9節 獣となりて肉を踏むのを見た
聖地都市旧市街地――荒れ果てた街の中にある瓦礫と半壊した建物の傍で立つギアマリア。その近くには女の死体と、屍の様に微動だにしない男が転がっていた。女は殺され、女を殺した男は怒りで手を挙げた聖によって負わされた怪我で気を失っている。この地域で取り巻く思惑と世界の真実と現実。それに対して何も出来ず、無力感を感じるギアマリアこと聖はその場にしゃがみ込んで俯く。
『どうした? ――〝嫌な気分〟というものか?』
「ああ……そうかもな…………」
『しかし、ギアマリアを取り扱う組織と言ってはいたが、まさかただの人間の制圧もしていたとはな。ユーサーが今回の事を告げなかったのは、聖が拒否すると思ってたからか、聖への嫌がらせか……――どうする? 帰るか? 終わるまでここで待つか?』
「そうだな……」
ギアマリアは目線を上げた。炎の煙が登り、焼け焦げた建物。鼻を指す不快な臭い。今の、目の前の光景は夢ではない。――嘗て見た光景も現実ではあるかの様に。
「……そうだ……ああ、あの時と同じだ。10年か7年か……」
『聖? 何を言っている?』
「あの時は……どうすればって後悔したっけ? いや、した事ないのかもな……」
込み上がる後悔と不甲斐無さ。聖は知っていた。知っていながら、忘れてしまっていたのだ。
《――どうすれば良いか考える時、原因と結果をよく考えるんだ。その為にどんな工程になるのか、違う工程になった時に何の工程をすれば元の結果に最も修正出来るか。それが臨機応変というものだよ》
そんな時、脳裏に言葉が過ったのは過去に聞いた父の言葉だった。それは自身がどうすればいいかわからない時に聞いた、物事が上手くいかない時の言葉であった。
――聖は自問する。人を殺さなければ止められないが、殺したくない。だがそうすると止められない。そもそも止めるとはどういう事なのか。何を以て〝止める〟事になるのか。〝あの頃〟とは違う。知識が、経験が、意識が――――聖にある考えが浮かび上がった。
「――アナ」
『何だ?』
「――考えがあるんだ。個人的に、俺も納得出来るやり方。だけどこれは、周りは認めないし迷惑かけるけど、何だかんだで要求を満たせるやり方。だけど、その為には力が必要なんだ。……アナ、俺に力を」
『分かった。吾輩と其方はそういう関係だからな。其方の意思に、決意に、持てる限りの力を授けよう』
ギアマリアは瓦礫の陰から飛び出し外に出た。
「〝マタイの福音〟の5章29・30節と行こうじゃないか……!」
ヘブンズラックから長大な鉄骨を出現させたギアマリアは、武器を構えて飛び出した――。
聖が戦場となった都市での現実に直面する一方、ギアマリアとは別の場所で戦闘を行うシーダマリアの手に握られていたのは、鮮血で染まった細身の剣だった。
崩れた建物を飛び越えながら周囲を確認するシーダマリアは、移動する十字軍を見付けるやいなや、頭上から急降下して十字軍の男達を切り裂いた。地面へとマリアが着地すると同時に、男達は胴体から血を噴き出して倒れ込む。
(そろそろ5分――さて、どうしたものか。一介の未成年が、何をするか……)
ギアマリアこと聖と分かれてから5分が経過した。聖が殺してでも止めるべき十字軍の、人間の残酷さを知る中、シーダマリアを始めとした聖教守護者団のギアマリアは、着々と殺人をこなしていた。聖女はその場を後にしようと歩き出す。――その瞬間、隣の建物から小さな足跡を聞き取った。敵のものだ。
「ふん――ん?」
武器を投擲して迎撃しようとしたその瞬間、背後から急速に何かが接近する気配を察した。
「おおおおおおおおおおおあああああああああああああッッッ!!!!」
高くも低い、女性のものとは余程思えない雄叫びを上げながらギアマリアは建物を飛び越え、敵が潜む建物目掛けて隕石の如く突入した。
砲弾を撃ち込まれたかの様に撒き上がる瓦礫と粉塵の幕。数瞬して煙の中から現れる白聖女。
「あ……エヴァラインさん……どうも」
「今は作戦中だ。コード名を――」
シーダマリアは一瞬言葉が詰まった。というのも、煙の奥でまだ生体反応があるのを確認したのだ。あれだけ大げさな突入方法をしてそのままはあり得ない。気絶か何かしたのだろう――シーダマリアはそう思った。
「息がある。トドメを差すんだ」
「嫌です」
「……殺さなければ、そいつは誰かを殺すぞ」
「殺せなければ良いんですよね?」
「どういう事だ?」
ギアマリアは踵を返して瓦礫が転がる建物の中へと入ると、動かない男の首根っこを掴んで、シーダマリアの前へと寝かせると、その両手足を踏み付けた。ボキンと音が4回、響き渡る。
「骨折でもう殺せないでしょ?」
ギアマリアがそう言うが否や、シーダマリアは右腕を振り被ってギアマリアを殴り飛ばした。拳が頬にめり込んだ少女は、建物の中へと吹っ飛んで行った。
「君は馬鹿にしているのか?」
聖の行動に苛立ちを覚えたシーダマリアは、無表情だが、怒りを込めて言葉を放つも、返事は帰って来なかった。やり過ぎたか――シーダマリアは聖の元へと歩み寄ると、そこには誰もいなかった。
「――逃げたか……!?」
瓦礫が転がる道を走るギアマリア。その左頬は真っ赤に染まり、しきりに歯軋りをしていた。
「あーくっそ、顎痛いし頭がグラつく……頭吹き飛ぶと思ったわ」
聖は愚痴を零すと、アナが声を掛けて来た。
『威力は約30t。常人なら千切れて吹き飛ぶ――いや、粉砕するかもしれないな』
「耐えたんだ良いだろう」
『だが状況は良くない。部隊の責任者のシーダマリアにあの様な態度をしたのだ。インターネットでは、上司に歯向かうと同僚にも嫌われるとあったぞ』
「知るか! どいつもこいつも、神様信じるロマンチストの癖にロマンチストな事しねーからだ!」
『だが同時に、それはロマンを見る聖と正反対の向こう側の者達がリアリストになる。これが現実だという事だ。殺人を否定し綺麗事をいう聖でさえ、暴力を行う。殺人云々、生死云々よりも、力が事を行えるという真理がここにあるという事になるのだな』
走るギアマリアの目の前に、武器を持った敵が現れる。敵の銃撃の雨に、鉄骨を盾にして走り続ける。
「俺もやださ。暴力沙汰は大っ嫌いだ!! けど、それでも、……俺はやる、ああやるよ、やってやるとも。矛盾だけど、選んだ道だからッ!! これから守るものの為にもッ! やってやる、マタイの福音、5章29・30節だ! お綺麗で毛嫌いしても、やらなきゃいけない時に遠くで愚痴零すつもりないんだよおおおぉぉォォォァァァアアアッッ!!!」
敵へと肉薄する聖女。鉄骨を振り被って男達を薙ぎ払う。常人の膂力を超えるギアマリアの一撃で男達は動かなくなる。――だが死んでいない、生きている。男達全員を無力化した後、その両手足を踏み付けて叩き折る。
「はっ、はっ、はっ……――アナ、俺はやるぞ……! どいつもこいつも、俺にこんな真似をさせる事をやらかしたんだ、痛い目見させて反省させてやるってんだ!!」
『聖、無茶苦茶だが、今のお前は吾輩には輝いて見えるぞ』
〝――――もし、あなたの右の目が罪を犯させるなら、それを抜き出して捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に投げ入れられない方が、あなたにとって益である〟
〝――――もし、あなたの右の手が罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。五体の一部を失っても、全身が地獄に落ち込まない方が、あなたにとって益である〟
マタイによる福音書、5章29・30節より。
少年の選んだ道――それは厳しく辛く、理解されない茨の道であるだろう。嘗ての主の息子は、自らを張り付ける十字架を裸で背負い、非難の声を浴びせられながら死に場所の丘へと向かった。少年もそれに似た道のりをするであろう。彼と少年の違いは、少年の進む先に終わりが無い事だった。




