ナポリ奪取とマリアの縁談
イスパニアの宮廷では王太女イサベルの出産に向けて慌しく動いていた。
その子が男の子であればイサベル1世とフェルナンド2世が持つ其々の称号は将来的にその子に継承されポルトガル王家に吸収される事が確実になるが、今の女王イサベル1世にとってそんな事はどうでも良かった。
(自分の手元に残る孫が無事に生まれますように!)
遂に王太女イサベルの出産の時が来た。
母女王は出産に立ち会った。
かなりの難産で丸1日かかった。
夫ポルトガル国王マヌエル1世と父王フェルナンド2世はただ外で待っているしかなかった。
「マヌエル国王よ。このイスパニアの王位と我々の全ての称号が貴方の家の物になる日も近いな。」
「今はその事より、イサベルとお腹の子の無事を祈りましょう」
分娩の部屋につながる扉が開き、侍女が赤ん坊を抱えて出てきた。
無事生まれてきた子をマヌエル1世は歓喜の表情で抱き、顔を覗き込んだ。
待望の男の子だ。
「それで私の妻はどうだ?」
侍女は何も答えず俯いている。
事態を察した2人の王は、直ぐさま分娩の部屋へ向かった。
其処には全身が痙攣で震え、ベッドで股を広げたまま横たわるアストゥリアス女公イサベルの姿があった。
「よく頑張ったわイサベル。さあしっかり休んで政務に復帰するのよ。しっかりしてイサベル!」
側で手を取っていた母女王イサベルは泣きながら娘に縋っていた。
夫王マヌエルも耐えられず、母女王イサベルと代わって王妃イサベルの手を握った。
「イサベルしっかりするんだ。お前がいなくなったら、生まれたばかりの王子はどうなるんだ。」
痙攣を抑えられずもう成されるがままになっている彼女は隈だらけの眼を薄っすらと開いて夫に向けてこう言った。
「私はもう無理です。あの子の事は頼みましたよ。今までありがとう」
両王は亡くなっていく娘を、ベッドの端で見守るしかなかった。
夫に手を握られたアストゥリアス女公イサベルは天井を仰ぎ見ながら小さく前夫の名前を呟き、息を引き取った。
手を握っていた夫マヌエルがハッとした時、既に彼女は亡くなっていた。
イサベル1世は震えながらその場にあった十字架の方へ歩み寄った。
フェルナンド2世は何か仕出かすのではと心配して見ていると、イサベル1世は十字架を鷲掴みにし、聞き取れない様な声で恨み言のような言葉を呟くとそのまま気絶してしまった。
フェルナンドが支えなければ恐らく彼女は頭を打っていたかもしれない。
翌日、アストゥリアス女公イサベルの葬儀が厳かに執り行われた。イサベル1世はフェルナンド2世にエスコートされ、台に寝かされた冷たい娘のおでこに口付けを落とした。
イサベルの喪が開けた後、未来の女王の夫としての資格を喪ったマヌエル1世はミゲルと名付けられた息子をカスティーリャに置いてポルトガルに帰った。
一方、産気づいたジャンヌ(フアナ)を置いてフィリップは夜会で意中の女を見つけていた。
未亡人になって帰国したばかり妹マルグリット(マルガリータ)はその様子をただ見ている事しか出来なかった。
フィリップは生まれそうだという知らせを聞いて、マルグリットと共に夜会を抜け出した。
分娩の部屋に入ると既に生まれており、男の子である事が分かった。
「でかしたぞジャンヌ!」
出産で疲れた妻を労い、中々泣き止まない息子を抱いた。
マルグリットの気持ちを慮ってか、ジャンヌは自分の亡くなった兄と同じ名前を付けようとした。
「ジャン(フアンのフランス読み)はどう?」
しかし満面の笑みを浮かべたフィリップはこう答えた。
「いや、この子の名前はシャルルだ。」
その名前はその子の曽祖父で、先々代ブルゴーニュ公のシャルルと同名だった。
この子は後に父方・母方双方の称号を受け継ぎ、神聖ローマ皇帝カール5世・スペイン国王カルロス1世として名を馳せる。
ただ、当時シャルルのスペイン読みであるカルロスという名前はトラスタマラ王家では使われた事がなく馴染みの無い名前だった。
一方両王は長女イサベルの忘れ形見であるミゲルを可愛がり、イスパニアの後継者として大事に育てた。
だが、2年後のある日
「奥様!陛下!陛下!大変です。」
夜明け前に起こされた女王イサベルは、真っ先にミゲルの部屋へ向かった。
だが其処には揺籠の中でスヤスヤと眠る可愛い孫の姿はなかった。
大きなベッドに白い布が被さっていて、真ん中がこんもりと小さく盛り上がっている。
側にはこれまた寝巻きのまま俯いて立っている夫王フェルナンドの姿が…
夢だと思いたかった。
イサベルは愛息子フアンの亡骸と対面した時と同じ様に別室へ走り込み、暖炉に寄り掛かって泣いた。
フェルナンドが後から来て抱きしめようとするが、頑なに拒んだ。
そして、いつもお祈りしている十字架に向けて罵声を浴びせた。
「何で神様はカスティーリャの世継ぎを次々とあの世へ送ってしまうの?もう耐えられない!」
「俺にも其れは分からない。でも、もうカスティーリャはフアナとカルロスに託すしかないんだ。イサベル、お前は女王だ。強くあらねばならない。」
号泣するイサベルを何とか宥めようとするフェルナンドにも自分の家が呪われている様にしか感じられなかった。
ミゲルの葬儀が終わって国王マヌエル1世が再び帰国する日、両王は娘マリア王女との結婚を申し出た。
しかし先妻を失った悲しみが癒えない上に、王位継承権がハプスブルグ家に嫁いだフアナ(ジャンヌ)に移った今、最早イスパニアとの縁談に魅力を感じなくなったマヌエル1世は縁談を拒否した。
娘の行く末を心配したイサベルはチャコンをポルトガルへの使者に立て何とか縁談を取り付ける事にした。
交渉に成功し、後は近親婚に対する特赦をローマ教皇アレクサンデル6世から貰うのみとなった。
一方フェルナンドはナポリ王位を巡ってフランス国王ルイ12世と戦った。
そして1504年の和約により、フェルナンドは晴れてナポリ国王になったのだ。
しかしこの事は娘婿のブルゴーニュ公フィリップを激怒させた。
彼は父親と妻の実家がフランスと対立しているにも関わらず、自身はフランス贔屓だった。
幼少期に父親と引き離され、フランス寄りの貴族達に養育されたせいである。
フィリップは抗議の文を送ろうとしたが、ナポリを含めたアラゴンの王位が将来妻に回ってくる事を考えて何とか思いとどまった。
翌年、両王の王女マリア・デ・アラゴンが正式にポルトガル国王マヌエル1世の王妃になった。
後はカタリナ王女の結婚とフアナ(ジャンヌ)の帰国を待つばかりである。




