2節 真に聖なるものは孤独である3
――ギアマリアは切り立った山肌を無心に登る。歩みによって雪は舞い、崩れ、沈み潰れる。静寂の中に砕ける音と呼吸音だけが響く。青い空、白い雪面、僅かな音。変わらぬ様に時間という概念が無くなり、聖はこの状態が永遠に思える。――自身の今の有様を思い詰める条件には充分過ぎた。
何故、雪山を登っている?
――プランターを手に入れる為に。
何故、俺がプランターを手に入れる?
――聖教守護者団に頼まれて。
何故、聖教守護者団に頼まれる?
――俺が果楠や皆を守りたいから、役に立ちたいから。
何故、皆を守りたい? 役に立ちたい?
――俺がギアマリアになれるから。脅威に皆が苦しんでるのを黙って見れないから。あの時みたいに……。
そもそも、何故ギアマリアになった?
――苺が台無しになったから。でもそれは決着がついた。果楠や皆を守りたいから。
今、守りたい果楠を、皆を守れているか?
――俺は今、1人で雪山を登っている。
「……俺…………何してるんだ…………」
無意識に行った数々の自問自答。それは自分の存在価値、行く末だった。思い返して脳裏に過るは戦いに次ぐ戦い。脅威に立ち向かう日常が当たり前となっていた。
終わりが見えない戦いを、受け入れるだけになってしまっていた。その戦いに終止符を打つのが、今回のプランター確保。聞けば、聖教守護者団がプランターを手に入れるのを妨害する為に敵――“イザベル〟と呼称される集団は〝ヘルティガンディ〟やロボットの〝イドール〟を世界中にばら撒いているという。そして聖教守護者団はその対処に終われ、ただでさえ人がいないのに、更に人数不足になった事で満足に探す事も手に入れる事も出来なかったという。
そこで聖が、新たなギアマリアが現れた事でプランター確保が可能になった。しかし、実際に今行われているのは、鍛えたと言えど数ヶ月の素人の子供を単身1人、極寒の雪山に乗り込ませるという凶行だった。
父である代羽秦が最初に止めたのも無理は無い。ただでさえ無理がある立ち回りであるのに、これから向かう先で出会うかもしれないのは、熟達の戦士達でも叶わない強力なギアマリア達――イザベルなのだから。生き残る術を身に着けても、それを発揮する暇も無く死ぬかもしれない。
――この戦いには2種類の敵がいる。人々を脅かすヘルティガンディと、それを操る大本のイザベル。
聖がギアマリアとなる切っ掛けになったのは前者、ヘルティガンディが生み出したイドールによる街への襲撃だった。被害も其方の方が多く目に見えている。故に聖教守護者団の人間達の多くが、世界中を飛び回って対処している。聖も必要とあれば要請を受けて手伝っていた。
(何で…………俺が山登らなきゃいけない?)
聖はよくよく考える。何故、素人の自分が、より危険な頼みをやらなければならないのか。聖よりも強く、実績のあるギアマリアは他に大勢いるだろう。そのギアマリアは、普段はヘルティガンディの撃破を行なっている。ならば、その者が聖杯確保に赴き、その穴を埋める為に聖がヘルティガンディを相手にする方法もあった筈、と考えた。
聖は自惚れてるつもりはない。だが、苦戦しつつもヘルティガンディに勝った結果は残している。代役は務まる筈だ。だが、これより挑むのはそれらよりも遥かに強い、聖教守護者団のギアマリアよりも強い敵。例え共に負ける可能性があろうとも、もっとも強い方――熟達の戦士である聖教守護者団のギアマリアの方が良いのは、素人の聖でも明白だった。
聖は、自身が選ばれた理由と説明を思い出す。人手が足りない中で現れた人材――ならば、上記の様に代役に置けば良い。アナという存在のサポートによって、手に入る確率は上がる――今までの実績からは信じ難い。その証拠に仮にアナがそれ程までの能力があったとしても、それには素人で無力で邪魔な聖がオマケに付いて来て、それが足を引っ張るだろう。
本当にアナを必要とするのなら、強引な手だが全身をアナテマで構成されたアナを可能な限り小さく丸めて布で包み、身体に括り付けて聖は留守番という手もあった筈だろう。
生き残る術を身に付けさせ、逃げてでも生き延びる事を最優先とした立ち回りをする事――それがプランター確保の為に何の役に立つのか。例え死なないとしても、敵が強引に聖杯を奪われる可能性がある。そのまま逃げ出したら取り返さないといけなくなり、その場合は奪い取る為に敵を倒す能力を問われる事になる。それは生き延びる事とは相反する行為である。相手は取られるのを阻止する為に反撃するだろう、そうなれば聖は死ぬ可能性は絶対的。
当時の聖は、自身も役に立てる思いで気持ちが昂って二つ返事で承諾したが、今思えば、聖が聖杯探索をする理由も、成功させる要素のどれもが説得力が致命的に欠けていたのである。
いや、違う。それ以前の問題だ――聖は思う。説得力が在ろうが無かろうが関係無い。力があれど、ただの一少年である聖を死地に送り込もうとする人間達の言動なぞ、初めから信じるに値しないのだと。
何よりも、果楠や人々の傍にいる事と掛け離れた時点で、今回の任務はすべきではなかったのだ。その願望が我儘であっても。
聖女は思い出す。自身が雪山に来るまでに助力してくれた人々を。
聖地都市へと連れて行ってくれた聖教守護者団で一番偉い男、ユーサー・スライブマン。
親身に接してくれる日本支部で一番偉い女、桐原摩耶。
自身の体調を心配してくれた他の日本支部の職員達。
トレーナーである代行者ことエッちゃんを届けてくれたマイルズ・ブロークン。
皆、笑顔で聖に接してくれた。笑顔で、聖が死ぬ為の準備に加担したのだ。考え過ぎかもしれない。だが、そうでなくても、今になって彼等の言う事が鵜呑み出来ない程には信用出来なくなった。
あの言葉は欺瞞であり、真の理由があるのかもしれない。その理由を、今の聖には予想出来なかった。思い付かなかった。予想出来ないからこそ怖くなった。彼等から想像しえない思惑で動かされてる――暗闇の中を歩かされている。一筋の示された光を目指して。言われるがまま、その光が、その先が、言ったものだという確証も無いのに。
背筋に悪寒が走る。高所故の極寒ではない。そこにあるのに得体のしれない何かに執着された不気味さと納得出来ない不快感が感覚となって生まれたもの。自身が写る姿に触れる幽霊が写り込んだ心霊写真を見たかの様な、憑り付かれたとも思わせ込まされる感覚。
――優しい顔の彼等が、途端に甘言を囁く暗い何かに思えた。果楠の顔が過った。




