2節 隠し示す者。力に忠実であれ
ちょこっと雑学、少年の女装。
昔々、世界中で、少年を一定期間女装させる風習がありました。趣味ではありません。全員が全員とは言い切れませんが。
これは、少年は悪魔や魔物といって不吉な存在に気に入られて殺されてしまうという考えがあり、女装させて欺こうとしたからです。
何故この様な事になったかというと、男は女性よりも免疫力は弱く、更に幼少期には免疫力も不完全で更に低い。当時の衛生や医療技術も併せて、生存率が非常に低かったからだそうです。
という感じで、前回の終わりと合わせた雑学でした。
薄い青に染まる空と、弱い日光が窓から差し込む修道院の宿舎の一室。そこにいた聖が窓から見たのは立ち昇る黒煙だった。
「あの方角は果楠の方……!」
黒煙が立ち上る場所は、果楠の家がある方角からだった。それに気付いた聖は、全身の毛が逆立って寒気が全身を駆け巡った。最悪の未来が予想は出来た。それは考えたくもない内容で、実現してはならないものだと直感で理解出来た。果楠に襲い掛かる、血と暴力の恐怖――。それを払拭するように怒気の籠った声が出た。
「アナ、行くぞ!」
「ああ」
「――クロスアップッ!!」
聖はすぐさま、右腕を上にした両腕を×字に組んで一回転し、十字にした後に右腕を引き抜く様に振り抜くと、途端に聖の側にいたアナの身体からロザリオの様な十字架が混じった数珠状の光の帯が解き放たれ、少年の身体に絡み付く。巻き付き、砕け散る光の膜から姿を現したのは、白い服を身に纏う聖女。アスリートの様なスポーツウェアを彷彿させる服装に銀色の十字の髪留めで纏められた金髪のサイドテールがなびく。観音開きの窓を開いたギアマリアは、そのまま窓から外に飛び出した。
宙に浮かぶその一瞬、ふと右を振り返る。――騒ぎ声、そして恐怖に駆られて不安を抱き、おろおろと慌てふためく人々。
――何が起こったの!?
――またあの怪物が攻めて来たのか!?
――自衛隊は何をしているんだ!?
隊員に話し掛ける人々は多種多様。不安を押し付ける者、怒りで動く者、恐怖に呑まれかける人。気持ちはバラバラでも、きっかけは同じ。つい昨日――いや、十数時間前に起こった出来事。突然の出来事は嵐の様に去り、嵐の様に何もかも奪って行った。家、財産、友人、家族。夢一夜の如く儚く消えた掛け替えのなく、決して消えまいと思っていたものが消えたあの恐怖が、デジャヴの様に湧き上がる。自分に全て掛かっている。この人達と、果楠の安全が――。隣の家の屋根に着地した少女は、屋根伝いで走って行く。歯を食い縛り、脚を速めた。
青と白のチェックのパジャマを着た少女、果楠は、裸足で瓦礫と炎が転がる割れたアスファルトの上を走っていた。心中では恐怖の悲鳴を上げるも声には出さない。出せばあの影がそれを向ける。ハッキリとはしない動く影――しかしそれは分かり切っていた。恐怖が具現された影だという事が。心中で同じく呟いた。思い馳せる彼の名を。だが口には出さない。何度も何度も言うのに彼がいる方へは向かわない。駆ける方向はその反対側。修道院には聖君が、人が沢山いるのだから。少女は走馬灯の様に振り返る――。
その日は今までとは違う昨日を迎えたからか、日の出が顔を出す前に果楠は目を覚ました。冴えながらもふらつく視線を頼りに、寝間着のまま部屋を出てキッチンへ向かう。キッチンに着く頃には、フローリングの冷たさが足裏を突き刺して脳を目覚めさせていた。隅に置かれた袋から食パンを1枚と、電気が通っていない、僅かに遺った冷気で詰まった冷蔵庫を開けて牛乳パックを取り出してリビングへ向かう。皿の上に置かれた食パン、牛乳が入って白く染まるガラスコップ。――それだけ。ガスや電気が使えない以上、肉や卵は使えない。水道も流れないので水を使って野菜を洗う事が出来ない。もう少し時間が経てば、自衛隊が救援物資を持って来てくれるだろう、温かい炊き出しを食べる事が出来るかもしれない。
しかし少女はそうしようとは思わなかった。温かくはないが食事は摂れて寝床もある。自衛隊の救援を真に必要とするのは、寝床も食事も無い人々なのだから。
(――当分学校も休みだし……まさか入学して1月も経たずに休校だなんて……)
椅子に座った果楠は主に祈りを捧げた後、スマートフォンでネットニュースを見ながら食事を始めた。どれも天気予報か鶴崎市内の一角の町で起こった謎の事故で持ち切りだった。お母さんとお父さんは平気かな――少女は不安に駆られた。元来ならば立場は逆、心配されるのは少女の方だ。幸いにも両親は丁度町を離れていて被害は受けてない。何処かで泊まっているだろう。顔が見れない寂しさというのを味わった、もうすぐ16歳になるというのに。
果楠は食事を食べ終えると、手を合わせて締め括る。流し台へ食器を入れた後、次に何をしようか考える。入学してすぐ、出来なくはないが個人での高校の勉強は少し辛い。解説してくれる人がいるのといないのとでは、やはり違いはある。理解が出来る範囲でしようかな――少女は階段を駆け上がり、自室の扉を開いた。
果楠の部屋は明色を基調としたカーテンやカーペットに家具。中でも一際目立つのは天井に届かんばかりの巨大な本棚。その中身はぎっしりと本で敷き詰められている。ライトノベルや文学作品に漫画。それらは共通してあるジャンルに一括り出来た。女性ならば誰もが夢馳せた物語――恋愛作品だ。
(はぁ……私も何時か――)
少女は棚から1冊の本を手に取って、その隣の勉強机の椅子を引いて腰掛ける。表紙を飾る一組の男女を見ながら、脳内に景色を浮かべる――。
煌びやかな光を放つ海面と、それに隣接する白砂で満たされる海岸。青い空の眼下の下、裸足で砂を巻き上げるワンピースの少女が1人。言わずもがなそれは自分自身。その後を追い掛ける少年は――。
「えへ、えへ、えへへへへ……――ハッ!」
気が付けば、薄気味悪い笑みを浮かべて涎を垂らしていた。滴が一滴、表紙のカバーに掛かって垂れて表面を濡らす。慌てて袖で表面を拭う。幸いにも材質のおかげか、先程と大して変わらない。
「良かった……――私も、何時かなぁ……」
果楠は机に伏せた。何度も夢見た晴れやかで、それでいて儚い妄想――。数瞬して、少女は起き上がると、机の下にあるワゴンを開いて教科書とノートを取り出す。傷一つない、ピカピカと輝く硬質な厚紙の表紙。――数学の教科書。ノートを開き、教科書の方程式とその説明文を書き、それを見ながら問題を書いては答えていく。先程の妄想に浸るのも良いが、同時に別の妄想も浮かべていた。これから1週間休みとなる。休み明けには授業が始まる。復習等をしてない生徒は最初は苦悩するだろう。
果楠の妄想に常にいる少年も例外なく、だ。その時、予め予習・復習しておいた果楠が聖に手取り足取り勉強を教える――2人きりの空間で。並んで座る両者、不意に近づく2人の顔。静寂に包まれ沈黙するも、その最中で近付き続ける顔と顔――。
「キャ――――!!!!」
途端に果楠は頬を赤らめると、両手で覆った後に右手で机をバンバンと連続的に叩き付ける。小刻みに振動する机を他所に、果楠は左手で口と鼻を押さえる。夢物語、創作物の中でしか起こらないようなシチュエーション。だからこそ少女は喜びの余り感極まった。妄想で馳せる喜びを堪能した後、少女の目には炎が灯る。思い描く未来予想図の為、シャープペンシルは少女の想いを載せて白地のノートを駆け巡った。
数十分が経過した頃、少女は空腹を感じた。流石にパンと牛乳1つずつでは限度があった。少女は部屋を出て再度、朝食の時と同じく再度の朝食を始める。デジャブの様に、食パンに噛り付こうとした――。
「――はふんッ!?」
轟く轟音。響く振動。突如、衝撃が走った。爆発にも似た音。脳を貫くような響きが顎にも走って咀嚼が妨害される。一瞬だけ動きと思考が停止し、そして思考する。何があったの――果楠は家を飛び出した。裸足のまま、冷たいアスファルトの上へ駆け出した。
――絶句する。家から出て左斜め前の住宅が無くなっていた。粉塵を巻き上げ、家を形作る木材や鉄骨といった諸々が空から落ちている。瓦礫と煙幕のカーテンの向こう、小さく灯る――か細い緑光の一点。
「――!!」
背中を虫が駆け巡ったかのような感覚。内側から針で突き刺して押し上げたかのように際立つ鳥肌。高所から落ちるような脱力感。吸い取られ羽かのように抜け出て残る悪寒。――戦慄が走る。暴力に、恐怖に、悪夢に――見られた。
走る、走る、走る。果楠は走っていた。アスファルトと小石を踏み締め蹴り飛ばす裸足は痛むが恐怖がそれを消す。背後から近付く轟音と震動で迫り来るも、恐怖が阻害して前を走る一押しをする。見た、見られた、見つかった――抗いようのない恐怖に従って逃げる。その心中で叫ぶ。彼の声を。彼と明日を迎える為に走って――。
「――あ……」
躓く。足が止まる。目を瞑る――。
(――? この感覚……そっか。私、死んじゃったんだ……)
足に地面と接触する感覚はなく、浮遊感を覚える。冷たい風が頬に当たる。背後の恐怖に命を奪われたのだと悟った。出来る事なら別れを――少女は悔やんだ。幾ら両親が教徒であろうと、科学が発達したこの現代で天国は信じ難い事だった。
いや、天国があったとしても――死して尚こんな考えが出来るのだ、多分ある。魂も幽霊も。ついでに天使に悪魔。それを踏まえた上で逝けるかどうかも疑わしい。彼を思って何度も描いた妄想が淫らと見なされ煉獄に堕とされるかもしれない。煉獄とは比較的罪の軽い者が堕ちる地獄の事である。
そこで罪を償えば、天国へ逝く事が許される。天国で彼を見守りたい。彼にはそこへ来てほしくない。彼と再会出来るのはもう暫く先になるだろう。寂しくないといえば嘘になる。
――なのにこの身は今、優しさに包まれているかの様に感じた。抱きかかえられたかのような圧が身体に掛かり身体を支え、安心感を覚える。優しい香りが鼻腔をくすぐる。それらはまるで、母に抱かれたかのような感覚だった。左手が掴むそれは覆い切れない程に大きく、柔らかい――。
(――ん? 柔らかい?)
宙に浮いた感覚。それは認める。母に抱かれたかのような安心感も百歩譲ろう。
(――逝く最中でも感じる左手の感触は千歩譲っても分かりません!)
真実を理解しようと目を開き――また絶句。眼下に臨むのは屋根、屋根、屋根――。左から右へと過ぎ去っていた。目線を上げれば、見渡す限りの町と蒼天の地平線――。少女は宙を浮いていた――否、飛んでいた。
「大丈夫か?」
「……え……」
頭上からの声。果楠は更に視線を上げる。流れるような滑らかで煌めく金髪。端麗な顔立ちは美しくも鋭さを兼ね備えていた。真っ直ぐな人――果楠はそんな女性に抱きかかえられていた。そんな女性のそれを握っていた。果楠は左手を見る。自身のその手が掴むのは――。
(白くて柔らかい……――メロン? もっと大きい……スイカ?)
「んぅっ、ちょっと――胸を揉まないでくれ」
「え……え――、ええ!?」
驚愕する。自身の頭と同じ大きさの、山脈の如き胸をすぐ目の前にしていた。命の恩人の胸を鷲掴みし、あまつさえ揉んでいる。そして自身はそんな容姿端麗な女性に抱きかかえられている。そんな女性は屋根伝いに空を跳んでいる。驚く要素があまりにも多いので少女は困惑して目を回す。
「降りるから気を付けて!」
「は、ひゃいッ!」
強さと美しさを感じるその声に反応して、果楠は返事を噛みながらする。果楠を抱える女性は建物の影と影の間に着陸した。
「いいか。このまま真っ直ぐ逃げるんだ。途中周りを確認して安全を確かめて」
「は……はい」
少女は今度こそちゃんと返事をした。果楠を抱えた白衣の美女はそのまま二階建ての建物を飛び越え、先程とは反対方向へと向かっていった。
「…………私も」
果楠は左手を何度も開いては途中まで閉じてを繰り返し、呟く。
「胸がおっきかったら、聖君に喜んでくれるかな……」
数瞬だけ、少女は誰しもが抱く夢へと馳せていた。
ハーレムその2
留華果楠
属性:幼馴染・茶髪・眼鏡
親が修道院に通う教徒である事がきっかけで、幼い頃より聖とよく遊んでいた幼馴染の少女。
聖自身は付き合いの長さと何度も世話になった事もあってか、誰よりも果楠の身を案じている。対して果楠は聖に好意を持っているが、本人は勇気が出せずにいる。聖はそれに気づいていない。
互いの両親は聖に対する果楠の気持ちについては気が付いているが、青春を謳歌する若い男女の間に入るのは野暮で、将来的にも2人の考えと力だけで解決出来るようにという考えの下、じれったいのを覚悟の上で極力静観に徹している。
趣味は読書。純文学やライトノベル等、恋愛作品を好んで読んでいる。
将来の夢は作家。
その想像力を生かしては聖との甘い一時を妄想してしまう時がある。
体型は一般的な女性の体型とそれ程変わらないが、本人はスタイルが良くなりたい願望がある。
好意とは別に聖を思い、考える事がある。