表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
天の星、地の星  作者: 滝川蓮
血潮の真紅
4/4

古の礎を探して

 とりあえず目的地を決めずに湖を出発した俺達だったが、事情ができたため、比較的安全なダルミヤ山脈沿いに北上する道を進んでいた。山脈の辺りは元々地下水脈が多く走っている地域で、火山の噴火とかの影響で地下水が湧き出している場所が割と狭い間隔で点在している。溶岩が大地を覆っていて不毛な土地だけど、道として利用するには申し分ない。山が危険な状態でなければ、という注釈はつくけどな。

 で、何で北上する事になったのかというと、真昼の休みに、ある岩屋の中に引き籠っていた時にまで遡る事になる。


『今更ですが、結局あの町で何が起きたのですか?』

 開口一番にこう切り出したのは、勿論シェルマだった。キリも俺と別行動になってからこっちに何があったのか全く知らないが、シェルマはそれ以上に蚊帳の外に放り出されていたからな。いい加減我慢の限界か。

「爆発騒ぎになったからって、お前ら二人と別れた後、俺も相手を探りつつ逃げ道を探していたんだ。その途中で昔所属していた団の先輩に会ってさ。…その人がザディスの面を付けていて、話を聞いてみたらやっぱり噂になっていた奴の正体で。反乱分子があそこで不穏な動きをしているからどうにかしてこい、と言われて来ていたらしいんだ。仲間にならないか、と誘われたんだけど、俺は断った。そしたらスルト呼び出されてさ。地下水路に逃げ込んで、そっから地下にあった人工湖に落ちて、流れに流されてあの“湖”に出た。だからあの湖がダルムンベルクの町に繋がっているのも分かったって訳。…これでいいか?」

 スルトの名が出た途端、事情が分かっていないし主もまだ決めていないのになぜか外に出てこられたラドゥルファも含め、三人とも表情が凍り付いた。精霊二人に至っては、心持ち青ざめているもんな。キリは伝承に出てくるから知っていたという程度だろうが、この二人は多分本当に会った事があるんだろ。…もしくは、手合わせをした事があるのか。

『…よく御無事でしたね。しかしスルト=ラデナ=フェノ(煉獄の主のスルト)、ですか。いつの間にあそこを抜け出し、人間と契約を結んでいたのやら』

『冥府の守りは、内にも外にも堅いってので有名なのにな。一体どうやったんだか。…まぁ8割方、力任せに何かやったんだろうけど』

 そして二人とも肩を落として、大きく溜息。げんなり、という表現がよく似合う。

「二人とも、その…スルトとは知り合いなんですか?」

『知り合い、などではないですね。少なくとも、一度も友好的な関係を築いた事はありませんよ。昔何度か戦った事はありますが、そもそも力の差がありすぎたため、我々が勝利したのはあれを冥府の牢獄に封じ込めた、あの一度のみです。加えて言うならば、あれは力を求めすぎたため、もはや同胞ではありませんよ』

「どういう事だ、シェルマ。あいつは精霊じゃなくなったって事か?確かに伝承では魔物だと書かれている事の方が多かったけど…」

 語り部の語る昔話の中には、大昔の精霊の話とか、精霊達の間で代々語り継がれていたものも含まれている。口承伝達が主な継承方法だから時が経つにつれ変形してしまう事が多いが、基本的にどの話も本当にあった事らしい。そりゃあ明らかに嘘くさい話はあるし、俺だって全部が真実だと信じている訳じゃねぇよ。でもこうやって長生きしている連中から語り部から聞いた話と同じ話を、思い出話として聞いたりすると、どんなとんでもない事でも現実味を途端に帯びるから、やっぱし不思議な気分になる。

『そもそも魔物とは、人の手によって生み出された命や理から外れたものを指す言葉として私達が使っていた単語です。あれの場合、何者にも負けぬ強大な力を得ようとし、そして本当に手に入れてしまったが故に帝をも脅かす存在となったから、ですね。本来ならばやってはいけない事を、未遂とはいえどもやってしまった。そのためすべての帝の保護下から追い出されてしまったのです。ですから、あれは精霊術も、親である火の帝の力も使えない筈です。…とはいえ、あれの生来持っている力だけでも十分ですけどね』

 半笑いを浮かべたままあっさりと言っていくもんだから、余計にこいつらを怒らせたら、いや、帝から破門されたらマズいんだなぁと、しみじみ思ってしまった。「あれ」呼ばわりされるのは…自業自得か。

 …でも、そういう事か。それで、“精霊をやめている”、か。

 

 世の中には、どんな存在でも侵してはいけない領域というもんがある。“親殺し”もその一つだ。精霊にとって帝が親だから、その存在を脅かすという事は親を殺しかけたも同然って訳だ。それに、帝は自分達に牙を剥く奴を、例えそいつがどんなに力のある奴でも、決して許しはしない。侵しちゃいけない領域を侵した奴なら、なおさらだ。そりゃあもう恐ろしい罰を覚悟しなきゃならない。俺はそう習ったし、今でもそうならないように気を付けている。仮にも精霊達と仲よくさせてもらっているんだ、帝達の怒りを買ったら精霊達と仲よくできないって事ぐらい、容易に想像がつく。世の中には逆らっちゃいけないもんってのが、必ずあるんだよ。


「…どうした、キリ。難しい顔して。何か引っかかんのか?」

「…まぁ。…あの、帝の力を使うって、どういう事なんですか?」

 そういや説明してなかったか。この事が話題としてあがってこないと思っていたしな。…そもそも目にする機会が少ないし。

「その話なら…。シェルマ、悪いが手短でいいから教えてやってくれるか」

『仕方がないですね…。帝の力を使うという事はですね、自分の親にあたる帝の権能を一時的に使用する事です。精霊は全てどれかの帝の子供ですから、血脈ならば部分的に親の力を使える、という訳です。私の場合は、水の帝のファランディ様の力が使える、という感じですね。ただし大変疲れる技なので、今では上級の精霊の中でも一握りの者だけが使えると聞きますし、仮に使えるとしてもどうしても力が足りない時にしか使いません。それ以外の時で自分の属性の力を使うならば、自分自身が生まれつき持っている力を使うか、下級の子達の力を借りた方が圧倒的に楽ですね。…今ので大丈夫でしょうか?』

「はい。ありがとうございます」

 シェルマは言わなかったが、帝の力を使う時にも古代語を使用する。古代語は単語の一つ一つがそれなりに力を持っていて、これを使って嘘は付けないと言われている。今でもこれが使われているのは、帝の力を使う時か、契約を結んだ精霊を呼び出す時ぐらいかな。使われなくなって久しいから、失われた単語も多いし。使える奴もその分限られてくる。

『さて、と。スルトが再び地上へ現れた事は予想外でしたが、今はひとまず横に置いておきましょうか。次の目的地も決めておきたいところですが…。ラドゥルファ、あなた、契約はどうしますか?』

 一度誰かと契約したら、それ以降は主がいないとその精霊の力は封じられてしまうんだと。だから契約待ちの連中は、精霊石の外へ出ずにじっとして、自分の新しい主に相応しい人が自分を見つけてくれるのを、そして必要としてくれる時を待ち続けている。でも、基本的に人間一人につき精霊一人という関係でしか契約は結べない。

「…それじゃあ、私と契約を結びませんか?」

 はい?!と、俺とシェルマはそれぞれ驚いた表情を浮かべてキリを見た。ラドゥルファも、いきなりな申し出に目を丸くしている。でも言い出した本人は、いたって淡々としている

 そりゃ確かに、お前自身の問題だから自分でどうにかしろって言ったよ。でもキリはこの旅に出るまでは、精霊が見えない奴だったんだ。そもそも精霊なんて物語の中だけの存在だと思っていたような奴だぞ。いくら急に身近な存在になったとはいえこうもあっさりと、契約を結ぼうという気になんのかね。そりゃまあ、知らない事の方が多いから、上手く付き合っていこうと思ったら誰か教えてくれる奴が隣にいた方がいいとは思うけどさ…。

『えぇっと、確かお前さんはフェイルダー姓だったよな。という事は天空族の族長の血縁か。…しかしこりゃまたどうして。理由を聞かせてもらっても?』

「構いませんよ。…私は、つい最近、偶然精霊が見えるようになったばかりです。そのため、まだあなた達について知らない事が山ほどあるんです。もっと精霊という存在について知りたいんです。それに、あなたの精霊石がついた短剣を私に譲ってくれた人は、これも何かの縁だろうって言っていました。だとすると、私があなたとこうして出会えた事も何かの縁だったのかもしれない。…私は、あなたと、共に同じ道を歩んでいく友になりたいんです。これでは理由になりませんか?」

 …主従ではなく、同等の友となりたい、か。それにしても、よくこんな口説き文句が言えるな。言っていて恥ずかしくなかったのかよ。それに、縁があったからっていうのも、呑気なんだか何なんだか。

 人が精霊と主従にしろどんな関係にしろ(まぁ大抵は主従関係だが)、何かしらの契約を結ぶ時は互いの名を尋ねる所から始まるのが基本だ。普段名乗っている名前を尋ねるだけで、真名をやり取りする事は滅多に無い。長年の付き合いで信頼関係もばっちり、絶対互いに互いを裏切らないと帝達に誓いを立てられるような、そんなよっぽどの場合なら、契約更改という形で真名をやり取りするかもしれないけど。真名を知るって事は相手の命を握ったも同然だからな。敵に知られたら、何が起きても不思議じゃなくなるような代物だ。よっぽど相手を信頼していない限り、教える事はない。それと、契約時に互いに何か一つずつ約束事をする奴もいるらしいな。ちなみに俺は、シェルマと契約を結んだ時の事をよく覚えていない。ていうか、殆ど何も覚えていない。とにかく切羽詰まって焦っていたっていうのは思い出せるが、その時何が起きていたのかは全く思い出せない。シェルマはいつまでも覚えているんだろうけど…。あえて聞くような事でもないから、今までずっと放置している。

『…分かった。君と共に歩もう。俺でいいのなら、これからの君の人生の支えとなろう。…それでいいかい?』

「はい」

『なら、契約成立だ。改めてよろしく』

「こちらこそ、どうかよろしくお願いします」

 にこにこと笑っている二人を、俺達は奇妙な物、珍妙な物でも見るかのように見ていた。なんていうか…。

『…意外ですね。あなたがそんなにあっさりと契約を結ぶだなんて、珍しいじゃないですか?』

 …言っちゃった。俺も意外な組み合わせだなぁとは思ったがな。シェルマからしてみると、また別の意味で意外だったようだ。

『煩ぇよ。それよりも、いい加減教えろよ。一体何やらかすつもりなんだ』

 …でも待てよ。俺ら三人とも、あの時誓い立てたよな?どうすりゃいいんだ?

『……仕方がありませんね。誰にも言わないと、誓いを立てていたんですけど、あなたの事です、黙っていてもしつこく食い下がるでしょうしね。それに教えてもこちらに害は出ないでしょうから、話しましょうか。その代わり、あなたも誰にも言わないと約束して下さいよ。もし他人に漏らしたら、エンヤ様からお仕置きを受ける際に連帯責任という形で道ずれにしますからね』

『分かったよ、言わねぇって。…お前は本当に道ずれとしてこっちを巻き込んできそうだから怖いんだよ』

 エンヤは闇の帝だが、ただ単に闇を司るだけじゃない。俺達の間では、この世界は闇の中より生まれ出たとされているから、彼女は全てのものにおける母、特に自然全体の母という事になる。という事は、だ。母なる闇にかけて立てた誓いを破るという事は、エンヤとの約束を破る事に他ならない。後々何が起こるかは…彼女のみぞ知る。

『……私達はですね、セルベン族の伝承者であるラグナー老師を代表に、当代の各部族の伝承者の方々からの依頼を受け、今も国内のどこかに隠されている守護石を探し出し、王城の神殿がダーレスに破壊されるよりも前にそれらを祭壇へ戻すべく旅をしています。とはいえ、まだ始めたばかりで手掛かりも皆無なんですけどね』

『なるほどな…。500年前に散らばった遺物を探すのか。……各領地の神殿跡とか、候補に挙げているか?』

『候補としては有力ですが、神殿跡が現存しているかはかなり怪しいですし、遺跡を見つけられるかどうかも分かりませんよ。隠されているでしょうから、まず神殿そのものを見つけるのが至難の技かと』

 とりあえず地図を広げ、セルベン領の全体図を出してみた。セルベン領の場所は、この国の南部を東西に横切るダルミヤ山脈と、北から流れてきているアムシ川で囲まれた高原地帯に位置する。隣近所の部族の領地とはやや隔絶されていて、農業にも適さない土地だから、セルベン族の人達は遊牧民として生きてきた。珍しい事に一つ一つの集団は男系ではなく女系で形成されていて、そういった小さな一族ごとの集団が実力主義の名の下に、合体・分離を繰り返していたと聞く。だから古い町とか施設はあまり残ってない筈だ。国が統一されてからは定住化が進んでいて、ハルサもダルムンベルクもその過程で築かれた。あ、今でも移動を繰り返す集団は領内各地に点在しているぞ。

「セルベン領は確か…、ガーネットが守護石だったよね」

「あぁ。血潮の真紅と呼ばれるくらい、色鮮やかで濃い赤の石らしいな」

 地図と一緒に、荷袋の底から引っ張り出しておいた古ぼけた本を広げた。題名は何も書かれておらず、表紙は革張りで茶色、装飾の後は一切無し。中も飾り文字は使用されておらず、字体はいたって普通。古典と同じ文法で書かれているから、今から500~1000年ぐらい前に書かれた事になるかな。ダーレスが今度で治世500年らしいから、その直前の作になる。地味でぶ厚く、ハードカバーだから重い。多少の挿絵はあるものの、びっしりと字でページが埋め尽くされているこいつは、伝承とかそういう類の話を纏めたもの。しかも帝関連とか、この国の根っこにとって重要な記述が多い貴重な資料だ。勿論、守護石の事も書かれている。ダーレスからしてみれば、せっかく正しい話が消えかかってくれているのに、なんつーもんが残っているんだよ、ってとこかな。

「…守護石、ガーネット、っと。あった、ここだ」

 “セルベンの赤きガーネット。闇の中でも絶えず煌々と輝き、血の如き赤は翳る事を知らぬ”

「血のような赤って、少し不吉な気がするんだけど、気のせいですかね?」

『あながち間違ってないかもな。あそこの石は、戦場で流れた血を吸って赤くなったって話もあるぐらいだ。…んー、若さんかお嬢、どっちでもいいが、ただの石でいいからガーネット持ってねぇか』

 若さんって何だよ…、と思いつつ、ダルムンベルクの町で貰っておいた小袋を出して、中身を全部出してみた。正直な話、俺もまだ中身を見てなかったから何が入っているのか分からん。

『これはまた…。豪勢に入っていましたね。一体どうしたのですか?』

「キリにあの短剣をくれた風の精霊の婆さんが、俺にくれた。正直何が入っているかは全然知らねぇ」

 うわぁ、同胞の手で他人に引き渡されていたのかよ…、とちょっと凹み気味なラドゥルファ。シェルマも、そうでしたか…、とちょっとだけ驚いていた。

 改めて袋の中身を見てみよう。石の大きさは親指の腹と同じぐらいなので、結構大きい。どれも楕円形に成形されている。種類は豊富で、守護石と同じ種類のものもちゃんと入っていた。八大帝のそれぞれの象徴となっている石もあった。多分有名所は全部入っているんじゃねぇかなぁ。星入りとか珍しいのもあったし。だけど、換金したら幾らになるかな、と即座に考えてしまう自分が悲しい。ただの荷物としてでしか扱わねぇような奴しか身近にいなかったからな。

「ガーネットって、これだよな」

 摘み上げた石の色は、濃い柘榴色。一般的にガーネットは柘榴に近い色をしているから、濃い赤色である事が多い。血のように赤いっていったら、どっちかっつーとルビーの代名詞だな。あれは真っ赤な炎の色だから、同じ赤色でも違うんだ。…と俺は先輩に習った。

『あたりですよ。…どうやらここに入っている石は、見本用の石みたいですね。各種一つずつ、標準的な色と形のものばかりのようですから』

『標準的でもあるだけマシだろ。探すべき物が大体どんなもんか、分かっているのと分かってないのとでは大違いだぜ?あとは石の現在地さえ分かりゃいいんだがな…』

 確かに、それさえ分かれば楽なんだがな。誰だってそう思うけど、手掛かりは無い。

 …そういや、俺がまだガキで親と一緒に暮らしていた時に流行った歌があったな。誰がどこで覚えてきたかは知らねぇが、確かすんげぇ古い歌だった筈だ。童歌っぽいんだが、歌詞は古臭い上にちょっと難しかったし。それに歌というよりかは呪文みたいだって、あの頃は思っていたんだ。おかげで俺ら男子はその歌詞を仲間内の合言葉にしていた。女子は普通に歌っていて、なぜか大人が青い顔していたような…。…集落に同年代のガキがいた頃なんて本当に小さい時だし、そん時はまともに全部を覚えようなんて気が無かったからなぁ。記憶を芋づる式に掘り起こしたとして、どこまで出てくるかな。

「なぁシェルマ、“戦の音遠く聞き 大地濡らす血潮受け”って歌詞で始まる、すっげぇ古い歌って知っているか?」

『えぇ、知っていますよ。…そういえば、あの歌の中には守護石が全て織り込まれていましたね。キリ嬢はご存知ですか?』

「えーっと…はい。初めて聞いた時にちょっと怖いなって思った覚えがあります。ラドゥルファは、知っていますか?」

『おうよ。なんなら歌おうか?俺、全文暗記しているからよ。…それと嬢ちゃん、俺に対して丁寧な口をきかなくてもいいからな。普通に接してくれりゃそんでいいから』

「えっと…。じゃあラドゥルファ。その歌、歌ってくれる?」

『!喜んで歌わせてもらうよ』

 そういう訳で、ラドゥルファに暗唱してもらう事になった。俺とキリは、知っているけど記憶が怪しい。シェルマは…音痴だからな。楽器の演奏は上手なのに、歌うとダメなんだ。


-戦の音遠く聞き 大地濡らす血潮受け 朱に染まりし身のままで 静かに眠れガーネット

 縁深き人々と 共に幾世を過ごす中 幸いあれと祈り込め 見守り続けよアメジスト

 遠く異国へ続く道 消えゆく大地の傍らで 見果てぬ旅のその先を 見るか砂漠の血星石

 大地と共に歩むのか 夢見た空へ昇るのか 大いなる智追い求め 誰に伝える月長石

 深く暗き闇の底 闇に紛れて時刻む 先行く者がいるならば 輝き示せスピネルよ

 見渡す限り何も無く 星の煌めき降り注ぐ 大地を選びし者達と オパール眠る砂の中

 過去と未来入り混じり 真が失せるは世の定め 何にも染まらず末世まで 歴史伝えよクリスタル

 世界よこの声耳にして 我に光を指し示せ-


 そうそう、こんな歌詞だった。わりかしちゃんと覚えていたな。記憶の底に沈みこんでいても、結構覚えているもんなんだな。

 ふと手元の地図に目をやったら、いつの間にか図が書き換わっていた。しかもただの地図じゃない。さっきまではセルベン領の全体図だったのに、国内全域の地図に戻っていた。しかも町の名前や位置、川とかの場所も今とかなり違っている。おまけに各守護石の色をした点が一ヵ所ずつ、地図上のどこかに示されていた。…どうなっているんだよ、これ。

「なぁシェルマ、これ、何の地図だ。今見たらこいつに書き換わっていたんだけど、俺の知っているこの国の地図とはだいぶ違うんだよ。分かるか?」

 俺以外の残り三人にも地図を見せ、年長者二人にお伺いを立ててみた。もしこいつらでも分からないとなれば、その時はお手上げだな。

『それぞれの点は、その守護石と対応する領地に記載されていますね。だとすると、これはそれぞれの守護石の現在地を示すものなのでは?』

「それぐらいは俺でも分かるよ。でも、これ何年前の全図だよ。俺の知っている所、一つもねぇんだけど」

 口を尖らせて文句を言っても、どうしようもないんだがな…。

 隣で一人、妙に黙り込んだまま地図を見ていたラドゥルファだったが、なるほどな、と小さく呟いてニヤリと笑った。

『分かったぜ、若さん。こりゃこの国の成立時の地図だ。若さんが分からなくっても当然だ』

「成立時のものだってどうして分かったんですか?とても大昔の話ですよね?」

 そう。この国の成立はうん千年前だって言われている。他国からの侵略はちょっとはあったらしいが、征服される事はなく、同一の王家が延々と王政を行うという、近隣諸国の中でも極めて稀な状態の国なんだよ、ここは。一応大陸の端っこにある国だから、陸続きで他国と接している。でも海とか山とか砂漠とかで、半ば陸の孤島になっているからな。こっちに来るだけで体力を使い果たしちまうってのが、侵略が少なかった事の大きな理由になっている。で、成立がそんなに大昔になってくると、詳しい記録なんてあんまり残ってないし、世の中にも出回ってない。あったとしても、伝説みたいなもんばっかだ。まーでもあれだな、少なくともこの近辺にある国の中じゃ、群を抜いて古いってのだけは確かだな。

『成立は、今から3000年ちょい前ってとこかな。ちなみに、俺らは二人ともその時には生まれていたぞ。んで、丁度王国が成立した頃に消えた川があるんだがな、それがこの地図にはちゃんと書いてあるんだよ。…このシシェムって川だな』

 確かに細い川が一本、地図の端に書かれていた。細くて短く、いつ消滅してもおかしくないような流れ。…よく見つけられたよなって思うぐらい小さい。その横には、古文字でちゃんと“シシェム”と書いてあった。こういう時は勉強しておいてよかったなって思う。

 …それにしても、こいつらってホントに何歳なんだ?

「んじゃこれは、この国ができた頃に作られた地図で、守護石の現在地を示しているって事か。じゃあ、あの歌は鍵みたいなもんかな」

『そういう事になるでしょうね』

 だとしても、今と地図の内容が違い過ぎていてどこがどこだかさっぱり分からない。とりあえずガーネットと同じ濃い赤の点を探し出し、その近辺の拡大図を映し出す。町の名前とかは読めるけど…、昔のセルベン領って定住する人のいる町が恐ろしく少なかったんだな。点で描かれている町よりも、大体どの辺にどの集団がいるのか、という事の記載の方が多かったよ。これではどうしようもないので、同じ地域の今の地図を古い地図に重ねるようにして表示させ、ついでに俺らの現在地も示させる。こうでもしないと分からん。

「…ここか。なぁ、ルコラコムって大きな都市、知っているか?アムシ川とシルダ川に挟まれた地域にある街なんだけど。ガーネットの点、そこに書かれているからさ」

『ルコラコム、ですか。えぇ、知っていますよ。“飛翔せし鷹の如し”と呼ばれた、セルベン族の都ですね。今は礎が残っているだけだと聞きますけど』

『東のアジェト・リストヴァーク(失われた都)だろ?あの辺はアムシとシルダの二つの大河が最も接近する地域だから、昔からしょっちゅう洪水が起きていた筈だ。だからセルベン領の中じゃ珍しく、肥沃な土壌が広がる場所だった。各集団の代表者会議とか、部族にとって重要な行事はあそこで開催されていたって話だから、セルベンの文化や政治の中心地ってとこだろうな。確かダーレスに抵抗して、街が陥落した時に炎上したんじゃなかったかな』

 失われた都って呼ばれる場所は、ここ以外にも幾つかある。他よりも何らかの形で優れていたのに、今はもう存在しない街を指すのに使う。基本的に領地の都だった場所が多くって、有名なのはラーシェレン族の都かな。あそこは砂に埋もれて、それこそ現存していないから。

 んで、ダルミヤ山脈は休火山や死火山で形成されている山脈なので、この辺の高原地帯は過去の噴火によって流出した溶岩が分厚い層を成していて、土壌は痩せている。表土も少ないし。降雨も気候の関係上少ない。そんな所だけど、いくら日中が暑いと言っても他の土地より標高が高いから、年間の平均気温は比較的低い。なので河川の近くで土地が肥沃なら、定住する人が現れてもおかしくない。それが大都市で色んな事柄の中心地になるってのも、ありえん話じゃない。

「じゃあ次の目的地は、そのルコラコムという街の跡って事?」

「だな。手掛かりが得られたなら、さっさと行動するに越した事はない。幸いそこは、今のハジャドゥから北へすぐの場所だから、道は大体分かる」

『主の地図と同様の物がこの世に幾つも存在するとは思えませんが、相手方も昔の都などを目印にそれらしい場所を探しにかかるでしょうしね。あちらにとっては、城の祭壇単体でも十分に天敵ですが、守護石もそれなりに敵ですから』

「確か一種の結界みたいになっているんだよな、神殿って。悪いモノが近寄れないようにって。石の方はあれか、力に呑み込まれるからって理由か?」

『神殿の方は大雑把には合っています。守護石の方は外れですね』

 この本、一度最初から最後まで読み込んでもらいたいんですけどねぇ…、となかなか無茶な要求をボヤきつつ、シェルマはわざわざ該当する場所を本の中から探し出して開けてくれた。こういう事をしてくれる辺り、やっぱこいつは俺に対しては甘いと思うんだよな。でもそれで助かっている所もあるし、俺自身もシェルマに対して甘えてないって言ったら嘘になるだろうから、大した事は言えないけど。

『ここですね』

 “心清き者のみ祭壇を拝すべし。心悪しき者大地の守りにより白亜の神殿に近寄る事すら叶わず。大地より生まれず創り出されし命、理に反するモノ、近付くならば帝の怒りに触れ等しく塵と灰に還るのみ。民を護る要石、夜空の煌めきと同じく臣下の礼をもって祭壇に輝き、永久にこの国を護るべし”

 指差された所を読んでみたけど…。うーん、かなり相手に対してひどい事を言っているなぁ。塵と灰に還れって事は、要は転生の輪に戻らずに消えて無くなれって意味だからさ。その転生の手続きなんかを行うのは冥府の仕事で、そこはズエンという男の帝と、カヤルという女の帝の夫婦が司っている。ちなみに、最後の審判で天秤の針を見るズルアーンは、この二人の子供にあたる。つまり俺達の間では、冥府は完全に家族経営の形をとっている、って考えられているんだ。彼らも勿論帝だから、他の帝の怒りを買った奴らに対して温情をかけるような事は、まず無い。てか、どの帝も、他の帝の怒りを買った奴を許さないのはお決まりだな。おかげで、帝から受ける罰として、存在を消滅させられるっていうのがよく出てくるんだけど。

「大地より生まれ出ていないモノや、理に反しているモノって…、要は魔物って事よね?」

『そうですね。ただ、この場合は大地の帝であるグィナレイア様が存在を認めておられないモノ、自然の摂理に反しているモノ、という意味合いの方が大きいですけどね』

 グィナレイアは、この世の生物が生まれ出たとされる大地を司る。言っちまえば地母神って奴だ。エンヤはこの世の全てを生み出したが、彼女は生きとし生けるもの全てを生み出した。だから、エンヤが生み出したのは自然であって、生き物は入っていない。精霊は自然の一部という扱いになるから闇が母親にあたるが、俺達からしてみりゃ大地が母親にあたるんだよな。…まぁそれで特にどうこうって訳でもねぇんだが。

『例えば、大地の帝は全てのものには終わりがあると考えているから、不老不死の奴とか摂理に反している連中は神殿に近付けば消される。王城の神殿でも、各領地でそれぞれが守護石を祀るのに使っていた神殿でも、他のどんな神殿でも同じだ。ダーレスはまさしくこれの対象になる。あいつは精霊殺しという罪を背負っていて、その罰として体に流れる時を止められている。そして不老不死になる代わりに、死んで大地に還る事が許されなくなった。後は創り出された命だが、これの分かりやすい例は、ダーレス配下の魔物だな。あれは、あいつが遠い異国で学んだ技術によって生み出したモノだ。だから、どっちから考えても神殿は自分の存在を守る上であってもらっちゃ困るものなんだな』

 そっか…。何でダーレスの奴がたった一人で延々と、500年もこの国を支配し続けてこられたのかがようやく分かった。体を流れる時が止まっているんなら、いつまでたっても王座に座っていられるよな。…なんせ死なねぇんだから、代替わりする必要がねぇんだもんな。

『ですが、同時に我々のような善き存在でも、祭壇に近付く事は許されていないのですよ。もし守護石に触れたり祭壇に近付いたりすれば、我々であっても存在を消されてしまいます。石の力に呑み込まれるのではないんです。あれらの石はグィナレイア様の力を帯びていますので、それに当てられてしまうのですよ。ま、我々、精霊の存在は認められていますけどね』

「……お前らも、ほぼ不老不死みたいなもんだから?」

『えぇ。終わりなき生を歩む者という点では、我々も不老不死ですね』

 でもこいつらと俺達の価値観は違うから、すんばらしく長生きでもその時々で楽しみを見出せる。だから嫌な事じゃないらしい。…いつか訪れる別離も、何回も経験すりゃあ慣れるのかもな。

 目的地が定まれば、後は夕方になってくれるのを待つだけ。出しっ放しの宝石も、丁寧に砂を払ってから袋に戻していく。キリも一緒になって手伝ってくれていたんだが、ある石を摘み上げて不思議そうに首を傾げっちまった。

「どうした」

「この石、なんか変な気がして…。よく分かんないんだけど、どこが違うのよね。何かが普通じゃない…」

 はい、と言って手渡されたのは、一見するとただのクリスタル。だが、光の加減で表面に虹色の輝きが現れるという変わり種。これだけでも十分珍品だけどな…。でも確かに、キリの言う通り普通の石とはどこかが違う。それは感覚的に分かる。こいつがただの石じゃないとしたら…。

 もしかしたら、あいつか?

「キリ、悪いがな、こいつを袋に入っていた他の石一つずつに近付けて、もし光り出すような石があればそれだけ選り分けて教えてくれるか」

『!主、もしかして…』

「確信は無い。こいつだけがダブっているとも限らねぇし。でもあったらあったで便利だし、とりあえず確かめてみねぇと」

 俺もあの石に出会った事は、これまで2、3回しかない。しかもこういう、宝石みたいな結晶じゃなく、他の石の中に成分として含まれているという形でしか見た事がない。

「…ありましたよ。全部で5つです」

『そりゃまた豪勢なこった。この大きさでこの純度のが5つとなると、入手するだけでも一苦労だぞ』

「そりゃな。…でも、何で夜光石が5つも入っていたんだ?」

 これには全員、理由なんて分からないから黙り込んじまった。

 

 夜光石は、一応鉱石に分類されている。でも職人からは“紛い物”と呼ばれている石だ。大抵の場合は、他の石の中に微細な結晶や成分が含まれているだけで、その石の内部では光れても、空気に触れたらたちどころにその効力は消えて光も失せてしまう。俺達が今目にしているような純度の高い結晶を生み出す術を持っている人は、今はどこにもいない筈だ。大昔の、古人だけが知っていた技だ、って聞いた事がある。そもそも夜光石がどうやってできたのか、誰も知らないんだ。自然か精霊か、はたまた人間か。何が作り出したか全然分からない。で、こいつらの特徴は、暗闇の中で自ら発光するって事だ。山の中にあるようなのは効力が弱いから、光っては消えて、を繰り返すけど。後は、今もその性質を利用して選り分けたんだが、他の夜光石が近くにあれば、それに反応して光り出すんだ。もし地下で迷子になった時、手持ちにも道にも夜光石があればそれが道標になるんだけど…。そうそう都合のいいように世の中は出来ていない。


『ところでこれ、どうしますか?』

「んー…、一つずつ各自で持っておくか。何かの役に立つかもしれねぇし。一応こいつ自体も何らかの力を持っているって聞いた事もあるし」

「私も、お守りみたいなもんだって聞いた事があります。…でも、荷物の中に放り込んでおいていいんですかね?」

「常に持ち歩く方がいいだろうな。…今は巾着も紐も無いし、金具なんてもっと持ってないからどうしようもないから、とりあえず服のポケットにでも入れとけ。次に立ち寄った町で、何かそういうの探そう」

 俺も、今使っているのとは別に入れる袋探さなきゃな。シェルマの精霊石を入れている巾着に入れようとしたら、シェルマに嫌がられたから。仕方がないので、長年愛用している赤い上着の隠しに入れておいた。


 …とまぁそんな訳で、俺達はグルリと周囲を見渡しても荒れた大地しか広がってない所を、黙々と進んでいた。前を見ても後ろを見ても、右を見ても左を見ても、どこを見ても本当に何もいない。人影も、生き物の気配も無い。ちょっと休憩の時に喋っても、後は余計な事は喋らないで黙ったまま。でもこれは何気にきついんだ。喋らないってのは体力の消耗を防ぐ手として有効なんだけど、景色がちっとも変わらない時だとなぁ…。進んでいるって実感が無くなってくるんだよな。しかもシェルマは石の中に引っ込んじまった。

『なぁ若さんよ、本当に道合っているのか?』

「合っているよ。ハジャドゥって辺鄙な所にあるし、そこに通じている周辺の道も未整備なのが多いんだ。ここはまだマシだよ。行商人も一応通る道だからさ。んで、あの町は大河の傍だから、どうしても水上交易の方が主流になっちまっていて。おかげで比較的危険な陸を通る道の整備が遅れているんだよな」

「川沿いに行くってのは駄目だったんですか?」

「アムシ川は、上流に蒼旗の駐屯地のヴァムがあるから危険だ。今は四旗全軍が王都目指して行軍中らしいが、居残り組がある可能性があるからな。で、シルダ川沿いなら行けん事もないが、一階来た方向に引き返したうえですっごい遠回りをする事になるからさ。あの川、蛇行しまくっているから。だから、この道が一番近道なんだよ」

 こう言っておけば、そろそろ痺れが切れそうなキリ達コンビも納得がいったのか、また黙った。…この俺が理由も無く、他人を連れてこんな荒野を通る筈がねぇだろうが。こーんな苦労するのが分かっている道を、さ。時間もそれなりにかかるし、精神的にも疲れるし。でも、安全性を考慮したらこの道が一番ましなんだよな。もし少数であっても軍の奴と鉢合わせしようもんなら、今のこの状況だったら、その場を切り抜けられる自信も補償も、どこにも無い。俺一人だけで相手して、多少無茶をすると仮定しても、軍が相手だったらキツイ。…昔の俺を引っ張り出しても。

 さて、と。もうそろそろ目印になる集落が見えてきてもいい頃なんだけどなぁ。地図と方位針とかから考えると、道は間違ってない筈なんだ。道を間違えるなんてミスを犯したつもりもないし。なのに、いつまでたっても人気が感じられない。気配が一つも無いんだ。人が生活しているって場所の空気とはどうも違うんだよな。…静かすぎるんだ。

『…妙だな』

 そう呟いて眉間に皺を寄せ、ラドゥルファがふいに空気中に視線を泳がせた。

「どうかしたの?」

『空気が、ちょっとな…。こんな荒野にしちゃきな臭いんだよ。まだ微かに血の匂いも残ってるしな。この感じなら…一番新しいもので、二日程前か。…おい、若さん。この辺、何かあるかもしんねぇぞ』

 そう言われて、何となく嫌な予感がした。俺もそれとなく空気の匂いを嗅いでみたが、さっぱり何も感じない。でも風の精霊の言う事だから、間違いじゃないんだろ。こんな時に冗談を言うとも思えねぇし。とすっと、どっかが何かに襲われたって事が可能性としてまず考えられる。

 …まさかとは思うけど。

「…ラドゥルファ、それ、どっちの方向だ」

『前方斜め左…11時の方角だな。大きく張り出した岩の塊の向こう側からだ。…どうしたよ、かなり怖いツラになっているぜ』

「どうも嫌な予感が当たりそうでな。…ラドゥルファが言ったのと同じ方向、道に大きく張り出した岩の塊を回り込んだ所にな、小さな泉と、名前も無い小さな集落がある筈なんだ。この道を通る時はそこが一応目印の一つになっているんだが、さっきから人の気配が無くておかしいな、とは思っていたんだ。でもラドゥルファがそう言うの聞いて、もうこりゃ答えは一つしかないなって。…賊に襲われて、多分全滅したんだ」

 げぇ…、と本当に嫌そうに顔を顰めたのは、キリ。ラドゥルファは眉間に皺を寄せたが、何も言わなかった。その辺はやっぱ経験値の差だろうな。キリは多分、ずっと平和で平穏な、守られた環境の中に生きていたんだ。だから、こういう状況には不慣れで、嫌悪感が真っ直ぐ出てしまう。ラドゥルファは…俺と同じだろうな。逆にこういうのに慣れちまっているから、思う事があったとしても殆ど表には出さない。俺も溜息を一つついただけで、嘆いたりするよりも先に自分達が生き残るためにどうするか、そっちを考える方へ思考を切り替えていた。

『どうするよ、若さん。迂回するか?』

「どうすっかな。あの村の規模なら、金目の物を探すために居残っている奴がいたとしても、数は知れている。だから、このまま通る。だけど、そんな奴らが俺らを放置してくれるとは思えねぇ。何されるか分かったもんじゃねぇし、無視してやり過ごすのはもっと難しいだろうな」

 腰から下げた剣に、手が自然に伸びていた。柄に刻まれた模様を指で何度もなぞってしまうのは、こういう時の癖だ。思考を纏めなきゃならない時とか、策を練る必要がある時とか、殆ど無意識のうちにやっているんだよな。

「…俺が道を開くよ」

「え?」

「俺が先に切り込んで、相手してくる奴倒すから。キリはその後からくりゃあいい。もしお前を狙ってくるようなんがいても、その辺はラドゥルファがどうにかしてくれるだろ。…これで問題は無いと思うがな」

 どうかな、と二人に提案してみれば、どちらとも何とも言えないようなツラになっていた。キリは申し訳ないというか心配というか、どっちかというとそんな感じ。俺達傭兵に対しても公平に接してくれるようなタイプの雇用主によくある表情だ。一方のラドゥルファは、少しばかり口がへの字になっていた。いざとなりゃラドゥルファがキリの事を守ってくれると、それを前提にして話をしたからだろうな。…でも、多分シェルマをキリの護衛につけたら、それはそれで不機嫌になると思うんだよな。

「私だけなんて…。リーヴェさん一人で大丈夫なんですか?」

「あのなぁ、俺は雇い主を守るために戦うのが仕事なんだぞ。今回の雇主はラグナー老師だけど、お前は俺にとったら雇い主も同然なの。で、雇い主を守るためなら、自分が大丈夫とかそうじゃねぇとかは基本的に考えねぇんだよ。むしろ下手に気を遣われると、鬱陶しいんだ。分かったか?」

「………はい」

 まだ何か言いたげだったが、諦めたのかしぶしぶ頷いてくれた。

『…仕方ねぇ、嬢ちゃんの方は気にすんな。後ろは気にせず、道でも何でも開いてくりゃいいじゃねぇか』

 こちらも半ば諦め調子。シェルマの奴は相変わらずだが、その主になる奴も相変わらずだったな…、とこっそりぼやいたのが聞こえた。

「じゃ、ちょっと先に行っているからな」

 軽い調子でこう言って、タァンを駆け足で走らせる。全身の神経が鋼の針みたいに鋭く研ぎ澄まされていくにつれ、場のおかしな雰囲気が余計に全身で感じ取れるようになる。物音一つしない、妙な静寂が辺りを支配している。これはもしかすると、かなり地獄な風景が待っているんじゃないかな…。


 腹を括って目印の大岩を回り込んだ俺の目に入ってきたのは、すっかり焼け落ちてもはや原形を留めていない、建物のなれの果てとしか言いようのないもの。鼻をつく臭いは、もしかしなくても腐敗臭だ。上空を、死肉を常食とする鳥が旋回しているしな。風向きの問題で、さっきまでいた所へは臭いが流れてきてなかったんだろ。久し振りにキツイ臭いを嗅いだもんだから、さすがに一瞬だけ嫌な気分になっちまった。…こうなりゃ、潰されたのは確定だ。そうでなきゃいいと思ったんだがな。でも、心を痛めている暇なんて無い。顔色は少しも変えず、平然とした様子で村の前を通り過ぎようとした。…問題があるとすれば、沙駒は人間よりも嗅覚が優れているから、タァンが全力で嫌がっているって事だな。

 恐らく村の正門だったと思われる場所の前に差し掛かった時だ。案の定、物陰からワラワラと出てきたむさ苦しいおっさん連中が、俺の周囲をぐるりと取り囲んだ。走っている沙駒にもお構いなしだ。度胸があるよな。見たところ、おっさんらは装備から考えると下っ端。盗賊の本体の方は、こいつらを切り捨てられてせいせいしているんだろうな。つまり大物は一人もいないから、ついでに賞金でも稼ごうか、なんて考えんのはバカだ。生け捕りにするだけ体力の無駄遣いだ。だけどここは道標としては重要な場所だったから、村が無くなったって情報はどっかで売っておいた方がいいかもな。なんて考えながらタァンの足を止めた。一刻も早くここを離れたいとジタバタするのを宥めつつ、一見すると何事かと思っているようにしか見えないように演技する。勘違いしておいてもらえると、その分奴らはこっちをナメてかかるから、当然隙も生じやすい。つまり、反撃に転じた時に色々やりやすくなる。勿論、勘違いしてくれた事によっておっさんらの下卑びた笑みは大きくなって、すっげぇ気色悪いけどな。

「運が悪かったなぁ、旅人さんよ。通行料を払ってもらおうか。素直にその沙駒から降りてくれりゃ、有り金と荷物だけで勘弁してやらぁ」

「いつの間にここは通行料が要るようになったんだ。こっちも急いでいるんだ、通しちゃくんねぇか」

「そいつは無理な相談だな。ここは俺らの土地だ、人のもんになったら通行料が発生すんのは当然だ。始まりも終わりもねぇよ。勿論、例外もな。あんたも大人しくこっちの言う事を聞いた方がいいと思うぜ。あそこで野晒しになりたくねぇんならな」

 この中では恐らく中心核にあたると思われるひげ面のおっさんが指でしゃくった先には、見事なまでの死体の山。門の跡の前に、まだ比較的新しいのが山積みになっていた。奪える物は全て奪われているから、ほぼ全部まっぱだし。見たところ男しかいないようなのは、まだありがたい事なのかどうなのやら。…こりゃああれだな、大人しく言う事を聞いても、沙駒を降りたら殺されるくちだな。今の時点で、既に剣を抜いちまっている奴もいるし。だけどどれも手入れが雑だ。刃が鈍くしか光ってねぇし、曇っている。さすがに刃毀れは無さそうだが、切れ味は悪そうだな。とすると、相手すんのは余裕だな。どっちみち、こんな所で死ぬのは頭下げられても願い下げだ。

「…そうかよ」

 ニヤリと微かにだが口元をゆがめ、軽くタァンの腹を蹴って合図して飛び降りた。ようやく動いても良いとお許しを得たタァンは、そりゃもう一目散にこの場から逃げ出そうと走り出す。おっさんらは逃がしてたまるかと手綱を掴みにかかるが、主人以外に乗られるのを嫌がるから暴れて、何人か後ろ足で蹴っ飛ばしちまっている。俺は降りながら剣を抜いて暴れるタァンに蹴られないように距離をとり、現状把握の遅れている奴から薙ぎ払っていった。

「テメェ、どういうつもりだぁ!」

「運が悪かったのはおっさんらの方だったって話さ。俺はあんたらに殺されるなんて、まっぴらごめんだね。…力づくで奪うなら、相手を見極めてからにした方がいいぜ」

 不敵に笑っておちょくって、それでも剣を振るう手は止めない。周囲は一応囲まれているが、なんせ穴だらけだ。全部で十人かそこらってとこかな。よくもまぁこんなに一杯、こんな所に居残ったもんだ。何も無かっただろうによく頑張ったよなぁ、と呆れ半分、驚きと感心半分。というか、こいつら戦闘訓練受けた事あんのかね。盗賊団に入ってからも手伝いばっかで、実戦にはまともに出してもらえてねぇんじゃないのかな。なんせ塊になってこっちに突っ込んできたり、左右から挟撃しようと突っ込んだりと、自爆するしかねぇ攻撃方法ばっかとっているんだよな。隙だらけだからこっちはすぐに回避できるんだが、おっさんらはすぐには止まれねぇからさ。ついでに言うと、軽くへっぴり腰になっている奴までいた。弱い者いじめはあんまりしたくないんだが、手加減してやれるほど慈悲深い性格でもないんだよな、俺。人に刃を向けるなら、やっぱそれなりの覚悟はあるんだろうし、手は抜けない。

「…このガキャァ、いい気になりやがってぇ!歯向かう奴ァ死んじまえ!」

 ついに敵の大将がキレた。俺との交渉が不成立になると、途端に囲みの一番外に引っ込んで見物体勢に入っていたんだけどな。それにしても、キレちまうって辺り、こいつらやっぱバカだな。相手の力量を量って無駄な勝負を避けるのも、実力のうちに入るからさ。自分より強い相手に喧嘩を売った所で、ボコボコにやられるのが目に見えていたら勝負するだけ無駄だって事だ。あぁあ、俺もせっかく威嚇してやったのに効果無しとは、いやはや…。それと、俺をガキ扱いすんのも気に食わねぇ。こちとらとうの昔に成人になっているってんの。…ていうか、こいつら俺の正体に気付いてねぇんだな。大将のおっさんぐらいは気付く可能性がまだあると思っていたんだけどなぁ。

 後ろから近づいてくる殺気があったが、他の奴を相手するのにちょっと手間取っちまったせいで反応が遅れた。どうにか片付けて舌打ち混じりに急いで振り返り、大きく上段に振りかぶってくれているので勢いを付けたまま胴を薙ぎ払う。返り血が目に入らないように腕で庇い、濃い血の臭いに顔を顰めながら周囲に視線を走らせた。…クソ、バカだと思っていたせいで無意識のうちに油断していた。これが昔なら、死んでいたぞ、俺。自分に対して心の中で文句を言いつつ、またぞろぞろやってくる奴を薙ぎ倒しにかかるか、と顔を上げた所で特大の舌打ちをする事になった。

 ちょっとばかし蒼ざめたキリが、弓に矢をつがえて構えようかとしている所だった。

「馬鹿!来るな!」

 大声で怒鳴ったもんだから、おっさんらにもバレた。さっさと事情を飲み込んだ奴が二人、キリ達目指して走り出していった。俺は追い駆けようとしたが、地面に倒れている奴に足首を掴まれて動けなかった。これじゃ、自分の身もあいつらの身も守れない。

乱暴にそいつの手首に剣を突き立て、指が離れたらすぐに無理な体勢のままだが、別の奴が振り下ろしてくる剣を受け止める。耳に響く、刃の擦れる嫌な音が鳴る。下から押し上げる形だと、相手の剣を受け止めてもどうしても力負けしやすい。今も、膝がヤバい。しかもこうしている間は、背中がガラ空きだ。まだ残っているのは…ボスのおっさん、キリの方へ行った二人、俺と剣を合わせている奴の計4人か。となると、後方の心配はひとまず放置しておいてもいいか。押し合いの中で一回グイッと相手側へ剣を押して、その反動で剣を弾く。がら空きになったそいつを、横を走り抜けついでに切りつける。キリの方は…まだギリギリ間に合う。上着の隠しに入れておいたナイフをぶん投げて、走っている相手の背中、心臓の辺りにどうにか刺してやった。死んだかどうかはともかく、これで動けねぇ筈だ。ラドゥルファがそれなりの距離をとっておいてくれたのも助かった。二人を睨んだ俺に対して、すまん!とでも言いたげに手を合わせてきたけど。…そういう問題じゃねぇよ。

「ほう…。お連れさんも守らなきゃならんたぁ、そりゃまたお偉いこった。小僧、ただの旅のガキじゃねぇな」

 さすがに大将のおっさんも、仲間が全滅したとなりゃおれの相手をせざるを得なくなったんだろ。逃走しない事から考えると、目撃者は生かしておかないって事かな。それにしても、新しい獲物が出てきた途端にこんな状況でも嬉々とするとは…。恐れ入るぜ。

「だったらどうだってぇんで、おっさん。俺が、誰だって?」

 ニヤリと笑い、間合いを詰めて殺しにかかる。でもこのおっさんはやっぱ他の連中と比べて腕は立つらしく、動きに無駄があんま無い。あと一歩、って所で防がれっちまう。鍔迫り合いはしても、ギンッて耳に嫌な音が鳴っては距離をとって離れて、の繰り返し。さすがに汗かいてきたな。何回か迫り合って、一回ちょっと離れた時にグイ、と汗を顔についていた血と一緒に拭った。そしたら、次に近づいた時におっさんの顔にはなぜか恐怖が深々と刻み込まれてしまった。

「…左頬に真一文字の刀傷を持つ若者っていやぁ…。テメェ、まさかあの“紅蓮の死神”ってんじゃねぇだろうな!」

 俺としてはこの隙を見過ごすわけにはいかない。逃げ腰になって体勢が崩れた相手の剣を弾き飛ばし、そのまま胴を薙ぎ払っていた。

「…その、まさかさ」

 倒れた相手の服で剣の血を拭い、鞘に収めた。誰にも聞こえないように小さく唇を動かすだけで呟いたから、肯定の言葉は誰にも届いちゃいないと思う。…ラドゥルファは分かんねえが。だけどナイフを回収しに二人の近くまで行った時に顔色一つも変えてなかったから、今のところは気付かれてないかな。やれやれだ、と思いつつ甲高く指笛を吹けば、安全な所に避難していたタァンが戻ってきた。さっきより周囲も俺自身もひどい臭いになっているから、倍増しで嫌がったけど。でもラドゥルファが風を弄ってくれたからか、すぐに大人しくなった。キリのためにもその方がいいだろうし。

「…あの、大丈夫ですか?」

「大丈夫だ。汚れたけど、近くに水場があるし、そこで洗うから。…あんな真似、二度とするな」

「…すみません」

 それっきり、キリの奴はだんまりを決め込んじまった。ラドゥルファは申し訳なさそうにチラリとこっちを見てきたけど、俺は何も反応しなかった。だから互いにまただんまり。

 …それにしても、随分と久し振りにあの名前で呼ばれたな。確かにこの傷、よく目立つんだけどさ。

 俺は無意識のうちに、左頬から耳元まで一直線に伸びる傷跡を、何度も指でなぞっていた。


 その日の夜は、小さな岩屋で仮眠をとる事にした。荒野の旅は昼夜逆転生活になるから、慣れないうちは夕方と夜明け前に行動して、夜中は仮眠をとる、って事が多い。それに夜中はやっぱ冷えるし、どうしても眠くなるからさ。よって、俺らも夜は焚き火を起こして一休みするのがここ数日お決まりだった。そういう意味では、この辺は岩場だから野宿しやすい場所が多くて、丁度良かった。

「…あー、早く乾かねぇかなぁ」

 あの村のすぐ近くにある泉で、返り血でドロドロになった外套も顔も洗う事が出来た。だけどやっぱり外套は生地がそれなりに厚いから、まだ湿気を含んでやがる。湿気たままでもそのまま着ておいて体温と日光とで乾かすのが一番手っ取り早いし、実際俺もそうしてたんだが、どうしても完全には乾かない。風の精霊に乾かしてもらえない事もないが、こんなしょうもない事に力を使いたくない。で、湿気っている物を着たまま夜を過ごしたら風邪を引くかもしれないので、仕方なく焚き火にかざして乾くのを待っていた。その代わり、荷物の中に入っていた着替えを可能な限り着込んで、ギリギリまで火に近付いて、どうにかして暖をとらなきゃならなかったが。…でもやっぱなぁ、外套一枚あるのとないのとでは大違いなんだよな。どんだけ慣れていても、真夜中の屋外は寒いんだ。外套は直射日光から身を守ると同時に、寒さ対策の代物でもあるから、無いとやっぱ辛い。なんだろ、体の中心からどんどん熱が持ってかれるんだよな。体が冷えたら、いざって時に思うように動いてくれないし。だけど水は貴重品だから、温かい汁物が飲めなくて我慢するのは、いつもの話。

 ふと、一瞬だけ風が変わった気がした。炎の揺れ方は変わらないが、俺の後ろ、岩屋の中から吹いてきたように感じたんだ。

『よう。隣、いいか』

 振り返れば、日中とは違ってすっかりラフな格好をしているラドゥルファが立っていた。サンダルに七分丈のズボン、袖無しの胴着にベストを羽織っただけという、見ていてこっちが寒くなりそうな格好だが、精霊はどんな気候でも基本的に問題ないらしい。だからこんな格好でも平気なんだと。

「…いいけど。でも、キリを一人にしておいて大丈夫なのか?」

『嬢ちゃんならよく寝てるよ。少しぐらいは放っておいても、どうって事もねぇだろ』

 確かに奥の壁際で小さく丸まって、静かに寝ていた。星を眺めて時間が経過するのをひたすら待ってる、不寝番の俺の事なんて全く気にしてないような熟睡っぷりだ。

「で、どうした?お前がこんな時に勝手に出てくるなんて。俺に何か用か?」

『用は特にねぇよ。一人で暇そうにしてる若さんの話し相手をしてもいいか、なんて思っただけさ。ただの気紛れだよ。お邪魔なら戻るぜ?』

「別にいてほしくない訳じゃねぇよ」

『そりゃよかった。“天の愛し子”に嫌われたとあっちゃ、大恥だからな』

 大げさに安堵の溜息をつかれた。俺も小さく喉の奥で笑った。やっぱり一人で塞いでいるよりかは、誰かといた方が気が紛れて楽だ。

 だけどその後に思わずついちまった溜息の方が、笑った時に漏れた声よりも大きかった。

ゆっくりとした、くたびれて重苦しい吐息だった。

『…どうした?』

「いや…。何でもねぇけど」

『ならいいんだがな。…でも何かあるなら、さっさと言えよ。あの阿保は過保護だし、嬢ちゃんは理解力の問題があるからな』

「…ありがと」

 どうにかして軽く笑う事には成功したが、随分とぎこちない笑みになったのは間違いない。こっちを見てくるラドゥルファの目が、明らかに気遣わし気なものになったからさ。口に出しては言わないが、無茶をするなと思っている奴の眼みたいに。俺としても、まぁ自覚症状はあったが、とりあえず余計な心配をされるのも嫌だし、本当に大丈夫だから、と笑っておいた。そうしたら、諦めたみたいに力の抜けた笑みを浮かべられて、肩を竦められた。やれやれ、とでも言いたげだった。

 会話が途切れて、再び沈黙が周囲に満ちた。俺は荷物の中から中ぐらいの大きさの巾着を取り出して、その中身をそっと取り出した。その隣には、盗賊のおっさん連中相手に使った剣とナイフを置く。いつの間にか身についていた癖なんだが、何となく黙って気持ちを落ち着けたかったりすると、剣の手入れを始めるんだ。勿論、使ったら手入れしないとすぐに使いもんにならなくなるってのもあるけど。俺はどっちかっつーと酷使する方だから、余計にな。

 スラリ、と抜いた剣の刃は僅かにだが弧を描いている。本当に微妙な曲線だから、基本的な使い方は直刀と同じになる。こいつの柄には、一般的な剣のように革が巻かれているのではなく、糸が何本も模様を描くように巻かれている。個人的にはこっちの方が掌にしっくりくるし、握りやすい。重さも大きさも丁度いいし。何よりも、刃が折れないんだ。片刃で刃紋が波打っているように見えるっていう、この国じゃ珍しい刃なんだけどさ。使い始めてからもう何年になるかなぁ。人からの貰い物なんだが、相性が良くてずっと使い続けているんだ。で、ナイフの方は普通に両刃で真っ直ぐ。投げても持っても、どう使っても大丈夫という便利な奴。隠し持つのにも便利だから、いつも上着の内側の隠しに一本入れている。…まー、普通の常識的な奴なら、こういうのは使わねぇけど。使うのは、それこそ実力派の盗賊とか密偵とか、そんな奴らだな。

『いい剣だな』

「…そうか、ありがと。……って、まだいたんだ」

「いちゃ悪いかよ。…しっかしこりゃあ随分と値打ちもんだな。刃の鋼は外ツ国の鋼だ。というか、この剣の形自体が外のもんだな。波紋のこの波打ち方は水紋って奴で、玄人でもなかなか作れない形だって聞いた事があるぞ。水の反射で、文様がまるで生きているかのように動いて見えるってな。俺も随分と長く生きているけど、こんな上物を見た事はそう多くないぜ。…よく持っていたな」

「昔、世話になった人に貰ったんだ。今じゃ、俺の一部みたいなもんかな」

『なるほどな。…よかったな』

 随分と長くってどれだけ長くなんだろ…、と思いながら俺は刃の調子を見ていた。刃紋は刃の研ぎ方によってその姿を現し、その模様がどんな具合になるのかは研ぎ師の腕前と鋼の状態によって決まる。この手の片刃の剣は、刃の部分が波上に見えるように研ぐのが主流だ。その中でも、水の反射なんかで模様自体も揺らいで見える、生きているように見えるのが水紋ってやつらしい。実際にそんな風に揺らいで見えた事はないけど、前に噂で耳にした事はあったから、これが初めての話じゃなかった。

 ナイフの方は投げつけただけだから、今回は汚れを取るだけで大丈夫そうだ。剣の方は鍔迫り合いとかもしたしどうかなと思ったが、特に刃毀れも起こしていなかった。こっちも大丈夫そうだな。念入りに様子を見ながら、いつでも使えるように手入れをして、終了だ。どうしても時間のある時にしか十分な手入れは出来ないから、作業は念入りなものになる。

「…こんなもんか」

 鞘に収める時に鍔が当たって、チンと小さく小気味いい音がした。

『終わったか』

「あぁ。…何しているんだ、ラドゥルファ?」

 いつの間にか、俺が焚火にあてて乾かしていた筈の上着に手を翳していたんだ。…何やってんのか、よく分からんが。

『いやいや。いくら着込んでいても、寒いだろうなと思ってさ』

 ほい、と返された外套は、すっかり乾いていた。しかもほんのりと温い。太陽の光でじんわりと干した時みたいだ。

『余計なお世話だったら謝るが』

「…いや、ありがとう、助かるよ。やっぱこれがあるのと無いのとじゃ、大違いだからさ」

『若さんぐらいなら、精霊使えばどうって事もねぇだろうによ。珍しいぜ?力があるのにわざわざ使わねぇで自力でどうにかしようとする奴ってよ』

「しょうもない事に力を使いたくねぇだけだよ。俺自身が疲れるのが嫌だってのもあるけど、どうでもいい事に力を使わせてあいつらを疲弊させるのもどうかと思うしな。…他人と違う力を持っているのなら、しかもそれがどんな使い方もできるものであればあるほど、使い方には十分注意しないといけないからさ」

 違うかな、と首を傾げて隣を見れば、面白いもんでも見ているみたいにニヤニヤ笑っていた。違うとも正しいともはっきり言わず、片胡坐をかいて座ったまま、面白そうに、そして楽しそうに口元だけで笑っていた。

 昔から精霊を使役できる奴がやりがちな失敗が、人とは異なる力が使える事による妙な優越感とか慢心とかそんなのと、そこから派生して人や自然との上手な付き合い方ができなくなるというもの。何でも力を使えばどうにかなると思っていたら、いざって時や急な対応を迫られた時に十分な対処ができなくなる。今だって、風とかを使役すれば寒さぐらいどうって事もなくなるし、湿気た外套もすぐに乾くさ。でもこんな事ばっかに力を使っていたら、本当に力がいる時に、大事な時に力を貸してもらおうと思っても、精霊達が応えてくれるかどうか。またしょうもない事に利用されるんだろう、と思われてしまっては意味がない。俺とかのこの力は、自分自身のものじゃない。精霊達に頼んで、代わりにやってもらっているだけだ、ってのを忘れちゃいけないんだ。

『どうして若さんが“愛し子”なのか、分かった気がするな。昼間のあれを見て、ちょいと気になっていたからさ。なんつーか、不思議だったんだよ』

「どういう事だ?俺が、不思議だってか?」

 意味がよく分からなくて聞き返してみれば、返事はあっさり返ってきた。…内容が全然あっさりじゃなかったけど。

『正確に言うと、お前さん自身が不思議だってのとはちょっと違うな。俺達精霊は、同胞殺しが禁じられている。それは知っての通りだろう。もし同胞を殺したら、それ相応の罰を受ける。なのにどうして、“天の愛し子”である若さんが、その同胞である人間を何人殺しても平気でいられるのか。よく帝がそんな奴を“愛し子”に選んだな、ってな』

 あっさりと言われた言葉には棘も何も無かったが、それでも俺には痛かった。…なんていうか、根っこのところに突き刺さる痛さだった。

「…人は一にして全、全にして一って考え方をしない生き物だから、同胞意識なんてものも存在しないからかな」

 だからこう返すので精一杯だった。事実は事実だし、価値観の差ってのもあるけど、それでも指摘されると辛い。

 生きるためには、相手の命をこの手にかけなければならなかった。しかも食べるために殺すならまだしも、何にも利用しないのに殺した。具体的な現実を突きつけられ、極限にまで追い込まれたらどんな強引なやり口でも決心を付けざるをえない。そんな世界で何年も生きてきた。一度生き残ったら、それ以降はどうにでもなった。先輩も慣れたって言っていたっけ。俺も今じゃどうって事もないんだが…。それでもこっちの世界に身を投じてすぐの頃はしんどかった。だけど気にしていたらやっていけないから、心の中を見て見ぬふりをして、気持ちに蓋をした上にさらに重しを置いて幾つも鍵をかけて厳重に封をしてきた。

 ポン、と頭の上に軽く手が置かれた。ラドゥルファは、ちょっと気まずそうにして星空に目をやっていた。

『…悪かった。若さんを傷つけるつもりは無かったんだがな』

「別にあんたが気にする必要はないよ。生業としている以上、感覚は麻痺しているから抵抗も無くなるし、今更何とも言いようがないって」

『だからそんな風に言うなって…』

 力無く笑う俺を横目に、苦虫を噛み潰しちまったような表情で溜息をつかれてしまった。

『あれこれ言うつもりはねぇし、言う資格もねぇ、それにこんなのはガラじゃねぇって分かっているが…。本当に辛くなったら遠慮なくグチれよ。我慢して溜め込むなんざもっての外だからな』

「分かっているよ。…ありがと、ラドゥルファ」

 相談してくれよ、ってのはこれまでにも色んな奴から言われてきた。だけどそういう事を言う人って、自分の属する集団の価値観から一歩も外に出てない事が多いんだ。いくら親身そうでも、それは見た目だけってな。逆に、こっちの世界を本当に理解してくれる奴は、こっちを心配する事はあっても、相談しろよ、とわざわざ言ってくる事は少ない。それぞれに事情があるし、他人が口出ししたところでどうにかなる世界じゃないからな。黙って支えてくれる奴が一番ありがたいって、そういう人は分かっているし。…何となく、ラドゥルファってそんな感じなんだよな。頼れる皆の兄貴みたいで、長生きしている分色々と知っているから、どういう時にはどうすればいいのかもわかっている。本当にそいつが必要とする時に、そっとしたから支えてくれるっていうか。シェルマの場合は、世話を焼いてくれるお袋さんって感じになるんだよな。何だかんだ小言を言っても、面倒はちゃんと見てくれるし、最終的には俺の決定を尊重してくれるしな。黙ってそっと見守る、っていう芸当はできないけど、でも支えとしては十分ありがたい。…ま、今は別だけど。

「…じゃあさ、俺のグチ、一つ聞いてくれるか?」

『いいぜ。…どうした?』

「俺が盗賊のおっさんとやり合っていた時の事だけどさ、どうしてキリの奴はわざわざ出てきたんだろうって思って。…正直、見られたくなかった」

『あぁ…アレか。俺は止めたんだがな。嬢ちゃんは、若さん一人に任せんのがどうも嫌だったらしい。だけどなぁ…。他の奴の気持ちも少しは考えてやれよなぁ。しかも若さん見て怖がっちまって…すまん、言い過ぎた』

「いいよ。俺に気を遣わないで言っちゃってくれても、何も問題ないから。変に気を遣われるより、正直に話してくれる方がまだマシだし」

『でもよ、若さんにとっちゃあまりいい気分にはなれねぇ話もあるだろ。それでも、同じ事言えんのか?』

「変に同情されるよりかは、うんとマシだよ」

 どこまでも真っ直ぐだなぁ…、という呟きは、褒めているんだか呆れているんだかよく分からない響きだった。

 顔は二人とも空に向けたまま、声だけが互いを行き来する。俺はすっかりいつもの格好に戻った上で、外套を体に巻きつけるようにして三角座りで座り込んでいた。こういう時は、他人と顔を合わせたくない。相手の顔に反射した自分の顔が、いかに悲惨なものか、嫌でも目にしてしまうから。

『…で、若さんはどうして見られたくなかったんだ?』

「…俺一人だけが背負えばいい筈の重荷を、あいつに分担させたくなかったんだ。あいつには、何も知らないまま全てを終えてほしかったんだが…。…あいつに全て任せてもらえなかったのは、俺が力量不足だからかなぁ」

 仮にも族長の娘で伝承者の孫な奴が、仕方がなかったとはいっても人殺しだなんて、洒落にもならねぇよ。俺とあいつは住む世界が違うから、あいつがこっちの世界に足を突っ込まないようにしようとは初めから思っていたんだが…。手を出さなかったとはいえ、見られたとなりゃどうしようもない。完全に後の祭りだ。俺の苦労も、全部が水の泡だ。まさか、こんなにさっさと無駄になるとはなぁ。

 …雇い主は戦闘に参加せず、雇われた人間は主人の安全を第一に確保した上で、主人の目的を果たすために戦う。自分の事は二の次三の次で、怪我をしても多少は無視するのがお決まりだ。責めも苦痛も、主人を守るためなら全て引き受けるのもこっちの常識。今回はキリとの間に雇用関係は成立していないが、あいつは今回の雇い主であるラグナー老師に預けられた奴だ。つまり、雇用主代理ともいえる。だから、俺としては普段通りにやった方が、気が楽なんだ。自分のやるべき、果たすべき役割を忘れてはいけない。何と言われても、自分の仕事を忘れてはいけない。でないと、仲良くしていたら、どこかで重大な過ちを犯してしまいそうだから、そうならないためにも、あいつは戦闘から引き離していたのになぁ…。

『若さんに力が無いとは思わねぇよ。今回のは、嬢ちゃんが勝手にやった事だ。若さんが気に病む必要はねぇ』

 ラドゥルファはこう言うだけで、俺の考え方が正しいとも、悪いともはっきり言わなかった。でも個人的には、何も言われないのは少しありがたかった。溜まっていたものを吐き出して、少しだけ気が楽になったような気がする。例え、それが錯覚だとしても、な。

「……そっか。…それとさ、ラドゥルファ。ついでだから聞いてみたいんだけど、あの時の俺って、あんたの目にどんな風に映っていた?正直に教えてくれねぇか」

『構わねぇけどよ。…そうだなぁ。全身真っ赤に染まるとまではいかないが、それなりに返り血で赤くなった上に、怒気とかの混じったツラで怒鳴っただろ。俺はあれを見て、鬼みたいだな、って思ったな。…鬼は少し違うか。噂に聞く“紅蓮の死神“ってぇのは、これのもっとすごい奴だったのかっていう風にも思ったなぁ。確か若さん、最後のおっさんに“紅蓮の”じゃねぇかって、言われていたよな』

「言われていたよ。…でも、“紅蓮の死神”は、おっさんらを相手にした時の俺とは比べもんにならねぇよ。だから、あん時の俺のもっとすごい奴っていうあんたの考えは、いい線いっている」

 どうやら、こいつにもあの時の肯定の呟きは聞かれていなかったようだ。

「あいつは、もっと淡々と剣を振るうんだ。周囲にあまり目を向けず、目の前の戦いだけに集中して。自分がどう見られようとお構いなしで、やれるだけ殺しにかかって。…見物だったよあれは。ほんの短時間の間に、たった一人で、二十人も三十人も倒していくんだ。それなのに、体に付いている血は返り血ばっかで、赤く染まっても平然としていてさ。……だけど戦場から離れると、そいつはただの、何の変哲もない平凡な人に戻るんだ。同一人物とは思えねぇぐらいに性格変わるんだ」

『…見てきたみたいに言うんだな。知り合い…はないか。どっかで見た事でもあんのか?』

「あるよ。俺の、一番身近にいる奴だから」

 なるほど…、と相槌を打ったラドゥルファだったが、少ししてから、何かが引っ掛かったみたいに軽く眉間に皺を寄せて思案気な表情を浮かべた。

 俺は、自分の言葉からどれだけ真実に近付かれようとも別に気にしてないから、特に何も言わなかった。もう、今は昔の話だから。

『…何で、過去形じゃなくて、現在形なんだ、若さん。もしかしてだが、若さんが…?』

「あぁ。…そうだよ」

 平然というか、どちらかというと開き直ったように返事をした。仕事について外部の奴から指摘されると少し辛いんだけど、この話は別に何とも思わない。話題が話題なだけに自分からバラすような真似はしないが、気付かれても別にどうって事もない。だって、事実なんだから。

『……そっか。“紅蓮の死神”っていやぁ、ザルフィアの中でも“牙”と呼ばれた精鋭の一人で、南部の海賊討伐とかで頭角を現したっつー…。…おいこらちょっと待て、もし仮に若さんがそうだとすると、お前さん、今幾つだよ。“紅蓮の”が活躍したの、今からもう5年以上前だぞ』

 俺が“紅蓮の”だと分かると、大体半数以上の人は事実確認をとりたがる。特に、年齢の話は毎度のお決まりだ。

「今年の夏で23になるよ。ザルフィアにいたのは14から18までで、その二つ名がついていたのは16の時から」

『…若作りって、よく言われるだろ』

「そうだな」

 それこそ耳にタコができてもいいぐらいに。何やら複雑そうに顔を顰められたが、嘘でも何でもない。サバを読んでいる訳でもない。見た目と、実年齢と、噂から想定される年齢、この三つが一致しないってだけの話だ。体格が比較的細めだからひょろっこく見られるうえに、多少は若作りなツラなので、結果として大体5歳ぐらいは若く見られてしまうんだ。おかげで、しょっちゅう10代のガキだと勘違いされるんだよな。で、噂から総合的に判断すると、俺は30歳以上のクールな仕事人、という事になってしまうらしい。いかにも剣で世の中を渡り歩いている奴、って感じなんだと。だから本人目の前にして、そのギャップの大きさに衝撃を受ける奴はよく見てきたよ。話が違うっつって、怒っちまった人も過去にいたな。こっちとしては、勝手に噂だけを基にして考えた“俺”と、本物の“俺”とが異なるのは当然なんだから、何も驚く必要はねぇんじゃねぇか、と思うんだがな。…そもそも、そういう風に周囲に思わせるような噂が流れている事の方が問題なんだよ。

『しかしよ…。16で二つ名が死神って、どうなっているんだか。しかも14で傭兵団に入ったんなら、仕事し始めて2年しか経ってなかった、って事だろ。どんな仕事生活だったんだよ。それと、入るまではどうやって生活していたんだ?』

「団長に拾ってもらうまでは、ただのガキだったよ。12ぐらいまで親と一緒に普通に暮らしていて、諸事情で生き別れてからは近くの大きな街で浮浪児として生きていたな。その頃に剣とかは覚えたよ。で、丁度俺がザルフィアに入った頃って、…丁度あれの頃だから。必然的に駆り出されてさ」

『今から10年ぐらい前っていったら…。ライノの反乱の頃か。俺はずっと精霊石の中にいたからよく知らねぇが、風の便りで耳にした事はあるな。…そりゃ強くもなるか』

 10年前に国内全域で同時多発的に発生した暴動やらデモやらをひっくるめて、ライノの反乱って呼んでいるんだ。同じ集団が仕掛けたんじゃなく、あれは民衆蜂起だったな。前年から不作が続いていたってのが、要因の一つらしい。俺らはこの時民衆側に雇われて、あちこちを転々としていた。手助けのいる所を梯子し続けて、移動だけでも疲れたが、稼ぎもそれなりだったので特に文句は出なかった。団員もダーレスのせいで何らかの被害や迷惑を被った事のある奴が多かったし。ダーレスは反乱を止めるために戦力をがっつり出してきたから、この国じゃ珍しい、死亡者が出て当然の本気の戦闘になっていた。新入りでも戦うしかなく、おかげで腕は上がった。元々筋はよかったらしく、成長が早いって団長も言っていたっけ。だから弱冠15歳にして“牙”になれたんだけど。


 一番の新入りがそんなに出世しても何もトラブルが起きなかったのは、実力社会だったって事と、団員の団長への信頼が大きかったから。団長が決めた事なら、ってのが俺らの間ではあったから。信頼しているから、常識外れでも受け入れちまうっつーか。あの人は無謀な立案は決してしなかったから、団長の指示のせいで団員が犬死する事はほぼ無い、という実績もある。団員を極力死なせないでいいように、雇い主の提示してきた計画に文句を付ける事もあったな。…と、ここまでだとすっごいいい人なんだが、あの人は無茶な策を練る事も多かったんだ。相手の度肝を抜くような策を思いついて指示を出していても、全ての種明かしは最後まで取っておく。だから用意をする俺達団員も、何がどうなるかさっぱり、ってな。だから…完成図の図面は団長の頭の中にしか存在しないから、俺達は手品の手伝いをしながら観客と一緒にその手品を楽しんでいた、って感じになるかな。大がかりな事は少なかったが、いざやるとなると、団員は例え死なないとしても無茶苦茶な事をやらされるから、結果的に大抵の事が苦じゃなくなったよ。基本的に一度極限を経験すると他がかわいく見えちまうらしいんだが、ザルフィアの団員の場合、そんな経験をする要因の約8割は団長にあったと言っても過言じゃないだろう。


「ま、そのおかげで今こうしていられるんだけどな」

『それもそうだな。…にしてもまぁ、お疲れさんだな。今も昔も』

 そういえば、今更だけど、あの名前が畏怖の対象、恐怖の矛先として使われたのって、本当に久しぶりだったんだな。もうそんな事は無いかと思っていたのにな。情報屋の狸なおっさんが今でも時々“死神”って言っているけど、それは単なるからかいでしかないし。あの名前は元々、俺の事を指す隠語として敵の間で使われていたものらしいんだ。返り血で真っ赤に染まり、死神の如く敵を殺していくっていう無双っぷりから付けられたんだと。だからいつから使われていたかは、はっきりしない。それがいつの間にか有名になって、17になる頃には完全に定着しちまっていた。あの頃は本当に国内が今以上に不安定だったから、忙しく働いていたしな。…だけど、実はザルフィアの団員として働いていた頃の記憶に、所々だが空白が生じているんだよな、俺。一応その時何があったのかは後付けの情報で知っているけど、いったいいつ、どこで、何があって自分がどうだったのか、自分自身の経験という形では全然思い出せないんだ。ライノの反乱の時も、南部海賊討伐の時も(…これは珍しく、雇い主が反ダーレス派じゃなかったな)、大きな戦闘のあった時には少なくとも一回は、記憶のすっぽ抜けた所があるんだよなぁ。理由なんてさっぱりだし、他人に話したところでどうにもならねぇから黙っているが…。…もしかしたら、何かを思い出さないように、記憶を無意識のうちに封じていんのかもな。

『んじゃ、何かあったら、本当に遠慮するなよ』

 やれやれ、手がかかる奴ばっかだぜ…、と軽く冗談めかして笑って、ラドゥルファは奥に戻っていった。

 一人焚火の傍に残った俺は、外套を体に巻き付け、膝を抱えて空を見上げていた。

 少しだけ、気が楽になった、ような気がした。


 朝になれば、不安定になっていた心理状況も元に戻っていた。やや揺れていた感情も、いつもみたいに鎖で心の底に繋ぎ止められた。ケロッとした表情を浮かべて、何事も無かったかのように振る舞えたし、もう大丈夫だ。シェルマにも気付かれていない。

 だけど、ラドゥルファには、やれやれと言いたげな顔で肩を竦められたけど。

「で、今日はどこまで行きますか?」

「そうだな。最寄りの町で、あの村の事話しておきたいしなぁ。この辺で情報屋のいる町といえば…」

 広げた地図を4人で覗き込んで、あそこはどうだ、ここはどうだと相談していくんだが…。元々この辺が抜け道として使われるような場所だから、大きな街道に出るのは簡単でも、そこから次の大きな町に行くのは大変なんだ。信用できる情報屋も、そうそういるもんじゃないし。とすっと、どうしても場所が限られてくる。信用できる奴なんて、大半は大きな場所にねぐらを持っているからなぁ。

 …あ、そういやもうそろそろあいつがこの辺に来ている頃じゃないかな。こっち来ているのなら、あいつに売りに行くのも一つの手だし。

 いつも猫みたいに笑っている昔馴染みの女の顔を思い描き、地図を操作して居場所を割り出してもらう。この地図の便利な所は、俺の知っている人ならば、時間は多少かかるけどそいつの現在地を特定してくれるって事だ。だから定住せずに、俺みたいに各地を放浪している知り合いに会いたい時にはすっごい役に立つ。…俺自身が迷子になった時にも使う機能だ、というのは秘密だ。

「…お、思ったより近くにいるじゃねぇか」

『どちら様を…。…あぁ、エレナ様ですか』

「遠回りして他の町にいる情報屋を探すより、あいつに会いに行った方が早いと思って。どーせあいつもこっちに戻ってくる頃だったしさ。…事情説明がロッティん時より面倒で大変だろうけど。絶対、根掘り葉掘り聞かれるぞ」

『その危険性は大いにありますねぇ…』

 エレナ=ティリス、と書かれた印が点滅しているのは、俺らの現在地から北西へ高原一つ分越えた所にある町、温泉地として名高いノザの町だった。この領内には幾つか温泉地があるんだが、それらを束ねる組合の長をしている町でもあった筈だ。小さい町だが、湯治場として大昔からその名は知られているらしい。俺も何度か行った事がある。

 で、エレナ=ティリスというのは、俺がフリーの傭兵を始めてからの知り合いだ。情報屋なんて危ない仕事を女だてらにしているだけでもすごいのに、こいつの場合はそれだけじゃない。流れの、情報屋なんだ。拠点を作らずに各地を放浪して、出かけた先々で情報を売り買いしているんだと。だからなんつーか情報の運び屋みたいな感じかな。どっかで仕入れた情報を、他所に持ってって売り飛ばす、と。こういう事をする奴ってあんまりいないから、需要はそれなりにあるみたいだ。ま、本人も旅行好きらしいし、情報集めも得意らしいから、まぁいい選択だったんじゃねぇかな。親父さんが剣闘士だったとかで、自分の身を守る術もよく分かっているし。なんせ、この俺が一発で勝てなかった奴だもん。3度目の正直でどうにか勝利をもぎ取ってやったけど…、今じゃどうかな。ほんと、あの見てくれであの強さは詐欺だって…。なんだって、あんな無敵な奴が、柳腰の美女なんだッ!訳分かんねぇよ!

「あの…エレナさんって、誰ですか?」

「ん?…あぁ、流れの情報屋だよ。エレナ=ティリス、今じゃすっかり珍しくなっちまった、ジーリアスの血を引く者の一人。女だてらにそんな仕事するだけあって、腕は相当立つ。俺がフリーの傭兵始めてからの知り合いだな」

「その人に会いに行くんですか。あの村の事を広めてもらうために?」

「そういう事だな。こんな目印の乏しい道だ、一つでも目印が消えたら通行に支障が出る危険性は十分にある。例え寄り道になるとしても、情報を流すのは街道を使う者の礼儀だな」

 お返しとして、こっちがまだ知らない情報を教えてもらえるかもしれないし。あいつはあれこれ聞きたがるが、情報を提供するのに関してケチ臭い事はしない。等価交換、というのはあいつのモットーだそうだ。

「あいつとノザの町であって、それからすぐに次の場所へ行くつもりにしている。ただ、すぐに会えるかは分からんが。ノザから次のハジャドゥまではそう遠くないから、回り道といってもそんなに大きな寄り道にもならないだろうよ。何か質問は?」

『私は、特に何も』

『俺もだな。ついでに何かしらの情報を仕入れられたら、それはそれでラッキーだしな。…嬢ちゃんはどうだ?』

「私も問題ないですよ?そもそも、文句を付ける理由が見当たりません」

 という訳で、俺たち一行は急遽、目的地をノザへと変更する事になった。


 村の跡地からノザまでは、人気が無いものの騒動一つ起きない安全な道のりとなった。だから、普通なら丸二日はかかるのに、次の日の閉門時刻ギリギリに町の中に入れた。

「さて、と。とりあえずは、どっかでメシと宿を確保するか」

「私、お風呂に入りたいです」

「そりゃ構わねぇけど。確か公衆浴場が中心街にあったから、後で行ってきたらどうだ?ま、宿を確保すんのが先だけど。ここまで来て野宿は嫌だからな」

 大体こういう所には、旅人用の安宿がありそうなもんなんだがな…。夜のノザは提灯がついて幻想的な雰囲気はあるが、坂と階段だらけで狭い道はどこも人の熱気で埋め尽くされてしまう。日中が暑くて日差しもキツイ分、夜になると屋台とかも出て、色んな店が一斉に営業時間帯に入るんだ。

 それはさておき。過去にノザへ来た事がある俺だが、実は滞在した事はまだないんだよな。いつも風呂に入って、すぐに次の場所へ移動していたから、どこに安宿があるかなんてさっぱり分からない。

『でも、当てはあるのですか?』

「…だから探しに行くんだよ。わざわざ言うな、バカ」

 でも、行くアテが無いのも事実。こういう時は、まず酒場か食堂に行ってみるのが一番だ。そういう所は、2階が簡易宿舎になっている事が多い。そうなっていなくても、人が多く集まる所は情報が行き交う場所でもある。明らかにここへ着いたばかりの旅人だ、と分かる格好をしている俺らが店に入れば、客の一人か二人かは声をかけてくるだろう。本日の宿も確保できるかもしれない。

 そう3人に告げると、あっさり了承された。理由は、てんでバラバラだったけど。

 門から町の市場までは、そう遠くなかった。俺たちがとりあえず入ったのは、市場の入り口からほど近い酒場兼食堂。夕方で人も多く店も混んでいたが、かえってそれは人の目を誤魔化すためにはうってつけだ。夕飯もまだだったから、シェルマ達3人には先にテーブル席で食べておいてもらう事にした。俺はカウンターで水の入ったグラスを傾けつつ、店の主と話すタイミングを窺っていた。

 ま、俺ももっぱら客のおっさん連中と喋ってたんだけど。

「隣、いいかしら」

 にっこりと笑って俺の右手にある椅子に座ってきたのは、男装しているものの美人な女性だった。年の頃は俺と同じぐらいか。連れはいないみたいだ。

「お兄さん、旅人さん?」

「あぁ。ちょっと探したい物があって」

「そう。でもいいわね。自分の生きたいように、やりたいように自分の時間を使えるのって。そうは思わないかしら?」

「…そう、かもしれないな。でもそれを言うなら、あんたも同じような旅人じゃねぇのか?」

「あら。バレちゃってたのね」

「こういう生活を長くしていると、相手がその町の人間なのかどうかぐらいは分かるんだよ」

 だけど、この人は、自分が旅人である事に俺が気付いていると、指摘されるより先に気付いていたんだろう。驚いているようで、それは表情だけだったから。面白そうに口元を緩めている。俺も、ふっと口元を緩めて笑った。

「…で?俺に何の用です?」

 その人の口元は、更に面白そうに弧を描いた。それから、俺に金貨を握らせながら、今度はえらく真面目な目でこっちを見てきた。

「私にかかっている追手から守ってもらいたいの。少しの間だけでいいから、頼めるかしら」

「受けたいのは山々だが…。なんで追われている。それと、追手の規模はどれぐらいだ。それによって決める。こっちにも先客がいるんでね」

「それは、そこのテーブル席にいる3人組の事かしら?かわいい女の子と、若いお兄さん2人の3人組ね」

「……あんた、本当に何もんだ?ただの旅人じゃねぇだろ」

す…と自分の目が細くなったのが分かった。急にこっちの気配が変わったから、シェルマ達も何かを感じたんだろう。精霊二人がいつでも対応できるように、ほんの僅かな動きだけで構えをとった。

「この金貨は、現在出回ってるものの中じゃ最高純度だ。ダーレスがこの国を支配し始める前の時代の最後の王、ファルス王の御代に作られたものだ。そんなもん、表ルートでも裏ルートでも出てこねぇよ。なのに、ただの旅人が持っていて、尚且つ他人の懐柔に使うとなると、怪しまれても当然だ。…それから、もう一つ。……あんた、なんで自分で追手を倒そうとしないんだ?上着の下にあるもんは、張りぼてか?」

「…さすが、元“牙”には敵わないわね」

 初めて、彼女の口元が純粋に笑みを描いた。…でも俺、自分が“牙”だっただなんて一言も言ってないぞ。

「いいわ、今の私に話せる全てを伝えるわよ。その上で、どうするかはあなたが決めてくれる?」

「いいぜ。…ただし、手短に頼む」

「分かってるわよ。……相手は全部で5人。そのうち3人は、人間じゃない。残った二人のうち片方は、限りなく人間に近いけど何かが違う。術師っぽいけど、外国人でもなさそうね。でもよく分からない力を使ってくるのは確かよ」

「その、人間じゃないと断定できる3人は、やっぱあいつらか?」

「たぶん、そうでしょうね。皆、似たり寄ったりな闘士風のおっさんだったから」

 そりゃまた面倒な。多分、この人の実力なら、相手が本物の人間だらどうにかできてたんだろうけど。…人外が出てきたら、一般人には不利だ。

「…OK、引き受けよう。ただし、今回だけだ。いいな?」

『主、何勝手に決めているのですか!?』

「うるせー。決定権は俺にある。それに、こいつからはまだ聞き出してぇ事があるからな。ダラックを引き連れた奴らが、理由も無しにただの一般人を追っ駆けるもんか」

『それは…そうですけど』

 シェルマが不満そうになるのもよく分かる。ただでさえもこっちは、自分達の身を守るので手一杯なんだ。それなのに他人を助ける事が果たして可能かと問われたら、基本的に答えはNOだな。特に今回みたいに、一筋縄ではいかない連中を相手にする時は。ただし、助ける相手にもこちらと同等ぐらいの実力があるのなら話は別だ。そういう奴は、自分の身は守れるけど、相手を追い払う余裕までは無いから、俺達みたいなのに手伝いを要請してくるんだ。つまり、こっちは依頼者の身の安全を気にしながら戦わなくてもいい、って事になる。相手が相手だから楽な任務ではないけど、心理的には楽かな。目の前の戦いに集中できるのって、やっぱ重要だし。

『で、若さん、どうするんだ。依頼、本当に受けるのか』

「…のつもりだけど。別に俺がお人よしだから助けるとか、そんな風には考えるなよ。俺はむしろ、その逆だし。それに、こいつに恩を売るのも、たまには悪くないかな、って思ってさ」

 ニヤリと彼女に笑いかければ、困ったわねぇと言いつつ、悪戯がバレた子供みたいな笑みを返してきた。訳が分からない外野組はポカンとしている。…そりゃそうだ、俺も確信できるまで時間かかったからな。

「よく分かったわね。私、この格好であなたに会った事一度も無いわよ?」

「だから、俺も最初は分からんかったな。きっかけは、お前が俺の事を“牙”と呼んだ事だ。さっきの会話の中で、俺は一度も自分が“牙”だとは言ってなかった。なのにどうして分かったのか。とすれば、あんたは俺が一体何者なのかを知っている必要がある。昔の知り合いならいざ知らず、見ず知らずの行きずりの旅人じゃ俺の正体は見破れない。テーブル席で他人のふりをしていたシェルマ達が俺の同行者だと気付いていたのも、あんたの正体に気付くきっかけの一つだったな。それから、これが一番はっきりと確信する事になったきっかけだけど、お前、途中から気配を偽るのやめてただろ。女で、戦闘力高くて上着の下には舶来物の銃。大昔の金貨は持っていて、となるとその正体は限られてくるぞ」

「…やっぱりあなたには敵わないわね。いつもそうよ。こっちが正体を明かす前に気付くんだから。せっかくの変装も台無しよ」

 肩を竦めて笑うそいつを見て、シェルマが驚いた声を上げた。…ようやく気付いたか。

『もしかして、あなたは…!』

「えぇ、お久し振りね。…そっちのお二人さんは、初めましてだけど。今回のお客さん?」

「あぁ。ジジイ連中に頼まれてな。今回は、その事でお前の手を借りに来たんだよ。それなのにそっちから依頼を持ってくるなんて、考えてもみなかったぞ」

 ごめんなさいね、と笑うそいつと、それに対する俺やシェルマの様子から何かを悟ったんだろう。キリが恐る恐るといった体で声をかけてきた。

「あのぅ…、エレナ=ティリスさんですか?」

「えぇ、そうよ。はぐれ物のエレナと言えば、情報屋によくお世話になる人なら知ってるんじゃないかしら。…それでお嬢さん、あなたの名前を伺っても?」

 一瞬、エレナの表情が獲物に狙いを付けた蛇に見えた。こいつ、相手が自分の味方だろうが何だろうが、資源になりそうな情報を持っている奴だと感じたら、言葉巧みに誘導して根こそぎ引き摺り出すんだよなぁ。俺としては、キリがその毒牙にかかりそうでちょっと心配なんだけど。…さっそく狙いを付けられたかな?

「キリです。出身は天空領です」

「へぇ、珍しいわね。あそこの人はあまり外界と接点を持たないのに。…何か理由でも?」

「それは…」

 言葉を濁らせて何とか誤魔化しつつ、それでも自力では対処しきれなくて俺に助けを求めてきた。…ったく、余計な事を言うからだ。

「話すな、ってのが依頼者が出した条件一つなんだよ。天秤にかけて立てた誓いは破れないしな」

「…リーヴェ君って、意外と大昔からの伝承とか信じてるわよね。何か根拠とかあるわけ?」

「伝承の中に出てくる存在と常に身近に接してたら、嫌でも帝の存在とか全部信じられるようになるんだよ」

 訳が分からないわよ、と不満気に口を尖らされたが、俺は何も言わなかった。こんな所で無駄話をしている訳にはいかない。それに、いつ追手が来るかも分からないしな。無駄話とかをするのは、全部終わって何も心配する必要が無くなってからだ。

「シェルマ、エレナの追手がどの辺にいるか、捕捉できるか」

『やってみますが…。そういうのは、ラドゥルファにさせた方が良いかと』

「それもそうだな…。…ラドゥルファ、頼めるか?」

『若さんの頼みなら、主の命じゃなくても受けてやるよ。んじゃ嬢ちゃん、悪いがちょっと席外すぜ』

「いいわよ。行ってらっしゃい」

 ラドゥルファが外に出た後、俺達も店を出て広場の片隅に移動した。人が多くても、広場なら何があっても生じる被害は店の中にいるより少なくなるから。

「…なあ、エレ」

「何?仕事料なら結果を見てから払うけど」

「そうじゃねぇよ。…どこか適当な安宿知らねぇか?実はさ、まだ今日の宿決まってねぇんだよ」

「そうね…。…いいわよ、迷惑かけるお詫びに、私の泊まってる宿に口きいてあげる。あなたの頼みなら、それぐらいどうって事もないしね」

「…ありがとな」

 そう礼を言ったら、珍しい事もあるのね…と驚かれてしまった。

「あなたが素直に礼を言うだなんて」

「……失礼な」

 渋面を作る俺を見て、エレナはやっぱり珍しい光景よねぇ、と一人呟いている。

「だって、あなたっていつもなら、同じ一日を単純に繰り返して生きているだけみたいな、そんな無気力っぽい人に見えてたのよ?それなのに今は表情がクルクルと変わるから、すっかり別人に見えるのよね」

「…ふぅん、そう見えてんのか」

 本当は、あの頃から何一つ変わってねぇんだけどな。今の俺になる事が決まった時から、何一つとして。変わったのは外面だけだよ。…とは言えず、曖昧に言葉を濁して誤魔化した。本当、つくづく嫌な性格してるよな。

『…主』

 シェルマに声をかけられて顔を上げれば、風の精霊が集まっていた。手を差し出せば、手の甲に降りてきて嘴を動かし、音にならない声で何かを伝えてくる。聞き取るのは難しいが、耳を澄ませば問題ない。

『彼らは何と?』

「ラドゥルファからの伝言だな。…西門付近で敵を発見。追跡しようとしたが、相手は気配のみを残して姿を消した、だとさ。真っ直ぐこっちに向かってるみたいだな」

 広場には何も知らない一般市民がたくさんいる。このまま戦闘を始めるのは、避けたい。物的被害より人的被害が多くなるから。外に出てきたはいいものの、かえって逆効果だったかもしんねぇな。…だけど、悲鳴がどこからも聞こえてこないのが妙に気になる。

「なぁ、…あいつら、ちゃんと陸上を通ってきてるのか?」

『待って下さいね…。…微かにですが、空間にゆがみが生じてますね。気配を絶つと共に姿を消す類の、初歩的な術のようです』

「結界系か…。とすると、闇の精霊術の系統だな」

『はい。あの子達は空間を自在に操る術に長けていますから。…出迎えるにしても、どうなさいますか?』

 今は夜。闇の精霊が最も活発になる時間帯。結界も、そう簡単には破れんだろ。入れたとしても、破るのが難しいとなると、ちょっとなぁ…。向こうから招いてくれたら楽なんだがな。そうしたら、内側から更に結界作れるからさ。俺の結界で元々の結界とそれを作った術者が隔離されたら、力の流れが断ち切られて元々の結界は消えるから。

「エレ、相手とお前の接点て、そういえば何なんだ?やっぱ仕事絡みか?」

「それがよく分からないのよ。向こう、何も言ってこないから」

「…ざけんな」

「そう言われても困るわよ。…ただ、単なる恨みとかじゃないような気はするのよね。いくら私でも、あのメンバーが本意で殺しに来たら太刀打ちできないわよ」

「でも実際にはそうじゃない。お前は追手を振り切って逃げてるもんな。追手はあんなメンバーなのに殺しに来ないとなると、お前を捉える事が目的か。…エレ、お前、何かすっげぇ重要な情報、しかもよくても悪くてもダーレス側にとって重要なものを握ってんじゃないだろうな」

「重要な情報…ねぇ。物にもよるけど、今のところは特に握ってない筈よ?あるとしたら、古神殿の発見に纏わるものかしら」

「…それだな。俺も、その話は後で聞きたいけど…」

 全部後回しだ。

 周囲の景色が全部消え、空間が支配した。自分や他の連中は見えるけど、街並みや道行く人達は消えてる。

「リ…リーヴェさん、これって…」

「結界に取り込まれたな。安心しろ、すぐに出られるから。…エレ、そいつの事、暫く頼むな。シェルマ、外に出たらラドゥルファと合流して、二人を守れ。どこか安全な場所で、俺が戻るまで待っててくれたらそれでいい」

『主…よいのですか?』

『これ以上、二人を暗闇の中に居させる訳にはいかないからな。俺は慣れてるけど。…それに、頼まれた仕事を果たすのは、依頼主の近くより遠くの方がいいから』

『ですが…。相手として来てるモノについて、忘れた訳ではありませんよね?』

「忘れてねぇよ。…でも、いやむしろそうだからこそ、守るべき相手は別の所でじっとしてもらって、俺一人で相手したいんだ。格好つけたいとかそんなんじゃない。…頼むから、言う事を聞いてくれ」

『…分かりました。では、こちらからも一つ約束してほしい事があります。…必ず、無事に戻ってきて下さいね』

「分かってる。ヘマは死ねぇ。こんな所で死ぬのはごめんだからな」

 じゃあ…頼む、と相方を見上げれば、大抵の無茶な願いには苦笑や呆れ顔で応じるシェルマだったが、今回は真面目な顔で一礼を返してきた。

「…“全ての始まりより世界を見つめるモノよ、我と我が敵を隔絶せよ”」

 皆に背を向けたまま早口に、小さく呟いて自分自身を世界から弾き出した。


「え…?」

 一瞬にして暗闇が消えた。あの底なし沼みたいな闇は消えたけど、今度はリーヴェさんがいなくなった。

「…どうなってるのよ」

 隣に立つエレナさんも、状況がよく分からないと言いたげにリーヴェさんがいた辺りを見つめていた。

 とりあえず、この状況下で頼れるのは…。

「ラドゥルファ、急いで戻ってきて!」

 そう言い終わらないうちに、頭上から大きな羽ばたきが聞こえてきた。見上げれば、夜空に輝くセルナ(月)を背に、“鳥の王” が舞い降りてくるところだった。ス…と手を差し出せば、鳥は手首にとまる前に人の姿に戻った。

『悪い、そっちに丸投げしちまって。…って、あれ?』

 そこには、追手、どこ行ったんだ?と首を傾げるラドゥルファが立っていた。

『おいシェルマ、あいつらどうした』

『…主が一人で全て引き受け、ご自分と共に結界で追手を切り離されました。追うのは難しいですよ』

『追手の結界の中じゃ、戦うのには不利だもんな。…じゃなくて!何で主人を一人で行かせたんだ?いつもならお小言行って、引っ付き虫よろしく付いて行くだろ?』

『主に、頼むから言う事を聞いてくれ、と言われては従うしかありませんよ。…例えそれがどのようなものでも、あの人の指示は絶対ですから』

 そうシェルマさんに言われて顔を顰めたラドゥルファだったけど、すぐに私の事を思い出したのか、慌ててこっちに目を向けてきた。本当に急いで戻って来たらしく、彼にしては珍しく服の襟元とかが乱れたままになっていた。いつもなら、着崩す事はあっても、適当にグシャグシャにしたまま放っておく事はないのに。

『で、嬢ちゃん、どうした。俺に急いで戻ってきてくれって、何かあったのか?』

「リーヴェさんがいなくなったから…。いきなり暗闇の中に放り込まれて、でもすぐにここに戻ってきて。戻ってこれたのはホッとするけど、その代わりリーヴェさんだけがいなくなってて。シェルマさんに頼ってもよかったんだけど、いつまでも他の人に頼る訳にはいかないし。だから」

『なるほどな。その辺に関しちゃ、さっきシェルマの奴から事情は聞いた。心配すんな、若さんはどっか行っちまったんじゃない。闇の精霊が作った結界の中にいるだけだ』

 闇の精霊…というと、闇を司るエンヤ様を母とする精霊だった筈。八大帝に連なる精霊の中では珍しく、夜の世界で活動する集団だと、お爺様から聞かされた事があったような…。

「ちょっと待って、さっきから精霊って出てきてるけど、どういう事なの?!あなたも、鳥から人に姿を変えるなんて普通じゃできないわよ!そもそも、さっきのリーヴェ君といいあなたといい、私の追手と同じような技を使ってるけどどういう事なの?!」

 エレナさんの怒ったような叫びで、周りにいた人達が一斉に私達の方へ視線を向けてきた。このままここにいたら、色んな人から目を付けられてしまうかも…。そうなっては、ここに居辛くなるよね…。リーヴェさんがどの辺りにいるのか、そもそも結界はこっちから把握できるのかもわからないけど、とりあえずここから移動した方がいいのは確かよね…。

『…人が集まってきてしまいましたね。どこか場所を移しましょうか。…エレナさん、この辺りで人目につかず、かつ盗み聞きされる恐れの低い場所はありますか?』

「あるわ。…宿屋の部屋よ。今私が止まっている所、割とお金かかっている宿だから普通の宿より防音性も遮蔽性もいいわよ」

 そういう事で、私達はエレナさんが滞在している宿に向かう事になった。


 暗闇にも目が慣れてきた。相手の頭数は、思っていたほど多くない。手前にダラックが獣化した状態で三体。その向こうに、男が一人と、人の姿をとっている何かが一体。…化け方が上手いから、ダラックじゃなくってフェルネスだろうな。男はこいつらの指揮官、制御役といったところか。武装はしてないっぽいけど…信用ならねぇな。こういう奴は、武官じゃなくても術が使える場合があるからな。もしくは、術封じの護符を持って来てたりな。

「これはこれは、見事に術を破られてしまいましたね」

 先に動いたのは、相手の方だった。後ろに控えていた男が前に出て、俺達の間に光を灯した。精霊のじゃなくて、普通にランプの明かりだ。男は老人に片足を突っ込んでいる胡麻塩頭。中背で痩せている。日に焼けていない肌が、生白くて気色悪い。それに、闇の中にいるのにフードを被ったままだ。めしいなのかは分からん。足取りはしゃんとしてるからな。薄い唇で笑っているが、どうも狐に思えてならない。

「しかも獲物には逃げられていまいましたか。…あぁ、心配なさらずとも、あなたに手を出す気はありませんよ。大人しく彼女を差し出して下さいすれば、ですがね。“紅蓮の死神”様」

「八ツ。そう簡単に友人を売れるかよ。しかも、自分が何者なのかすら明かしてねぇような、信用できねぇ奴に。もう一つ言わせてもらえば、仮にテメェが正体明かしてもな、ダーレス側の連中とつるんでるような奴とは付き合いたくねぇんだよ」

「友人、ですか。…それは本当にそうなのでしょうかねぇ。人間のような、裏で何を考えている分からない生き物の間に、そのような関係は成立するものですかねぇ」

 ニヤニヤと嫌な目で笑ってくる。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ