Flandre(フランドル)とBurgos(ブルゴス)
レオン=カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン=シチリア国王フェルナンド2世には5人の子どもがいた。そしてその内の3人が婚期を迎えていた。
第1子イサベル王女はポルトガル王太子アフォンソと結婚したがアフォンソの事故死で未亡人になり、両王の元に帰って来ていた。
そして新しく即位した国王マヌエル1世と婚約した。
第2子フアン王子は両王の後継ぎで、神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の娘でブルゴーニュ公フィリップの妹マルガリータと婚約した。
そして第3子フアナ王女は神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の息子でブルゴーニュ公フィリップと婚約した。しかし彼女は乗り気ではなかった。
彼女は馬舎の管理人の息子に恋していたのだ。肌が浅黒く黒髪の彼は、逞しい見た目とは裏腹にとてもシャイな青年だった。
ある日フアナ王女は兄の王太子フアンと遠乗りに行っていたが、途中フアンが落馬した。その時、彼がフアンを介抱したのだ。
以後フアナは度々厩を訪れて彼と話すようになり、彼も次第に彼女を想うようになった。
所謂両思いだ。
様子を見ていたベアトリスは心配になり、早速母イサベル1世に報告した。
ある日フアナ王女は女王イサベル1世に呼び出された。
「フアナあなたには意中の人がいるようね」
「お母様」
「恋をする事は悪い事ではないわ。でもあなたには義務があるでしょう」
「分かっております」
「ボルゴーニャへ嫁ぐまでに何とか諦めをつけなければね」
そして前日の夕方、フアナ王女はいつものように例の厩の青年と遠乗りに出かけた。2人は他愛のない話をして、厩に帰って来た。そしてフアナが話を切り出した。
「貴方とこうしてゆっくりと話すのもこれで最後になるわ。明日私は外国へ嫁ぐの。ごめんなさい今までありがとう」
フアナは足早にその場から立ち去った。
青年はその後ろ姿を只々見守るしか出来なかった。
そして人知れず馬の背に顔を伏せた。
彼は泣いていた。
翌日、フアナは両王の見送りを受けてブルゴーニュ公国へ向かう船に乗った。
彼女ら両親や恋人から遠く離れた国でどうなってしまうのかという不安を胸に抱え、後ろ髪を引かれる思いで出国した。
途中大海原に巻き込まれたフアナは死を覚悟した。
いっそこのまま…
1ヶ月後に船は無事ブルゴーニュの港へ到着し、迎えの者たちがやって来た。
数日かけてフランドルの宮廷に着いた。
当のフィリップは父帝マクシミリアン1世と戦に出ており、宮廷を留守にしていた。彼女を出迎えたのは故国と違って装いが派手な宮廷の者たちと1人の中年の婦人であった。
彼女は先々代のブルゴーニュ公だったシャルルの未亡人マルグリットだと言う。
マルグリットの表情が険しく歓迎している風ではなかったのが、フアナ改めジャンヌの不安を煽った。
マルグリットは同名の義孫で、兄フアンの婚約者であるマルグリットに付き添われて広間から退出した。
夕方ジャンヌは私室で1人で寛いでいるとフィリップの妹マルグリットが入ってきた。濃い蜂蜜のような光沢のある茶色の髪に色白でキメの細かい肌。彼女の兄に当たる婚約者フィリップも似たような美男子 なのかもしれない。
「フランドルでの生活には慣れられましたかお姉さん」
「ええお陰様で」
「フィリップはどんな方ですか?」
「兄は女好きですが粗野な男ではないと思います。私の名目上の前夫なんかは私を捨てておきながら、持参金の返還が出来ないからって中々帰国させてくれなかったもの」
ジャンヌは苦笑いするしかなかった。
今度はマルグリットが質問してきた。
「フアンはどんな方なんですか?」
「兄は病弱で恥ずかしがり屋ですが、とても優しい性格なんですよ。」
マルグリットはジャンヌの微笑みの奥に何だか悲しげな表情を見た気がした。
「お国を出る前に何かやり残した事でもおありなのですか?」
「お慕いしている人が居たんです。」
気付けばジャンヌはこの義妹に今までの事を赤裸々に話していた。同い歳で気の置けない相手ができた事が嬉しかったのだ。
喜びを感じたのはイスパニアを出てから初めての事だった。
ジャンヌは2週間後に先頭から帰って来たフィリップと対面を果たした。
艶のある金髪、キメの整った白い肌、浅い水辺を想わせる蒼い双鉾、イスパニアの男とは違う魅力を感じさせる容貌だった。胸板は厚くセクシーな感じにジャンヌは一目で惚れた。故国での苦い初恋が一気に吹き飛んだ。
フィリップにとっても異国情緒溢れる見た目をしたジャンヌはとても興味深い存在だった。黒っぽい焦げ茶色に髪に白い肌、深い色で清楚な作りのドレス。
2人は互いに惹かれ合ったまま、フランドルで挙式した。
そして初夜を終え、ジャンヌはふと横で眠るフィリップの寝顔を覗いた。無防備な寝顔もまた美しく、つい見惚れてしまった彼女は彼の髪をそっと掻きあげてから元に戻して寝入った。
一方、両王の一人息子で王太子のフアンは婚約者の事が待ち遠しかった。
自分が病弱な事も分かっていたので、妃が賢く健康的な女性である事を望んだ。
「マルガリータはかなり賢いらしいね」
「心配するな。母さん程賢い女性はこの世には居ない」
父フェルナンド2世にそう言われて、母イサベル1世が照れ笑いしている。
一行はブルゴスの宮殿でマルグリット改めマルガリータを迎える事にした。
マルガリータがBurgosに到着し、両王に謁見する日が来た。イスパニアの人々は王太子妃が健康的な事をとても喜んだ。
「マルガリータよく来てくれたわ。
此処での暮らしが、今までと違って戸惑う事もあるかもしれないけど心配する事は無いわ。これから宜しくね」
姑になるイサベル1世は微笑みながら歓迎してくれた。隣では舅になるフェルナンド2世が微笑んでいる。物心つく頃には母親がいなかったマルガリータには、母の暖かみを諸に感じた瞬間だった。
「ええ、ありがとうございます。ところで、フアンは?」
とそこで何やら楽器の演奏が始まった。
たて笛2本とマンドリンからなる素朴な調べが心に染み入る。
当のフアンは真ん中でマンドリンを演奏しているらしい。
フアンは両親に挨拶するマルガリータの横顔を見ていたが、演奏を始めると彼女が此方を振り向いたので暫し見つめ合う形になった。
ブルゴーニュの姫は噂に聞いていた通りの美女だった。
濃い蜂蜜のような光沢のある茶色の髪にキメの整った白い肌、快晴の空を想わせる青い目がやや吊り上がり気味で利発そうな顔立ち。
フアンの心拍数は一気に上がった。
マルガリータから見たイスパニアの男達は焦げ茶色の髪で肌の色が浅黒い印象だ。フアンの髪も黒に近い茶色だが肌は病に罹ったように色白だ。しかし胸板は厚く、それなりに鍛えてはいるようだ。
演奏が終わると拍手が起こり、フアンは微笑みながらマルガリータの手を取った。マルガリータは長旅の疲れを忘れて涙が出そうになった。
彼女はフランスに嫁いだ時も、ブルゴーニュに帰って来た時も、こんなに暖かな歓迎は受けた事が無かったのだ。
「私、マルガリータ・デ・アウストリアは生涯をかけて妻としてフアン様をお支え致します。」
感極まった彼女は高らかに宣言した。
2人は笑顔で見つめ合った。
広間の雰囲気はそんな2人の微笑ましい空気で明るくなった。
フアンとマルガリータが見つめ合っている間、両王はマルガリータの一行に付いて帰国したフアナ(ジャンヌ)の侍女に、フアナの近況を尋ねた。
聞くところによるとフアナはすっかりボルゴーニャに馴染んでいるようだった。
そして2人は両王たちあいの下、サンタ・マーリア大聖堂で盛大に挙式した。
両王は自分たちが結婚した時の事を思い出し、感慨に耽った。
両王と新郎新婦を中心にした晩餐会での事、ボルゴーニャから来た一行がワイワイと騒いでいるのが目立った。
ボルゴーニャの者たちは宴会の時、ワイワイと騒ぐのが習慣のようだったが、此処イスパニアではとても悪目立ちしたのだ。
見かねた花嫁のマルガリータは突如立ち上がり、彼らの前にツカツカと歩み寄り、叱責した。
「あなたたち、いくらお祝いの席にあっても郷に入っては郷に従うものよ!静かに食事が出来ないなら退出しなさい!」
場は一瞬で静まり返り、彼女はそのまま両王の前に進み出た。
「見苦しい所をお見せして申し訳ありません、お赦し下さい」
両王は驚いたが、場をわきまえた対応と毅然とした態度を高く評価し、賢い嫁を貰った事を喜んだ。
フランスでお妃教育をみっちりと叩き込まれたマルガリータの手ほどきで無事に初夜を終え、清々しい朝を迎えた。
「マルガリータは世界で一番素晴らしい王妃になるよ」
新妻と上機嫌で朝食を摂る王太子フアンだが酒杯を握るその手は痙攣し、僅かに震えていた。
この頃、既に病魔が彼の体を蝕んでいたのである。




