悲しみのSalamanca(サラマンカ)
両王の長女イサベルがポルトガル国王マヌエル1世と再婚する事になった。
ポルトガルでの祝宴に参加する事になったフェルナンド2世と王太子フアンはSalamancaに居た。
イサベル1世と身重な妃マルガリータはそのままブルゴスに留まった。
Salamancaでフアンは病に倒れた。フアン危篤の知らせはブルゴスにいる母と妻にも届いた。
しかし母と妻の祈りの甲斐なく彼は父に看取られ19歳の若さで亡くなった。彼女たちは彼の死に目にあえなかった。
母の嘆きは深かった。
父にとっても一人息子に先立たれた衝撃は大きかった。
妻は哀しみから立ち直れず、寝込んでしまった。
「マルガリータ、気を強く持って。あなたは1人ではないわ。私達はあなたを実の娘のように思っているし、お腹には子がいるのよ」
「お母様、フアンの居ない暮らしなんて耐えられないです。」
突如マルガリータのお腹に激痛が走った
苦悶の表情を浮かべるマルガリータの布団の下には夥しい量の血が…
「誰か早く医者を呼んでちょうだい!」
両王は安産とマルガリータの無事を只管祈った。
そして、
「残念ながらお子様の方は…」
生きて生まれる事が出来なかったその子は男の子だった。
侍女の報告にフェルナンドが一番衝撃を受けた。
フアンの子孫引いてはフェルナンド以降に続くトラスタマラ家の子孫が望めなくなったのだ。
イサベルとフェルナンドは抱擁を交わしてお互いを慰め合った。
その後体調が回復したマルガリータは両王の外交や内政の手腕を具に観察・補佐した。これが後に「貴婦人の統治」のベースになるのである。そして不幸な出来事から3年、イスパニアの全ての者たちに惜しまれながら兄のいるヘントへ帰国した。
マルガリータが死産したのと時を同じくして、ヘントにいるフィリップとジャンヌ(フアナ)に元気な女の子が生まれた。
その子は曽祖母で神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の皇后エレオノーレ・フォン・ポルトゥガルのフランス読みで、エレオノールと名付けられた。
母ジャンヌは自分の母親と同じイサベルにしたかったが、父フィリップが既に名前を決めていたのだ。
この子は後にポルトガル王妃、次いでフランス王妃となり、ハプスブルグ家と近隣諸国を繋ぐ重要な架け橋になる。
一方、一人息子と内孫を亡くした両王は長女イサベル夫妻をカスティーリャに呼び戻し、イサベル王女を立太子させてアストゥリアス女公・ジローナ女公に任命した。
ポルトガルのイスパニア(アラゴン=カスティーリャ連合王国)吸収の野望が再び形になる時が来た。アストゥリアス女公になったイサベルと夫のポルトガル国王マヌエル1世は両王と同居し、イスパニアの国政に関わる事になった。
程なくしてアストゥリアス女公イサベルが懐妊。イスパニアの宮廷は久方振りに明るさを取り戻したが此処から事態が二転三転する事なんて宮廷では誰も予想だにしなかった。




