番外編:ばれんたいんちょこはしのかおり(後編)
敢えて言い訳はしないでおこう。
オチが貧弱すぎて死にたい。
「バレンタインデッドにおける、『本命チョコ』。それは、嫌いな男子を抹殺するために作られた、『本当に命を落として欲しい人に送るチョコ』なんですよ」
「そんな意味だったの!?」
驚愕の真実に、美香は動揺した。
バレンタインデーが、そんな危険なイベントだとは知らなかったのだ。
いや、知ってるはずもないが。
とりあえず、明にこのチョコを渡すのは無理だ。
早く、誰か女子に渡して、『義理チョコ』として消費してしまおう。
「あ、あのっ! 亜美ちゃ……」
亜美に渡そうとした、その時。
キーンコーンカーンコーン……
チャイムの音が放課後の始まりを告げる。
美香の意図を察した亜美は、非常に申し訳なさそうに、呟いた。
「実は、放課後における『女子同士のチョコの交換』は禁止なんです。つまり……」
男子に渡すしかない。
途端、美香はサッと血の気が引くのを感じた。
明に渡せば、明が死ぬ。
他の男子に奪われれば、その男子と付き合わなければならない。
どちらも出来れば遠慮したい。
「あ! で、でも、下校時間になればバレンタインデッドは終了です。それまで逃げきれば、なんとかなりますよ!」
「えー? 私、久々にキューピットやりたいのになー」
美香に励ましの言葉を送る亜美と、膨れっ面のモブ子。
そんな二人を無視して、美香は廊下へ飛び出した。
男子から逃げるためだ。
チョコを隠そう。
どこか、男子に見つからないような場所に。
最初に思い浮かんだのは、女子更衣室だ。
あそこなら、男子も入れまい。
「……?」
後ろから、地響きのような音が聞こえてくる。
振り向いてみると、後ろから、数多の男子が津波の如く押し寄せてきていた。
「「「チョコォォォォォォ!!」」」
「きゃああああああああああ!?」
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い!
なんだかとんでもない事になってきていると悟って、美香は涙目になりながら、校舎を駆け回る。
「早くっ! 早く女子更衣室にっ!」
ジワジワと男子との距離が縮まってくる。
しかし、女子更衣室はもうすぐだ。
逃げきれる。
美香はそう確信した。
だが――――。
「「「チョコォォォォォォ!!」」」
「っ! そんな!?」
前方からも、男子の群れ。
女子更衣室への道は、完全に閉ざされている。
美香は、絶対絶命の窮地に立たされていた。
※
「うっわー。美香ちゃんモテモテだねー」
「そうだなー。美香も思い切った事するよな。ここまでして殺したいやつがいるとは」
少し離れたところで、明とタケシの二人は、事態の成り行きを見守っていた。
美香が明にチョコを渡すつもりだったと知らない明は、完全に傍観者に徹しきっていたのだが――――。
「…………」
一瞬、明と美香の視線が交錯する。
不安に満ちた美香の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
明の中で、形容しがたい得も言われぬ感情が沸き起こった。
「……助けてやるか」
ボソリと漏れ出た明の言葉が、タケシの耳に届く前に、明は踏み出していた。
「どけええええええ!!」
「「「うるせえええええええ!!」」」
「アベシッ!」
瞬殺。
あっさりと明は弾き飛ばされ、そのまま窓を突き破り、茂みの向こうへと落ちていった。
「カッコつけようとするから…………」
呆れてものが言えないとばかりに、タケシは肩をすくめる。
その時、タケシの肩にポンと何者かの手が置かれ、タケシは振り返った。
そして、戦慄する。
「ねえタケシくん? あの男子どもは何をしているのかしら?」
冷めた目つきで男子の群れを見ながら、少女は尋ねた。
その見目麗しい顔立ちには、冷酷で残忍な色が垣間見えた。
※
美香は、男子によって完全に包囲されていた。
ギラついた目でジリジリと滲み寄ってくる男子たち。
それに伴って、美香も少しずつ後退していく。
もはや、逃げ場は無い。
(誰かっ! 誰か助けてっ! 明くんっ!)
美香のそんな祈りに、助けに入ろうとした明は既に、美香の預かり知らぬところで倒れてしまっている。
全く、頼りがいのない男である。
「チョコォ……」
男子生徒の魔手が、美香の抱えるチョコレートへと伸びてくる。
もうダメだ。
美香はギュッと目を瞑り、チョコを守ろうとしゃがみ込んだ。
もちろん、こんな事をしても効果などあるわけが無い。
必死の抵抗を見せる美香に、男子生徒は無慈悲に手を掛けようと……。
バシィンッ!
唐突に、側頭部になにか固いものが衝突し、男子生徒は衝撃に耐えきれず、たたらを踏んで倒れた。
「…………?」
飛んできたものへ目を向けると、それは真っ黒な塊。
もともとハート型であったであろうソレは、真ん中から真っ二つに割れている。
チョコレートだ。
「チョ……チョコォ?」
ハートチョコから顔を上げれば――――。
「どうやら、甘い菓子に群がる汚らわしい害虫が湧いてるみたいね?」
「っ!?」
視線の先には、安藤恵美が立っていた。
その右手には、チョコレート。
「ひぃーふぅーみぃー……まあ、足りるでしょう」
左手で男子の人数を数えながら、まるでカードの手品のように、どこからともなく何枚ものチョコを取り出した恵美は、
「害虫はホウ酸チョコレートでも食べてなさい」
一斉に、男子の口へと投げ込んだ。
「「「グァァァァァァァァァァァァ!?」」」
慌てて吐き出す男子たち。
しかし、もう遅い。
すでに、『女子』である恵美は、『男子』にチョコを『渡した』のだ。
「しまった! 『本命ルール』だ!」
そう叫んだと同時に、男子生徒たちは一斉に身を伏せる。
少し遅れた男子生徒の胸部を、一本の矢が貫通した。
「ギャアアアアアアアアア!!」
苦痛に満ちた叫び声に、男子生徒は渋面を浮かべる。
「モブ子のやつ! 今年も殺る気だぞ!?」
『本命ルール』に従って、『本命チョコ』を貰った男子には、『キューピットの矢』が放たれる。
そして、キューピット役はモブ子。
学園の三番目の実力者だ。
下手をすれば命に関わる。
もはや、美香のチョコレートどころではなかった。
「急所を外せー! 一度当たればターゲットからは外れる!」
「おい! コイツ息してないぞ!?」
「卓郎はどこだー!?」
必死に逃げ惑う男子生徒を見ながら、美香はポツリと。
「なんなのよ、ホントに……キャッ!?」
取り敢えず立ち上がろうとしたところで、美香のチョコを、流れ矢が掠めた。
チョコを包んでいたピンク色の包み紙が破け、弾かれるようにして、チョコは宙を舞い、窓から落ちていった。
「ああ! ちょっと!?」
慌てて窓から手を伸ばすが、チョコは茂みの中へと落ちていってしまう。
美香は身を翻し、茂みへと走り出した。
※
その頃、体育館裏では。
「これっ! 受け取ってください!」
そう言って卓郎に差し出されたのは、ハート型のチョコレ ート。
手作り感溢れるそれは、誰がどう見ても本命だとわかる。
そう、亜美の『本命チョコ』だ。
照れと恥じらいの混じった笑みを浮かべる亜美に対して、 卓郎の顔色は悪い。
「……フ、フハッ! フハハハハハハハ! そうか、貴様が今年の地獄からの使者か! 良いだろう、その勝負、受けて立ってやろう!」
その瞬間、卓郎の胸を、マッハ43の速度で飛来した超合金キューピットの矢が貫いた。
「グフッ!」
致命傷クラスの大怪我なのだが、生憎、卓郎は致命傷如きでは死なない。
耐えきって、矢を掴み、抜き放つ。
「と……とった……ぞ……?」
「おめでとーございまーす!」
ガランガランとハンドベルの音が辺りに響き、モブ子が翼を羽ばたかせながら、空から舞い降りる。
「見事! 『キューピットの矢』を受け止めましたので、お二人はカップル成立となりまーす! 副賞として、『チョコレート1年分』が進呈されますよ!」
「やったー!」
ピョンピョンとはしゃぐ亜美。
対して、卓郎の顔色は悪い。
傷口が焼き焦げているらしく、傷の治りが遅い。
「し………死ぬほど痛い……」
そのまま地面に向かって倒れ込むと、卓郎は動かなくなった。
そんな卓郎へ、亜美は満面の笑みを向けると。
「それじゃあ卓郎さん。別れてください」
そんな理不尽な別れ話に、卓郎は地面に顔を埋めながらも、弱々しく頷いたのだった。
※
「いてて……」
タンコブの出来た頭を抑えながら、明は起き上がる。
自分で突っ込んで行ったとはいえ、とんだ災難だ。
自然と溜め息がこぼれ落ちる。
さっさと校舎に戻ろうと立ち上がったその時。
「ん?」
足元に、何か落ちているのを見つけ、明はそれを拾い上げる。
ハート型のチョコレートだ。
ピンク色の包み紙は大きく破けており、隙間から甘い香りが漂ってくる。
誰のものだろう?
「あっ……!」
まじまじとチョコを見ていると、驚いたような声が聞こえた。
そちらへ視線を向ければ、美香がこちらを見つめながら、固まっていた。
「あれ? 美香……」
「明くん! 避けて!」
「……え?」
振り返ると、『キューピットの矢』が、明に目掛けて………。
「ぎゃああああああああああああ!?」
この時の明の叫び声は、学園中に響いたという。
なお、番外編の内容は本編と全く関係ありません。




