美香の過去
私にヒーロー能力が発現したのは去年の冬。
なんの前触れもなく生まれたこの力は、私を家庭から孤立させるには十分な理由だった。
黒内一族
何十年も昔から悪の組織を統べている、いわゆる悪の組織の頂点。
日本の裏社会では知らない者はいないとまで言われる一族。
私はその娘だった。
私は小さい頃から何一つ不自由なく、大事に育てられてきた。
いわゆるお嬢様だ。
幸せだった。
家族は私を愛してくれたし、私も家族を愛していた。
それなのに
ヒーロー能力が発現したその日、私は捨てられた。
私を一族から追放すると決めたのはお父さんだった。
お母さんもお姉ちゃん達も反対した。
しかし、お父さんは決して折れることはなかった。
私は半ば無理矢理に、家から追い出されることになった。
私が使用人に促されて部屋から出る直前、振り返ると、紫お姉ちゃんが泣きながらお父さんに掴みかかっていた。
「ヒーローになったからって娘を捨てるのか!?あんたそれでも父親かよ!?」
部屋のドアが閉まり、もうその先はもう聞こえなかった。
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車に乗せられて三十分、下ろされたのは全く知らない場所。
私は一億円という大金だけ渡されて、路頭に迷うことになった。
幸いにもお金はあったので、ホテルで宿を取る事は出来た。
飢死や凍死する事はないと、ネガティブな安心をしていた。
シャワーで体を洗った後、ベッドに寝転びながら窓の外を見る。
雪が降っていた。
昨日までの私なら呑気に「綺麗」などと思っていた事だろう。
しかし、私にそんな事を考える余裕は無かった。
どうして私は捨てられた?
どうして私を愛してくれない?
どうして私の幸せは、こんなに脆い?
私はこんなにも、みんなを愛しているのに。
お姉ちゃん達も、お父さんも、お母さんも、大好きなのに…
みんな、私を愛してくれていたのに。
全部この力のせいだ
試しに、冷蔵庫に入っていたワインボトルを掴み、力を込める。
ワインボトルは簡単にパリンと音を立てて割れた。
破片が手に刺さり、ワインと一緒に赤い血が手から流れ落ち、絨毯を汚す。
この忌々しい力は
地位も名誉も幸せも愛情も、家族すらも、奪っていった。
私に力だけを渡して、他の全てを壊していった。
父に捨てられたショックはあまりにも大きく、身を引き裂かれるような想いだった。
いや、引き裂かれるくらいならまだマシだっただろう。
そう考えるほど私は失意の底に沈んでいた。
辛くて苦しくて、いっそ死んでおうかとまで思った。
涙で辛い気持ちを洗い流したかった。
それなのに…私は酷く冷静だった。
辛すぎて、心が麻痺しているわけでは無い。
胸が苦しく、感情の波がせり上がってきて、私の息を塞いでいるような錯覚さえ覚える程だ。
心は確かに悲しんでいる。
体がそれを受け付け無いだけだ。
『ヒーローに目覚めた者は、肉体だけでなく、精神力も強くなる』と、本で読んだことがあった。
その時はいまいち理解出来なかったが、実感して初めて、理解した。
こんなに苦しい気持ちなのに、私は涙すら流していない。
普段の私なら、「取り敢えずホテルに行こう」などと考えずに、人目も気にせずにその場で一晩中泣きじゃくっていただろう。
家族の名前を意味もなく呼んで、来る筈のない迎えを待っていただろう。
もしかしたらお姉ちゃん達が助けてくれるなんて考えて、ずっと道端に座り込んでいたことだろう。
私だって裏社会の人間だ。
街中で、そんな事をしていれば、どんな危険があるか、よく知っている。
ホテルに行くという考えは正解だった。
それでも、私は感情に身を任せておきたかった。
私は汚れた手のまま、ベッドに入る。
家のベッドと大して変わらない、高級ベッド。
しかし、そのベッドからは、家のそれとは違って
体を癒してくれる優しさも
包み込まれるような安らぎも
眠りへと誘ってくれる温もりも
家族の愛情も感じなかった。
「ヒーローには、理性的な部分が多すぎるよ…」
その瞬間、私の瞳から涙が溢れだす。
自制心が強すぎて、感情が無意識に押し殺されているのだ。
故に、意識的に泣こうと考えない限り泣かないし、泣けない。
私がヒーローに目覚めて最も早く、本当の意味で変化したと実感したのは、筋力でも視力でも特殊能力でも勘でも無く、その心だった。
理性的。
ただ理性的。
決して感情に支配される事の無い、理性のままに動く怪物。
「これが…ヒーロー?」
自分の存在が、これ程までに恐ろしく感じた事は無かった。
これからどうしようかと考え、 私はヒーロー学園に入ることを決めた。
家族に仕返しをしようと考えているわけではない。
むしろその逆だった。
「きっと…皆に会えるよね?」
今頃、お父さんは引越しの準備をしているだろう。
私が帰って来れないようにするために。
やると決めたら徹底的にやる人だから、きっと私に情報を掴ませまいと頑張っているのかもしれない。
もしそうならば、家族の居場所を突き止めるのは現時点では不可能だ。
しかし、正義の組織に入れば黒内一族の情報が手に入るかもしれない。
そうすればきっと、再び家族に会えるかもしれない。
家族に会ったら…
そうだ、まずは「ただいま」って言おう。
葵お姉ちゃんは優しいから、きっと「お帰り」って言いながら嬉しすぎて泣き出すだろうね。
紫お姉ちゃんはいつも素っ気ないけど、私を心配してくれているに違いない。
「心配かけてごめんなさい」って言えば、きっと許してくれるよね。
結お姉ちゃんは黙って私を抱きしめる、頭を撫でてくれればもっといいな。
お母さんは泣いているだろうから、今度は私がぎゅっと抱きしめてあげるんだ。
お父さんは…うん、口では小言を言いつつも、私を迎え入れてくれるよね。
裏社会の頂点なんて大層な肩書きを持っていても、結局は家族に甘いんだから。
ただいまの後は、お話をしよう、
どんなことを話そうかな?
次はご飯を食べようか?
家族一緒に食べることなんて最近はあまりなかったからね。
翌日にはお出かけをしようかな?
遊園地なんかが良いかもしれない。お父さんはヒーローショーが嫌いだから、気を付けないと。
その日の晩に皆でトランプなんかどうだろう?
ババ抜きだと、結お姉ちゃんは分かり易い人だから、わざと負けてあげなきゃね。
次々と浮かんでは消える幸せな想い。
これを取り戻すためなら、私はなんでもしてやる。
「絶対に…対に」
強く決意を固めながら、私は眠りについた。




