サルクァツァの恐怖
ドガシャァッ!
「っ!? な、何だ……?」
昼寝をしていたハルは何かが壊される轟音によって目が覚め、飛び起きた。そして未だ若干眠っている頭と忙しなく鼓動を続けている心臓を抑えながら落ち着くように自分に言い聞かせて思考を巡らせる。
(工事……? もしかして、救助の手が入ったのか!? よかった! まだ生き残ってる人たちはたくさんいてこれから反撃に出るんだ!)
およそこれまで聞いたことのない崩壊音にハルの期待は高まる。これまで工事と言ってもリフォームなどの音しか聞いたことのない彼には具体的にどういうものかは分からないが、重機による何らかの工作だと推定し、一気に目が覚めた。
(うわ、昨日から良いことばっかりだ……その前が屑過ぎたんだけどな。いや……良かった。助かった……)
神々のゲームとか言う変な遊びに付き合う必要もないんだと安堵の息を漏らし、続く破砕音に身を竦ませながらもどうするか考える。
「取り敢えず、ここに人がいることを伝えないと崩落に巻き込まれて死んだら元も子もないどころか最悪過ぎる……まぁ、来た時点で話せばいいか。」
空はまだ暗い。約束の時間まではまだしばらくありそうだ。そんな呑気なことを考えつつ止まない破壊音にハルは少し疑念を抱き始める。
(……妙だな。壊される音はするけど人の声はしない……指示も何もない状態でやってるのか? でも流石に工作機を使ってるなら救助か何らかの目的があるはずだし誘導くらいは……)
しかし、ハルもそこまで工事について詳しいわけでもない。そういうこともあるんだろうくらいで片付けて近くに救助隊が来るまでは息をひそめて待ち続ける。頭の中は既に助かった後にどうするかを考えるだけだ。
(……いや、待てよ? 明日まで乗り越えられたら神様的な存在からヒロインを貰えるんだよな……? ならその人について考えるのもいいんじゃないだろうか? それともゲームが終わったから出て来ないとか? いや、あるいはあの事件そのものが俺の極限状況におかれた精神が生み出した幻影……)
色々とハルが考えている間にも破砕音は近づいてくる。そろそろある程度の距離にまで近づいて来たであろうことを感じて身を乗り出してみるがそう言えば何か重量のある物質が近付いてくる音はしても重機が動くようなエンジン音などを聞いていない。
(……何だろう? 俺、重機には詳しくないからなぁ……いや、まぁ重機に詳しい一般高校生なんてそうそうはいないだろうけど……)
これ位のことを考える余裕が生まれつつあるハルだったが、次の瞬間にはその顔色を一転させ、ギリギリのところで悲鳴を上げるのを抑えた。
「な、んだ……アレ……!?」
そこにいたのは身の丈2メートルを超える筋骨たくましそうな人間だった。しかも、ただの人間ではなく一目見ただけで死んでいることが分かる血色の悪いゾンビだ。しかし、ハルが悲鳴を上げたのはそんな理由だけではない。
「人間なのに……人間じゃない……どうしてあんなのが……」
ハルの言葉に集約されているのが目の前の存在の正体だ。下にいる巨大なゾンビはこれまでいたような単一の存在のゾンビではなく、明らかに無理矢理継ぎ足された歪な形をした手を持っているのだ。そして死後の顔そのまま、もしくは喰らいついて来る顔しかしていないゾンビと異なり不気味なまでに歪で醜い笑みと思わしき表情を作っている。
「げ、げ……あ゛ぁー……ぉごっ!」
ハルが観察しているゾンビが声帯を震わせるだけのような声を漏らして巨大で歪な腕を振るうと破砕音が響き近くの家の扉が壊れた。そしてそのゾンビは重量感のある足音を立てながら腕などを壁にぶつけつつ家の中へと入って行く。少しだけ暴れる音がした後、そのゾンビは鮮血を浴びてそこから出てきた。
(ヤバいヤバいヤバい! 何だアレは!)
思わず窓から身を潜めてそれ以外の感想を抱くことが出来ないハル。先程までの優越感などは既に胡散霧消しており死の恐怖がせり上がってくる。どうやら下にいるゾンビは家々をすべて破壊して回っているわけではないらしく何もせずに通り過ぎて行くこともあるようだが気休めにしかならない。
(来るな来るな来るな来るな来るな来るな……いや、こんなことを念じていても始まらない。取れる行動を考えるべきだろ。いや無理だって。そんなことよりこんなに近くに生存者がいたのか? いや、もう死んだのは間違いないしそれどころじゃない……)
思考が纏まらずに混乱するハル。巨人ゾンビの様子を窺うと現在ハルがいる付近で何やら迷っているらしく通り過ぎていない。
(嘘だろ! 来るなよ!)
神に祈るがその神のゲームに参加しているプレイヤーである現在、その祈りは通じない。ハルは考えられる選択肢を浮かべた。
(逃げるか。アレを相手にするくらいなら逃げ回って普通のゾンビを相手にした方がマシだ。いや、楽観的に考えてアレは扉を開けることすらできなかったし、2階にまで上がる知能はないんじゃないか……? 戦うのは……無理だろ。リーチとウェイトが違い過ぎるし相手はゾンビで痛みを感じないんだ……大体このままどこかに……)
瞬間、家全体が揺れる衝撃がハルを突き抜ける。窓から下を見るとどうやらこの家も標的になったらしい。
「畜生が……」
極々微かな声で悪態をつくハル。しかし、築何十年というレベルの家だ。玄関にそこまでの強度はなくすぐに入って来られるのは明らかだろう。
(……どうせ扉が破壊されて拠点としての態を成さないんだ……アレと戦うくらいなら他の家に逃げた方がマシだ!)
ハルが逃げることを決めたと同時に扉の最後の悲鳴が聞こえ、巨人ゾンビが頭をぶつけながら家の中に侵入してくる音がする。ハルはゾンビが1階を探し、奥の場所に行っている間に外へと脱出することを計画し……
(嘘だろ……止めてくれよ……)
そのゾンビが迷いもなく2階へと続く道を歩み始めたことを知って絶望する。こうなったら窓から脱出するしかない。覚悟を決めて飛び降りた。
「ぅがぁぁああぁっ!」
「怖っ! 危ねぇ……ハハッ、あばよとっつぁん!」
とても笑っていられる状態ではないが笑うしかないハルは雨樋へと飛び移って下へ逃げようとする。それを捕まえようとゾンビが雨樋を掴んで無理矢理引き抜くように自らの下へと近付けに掛かった。
「マジかよ! えぇい!」
「ぐぉぉおおぉっ!」
なるべく下を見ないようにして飛び降りるハル。捕まえ損ねたゾンビが雄叫びを上げるがそんなものを聞いている暇はないとハルは逃げた。
(足のかかとが……痛い……でも泣き言言ってる場合じゃない……!)
軽く泣きそうになるが今日逃げ切れば一時的にだが確実に安心できるであろう場所に移動できるはず。その一念で今ゾンビが来たばかりの道を逆走し、あわよくば逃がした獲物のことを忘れて先に進んでほしいと願いつつ逃げて行く。
その先には、大勢のゾンビが群れを成していた。
「はは……」
思わず絶望の笑みをこぼすハル。このゾンビたちはどうやら先程の巨大ゾンビの雄叫びの音に釣られてふらふらと移動して来てご馳走を見つけたらしい。
一斉に襲い掛かって来た。
「くっそぉぉぉっ! 死んでたまるか! 死ぬもんかぁっ!」
長い得物はゾンビが乗り込んできた家に置いて来てしまった。持っているのは鉈と買ったばかりのナイフだ。それを振るいながら逃げて行く。
途中で何匹ものゾンビを殺したらしいが逃げることに夢中のハルはそんなことを気にしていられない。ハルが来た向こうの方では雄叫びも聞こえ、それはこちらに向かっているのだ。
「あぁぁああぁぁぁっ!」
声がサルクァツァを呼び寄せる原因であることは分かってはいるが、声を出さなければ心が死んでしまう。ハルは泣きながら声を上げ、巨人ゾンビから、そしてゾンビたちから逃げ回った。