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イサベル〜波乱の女王〜  作者: ところがどっこい
10/14

フランス戦と縁談成立

宮殿内へ運び込まれたフェルナンドは直ちに医者の治療を受ける事になった。

応急措置が終わったフェルナンドはイサベルに支えられながら、窓際で群衆の声援に応えた。

一命を取り留めた事を知らせる為だったが、肩を負傷したせいで体のバランスがガタガタになっていた。


フェルナンドが治療を受けている間、イサベルは万一に備えてフアンをアラゴンの名目上の摂政とし、1人で連合王国の舵をとった。そして合間を縫ってフェルナンドの看病をした。


やがて斬りつけた農奴は処刑され、イサベルの看病の甲斐あってフェルナンドの肩は快方に向かった。この一件以来、イサベルはアラゴン王妃(ここでの王妃とは共治女王としての王妃)としての地位も確立し、イサベルとフェルナンドは互いにとってなくてはならない存在になった。


快方に向かったフェルナンドは政務に復帰し、イサベルと共にコロンブスの謁見に応じた。


「新大陸には珍しい鳥が多くおります」


珍しい色の鳥や新しい作物を見せられた2人は悦に入ったが、ふと側で控えている赤い肌の者たちが目に入った。


「その者たちは?」

「新大陸から連れてきた者たちにございます。奴隷にでも何でも使って下さい」


そう応えたコロンブスだがイサベルはこれを良しとしなかった。

奴隷として連れて来られた新大陸の先住民であろう者たちに対するコロンブス一行の残酷な仕打ちを察してしまったのだ。


先住民達は元の場所に帰され、両王の信頼を失ったコロンブスは宮廷での居場所をなくして失脚した。

失脚したコロンブスはそれでも航海を続けたが、何れも失敗に終わり、最後は名誉挽回を息子に託して亡くなった。


さて対フランス戦の事だが、これはフランスによるイタリアのナポリ王国・ミラノ公国への侵攻・占領が発端となった。

時の国王シャルル8世は先代ルイ11世のイタリア侵攻を引き継ぎ、敵対する神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の味方についたミラノ公ルドヴィーコ(通称Il moro:ムーア人)を生け捕りにし、ミラノを占領したのだ。

ミラノを占領したシャルル8世は隣国ナポリ王国の脅威となった。


ナポリ王国の親戚筋であったフェルナンドはシチリアの国王としてフランスのシャルル8世と敵対する事になったのだ。

そこでフェルナンドは神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世と同盟し、フランスを挟んで倒そうと考えた。


ここで何故神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世とフランス国王シャルル8世が敵対しているかについて言及しよう。


フランス王国の分家筋がブルゴーニュ公国を統治していた。だが、過去のブルゴーニュ公はフランス王位を狙ったりフランスの政治に口出しをしてきた。

しかしこの頃のフランスとブルゴーニュは対立していたものの、お互いに同じ家の出である事を意識しあっていた。


しかし時代と共にブルゴーニュ公国側の考えが変わった。

時のブルゴーニュ公シャルル(通称le Téméraire:突進公)はその名の通りこれまでのブルゴーニュの路線を大きく変えた。

自らは後妻にヨーク(イングランド)出身のマルグリット・ド・ヨークを迎え、1人娘マリーの結婚相手をフランス国王ルイ11世の王太子シャルル(後の国王シャルル8世)ではなく神聖ローマ皇帝フリードリヒ3世の皇太子マクシミリアン(後の神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世)に決めた。

縁談を申し入れていたフランスは面目丸潰れで元々フランス寄りであった貴族達の反感を買った。

そんな勢い盛んなブルゴーニュ公シャルルはロレーヌ公ルネ2世とのナンシーの戦いで戦死した。


君主を失ったブルゴーニュは大いに乱れた。縁談を申し入れて失敗したフランス側は後を継いだ女公マリーに再度縁談を申し入れた。

マリーは20歳近くも離れた王太子シャルルとの結婚を望まず、婚約者マクシミリアンの救援を求め、ブルゴーニュの首都ゲントに到着したマクシミリアンとそのまま結婚した。


マリーはマクシミリアンとの間にフィリップとマルグリットの2子を儲けるが、落馬が元で亡くなった。


君主を失ったブルゴーニュ再び乱れた。

女公の夫としてブルゴーニュ公に就いていたマクシミリアンは完全にブルゴーニュでの立場を失くし、ブルゴーニュ公を継いだ我が子フィリップと引き離されてフランス贔屓な貴族達によって軟禁された。それだけではない。フランスはフィリップの妹マルグリットを半ば強制的に国王となったシャルル8世と婚約させ、フランスで養育したのだ。


何とか軟禁状態を脱したマクシミリアンはフランスに対抗する為、ブルターニュ公国の女公アンヌと再婚しようとしたが、フランスに妨害された。

あろう事かフランスは国王シャルル8世と王妃である娘マルグリット・ドートリッシュの婚姻を無効にし、再婚相手であったブルターニュ女公アンヌを半ば拉致する形で結婚したのだ。

しかも持参金の返還を渋って、マクシミリアンが武力を行使するまで元王妃のマルグリットを返そうとしなかった。


こうしてマクシミリアンとシャルルの争いは解決不能なまでになってしまったのだ。


話はトラスタマラ家のフェルナンドとハプスブルグ家のマクシミリアンの同盟に戻すが、方法はこうだ。

①マクシミリアンの息子フィリップとフェルナンドの娘フアナ(フアンの妹)を結婚させる。

②フェルナンドの息子フアンとマクシミリアンの娘マルガレーテ(フィリップの妹マルグリット)を結婚させる。

二重結婚だ。例え片方の結婚が何らかの原因で上手くいかなくなってももう片方の結婚でカバーできる仕組みなのだ。


「アストゥリアス公兼ジローナ公フアン、お前は神聖ローマ皇帝マクシミリアノ(神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世)の娘マルガリータ・デ・アウストリア(マルグリット)と結婚しなさい」


「フアナ王女、お前は神聖ローマ皇帝マクシミリアノ(神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世)の息子でボルゴーニャのフェリペ・デ・アウストリア(ブルゴーニュ公フィリップ)と結婚しなさい」


息子と娘の縁談を成立させたフェルナンドは残りの娘たちの縁談も考えていた。


隣国ポルトガルの情勢が変わった。

王太子アフォンソに先立たれた国王ジョアン2世は庶子ジョルジュを王太子にする事を望んだが、周囲の反対に遭い、最終的には従弟アヴィシュ公マヌエル(王妃レオノール・デ・アヴィシュの弟)が王太子に立てられた。

王妃とマヌエル王子には何人か兄がいたが、反乱を企てたとして国王に処刑された。マヌエル王子は王太子に指名されるまで死と隣り合わせで国王に仕えていた。

そして国王ジョアン2世の崩御と同時に国王マヌエル1世として戴冠した。


そして今度はポルトガル国王マヌエル1世と元王太子妃で両王の娘イサベル王女の縁談が成立した。


更にマリア王女はスコットランド国王ジェームズ5世と、カタリナ王女は国王ヘンリー7世の王太子アーサーと縁談が成立した。


子どもの縁談が決まったフェルナンドは満を持してイタリア戦争に臨んだ。


フランスは途中、国王がシャルル8世からルイ12世に変わった。そして最後はフェルナンドが勝利を収めた。だがこれはまだまだ先の話である。

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