5節 また子羊は殉じろと声を聴いた
隣町に電車で到着した聖とアナは、互いに手を繋いで離れ離れにならないようにしながら歩いていた。アナは空いた手で甘味処のチラシに書かれた割引対象の商品を、目を輝かせながら吟味していた。
「あぁ……何を頼もうか。あんみつ、団子、鯛焼き、羊羹、カステラ、ぜんざい。飲み物も牛乳に抹茶入りの各種ドリンク。ラテかココアかミルクセーキ……」
「着いてからでいいんじゃないか?」
「昂ぶりを抑え切れぬのだ。恐らくスイーツ女子で行列が出来ているだろう。しかしその行列を耐え忍んだ先に待っているのは甘く香しい蜜の園。まろやかで優しい甘味は舌を包み込んで官能的な刺激を脳髄へと流れ込むのだ。その快楽はまさに蕩けるように広がっていく。そう考えると…………ぅぅぁぁぁああああああっっ♡」
アナは緩く締まりのない恍惚とした笑顔を曝け出すが、顔の力が流れ込むように聖と繋いでいた手の力が急激に強くなる。
「痛たたたたたたたたッッ!!!!」
「――おっと、済まぬ。力が入ってしまった」
少女のの余りの力の強さとその痛みに耐えかねて聖の身体はくねって今にも転びそうになると、アナは思い出したかのように手を離す。涙目になりながらも聖は握っていた手を空中に振ったり、もう片方の手で揉んだりして痛みを和らげようとした。
「ったぁあもぉー。勘弁してくれ……」
「あれだな。熱弁すると強く手を握り込んでしまう現象だな」
「何を言ってんだか……」
「では聞くが聖は何かを食べたいものを決めてないのか?」
「うーん……」
再度手を繋ぎ直す両者。アナは下から覗き込むように上目遣いで聖に問い掛けると、聖は少し悩んだ末に――。
「…………サーター……アンダギー?」
「何故それを選ぶ?」
「歯応えあるもの食べたいって気分になった」
「鯛焼きでも良いだろうに」
「もっとしっかりしたのがいいな。でも後で一緒に頼むよ」
「ちなみに聖は鯛焼きは何処から食べる?」
「頭だな。魚卸す時も頭に包丁入れるし」
「そう言う理由ではない――む?」
すると突如、アナは視線を前方に向けて歩みを止めた。気になった聖はアナへと顔を向けると、少女は眉間にしわを寄せて、何時になく険しい顔を浮かべていた。
「ん? どーかしたか」
「……間違いない。アナテマの固有周波数を感じた」
「え?」
「ギアマリアが……しかも以前の黒聖女に近い反応だ」
「何ッ!?」
アナの言葉に聖も同じ方向を睨むように向けた途端、向こう側から爆発音が轟いた。
「アナッ!! 行こう!!」
「行くのか? 戦わないと決めた筈なのでは?」
「そんな事言ってる場合ッッ――っく……」
場合じゃない――力を込めてそう発しようとした瞬間に、父の秦の顔が脳裏に過った。父との約束――戦いに自ずと関わらないようにすること。それは聖の身を案じる人達に迷惑を掛けないために、何よりも自分自身を大切にするために。だけど、それでも――。
「……行こう」
「行くのか」
「爆発が起きてる。知らんぷりしたら人が死ぬ。気を引かせるんだ、守護者団の日本支部が来るまで」
「時間稼ぎか……良いだろう。吾輩は其方の力だ」
「……ありがとう」
「それにこのままでは甘味処が臨時休業してしまう」
「……そうだな」
聖は意を決すると、近くの通りの路地裏に入って一目から遠ざかると、腕を×字に組んだ。
「……クロスアップ!!」
腕を回転させて十字にして、一文字の腕を引き抜くように振り払うと、アナの身体が光ると同時に、そこから解き放たれた数珠状の光――ロザリオ・フィールドが聖を包み込んだ。
光が全身を覆うと、聖の身体は縮むと同時に身体付きが変わり、頭の後頭部左よりに一筋の帯が伸びる。すると光が砕け散るように消えると、アナと1つになった聖は白い露出度の高い衣装を身に纏った金髪の少女に変貌した。
「……少しの……間だけだ」
そう言い聞かせるように、許すように呟いた聖は、一気に跳躍して建物を飛び越え、煙が昇る場所へと向かった。
「何処だ…何処……――」
『右下方距離40m、そのまま降下しろ。格好が違うから分る筈だ』
「分かった!」
ギアマリアはアナの言葉に従ってビルを飛び降りて大通りに着地して右を振り返ると、左右を悲鳴を上げて逃げ惑う人々がすれ違いに走る最中で唯一つ違う存在がいた。
「黒い……女?」
灰色を基調にした体色の女体の上に、胸の中央部に長方体が血管のようなもので浸食するかのようにして身体と癒着している。それに近い腹部と肩は黒錆に近い質感の装甲で覆われ、四肢はズタボロの細長い布が締め上げるようにして巻き付いていながらも、ボロボロ端は長方体と同じように癒着している。
二の腕からは瞳孔が2つ横に並んだような眼に似た物体が取り付けられ、腰には丸みを帯びた細長い板が腰の左右と後部に合わせて4枚。手の甲と足を挟むようにそれぞれ、縁取られた厚みのある円盤が取り付けられていた。
顔は気味の悪い色白で、上半分を穴の無いマスクが覆っていた。
『全身ほぼ真っ黒黒すけ……以前の黒聖女にそっくりだ。そっくりだが所々のボロさと過剰な装飾がかえって差別化の要因と安っぽさを感じる。まるで模造した粗悪品だな』
「粗悪品……何だろう、あの姿、前の敵とは別に何処かで…………てか違う! おいあんた!!」
冷静に何かを考えてしまいそうになった聖は、今最優先すべきは正体不明の謎のギアマリアらしき存在の破壊活動の防止であったことを思い出すと、阿鼻叫喚で埋め尽くされる町中でも分かるように大声で呼び掛けた。声は届いたのか、相手は聖の方へと顔を向けた。
「こんなことして何になる!」
『なるようだから暴れてるのでは?』
「そうか……」
すると黒い女は何かを呟き始めた。
「――ぃ。――くぃ」
「何か言ってる?」
「――くい、憎い、憎い、憎いッ!!」
次第に荒ぶり、大きくなる声。それは次第に憎悪が籠り始める。突然の変化に聖も狼狽えるが、正常と言えない状態の相手を宥めようと声を掛ける。
「え、あちょ、えっと……少しお、落ち着いて下さいませんか! 何かあるんでしたら話聞きますよ!?」
『先程の威勢は何処へやら』
「お前ちょっと黙れっ」
小さな声でアナを戒めるも、その内に相手は弾けた。
「車が憎いんだよおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」
突如つんざくような大声を叫び上げた黒い女はギアマリア目掛けて走り出した。
「え、ちょ!?」
咄嗟にギアマリアはヘブンズラックから小さな数珠状の光を通して盾を取り出してガードしようとするも、女は盾を押し退けて聖をどかしてそのまま走り去った。
「何!?」
『奴の進行方向に車がある、襲う気だ!』
聖は盾を捨てて振り返るも、既に女は車の目の前にまで迫って来ていた。
『間に合わない、狙撃だ! ライフルを!』
「ッ!!」
アナの指示を聞いた聖は咄嗟にギアマリア用に調整された対物ライフルを出して前方に向けると、アナが瞬時に照準補正、迷いなく引き金を引いた。放たれた弾丸は瞬時に相手の背面へと着弾、装甲を少し砕くと同時に姿勢を狂わせ転ばせた。
「……死んだ?」
『少し効いたが生きている。思ったよりも頑丈だな』
うつ伏せになった女はゆっくりと身体を起こすと、一瞬で聖に頭を向けた。すぐさま向けられたその顔は、目が無いのにまるで睨んで威圧するかのような雰囲気を放ち、聖の血の気を引かす。
「邪魔するなああああああああああ!!!」
怒声と共に女は走り出すと、手の甲に取り付けられた円盤が唸りを上げて回り出す。ギアマリアは反射的に銃の側面で受け止めた。割れるように響く金属との摩擦音と弾ける火花。下へ下へと弾くように働く力へと耐え凌ぐも、段々と摩擦によって熱を帯び始めて焦げた臭いが立ち上り始めた。
『聖、このままでは相手のタイヤとの摩擦熱で銃が暴発する』
「タイヤぁあ!?」
『ああ。見覚えがあると聖は言っただろう。腕のはヘッドライト、丸みのある流線形の装甲は車体。極め付けの手足の円盤はタイヤ。このギアマリアもどきは車の擬人化とでも言える存在だ』
「車だと……ッ!?」
聖がそう口にした瞬間、相手は一瞬だけ動きを止めると、先程よりも力が増して口元の歯茎が顔を出した。
「車……車ぁぁあああ!」
『車と聞いて怒り出して力が増した。左腕の力を抜いて身体を逸らしていなし、体勢を整えよう』
「んなこと言ったってなぁぁああああ!!」
上方から振り下ろされた攻撃は、加減を誤れば今にもそのまま押し負かされて叩き潰されそうな程である。しかし先に限界を迎えたのはライフルに身体ではなく聖の身体だった。上からの押え付けを支える二の腕に、痺れるような感覚を感じ始める。
(限界ッッ……日本支部はまだ来ないの――)
『聖、メールだ。日本支部からだ。確認するか?』
「ぁああ!? ――っと待てぇえええ!!」
余裕のもない状況に追い打ちを掛けるメール。理不尽の連続に遂に我慢が出来なくなった聖は、右腕だけで押し上げるようにしつつ左肘に意識を集中させて徐々に折り曲げ、銃を傾けると同時に女の姿勢を崩して転ばすと、瞬時にギアマリアはバックステップでその場から離れてメールを確認した。
〝聖君へ。
以前より、北と南で機装聖女もどきのヘルティガンディが多数出現しておりました。
それに対して日本支部では、派遣用に使う射出カタパルトを連続使用してしまい、つい数時間前に限界を迎えて使用不可能になりました。今、隊員を乗せた高速機を向かわせておりますが支部が奈良にあるので30分近く掛かります。勝手な申し付けではございますが、今しばらくの間、持ち堪えると同時に気を引いて被害を最小限にして下さい。
追伸。
出来るのならば早期撃破も構いません。急所狙いでなければ殺せず倒せます。
日本支部隊員より〟
(30分もかよ……!?)




