24.これからどうなるんだろう
「朝日? お雑煮ができたわよ」
ママの声でハッと我に返った。
今日は1月1日、元旦。
私は実家に帰っていた。
ユウは……一緒じゃない。
「どうしたの? 心ここにあらず……って感じだったわよ」
「……ちょっと……進路のこととか、考えないといけないことが多くって」
くすっと笑うママに私はそう言って誤魔化した……けど、実際に、私の心はここにあらず、だった。
私の誕生日、12月24日、クリスマスイブの夜。
――ユウが、私に、キスをした。
* * *
「……」
びっくりしすぎて涙が止まった。思わずユウの顔を見る。
「……」
同じくユウもびっくりしたような顔をしていた。
しばらく沈黙が続いて……その間、私は頭の中がまとまらないまま、じーっとユウの顔を見つめていた。
ユウはハッとしたような顔をして、私から目を逸らし、上を向く。
「……えっと……祝福……なんだよね」
と、呟くように言った。
「祝福……?」
よくわからないまま聞き返す。
ユウは私から目を逸らしたまま
「テスラでは、そう。……えっと、相手を祝福する意味で……その……」
と、もごもご言う。
私はちょっと……いや、かなり混乱してしまって呆然としていた。
今……キス……でも……祝福の意味って……え?
ちょっと落ち着こう。私は深呼吸をした。
つまり、テスラでは相手を祝福するという意味でキスをする習慣がある……と。
それでユウは私の誕生日を祝うつもりで……した。
けれど、こっちの世界で……特に日本ではそんな習慣はない。
ユウはこっちに来てから本やマンガを結構読んでるから、誰とでもするものではない……ということはわかってるはず。
だから、うっかりしてしまってマズいと思った。
……そういうことかな?
「……怒った?」
ユウが不安そうに言った。
いつもと違って、ちっとも私と目を合わそうとしない。
「……ううん。こっちではそんな習慣ないから驚いたけど、ユウにとっては普通のことなんでしょ」
そう返したものの……自分の言葉に、少し凹んでしまった。
……何か悲しい。
私のこと、好きとか、可愛いとか……そういう気持からではなかった、ということを再確認しているみたいで。
好きだって言うつもりはない……とか言いながらも、やっぱりどこかで期待してしまってるんだね。……駄目だな。
「うっかり間違えた……んだから、仕方がないよね。大丈夫、怒ってないよ」
私は頑張って作り笑顔を見せた。
心とちぐはぐのことを言うのは、かなり辛い。
「じゃあ、この話はこれで終わりね」
パンと手を叩いて話を打ち切った。
ユウの言い訳を――私のことが好きとかそういうんじゃない、という言い訳を、これ以上聞きたくなかったから。
「……さてと。もう食べ終わったし、食器を片づけちゃおうか。電気つけていい?」
「……うん」
ユウはまだ気まずそうだったけど、私は気づかないふりをして、立ち上がって電気をつけた。
ユウと二人で寮の自炊室に行って、ゴミを片づけたり食器を洗ったりした。
その間もユウは無言だったから、とにかく何か話題を……と思って
「年末は大晦日から3日まで実家に帰るんだけど……ユウも一緒に来る?」
と聞いてみた。
「……」
ユウはちょっと考えると
「ごめん、無理……」
と残念そうに言った。
「そうなの? 夏も駄目だったのに。ウチに来るの、そんなに嫌なの?」
「そうじゃないんだけど……」
まさか今ので気まずくなったから、とかじゃないよね。
……というか、どうにかさっきのことをなかったことにしようとしてるんだから、ユウも察して切り替えてほしい……。けど、そんなに器用じゃないか。
ユウはしばらく考え込むと「ま、もういいか」と独り言を呟いて
「ちょっと部屋に戻ろうか。そこで話すよ」
と言った。
何か重要そうな感じだったから、私は「わかった」とだけ答えた。
部屋に戻ると、ユウはおもむろに口を開いた。
「これはヤジュ様に口止めされてたんだけど……。実は、僕は朝日の家に行くことができないんだ。……ま、もう少しちゃんと言うと、朝日のママに会うことができないんだ」
「えっ?」
意味がわからない。何でここにヤジュ様が出てくるんだろう。
「実は……朝日のママには障壁みたいなものがかかってる。どんな攻撃も受け付けないし、誰も踏み込めない、霧みたいな……」
「えーっ!」
突拍子もない理由に驚く。
でも、行きたくないから出まかせを言っている、という訳ではなさそうだ。
「朝日は感じたことない? ……まあ、ないよね」
「だって、家庭訪問とかで先生は普通に家に来てたし、友達を呼んだこともあるし……。誰も入れないなんて、そんな……」
過去の来客をいろいろ思い返したけど、特に不都合は……なかった気がする。
だいたい、誰も踏み込めないってどういうこと?
「多分、テスラの人間は入れない……ということじゃないかなって」
それってどういうことなんだろう。
「それ……ママがしたことなの? ママは、テスラと何か関係あるってこと?」
「いや、違う。ヤジュ様は、『彼女は純粋にミュービュリの人間だが、何故かそういう障壁がかかってる』って言ってたから。でも、朝日には何も言うなって言われてたんだ。ママが隠し事をしているんじゃないかって朝日が疑心暗鬼になったり、ママに問い詰めたりすると困るからって言ってたけど……」
なるほど……。じゃあ、ママが全く知らないところで勝手にママにその……障壁がかかってるってこと?
誰が、何の目的で?
「初めてミュービュリに来た日……。まず、朝日の家に向かったんだ。そしたら、霧がかかったみたいになってて、全く見えなくて。多分……朝日のママを中心にドーム状に広がってるんじゃないかな、と思う。正直言って、僕も初めて見た」
「……」
……そう言えば、英凛学園に通ってた頃、ママは必ず車で送り迎えしてくれた。
ママが外を飛び回っているのは私が学校に行っている間だけで、私が家にいるときに遠くに外出することはなかった。出かけても徒歩圏内にある自分の会社だけで、打ち合わせはたいがい自宅の一室でやっていた。
『外の世界は危ないの。あなたはまだ、親の庇護を必要とする年齢なのよ』
家を出る日の朝、ママはそう言ってたっけ。
ひょっとして、ママは……私がこういう風にキエラに狙われるようになること……わかってたのかな?
だからあんなに……自分の傍を離れちゃいけないって反対したのかな?
「……じゃあ、私がママの元を離れるから、ユウがガードに来なければいけなくなったってことなの?」
私は自立のつもりだったけど、そんなに大変な事だったのかな。
新たな争いを生み出してしまったのかな。
一連の事件の元凶ってことなのかな。
ちょっとへこむ……。
「いや、ちょっと早まっただけでいずれは来ていたと思うよ」
ユウはちょっと笑った。
「その障壁がね、今から一年ぐらい前に亀裂が入ったんだ。そして朝日が家を出ることがわかって、春に僕が来たんだ」
「……」
「この間もちょっと見てきたんだけど、亀裂は大きくなってる。一度破れた術は壊れる一方だからね。この冬もつかどうか……ぐらいかな。でも、だからと言って僕が入れる大きさでもないから……お正月は無理だね」
「……そうなんだ……」
裏ではそんなことがあったんだ。全然知らなかった。
「……ママは、何も知らないのかな……」
「そこはわからないけど、今は何を聞いても知らないって言うと思うよ」
私の疑問に、ユウは妙に自信たっぷりに言った。
「今は、ってどういうこと?」
「ミュービュリに来た日、朝日の家には近づけなかったけど、ヤジュ様に頼まれて亀裂から紙飛行機を届けたんだ。それがどういう意味かはわからないけど、多分、ヤジュ様の幻惑にかかってると思う。だって、ママはそれ以上何も文句を言わなかったでしょ? 朝日を連れ戻そうともしなかったし」
「あ……」
あの日の光景を思い出す。
鉄のフェンスを乗り越えて、玄関の方を振り返ったとき……ママは、追いかけては来なかった。
左手を固く握りしめて……静かに微笑んでいた。
あのとき……何か切ないような、優しいような、ふわっとしたものを感じて――。
「だから、今のところはママの近くにいればキエラの兵士も近づけないし、安全だよ。お正月、楽しんできて。僕は、朝日に何かあればすぐ行けるところで待機しているから」
ユウはそう言ってにっこり笑った。
* * *
「……朝日? 雑煮、冷めるわよ」
ママが訝しげに私を見ていた。
「あ、ごめ……」
「……髪の毛も随分伸びたわねぇ……。美容院に行ってくる?」
「!」
思わず両手で髪を庇う。
「や、いま、まだ、伸ばそうと思ってるから……」
イブの夜のことを思い出して、顔が熱くなる。
「大丈夫? 熱があるんじゃない?」
ママが私の額に手をあてる。
私は慌てて「大丈夫、大丈夫」と言って笑った。
「やっぱり学校が大変なんじゃないの? 今からでも遅くないから英凛に戻る?」
「大丈夫だって。学校はすごく楽しいよ」
ユウの話によれば、障壁はもうすぐ消えるってことだった。そしたら、家に戻ったら逆にママまで危険に晒されてしまう。
何が起きてるのかは全然わからないけど、とにかく今の状態を維持しなきゃ。
「行事が盛んな学校でね……。あ、そうだ、11月に文化祭があってね……」
私はママを安心させるために、学校の様子や楽しかったことなどを順番に話していった。
ママは私の話を楽しそうに聞いてくれた。
相手がユウだとは言わなかったけど(だってママは女の子だと思ってるし)、好きな男の子の話もした。
「……でもその子はね。留学生だから……そのうち自分の国に帰っちゃうんだ。だから、自分の気持ちは黙ってようと思って」
「……」
私がそう言うと、ママは少し考えたあと
「朝日はそれでいいの?」
とポツリと言った。
「え?」
「ちゃんと言わなきゃ、気持ちは伝わらないわ。相手の男の子にとって、朝日はただそれだけの存在になってしまうのよ。せめて、彼の記憶に残っていたいと思わない?」
「う……ん……」
「あのとき、どうしてこうしなかったんだろう、ああしなかったんだろうって後悔は……ずっと残るのよ」
ママがどこか遠くを見つめた。何かを思い出してるかのようだった。
……ひょっとして、パパのことかな?
ママは今でもずっと、何かを後悔しているのかな?
だから、パパのことを聞くと……泣いちゃうのかな。
ママの横顔がとても淋しそうだった。ママの中ではまだ全然終わってないんだ……。
私は何も言えなくなって……黙って、雑煮を啜った。




