2節 子羊達は受け取った
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荒れ果てた町は、乾いた冷たい空気で満ちていた。剥き出しの地面には、トタン板で造られた簡易な小屋が遥か彼方にまで乱立している。荒れた地面には、薄汚れた格好をした少年や大人の男達がその場で立ち尽くしている者もいれば、横たわっている者もいる。幾つもある小屋の影からは、男達の怒号に混じって若い男女の喘ぎ声も混じる。
その一角で3人の男から打ちのめされた年端のいかないアジア人の少年がいた。男は力の限りに少年の腹を蹴りを叩き込む。
「グフッッ!!!」
「ケッ!! クソガキが!! 二度と俺等の食い物を盗むんじゃねぇぞ、ぶっ殺すからな!!」
男達はそう吐き捨てると、何処かへと去って行った。男達はいなくなって少しして、少年は汚れと傷に満ちた重い身体を起こし、這いつくばりながらも近くの小屋の壁際へと近寄る。
荒くも弱々しい息遣いながらも、その生命を必死に保とうとする少年の意識は、ゆっくりと沈んでいく――。
◇
視界が明るくなる。少年の目の前に映ったのは、焚火が入った一斗缶。
「お! 目が覚めたか、死に損ないの強運め!!」
「ほんとソレ」
少年の後頭部の方から子供の声。しかし、それは初めて聞く声だった。少年は振り返ると、そこにいたのは黒い肌と東洋人の少し年上の少年2人だった。
「だれ……」
「俺の名前はホーリー。こっちはセイクリッド。お前の生命の恩人だよ」
「おんじん……?」
少年は、〝恩人〟という言葉の意味が理解出来なかった。呆けた表情を浮かべる少年に、ホーリーは気付く。
「意味分かんないのかよ?」
「そんなのココじゃ当たり前だろ。まだまだガキだし、俺等だって恩人って言葉の意味は分かっても、読み書きなんて出来ないからな」
「ウッセぇえ!! 読み書きなんて後でどうにでもなるわ!!」
「え? っ?」
「あーあ。ホラ、こいつ困ってる」
「俺のせいじゃないだろ……お前、名前は?」
「なまえ……?」
呆けた様に喋る少年。その様子に、セイクリッドが気付く。
「あ、コイツ〝名無し〟だな」
「名無しか……親はいないだろうし、それに1人。あり得るな。まあ珍しくも……――いや、好都合か。――――さて、だったら話すか。俺はお前を助けた。その理由はな、お前に運があるからだ」
「うん……?」
ホーリーの言葉に、少年はまたしても意味が分からない。しかしホーリーは話を続ける。
「ココは失楽区域。掃き溜めみたいなトコだ。掃き溜めって意味は分からんが、ココみたいな事を言うんだろうな。そして子供は大人に殺されるか何処かに連れ去られるかのどちらかだ。なのに、お前は殴られ蹴られて、生きてて、見逃された。こういうのは〝運が良い〟というらしい。聞いた話じゃ、運が良い奴は凄い事が出来るらしい。凄い事が出来れば、きっと、良い生活が出来る筈だ!!」
目を輝かせて力説するホーリーは、ボロボロの少年に顔を近付ける。
「これも聞いた話だが、凄い奴の事を〝聖人〟と言うらしい! 嫌なものを無くせるらしいんだ!! きっと毎日、綺麗な水とパンを食べて、温かい場所にいるに違いない! 俺は聖人になりたい。だから、名前を変えた。ホーリーはその為の名前だ。ホーリーは聖人に関わる名前らしい。だから名前だけでも聖人にした!!」
ホーリーはそう言って、後ろにいるセイクリッドを指差す。
「後ろにいる奴はセイクリッド。俺1人じゃ大変だったから仲間が欲しかった。その時にアイツも名前をセイクリッドに変えた!!」
「本当はカールなんだけどな」
「それは言うな!! ――だからだ、お前も俺達の仲間になれ! そして一緒に聖人になって、良い暮らしをするんだ!!」
「せい……じん……?」
少年は、豪雨の如く矢継ぎ早に話をさせられて理解が追い付けない。しかし、それは強烈な何かなのは理解出来た。
「よし、お前の名前は今日から〝聖なるもの〟だ!!」
◇
3人組の少年達は、息を荒げながら舗装されてない道路を走っていた。その手には汚れたパンと干し肉、腐りかけの果物が抱えられていた。後ろで男が、鬼の形相で追いかけて来る
「盗人がクソガキがぁぁあああ!!」
「は、は! よし、このままいけば予定の分かれ道だ、一気に分かれるぞ!!」
「おう!」
「う、うん!」
「よし…………今だ!!!」
十字路に辿り着くと、少年達は一気に散らばって逃げる。背後の男は目標が突如増えた事で戸惑い、少年達を見失った。
「クソガキ共があああああああああああああ!!!!」
男は虚しい雄叫びを挙げる中、裏路地の奥で3人は合流した。
「よし! 今日も沢山盗れたな!」
「これで食うのには困らない……」
「聖人になるまで生きてやる!!」
◇
夜、静寂に包まれる失楽区域の、1つの小屋。小さな蝋燭で照らされた屋内は、それでも薄暗く、手元を移すのが精一杯だった。蝋燭の朧けな灯りで照らし出されるのは、小さな2本の右手。
「ホーリー……今日も帰って来ないね」
「そうだな。『かみ』とか『しんこう』とか、分からない言葉を言う変な大人達に付いて行って、何日目かな……」
弱気になるセイントと、静かに答えるセイクリッド。セイントは蝋燭の灯りを頼りに、汚れた小さいパンを掴み取って口に運ぶ。
「セイクリッド……あの人達は……皆に食べ物をあげてるし、来ればご飯を沢山、暖かい場所も用意してくれるって言ってたよ……俺達も……」
「いや、駄目だ。ああ言う大人に付いて行って、ソイツをもう一度見かけた事を俺はない。ホーリーも、それは分かっていた筈だけど……」
「そんな……」
◇
黒煙と火柱が立ち上る、夕暮れの失楽区域。瓦礫が転がる中を、セイクリッドとセイントが走っていた。
「はっは……」
「ッハ!! セイント、もうすぐだ! もう少しで区域の外に――――!」
「あう!!」
限界を迎えたセイントは足を躓き大きく転ぶ。先を走っていたセイクリッドは踵を返して駆け寄ると、乾いた破裂音と共にセイクリッドは突如その場に倒れ込んだ。
「セイクリッド!!」
「があああああああああああ!!!!」
悲痛な叫びを挙げてセイクリッドは自分の肩を抑える。少年の方からはおびたたしい量の血が流れ出ていた。
「……久しぶりだな、2人とも」
倒れる2人に歩み寄る、小さな人影。その手には、鈍く光る杖の様な物を抱えていた。
「ホーリー……?」
「ホーリー……お前……銃持ってるじゃないか……それで何をするつもりだよ?」
「コレは導師が聖別を施して俺達に与えて下さったものだ。俺達は選ばれた勇士だ、この失楽区域は不浄に満ちている。それを俺達の手で消し去るんだ」
己の行為を嬉々として語るホーリーの異様な様に、セイントもセイクリッドも絶句する。
「何で、アイツ等の所行ったんだよ? ああいうのに付いて行って帰って来ない奴等なんて沢山見たろ?」
「ああ、そうだな。だが、導師は違った。最初にあの方は俺の話を聞いて下さり、施しも下さった。優しかったんだ。そしてそれは、彼等が聖人達だったんだ。俺がなりたいものそのものだったんだ。だから俺は付いて行った。聖人になる為に。そして今、俺は聖人となった!! 聖人となって、不浄を排除しているんだ!! お前達も一緒に来れば良かったのに…………それを断ったお前達はここで死ね!!」
ホーリーは銃を2人に向けた瞬間、セイクリッドは雄叫びを挙げながら飛び上がり、ホーリーを押し倒した!!!
「うおおおおおおおおおおおお!!!」
「んな!?」
「セイクリッド!?」
「セイント! 逃げろ! 生きろ!!」
「あっ……あっ……」
「クソがぁあああ!!!」
「逃げろおおおおお!!!」
「あああああああああああ!!!!」
走るセイントの後ろで、破裂音がけたたましく鳴り響いた――――。
◇
暗い空の遥か彼方から、一筋の光が区域を照らし出す。煙と炎は静まり、冷えた空気と静寂が辺りを包み込んでいた。半壊した小屋の壁に、セイントは蹲っていた。
「――み。……君。大丈夫かい」
自身を呼ぶ声に、セイントは反応して顔を上げる。目の前にいたのは、自身と同じ目線になるようにしゃがみ込む黒服で眼鏡を掛けた男だった。
「ああ、大丈夫そうだね。おはよう、僕の名前は代羽秦。君の名前は?」




