グラナダ陥落
夫フェルナンド2世と共に連合王国イスパニアを建国したイサベル1世は対グラナダ戦の最中に王女マリアを出産した。
フェルナンド2世がグラナダへ遠征に行っている間はカスティーリャの内政を単独で行った。
両王の娘イサベル王女がポルトガル国王ジョアン2世の子であるアフォンソ王太子に嫁いだのもこの頃である。一方アラゴンではフェルナンドの庶子のアロンソが摂政として内政を取り仕切っていた。
国王ボブアディルを中心とするグラナダ王国(イスラム教)とフェルナンド2世率いるアラゴン=カスティーリャ連合王国(キリスト教)の戦闘はかなりの長期戦であった。
イサベル1世は自国の勝利と先祖代々の悲願であるレコンキスタ完了の願かけとして下着を変えなかった程だ。灰色と茶色が混じった下着の色はイサベル色として後世に伝えられている。
一方又従兄のポルトガル王太子アフォンソに嫁いだイサベル王女だが、夫婦仲はとても良く、舅の国王ジョアン2世とは政治的に対立する部分があったものの姑で母イサベル1世の従姉に当たる王妃レオノール・デ・ヴィゼヴとは仲良しだった。舅のジョアン2世と対立したのも、彼はイサベル妃の実家である両王の国との連合王国を作るという野心(両王の息子であるフアン王太子が早世してしまえば王位継承権は自動的にフアンの姉イサベル妃に移るため)を隠そうとすらしない上にやたら猜疑心(分家だろうが姻戚・外戚だろうが関係なく粛清してきたし、野心とは裏腹にイサベルの実家がポルトガルを吸収するのではないかと恐れもした)が強かった事が理由として挙げられる。
アフォンソ王太子は狩りの最中の落馬が元で薨去した。残されたイサベル王女の嘆きは深く、未亡人としてイスパニアに戻ってからは修道院入りを強く希望した程だ。
グラナダ王国との戦いは激しい戦闘や様々な駆け引きの末、グラナダ王国側の降伏によって漸く勝利をおさめた。
グラナダ王国側は全員の命を取らない事を条件に国の全権を両王に譲渡する事を受け入れた。勿論かの有名なアルハンブラ宮殿もその時に開け渡されたものだ。
俗に言うグラナダ陥落である。
いよいよその日がやってきた。
グラナダ国王ボブアディルが下馬してアルハンブラ宮の鍵をフェルナンド2世に渡し、鍵はフェルナンド2世経由でイサベル1世の手に渡されるという有名なシーンが絵画で残る程だ。
アルハンブラ宮に入った両王一行はその芸術性の高さに驚いた。
そして対フランス戦が始まるまでこの気温が高く乾燥した気候のグラナダを拠点にし、対フランス戦に向けてバルセロナへ移るまで滞在し続ける事になる。