10.別世界の人がやってきた
「……ユウ、大丈夫?」
少年と少女がゲートから消えて――ユウは芝生の上で寝転んでいた。
少女の攻撃を少し受けてしまったのと、ほぼ初めてに近い実戦でヘトヘトだったらしい。
そのため、ユウは目をつむって身体を休めていた。
「ケガしたの?」
「いや……疲れただけだよ。もう少し、休めれば……」
そう言うと、ユウは黙り込んだ。
「……私に何かできることある? ……あ、それとも黙ってた方が……いい?」
ユウの顔を覗き込んでそう言うと、ユウは目をつむったままちょっと笑った。
「大丈夫。いつもみたいに喋ってて。……あ、そうだ。……膝枕してくれる?」
「へっ!?」
予想外の言葉に驚く。
「朝日が前に見せてくれたマンガにあった。あれ、やってみたい」
「まぁ……。えと、じゃ、その、失礼して……」
照れてしまって変な言葉遣いになってしまった。
私は足を延ばしてユウの近くに座ると、ユウの頭を太ももに乗せた。
「……これでいい?」
「……うん」
太陽が西に傾き、私たち二人を柔らかく照らしていた。
ユウの髪が光に溶けて、まるでユウ自身が今にも消えてしまいそうに見えた。
「さっきの人たちの会話……あんまり聞き取れなかった。でもユウを殺す、とか言ってるから、すごく怖くて……」
私がそう言うと、ユウはゆっくり首を横に振った。
「違うよ。『二人とも、殺さなければ何をしてもいいと言われた』って言ったんだ。朝日だけじゃなくて僕もターゲットにされているみたいだね……」
「……そうなんだ……」
ふと、少年の不思議な技を思い出した。
「ねえ、男の子の方、何か消えたり現れたりしていた……。瞬間移動っていうか……。あれ、何?」
「フェルティガの一種だね。使える人はあまり多くない。かなりの集中力が必要だから、戦闘中に使えるっていうのはかなりレア。それだけで、彼がかなり高位のフェルティガエだってことがわかるね」
「ユウも使えるの?」
「僕には使えない。練習すればできるかもしれないけど……。やっぱり、もともと持っていない技を身につけるのはかなり消耗するから、やらない方がいいんだ」
「そうなんだ……」
同じ戦闘系でも、できることとできないことがあるんだ。でも確かに、女の子の方は使ってなかったし。
「あと、彼らは……『ディゲ』と呼ばれる集団みたいだね。カンゼルの名前が出てきたからキエラには間違いないけど……。初めて聞いた名称だった」
「……」
「フィラの血を引いていると思ったけど……。どうなってるんだろう……」
そう言うと、ユウは淋しそうな顔をした。
ユウは、ずっとヤジュ様と二人で暮らしてきたって、言ってた。
ヤジュ様以外でやっと巡り会えた同胞なのに、闘わなければならないんだ。
「……」
何て言ってあげればいいんだろう。
どうしたらいいか分からず、私は黙ってユウのおでこに手を当てた。
ちょっと迷った挙句
「私……もっと強くなりたい。ユウに守られてばかりじゃなくて」
とだけ言った。
ユウはくすっと笑って少し目を開けて私を見た。
「今日は助かったよ。少年を派手に蹴り飛ばしてたじゃない」
「あれは、瞬間的に、体が動いて……。でも、せいぜい不意をつく程度だし。一撃でダウン、とまではいかないもの」
「一瞬でも気を逸らせるなら、いいんだよ。その隙に、僕が次の手を打てるから。……それより……」
ユウは再び目をつむった。
「僕は、朝日が僕を庇ったことに驚いたよ。どうするつもりだったの?」
「へ?」
ユウはおでこに当てていた私の手を取ると、そのまま自分の目の上に充て……上から私の手を握った。
かなりドキッとしたけど身動きができず、されるがままになっていた。
「半分以上跳ね返した僕でさえダメージを食らったんだ。生身の朝日が食らったらどうなるかわからない。何故か攻撃が届かなかったからよかったけど……どうするつもりだったの?」
「どうって……」
どう説明すればいいかわからなかった。だって、咄嗟のことだったし。
「僕が朝日を守るんだ。朝日が僕を守る必要はない」
「でも、ユウが傷つくのは見たくないよ! 私だって……ユウの役に立ちたい……」
少し泣きそうになって、思わずユウの顔から目を逸らした。
「何ができるかはこれから考えるけど!」
力強くそう言うと、ユウがぷっと吹き出した。
声を立てて笑う。
「はは……あはは……」
「何が可笑しいの!」
「いや……だって……」
ユウはひとしきり笑うと、私の手を強く握った。
心臓が、早鐘を打つように早くなる。
……どうしよう。私の手から、ドキドキしてるのが伝わるかもしれない。
お願いだから、心臓の音止まって!
私が心の中であたふたしていると、ユウは大きく息をついて
「……ヤジュ様の手に似ている」
とポツリと言った。
「え……」
ちょっとガックリ。
ドギマギしている私の思いとは全然別のことを言うのね……。
何だか肩透かしを食らって拍子抜けした。
「……でも、朝日の手の方が……温かい。癒される気がする。何でかな……」
「……」
「……朝日はそのままでいてくれればいいんだよ……」
ユウはそう言うと、黙ってしまった。
……それから、しばらくの間――私たちは無言で広場に座っていた。
不思議なことに、闘いの最中も、そのあとも……誰一人、広場には入ってこなかった。
「……そろそろいいかな」
ユウが目を開け、起き上がった。
「もう大丈夫?」
「うん」
お尻や足についた芝を払って立ち上がる。
辺りはもう真っ暗になっていた。
「すごく休めた。ありがとう、朝日」
「いやこれくらいならいつでも……」
恥ずかしくなってもごもご答える。
「本当? じゃあ、疲れたときは、また頼むね」
ユウが無邪気に笑った。
二人で肩を並べ、広場を出ようとした時。
「……あの、すみません」
ふいに、声をかけられた。
見ると、少し長めの黒髪の女の子が街灯の下に佇んでいた。
すごく奇麗な、大人っぽい……私よりも十センチくらいは背の高い少女。
思わず見とれていると、少女はにっこり微笑んだ。
「あの、海陽学園高校部ってどこにありますか? 道に迷ってしまって……」
少女は困ったように首を傾げた。
「あ、私たちも今帰るところだから……一緒に行きます?」
私がそう言うと、少女は「お願いします」とお辞儀をした。
「おい、理央! 学校の場所あっちだってさ……あれ?」
別の道から元気な男の子の声が聞こえてきた。
黒髪の背の高い少年だった。
「夜斗。この方たちが案内してくださるって」
「あ、どうも……」
夜斗、と呼ばれた少年がちょっときまり悪そうにお辞儀をした。
歩きながら、二人の話をいろいろ聞いた。
二人の名前は日高理央と日高夜斗。
双子の姉弟なんだって。
日高財閥のご子息とご令嬢らしい。
日高財閥は聞いたことがある気もしたけど……双子の姉弟がいることは全然知らなかった。
海陽学園の中学部を卒業した後、声楽家のお母さんと一緒にオーストリアに渡ったんだって。
2年間あちらで過ごしたあと、今度は二人だけ日本に戻ってきたらしい。
だから本当は私より2つ上なんだけど、1年のクラスに入るんだって。
理央さんは、私みたいな成金ではなく、ホンモノのお嬢様だ。
確かに、彼女からは気品みたいなものが感じられる。
一方、夜斗さんはあまりお坊ちゃんな感じはしなくて、やんちゃな感じ。
話している間も、『言葉遣いが悪い』って理央さんに叱られてた。
「みんなより年上だから、馴染めるかちょっと不安で。でも、海陽学園のジャージを着ている人がいたから、思い切って声をかけてみたの。あなたたちと知り合えてよかった」
理央さんは花のように微笑んだ。
「そんなこと心配しなくてもどうにかなるだろうよ。知り合いもいるんだからさ。……あ、あんたたちと知り合えたのはよかったってのは俺も同意だけどな」
そう言って夜斗さんは豪快に笑ったけど、すぐに理央さんに
「夜斗……『あんた』なんて言葉、駄目でしょ」
とたしなめられた。
女子寮の前に着くと、寮母の佐藤さんが最後の戸締りをしていた。
私たちに気づくと「あら、理央……さん? それに夜斗くんも? 久し振りね~」と嬉しそうに駆け寄ってきた。
三人で積もる話もあるようだったので、私たちは二人と別れた。
「夜斗さんて面白い人だったね。理央さんは……凄く奇麗な人だったし」
寮の自分の部屋に向かいながら、ちょっと溜息をついて言うと、ユウは
「そうだね……」
と、考え込みながら答えた。
そうか、やっぱりユウから見ても美人なんだね。
ふうん、そっか……。
ユウも見とれちゃったのかな……。
「……気になる?」
階段を先に上っていたユウが、ふいに私の方を振り返って言った。
私は夜斗さんについて聞かれたのか理央さんについて聞かれたのかわからず、しかも考えていたことを見透かされたような気がして
「き、気になるって何が?」
と、ちょっとうろたえてしまった。
ユウはそんな私の様子にはお構いなく
「だって、敵かもしれないよね」
と、ポツリと言った。
敵……って、え? え?
びっくりして
「そっちなの?」
と思わず言うと
「そっちって、それ以外何かある?」
と不思議そうな顔をされた。
「いや……何も……」
俯きながらぼそぼそと答える。
自分の部屋の前に着くと、「ちょっと入っていい?」とユウが言ったので中に入れた。
ユウは窓際に腰かけ、少し考え込んでいた。
「……ちょっと気をつけた方がいいかもね」
だいぶん長い間黙り込んだ後、ユウはポツリと呟いた。
「でも、佐藤さんと知り合いみたいだったよ?」
「暗示をかけているかもしれないしね」
……ユウが箱を使ってかけたみたいに、ってことかな。
「ユウには、そういうのは判らないんだ」
「他人にかけられているものを判断するのは難しいね。自分になら……判ることもあるけど」
ユウはかなり疑っているみたいだった。
あの人たち……そんな悪い人に見えなかったけど……。
今まで襲ってきた人たちとは、何かが決定的に違う気がする。
「……キエラの人ってこと?」
「可能性は、ないこともないね。真っ向勝負じゃ無理と判断して、からめ手で来たのかも」
「うーん……」
納得はいかなかったけど、ユウの言うことはもっともだった。
私は黙って頷いた。
「わかった。迂闊なことは言わないようにする」
「そうだね。僕も、気をつけるよ」
そう言うと、ユウは険しい表情になった。
次の日学校に行くと、みんな理央さんと夜斗さんの話でもちきりだった。
夜斗さんは私のクラス、理央さんは隣のクラスに編入になったようだ。
教室に行くと、内部からの持ちあがりの生徒は大騒ぎしていた。
彼女らにとっては憧れの存在らしい。
そして休み時間になると、夜斗さんが私のところに来た。
「今日からクラスメイトだな。よろしく!」
「よろしくお願いします、夜斗さん」
「紙山……ユウさんだっけ? よろしくな」
夜斗さんが私の隣の席のユウにも声をかけた。
「……よろしく」
ユウが文庫本を読みながら小さめの声で返事した。
学校では、ユウはいつも本を読んでいるすごく引っ込み思案な子……という設定になっている。
変な言動をして、ボロが出ないようにするためだ。
「夜斗さま、どうして、上条さんと紙山さんを知ってるんですか?」
クラスメイトの一人が私たちを不思議そうに見比べた。
内部上がりの子で、私たちとはあまり親しくない。
夜斗さんはちょっと笑うと
「実は昨日、理央と道に迷っていたところを案内してもらったんだよな」
とちょっと恥ずかしそうに答えた。
「えーっ、意外ーっ」
「でも二年ぶりですものね」
「ねぇ夜斗さま、今日帰りにお茶しませんか?」
最初の子の他にも次々に人が集まってくる。
……私とユウの周りがこんなに賑やかになることはないので、ちょっと面食らう。
「……夜斗!」
隣の教室から理央さんがやってきた。
今度は教室の中の男子がざわついた。
「あ、朝日さん。ユウさんも。夜斗と同じクラスだったのね」
理央さんは私たちを見てにこっと笑った。
「夜斗をよろしくね。……それで夜斗、今日のことなんだけど……。早退して実家の方に行く用事があったでしょう。忘れてない?」
「あ、やべっ……」
理央さんがやれやれと溜息をつく。
「そんな訳で、ごめんなさいね」
理央さんは周りの女子に申し訳なさそうに微笑むと、「じゃ」と言って優雅に去っていった。
夜斗さんは「ごめんな」と謝りつつ理央さんについていった。
夜斗さんのまわりにいた女子たちは「えー」「残念ー」と口々に言いながら離れて行った。
「……」
ユウは文庫本をパタンと閉じて、窓の外に目をやり、何かを考え込んでいた。
教室で込み入った話をする訳にもいかないので、私も黙って次の授業の準備をしはじめた。
しばらくすると、窓から早退して玄関から学校を出ていく二人の姿が見えた。
……今の様子を見た限り、二人は普通に学校に溶け込んでいて……特にあやしいとは思わなかった。
でも……私たちを狙う人がいる限り、そんな呑気なことを言ってちゃ駄目なのかな。
眉間に皺をよせ……帰っていく二人の後ろ姿をじっと見つめるユウの横顔を眺めながら……私はそんなことを考えていた。