2節 彼岸界淵2
光届かぬ海の奥深く――暗黒の深海。全てを満たす海水を切り裂く様、巨大な舟が底へと突き進む。
「アナ。今はどの位の場所にいるかな?」
『さぁ?』
諦めの声を漏らす幼女。ギアマリアになった聖ことセイマリアは、溜息を零す。
「はぁ。お前……拗ねるなよ。元気だせよ。行く時にあんなにテンション高いのに……。モチベーションは大事なんだろ?」
『過去の話だ。吾輩の辞書にそんな言葉は無い』
「……――魚なら、帰った後で買って来るよ……」
『足りん』
「え?」
『足、り、ん、の、だー!! ……――おかしくないか!? 大海原に来ているのだぞ!? だのに! だのに!! 魚獲っちゃ駄目!!? あんまりじゃぁあないか!! この母なる海には美味、珍味の御馳走が秘められてるだろうに!? 駄目!? はぁあぁあ!!? そりゃあ無いではないか!!!』
脳内で急に響く声に聖は堪らず顔をしかめる。
「魚獲っちゃ駄目というか……獲ってる暇が無いって感じじゃないか? 今回は急ぎだし……それに、今はもう深海だろ? 魚はそんなに見掛けないぞ?」
『まあ数は少ないのは仕方――聖! 鮫だ!! 殴れ!!!』
「え? え!?」
『斜め右上の所を横切――ああ、行ってしまった……』
「魚が食べたいのは分かったから正気になってくれ……帰ったら守護者団で食事をしよう」
『向こうに吾輩の食事量が把握されてるから。気が済むまで食べられん……』
「出禁じゃないだけマシじゃないか……――。まあ、細かい事は終わってからで。んで、今はどの辺りなんだ? 確か、〝ネモ〟って場所に行くんだろ?」
『〝ポイント・ネモ〟。大洋到達不能極と呼ばれる、陸地から平均して、最も遠い海域。正しく海のど真ん中と言うべき場所だ。まあ、吾輩達がいるのは多少はズレているがな』
視界内に地図が浮かび上がる。アナが聖の為に見せてるのだろう。場所はチリに近い海域を赤い丸で囲って表示された。
「音は世界中でも聞こえてるのに、そこなんだな」
『正確には、音源がポイント・ネモへ向かっていると言った方が正しい。大西洋側で初めて観測以来、そこからどんどん、吾輩達が向かう先へ泳いでいる様子だ』
「まるで逃げてるみたいだな……」
『……現在の状況を確認する。まず、吾輩達はアナテマ絡みの謎の音を追い掛けている訳だ。その中で重要なのは、〝どういう理屈でアナテマが謎の音を発しながら移動出来るのか?〟だ』
――ミイラが持った植木鉢が、脳裏に浮かんだ。
「……聖杯を動力源にしている?」
『ザッツライト。何十年も、様々な場所でかなり大きな低周波を発している。地殻変動や氷山が崩れる音と揶揄される程の、かなりの物だ。そんなアナテマを支えるんだ、膨大なエネルギーが無ければ成立しない』
「プランターを載せて動く、アナテマの塊が何十年も海の中を……」
『そう言うと、寂しく感じられ――ん?』
「どうした?」
『――声だ。いや、通信か? だが従来のそれじゃない……何だ?』
アナの言動に緊張が走る。息を呑み、暗闇の深海に神経を集中させる。視覚識別が出来る様、疑似的に表現された深海が視界に映し出される。薄暗い海中には、僅かな小魚と粉雪の如く舞うプランクトンしか存在しない。
『――――成程。先程の通信は、人間が使う物ではなく、認識そのもので知覚するものか』
「どういう意味?」
『水と説明する際、言葉だと水やウォーター、H2O、DHMO、ジヒドロゲンモノオキシド、ダイハイドロジェン・モノクサイドと言うが、言葉が通じない者には分からない。だが、水そのものや、その写真を見せれば水とは理解出来る感じだ。或いは直接脳内に話し掛けられてる感じだ』
「は、はあ? ――んで、何て?」
『〝また来るか。今すぐ去れ〟と』
「また? 初対面だぞ」
『吾輩も分からぬから問い掛けようとしたんだが――』
「だが?」
『尋ねる前に〝我等と共に沈め〟って言われた。てへぺろ♪』




