最終悪:悪は家族に正義はカジキに
学園を襲った三人組は、無事に警察に引き渡されることになった。
ちなみに、悪の組織である紫は、警察に関わると面倒なので、さっさと姿を消すらしい。
ただ、明に一つ伝言を残して行った。
「これで、美香は悪の組織に帰って来れるはずだ。あとで、美香を連れてアジトに来てくれ」
なぜ美香に直接言わないのかと尋ねる間もなく、紫は猫のように俊敏な動きで去って行った。
「…………」
去っていく紫を、美香はぼうっと見つめているだけで、追いかけようとはしなかった。
美香と紫の間に何かあったのだろうか? まあそれはさておこう。
パトカーへと連行される去り際に、リーダーが放った一言が、明には印象的だった。
「私達は、悪の組織から足を洗うよ。そうすれば、この忌々しいタイツを着る必要も無くなるからな」
ちなみに、その言葉の意味を理解できたのは明しか居らず、残りの者はただ首を傾げるばかりだった。
それでも、リーダーの哀愁に満ちた表情に、明は同情を覚えずには居られない。
ある意味では彼らも被害者なのだ。
まあ、だからと言って、今日の行いに正当性など無いのだが。
「さて、後始末は他の奴らに任せて、俺は退散しようかね」
殆どの男子生徒が全裸に剥かれ、校舎が半壊しただけで、特に被害は無かった。
その事実に拍子抜けしながらも、大事が無かった事に明は一安心。
恵美に面倒事を押し付けられない内に、そそくさとその場を退散しようと、踵を返したその時。
「待って、明くん」
美香に呼び止められたのだった。
「ん? どうしたんだよ美香?」
「明くんたちは、その……さっき、お姉ちゃんに何を言われたの?」
「『美香が家に帰って来れるようになったから、美香を連れてアジトに来い』って」
「……え?」
ダークヒーローズが居なくなったので、美香を遠ざける理由が無くなったという事だろう。
そう考えると同時に、様々な案件が全て片付いたのだと実感して、明は大きく伸びをする。
「考えてみれば、随分と長い三日間だったなー」
「ねえ、どういう意味なのか分からないんだけど? 教えてよ」
「言葉通りの意味だよ。勘当期間はもうお終い。お前はめでたく悪の組織に帰れるって事だよ」
「……どういうこと?」
全てが解決してもなお、未だに状況が飲み込めない美香に、明は苦笑を浮かべると、美香の手を引いて歩き出した。
「まずはアジトに向かおうか。説明は歩きながらでも出来る」
アジトに向かう途中に、明はこれまでの事を説明した。
自分が悪の組織でバイトしていた事。そこで紫たちと知り合った事。ダークヒーローズの事。美香の父親と出会った事。
父親の話に入った時に、美香は驚いた顔をしていたが、真剣に明の話に耳を傾けていた。
※
「ここだな」
二日ぶりに訪れた悪の組織のアジト。
迷うことなく階段に足をかけ、自然に入って行く明に対して、美香はぎこちなくキョロキョロと辺りを見回している。
「お……お邪魔します?」
何故か疑問形。
おそらくは萎縮しているのだろう。
妙に声も裏返っている。
二階の扉を開けようと明がドアノブに手をかけたその時、美香は明の袖を掴み、不安そうに俯いた。
「ねえ明くん。さっきの話だけど……」
「うん?」
ドアノブを捻りかけた手を放し、明は美香に向き直る。
いやに深刻な表情を浮かべる美香を見て、明は内心首を傾げる。
「私が悪の組織に帰れるとか……言ってたでしょ?」
「ああ。めでたく感動の再会ってワケだ」
もしかして、全然実感が湧いていないのだろうか。
たしかに、美香から見れば、よく分からないまま話が進んでいるように感じるのかもしれない。
しかし、事実は事実だ。美香は最愛の家族の下へと帰れるのだ。
そう考えると、美香の幸せを祝福する気持ちが湧いてきて、明は自然と頬が緩むのを感じた。
「……本当に帰れるのかな?」
「え?」
しかし、美香の顔に浮かんだ感情は『不安』だった。
美香は、その反応に驚く明から視線を逸らして、自分の体を抱きかかえるようにして。
「私、家から追い出されたその日から、ずっと怖いの。家族に会いたい、昔みたいに幸せに暮らしたい。そんな希望を持つのと同時に、怖くてたまらないの。ヒーローとなってしまった私が、今までみたいに過ごせるとは到底思えない」
「…………」
「悪の組織でも、正義の味方でもあるような中途半端な存在の私が、悪の組織に帰ったら、他の悪の組織から反発を受けるのは必至なの。だから、みんなに迷惑を掛けるんじゃないかって。そんな事ばかり考えて、再会を恐れてた。どれだけ会いたいと思っていても、それ以上に恐怖が膨れ上がる」
「…………」
「だから、私にはこの一歩を踏み出す勇気が無い。たとえ扉の隙間から覗けても、やっぱりお姉ちゃんたちには会えない。家族の下に帰る事は、今の私には出来そうにない」
悲しげに目を伏せて、美香はさっと踵を返す。
とっさに明はその場を去ろうとする美香の腕を掴んだ。
「なんで自分の気持ちを押し殺してまで、家族に迷惑を掛けないようにするんだ」
「私に家族に会う資格は無い。ヒーローになった以上、私にはもう――――」
何事か言いかけてから、美香はハッと口を噤んだ。
なにかを躊躇うような表情を浮かべた後、もう話すことは無いと言わんばかりに、明の手を振りほどこうとする。
しかし、明は放すどころか美香を引き寄せて、真剣な顔で口を開く。
「ヒーローだから家族に会う資格が無い? クソ食らえだ、そんな理屈」
「……え?」
気付いた時には、美香は部屋の中へと放り込まれていた。
あっけにとられながらも、たたらを踏んで、倒れる事から回避した美香は、部屋の中に居た人物と目が合う。
部屋の中では、紫が喜色満面の様子で立っており、美香が登場するや否や、思いっきり美香の体を抱きとめた。
「美香! よく帰ってきたな!」
「え!? ちょ、ちょっと!?」
突然の抱擁に驚きを見せる美香。
シリアスな空気が吹き飛ばされたのを感じながら、明は目を細め、呟いた。
「悪の組織ってのは、もっとワガママに生きるもんだろ?」
……そう呟いてから、明は顔を手で覆って部屋を出る。
自分のセリフが恥ずかしかったらしい。
明の顔は、真っ赤になっていた。
「……恥ずかしい。でも見ちゃう」
明はそっと扉を閉めるフリをして、隙間から覗くことにした。
そう言えば、葵と結はどうしたのだろう?
……まあいいか。紫と美香の会話に集中しよう。
「よし、改めて言うぞ。えーゴホン……」
妹の帰還に興奮しているのか、気恥ずかしいのか、はたまたその両方か。
紫は頬を紅潮させながら、照れ隠しに咳払いをすると。
「おかえり、美香」
と、言った。
紫の瞳の奥底に、確かな達成感が宿っているのを見て、明も感慨深いものを胸の奥底に抱く。
彼自身もそこそこ苦労しただけに、感動もひとしおというワケだ。
そして、紫の「おかえり」に対して、美香が返す言葉は一つしかない。
家を追い出されたその日から。
美香はこの言葉を伝える日を、どれだけ待ち望んでいたことだろう。
「……た、ただいま!」
ワンテンポ遅れての、美香の言葉。
本人は、もっと言いたい言葉がたくさんあるだろう。
しかし、紫にとってはこの一言が、どんな言葉よりも多くの事を伝えてくれた。
すこし気恥ずかしそうにしながらも、紫は照れ臭そうに微笑む。
「あー、アレだな。いざ再会すると、何言えばいいのか分からないな!」
「そ、そうだね!」
まるで、付き合い始めたばかりのウブなカップルだ。
変に声が上擦っている。
なんだこれ。
「あれ? ところで、葵お姉ちゃんと結お姉ちゃんは?」
「ああ、あの二人は寝込んでる」
「……え?」
思わず美香は聞き返す。
明も耳を疑った。
「美香が自分から出て行ったのが余程ショックだったみたいでな。空っぽの布団見てそのままバタリと」
「…………」
苦笑交じりに話した紫だったが、美香にとっては冗談では済まない話だ。
先ほどから気まずそうにしていた美香が、更に顔を落とす。
自分のせいで姉に迷惑を掛けたことを悔やんでいるのだろう。
そして、これからも掛けるであろう迷惑に、心を痛めているのかもしれない。
だが、そのことは明がどうこうする問題ではない。
美香が自分で悩み、自分で解決するべき問題だ。
もちろん、いざと言うときは支えてあげる所存ではあるが。
(まあ、一件落着って事で。俺は今日のところは退散しようかね)
心の中でそう呟いてから、明はそっと扉を閉じて、外に出ようと踵を返し――――。
「あれぇ? タイツさんじゃないですか? どうしてあなたがここに居るんですか?」
その声を聴いた瞬間に、冷たい感覚が明を襲った。
本能的な恐怖が呼び覚まされ、蛇に睨まれた蛙のように、明はその場を一歩も動けなくなる。
明は、首だけ動かして、恐る恐る声の方へと視線を向ける。
なんと、眠そうな声と共に、三階から葵が降りて来た。
パジャマ姿。
左手にはクマのぬいぐるみ。
右手にはカジキ。
前髪で隠れた顔からは、その表情は伺えない。
だが、口元だけは不気味に微笑んでいる。
いったいどうしたというのだ。
「なんで美香が居なくなって、わたしを置いて居なくなって、なのになのにどうしてタイツさんがこんなところに居るんですかぁ?」
「え? お、俺は……その……」
何故だろう、明は直感できた。
今の葵は、とてつもなく機嫌が悪い。
そして、かなり寝ぼけている。
「ああ、そうでした。タイツさんは私たちの組織の一員でしたね。ならここに居てもなんにもおかしくありません。ちゃんちゃらおかしくありません」
そう言いながら、なぜか葵はカジキを構えた。
長さ二メートルの、魚類の力強さと気高さをそのまま体現したようなその武器は、凶悪な輝きを放ちながら、明に向けられた。
「でも『バイトは職務中は常に戦闘スーツを着用する』って決まりを守ってませんよね? まさか忘れたとは言わせませんよ?」
「えっ」
そんな決まり有っただろうか。
思いだせない。忘れた。
「そしてぇ、その決まりを破った暁にはぁ、冷凍カジキの刑と言うのも忘れてはいないでしょうねぇ?」
「えっ」
冷凍カジキの刑?
そういえば有った気がする。忘れていた。
じゃなくて。
「ま、待ってくださいよ葵さん! 美香はちゃんと――――」
「冷凍カジキ」
「アッ―――――――――!!」
美香の事を伝える暇も無く。
明は冷凍カジキの刑を受け、一生消えないココロのキズを負った。
悲痛の叫び声をあげる明に、カジキが一言。
「勘忍やで」
と、呟いた。
もしも『こんな終わり方で納得できるか!』という読者が居ましたら。
まあ、とりあえず落ち着いて深呼吸しましょう。
そして、感想でボロクソ書いた後に評価をポチポチっとするのです。
そうすれば、作者は喜んで後日談の執筆作業に勤しむ事でしょう。




