夏の回路
異常気象、とでも言えばいいのか、今年の夏は酷く暑い。
蝉も景気良く鳴き続け、まともな風は吹くことなく風鈴はその音色を響かせることもないようだ。
そんな蒸し暑さとは縁遠い部屋で、幼馴染みは何やら分厚い本を捲っていた。
「それ新しいのか?」
「うん。元が洋書だからね、和訳の違うものを何冊も読んでるところ」
三人掛けのソファーを一人で占領する幼馴染みは、そう言いながらまたページを捲る。
別段ソファーを占領していようがいまいが、この部屋自体が幼馴染みの所有物なので、どうこういうつもりはない。
言うとするなら、女としてどうなんだその格好は、ということくらいか。
ソファーの上で俯せに寝転がり、肘置きの上に本を置いて捲る幼馴染み。
手持ち無沙汰ならぬ足持ち無沙汰なのか、ゆらりゆらりと曲げられた足が動いている。
半袖のパーカーに七分丈のパンツスタイルなので、決して露出どうこうという話ではない。
「と言うか少し寒いね、ブランケット頂戴」
本から顔を上げた幼馴染みの視線は俺に向けられており、俺は一人掛けのソファーの背もたれから、ご所望らしいブランケットを手に取る。
特別見たことあるようなキャラクターではない黒猫が書かれたそれを、幼馴染みの動いている足目掛けて投げ付けてやれば、見事に引っ掛かった。
「もうちょっと優しく」
「つーか、寒いなら冷房の調節を先にしろよ」
ソファーから立ち上がり、ローテーブルの上に置かれたリモコンを持てば、駄目駄目、と首を振られる。
それからほんの少しだけ不満そうに唇を尖らせながら、ブランケットを広げた。
足だけで広げる姿は、些か女子らしさに欠けている。
「本にとって最適にしておかないと。ここにも本は置いてあるからね」
ブランケットを広げて温度調節が出来たのか、満足そうに言い切る幼馴染み。
幼馴染みの言葉通り、確かにこの部屋にも本は置かれている。
と言うか、幼馴染みの作業場であるこの場所には、何処にでも本があるだろう。
リビングと言われるこの場所にも、大きな本棚が置いてあり、キッチンにはレシピ本があり、本当に作業をする個室には資料やらがあり、また別の部屋に書庫を作っている。
マンションの一室だったはずの作業場は、いつの間にか隣の部屋まで買取り、それを隔てる壁がぶち抜かれて二倍の広さに変わっていた。
「やっぱ、頭おかしいわ」
「褒め言葉」
実家暮らしのくせに、こんな風に第二の家を作りあげている幼馴染みに、溜息混じりに言ってみたが、ケタケタと笑い声を上げられた。
俺達みたいな学生の身分で、と思うこともあるが、その概念をぶち壊すようなことをしているのがこの幼馴染みで、頭がおかしい変人だと感じる所以だ。
実際に作業をするために、母親に言って何日も此処に篭ることがある。
そうして俺や他の幼馴染み達も、良くこうしてやって来ては屯するのだ。
そのせいか、俺達の私物も着実に増えている。
むしろ空き部屋を使っている。
「こんなに冷房ガンガンだと、アイスとか食べて涼む気にもならないよねぇ」
「お前は少し寒がり過ぎだろ」
「え、お腹壊すよ。冷凍庫にあるし好きに食べても良いよ。買って来たのは多分MIOちゃんだけど」
ぺらり、かさり、本の捲る音と紙同士が擦れ合う音が、エアコンの起動音に混ざる。
こうして幼馴染み全員で屯する空間は、互いのものが増えていき、キッチンの中身は特に潤いを見せていた。
家主が興味ないせいか、キッチンに入るといつも何処に何があるのか微妙に分からないらしく、首を傾けている。
冷蔵庫の中身は、それぞれが購入したものが入れられており、個人的に食べたい物や飲みたい物には名前が書かれているが、それ以外は自由だ。
実際に今日の昼には炒飯を作った。
別に栄養補助食品で良いよ、とキッチンに立った俺を見てわ面倒臭そうにしていた家主でも、出されればちゃんと食べるので完食。
「……オミくん、何してんの」
「テレビのチャンネル回してる」
「それは音で分かるけど。て言うか、知ってる?そういうことやる人って、結局行き着く先はニュースなんだよ」
「お前ニュース好きだろ」
ピッピッとテレビのリモコンを押し続け、結局言われた通りニュースにチャンネルが切り替わる。
知識を得るのは大事だよ、と言ったソイツは、ソファーの上で勢い良く体を起こし、テレビ画面へと視線を向けた。
本のページが分からなくならないように、指先できちんとページを開きっぱなしにしている。
でも変わりないねぇ、と座り直す幼馴染みは、ブランケットを膝の上に掛け直す。
そうして開いていた本を膝の上に置き、本からテレビに意識を切り替えていた。
変わりない、そう言った幼馴染みと見ているニュースは、男が女を刺したとか、痴情の縺れとか、そんなもの。
日本は比較的平和だと言うけれど、一日のうちに事故やら殺人やらで命を落とす者はいる。
それこそ沢山いるのだ。
ついでに自殺もあるが、あまり報道はされないな。
虐めなどが関係していた場合には、大々的に報道されることがあるが、最近では見ていない。
「愛して殺すなら心中が綺麗だよ」
真っ直ぐにテレビ画面を見つめる幼馴染みは、光のない目をしている。
浮き足立っている、とは違う、地に足の着いていない雰囲気だ。
「殺すだけ殺して自分だけのうのうと生きてるなんて、屑だよね」
「人殺しの時点で社会的に見て屑だろ」
俺の方なんて一切見ないくせに、答えを欲しがるような声に、望まれた答えなのかも分からずに答えてやる。
一理あるね、なんて聞こて来たので、答えが大外れてという訳でもないらしい。
因みに無理心中は、なんて聞かない、絶対に。
恐らくそんな質問をすれば最後、興味あるの?!と言わんばかりに食い付き、あの光をまとわない目でこちらを真っ直ぐに見詰めて語り出すだろう。
間違いない、絶対に、絶対に。
「じゃあ腹上死は心中になるのかな」
俺も俺でニュースを流し見していたが、流石に聞き捨てならない言葉に、テレビを消した。
プツッと音を立てて真っ暗になる画面を見た幼馴染みは、あれ、と首を傾げるがそれに反応をしている暇はない。
何言ってんだお前は、一番口にしなくてはいけないことを吐き出してやる。
ソファーにお行儀良く座っている幼馴染みは、俺の言葉にやはり不思議そうに首を傾けた。
元々傾けていた首を更に傾けるから、首が落ちそうだと思う。
「いや、だって、夏だし」と口を開くから、何が言いたいのか益々分からない。
部屋は涼しいはずなのに、じわりと変な汗が浮かび上がり、長い前髪が額に張り付く。
気持ち悪さに眉を寄せれば、夏だし、と幼馴染みの口からは同じ言葉が出された。
「安っぽいAVにあるでしょう。真夏なのに異常に暑い部屋でって。あれ、熱中症起こして死ぬよね。だって普通に部屋で過ごしてても、熱中症になるもん」
今日の晩ご飯は何にしようか、という取り留めのないような言葉みたいに言われて、あー、と俺も口を半開きにした。
夏、だからな、俺の言葉に幼馴染みの体が小さく左右に揺れる。
「まぁ、この部屋はそんな心配もないな」
「うん。ないね」
コクリと一つ頷いた幼馴染みは、またしてもソファーの上で寝転がり、開きっぱなしだった本を読み始める。
こんな風に冷房がガンガンに効いた部屋じゃ、お前の頭も暑さでおかしくなってるんじゃ、なんて言えるはずもなかった。