3話 回葬
そのアパートの1室で、西尾は女を呼び入れて酒盛りをしていた。
その部屋は、もともと里香とりなの部屋だ。
西尾は殺した親子が住んでいた部屋を、
微塵の罪悪感も持たずに我が物顔で使っている。
一緒にいる女は派手な容姿をしている。
商売風の女を連れ込んでいるのだろう。
「おい、シャワー浴びて来いよ」
「ふふっ、いいよ」
女は立ち上がり、浴室へ向かった。
それを横目に、西尾は薄気味悪い笑みを浮かべ、酒を口へ流し込む。
女が浴室へ入ってすぐのことだ――
叫び声が聞こえた。
「キャア!」
「!」
「ゆうくん、来て!」
「どうした!?」
西尾は慌てて女のもとへ駆けつける。
「いっ、いま、血まみれの男が浴室に立っていて!」
女が指さす先へ目を向ける。
しかしそこに見えるのは、いつもの浴室だ。
「馬鹿かお前……どこに血まみれの男がいるんだ? 酔っぱらい過ぎだ」
「っ! ほんとだって!」
「まったくよぉ。先に俺から浴びるから、お前はテレビでも見てろ」
女の顔は青ざめていた。
見間違いではない――そう言えるほど、はっきりと血まみれの男を見たのだ。
女は恐怖で呆然となり、全身を震わせながら逃げるように部屋へ戻った。
先に西尾がシャワーを浴びることになった。
シャワーを流し、西尾は頭から浴びる。
鼻歌を鳴らし、機嫌がいい。
しばらくすると、浴びているシャワーの水が赤黒い血のような色に変わって見えた。
「おいおい、なんだこりゃぁよ!」
西尾は慌ててシャワーを止めた。
鏡に自らの姿を映すと、西尾の全身が血まみれに見える。
それに驚き、声を張り上げた。
「おい! マナぁ! 大変だ、シャワーから血が――」
部屋にいる女へ向けて叫ぶ。
「いやぁぁー!」
かぶせるように、再び女の叫び声が部屋から響いた。
その声に、西尾は血まみれの姿のまま浴室を飛び出す。
すると女は、泣きながら荷物をまとめているところだった。
「どうした!?」
「いやだ! この部屋ヤバいって! 血まみれの男がまた出て来た! 絶対おかしいって!」
「俺を見ろよ! シャワーから血が出て来たんだよ!」
「はぁ!? どこが? 普通に全身びしょ濡れなだけじゃん!」
「へっ?」
「とりあえず無理! 帰る!」
「まてよ!」
「無理だしっ」
「もう店行ってやらねーぞ!」
「別にいいから!」
「待てって!」
女が慌てて部屋を出て行く。
西尾が追いかけようと一歩踏み出した瞬間、何かが足に絡みつき激しく転んだ。
絡みついた物を見る。
ベッドと床の隙間から血まみれの手が伸び、西尾の足首をしっかりと握り締めていた。
「うわあぁぁ!」
西尾は足を大きく振り回し、血まみれの手を振りほどく。
恐怖で言葉にならない声を上げながら、シャツだけ羽織って部屋から飛び出した。
「ホラーだ! マジのホラーだ!」
ほぼ全裸の西尾は部屋から逃げ出したものの、その格好ではどこにも行けないことに気付いた。
その場でうずくまり、悪態を吐く。
「クソが……こんな格好でうろついてりゃ、秒でサツに捕まっちまうわ。部屋へ戻るわけにもいかねぇし」
身動きが取れない西尾は、アパートの階段に身を寄せて辺りを見渡した。
すると偶然にも、タクシーが1台停まっていることに気付いた。
「ラッキーだ。こういう時に日ごろの行いってのが付いて回るんだ」
西尾はシャツを腰に巻き付け、タクシーまで小走りに近づく。
助手席側の窓をノックし、運転手へ合図を送った。
運転手の鹿沼は後部座席の扉を開け、西尾を乗車させる。
「どちらまで?」
「訳あって俺、裸でよ。あの部屋に俺の服があるから、取って来てくれねーか?」
「服を取って来るのですか?」
「あぁ。テーブルの上にスマホと財布もある。取って来てくれれば礼はする」
「申し訳ございません。弊社はそのようなサービスを行っておりませんので、他を当たっていただけませんか?」
「礼はするって言ってんだろが!」
「あの家がお客様の家だという証拠はございますか?」
「俺んちだよ! 嘘吐くわけねーだろ!」
「もし嘘でしたら不法侵入になってしまいます。やはり、そのようなことは致しかねます」
「てめぇ……」
「代わりと言えばなんですが……」
「!?」
「私の会社がすぐそこにございます。よろしければ弊社のユニフォームを、一時的に貸し出しさせていただきますが、いかがでしょう?」
「服を貸してくれるのか?」
「えぇ。その格好では、何をするにも難しいでしょう」
「わかったよ。とりあえずそれでいい……くそっ!」
「かしこまりました。それでは発車いたします」
西尾を乗せたYOタクシーは、現世のタクシーの顔をして走り出した。
――――
ヘッドライトが煌々と道を照らし、タクシーは走る。
鹿沼にとっては走り慣れた道だ。
だが西尾にとっては、見知らぬ夜道だった。
「そうですか。ベッドから手が? それは怖いですねぇ」
「だろ! だから服を着ることもできず、飛び出してこの有様ってわけよ」
会話をしながら、通行人も対向車も信号機すら見かけない夜道を、タクシーはひっそりと進んでいく。
深い闇の中、縁分駅に向かって真っすぐに逝く。
「おい、遠くないか? あんたの会社……」
「もう少しですよ」
「ふん」
しばらくすると、縁分駅と書かれた看板が見えて来た。
「お疲れ様でございます。到着いたしましたよ」
「……おい? これ駅じゃねーかよ」
「弊社は電鉄系列のタクシー会社なのですよ」
「そうなのか?」
鹿沼は西尾にタブレットを渡し、画面に映る業務報告書を見せた。
そこには今日の日付と、西尾を乗せた場所と時間が記載されている。
「この画面に、生年月日とフルネームでお名前をご記入いただけませんか?」
「なんでサインが要るんだよ。金はあとで払うし、今は服借りるだけだろうが」
「貸し出し書のサインですよ」
「……そうかよ」
西尾がタブレットに生年月日と名前を記入すると、ダッシュボードのプリンターから真っ黒な切符が一枚、印刷された。
鹿間がその切符を取り出し、西尾に手渡した。
「西尾様、この切符をお持ちになり、2番ホームまでお進みください」
「はぁ? なぜ2番ホームに行かなくちゃならんのだ? 早く服貸せよ!」
不機嫌そうに鹿沼と話す西尾は、タクシーの横に駅員がコートを手に掛けて立っていることに気が付いた。
警戒しながら駅員を見る西尾へ、鹿沼は穏やかに話しかける。
「乗務室でサイズの合った服をお渡しします。それまで彼の持つコートを羽織って、構内へお進みくださいませ」
「コート羽織ってもハズいしよ……」
「大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃねーだろ」
「それより2番ホームへ向かうのに、お渡しした黒い切符が必要になります。絶対に無くさないようお願いいたします」
「なんかおかしくねーか? なんで服借りるのに切符が必要なんだ?」
「事務室が2番ホーム側にあるので、改札をくぐる必要があるのですよ」
「……」
どこか納得できないまま、西尾はタクシーを降りた。
駅員に手渡されたコートを着て、誘導も聞かずにひとり構内へ歩き出す。
その背中を目で追いながら、駅員は呆れた顔で鹿沼に問う。
「鹿沼ドライバー、彼を逝かせてよろしいのですか?」
「えぇ、お願いします」
「生きた人間を黄泉送りにした場合、送迎ミスとしてマイナス20ポイントではなかったですか?
今月は会社創立以来のトップ成績を出されたと聞いております。
そんな時にもったいない」
「まぁ、これで始末書確定ですよね……」
「呼び戻した方が良いのでは?」
「いえ。人間界のこれからのためにも、彼には逝ってもらいましょう。
久しぶりですからね、黒切符を見たのは……」
「地獄逝きの黒切符ですか。よほどの罪を犯している人間のようですね」
鹿沼はタブレットを覗き込む。
西尾のプロフィールが記載された画面の備考欄に目をやる。
――5人を殺害。
そう記され、その下には5人の名前。
杉山里香とりなの名もあった。
鹿沼はその画面を駅員に見せ、静かに言う。
「彼を許したくない……そんな気分なんです」
「それでも、生きた人間の地獄送りはあなたの仕事ではないのですよ」
「重々承知しております」
「相変わらず損する性格ですね、鹿沼ドライバーは」
「……よく言われます」
「本当に、もったいない」
「彼が道を間違わず地獄へ向かえるよう、エスコートしてあげてください」
駅員は一礼し、構内へ向かう。
鹿沼は片手を挙げてそれに応えた。
しばらくタブレットを開き、西尾裕二の画面を眺めていた。
プロフィール画面の文字盤が黒から赤へ変わったことで、西尾が正式に死亡したことがわかった。
迷わず地獄へ逝けたことを確認した鹿沼は、
タブレットを閉じ、先ほどのアパート前へと戻っていった。
――――
「見事な心霊現象をお見せしたようですね。西尾は相当怖がっていましたよ」
「鹿沼さんのおかげです。僕ひとりでは、どうやってこの恨みを返せばいいのかわからなかった」
「私もあなたとお会いしていなければ、西尾を黄泉の世界へ送ることは難しかったでしょう」
鹿沼がこの男に持ち掛けた取引。
それは、西尾のいる部屋で心霊現象を起こし、恐怖で部屋から追い出すというものだった。
部屋を飛び出した西尾は、目の前に停まっているタクシーに助けを求める。
そこに乗じて、助けるふりをした鹿沼が縁分駅まで連れて行く。
――そこまでが計画だった。
心霊現象を起こしてくれれば、この男の地縛を解き、黄泉送りの駅まで送迎する。
その約束どおり、鹿沼の策は見事にハマり、西尾を黄泉の世界へ送ることができた。
「下手すれば、ずっとあのアパートに地縛霊として居座っていたのかと思うとゾッとします……」
「生前の行いは、死んだ後に反映されると言います。お客様の行いが良かったのですよ」
「そんなことないのですが……」
「もうすぐ駅に着きます。それまでゆっくりとなさってください」
男は後部座席に深く腰を下ろし、車窓を眺めた。
やがて縁分駅が見えてくる。
「お客様、お疲れ様でございます。到着いたしましたよ」
「ありがとうございます」
鹿沼はタクシーを停め、タブレットを渡す。
乗車日付と場所、時間が記載された画面を確認させる。
「お間違いなければ、生年月日とフルネームをご記入ください」
「わかりました」
男が「河合健司」と記入すると、ダッシュボードのプリンターから切符が1枚印刷された。
鹿沼は取り出した切符を見て、動きが止まる。
真っ黒な切符――。
「鹿沼さん、ここから僕はどうすればよいのですか?」
「この切符を持って、2番ホームへ向かってください」
「2番ですね。ありがとうございます」
河合は颯爽とタクシーを降り、構内へ歩いていく。
彼の向かう先は、2番ホームの地獄逝き。
サイドミラーでその背中を確認した鹿沼は、タブレットに目をやった。
河合健司のプロフィール備考欄。
そこには、売春あっせんにより自殺者4名、結婚詐欺による自殺者2名と記されている。
鹿沼はそっと画面を伏せ、深くため息を吐いた。
「やれやれ……同じ穴のムジナだったという訳ですか。
幽霊なんかより、よほど人間の方がタチが悪い……」
何とも言えない気分のまま、鹿沼は会社へ戻った。
――――
翌日の月初成績報告会にて、鹿沼の成績は大きな話題となった。
会社創立以来初の1日60ポイント獲得という記録を残しながら、同じ月に2枚の始末書を提出するという珍記録も残したからだ。
3カ月連続の業績100ポイント未達成による始末書。
そして、生きている人間を黄泉送りにした送迎ミスによる始末書。
それにもかかわらず奨励賞として金一封が支給され、一躍注目を浴びた鹿沼。
「鹿沼ドライバーは記録的な成績を残したのに……もったいない」
受付は慰めてくれるが、同僚たちは違う。
笑い話のネタとして大いに盛り上がっている。
「鹿沼! やっぱりお前だわ! 凄い結果を出しても、それを自分で消してしまう。面白い奴だ!」
「こんなものなんですよ、私なんて」
「鹿沼ドライバーは詰めが甘いんですよ」
「はぁ……それもよく言われるんです」
鹿沼は奨励賞の嬉しさを感じながらも、2枚の始末書に肩を落とし、タクシー置き場へ向かう。
今から月初めの出動だ。
今月こそは月間獲得ポイント100を――そう誓い、職務に就く。
――――
黄泉送りタクシー(通称YOタクシー)
ひとに見送られた魂と違い、誰にも看取られず死んでしまった魂。
恨みや未練を残したまま死んでいった魂。
自らが死んでいることすら気付いていない魂。
数多の理由で成仏できない魂を救済すべく、彼らの仕事は存在している。
彼らは毎夜タクシーを走らせ、彷徨える魂を黄泉の世界へ送り届ける。
「おや、今月は早々に運がいいですねぇ」
鹿沼は男性の前にタクシーを停め、声を掛けた。
「もしお迷いであれば、私があの世までお送りいたしますが、いかがですか?」
「……助かります。僕、どこに逝ったらいいのかわからなくて」
後部座席の扉を開け、男性を乗せる。
「どこに連れて行ってもらえるんですか?」
「黄泉送りの電車がある駅までですよ」
「黄泉送りの電車?」
「はい」
「そんなのがあるんですね。どこへ逝けばいいのかわからなくて、ずっと彷徨っていたんです」
「ずいぶんとお疲れだったでしょう」
「えぇ」
「それでは出発します。お客様、縁分駅に着くまでの間は、ゆっくりとなさってください」
今宵も鹿沼はタクシーを走らせる。
送るべき魂は、いくらでもいるのだから――。




