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3節 決意が示した顛末

 黒煙と炎が立ち昇る住宅街。その一角で、割れたガラスに映り込んだ自身の姿を見て慌てふためく若い女がいた。

 髪型は左に纏めた金髪のサイドテールに、むっちりとしたグラマラスな体形で金色のラインが入った白い装束を身に付けている。手足には軽装ながら防具が取り付けられていた。


 〝彼女〟は胸の大きな膨らみを手で掴んで持ち上げる。自身から実っているというのに、それを驚愕した。何故なら彼女は本来は〝彼〟――男の聖なのだから。


「何だよ、これ……」


 口調には似合わない、艶のある声が耳を通して頭に響く。俺は男なのに何故――聖はそう思う事しか出来なかった。


『どうした? 聖』


 困惑している中、幼女の声が突如、脳内で響いた。聞き覚えある声。それは、聖に力を与えると言った、アナと名乗る謎の全裸の金髪の少女のものだった。


「んな!? お前! これどうなってるんだ! 聞いてないぞ! 女になるなんて!」

『説明はしていなかったからな』

「訳の分かんないデカブツを倒したと思ったらこの格好!? そりゃぁさっきの()もお姉ちゃん言うわッ!!」


 怒りに任せて口早く文句を溢していると、女体化した聖から光が放たれ、瞬く間に少年の身体は元の男体に戻った。


「あ、戻――……ッ!?」


 言い掛けたその直後、聖の全身から力が抜けて意識が一瞬だけ途切れる。瞬間的に視界が暗転すると同時に膝から崩れ落ちるようにその場に座り込むと、急速に異常なまでの空腹感が襲い掛かった。それは、腹と背の皮がくっ付くという表現では物足りない、腹部を抉り取ったかのような喪失感で埋め尽くされていた。


「腹減ったッッッ…………?」

「聖。其方、栄養を摂取していないのか?」


 アナの声が後方から響くと、重い頭を持ち上げて聖は振り返る。背後に、全裸のアナが聖を見て立っていた。


「栄養……ッ?」

「他の言い方だと……いや、食事の方が適切か」

「飯食おうと思ってたら、お前見付けてそのままだよ…………てか裸……」

「……――ああ。全裸の姿(このじょうたい)は論理的に不適切なのか。では、衣類を着用しなければいけないな。しかし、衣類がここにあるかどうか……これでいいか」


 アナは、面倒臭そうに地面の上に転がる瓦礫の山を掻き分けると、中から土埃に汚れた黄色いTシャツを拾い上げ、不慣れな動作で難しそうに着た。


「さあ、戻ろう。吾輩も栄養摂取……――食事をしたい。先程食べた苺の分の栄養が無くなった」

「何てがめつい……!」


 アナの図々しさを感じさせる言葉に、聖は呆れながらも怒りを込み上げた。が、空腹故に上手くはいかない。仕方なく、重い身体に力を込めて何とか立ち上がろうとよろめきながら身体を起こすと、後方から聖の名前を呼ぶ少女の声が聞こえた。



「――! 聖君!?」

「果楠か!?」


 反対側の瓦礫の向こうから声に反応して聖は振り返ると、そこには聖の幼馴染で同級生の果楠が駆け足で歩み寄っていた。その格好は朝にあった制服姿でない、白いカットソーに紺のスカートを、青いスニーカーを履いた私服姿だった。


「どうしたんですか!?」

「そっちこそ、何で!? ここ俺等のいる地区の隣だぞ?」

「私は欲しい物があってここまで来て、そしたらこんな事になって……――。これって一体……」


 見るも無残な姿へと成り果てた街の変わりように、果楠は戸惑いから聖へと尋ねると、アナが聖に代わって勝手に答えようとし出した。


「ああ、実は――」


 アナが言い掛けたその直後、聖は必死な形相を浮かべてアナの口を手で覆って説明の阻止をすると、そのままアナを抱き抱える。


「あー! あー!! えーっとね! 俺も分からねぇ!! ここにいると危ないし、早く行こう!!」


 アナが言ってはいけない事を言おうとしている――本能的にそう察した聖は、慌てながらもアナの口を手で封じると、そのまま抱き抱え上げて喋るのを防ぐ。


「え、はぁ……そうですねぇ……って聖君。その()は誰――って、その娘どうしたんですか!?」


  大声を上げて驚く果楠の視線に、聖も合わせて目線を下ろすと、それは自身が抱き抱える裸足で大き目の(・・・・・・・)ワイシャツ1枚だけ(・・・・・・・・)の、裸同然の格好のアナへ向けられたものだった。


(まっず!!)

「こ、これはその、この娘はその……――檀家さんが海外へ長期で出かける事になってだな、その娘さんなんだよ! 預かる事になってさ。――騒ぎに興味持って家から飛び出して、それで格好はだな、着替えが無くて仕方なくシャツ着させてるだけであってだな……」


 聖は咄嗟に考えなしで口早に嘘の理由を言い切る。馬鹿正直に『町に謎の巨大ロボットが暴れまわっているのを、自宅から突然現れた人間じゃないと自称する全裸幼女と合体して超人へと女体化して撃破した』などと言える訳がない。信じては貰えないのは尚の事、信じて貰ったとしても確実に面倒な事態になり、果楠にも迷惑が掛かる。


 それを直感で悟った聖の行動。が、流石に無理があるのではと内心不安で仕方がない。冷や汗を額と背中に流しつつ果楠の反応を窺っていると、果楠は一瞬だけ疑うような険しい表情を浮かべ、すぐに何時も通りの表情に戻った。


「……そうなんですか……――大丈夫、怪我してないですか?」

「あ、ああ……」

(疑われてない……疑ってないのか……――でも、助かった……)


 少年は息を殺しつつも安堵の呼吸をする一方、果楠は聖に抱き抱えられるアナに近付いて声を掛けた。


「あなた、お名前は?」

「うむ、吾輩の名前はアナテマだ」

「アナテマちゃん……変わった名前だね……アナちゃん、って呼んでいいかな?」

「構わない。アナテマは総称だからな、吾輩という個体識別に使うのならば問題はない。先程、聖とも話してる時にそう決めた」


 外見の年相応に似合わぬ固い口調と言葉。異様な喋り方に、果楠は思わず首を傾げる。


「――? 変わった娘ですね」

「ちょっと哲学的というか、なんというか……な? ――果楠、家に古着ってない? 貰えると助かるんだけど……」

「はい、良いですよ。私ので良かったら、構いませんけど…………」




 鶴崎市の一角にある2階建ての住宅。その玄関先で扉の横の壁に聖は寄り掛かっていた。その家は果楠の家であり、今は家の中で果楠がアナに服を着させている。外で待つ聖は、踵で地面を何度も踏んでは音を鳴らして暇を潰す一方、自身のあの姿について考えていた。


 聖櫃(アーク)と呼ばれる謎の箱型物体と人間ではないと自称する幼女アナ。そのアナが与えた戦う力は見た目が女へと変わるものだった。だが、その力は超人的。3m以上はあろう石像の様な得体の知れない敵を倒す程の力を持っていたのだ。


 ――アーク。それは、旧約聖書に存在を記された箱。別名〝契約の箱〟〝聖櫃(せいひつ)〟とも呼ばれ、純金で覆われた長方形の箱である。中には神から与えられた10の戒律〝十戒〟が刻まれた石版が入っているとされる。または、天から降る霜のような甘い食物〝マナ〟を入れた金の壺、十戒を与えられた人物の兄が持っていたという杖も納められていたとも。


 アナが言うに、アークの、ギアマリアの開発者は義父の秦だと言っていた事を思い返す。開発者が唯一神を崇める西洋宗教の神父故にアークなのかと聖は顔をしかめる。――自ら生み出しておきながら、ギアマリアという力は神から授けられたモノだと言いたいのか。


(女に変わって……んで体型もかなり変わって、そのくせ無茶苦茶強くて……一体何なんだ? 親父がアーク(あのはこ)を作ったって……親父はただの神父だろ? 若干スケベ入ってるけど。けど、俺は元は孤児だし、会ったのは今から10年も前だからな……埃も被ってた。随分昔なんだろうな……でも、そんな昔にあんな物作れるものなのか? というか、そもそも世間で聞いた事がない。人間が生み出せる物なのか?)


 聖は自分なりに考察を続けていると、空で何かが光る気配を感じた。


「え? ……気のせいか?」


(んで、何だっけ……そうだ。造れるかどうかだった。そういえば、名前は宗教ばっかだな……どう見てもアークは機械だろ? 倒したデカいのだって、どう見ても機械だった。奇跡で出来てるって訳じゃなさそうだし……本当に機械で出来てるなら、何て言うんだっけこういうの。娯楽の漫画とかアニメとか…………――え、え、え、え、SL? SS? こういう奴のは見ないし興味がないからなー……料理の本か聖書か、家事しかしてないからな……)


 考えれば考える程に、湧き水の如く際限無く溢れ出て来る疑問と〝S〟の後に続く言葉に見当が付かない悩みに、聖は自問自答しながら思考して何とか答えを捻り出そうと頭を回す。しかし、先程から身体と思考を蝕むように遅い掛かる空腹感が邪魔をする。そして思考を確実に止めたのは、扉が開く重い音だった。


「お待たせしました~」


 声に反応して振り返ると、そこには白いフリルの付いた青いワンピースを着て、サンダルを履いたアナが立っていた。その後ろでアナの肩に手を置く果楠の眼鏡のレンズはキラリと光り、その顔はドヤ顔の様な、自信に満ちた顔だった。


「どうですか! 可愛いと思いませんか!?」

「おー。似合う似合う」

「似合っているのか」


 アナは視線を下ろし、ワンピースを見てスカートの端を持って呟く。


「ああ」

「ええ! 勿論ですとも!! 奮闘しました! むっふーん!」

「ああ、本当に助かった。じゃあ果楠。服の礼をしないとな――」

「あ、いいえ、どうぞ。もういらないものですから、あげます」

「そうか? すまないな……」

「その代り、ちゃんと服を着させてあげてくださいよ。下着も穿いていないなんて信じられません」

「それは……すみません」


 聖は只々謝るしかなかった。誰も知らない嘘を吐いた事も含めて――。




 修道院に帰宅した聖とアナ。聖は帰った矢先に庭へと向かった。裸の幼女が苺を食べているだけでも有り得ないのに、そこから車が飛び込み、庭の地面が崩落し、更には女体化したと思えば、3メートル以上はあろう機械仕掛けの怪物を倒すという白昼夢のような出来事が半日も掛からず起こった。おいそれと信じられる訳が無い。今でも夢を見ている気分で仕方がないのだ。


 苺は無事な筈――夢だと思い込んだ途端に何処からともなく現れた希望の光に誘われるかのように、目的地へと歩いていく。目の前にあったもの――整えられた芝生が敷き詰められ、その隅に設置された白いビニールハウス――は無かった。


 あるのは奈落。淵がジグザグで歪な形をした穴だけがそこにあり、傍の芝生は苺の果汁が飛び散ったのか赤く染まっていた。聖は膝を落とし手を突く。白昼夢でも幻覚でも、寝ぼけている訳でもない。あるのは現実。庭は崩落し、苺もビニールハウスも潰れていた。


「マジか……マジかよ……マジだな……――マジなんだな、ハハッ」


 狂ったかのように空笑いしながら落ち込むしかなかった聖に、背後からアナが声を掛ける。


「聖、客人だ。迷彩服を来た男だ――自衛隊という奴だろ」

「自衛隊?」


 何とか気持ちを切り替えて立ち上がると、玄関先へ向かった。そこにいたのは20代後半の迷彩服を着た男だった。


「失礼致します。自分は、陸上自衛隊の田中陸曹であります。あなたは、こちらの修道院の関係者でしょうか?」

「そうですが、どういったご用件で?」

「先程、この近辺で大規模な事故が発生しました。住宅の破損、死傷者及び鉄道や道路にも影響が出て帰宅困難者が多数続出しております。近隣の学校や病院、駅には避難所として一部の敷地の開放を呼び掛けておりまして、こちらの修道院も避難所として敷地の開放にご協力をお願いしたいのですが」


 その言葉を聞いた時、聖はある事を思い出す。


「……そっか。うち、非常時の避難場所に登録してたんだった」


 地震等の災害といった非常事態が起こった際、自宅待機が不可能・危険な場合は宗教施設を避難場所として活用しようという呼び掛けが行われている。聖の住む修道院もそうだった。非常時は避難場所として敷地を開放するよう、秦から説明を受けていたのを思い出した。


「あ、はい。分かりました」

「ご協力、感謝します。では、1時間後に避難する方々が来ますので、よろしくお願いします」

「分かりました」


 挨拶を交わすと、隊員達はお辞儀をしてその場を去った。隊員達は、これから救助作業へ向かうのだろう。聖も、これよりやって来る避難者の為の準備もしなければならないが、自衛隊員の言った言葉が頭から離れなかった為にその場で考え込む。


 大規模な事故――自衛隊員はそう言った。だが聖は知っている。それは事故ではない、クルセイドと呼ばれる機械の様な巨大な化け物が襲って来たからだ。自衛隊は知らないのか。はたまた謎の機械仕掛けの化物という存在によって起こり得る混乱を防ぐ為に嘘をついているのか。事故(・・)と言った事に深読みするように瞬間的に自問自答するが、その考えとは関係ない言葉が出た。


(――いや。今はその時じゃない、今すべき事を――)

「どうしたんだ?」


 背後からアナが話し掛けて来た事で、聖の思考はすぐさま切り替わる。


「この後、沢山の人が来る……機動兵器に襲われた人達が」

「其方が守った者達だな」

「でも死傷者って…………死んだ人もいるって……」

「だが守った。これ以上の死傷を防いだんだ。誰もお前に助けを求めた訳ではない。吾輩と其方が勝手に助けたのだ。感謝も無ければ咎も無い」

「咎められない……か……」


 勝手にやった事。故に感謝も咎も無い。とはいえ、後悔の念は抱いていた。もっと早くアナを、アークを見付けていれば。ギアマリアになっていれば、死傷者はもっと減らせていた。――もしかしたら0に出来た可能性だってある。悔やんでも悔み切れない思いが腹の底から湧き上がるが、同時にあの少女の、寸での所で助ける事が出来た少女の言葉を思い出す。少女は言った。『ありがとう』と――。


(その後の『お姉ちゃん』はちょっとアレだが……――ぁあ。考えてもキリがない)


「……良し、やるか」

「やるって何をだ?」

「炊き出しだっ!」

「炊き出し……――食事かッッ!!?」


 炊き出しが食事だと理解すると、アナは途端に目を輝かせて口を開き、涎を垂らしてあからさまなアピールを見せ付けた。聖は口元を上げ、アナの頭に右手をポンポンと乗せて撫でた。


「その前に仕込みだ。それに、炊き出しは後で来る避難民(みんな)の為のものだ。食べさせてやるけど、後でな。手伝ってくれるか?」

「致し方ない。分かった」


 そう言って聖はアナを手招きして誘導して修道院の奥へと向かった。向かった先には、ガレージ並の広さはあろう大きな倉庫があった。鍵穴にあたる部分に取り付けられたプッシュ式暗証番号錠を、ボタンを押して開錠すると、金切り声のような甲高い音を出しながらスライドして開く。扉が開き切って倉庫内の暗闇に陽の光が差し込むと、流れ込んだ外気によって室内から埃が吐き出される。それを吸い込んだ聖はむせた。


「ゲホゲフッ! ……っとー……」


 聖は倉庫の闇へと足を踏み込むと、外から入る光りを頼りに中にある物を探り出す。邪魔な物を動かす度に舞い上がる埃にむせ返りながらもそれを見つけ出した。


「鍋か」


 アナが言った物、それは聖の上半身を隠す程に巨大な寸胴。中に入ればアナ位の子供は3~4人は楽々と入る事が出来るサイズだった。


「人数多いからこっちの鍋でな。後――」


 聖は再び倉庫の闇へと向かうと、今度は寸胴よりも一回り小さい円柱状の物体を持って来た。


「これは?」

「炊飯ジャー。業務用のだよ」


 炊飯ジャーと寸胴を1度並べて置いた後、保温ジャーを寸胴の上に載せてから寸胴の取っ手に手を掛ける。


「手伝おうか?」

「いや、持てないだろ」


 聖がアナを子供と一蹴するも、それが気に食わないアナは顔をしかめ、寸胴の上にある保温ジャーに手を掛け、発泡スチロールを持ち上げるかのように軽々と持ち上げた。


「持てるぞ」

「うっそ強いなオイ!」


 結局、保温ジャーどころか寸胴すらもアナに持って貰い、一旦2人はキッチンへ入る。寸胴と保温機を床に置くと、聖はアナを見下ろして問い掛けた。


「アナ、切りもの出来るか?」

「キリモノ? 何だそれは?」

「えっと……これからカレー作るんだよ。だから具材を切って貰いたいんだけど……」

「具材の細分化か。方法を教授してくれるのなら習得しよう」


 アナの固い言い回しに、聖は意味が理解し切れずに戸惑うも、数秒考え込んだ内に、自分なりに解釈をした。


「――分かったって事か?」

「そういう事になるな」

「よし、じゃあ働いて貰おうか!」


 そう言って聖は壁に掛けたまな板と皮剥き器(ピーラー)とペティナイフ、戸棚から大きなボウルとタオルを複数作業台の上に置く。タオル2枚とペティナイフとピーラー、ボウル1つをシンクの中へ入れて器具は水道水と洗剤で洗って水気を切って拭き用タオルで拭き、タオル2枚は水を含ませて絞ると、アナの前の作業台に置いた。


「アナ、好き嫌いあるか?」

「何の好き嫌いだ? 詳細な意味を適切に教えてくれ」

「えっとねぇ、食べれない物だな」

「有機物は基本摂取可能だ。強いて言うなら不味い物だ」

「じゃあ無いな」


 アナの好き嫌いを確認した聖は、今度はボウルを1つ持って業務用の巨大な冷蔵庫の下へ向かい扉を開いて食材を確認。


 人参、玉葱、ジャガイモ、ズッキーニ、茄子、ブロッコリー、キャベツ、トマト、アスパラ、エリンギ、舞茸。冷蔵庫にある野菜で、カレーに使えそうなものをありったけ、ボウルに入る分だけ入れて取り出した。


 それらを一旦シンク横に置き、ズッキーニを2本取り出してサッと水洗いすると、水気を切ってアナの近くに戻り、台にタオルを広げ、上からまな板を乗せる。


「んじゃ手本でズッキーニな」


 そう言って聖は、近くの椅子にアナを昇らせて視界を高くし、まな板の上にズッキーニとナイフと濡らしたタオルを用意すると、タオルを右端に置いてナイフを持つと、ズッキーニの両端を切り落とし、長い可食部を斜めにし、回しながら一口大に切り分けていった。〝回し切り〟と呼ばれる、基本的な包丁技術の1つである。


「こんな感じに、野菜切ってくれ。指には気を付けてよ」

「了解した」


 聖はアナの立つ椅子の前に調理道具を移すと、自分はシンクの下に向かって残りの野菜を洗って汚れを落とし、ジャガイモと玉葱と人参の皮をピーラーで剥いていく。


「聖。切り終わったぞ」

「ああ。今洗った分持って行くから」


 ボウルに洗浄済みの野菜を入れて幼女の下に運ぶと、インターホンのチャイムが鳴り響いた。


「げ、もう人が来たのか」

「行くのか?」

「ああ。水やシートを出さないといけないんだ。元気な人にも手伝って貰うつもりだけど……――料理出来る人達いたら炊き出しの準備(こっちのてつだい)を頼んでみるから。やりながら待っててくれ!」

「了解した」


 聖は駆け足で厨房を後にすると、アナは横に置かれたジャガイモに目を向けた。


「エネルギー残量が無いな……致し方ない」


 そう言ったアナはジャガイモを1つ掴むと、口を大きく開けてジャガイモを大きく齧り、咀嚼した。


「うむ……生の芋類の摂食は良いものではないな。やはり加熱してからだな……――聖も吾輩同様、何も食べてなくて空腹(エネルギーぶそく)の筈なのだが、元気だな。倒れないと良いのだが」


 そんなアナの心配を他所に、聖は帰宅難民者や住居にいられない者達を受け入れていた。穴の開いた裏庭にはテープで侵入禁止にし、倉庫からシートや非常食、水を取り出して配布。体力に余力のある人達を呼んでは、礼拝堂の長椅子を端に退かして施設を開放した。更にガスタンクとガスバーナーを取り出し、屋外でも料理が出来るよう用意した。


 作業を終えると聖はすぐさまその場を後にし、急いで厨房に戻ると、野菜は全て細かく切られ、複数のボウルの中で山積みになっていた。


「おお、聖か。37秒前に終えた所だ」

「ありがと! まだあるから!!」

「まだやるのか?」


 無機質ながら出された言葉は、何処かウンザリとしたような気怠さを感じさせる声だったが、それを無視して聖は腹の底から声を出して指示を出す。数時間前まで、空腹で倒れてしまいそうな程だったのに。


「冷蔵庫の使える食材全部使うから! 1回その食材と寸胴を外に出すから手伝ってくれ!」

「なら、鍋に全て入れてからの方が早いだろう」


 アナの提案を受け、聖は床に置かれた寸胴に食材を全て入れると、聖よりも遥かに筋力があるアナが巨大な寸胴を持ち、外にガスバーナーがある趣旨を聖から聞いて裏口から外へ出た。一方、聖は冷蔵庫にまだ残る野菜を取り出し洗浄。皮を剥いて作業台に置いておくと、アナが戻って来た。


「聖。江洲(えす)と名乗る女が来たぞ。料理を手伝ってくれるそうだ。それとガスに火を付けたい。油や酒もあればとの事だ」

「江洲さん? ミサによく来る人だ。分かった、じゃあ江洲さんにカレーを炒めて貰って、アナは残りの野菜を切ってくれ。俺は肉を切るから」


 人手を確保した事で作業効率が上がった聖達は、調理のペースを上げていく。


 聖は肉を切り終えると大量の米袋を取り出し、洗い、炊飯の準備。その傍らではカレーを煮込む作業。更には続々と来る避難民の受け入れ。聖は疲れた身体に鞭を打った――。




 時刻は19時を回り、日が沈んで夕闇に包まれる鶴崎市では、所々に点々と強烈な光が灯っていく。


 それは自衛隊による、工事現場等で設置される大型のバルーン照明から出される光だった。

 光と当時に周囲に響き渡るアナウンスにより集まる人々は、自衛隊の隊員達から食事を受け取り、一時の安堵に付く一方で、隊員達は引き続き救助作業を行っていた。


 そんな中、人々が集まる修道院。その敷地内の聖堂や庭にもバルーン照明が設置されて周囲を照らし出し、小型発電機が唸り声を上げて電気を生み出す。


 敷地内では食事を貰う為の列が出来ており、その最前列ではカレーを用意した聖が食事を提供していた。アナや顔見知りの主婦達も協力し、使い捨ての容器にライスカレーを盛り付けて配っていった。


 カレーを人々に配り終わったのは、日が完全に沈んだ後の事だった。黒い空の下、最後の1人にカレーライスを渡し終えた聖は大きく背伸びをして肩を回す。


「くっそ疲れた~~。皆さん、カレーの配給、わざわざありがとうございます」

「いいえ~。こっちもカレーを用意してくれてありがとね」

「じゃあ、僕はまだやる事あるんで、カレーをどうぞ」

「じゃあお先に頂くわ」


 主婦達に別れを告げた聖はアナを呼ぶと、建物の影に移動した。


「どうした、聖」

「ようやく落ち着いた。さて、説明して貰おうか。お前が与えた、ギアマリアって力について」

「ああ、その事か。良いだろう。――しかしその前に」


 そう言ったアナは、聖に両手を突き出した。


「先にカレーをくれ」


 目を輝かせ、生き生きとした声でカレーを求める少女に、聖は項垂れた。

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