3節 屠られるべき羊
バチカンに存在する聖教守護者団国際本部。その施設内にある、白い照明で照らし出された清潔な廊下を、黒一色の神父服で身を包んだ代羽秦が早歩きで進んでいた。すれ違う本部の職員は、壁に寄って急ぐ秦に道を譲ると同時に、足を止めて挨拶をして見送った。しかし用事がある秦は彼等の返事を返す余裕が無く、手を軽く上げて小さく会釈すると、最低限の返事を返して走り去っていく。何人かの男女の職員を済ませていく内に進んでいくと、目的地の一室の前に到着して入室した。
入った部屋の中には、壁一面に雑に収納された資料の本棚が置かれており、床には乱雑に積み重ねられた本の塔が無数に聳え立っていた。それらが並ぶ部屋の中央部で、6台のモニターを前にして作業をしていた部屋の持ち主で科学研究部門室長のアレクサンド・カーターが出迎えた。
「〝ヘルティガンディ〟見付かったって?」
「何もここまで来なくてもいいのではないかい?」
「携帯使ってまでのやり取りとか面倒臭い。直接が1番早くて分かり易いさ」
「真面目だねぇ~~」
「んで何処だい?」
そう言いながらカーターへ歩み寄る秦は、身体を屈ませて目線を合わせる。カーターも隣に秦が立つと、今表示されているウィンドウを閉じて別のウィンドウを表示させた。ウィンドウには何処かの町の一角を上から見下ろす様に写した静止画が表示されていた。更にその端にある影の部分の画面をカーターが右人指し指でコンコンと叩いた。
「ここ。監視カメラに見切れてて気付けなかった」
そう言って親指も交えてモニターに触れて画像を画像を拡大。ソフトを使って画像の解像度を上げていく。
拡大された画像には、薄汚れた色合いの灰色に、黒錆の様な黒が混じる色合いの鎧を纏う人影の背後。明らかに常人の出で立ちではないのが見て取れた。
「聖が出掛けて襲われた時の町と、住んでいる町のクルセイドの残骸から固体周波数が同一だから同一犯と思ってたけど、やはりか。跡は追えた?」
「んにゃあ。めぼしいのは無し。引き続きやってみるけど、監視衛星のカメラには映ってないし、情報漏洩防止の為に記憶消去してるから目撃証言は期待出来ない。不謹慎だけどまた現れて大事してくれるのを待つしかないね」
「聖に一言言っておいた方がいいか……」
「アナちゃんに追加装備あげたから、一応は何とかなるとは思うけど」
「それどういう事? 聞いてないんだけど」
旧友の当たり前の様な口調で言われた思いもよらない言葉に秦が反応した。
「そりゃあ特に大事じゃないからね。追加って言っても廃材とかで組み合わせて調整した試作品ばかりだよ。弾丸の規格は同じで銃身を短くしてバランサー付けて片手持ちし易くしたカービンとか、長剣短剣の追加、ブースター付きアックスと大小のメイスと鎌とニッパーと色々とね。あ、ペネトレイターとかもついでに。別に大意は無いよ。単純に自衛用目的。それで戦う気持ちを上げた訳じゃない。それと市街地だと銃火器使えないでしょうから近接武器なるべく多くしたんだ」
「そういう問題じゃ……」
「言ったろ? また現れて大事してくれるのを待つしかないって。それが近くで起きた場合の助けにね。宝の持ち腐れで終わるのが最善さ。だけど世の中分からないでしょ? 以前から日本支部の方の、派遣用の飛行ユニットの射出カタパルトが不調で総入れ替えしたいらしかったけど、今回のせいに加えて、東北と中国地方辺りで他のへルティガンディが出て来てそれに掛かって入れ替えを渋り仕舞いだってさ」
「そうだけど……さ……」
秦は項垂れた。カーターの真意は、息子の代羽聖に武器を与えて闘志を駆り立て戦わせる事ではない。あくまでも聖の近くに危険があり、それに巻き込まれた場合に対処出来る様にとの配慮なのだ。だがこれは、あくまで最悪のパターンを考慮しての事。あってはならない事だ。
――そして秦は、このカーターの行動に何処か納得してしまっている所がある事が許せなかった。
カーターの考えを非難したいという訳ではなかった。自身の息子が人助けしたいというその思いは、称賛すべき行為であり、親として晴れがましい事である。なのにその為には聖はあらゆる人間性と善意と優しさを捨て去り、人々を守る為に失う事は当然という前提を常に、純粋なまでの非情さと冷酷さを以て、人々に蔑まれ、罵ら荒れ、汚れる状態になるのを承認しなければいけないのだ。
それは何としても防がなければいけない、認めてはいけない事なのに、非常事態ならば仕方ないと容認してしまったのだ。非常事態だろうと何であろうと、一片の欠片も許していけない正当化されて当然という認識の非道行為を。
秦は親として、聖にそうなって欲しいとは願える訳がなかった。寧ろ逆だった。それに苛まれて生きるのなら、寧ろ知らずに温かな世界で生きて欲しかった。
その為ならば、秦は見ず知らずの人を救って聖が傷付く位なら、聖を救う為なら他人を見殺しするつもりだ。そしてそれが、聖が守護者団への参加を尚更認められない理由でもあった。
――〝親〟である以上、唯一無二の家族である我が子を失うのならば、選択せねば助けられないのであれば、それこそ自身や他の親子を見捨てられる。だが秦は、聖教守護者団としての立場がある。
聖教守護者団は時として、宗教関連の戦闘が行われた場合には、それに介入する権利がある。それは誰かの生命が失われるという事。それは相手だけでなく、味方の生命も失われるという事。そしてこれに準じるのであれば、最優先すべきは極力は敵を打ち取る事であり、仲間の生存は二の次になる。言い換えれば目的の為ならば、大切なものを捨てなければいけないという事。
赤の他人を助ける任務ならば、寧ろ赤の他人だからこそ、無関係で無力な人々であるからこそ、その人達を危険から遠ざける為に、仲間を、家族を特別視して助ける事が出来ない。――聖を、見殺さなければいけない決断をしなければいけないのだ。
父親として我が子だけを救う。
職員として我が子以外を救う。
職務か身内への決断に対する迷いなど、当の昔に捨て去っている筈なのに、今でも愛おしい聖が、守りたい息子の存在が再び迷いを再燃させた。危険な目に合わせない為、苦しい決断をさえない為、自他共にしないようにする為に遠ざけたのに、その為に敢えて聖地奪還作戦参加までして心に傷を負わせてでも、それよりももっと重く恐ろしい事に巻き込まれまいと出来る限りをした筈なのに。
秦は、心の中で歯車が軋む様な音をするのが聞こえた。それは今後への聖に降り注ぐ危険への恐れか、はたまた、優しさの裏で聖に様々な苦しみを与えてしまっていたきっかけを作ってしまった罪悪感か、どんな選択をしても聖により良い未来を保証が確実に保証出来ない、不甲斐ない自身への無力さか。
ただ分かるのは、聖に重い決断をさせる事の恐ろしさと辛さがより一層近付いているのと、させまいと奮闘してきたが、まだまだそれか必要なのだと、再認識した事だけだった。
「秦……聖君が、ギアマリアの力に触れる事で実感してしまう心境を考えているね?」
「ああ……」
「彼には……力がある。だが優しすぎる。力を振るおうにもそれに伴う不幸が起こる。振るわなければ防げた不幸が起こる。しかし振るおうと振るまいも、絶対起こる不幸と否応に見せ付けられる理不尽さに彼は心を痛める。自問自答の様な自責と、絶対にどうしようも出来ない事なのに、何も出来ない無力さと悲しみで傷付いてしまう。迷いといえば甘く聞こえるだろう。だが即決すればそれは潔いだの筋を通すだの格好良くした所で見て見ぬ振りだ。コミックやアニメとは違って、僕等の取り巻くそれは勧善懲悪でスッキリ終わる程シンプルじゃない。……あの子の人生の、考え方の分岐点だよ。悪だからと、正義と為と容易に殺人をするかしないかどうかの」
カーターは語る様に、未曽有の危険がもたらす両極端でしか認められない、やるかやらないかの2択。考え過ぎかもしれない。単純に1つの予想にネガティブになり過ぎて話を膨らませし過ぎた妄想かもしれない。だがこれは、10年以上も傍で見て来た立場からこそ予想出来てしまったもの――。
(……主よ。今、私が考えている事は、荒唐無稽も良い所の妄想です。しかしそう考えてしまうのは、息子が、聖が余りにも人の残酷な側面を垣間見て育って、それに対しての立ち振る舞いをしてきたからといえるでしょう。彼は背負わなくてもいい罪を背負おうと手を差し伸べる優しさを持っています。しかしそれが彼を傷付けてしまっている! 彼に背負うつもりはないのです、ただただ、背負い苦しむ人の悲痛な表情を黙って見ておけないだけなのです。どうか、息子に試練のような事をさせないで下さい。彼の優しさがまず最初に向けられるべきなのは――)
秦は心の中で主に願いの言葉を読み上げると同時に、手を強く、小さく合わせた――。
◇
暗い部屋で、一角だけスタンドライトが弱く光る。唯一の光源によって姿を照らし出されていたのは、幾重にも黒い線で塗り潰された新聞の一面だった。右手で握る様に掴まれたボールペンは、上下にジグザグと依然として一点を集中的に、引き裂くように塗り潰す。
「憎い……憎いッッ、車ぁぁあ、憎いィいッッッ!!!!」
引き攣った声と共に掲げられたボールペンを握る右手は、ありったけの力を込めながら振り下ろされて新聞に突き刺さった。




