始まる前に
世界はゾンビに包まれた。
最初は、感染者もそこまでいなかったソレは動物から始まる。家畜、野生動物の暴走で傷付いた人々が反撃に出ると動物愛護団体から猛抗議が入り、国は動物隔離政策を取ることになる。しかし、対応は遅かった。
ソレが人間に感染し、暴徒として動き出すまでに殆ど時間はかからなかった。更に、暴徒と化した人々を抑えようとした人々も感染し、ソレは雪だるま式に増えて行った。
日本国においては即座に非常事態宣言を下し、避難勧告を発したがそれは無駄だった。
病人の人権を訴えかける連日のデモ行進を行う団体や、この危機こそ低迷していた視聴率を稼げるとばかりに街中に出るマスコミ。
また、ゾンビものを娯楽として見て、英雄気取りで戦いに出る若者や根拠もなく大丈夫として対策を受け入れずに日常を送る壮年者、断固として自らの土地から動かない老人たちの勧告無視により感染は留まることを知らない。
ようやく自らに危機が迫ってから避難所に行く彼らによってそれは避難所に更に感染していく。
どこかの誰かは全てを総理の責任にした。また、ある者は全て陰謀だとした。どこかの国は天罰だと喜ぶが、気付けば全滅していた。各国は原因追及の為に全力を駆使し、離島に研究者チームを派遣しやっとの思いでその原因、ヴィルスを発見するが解決策は見当たらない。
一定ラインより小さな動物や植物による感染はないという成果が上がったが、誰も喜びはできなかった。それは遅すぎたのだ。
諸国のマスメディアは人類滅亡論や悲観論を唱え、生きている人々を一ヶ所にまとめて核兵器でヴィルスを焼き払うべきだなどの解決策を挙げる。しかしそれを実行に移す人はいない。感染者を身内に持つ者たちが否を唱え、そのメッセージをマスメディアが伝えることで世論が形成。政府は何も出来ずに感染は広がっていく。
出来の悪いホラー映画のようだ。
ネットではそのような会話が繰り広げられる。正式なヴィルス名など気にしない彼らは感染者のことをそのままゾンビと呼んだ。そんな彼らをあるマスコミはブードゥ教に失礼なネトウヨだと叩いた。
しかし、国もその言葉を採用し、感染者からゾンビだと呼称を変える。その頃には非常事態でも批判新聞を刷り続け、まともな知能を持ち合わせて逃げ出した社員の代わりに社畜と化させた人々を使って報道をしていたその会社はゾンビがその本能に赴くまま仕事をする場になった。
しだいにまともに働く者が少なくなり、公共放送はラジオだけになる。人類はゾンビと生存権を賭けて争いを始めた。しかし、人類以外の全てがゾンビと化す絶望的な戦況でまず、指揮官クラスが逃げ出した。
それにより大規模な戦争は出来なくなり有志連合は故郷を捨て、人類という種族を残すために故郷を捨てて辺境に逃げた。
世界はまさにゾンビに包まれたのだ。
「……お、珍しい所に生き残りが……」
自宅の大黒柱に裸で縛り付けられていた青年は誰かの声を聞いて、恨みに恨んだ家族の帰りかと微かに目を開いた。しかし、違う。声の主は反応があるとは思わずに驚いたようだ。
「へぇ~……ただの人間なのにサルクァツァ-βに罹患して自我を保ってる。その上、俺と波長が合ってるのかね。結構面白い。」
その青年、歳は20代辺りだろうか。彼に反応する余裕はない。そんな彼が霞む視界に捉えた声の主はおそらく男。その男は独白を続ける。
「お頭の命令でゾンビ牛の熟成肉取りに来たんだが面白いの見つけたな。オイ、お前……生きたいか?」
その問いかけの答えは生きたいに決まっていた。何をしてでも死にたくない。しかし、青年の喉は掠れるだけで明確な声は出ない。そんな晴信を見て男は笑ったようだ。
「じゃあ、俺らの娯楽になって貰おうか……お前が契約したことだからな? 後から文句は言えないぞ……っと。」
その声の主の手が皮脂の油でテカっていた青年の頭に触れる。瞬間、朦朧としていた意識が覚醒し胃に穴が開くかのような飢餓感が失せて喉の渇きも癒えた。
また、初日以来、排泄物等で不快感を伴っていた下腹部が綺麗にされる気配がして、拘束状態から解放される。
青年が気付けばトランクスを履いている気配の上に紺のスラックス。黒い生地にロゴ入りのシャツにポケットがたくさんついている淡い青のデニム生地の上着を羽織っていた。
「あ……れ……?」
「さて、自己紹介から始めようか。初めまして俺はグロムギリー。異界の破壊神だ。」
目の前にいる偉丈夫はそう名乗り、青年を拘束していた鎖を破壊する。青年は自己紹介を促される視線を受けて答えた。
「俺は……夜明 晴信……です。」
晴信自らの体に起きた異常を訝しながら応じたが、グロムギリーの方は大して晴信自体に興味はなかったようだ。
「じゃあ、俺が君を生かした本題に入ろうか……今、宴会やってるんだけどウチのお頭は面白いこと好きでね……君には余興になってもらう。それで、これからこの世界でゲームをするから……死なないようにクリアするんだ。まずは俺の加護を受け入れるために名前を変えるぞ?」
晴信が返事をする前にグロムギリーは晴信の何かを変えた。途端に晴信は自らの名前の記憶を塗り替えられ、カタカナで新しい名を刻み込まれる。
「よし……これから君はハルとして生きてもらうことになる。まずは……報酬から話そうか。」
にやりと笑うグロムギリー。その姿は素直に美しいと思わせるが、ハルには神と言うよりも悪魔のように見えた。
「まずこの会話終了後、ポイント式で使える5キロまでの物質が入る空間系のボックスをプレゼントだ。続くステージ1をクリアすればこの世界で実現可能な範囲内で君のパートナーを生み出そう。そこまでは報酬が決まっている。」
「空間系のボックス……? パートナー?」
「パートナーはお前が考える最強の彼女でいいよ。後で創造する。それで、ボックスはこういうのだ。」
グロムギリーが虚空に手を伸ばすと空間に亀裂が入り、闇が見える。グロムギリーは説明した。
「ちょっと小さいが、大きいのを与えても面白くないからちょうどいいだろ。好きな場所に作ることが出来て中の時間は止まっている。望むものを思い浮かべながら手を入れると取り出せる。あぁ、お前以外の生物は一切これに干渉できないから盗難に遭う心配はいらん。」
「は、はぁ……」
「無論、サルクァツァ-βもこれで喰えはしないからな? アレには僅かながら知性があるから。」
「そうなんですか……」
めまぐるしく与えられる情報に処理時間を要するハル。グロムギリーはその疑問の解消のためにハルの質問に幾つも答えた。
「俺は感染するんですか?」
「する。簡易的に俺の加護が入ってるから怪我をしたぐらいじゃ感染しないが、サルクァツァ-βのキャリアーから直接的に大静脈なんかを噛まれた場合なんかは厳しいだろうな。」
「そのキャリアーって言うのは……」
「サルクァツァ-βに感染している菌の保有者だ。ネズミぐらいの大きさがある保有者だと人間に感染させる程度の毒性と知性を持ち始めて食事とは別に感染させるためだけに生物に襲い掛かり始める。」
グロムギリーは原理のような物を喋るがハルには意味が分からなかったので流して次の質問に移る。
「ボックスのポイントって……」
「あぁ、ゾンビを殺したり時々クエスト的なのを神託で下すからそれをクリアすれば手に入る。初回限定で100ポイントあげてるがボックスの開閉どちらか一回につき10ポイント消費。」
そこまで言ってグロムギリーはふと何かを考えたようだ。
「そうだな……それ以外にも何かと交換できるようにするか。食料や霊薬、銃火器と。ポイントを消費すると念じてそこらにいる猫に話しかけろ。5ポイント消費で15分のショップを開く。」
「猫……?」
「俺はお前みたいなここの人類で言うネコ科の神猫みたいなもんだからな。この星がサルクァツァ-βの支配下に落ちたら別世界に逃がすくらいには守護したんだよ。その際に全員に加護を付与したから大体の猫に神霊を下せる。」
意味が分からなかったが、グロムギリーは手近に猫を呼んで実演させた。すると猫はその場に二足歩行になって人語を喋り始め、グロムギリーと2、3語話すと不思議な空間を形成した。
「はいですにゃ!」
「15分間は何人たりともこの空間に立ち入らせない。それと、言う必要もないかもしれんが……」
「必殺・猫ぱんち!」
ハルの目にも止まらないスピードで目の前の雑種の猫が前足を繰り出すと小屋の壁が猫の肉球型に吹き飛んで地面を抉った。その抉れた地を指して彼と猫は嗤う。
「にゃっにゃっにゃっ!」
「猫に手ぇ出すとこうなる。」
「あちしたちを利用してゾンビを倒そうとか考えにゃいでほしいですにゃ~狙った獲物は逃がしませんからね?」
瞳孔を狭めてハンターの目をする猫。彼女と思わしき二足歩行をする猫は商品案内をして15分が経過すると去って行った。
その後もしばらくの問答を続けた後、そろそろ頃合かとグロムギリーはハルに告げる。
「それじゃ、ゲームに入ろうか……ファーストステージは、生存戦。何をしてもいい。1週間、この町で生き延びることだ。じゃあこれマップ。半径5メートル以内にサルクァツァ-βに感染している人間が来たら赤い丸が出てくる。過信し過ぎて逃げ場がないような所には逃げんなよ? すぐにゲームオーバーじゃつまらんからな。お前があまりにも不甲斐ないとお頭に全能力剥奪された俺がゾンビ世界にカチコミさせられるかもしれん。頑張れ。」
「……はい!」
ハルの生存戦略が始まった。