めておきたかったから……。
3学期が始まり、クラスでは2月のスキー合宿の話で盛り上がっていた。
体育の授業の一環で、全員ではなく行きたい人だけが申し込む仕組み。
ただ、今年は2月13日の金曜日から2月15日の日曜日という日程で、バレンタインデーという一大イベントが挟まっているから、例年より希望者が多いみたい。
「スキー合宿か。ユウは、スキーって知ってる?」
「何か板二本で雪山を滑るスポーツだよね? テレビで見た」
「……やってみたい?」
私が先に行きたいとか行きたくないとか言ってしまうと、ユウはそれに従ってしまうから素直な意見が聞けない。
だから体育祭以来、なるべくユウの気持ちを先に聞くようにしていた。
「スキーはどっちでもいいけど、雪山の景色は好きだな。フィラの冬に似てる」
……そっか。ここはあんまり雪が降らないものね。
『ちゃんと言わないと、気持ちは伝わらないのよ』
ふと、ママの顔が浮かんだ。
……バレンタインデーに便乗するぐらいは、頑張ってみようかな。
そもそも、私のモットーは『やらないよりやって後悔しよう』だもの。
「じゃあ、申し込もうか。スキーってやったことないから、興味があるの」
思い切ってそう言うと、ユウは「うん」と嬉しそうに笑った。
2月13日、金曜日、早朝。私たちは合宿の準備をして校庭に並んでいた。
全部で50人ぐらい。私のクラスでは3分の1ぐらいが参加していた。
その中には、夜斗もいた。
「夜斗はともかく……理央も行くんだね。ちょっとびっくり」
「滑るほうじゃなくて、先生の補佐をするとか言ってたかな。だから、俺たちとは別行動だと思うけど」
理央はスポーツが苦手って言ってた気がするけどな、と思いながら聞くと、夜斗は白い息を吐きながらそう答えた。。
背の高い夜斗は、かなり目立っていた。今日は制服ではなく私服だから、ちょっと高校生には見えないかも。
そんなことを考えながらじーっと見上げていると、それに気づいた夜斗が私の方まで目線を下げて(これがムカつく!)ニヤッと笑った。
「……おっ、何だ? 見とれた?」
「違う!」
ユウの前で変なこと言わないでよ。
ちょっと焦りながらユウを見ると、案の定、少しムッとしたようだった。
「制服じゃないと、老けてるなって思って」
「そんなこと考えてたのかよ!」
「うん」
そのときちょうど、夜斗が理央に呼ばれた。
夜斗は「ちょっとショックだ……」と呟きながら去って行った。
「……朝日ってさ」
夜斗が見えなくなってから、ユウが口を開いた。
「何?」
「警戒心、あんまりないよね」
ポツリと言う。
何を言いたいのかわからず、私は「ん?」と首を捻った。
「夜斗が敵かもしれないっていう話? ……でも、ユウが傍にいるときは大丈夫だよね?」
「そういう意味じゃなくて……」
ユウはちょっと押し黙ると
「朝日って鈍感だよね」
と言った。
えーっ! それをユウが言うかなあ!?
そりゃ、半年前に比べればだいぶんユウも成長したとは思うけど!
びっくりして目を見開くと
「すごい顔」
と言ってユウが楽しそうに笑った。
学校が手配したバスに乗り、4時間半。
「朝日、着いたよ」
とユウに起こされて周りを見渡す。……バスの窓の外は、一面の雪景色。
「わー、すごーい!」
「そうだね」
私はちょっとワクワクしながらバスを降りた。
昼食後、スキーのレベル別に分かれて説明会があった。
私とユウはもちろん初心者。参加者の半分ぐらいはこのクラスだった。
そして……夜斗も。
その後は基本的な滑り方や注意事項を聞いたり、スキーをレンタルするためにサイズを計測したりして一日が終わった。
部屋は二人で1部屋で、私はユウと一緒だった。
「あ、近くに温泉があるんだ。無料送迎バスつきだって」
しおりを見ると、『温泉に行きたい人は8時に玄関に集合』と書いてあった。
部屋にはユニットバスもついてるけど、どうせなら温泉に入りたいな。ママと旅行した以来だから……かなり前だし。
「ユウ、どうする?」
ワクワクしながら聞くと
「いや、無理でしょ」
という返事が返ってきた。
「えー……」
「だって、女風呂に入らないといけなくなるんだけど、僕」
「……あっ」
そういえばそうだった。それは確かに無理だ。
ユウはガードを最優先しているから、私だけ行ってくるという訳にもいかないし。
「それに、テスラでは泉で身を清めることはあっても、熱いお湯に入る習慣はないな……。フェルティガエに至っては儀式以外で泉で清めることもないし」
「えっ、何で?」
「目をつむって休むって言ったでしょ? フェルティガエはもともとある程度は自己修復ができるから、そのときに体の欠陥や汚れもリセットするんだよ」
「へぇ……」
そっか。便利だけど、あのお風呂の気持ちよさを知らないとは……。
でも入っちゃ駄目って訳じゃないんなら、教えてあげたいけどな……。
そう思いながらパンフレットを見ると、『家族風呂もあります』と書いてあった。追加料金がいるみたいだけど。
「ねえ、ユウ! 家族風呂があるよ! これならどう?」
「家族風呂って何?」
「お風呂を貸切にできるの。これなら二人で入れる!」
ユウはちょっとしかめっ面をすると
「……朝日はどれだけわかってて、そう言ってるの……?」
と溜息をついた。
ひょっとして、一緒に浴槽に浸かりたいって意味に勘違いされたのかな。
いや、この恋を頑張ってみようかとは思ったけど、そこまで大胆じゃないよ。
「勿論、一緒にお風呂に入るって意味じゃないよ。交代で入ればいいじゃない。私、ユウに温泉を体験してみてほしい!」
「……やっぱり鈍感だ」
「何が?」
じーっとユウを見上げると、ユウは今日何度目かの溜息をついた。
そしてちらりと私を見下ろすと、諦めたように
「まあ……いいや。じゃあ、行こうか」
と言った。
「やったー!」
「……」
私のガッツポーズをよそに、ユウはまた溜息をついていた。
夕飯の後、私たち二人は準備して無料送迎バスに乗り、温泉に行った。
みんな行きたがると思ったのに、あまりいなかった。私たち二人を入れても……十人ぐらい。
「何でだろ? 温泉、気持ちいいのに」
思わず独り言を言うと、近くにいたミキちゃんが
「やっぱり他人に裸を見られたくないんじゃない? それに、お風呂上がりを男子に見られるのも恥ずかしいかも」
と言った。
「ふうん……。そんなものかな」
「朝日も似たようなものでしょ。家族風呂を予約してたじゃない」
「私じゃなくて、ユウが恥ずかしがり屋なの」
「また……。本当に二人、付き合ってるんじゃないの?」
「違うってば!」
ミキちゃんはからから……と笑うとほかの女子と一緒に大浴場に行ってしまった。
「っとに、もう。……あ、ユウ」
後ろに立っているユウが真っ赤になっていた。
もう『付き合う』の意味がわかってるから、からかわれて恥ずかしかったのかもしれない。
「ミキちゃんも悪気があるわけじゃないからね。ちょっと冗談を言っただけなんだから。気にしなくていいよ」
「……うん」
私はユウを引っ張って家族風呂の方に向かった。
ドアを開けると、小さい脱衣所があって、奥にさらに曇りガラスの引き戸があった。
引き戸を開けて覗いてみると、丸い浴槽のお風呂と体を洗うところがある。お風呂の部分は壁に穴が開いていて、外の庭の様子が見えるようになっていた。
「わー、すごーい!」
「……これがお風呂か。マンガで見た気がする。服を脱いで入ればいいの?」
「そうそう」
私が答えると、ユウは急に服を脱いで上半身裸になった。
「わーっ、ちょっと待って! 私はいったんそこのトイレに入るから、それから服を脱いで!」
私は慌てて備え付けのトイレに入った。
「……朝日は大胆なのか恥ずかしがり屋なのか、よくわからないよ……」
ユウのぼやく声が聞こえた。
しばらくするとガラガラ…と引き戸を開ける音がしたので、ちょっと待ってから私はトイレを出た。
「……どんな感じー?」
引き戸の隙間から声をかけてみる。
「あったかい……。あと、庭がきれい」
「癒されるー?」
「……どっちかというと緊張する……」
「おかしいな……テスラの人の肌に合わないのかな」
「……」
ユウの返事はなかった。
「お湯はどう?」
「気持ちいいけど……。このお湯、何か濁ってるよ?」
「それは温泉だから、普通のお湯じゃなくて体にいい成分が入ってるの。ここのは濁り湯なんだね。少し、匂いもするでしょ?」
「……うん」
「だから匂いが気になるなら上がる前にシャワーをさっと浴びるといいよ」
「わかった」
そのあとしばらく、パチャパチャと水音がしていた。
意外に満喫しているのかも……と思ってしばらく静かにしていた。
だけど、しばらくすると水音もしなくなった。
もしかしてのぼせてしまったんじゃないかと思って、慌てて
「大丈夫? のぼせた?」
と声をかけた。
「……」
返事がない。ひょっとして緊急事態!?
「ユウ!」
慌てて引き戸を開ける。
……ユウは、窓の外をボーッと眺めていた。目はしっかり開いている。
幸い上半身しか見えなかったけど……奇麗すぎて、思わず見とれてしまった。
「……あ、ごめん。ちょっと昔のことを思い出してた」
ユウは私の方に振り返ると、濡れた手で髪をかきあげた。
水滴が散って、照明に反射して光っている。
……すごく奇麗。
「昔って……フィラ?」
「そう。冬の夜、こうやって窓から庭を眺めてたなあと思って。あのときはすごく寒くて布にくるまってたけど……今はあったかいな……とか思いながらボーっとしてた」
「ふうん……」
相槌は打ったものの、私はユウに見とれていて上の空だった。
「……ところで朝日……。そのままそこに居られると上がれないんだけど……」
「あ、ごめん!」
私は再び脱衣所に引っ込み、その奥のトイレに籠った。
ペタペタと足音がして、引き戸を開ける音がした。
「思ったよりよかった。ありがとう、朝日」
「どういたしまして……」
さっきの光景が目に焼き付いてしまってドキドキする。
ちょっと刺激が強かった……。
ユウってやっぱり奇麗な顔をしてるんだな……。
「もう出てきていいよ」
トイレから出ると、ユウはもうジャージに着替えていた。
「朝日も入るんでしょ。外に出ようか?」
「一人で家族風呂の前で突っ立ってたら変な人に思われるよ。ここにいて。着替えている間だけトイレに入ってて」
「……」
私は何だか困った様子のユウをぐいぐい押すと、トイレに押し込んだ。
さっさと服を脱ぐと、曇りガラスの引き戸を開けて浴室へ。
ユウをあんまり待たせる訳にはいかないから、手早く頭と体を洗うと、すぐに温泉に入った。
窓から見える庭は草木が自由に生えていて、手入れされた庭というより自然のままという感じだった。
雪が降り積もって、とても幻想的だった。
この光景が、フィラの夜の光景に似ているのかな。
「ユウ?」
温泉を十分堪能したあと、私は服を着てトイレのドアをノックした。
「あ、終わった?」
「うん。着替えたよ」
私が答えると、ユウが疲れた様子でトイレから出てきた。
「……ずっとトイレにいたんだね。着替えている間だけでよかったのに」
「いや、それ無理だから……」
そう言うと、ユウは先に歩いて家族風呂を出た。
そのあとバスに乗っている間もずっと無言で目をつむっていた。
無理やり温泉に入れたから、疲れてしまったのかもしれない。
部屋に戻ると、ユウはベッドに腰をおろして溜息をついた。
「……ごめんね。温泉、肌に合わなかった? 疲れちゃった?」
ユウの隣に座って顔を見てみる。
「……大丈夫……」
「もう休む? あ、膝枕しようか?」
「……!」
ユウが急に私の腕を掴んでベッドに押し倒した。
顔の両側に手をついて、私に覆いかぶさって見下ろしている。
ユウと目が合った。びっくりしてしまって声が出ない。
「……俺が、こうしたらどうするの?」
ユウがそう言って私の頬を撫でた。その手が、恐ろしく熱い。
「ユウ! 熱があるよ!」
「うわっ」
私は咄嗟にユウの腕をとると逆にゴロンとユウを寝かせた。
「絶対もう横になった方がいい! ほら、早く、早く!」
布団をめくり、ユウの体をぐいぐい押すと、上から再び布団を被せた。
どうしよう。テスラの人と温泉って相性が悪いのかな?
温泉効果で疲れが表面に出ただけとかならいいけど……。
「朝日、ちょっと待っ……」
と言ってユウが起きようとしたので
「【絶対、寝てて!】」
と強く言った。
……するとなぜか、ユウは急に静かになった。
「……」
「目の上にのせるタオル濡らしてくるから、ちゃんと寝ててね」
そうユウに話しかけると、私はそっとベッドを離れた。
ユニットバスにあったハンドタオルを洗面所の水で濡らし、再び部屋に戻る。
ユウの顔を覗くと、大人しく目をつむっていた。
そっと目の上にタオルをのせる。
意識がなくなることはないって言ってたけど、これは本当に寝てるよね……。
やっぱり疲れたのかな。
とても貴重な時間のような気がして――私はしばらくの間、ユウの寝顔を見つめていた。




