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君に恋をするかもしれない~なんかベタですみません~ 修正ver

注:以前投稿した『君に恋をするかもしれない。~なんかベタですみません~』を修正したものです。展開で少し違う所はありますが、内容は同じです!!

ご注意ください!!!

伊藤千花は、取りたてて美人というわけではない。スタイルがいいわけでもなく、頭がいいわけでもない。「暗い」というわけではないが、明るいと暗いの二択ならば、暗いの部類に入る、そんな人物である。

 千花はそれでいいと思っていた。仲の良い友だちはいる。いわゆる「イケてるグループ」の子たちと積極的に話すわけでなくても、必要ならば話し、談笑もできた。男の子と話すことは少し苦手だったが、だからといって困ることなどなかった。きっと、あと1年と少しの高校生活も平凡に過ぎて行くのだろうと確信していた。

 しかし、それは1人の傲慢な発言により壊されていく。


季節は夏に近づいていた。青々とした木葉が風に揺れ小さく音を立てる。日差しは暖かく、時には暑かった。

「お前、俺と付き合え」

 瀧山徹の人差し指の先を見つめ、千花は時が止まるのを感じた。

その2秒後、時間は動き出す。周囲から一斉に聞こえた悲鳴を他人事のように聞いていた。

指先から少しだけ視線をずらす。どこか赤くなっているような顔がそこにあった。

 端正な顔立ちだなと思う。栗色に染まった髪は、彼によく似合っていた。

これで、頭もよく、運動神経もいいというのだから、卑怯なものだ。

「ちょ、ちょっと徹、何言ってるの?」

「そ、そうだよ」

「あ、わかった。伊藤さんのこと、からかってんでしょう?だめだよ。真面目な子のことからかったりしちゃ」

 我に返った女子たちの口から色んな言葉が飛び交う。

徹は気付かないのか、無視しているのか、彼女たちの言葉には反応せず、ただ千花を見ていた。

射抜かれるような視線。周りの視線もそれを追うように千花に集まる。

「あ、えっと…結構です」

 千花はまっすぐ見つめそう告げる。そして、再び時は止まった。

「はぁ~~?」

 時の再開を告げるのはやはり女子たちの声。

「信じられない」

「何様なの?」

 そんな声を聞きながら、千花は呆然と立ち尽くしている徹に背を向ける。

「ごめん、香織、智絵ちゃん。お待たせ。お昼食べようか。早く行かないと屋上のスペースなくなっちゃうよ」

「え、あ…。いいの?」

「ん?」

「いやいやいや。『ん?』じゃないよ!今の状況理解しなよ。あの瀧山徹が!地味でこれといって取り柄のない千花に!!告白してるんだよ!!!」

 智絵の言葉に周囲の人間は心の中で大きく頷いた。

「智絵ちゃん。…そういうはっきりとしたところ好きだけどね」

「あはは…。ごめんって」

「いいよ。気にしてないし。というか、どうせ冗談でしょう。ねぇ、それより早く…」

 言いながら立ち去ろうとしていた千花の腕は、強い力で引かれた。振り向けば怒ったような表情の徹。掴まれた腕が痛く表情を歪めるが、それでも徹は力を緩めない。

「…離してください」

「勝手に冗談なんかにするなよ!俺は本気で…」

「こんなところでする告白のどこが冗談じゃないって言うの?それに、恋愛とか興味ないの。こういうのに巻き込まないで」

 再び振り払った手は簡単に外れた。

「香織、智絵ちゃん。行こう」

 千花は、周囲を囲む人を掻きわけ歩いて行く。香織と智絵は一瞬顔を見合わせ、心配の表情を浮かべ後を追った。


渦中の1人がいなくなり、静止画のように止まっていた人々が動き出す。

途端に徹は囲まれ、質問攻めにあった。それを無言で振り払い、階段を下りる。

裏庭へと進んだ。レンガで囲まれた花壇の傍に青いベンチが2つ置かれている。

徹はそこに腰かけ、目を閉じ、息をはいた。

「傷心中?」

 ふと現れた声の主を睨みつける。

「はいはい。怖い顔しないの」

「…敦」

 敦と呼ばれた少年は、徹に劣らず、綺麗な顔立ちをしていた。明るい色で染められた髪は少し長く、彼の優しい雰囲気を上手く醸し出している。

 敦は笑みを浮かべたまま、徹の隣に腰かけた。

「珍しいね。お前の本気」

「…」

「冗談なんかじゃないのにね」

「…うるせぇよ」

「でも、もう少し、周りの反応とか、相手の気持ちとか、順番とか考えた方がよかったんじゃないか?」

「…」

「あ、考える余裕もなかったのか」

「だーもー!うるせぇ!!」

 耳まで赤く染め、頭をかく友人の姿を見て、敦は気付かれないように笑った。

「ま、とにかく、今後の作戦でも考えますか。大丈夫。経験値ならお前より数倍上だから」



 屋上から見える空は青く、程よい暖かさだった。静かな風が髪を揺らす。

先ほどの騒動のせいか、屋上にいる人の数は通常より少なかった。千花たちは適当な場所を見つけ、お弁当を広げる。

「ねぇ、千花。本当に良かったの?」

「何が?」

「何がって、瀧山徹のこと!」

「あ~」

「あ~、って!あの瀧山徹だよ?あんなイケメンと付き合える機会なんてたぶん今後来ないって」

「…来ないって言い切っちゃうところが智絵ちゃんだけどさ」

「あ…ごめん。また失言した?」

「大丈夫。…でも、本当にいいの」

「…でもさ、瀧山くん、冗談には見えなかったよ?」

「というか、瀧山は冗談言うタイプじゃない気がするよね。仲がいい渡辺敦ならあり得そうだけど」

「敦くんはいい人だよ?こんな地味な私とも変わらずに接してくれるもん」

「千花は地味なんかじゃないよ」

「そうそう。ちょっと大人しいだけだって。…って、話ずれてるし。今は、瀧山!」

 智絵は千花の両肩に手を乗せ、軽く揺らした。

「本当にいいの?後悔しない?あの、瀧山徹だよ!別に今、他に好きな人がいるとかっていうわけじゃないんでしょう?」

 千花は智絵の様子を見て笑いながら言った。

「そういう人はいないよ。ってか、智絵ちゃんも瀧山くんのこと芸能人みたいに言うんだね。ま、確かに格好良いけど」

「格好良いとは思うんだ」

「え?だって香織も思うでしょう?」

 尋ねられ、香織は少しだけ首を横に傾げた。

「格好良いとは思うけど、私は、渡辺くんみたいな優しい感じの人の方が格好いいと思うけどな」

「まあ、瀧山は騎士で、渡辺は王子様って感じだもんね」

「智絵ちゃん、その表現上手い」

「それはどうも。…ってか話を戻すけどさ、格好良いとは思うなら付き合ってみればいいのに」

「確かに格好良いとは思うけど、付き合うとはまた別でしょう?」

「それは、そうだけど…ね?」

 智絵は同意を求めるように香織を見た。

香織が小さく頷く。

「今はまだ好きじゃなくても、付き合って相手のことを知っていったり、好きになっていったりすることもあると思うんだ。別に瀧山くんの申し出を受けろって言ってるわけじゃないんだけどさ、格好良いって思うっていうのは一つの好意の表れだと思うから、付き合うきっかけになることでもあるんじゃないかなって」

「確かに言ってることはわかるけど、でも、あの瀧山くんが、この私にっていうのがやっぱり冗談とか罰ゲームなんじゃないかなって思っちゃうの。可愛い香織も綺麗な智絵ちゃんもいるのに、なんで私なのって思うし」

 ウェーブのかかった栗色のやわらかい髪に大きな目、小さな顔の香織は小動物のような可愛らしさを持ち合わせていた。反対に黒い長い髪で少しだけつり目の智絵は整った綺麗な顔だちをしている。

皆が2人を見ていた。「可愛い」「綺麗」という声も聞こえてくる。

だから、徹が2人に向かって先ほどの言葉を投げかけるなら、きっとあれほどの騒動は起きなかっただろう。けれど、実際に徹から言葉を向けられたのは千花だった。肩までの髪を低めの位置で一つに束ね、顔の印象は薄い。どこにでもあるような顔立ち。

「千花、可愛いよ!」

 2人の声が揃った。こんな地味な自分にそう言ってくれるのは、2人だけだった。けれどそれを言葉にすると話が長くなるので触れるのはやめにした。

「…それに、瀧山くんと碌に話した事ないんだよ?」

「ま、…それはそうだね。接点って言うと同じクラスってことくらい?」

「うん。そのくらい」

「でもさ…」

続けようとした香織の言葉を千花は遮った。

「わかってるよ。そういうことするような人じゃないってことも、さっきの雰囲気も。でも、世界が違うんだよね。それにやっぱり好きでもない人と付き合うなんてできない。……というかね、そもそも恋とか、好きとかよくわからないんだ」

「…そう言えば千花の恋バナって聞かないかも」

「みんなの話を聞くのは楽しいし、いいなとか思うんだけどね。…でもよくわからないの。友だちの好きと恋愛の好きの違いとか」

 千花はずっと思っていた。香織や智絵が恋の話をするとき、いつも表情がころころと変わっていた。「楽しい」「嬉しい」「哀しい」「愛しい」色々な表情で好きな人を想っていることが容易に表現できる。それが自分にはないのだと周りの話を聞くと思うのだ。

今まで、自分は恋をしてきたつもりだった。誰かを好きになって、その人を見ると嬉しくて、話すと赤くなった。けれど、皆の話を聞く「恋ではない」と実感する。

千花は今まで、誰かと付き合いたいと思ったことはなかった。好きだと伝えたいと思ったことも。

千花の知っている「好き」は楽しくて、つらいことなどなかった。

周りの話を聞くたび、千花は気付いてしまう。自分がしていたのは、「恋に恋する」ことなのだと。

「そっか。ま、千花は千花のスピードでいいと思うけどね。……あ~あ。でも、そうとなると惜しかったかもよ?」

「え?」

「だって瀧山なら教えてくれそうじゃん。本当の恋」

「そうだね。ついでに得意分野=「恋愛」の渡辺くんもいるわけだし」

「何それ?」

「え?なんかぽくない?」

「いや、それっぽいけど。香織からそういう言葉が出てくるのが意外で。…そういえば、あんた意外に黒かったね」

「も~黒くないよ」

 香織はわざと頬を膨らませた。

「あ~、はいはい」

 先ほどの会話からもう違う会話へと移っている香織と智絵。千花はそれが嬉しかった。

「恋愛」に興味がない。「好き」がわからない。そう言うと決まって「変だよ」と言われた。「本当は好きな人いるのに、隠しているんでしょう!」と言われ、仲がギクシャクした子もいる。

今回も同じようなことを言われる覚悟だった千花の耳に届いたのは、現状を容認する言葉。

ありのままを受け入れてくれる人がいる。それが嬉しかった。

「…ありがとう。香織、智絵ちゃん」

「何が?」

 2人の言葉が重なる。

千花は思わず笑い出した。

「ん~、なんでもない。ほら、早く食べないと昼休み終わっちゃうよ?」


 お弁当を食べ終え、教室に戻った。昼休みの終了までには少し時間がある。

3人は大抵、窓側の一番後ろにある千花の席に集まり、チャイムが鳴るまでの時間を過ごしていた。

今日もいつもと同じよう千花は自分の席に座り、香織と智絵は隣と前の椅子に座る。千花たちはいつもと全く変わらない。けれど、周りは違った。

注意をしなくてもわかる周りからの視線。何か言いたげな女子の集団。面白そうに見ている男子たち。

「…もし、千花に何かあったら、瀧山の奴、シメてやる」

「同感」

「もう~2人とも。…というか、よく考えたら、あの上からの発言がそう言う意味で言ってるのか疑わしくなってきたよ、私。…だって、知ってたけど、瀧山くんを好きな人ってこんなに多いんだね。しかも、皆、綺麗」

 周囲に視線を向けた。恋する乙女はやはり可愛くなるものなのか。睨みを利かせている人たちは皆、綺麗に見えた。

「千花、呑気すぎ」

 智絵に頭を軽く叩かれる。

「俺も、そう思うよ。伊藤さん」

 ふと聞こえた声。叩かれた箇所を押さえながら千花は顔を上げた。

「藤沢くん」

 名前を呼ばれると藤沢はにこりと笑った。その笑みが優しくて千花はなぜかほっとする。

黒い髪を短くそろえた藤沢は徹や敦と比べると地味と言えるが、2人と並ぶほど整った顔立ちをしていた。文武両道な彼は県大会まで出場するサッカー部のエースであり、クラスの学級委員も務めている。

徹や敦より親しみやすい分、告白される回数は2人より多いかもしれない。

「恋する女子は時に怖いものだよ」

「それ、体験談?」

 智絵が笑って尋ねる。

「そうそう。…って、違う!色々見てきた結果だよ」

「それって、つまり体験談でしょう?」

「いや、えっと…」

「…香織。やっぱ香織って時々黒くなるよね」

「だから黒くないってば」

「ねぇ、藤沢くん、何か用があるんじゃないの?」

 軽く首を傾げた。少しだけ声が高くなる。

千花は藤沢が好きだった。格好良いなと思ったし、優しいと感じていた。サッカーをしている姿を見るとドキドキした。

けれどそれが「憧れ」以上の好きなのかわからなかった。それでも藤沢の前では少しでもよく見せたかった。

「別に特に用事があるわけではないんだけど、伊藤さんがあまりに呑気な発言をしてたから思わず、ね」

「呑気な発言なんてしてないよ」

「いやいや。女子の結束力はすごいからね。注意しておいて損はないと思うよ」

「私、何もしてないのに?」

「まあ、あそこで頷いたら何かされるのは確実だったろうけどね。…頷いてもだめ、断ってもだめって…本当に、伊藤さんはすごい人に好かれちゃったね」

「…好かれたのかな?」

 正直、やっぱりよくわからなかった。冗談でないことはわかっていたし、からかうような人でもないことを知っていた。けれど、「好き」だと伝えられたわけではない。視線から感情を読めるほど、千花は「好き」を知らないのだ。

「あんなに大勢の前で告白だよ?」

「あれ、告白?」

「いや…ま、瀧山なりの告白じゃないかな?」

 そう言って藤沢が笑う。胸が鳴った。

「まあ、いいよ。千花に何かあっても、私と、香織と藤沢が守るから」

「俺も?」

「何?文句ある?」

「もちろん、ないよ。伊藤さんは大切な友だちだからね」

「うん。ありがとう。2人も」

 笑いかける。その一言が嬉しかった。

「ガタッ」

 突然の音。

視線が一か所に集まった。音の発信源を見つめる。そこには睨むようにこちらを見る徹の姿があった。

大股で近づいてくる。

「おい」

「いたいな~」

低い声が聞こえるのと同時に、藤沢のおどけた声が教室に広がった。表情が歪んだのが千花にはわかった。

「離してもらっていいかな?」

「あ?」

 藤沢が小さな動きで徹の手を振り払う。睨む徹に両手を上げて、降参のポーズを取った。

「俺、大事なサッカー部のエースなの。手とはいえ怪我とかさせられると困るんだよね」

「藤沢くん!」

 千花は思わず立ち上がる。藤沢の掴まれた腕に触れた。わかりやすいほど赤くなっている。顔を上げて見つめる千花に藤沢は小さく笑った。

「大丈夫だよ」

 掴まれた手を千花の顔の前で軽く前後に動かす。

「ね?」

 もう一度微笑んだ。安心させるような笑顔。

千花は小さく頷いた。

不意に徹が藤沢の肩を掴み、言い放った。

「こいつに近づくな」

「それは、了承しかねるかな。今、守るって約束しちゃったばかりだしね」

「こいつは俺が守る」

「何から守るかもわかってないのに?」

「…」

 黙る徹に藤沢はきつい視線を向けた。

「お前の行動が伊藤さんの迷惑になるってことも考えろよ」

「迷惑?」

「そんなこともわからないのに、よく守るなんて言葉使えたね」

「てめぇ」

「は~い。ごめんね。藤沢くん。それから、千花ちゃんも」

 一触即発。そんな雰囲気を壊したのは、敦だった。

自然に徹と藤沢の間に入り、2人の間に距離をつくる。

「とりあえず、徹は藤沢くんに謝れ」

「なんで俺が」

「藤沢くんの手首が赤いのは誰のせいかな?」

「…」

「お前のせいだよね?」

「……悪かった」

「ほら、このとおり謝ってるから、許してあげて」

「別にいいよ。怪我したわけでもないし」

「さすが藤沢くん。男前だ~」

 そして「ちょっとごめんね」と徹の肩に手をかけた千花たちに背を向けた。

「ってか、徹。お前、作戦は!」

「…あ、忘れた」

「おまっ!…せっかく色々考えてやったのに」

「必死にアピールしろって言っただけだろう。何が、考えただよ」

 顔を近づけ始まるひそひそ話。しかし、注目が集まっている中のそれは無意味である。

藤沢は呆れたように微苦笑を浮かべた。

「千花ちゃんもごめんね、こいつ野蛮で。でも、本当に千花ちゃんが好きなんだよ」

 振り向き微笑む敦。

その言葉に千花の顔がほのかに赤く染まる。

敦は俯いた千花の顔を覗き込んだ。近い距離に思わず肩が上がる。

「照れてるんだ。今時珍しいね、その反応」

「えっ…いや、あの…」

「可愛い」

 直後、「いてぇ~」という声が響いた。敦が頭を押さえている。

「急に殴るな!つーか、マジで痛いし」

「近づくな。というか、見るな」

「いや、見るなって、んな無茶な」

「それでも見るな」

「…本当に、お前は千花ちゃんが絡むと周りが見えなくなるよな。んでもって、数倍怖くなる」

「うるせぇよ」

「…ねぇ、見るなとか何様のつもりなの?」

 傍観していた智絵が口を開いた。口調には苛立ちが含まれている。

周りを見れば、ほとんどの人が千花たちを見ていた。廊下には上級生や下級生まで集まってきている。

千花は突き刺さる視線を痛いほど感じた。特に女子のそれが鋭い。徹だけでなく、敦、藤沢までもいるのだから仕方のないことかもしれない。そしてその視線を感じたのは智絵、香織も同じだ。

智絵は腹が立っていた。徹はきっと、千花を渦中に引きこんだ自覚などない。「告白をした」その事実だけでも大変だというのに、さらに渦を大きくする気なのか。

「そうだよ。付き合ってるわけでもないのにね」

 怒りは香織も同じ。意識すれば聞こえてくる声。

「不細工の癖に」「釣り合わない」それはすべて千花に向けられていた。千花が付き合いを申し込んだのでもなければ、それを受けたのでもない。なのに、どうしてそんなことを言われなければならないのか。

何も考えず自分の気持ちのみを伝えてくる目の前の男に一番腹を立てた

「ま、確かに付き合ってはないよな」

「あ?」

「徹。正論を言った藤沢くんを睨まない」

「……」

「えっと…あ、あのさ。皆、もうすぐ授業始まるよ」

 千花の言葉とほぼ同時に、タイミングよくチャイムが鳴る。

「とりあえず、席に着こう?」

 藤沢の腕が大丈夫ならそれでいい。

見えない火花が飛び交う中、千花は席に座り、次の授業の教科書を取り出した。



 窓から見える太陽は、燦々と輝いている。涼しそうな風が木々を揺らしていた。

千花は、小さくため息をつく。

巻き込まないでほしかったと思う。平穏なままでいたかった、と。皆が考えなくてもわかるようなことを、自分がわからないのが嫌だった。わからないことを自覚したくはなかった。けれど、嫌でも自覚させられてしまった。

「好き」が何なのかわからないのだと。

 ふと、視線だけを動かし、隣の席を見た。いつもはない人物の顔。視線を下げれば、必死に動いている大きな手が見える。綺麗な手だと思った。ゴツゴツしていて、それでも綺麗な手。

あの手を握るのは自分ではない。考えなくてもわかる答えだった。

 千花は聞こえないようにもう一度ため息をつく。

どうして自分なのか。

昼前までは隣の席だった田中と交渉し、自分の隣に引っ越してきたらしい綺麗な男に向けて、心の中で問いかけた。机を動かしている間に向けられた女子たちの視線は殊更鋭かった。思い出しただけでも明日からの生活が憂鬱になる。

千花は窓に手を伸ばし、少しだけ開けた。優しい風が入ってくる。

「伊藤。どうした?」

「…へ?」

 急に名前を呼ばれ、間抜けな返事が出た。

クラスメイトの笑う声。顔が赤くなった。一応起立しておく。

「いや、集中していないようだったからな」

「いえ、ちょっと暑かったので、窓を開けていただけです」

「そうか」

「はい。すみませんでした」

「いや。…あ、そうだ。ついでにこの問いを答えてくれるか?」

 白髪の生えた定年間近の教師が黒板を叩く。問2と書かれた黒板の横には数式が書かれ、その下には「X=」とあった。

優しい笑顔。その表情は本当に「ついで」だと証明していた。けれど、問題に集中していなかった千花はとっさに答えが出てこない。正直に聞いていなかったと答えればよかったと少し後悔をした。視線が自然と下に行く。

小さく机を叩く音が聞こえた。視線を向けると広げられたノートに大きく書かれた「3」の文字。顔を見ると笑みが返された。

綺麗な笑みに胸が鳴る。けれどすぐに我に返った。

「えっと…3です」

「よし。正解。ありがとう」

 そして、教師はまた数式の説明を始める。

千花は着席し、隣に顔を向けた。お礼を言いたかったが徹はすでに前を向いている。

声をかけるにかけられず、千花も同じように黒板を見つめた。

「それでは、今日はここまでです」

 教師はチョークを置き、前を向いた。

「今日のところは重要なところですのでよく覚えておいてください。それでは、藤沢くん、号令をお願いします」

「はい。…起立。ありがとうございました」

「ありがとうございました」

 号令が終わると、数学教師の代わりに担任が教室に入ってきた。

すぐに帰りのSHRが始まり、軽く明日の予定が確認される。

「それでは、各自気を付けて帰るように」

 その言葉を合図に、教室の中に騒がしさが戻った。千花は顔を隣に向ける。

一度目を閉じ、深く息を吸う。ゆっくり吐きだした。

「あの…」

「ねぇ、徹。今日も部活?」

 勇気を振り絞って目を開けた先には、予想していた綺麗な顔ではなく、背中まである長い髪。

気が付けば、数人の女子が机を囲んでいる。

 千花は諦め、席を立とうとした。不意に人が動く気配。

視界に入ってきたのは、女子たちを押しのける手だった。

「何?」

 短いその問いかけに、自分の声が届いていたことを理解する。横に追いやられた彼女の視線は鋭い。

「ちょっと~徹」

「黙って。聞こえない」

「…」

 言われた彼女は一瞬驚きの表情を浮かべ、すぐに俯いた。その顔はどこか泣きそうだ。彼女は立ち、千花は座っている。だからこそ、はっきりと表情が見えた。きっと、同じく座っている徹にもその表情は見えるだろう。けれど、徹の視線は動かない。

「どうした?」

 声のトーンが優しくなる。

「えっと…」

「うん」

「あの、さっきはありがとう」

 そう言うと徹は笑った。その顔は本当に嬉しそうで、頬に熱が集まる気がした。

「役に立ててよかった」

「ほ、本当に助かったよ。ありがとう。…それじゃあ、あの…部活頑張ってね」

 早口で告げ、千花は急いで教室を出た。

徹の声が聞こえた気がしたが、構わず足を速めた。

「千花、待って!」

 声に振り向くと、香織と智絵が走ってきた。

2人の息が切れている。自分の息も切れていた。

「もう、どうしたの?」

「そうだよ。急に行っちゃったからびっくりしたじゃん。しかも、速いし」

「えっと…」

「もしかして、瀧山ファンに何か言われた?」

「ううん。違うの」

「じゃあ、どうしたの?」

「あ、あのね」

「な、何?」

「…私、瀧山くんに好かれてるかもしれない」

「…」

 智絵は思わずため息をつく。香織も微苦笑を浮かべた。

「何を今さら言い出すかと思えば…」

「だ、だって」

「今日一日その話ばかりだったでしょうが!」

「智絵、気持ちはわかるけどちょっと落ち着いて。…千花。どうして今になってそう思うの?」

「…すごく嬉しそうに笑ったの」

「何の話?」

「今日、数学で答えられなくて困ってたら、瀧山くんが答え教えてくれて、今ね、『ありがとう』って言ったら、本当に嬉しそうに笑ったの」

「そっか」

「瀧山くん目立つからよく視界に入るんだけど、あんなふうに笑う顔初めて見た」

「それで、好かれてるって思ったんだね」

「うん」

「それで、千花の気持ちは?」

「え?」

「好かれてるって思って変わった?」

 少しだけ考え、首を横に振った。

「そっか」

「でもね、嬉しかった」

「…まあ、千花にしたら大きな進歩かな」

 2人は小さく微笑む。それにつられ千花も笑った。



 太陽の陽射しは日に日に強くなり、何もしなくても汗が出た。お弁当を広げながらいつものように3人で屋上の日陰に座る。吹き付ける風が髪を揺らした。

その涼しさに千花は少しだけ目を細める。

「それにしても、とりあえず何事もなくてよかったね」

 突然の智絵の言葉に千花は首を傾げた。

「何の話?」

智絵は「んー」と僅かに苦笑を浮かべる。突然の瀧山の告白から1か月近くが経とうとしていた。

「瀧山ファンからのいやがらせ、とかさ。一応ないじゃん。…すごく心配したんだからね。私と香織とついでに藤沢も」

「藤沢くんなんて、初めのうち朝と帰りに千花を護衛するとか言ってたよね」

「ま、それはそれで、問題が発生しそうだったから私と香織で止めたんだけど。あいつも、自分がもてること自覚すべきだよね」

 3人でいる時の立ち位置を工夫した。千花の背が周りに向くようにし、周囲の視線を見せないようにした。できるだけ教室以外で千花を1人にさせないようにした。

そう言えば、ここ最近藤沢から声をかけられることが多かったと千花は思い出す。

朝「おはよう」と声をかけ、二言三言交わすことが多くなった。日直で機材の運搬を任された時は、重いからとついてきてくれた。事あるごとに自分のことを気にしてくれていたのだと思うと嬉しくなった。

「でも、本当に何もなくてよかったよね」

 香織と智絵が笑う。

「……ありがとう。藤沢くんにも言わないとね」

 泣きそうになりながらもそう笑う。

けれど、2人が知らないこともあった。

靴箱や机の中に入っているノートの切れ端。「ブス」「不釣り合い」そんな言葉の羅列。

千花は言わなかった。言う必要がないことだと思っていた。だって自分には、香織がいる。智絵がいる。藤沢もいる。

大好きな人たちがいるのだ。だからこそ、そんなことで怯えたりしない。

「でも、大丈夫かな、これから」

 不安そうに言う智絵に千花は「大丈夫だよ」とはっきりと言う。

「でもさ、これからはなかなか一緒に帰れないかもしれないんだよ?1人になったら何かあるかもしれないし」

「智絵ちゃんたち、もうすぐ、夏の大会だもんね。これから部活に集中するんでしょう?」

「うん」

 智絵と香織は共にバレー部に所属している。智絵は2年エースであり、香織も控えのセッターとして期待されていた。3年生の最後の大会ということもあり、練習にも熱が入っている。

「これから私たち練習で忙しいし、ってことはもちろん、1年からエースの藤沢はもっと忙しいってことだし」

「そうだよね。せめて誰か一緒に帰れたらいいんだけど」

「いいって。藤沢くんにそこまでしてもらうわけにはいかないし。それに、大丈夫だよ。そこまで心配しなくても。1人でちゃんと帰れます」

「でも…」

「本当に大丈夫だって!それに、もうすぐテストだからさ、私も勉強して帰りたいし。たまたま同じくらいの時間になった時に一緒に帰ろう。それ以外は大丈夫」

「千花、もうすぐテストって…まだ先だよ?テスト期間にも入ってないよ。だから私も智絵も部活ができるんだし」

「私さ、そんなに頭いいわけじゃないから、人より先に勉強しておかないとだめなんだよね」

「そう言えば、去年もそんなことしてたね」

「ほら、私、帰宅部じゃん。だから一応勉強くらいはできていたいんだよね。…できないんだけど」

「…一夜漬けの私より、悪い時あるし」

「あ~、智絵ちゃん。それは言わない約束!!」

「あはは~。ってか、勉強するなら、部活終わるの待ってれば?そしたら一緒に帰れるよ」

「智絵。それよりは先に帰ってた方がいいと思うよ?千花の家ってうちらより遠いし。たぶん部活長くなるから、暗くなっちゃう」

「それもそうか。…ま、この1か月何もなかったわけだし、千花も勉強するって言ってるし」

「そうそう。大丈夫。何もされたりしないって。2人とも心配しすぎなんだよ。私はただ、授業中に瀧山くんの隣独占してるってだけなんだから」

「それだけではないと思うけど」

 香織は微苦笑を浮かべた。そんな香織に千花は微笑む。

「それだけだよ」

 相変わらず徹が千花に向ける視線は優しいけれど。微笑む笑顔は誰に向けるものより嬉しそうだけれど。

いつだって徹は綺麗な人たちに囲まれている。ふと見ると視界に入る綺麗な横顔に千花はまだ慣れていない。

鏡を見るたび、思うのだ。黒い髪、化粧をしていない顔。校則通りのスカートの丈。テスト期間前に勉強を始める真面目さ。

徹や徹を囲む彼女たちとは住む世界が違うのだ。

「あ~、も~。この話はおしまい。早く教室戻ろう。…さすがに屋上は暑くなってきたね」

 日陰を選んで座っても、吹く風が心地よくても、太陽に近い屋上の気温は高い。3人の首にも微かに汗が浮かんでいる。

「屋上で食べるの気持ちいんだけどな~。もう、無理か」

「紫外線も気になるしね。教室の中はクーラー効いてるし」

 気温が上がってきたに従い、教室内でクーラーを付けることが最近許された。温暖化防止ということで、設定温度は28度に保たれてはいるが。それでも、外の気温よりはずいぶんましだ。だからこそ、夏の昼休みは外で食べる人の数は減り、教室は飽和状態となる。

 いつもより早く教室に戻ると、机をくっつけて弁当を食べている集団やそのまま地べたに座り話している集団がいくつもできていた。

外で火照った身体は、クーラーの風により一瞬冷やされる。しかし、教室内の人数が多いため、すぐに暑く感じた。

「これって、外の日陰の方が涼しいんじゃない?」

 智絵が呆れたように呟き、汗を拭う。けれど、一度クーラーで冷やされた教室に入ったが最後、もう外に出ようという気は起こらない。

「ま、そうかもしれないね」

 相討ちをしながらも、座れる場所を探した。千花の席は案の定、徹を囲む女子たちで埋め尽くされている。香織と智絵の席も他の人たちに使われていた。

「…後ろの方で立っていようか」

 香織の提案に、残り2人は頷いた。

しばらくそのまま立って昨日のドラマの話をしていた。

「あれ?なんでこんなとこに立ってるの?千花ちゃんたち」

 不意に呼ばれた名前。振り向けば端正な顔がそこにあった。

「敦くん」

 女子たちからの小さな歓声。敦は、慣れているのか、ひらひらと軽く手を振りそれに応えた。

何の違和感もなく、千花たち3人の輪に入りこむ。千花の席の方を見ると納得したように呟く。

「あれだけ女子いたら、自分の机には戻れないか」

「敦くん、瀧山くんに会いに来たんじゃないの?」

「ん?そういうわけじゃないけど、なんで?」

「だって、敦くん隣のクラスでしょう。こっちに来るってことは誰かに用なのかなって」

「…千花ちゃん、俺の友だち徹だけだと思ってる?」

「そ、そんなことないよ!」

 慌てたように首を横に振る千花。その姿に敦は吹き出した。

「あ~ホント可愛いな~」

 笑いながら、千花の頭を撫でる。千花の耳が赤く染まった。

「…渡辺。悪いけど、今はそう言うこと控えてくれる?」

 智絵がそう言いながら敦を睨んだ。

「そういう発言考えなしでするからたらしとか言われるんだよ」

「智絵ちゃん、そんな低い声で言わないでよ。…ってか、この前から思ってたけど香織ちゃんって思ってたより鋭い発言するよね。結構グサグサ刺さるよ?」

 軽く苦笑を浮かべ、千花の頭から手を離した。

「ま、これ以上触ってると、一番怖い奴が怒鳴り始めそうだしね」

 少し視線を動かす。その視線を追うと徹がいた。

目が合い、千花は慌てて逸らす。

「そ、そう言えばもうすぐテストだね」

「千花ちゃん。もうすぐって、まだもう少し先だよね?」

「そうなんだけどね。私は人より早目から対策立てないとだめなんだ」

「あれ?千花ちゃんってそんなに成績悪くないよね?」

「そんなことないよ。…それに私は智絵ちゃんとか香織とかと違って帰宅部だから勉強くらいは頑張りたいんだ」

「偉いね」

 その一言に、千花は少し複雑な気持ちになった。「真面目」だと思われたのではないかと。髪を明るい色で染め、制服は着崩し、皆の中心にいる敦に言うことではなかった。真面目でつまらない人だと思われたくはなかった。

「やべ~。俺も見習おう。なんか、頑張ってる人ってマジで格好良いよね」

 敦は笑みを浮かべる。その笑顔もその言葉も千花には嬉しかった。

「あり…がとう」

 恥ずかしくなり、俯く。

「なんだ。結構いいこと言うじゃん!」

 智絵の言葉に香織も頷いた。先ほどの尖った雰囲気が一気になくなる。

敦の魅力はこういう所なのだと改めて思った。

「あ、そう言えば…」

 そこまで言って、敦は少しだけ千花に顔を寄せた。その近さに胸が音を立てる。

「徹、頭いいよ。あいつに教えてもらえば?」

「…え?」

「俺が言っておいてあげるからさ」

「…」

 敦の行動に驚き、理解するのに一瞬手間取る。

その間に、敦は千花たちから離れていた。

「ちゃんと伝えておくからね~」

 そう言い残し、クラスを出ていく。

「何、あれ?」

「…なんだろう」

 智絵のもっともな問いに、千花はそう返すしかなかった。



 放課後の図書室に、人はそう多くはない。勉強している人、読書をしている人、本を選んでいる人。

人がいないわけではない。けれど、宗教などとおよそ学生が手に取らないであろう本たちが置かれている場所にいる人はゼロと言っても過言ではないのだ。しかも、なぜかこの学校の図書室には、普通の勉強スペースとは別にもう一つ小さな勉強スペースが設けられており、それは宗教関係の戸棚の後ろにおよそ隠れるように佇んでいる。

「あ、そこ計算ミスしてる」

 だからこそ、1か月前に有名となった千花と徹が一緒にいても誰も注目などしないのだ。

「え?」

「ほら、そこ」

 綺麗な指がノートを指す。単純な掛け算のミス。

「本当だ」

「そういうのもったいない」

「そうだね。…気を付けます」

「それ終わったら、この問題な」

「…」

「何?」

「…いや、なんでも」

 そう言い、千花はまたノートとにらめっこを始めた。

頭の中ではわかっている。「なんでもない」わけがない。それでも、今の状況を理解できず、問うことすらできない。

「何か質問がある人?」そう問われて質問できるのは、その問題が何か理解できた人だけなのだ。その問題自体理解できない人はわからないところがどこなのかわからない。強いて言うならその問題自体がわからないのである。

 千花は問題を見つめながらほんの2時間ほど前に交わした会話を思い出していた。小さなため息と一緒に。

「放課後でいい?」

「えっと…?」

「勉強」

「……」

「勉強教えてほしいって言ってたって、敦からメールが入ったんだけど…」

「え?」

「…違った?」

「……違わない…かな?」

「じゃあ、放課後な」

 授業中に交わされた短い会話。困ったように眉を下げた徹を見ていられなくて思わず首を振った。

その会話が原因で今に至っている。もちろん、一番の原因は、お昼に交わした敦との会話なのだけれど。

図書室の人気がない一角で、2人で並んで座っている。心臓の音は聞こえてしまうのではないかと思うくらい大きかった。

「あ、あの…」

「何?できた?」

「あ、問題はまだ…」

「そんなに難しくはないと思うんだけど…」

「…すみません」

「…で?」

「え?」

「だから、何?」

「あ、あのね。…瀧山くん、部活はいいの?今、夏の大会に向けて忙しくなってきてる時期でしょう?」

「…」

「智絵ちゃんとか藤沢くんとか2年生なのにエースで活躍するんだって。…瀧山くんは練習、大丈夫?」

 少しの沈黙。気のせいか、徹の機嫌が悪くなった気がした。

「ど、どうかした?」

「あんた、本当に俺のことどうでもいいんだな」

「…え?…なんでそうなるの?」

「俺、将棋部」

「…」

「…」

「…え?だ、だって、スポーツ万能なのに」

「ま、時々助っ人として行くことはあるけどね。野球部とか、バスケ部とか」

「…」

「あ、ちなみに、うちの将棋部は大会とかに参加してない。だから、夏の大会とかないから」

「……えっと、なんで将棋部?」

「将棋楽しいぜ?」

「…」

「疑問は解決?」

「……え…っと。…あ、敦くんと本当に仲いいよね!」

「何、急に」

「いや、ほら。敦くんに頼まれたから私に教えてくれてるんだよね。…大会がないからって部活がないわけじゃないでしょう?それなのに、私に勉強教えてくれ…」

 千花の言葉は途中で途切れた。言えなくなったと言った方がいいか。

徹の表情が険しくなった。思わず言葉を失う。

「何それ」

 低い声。その声だけで、背筋が伸びた。

女の子たちからの陰口も聞いた。睨まれもした。それでも、この1か月で、おそらく今この時が一番怖いと感じている。

「俺、あんたに好きだって言ったよね?」

 今この状況で、「好き」だとは言われていない、とはさすがに言えなかった。初めて聞かされた本人からの「好き」の言葉に赤くなることもできない。

「…」

「もういいや」

「え?」

「もういい」

 急に出てきた言葉に、千花は動揺した。そして、動揺していることにさらに動揺した。

だって、「もういい」と解放してくれる。

なのに、どうして「嫌だ」と言ってしまいたくなるのだろう。

「……何が?」

 聞きたくないのに、口は勝手に動いていた。

しかし、予想とは反して、徹は笑った。いつもの優しい笑みではなく、どこか危ない雰囲気を漂わせた大人の笑み。

「敦に言われて、この1か月、伊藤に好かれるようにやってきたけど、もういい」

「…」

「好かれなくていいよ。そのかわり、惚れさせるから」

 片頬を上げた。左手を掴まれる。徹が口づけた。可愛いリップ音が耳に入る。

一瞬遅れて、千花の頬が、耳が赤く染まった。その様子を徹は楽しそうに見ている。

見惚れるほど綺麗な顔。その顔が先ほどより顔が近くにあった。驚き、千花は俯く。

我に返ったように、広がるノートや教科書を仕舞い始めた。

「あれ?勉強は?」

 笑いながら尋ねる徹を千花は睨む。

「身の危険を感じるので、帰ります」

「じゃあ、明日はこの続きからな」

「…もう、ここには来ません。瀧山くんの協力もいりません」

「あれ?なんで敬語?」

「…」

「ま、いいや。身の危険って、正解だしね」

「…」

「…でも、俺は待ってるから。明日も、SHR終わりにここに集合」

「…ま、待ってても私は…」

「来るまで待ってる」

 そして、徹は困ったような表情を浮かべた。きっと、知っている。千花がそれに弱いことを。

「…来ません!」

 力強く言った筈のそれは、微かに徹の耳に入るだけだった。



「はぁ~」

 昨日のことを思い出し千花は無意識にため息をついた。

「ため息つくと、幸せ逃げちゃうよ、伊藤さん」

「…!藤沢くん」

 声のする方向を見れば、藤沢が立っていた。

「どうしたの、こんな教室の隅っこで。…伊藤さん、朝から元気ないみたいだけど」

「…そんなことないよ?」

「そう?」

「うん」

 心配そうな表情を浮かべる藤沢に千花は笑顔を向けた。

「…ならいいけど。あ、ってか、2人は?」

「…2人って、香織と智絵ちゃんのこと?」

「うん」

「トイレだよ」

「あれ?そういうのって女子って皆で行くんじゃないんだ」

「皆が皆そうじゃないよ。そういう子たちもいるだろうけどね」

「なんなんだろうね、あれ。トイレなんて行きたい時に行けばいいのに」

 そう言って笑う藤沢に千花の頬も自然に上がった。

「…安心する」

「え?」

「ううん。なんでもない。そういえば、藤沢くん、最近調子はどう?」

「サッカー?」

「うん」

「いい調子だよ。体力もつけたし、大会ではいい結果が出せると思う」

 満面の笑みを浮かべる。サッカーのことになると、藤沢の顔はいつも以上に輝いた。だから、藤沢のサッカーをしている姿が好きだった。

 藤沢の隣は安心する。柔らかい声も、物言いも。ふと浮かべる笑顔も優しい。

いつだって心地よい空間をつくってくれるのだ。

「ありがとう」

「…?何が?」

「ん~?なんでもないよ。ただ、藤沢くんの話聞いたら、私も頑張らなきゃって思ってね」

「何を?」

「ちゃんと向き合うこと、かな?」

「何のこと?」

「ううん。ごめんね。なんでもないの」

「なんか、今日の伊藤さんいつもと違う感じだね」

「そうかな?…あ、香織と智絵ちゃんが来た」

「そういえば、俺は次の授業の準備頼まれてたんだ。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」

「うん。藤沢くん、ありがとうね」

「だから、お礼言われる意味がわかんないって」

 笑いながら、手を振り教室を出て行った。

「ただいま~千花」

「おかえり」

「昼休みのトイレは混むから嫌」

「智絵ちゃん、待つの嫌いだもんね」

「…あれ?」

「どうしたの?」

「悩み、消えた?」

「え?」

「なんか、朝から千花が考え込んでるみたいって香織と心配してたんだよ」

「でも、今は大丈夫そうだね」

「…藤沢くんのおかげかな?」

「何それ」

「あのね…実は、昨日…」

 千花は昨日の出来事を周りに聞こえない声で簡潔に2人に伝えた。

「あんの渡辺のバカ。余計な事してくれちゃって」

「千花、大丈夫だった?」

「大丈夫、大丈夫」

「大丈夫なわけないでしょう!そんな奴と2人きりなんてだめだからね!!」

「なんか、智絵ちゃんお母さんみたい」

「笑い事じゃない!!」

 智絵がさらに声を荒げたので、千花はまた笑った。

2人に話したら、何も心配することはないように思えたのだ。

「だって、あの瀧山くんと私だよ?」

 言葉にするとすんなりと入る。

他の女子たちから人気が高い徹と今まで誰かに好かれたことなどない地味な自分。

その2人が一緒にいたところで何かあるわけもないのだ。

「身の危険」なんておこがましいとすら思えた。

「でも、本人の口から『好き』って言われたんでしょう?」

「あ…それは…」

 昨日の記憶が呼び起こされる。真剣な目と低い声で忘れていた。

「というか一応、その前にも告白はされてるんだからね」

「…」

「千花はちょっと自覚持った方がいいと思うよ?」

「でもさ…何かあるわけないって思わない?だってあの瀧山くんだよ?」

 2人のため息が揃う。

「しかもね、さすが頭がいいだけあって、教えるのすごく上手いの。部活もないって言うし」

「…」

「だから大丈夫だと思うし、私のためにもなると思うんだ」

「ま、千花がいいって言うならいいんだけどさ…。でも、気を付けてよ?」

「智絵の言うとおりだよ。仮にも『好き』だって言われてるんだからね」

「うん。うん。気を付けるって」

「も~、本当に分かってるの?」

 智絵がそう呆れたような声を出したところで、授業の開始を知らせるチャイムが鳴った。

「本当に大丈夫だから、ほら、授業」

 千花が笑う。2人はその笑顔に更に眉間のしわを増やした。


「このとき彼は言いました…」

若い教師が教科書を読み始めた。千花は、それを聞き流しながらふと隣を見る。

昨日と同じ人物であることは間違いない筈なのに、どこか違う人のように感じた。

ふと自分の左手を触ってみる。顔に熱が集まるがわかった。

「好き」だと言われたのだと思い出す。

好かれている、と感じながらも、どこかで理性が違うと言っていた。けれど、本人の口からそれを聞いた。きっとあの状況でなければ、単純に嬉しかったと思う。

それでもやはり、自分の気持ちがわからなった。嬉しいと思うことはどういうことなのか、これからどうしたくて、どうしてほしいのか。

そして、この綺麗な人物の気持ちもわからない。 

「惚れさせる」と宣言された。けれど、教室で話しかけようともしない。やっぱり、その程度なのだ。

 「好き」とは何か。それがやはり千花にはわからない。この人に好きでいてほしい。けれど、それはとても卑怯な事のような気がした。

それでも、他の人を好きだという徹を見たくない。

頭の中が混乱している。

 千花はふと視線を感じ、自分の左手から視線を上げた。徹と目があった。ふと笑う。その笑みに顔が赤くなりそうで、急いで目を逸らした。

心臓が音を立てる。大きすぎて隣に聞こえるのではないかと思った。

この笑顔が好きだ。優しく笑うその表情が。藤沢への好きと似ている、けれど決定的に違う好き。それに気付いても、千花は「わからない」と思っていたかった。


 窓の外はまだ明るく、日が長くなったのだと実感する。

千花は一度深呼吸をした。人目を気にしながら目的の場所まで行く。

「来ないと思ったのに」

 姿を見せた千花に端正な顔はそう笑った。言葉とは裏腹の表情。「来ない」なんてきっと思ってすらいなかった。

「勉強を教えてもらうだけだから」

 なんでもない振りをして隣に座る。教科書とノートを机の上に広げた。

「…何?」

 視線を感じ、問いかける。

「なんか、むかつく」

「…笑顔で言われる言葉じゃないと思うんだけど」

「だってなんかお前、余裕だし」

 拗ねたような表情。歳相応な表情に千花は笑った。

「何笑ってるんだよ」

「いや、可愛いなって」

「…は?」

「だから、可愛いなって思ったの」

「な、なんだよ、それ。…やっぱ、むかつく。昨日俺が言ったこともう忘れたわけ?」

 そう言って左手を取られた。

千花の頬が赤く染まる。その様子に徹は気を良くしたように片頬を上げた。

「なんだ、忘れたわけじゃないんだな。意識してないから忘れたのかと思った」

「意識してないんじゃなくて…」

「…?」

「意識してないんじゃなくて、信用してるだけ。瀧山くんは、何かするような人じゃないでしょう?勉強会はきちんと勉強を教えてくれる、そういう人でしょう?…瀧山くんのこと意識させられてきたんだもん。それくらいわかるよ。そういう人だって」

 そうでしょ、と軽く首を傾げ同意を求める。

徹は一瞬言葉を失い、深くため息をついた。そっと手を離す。

「やっぱむかつく」

「え?」

「…んなこと言われたら何もできねぇじゃん。……しかも、意識してきたとか無意識に言うなっつーの」

「…ごめん。最後の方何言ってるか聞こえなかった。…何?」

「…」

「…?」

「お前は知らなくていいの。ほら、勉強」

「え?」

「そのために来たんだろ?…惚れた女の信用崩すわけにはいかないし」

 その言葉に千花はまた赤くなる。

「あ……。うん」

 表情を隠すために俯いた千花の頭にそっと手が乗せられる。

「だからって、そういう可愛い顔するな。…こっちだって色々大変なんだから」

「え?」

「男は狼、なんだよ。だから、ちゃんと気を付けろ」

 そう言って笑う徹の顔は優しい笑顔だった。胸が鳴る。その音がだんだん大きくなっていった。

もう気付かない振りはできそうもない。


 

 少し考えればわかることだった。

「穴場」だとしても、絶対に見つからないということはありえない、と。

しかも、一緒にいるのは、この高校で人気の1、2を争う瀧山徹。

人の目が常に彼を追っていることなど、少し頭を働かせればわかることだった。

 学校中に響き渡る鐘の音。

千花は、昼休みの終了を告げるその音を校舎裏で聞いていた。

目の前に立つ数人は、髪を栗色や金に染めた顔立ちの綺麗な人ばかり。

思い出せば、いつも徹の近くにいた人々だ。智絵が「瀧山親衛隊」と呼んでいたような気がする。

「ねぇ、あんた何様なの?」

 背中を校舎の壁に預け、四方を囲まれている。鋭い視線がまっすぐ向けられた。

苛立ちを隠す様子もなく足が忙しなく動いている。

いつも隣から聞こえてくる声とは違う低い声に、思わず肩が上がる。

「…えっと…」

「昨日、放課後」

「え?」

「どこで、誰と一緒にいた?」

「…」

「一昨日は?」

「…」

「答えろって!!」

「…」

 荒げる声。肩を掴まれ、壁に押し付けられた。

「こんな不細工でよく徹の傍にいられるね?」

「いたっ」

 髪を強引に掴まれた。視線が合う。背中に嫌な汗が流れた。

「何を勘違いしたのかわかんないけど、あんなのただの遊びだからね?…何?本気にしちゃったの?だから、もてないブスって怖いよね」

 バカにした笑い。

「そんなことない」そう言いたいのに、千花の口からは何の言葉も出てこなかった。

唇を噛み、痛みをこらえる。どうしても涙を見せたくなかった。

「なんか言えよ!!」

 髪を掴む手に再び力が加えられた。

「……私の徹に近づくな」

「あれ?おかしいな?」

 場違いに緩い声。千花を含めた全員の視線が動く。

「…敦くん」

 ゆっくり近づいてくる人物の名を千花が呼んだ。

その声に敦は優しく微笑む。

千花の髪を掴む彼女の腕を強く握った。彼女が痛みで手を離す。

敦は彼女たちから千花をかばうように間に入った。

「ねぇ、教えてくれる?」

 優しい声。なのに、千花は怖いと感じた。

「俺さ、徹と仲いいと思ってるんだよね。たぶん、一番仲いいんじゃないかな?」

「…」

「でさ、たぶんだけど、彼女とかできたら教えてくれると思うんだ」

「…」

「でもさ、俺、聞いたことないんだよね。徹があんたの、だなんてさ」

「えっと…敦…。これはね…」

「名前で呼ばないでくれる?」

「…」

「徹を私の呼ばわりできるのは、徹が好きな千花ちゃんだけだ」

「…で、でも、なんでこんな子が!!」

「そ、そうだよ。なんでこんな不細工で地味な子に徹を取られなきゃなんないの!」

 女の子たちの張り上げた声に敦は静かに笑って首を傾げた。

「なんでだろうね?でもね、人の外面と自分の外面しか見ることができないお前らよりよっぽど魅力的だけど?」

 敦は、千花の肩を掴み、彼女たちに背を向け歩き始めた。

ふと思い出したように振り返る。

「あ、そうだ。今度千花ちゃんに手出してみ?その顔面ボコボコにするから。女だって容赦しねぇよ?」

「…」

「さ、行こう。千花ちゃん」

 千花に向ける笑顔に先ほどの冷たさはなかった。

千花は声に出さず頷き、足を動かす。背中に彼女たちの鋭い視線を感じたが、振り返ることはしなかった。


「本当に、ごめん」

 敦は両手を合わせ、小さく頭を下げる。肩を落とすその姿に千花は頭を横に振った。

「どうして敦くんが謝るの?」

「徹は俺の友だちだから」

「瀧山くんのせいじゃないよ」

「…ううん。ちゃんとしなかったあいつのせい。あと、2人きりにしようとした俺のせいでもある。あんな奴らがいることくらいちゃんとわかってたのに」

「違うよ。瀧山くんのせいでも、敦くんのせいでもない」

「……ごめんね。千花ちゃん。怖かったよね?」

「え?」

「声が震えてる」

「…」

 気付けば足も震えていた。掴まれた肩が痛い。

千花は否定をしようと首を振ったが、自然と涙が頬を伝った。

「ごめん」

 敦が千花の手を引く。頭を撫でる手が優しかった。

頭を敦の肩に預ける。千花の涙が止まるまで、敦はずっとそうしていた。


 窓の外を見ると、空がオレンジ色に染まりつつあった。

放課後になり、生徒たちが帰った教室に千花は1人残っている。

『話があるから教室に残っていてほしい 瀧山』

帰る支度をしていたら机の中から出てきた一枚の紙切れ。それをもう一度見直した。

筆跡はおそらく徹のもので間違いはない。

「…話ってなんだろう?」

 思わず独り言が漏れた。胸の中が不安でいっぱいになる。

4限目の授業に出なかった千花が教室に戻ると智絵と香織は心底心配したという表情を浮かべた。部活を休み送って行くと言う2人に「大丈夫だよ」と笑みを向ける。

「体調が悪くなって保健室にいただけだよ。もう大丈夫だから。ありがとう」

そう言った千花の言葉はおそらく嘘だと気づかれただろう。声が震えたのが自分でもわかった。

けれどそれでも必死で笑みを作る千花に智絵と香織は騙されたふりをしてくれた。そんな優しさが嬉しかった。

 ふと視線を窓の外に移す。グラウンドには、懸命にボールを追うサッカー部の姿があった。そしてすぐに「あれ?」と思う。

藤沢の姿が見当たらないのだ。

「伊藤さん」

「…藤沢くん」

 名前を呼ばれ振り向けば、藤沢の姿があった。笑みを浮かべて教室に入ってくる藤沢はユニフォーム姿である。

「どうしたの?部活は?」

「ちょっとね」

「え?」

「ちょっと休憩」

「え?でも…」

 千花はグラウンドを見た。そこには休憩などしていない部員たちの姿がある。

「俺だけ休憩なの」

 千花の疑問を察したように藤沢は言った。

 千花にはサッカー部のことはよくわからない。けれどエースだからといって、1人だけ休憩を与えられるようなことはないだろう。

「……私のせい?」

「え?」

「私がここで……泣きそうになってたから?」

 声を震わせて聞く。そんな風に考えるのはおこがましいと思った。けれど、なぜか千花は確信したようにそう思う。

千花の言葉に藤沢は少しだけ驚いたような表情を浮かべる。そして静かに首を横に振った。

「違うよ。伊藤さんのせいじゃない」

「…ごめんね」

「違うんだけどな」

 困ったような表情。千花は俯くように視線を下げた。

「…」

「俺が、集中できなかっただけ。俺が1人にしたくなかっただけだから。だから、伊藤さんのせいじゃないよ」

「…うん。ありがとう」

 千花の言葉に藤沢は優しい笑みを浮かべた。その笑みが優しくてなんだか泣きそうになる。

 藤沢といると楽しかった。藤沢と一緒だと安心した。不安に思ったり、哀しくなったり、うるさいほど胸が鳴ったりしなかった。

「…藤沢くんがいい」

 それは小さな声だった。けれど藤沢はその声を拾う。そして、笑った。

「じゃあ、俺と恋をする?」

「え?」

「だって、あいつじゃあ、疲れるだろう?」

「…」

「瀧山みたいに問題を大きくしたりしないよ?それに俺だったら、ちゃんと守れる。嫌がらせなんてさせない」

「え?…なんで知って…」

「伊藤さんの反応とか、瀧山を囲んでいた彼女たちの反応とか見てればわかるよ。俺もそういう話に巻き込まれたことあるから」

「…」

「瀧山は気づいてないと思うよ?渡辺に聞いて知っているかもしれないけど、瀧山が自分で気づくなんてないと思う」

「…うん」

「あいつといてもこれから大変なだけだよ?俺にしたら?」

 きっと藤沢の言うとおりだろうと千花は思った。藤沢といた方がきっとこれから楽だし、楽しいだろう。頷いてしまえばいい。そう思うのに、なぜか動けなかった。

 突然、戸が開く音が耳に入る。

音に振り向けば、徹の姿があった。胸が締め付けられるように苦しくなる。わけもなく涙が出そうになった。

 徹は藤沢を一瞬睨むように見た後、千花に視線を向ける。

「待たせてごめん」

 千花は首を横に振った。

「昼のこと、敦から聞いた」

 小さな声はどこか震えている気がした。ほらまた、と千花は思った。また、胸が苦しくなる。

「うん」

「ごめん。髪掴まれたって…お前、泣いたって」

「…」

「俺のせいで、ごめん」

「瀧山くんのせいじゃない」

「いや、俺のせいだ。…そいつの言うとおり、俺は、…敦に聞かなきゃわからなかった。何にも知らずに昨日と同じように接していたと思う」

「…」

「だから、…もういいよ」

「…え?」

「もう、話しかけない」

「…」

「色々ごめん。しつこくして。それだけ言いたかった。聞いてくれてありがとう。勉強会、中途半端になってごめんな。嫌な思いさせて本当にごめん」

それだけ残し、徹は千花に背を向けた。

もう関わらないでくれるんだ、と千花は思った。自分はそれを望んでいた、と。

徹は人気者で自分はただの地味なクラスメイトだ。釣り合うわけなどない。

徹に関わったからこそ、女の子たちの鋭い視線に悩まされ、挙句の果てに壁に押し付けられ髪を掴まれた。

今からそれがなくなる。

いつもの平凡な日が返ってくるのだ。「恋」などに振り回されずに済む日常。

「好き」が何かなんて考えずに済むのだ。

 徹の大きな背中がゆっくりと遠ざかっていく。スロー再生をしているみたいに時間の流れが遅く感じた。

徹が教室の戸に手をかけた。

ガラガラ。やけに音が響く。

「それじゃ、バイバイ」

 そんな言葉を残し、徹は教室から出ていった。呆然と先を見つめる千花に藤沢が問いかける。

「どうしたい?」

「え?」

「伊藤さんは、どうしたいの?」

 どうしたいとはどういうことだろうか。だって、自分は地味で、何のとりえもなくて、だから、「どうしたい」なんて決めることなどできなのだと思っていた。けれど、藤沢の言葉は、「自分」が「どうしたい」のかを決めていいのだと伝えてくれる。

 藤沢は優しい笑みを浮かべて続けた。

「もう、決まっているんでしょう?表情はすごく迷っているのに、目はしっかりしてる」

「…」

「ねぇ、伊藤さんはどうしたい?」

「藤沢くん」

「何?」

「ありがとう」

「え?」

「背中を押してくれて」

 そう言い藤沢を見ると、嬉しそうな笑みを向けてくれた。その笑みが優しくて千花はやっぱり好きだなと思う。けれど、それは恋愛の「好き」と違うのだとわかった。

「行ってくるね」

 千花は、小走りで教室を出る。そうしてすぐに誰かにぶつかった。

謝ろうとして、顔を上げる。そして、驚いた。

「…瀧山…くん…?」

 バツの悪そうな表情を浮かべた徹がそこにいた。

そんな2人を見ながら藤沢は楽しそうに反対の戸から出て行く。

ここからは2人の問題だ。

「……なんでいるの?」

「ごめん。気になって。あいつのものになるんじゃないかと思ったらここから動けなかった。…格好悪くてごめん」

「…」

「やっぱり、俺はお前が好きだから、もう少しだけ、好きでいさせてほしいって言いたくて。…待ってた」

「…」

「しつこくてごめん」

「……何それ」

 思わず言葉が出た。涙が出そうになるのを必死でこらえる。

「何それ」

 声を少しだけ張り上げた。

徹は千花から視線を外すように下を向いた。

「そんな自分勝手な事言わないでよ」

「ごめん」

「謝らなくていいよ。今日のことだって、謝らないで。…勉強会には、私が望んで行ったの。もし瀧山くんが悪いなら、勉強会に自分の意志で行った私にも非がある」

「…」

「…惚れさせるんじゃなかったの?」

「…」

「私の日常に、『恋』とか『好き』とか持ちこんでおいて…無責任なこと言わないで。中途半端に投げ出したりしないで」

「伊藤…」

 ようやく徹が千花を見た。

拳を握り、今にも泣きそうなのに毅然として立っている。

 徹が初めて千花を見た時も、今と同じような表情をしていた。


「智絵ちゃんは、誰よりも早く来て、朝練をしていたし、帰りも一番遅くまで残って練習していました。休みの日だってずっと、バレーの練習をしていました。智絵ちゃんがレギュラーになったのは、智絵ちゃんが誰よりも頑張った成果だと思います。文句を言うなら、智絵ちゃんより努力してからにしてください!」

 2年でレギュラーを勝ち取った智絵に先輩が罵声を浴びせた時、人の前に出るのが苦手な千花が言い放った言葉だ。

徹は少し遠くにできた人だかりを面白半分で見ていた。その中心にいたのが千花だった。

遠目から見ても怯えているように見えた。けれど、視線だけは真っ直ぐだった。

泣きそうになりながらも、自分より背の大きい智絵をかばい先輩と対面していた。

「格好良い」徹の目にはそう映った。

その後負け惜しみを吐きながら先輩が去ると、空気の抜けた風船のように、床に座り込み、けれど智絵に「もう大丈夫だよ」と笑ったのだ。説得力のない力の抜けたけれど、暖かい笑顔。それを見て徹は思ったのだ。毅然とする背を支えたいと。遠くから見ているのではなく、一番近くで守りたいと。

そして、その笑みを自分に向けてほしいと心から思った。

「好き、なんて正直まだよくわからない。でも、瀧山くんの優しい笑顔を見ると、ほっとするの。瀧山くんの背中を見ると、胸が苦しくなるの」

「…」

「こんな風にさせておいて、何もなかったことになんてしないで」

「…」

「瀧山くんの気持ちが、今、ここで終わるならそれでいい。どうせ、私には釣り合わない人だもん。…それくらいの『好き』だったなら、それでいい。だけど…」

「そんな簡単な『好き』じゃねぇよ!」

「だったら!」

「…」

「だったら、好きでいてよ。ちゃんとほしいって想ってよ」

「……でも、これから先も今日みたいなことがあるかもしれねぇ」

「そうだろうね。瀧山くんは人気者だから」

「ブスとかなんとか言われるかもしれねぇ」

「気付いてなかった?このところ毎日言われてるよ」

「お前のこと傷つけるかも」

「うん。ただ背を向けられるだけで苦しいんだもん。きっとそんなことばかりだよ」

 少しだけ顔を持ち上げる。視線が交わった。手を伸ばせば届く距離。

「あいつなら、きっと俺より上手く立ち回れる」

「そうだね。藤沢くんはみんなの前で告白なんて絶対にしないしね」

「それから…」

「うん」

「それから…お前に頷かれたら、もう諦められなくなる」

「…」

「それくらいの好きだ。だから、ちゃんと考えて答えてくれ」

「…」

「俺と付き合え」

「うん」

 千花は即答した。答えは決まっていたから。

手を引かれ、強く抱きしめられる。痛いくらいの抱擁。それが、どこか心地よかった。

胸が締め付けられ、だけど胸が躍った。

「千花」

「え?」

「ずっと、名前で呼びたかった」

 頭上から注がれる優しい声。背中に回す腕に力を込めた。

「徹くん」

「くん付けかよ。…いいけど」

 拗ねるような声に思わず笑った。顔を見上げる。

視線が合った。

「千花。好きだよ」

 囁くように名前を呼び、近づいてくる綺麗な顔。

千花はそっと瞼を閉じた。


 好き、なんてわからない。

だけど、きっと、君に恋をしたのかもしれない。

ううん。

君に恋をした。

オレンジ色に染まる教室の中で千花はそう思った。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

新しい話ではなくすみません<m(__)m>

また新しい話も投稿していきたいと思っていますので、よろしくお願いします!

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