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冷血男と猫耳少女

 むかし昔、あるところに二人の旅人がおりました。


 二人は草原で思い思いに休んでいました。


 一人は草の上に寝っ転がって、一人は蛙を追いかけています。

 蛙がピョンと跳ねます。追いかけていた旅人も後を追いました。動物のように両腕を前脚の代わりにして、ピョコピョコと前へ進みます。


 蛙を追いかける旅人はまだ年若い少女です。十七、八くらいでしょうか。従僕の服装で男装しています。そして奇妙なことに、頭には猫のような耳が生えていました。獣の耳は持ち主の動きに合わせてひくつきます。


「あんまり遠くへ行くなよ、黒猫」

 もう一人の旅人が、猫耳の少女へ言いました。眠たそうな声です。

 緑の草の上に、長い手足を伸ばして寝っ転がっています。ダークブロンドに、同じ色の長いまつげ、堀の深い顔立ちはなかなかの美青年。


「わかりました、ご主人様」

 少女は返事しました。うわの空の声です。目は蛙を追って右から左。青年はため息を吐きました。

 さわやかな春の風が吹き、青年の前髪を撫でていきます。


 そんな平和な昼下がりをぶち壊す、物騒な足音が草の茂みを掻き分けてきました。


「おい、小僧。命が惜しければ有り金全部置いていきな」


 足音は青年の横でやみ、ギラリと光る刃が彼の喉元に突きつけられました。

 ぼろ切れをきて、顔や身体に煤や埃、汚れが付いた男たちが青年を脅しつけようとしています。男たちは、泥まみれの顔の中で、目だけが異様に輝いていました。


「せっかくウトウトしてきたところだったというのに。貴様のせいで私の安眠が奪われてしまったじゃないか」

 美しい貴族の発音で、彼は一語一語をゆっくりと発しました。

 白く柔らかい喉仏に刃の先が食い込んで、見ているだけでハラハラしてしまう光景です。男たちの一人が怒鳴りました。

「舐めてるとその首が身体とお別れしちまうぞ!」

「盗人にしてはましな表現だな」

「人の話きいてんのぐぁっ!!?」


 最後の『ぐぁっ!!?』は取り囲む男の一人の悲鳴でした。

 背後から背中をしたたかに蹴られて地面に這いつくばります。


「な、なんだ!?」

「ぎゃぁっ!」

 相次いで悲鳴が起きます。麦畑の麦が嵐になぎ倒されるように、次々と男たちは倒れていきました。

 ある者はみぞおちに一発喰らわされ、ある者は背後から首を打たれ、起き上がることができなくなっていました。


 十人ほどはいたであろうならず者が、あっという間に地に伏していきました。

 とうとう最後の一人が正面から衝撃を受けて、吹き飛びます。間を置いてどう、と仰向けに地面に倒れました。


 ひらりと『黒猫』と呼ばれた少女が男の自由を奪うように跨がります。

 この早業をやってのけたのがたった一人の少女だと、誰が想像できるでしょうか。


 潰れた蛙のようなうめき声をあげて、男は自分の状況が掴めず目を白黒させています。


「いい格好だなあ。私のまどろみを邪魔した貴様にはふさわしい姿だ」


 男のはるか頭上から、青年は微笑みかけました。眼の笑っていない、冷たい微笑です。

 自分と青年の立場が逆転したことを男はようやく悟り、顔面からだらだらと脂汗を滲ませはじめました。

「た、頼む」

「頼む? 貴様は私と対等に交渉できる立場だとでも思っているのか?」

「い、命だけは」

「命だけでいいのか? 死なない程度に耳でも鼻でも、削ぎ取ってしまうことだってできるぞ?」

「ひぃっ」

 怯えきった男が喉の奥から引きつった悲鳴をあげます。先ほどの悪人然とした態度はもうすっかりどこかへ忘れてしまったようでした。


 哀れそうに男を眺め下ろし、黒猫が口を開きました。

「もういいじゃないですか、ミシェル様」

 少女の言葉に、ミシェルと呼ばれた貴族の青年は鼻を鳴らしました。

「黒猫、お前にはわからんだろうな。――今この瞬間が、私は腹の底から楽しい」

 黒猫は同情の眼差しで男を見下ろしました。


 ミシェルは他人より優位に立つことで幸せを感じる人間なのです。

 そして、運の悪いことに、彼には黒猫という、おつむは弱くても恐ろしいほど腕の立つボディガードが付いているのでした。


 彼女は幼いころにミシェルの両親に拾われ、彼のお世話係として共に育てられました。獣人であるのに人間と同じように服をもらい、屋根ある家で住まわせてもらい、温かい食事を食べさせてもらっている主人に、黒猫は深い恩義を感じています。……たとえ主がサディストでも。


 そういうことで、哀れチンピラ山賊は丁寧にのされたあと、船の積み荷のように重ねられ、野晒しにされてしまいました。




 さてこのミシェルという青年、実は大きな領地を持つ貴族の三男坊なのですが、生まれ持った美貌と両親が年老いて生まれたためでしょうか、大変愛されて育ちました。


 面白くないのは長男と次男。年も離れているうえに、ミシェルはあの通りの意地の悪い性格なので、両親の愛情と反比例するかのように兄弟から憎まれておりました。

 そしてその不和は、両親が亡くなった時ミシェルに襲い掛かりました。


 庇護してくれる者がいなくなったミシェルに、長男と次男は二人そろってこう言いました。

「今までと同じ暮らしができると思っていたら大間違いだ。金持ちの貴族か商人の娘の婿になれ。お前には三男坊としての役目を果たしてもらうからな」

 その結婚は、兄弟がミシェルを家から追い出すためでした。


 そのうえ、二人が連れてきたのはとんでもないお金持ちですが、見たことがないほど醜い娘でした。

 父親とともにやってきたのは豊満というお世辞が号泣しながら裸足で逃げ出す、はち切れんばかりの脂肪でぶくぶくと太った娘です。父親もそっくりで、二人そろって顔はにきびだらけの、真っ黄色な歯のぞっとするような似たもの親子でした。


 馬車のドアに引っ掛かりながらスポンと出てきた親子を見て、黒猫はすっとんでミシェルの元へ知らせに走りました。屋敷の外で昼寝をしていた彼は、真鍮の望遠鏡で覗きながら


「巨大な豚が酒樽を着て歩いているぞ。器用に二足で歩いている。しかも二匹もいるとは、兄上は今夜は贅沢な肉料理を作らせるつもりらしいな」


 と漏らしました。

 未来の妻の到着にも慌てずミシェルは落ち着き払っています。

「ミシェル様、このままだとあの方たちのお家へ婿入りさせられてしまいますよ? いいんですか?」

 黒猫がソワソワしながら訊ねました。

 兄弟間の緊張は従僕にも伝わり、黒い毛が電気で逆立つようなピリピリとした空気が黒猫にはもう耐えきれませんでした。


「挨拶くらいしておくか」

 ミシェルは黒猫の質問には答えず、スタスタと酒樽親子の元へと歩み寄ります。

 黒猫も慌てて後を追いました。


「これはこれは、はるばる遠いところまで脚をお運びいただきありがとうぞんじます」

 娘の元へ進み出ると、ミシェルは膝を折ってお辞儀しました。

 ダンスに誘う紳士のように優雅なしぐさです。芝居がかったセリフも、甘いテノールで紡がれれば美しい音楽のようでした。

 この出迎えに娘は悪い気はしなかったようで、扇で口元を隠しながらグフグフと笑いました。

「フン!」

 娘の横にどっしりと立っている父親が大きな鼻の穴から息を吹き出しました。

 値踏みするようにジロジロと上から下まで眺めます。

「どうやら見た目は悪くないようだな。だが美男子だのなんだのというものは軟弱なものが大いに決まっている。当世の宮廷ではもてはやされているが頭の中身は空っぽなやつばかりだ」


「閣下、当世の流行に則って、外交にはこの顔は有利だとは思いませんかな? 婿入りした暁にはお役にたてると思いますよ」

 ミシェルは酒樽父に向かってにこりと男らしく笑います。黒猫は飛び上がりました。

 彼の笑いと言えばニヤリとかニヤッとかいう意地の悪い、何かたくらんでいる風な笑い方ばかりです。

 爽やかとか、快活とかいう言葉とは無縁の男ですから、彼をよく知る黒猫にはより一層不気味でした。

 閣下と相手を持ち上げたりおべっか使ったりするのも、鳥肌が立つほど似合わないやり方でした。



 こうして彼のたくらみ通りか、その日の晩餐を迎えるころには、親子はすっかりミシェルのことを気に入ってしまいました。あとは婚礼をあげる時期を待つばかり。二人の結婚式は春に、娘の屋敷で行われることになりました。


 これに悔しがったのはミシェルの兄弟たちです。

 不細工な娘をあてがうことで嫌がる姿を嘲笑ってやろうと思っていたのに、拒否するどころか親子に上手いこと取り入ってしまいました。

 とはいえ肩身の狭い娘婿という身分。可愛くない弟をやっと追い出せることに、下げきれない溜飲もぐっとこらえることにしたようでした。





 そうしてミシェルは故郷で過ごす最後の冬を越し、とうとう春を迎えました。

 婚家から迎えの馬車がやってきて、黒猫と使用人によって荷物が積み込まれます。


 ミシェルは自分の生まれ育った館を振り返りました。

 別れの日にも、彼の兄弟たちは見送りに来ませんでした。


 冷血男のミシェルがそれを悲しむはずはありませんが、長いこと館の青い屋根を眺めています。


 出発の用意を終え、黒猫がミシェルの元へ駆け寄りました。

「ミシェル様、出立の用意ができましたよ」

「ああ」


 そのまま、彼はまっすぐ馬車へと乗り込みました。


 ガタガタと小高い丘を滑り降りるように馬車が走りだすと、それから一度も館を振り返ることはありませんでした。




 馬車はミシェルとお付きの黒猫を乗せて進みました。

 酒樽親子の領地はミシェルの実家からは山と谷を二つほど越さなければなりません。

 長い旅路に、ミシェルは座りっぱなしで馬車の揺れのせいで尻が痛いなどの文句は言いましたが、婚家への不平は言いませんでした。恐ろしく口は悪かったので、迎えの御者やお世話のための使用人はくどくどした話を聞きたくなくて彼にはなるべく近寄りません。


 その日は街へ入れたため、宿をとることが出来ました。

 急げば二つ目の谷を越えることも出来ましたが、休息を取りたいとミシェルが言ったので太陽が真上にある時間から荷を解きました。一息入れることになるので、皆誰も文句は言いません。

 ただ一人、黒猫だけが迫る結婚に不安そうな顔をしています。何か言ってやろうとしたら、ミシェルは疲れたと言ってベッドに潜り込んでそのまま眠ってしまいました。



 ミシェルは日が落ちたころに目を覚ましました。

 ちょうど宿のおかみから黒猫が食事を預かって運んでくるところで、寝起きの不機嫌そうな顔で、寝癖頭とガウン姿で暖炉の前をうろうろしていました。


「ミシェル様、お目覚めならお顔を洗ったらどうですか?」

「遅い!」

「怒鳴られても……まだ寝てると思ったんですよ。そんなにお腹が空いてるんですか?」

「そうじゃない! 本当にお前は残念な頭の持ち主だな。お前がいないと私の企ては遂行できんのだ」

「はあ……」

 黒猫は上目づかいに長身の主人を窺いました。

 残念な頭と言われても、皆がミシェルのようにずる賢いわけではありませんので彼の計画など知るわけがありません。そもそも何か企んでいるなど知らされてもいませんし。


「人払いはしてあるな?」

「お眠りになる前にそうおっしゃったじゃないですか。言われたことぐらいはできますよ」

「ふん。誰が聞き耳立てているともわからん。お前の耳ではどうだ?」

「みんな階下でお酒を振る舞われてますよ。それもお言いつけだったじゃないですか。金貨におかみも上機嫌でしたよ。吝嗇家のミシェル様らしくないですね」


「そうだな、だが好機だ。誰も俺が吝嗇だと知らん連中だ。喜んで馬鹿騒ぎしてくれるだろうな」


「はあ」

「支度をしろ、抜け出すぞ。もう十分に兄上の嫌がらせに付き合ってやっただろう。これ以上は空売りはせん」

「は?」

 黒猫は素っ頓狂な声を上げて、慌ててあたりを見回しました。

 幸い階下の人間には聞こえてないはずです。それにしても、主人はいつからそんな大それたことを考えていたのでしょう。


「この時を狙って準備をしてきた。屋敷の絵画や書物は全部売り払って偽物とすり替えてやったわ。

 兄上が気付く頃には俺はどこかの没落貴族の爵位でも買って仕官する。ざまあみろだ」


 せいせいした、と言いたげな顔は生き生きとして楽しそうです。

 黒猫はあっけにとられてものも言えません。今まで口先だけかと思っていましたが、この実行力。


 それでも手放しで褒めてやれないのは間違いなく彼のこの性格のせいでしょう。



「それは、ボクについて来いということでしょうか?」


 おずおずと黒猫が訊ねると、ミシェルは目を丸くしました。

 まるで予期しなかった、という顔です。


「お前は私の従者だろう?」

「ですが、ミシェル様が逃げ出されるというなら、お一人の方が身軽でいいんじゃないでしょうか? ボクは獣人ですし……一緒にいると何かと目立ちます」


「バカめ」

 一言で切り捨てて、ミシェルは黒猫に背を向けました。

 クローゼットからマントや逃げ出すために準備したのであろう包みをひっぱり出します。

「でもミシェル様、」


「うるさいぞ!」


 彼は声を荒げました。

 黒猫はびくりと目を閉じて肩を竦ませます。ばさりと顔目がけてマントを投げつけられました。


「嫌なら兄上のところへ戻るか? 獣人など何とも思っていない連中だ。

 ましてやお前のような女など――どんな目に合わされるか。

 私はお前が何であろうといい。

 お前の腕を買っているんだ。体術と剣では、男でもお前に敵うものはいない。

 私が頭を使い、お前が私を守る。この企てには無くてはならんものだ。

 それでもお前があの最低最悪の家に残ると言うなら止めはせんが、去り際に口汚い罵倒と唾を浴びせてやろう」

「ミシェル様……」


 黒猫はちょっと感動していました。

 唯我独尊な主人が、自分の力を必要としている。助けを求めることをしない人ですから、これは彼の精一杯のお願いということでしょうか。

 少なくとも黒猫はそう受け取ってしまい、感極まって声が詰まってしまいました。

 幼いころから馬鹿だ脳筋だとけなされて育った身としてはミシェルが自分の体術を買ってくれていると知っただけでついていくには十分でした。


 上手く出てこない言葉の代わりにこくこくと一生懸命頷くと、ミシェルはフンと鼻を鳴らしました。


「ならばさっさと用意しろ。私より遅れる従者はいらんからな!」

「は、はいっ」



 こうして煌々と明かりを灯しにぎわう宿を後にし、主従は夜の闇へと脱走したのでした。




続く

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