04.余燼
懊悩の燻り
異端の“魔”、ゴーシュが見出した魔術
魔力を糧に燃える、昏い炎を生み出す
弑すべき敵がある限り、決して消えることはない
それは、彼がはじめて抱いた懐疑の正体であり
遂に消えることのなかった情念の集成である
捨てるくらいなら、産まなければよかったのだ
出来損ないの“魔”に、寄る辺など無いというのに
「さぁ、勇者気取りの大馬鹿者諸君! せいぜい踊ってみせたまえ!!」
天地を朱色に染める“虚殖”の魔界、その中心で、マルシアルが叫んだ。それに呼応するように、背後に召喚された無数のイシマエル共が、腐った咆哮を轟かせる。
一方、それに相対するゴーシュとカルドクは、躊躇うことなくそこに突撃した。
「――手筈通りに」
「あいよ」
短い言葉を交わしたきり、二手に分かれる。カルドクはがちりと大剣を構えると、自らに殺到してくる無数のイシマエル共と相対した。
対イシマエル戦術において、戦力分散は悪手とされる。知能こそ最低レベルだが、人間の限界を超越した膂力は脅威であり、集団で相対するのが鉄則だ。果たして、イシマエル共は屍の津波と化し、思い上がった傭兵を呑み込まんと――
「――ふんッ!!」
横薙ぎに振り抜かれた黒鉄の分厚い刃が、先陣の死に蠢く共を両断し、その胴を刎ね飛ばした。返す刀で再び振り抜き、さらに集団を吹き飛ばす。
一方、ゴーシュは腐腫蜘蛛共の頭上へ飛び上がると、その背を俊敏に蹴って置き去りにした。有象無象は無視、目指すは最初からただ一騎のみ。
横幅数十メートルに及ぶ屍の津波を飛び越え、だんと着地したゴーシュの前には、マルシアルが悠然と立っていた。背後でカルドクが孤軍奮闘し、シルヴィアに埋め込まれた魔術式を起動させているのか、時折ばりばりと轟音を轟かせる中、二人は無言で相対した。
「――なるほどぉ~……確かに、魔人である私を斃す手段は限られている。あんな即席の魔導兵器では、とても魔殺しの刃たり得ぬだろう。
それでぇ? 『失敗作』のお前に、私が殺せるのかね?」
嘲るマルシアルの両手から、どろりと汚泥が溢れ出した。それは地面に零れると見る見るうちに広がり、昏く淀んだ泥沼の中から、腐腫蜘蛛が這い出して来る。その数、二十。並みの軍兵ならば一個中隊、戦術魔導士隊や武僧戦団でも二小隊は必要とする脅威に対し、ゴーシュは一瞬で両腕をぐにゃりと歪めた。変態させたその姿は、幾本もの筒を束ねた巨大な砲身――
ゴーシュは両腕を突き出し、腐腫蜘蛛の群れに向けた。砲身がぎゅるぎゅると唸りを上げながら回転を始め、束ねた筒の先から灰色の鏃が飛び出す。崚から聞きかじった異界の兵器、ガトリング砲である。
高速で射出された鏃の雨が、腐った大蜘蛛たちを横殴りに襲い、その体躯をがりがりと貫いた。ぎぃぃあぁぁぁぁと醜い悲鳴を上げ、腐腫蜘蛛が激痛にのたうち回りながら壊乱する。
摩擦熱で赤熱する砲身が、きゅるきゅるとその回転を緩めた。灰色の驟雨が止んだその先には、無数の鏃で蜂の巣となった屍肉だけがあった。腐った大蜘蛛たちは、ついに一匹たりともゴーシュへ到達せず、彼に肢ひとつ向けることもできず全滅した。
それを見届けたマルシアルは、しかし動揺一つ見せず、ふむと考え込んだ。
「……ふむ。多少は、お前の評価を修正せねばならないか。
ならば、これはどうだ!?」
そう言うと、マルシアルは再び汚泥を取り出した。次なる一手には、何を出してくるか。無比の防御力を有するグレームルか、それとも死せることなき群屍か――無言で身構えたゴーシュの目に映ったのは、そのどちらでもなかった。
灰色のヒトガタ――そう形容するしかない。のっぺりとした凹凸の無い顔面に、最低限の機能を備えた目と口。死に蠢くや腐腫蜘蛛と異なり、その体躯はつるりとした鈍い光沢を放っている。グレームルの甲殻のようにも見えるし、しかし継ぎ目のないその表皮は何か別物を想起させる。
ここに来て、新種。無言で警戒するゴーシュに対し、四体出現したソレらは一斉に飛び掛かった。再び両腕のガトリング砲を向けたゴーシュの目の前で、ソレらはぐにゃりと両腕を変態させた。固着したその姿は、巨大な鉈。
(――これは……)
両腕を棘付き棍棒に変態させ、咄嗟に防御しながら飛び退く。四方向から殺到する分厚い刃を躱しながら、ゴーシュは努めて冷静にソレらを観察した。
つまり、己の後継だ。『羅刹』の再現を目指した特殊個体、新たなる人造人間。己という失敗を経ながらも、しかし決して諦めることのなかった“虚殖”の魔人は、密かに類似個体を生み出すことに成功していたらしい。四方八方から迫りくる死の刃を躱し、ゴーシュは名もなきソレらへの対処を余儀なくされた。
「実のところ――お前は、最高傑作に最も近い存在だった」
無数の刃を躱しながら反撃の機会を窺うゴーシュに対し、マルシアルが口を開いた。
「あれから約三十年……どれだけ研究を積み重ねても、お前に見出した『感情』という不具合を修正することができなかった。不要な感情を排した強靭な肉体も、その知能はグレームル並み。あの“羅刹”めには遥か遠く及ばない。
どれだけ調整を重ねても、どれだけサンプルを収集しても、二つの強さを両立させることができない――その意味で、お前は最も完璧なバランスに近かった。
お前さえ、間違わなければ――あぁ、なんと悩ましい日々だったろう。お前はいつだって、私の思い通りにいかない」
大仰に両手を掲げ、演説のように語るマルシアル。その横顔には、後悔がありありと浮かんでいた。
竜共の、使徒共の目を盗みながらの日々とはいえ、三十年もの停滞。造成計画の着手から雛型の完成に至るまでたった三年、その後の廃棄を含めても僅か五年という期間と比べると、何という無為な時間だろう。不具合を徹底的に精査し、そして排除した実験作を試みても、出来上がったのは見てくればかり整った、脳味噌の膿んだ木偶人形。不要な感情を排した『完全な知性』を求めても、それには決して至らなかった。ああ、何と恥ずべき醜態だろう。かつて『特異点』とさえ称されたこの己が、みっともない足踏みで至高の研究を停滞させるとは!
「だがそれも、今日で終わる! ――“シジラの濁流”よ!」
マルシアルが叫ぶと、その足元に泥沼が形成され、そこから膨大な濁流が四筋噴出した。名もなき実験体たちに足止めされたゴーシュが、諸共に濁流を浴び、そして全身を凍らされた。凍てつく濁流に全身を拘束され、ごとりと音を立てて墜落するゴーシュ。
「終わりだ、失敗作。お前の足掻きは、ここで止まる」
実験体諸共に凍り付かせた濁流の横を歩きながら、マルシアルはゴーシュの前に立ちはだかった。精霊さえ凍り付かせる冒涜の濁流を前に、ゴーシュは苦悶の声ひとつ上げず、ただ己の創造主を見上げていた。
「だが認めよう。私が間違っていた。『お前という不具合』によって苦しめられたのならば、それはお前の全てを暴くことでしか解決しない。
最初からやり直そう。今こそお前の五体を暴き、全てを調べ上げ、余すことなく吸い上げよう。
迷うな。恐れるな。躊躇うな。その真似をするな。全てを手放した先にこそ、私の理想は実現する。私は、『完全』を創り上げる」
無表情を保つゴーシュへと、マルシアルは手を伸ばした。
『遠回りこそ最大の近道だった』――誰の言葉だろうか。彼の精緻で膨大な知識の海の中で、有象無象の記号など何の価値もない。少なくとも、彼にとって真理に至りかねる言葉だった。遠回りは、所詮遠回り。この失敗作を廃棄し無意味な彷徨に時間を浪費させたのは、間違いなく失態だった。この三十年という無為な時間を、何の対価もなく贖うことはできない。
全てをやり直そう。一から作り直そう。この失敗すら糧にしなければ、前に進めない――
隠し切れない期待とともに手を伸ばすマルシアルに対し、四肢を凍て付かせ拘束されたゴーシュにできることはない。彼はもはや、主たるマルシアルに隷属し、全てを捧げさせられるだけの贄――
「――つまり、私は何のために生まれたのだ?」
どろりと、昏い紫焔が生じた。
ゴーシュの体躯から湧き出した紫焔の熱塊が、大気をぶすぶすと焼き焦がし始めた。
◇ ◇ ◇
一方、足元の汚泥から無限に召喚され続けるイシマエルと、それに相対するカルドク。
「どっせい!」
亡者兵士の首を刎ね、腐った騎士の甲冑を両断し、屍肉の山を蹴り飛ばす。
やるべきことは単純だ。相棒ゴーシュが魔人を仕留めるまで、湧き出てくるイシマエル共を引きつけ続け、囮となって戦い続ける。知能の低いイシマエル共ならば、複雑な思考はできず目の前のカルドクに襲い掛かり続ける。味方のことは考えず、ただ自分が生き残ることを優先すればいい。
「オラァ!」
迫りくる腐腫蜘蛛を前に、カルドクは大剣の釦を押しながら振り抜いた。ばりばりばり、と電撃が炸裂し、後続の暗蟲共をも巻き込んで吹き飛ばした。
ゴーシュに対する信頼――というべきか、どうか。自分と違って、奴は頭がよく回る。『魔人』とかいう尋常ならざる存在を相手に、「殺す手段がある」と言い切ったのだから、何かしらの手立てはあるのだろう。少なくとも、無策で挑むような馬鹿ではないはずだ。
「どしたいバケモノ軍団! たかが傭兵一人にビビッて手出しできねェってか!?」
空いた隙間へ緩慢な動きで迫りくる死に蠢く共に向けて、カルドクは威勢よく言い放った。残念ながらイシマエル共の腐りかけの脳味噌では、その挑発を理解することなど叶わないが、ひと呼吸おく間が生じた。
それよりも、脳味噌の裏っかわに引っかかり続けるこの違和感は――
(あいつ、大丈夫か)
死に蠢く共を薙ぎ払いつつ、カルドクはゴーシュの表情を思い返した。
余人ならまず見分けられない、微かな違和感。何かを思い詰めたような横顔が、カルドクの思考に小さな焦燥感を植え付けていた。表向きはすまし顔でやっているようだが、伊達に同じ釜の飯を食ってきた仲ではない。放っておくと、何か良からぬ真似をしでかすかも知れない。そうなる前に、助けに行ってやらねば……自分が囮役であることを棚に上げて、彼はゴーシュの援護に行く気満々だった。
その油断は、暗蟲に狙われるに充分な隙となった。
「むんッ――」
死角から影の触手がびゅんと伸び、カルドクの首に巻き付いた。咄嗟に手で振り払おうとするも、元来質量の無い影を振り解くことはできない。そのままじりじりと首を締め上げられそうになって――
「ふん!」
カルドクは迷わず大剣の釦を押した。
ばりばりばり、と雷が落ちた。魔界創生の主たるマルシアルの目と鼻の先、濃密な魔力汚染を吸い上げた魔術式が、極大の雷となって周囲に放散した。それは大剣を握っていたカルドクは勿論のこと、周囲の死に蠢くや骸鳥、そして暗蟲すらも巻き込んで炸裂し、三十を超える屍肉たちを焼き焦がした。
再び、広い空白ができた。極大の雷を余すことなく全身に浴び、装備をぼろぼろに焦がしたカルドクは、しかし何事もなかったかのように大剣を構え直した。足元には相変わらず汚泥が広がり、そこから這いずるようにイシマエル共が生じている。まだまだ先は長そうだ。
「――しゃらくせェ」
カルドクは息を吐くと、改めてイシマエル共の群れに吶喊した。
しばらく、膠着状態が続いた。無限の頭数で殺到してくるイシマエルの大群に対し、それをものともしないカルドクの剛力、魔力を吸い上げて炸裂する雷の大剣。何百体目かの死に蠢くを両断し、その腐汁と血と脂に塗れ、もはや斬っているのだか殴っているのだか分からなくなった頃――最初に限界を上げたのは、他ならぬ大剣だった。
「うおっ!?」
ばきり、と一際大きな悲鳴を上げ、大剣が根元から圧し折れた。砕けた剣先は明後日の方角に飛んでいった。シルヴィアが埋め込んだ魔術式は真っ二つに損壊し、中途半端に溜まっていた魔力がスパークした。マジかよ、とさしものカルドクも思わず動揺を隠せなかった。
そこに、ヴオオオオオと何かが噴き出すような音が轟いた。グレームルの咆哮だ。ここに来て、無手ではまず殺せない難敵。一瞬迷ったカルドク目掛けて、グレームルはその巨腕を振り上げた。
カルドクは折れた剣を放り捨てると、薙ぎ払われるグレームルの腕を掻い潜り、その懐に潜り込んだ。そして――
「おおおおォォォォらああああァァァァッ!!」
その貧弱な後ろ足をがっちりと両腕で掴むと、気合を総動員して持ち上げた。
ぐぐぐ、と持ち上げられるグレームルの姿を、無数の死に蠢く共がぼんやりと見上げた。唖然とする、という情動は伴っていなかった。
「ぜェェェりゃァァァァ――!!」
ぶおん、ぶおん、ぶおん――と勢い任せに振り回す。グレームルの大質量を無理矢理振り回す運動エネルギーは、強烈な竜巻となって荒れ狂った。死に蠢くや腐腫蜘蛛、骸鳥、そして暗蟲――周囲にある全てを巻き込み、足元の汚泥すら巻き上げる勢いで振り回す。大質量とそれに伴う風圧を前に、腐肉たちは回避もままならず巻き込まれ、引き千切られるように吹き飛んでいった。
巻き起こった竜巻に、グレームル自身が巻き上げられ、どすんと頭から地面に落ちた。強靭な肉体と引き換えに矮小化された脳髄は、その衝撃を受け止めきれず、自らの超重量に圧し潰されるように倒れたきり、グレームルは起き上がらなかった。
「――ふん!!」
汗だくになりながらも、カルドクはガッツポーズを決めた。残念ながら観衆はいなかった。
とそこで、周囲にイシマエル共が群がってこないことに気付いた。さては、ゴーシュが上手いこと仕果たしたか――しかし脳裏に嫌な予感を覚えたカルドクは、腐肉の残骸を掻き分けて走り出した。
◇ ◇ ◇
ゴーシュの体躯から広がる紫焔に対し、マルシアルは咄嗟に飛び退いて距離を取った。
(――なんだ? 何を仕掛けてきた?)
創造主である彼でさえ、見たことのない魔術。元来、イシマエルには魔術を操るだけの知能がない。その宿命を乗り越えることこそ彼の目標のひとつであり、そのために様々な機能を詰め込んでいた――その意味では、目の前の失敗作が彼の想定を超えることも、可能性としては充分にある。問題は、どんな機能が発現し、どんな脅威をもたらしてくるか。
ゴーシュは動く様子を見せない。紫焔が凍て付いた濁流を熔かし、食い破り、破片すら呑み込んで燃え広がっていく。まるで、彼自身を薪にするかのように。
「“ゲルシアの魔霧”よ!」
マルシアルは言霊とともに毒の霧をばら撒いた。本来は広範囲の敵を中毒に陥らせる魔術だが、紫焔の出方を窺うにも適している。
命を蝕む青黒の霧を前に、紫焔がぶわりと広がった。まるで知性を感じさせない、無秩序な反応だ。初めて行使する魔術で、制御に失敗したか――そんなマルシアルの推測は、毒霧を食らうように拡大していく紫焔によって裏切られ、思わず瞠目させた。
魔術を食らう魔術など、聞いたことがない。指向性のない魔力放出ならともかく、複雑な術式を介して組み立てられた魔術だ。強度も並みの魔術師の比ではない。より術式強度の高い術で打ち消すのが異能戦のセオリーであり、魔術式そのものを崩壊させて魔力を食らうなど、まず考えられない暴挙だ。
だがこれも好都合。マルシアルは手掌を突き出して叫んだ。
“爆ぜろ!!”
浮遊する魔霧が炸裂し、ずどどどん、と爆音が轟いた。青黒の爆裂が視界を覆い、ゴーシュとマルシアルを隔絶する。これで勢いは弱まったはずだ。あとは、失敗作めがどんな反応を見せるか――
しかし視界が晴れた先にあったのは、さらに勢いを拡大させた紫焔の津波だった。
「――っ“シジラの濁流”よ!」
咄嗟に次なる魔術を放つ。六筋の濁流がマルシアルを守るように溢れ出し、紫焔の津波に覆い被さる。いかに魔術式を破壊し魔力を食らう魔術であろうと、膨大な魔力によってもたらされる大質量が、力ずくで掻き消すはず――
そんな思惑は外れた。紫焔の津波と衝突し、びしりと凍結し、それきり防いだはずの濁流の隙間から――どろりと熔け出すように紫が漏れた。それはあっという間に濁流の隙間から染み出すと、さらに勢いを増してマルシアルに襲い掛かった。
「ぐぎゃぁぁぁっっっ!?」
紫焔の津波を至近距離で浴びたマルシアルは、大仰な悲鳴を上げながらのたうち回った。痛い、熱い、苦しい、痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!!
「“水よ!”“風よ!”“土よ!”“灰よ!”――“消え去れ!!”」
マルシアルはごろごろと転がりながら、自らの体躯に纏わりつく紫焔を振り払った。解けない。消えない。どれだけ相殺の魔術を浴びせても、それすら食らい拡大していく。一向に止まらない。彼という獲物を捕えたかのように、ねっとりと食らいつく。彼の全身を焼き焦がしながら、流出する魔力をも食らいながら炎上していく。
これは火ではない。魔力を糧に燃え、無秩序に無制限に拡大していく、『火という概念』を模倣した魔術式。魔界創生にすら伍する、昏い情念の塊。「そうあれかし」という傲慢そのもの。
その正体に、マルシアルはさらに動揺した。失敗作でしかないこれが、自らと同じ領域に至りつつあるというのか!?
「――人の世に曰く、親と子は愛情によって結ばれているという」
いつの間にか立ち上がっていたゴーシュが、その身に紫焔を滾らせながら歩み寄ってきた。魔力という魔力を食い尽くす苦痛の暴力を全身に帯びながら、しかしまるで気にした様子がない。
「親は子を慈しみ、子は親を慕い、分かち難い絆を以て結ばれているという。それがあるべき営み、正しい人の在り方なのだと。
――嘘っぱちだった」
苦痛にのたうち回るマルシアルを見下ろしながら、ゴーシュは静かに言葉を続けた。
「子を食い物にする親がいた。親を嘲る子がいた。
親に捨てられた子がいた。子に殺された親がいた。
どの国に行っても、どの町に行っても、同じ光景があった。人の世の理想など、ただの幻像だった」
ベルキュラスに行った。カルヴェアに行った。レノーンに行った。カドレナに行った。ガルネスに行った。エルネスカに行った。
――どの国にも、どの町にも、同じ光景があった。同じ惨劇があった。「ここなら、あるいは」という期待は、時とともに崩れ去った。
「……貴方が私を廃棄したのは、もう三十年も前になるか。人の世の親子が欺瞞に満ちているのなら、“魔”なる我々の関係は、どう在るべきだと思う?」
ゴーシュは指ひとつ動かさず、しかし燻る紫焔を掲げて、マルシアルに問うた。痛苦に藻掻くだけのマルシアルは、半分も聞いていなかった。
期待はしていない。もとより、大いなる神の理を外れた“魔”の眷属だ。『正しい関係性』などありはすまい。
「――この炎は、“問い”だ。
三十年前、培養槽越しに私が尋ねた時から、貴方が答えてくれなかった時から――ヴァルク団長に拾われ、共に過ごし、そして今に至るまで――片時も消えることなく、私の中で燻り続けてきた問いだ。
その答えが出るまで、消えることはない。貴方が答えてくれないのなら、……それは、それだけの話だ」
淡々と話すゴーシュとは対照的に、紫焔はうねうねとその勢いを増していった。まるで、火元の主の感情を代弁するかのように。
「どうして私は生み出された? どうして私は戦わされる? どうして貴方は私を捨てた?
理を外れた“魔”として産み落とされ、そして捨てられた私は、何のために生まれてきた?」
荒ぶることなく静かに、しかし有無を言わさぬ迫力を伴ったゴーシュが、のたうち回るマルシアルに詰め寄る。既に全身を紫焔に呑み込まれたマルシアルは、痛苦に悶えながら口を開いた。
「わっ――わ、私の、ためだ! 私の目指す研究に……“羅刹”をも超える、究極の生物を創造するためだ!
お前は、その要件を満たさなかった! 不要な感情を生まれ持った! 不要な因子を生まれ持った! 私のために生まれたものなら、私のために生きるべきだ! それを満たせないから、お前は捨てられたのだ!
さ、さぁ……! 答えは、で、出たはずだ! 全ては、お前が――お前が悪い! ただそれだけだ! だから――」
「――違う。それは答えになっていない」
ゴーシュの足が、だんとマルシアルの体躯を踏みつけた。
「ぐぁぁ……ッ!?」
「貴方の目的によって造り出されたのなら、それは貴方の責任であるはずだ。貴方の理想を満たしていないのなら、それは造り出した貴方が悪いのだ。
貴方のために生まれたものが、貴方のために生きられないのなら、はじめから生み出すべきではなかったのだ。
だが私は産み落とされた。この世界の内側に。この世界に在ってはならないモノとして。
そして私は捨てられた。この世界に在ってはならないモノが、この世界の内側に取り残された」
もはや論理破綻している。世界の摂理をはみ出した“魔”としての真価は、与えられた返答も当然の条理も受け付けない。
意味があるはずだ。価値があるはずだ。たとえ“魔”であっても、何者かによって産み落とされたのならば、そこには必要性があるはずだ。そうでなければならないのだ。
「“魔”として産み落とされ、“魔”に拒まれ、理にも受け入れられない。だったら、私は何のために在る? 何のために生まれたんだ?
この世界の内側にも、外側にも居場所のない私は、何のために生きればいい?」
じりじりと踏み躙りながら、ゴーシュはマルシアルへと詰問した。その濃密な魔力を糧に、紫焔がいよいよ高く燃え上がり、瘴気に満ちた大気を焼き焦がし始める。
「答えろ。答えろ。答えろ。答えろ。答えろ。答えろ。
私の意義を証明しろ。私の価値を証明しろ。私の必要性を証明しろ。
貴方のせいだ。貴方の責任だ。貴方が悪いのだ。答えろ。貴方にはその義務がある」
蹴りつけ、踏み躙り、詰問するほどに、ゴーシュの紫焔は高く激しく炎上した。すでに全身を紫焔に呑まれたマルシアルは、とうに窒息し意識を失っている。
「どうした。言え。先ほどのように。いつかのように。
貴方はいつもブツブツと喋っていたじゃあないか。培養槽越しに。水晶玉越しに。研究がどうのこうの、データがどうのこうのと喧しく囀っていたじゃあないか。
どうした。答えろ。叡智こそが聡賢こそが貴方の存在価値じゃあないのか。
答えろ。そのよく回る舌は何のために在るんだ。役に立たないのか。私と同じか。なら廃棄すればいいだろう。いつまでぶら下げているんだ。
貴方は無駄ばかりだ。貴方は失敗ばかりだ。何もかも貴方の責任だ。何もかも貴方が悪いのだ。どうした。早く答えろ」
すでにぶすぶすと焼け焦げた燃え殻を、ゴーシュはひたすら蹴り続けた。答えなどなかった。
「なぜ答えない。なぜ答えない。なぜ答えない。なぜ答えない。――なぜ答えない!」
ゴーシュの叫びに、答えるものはなかった。応答のしようがない――すでにその命を焼き尽くされていると気付いたころには、黒い焼死体がごりごりと紫焔に食い尽くされていた。
こうして魔人マルシアルは滅び、眷属だけが遺された。ただ一つの答えを得る手段を永遠に失った彼は、生まれて初めて喪失感を覚えた。
「私、は――何の……ため、に――」
そうして、ゴーシュはがっくりと膝から頽れた。何もかも呑み込む紫焔が、その発生源である彼の体躯をも焼いていく。
結局、何も得られなかった。彼の生涯は、こうして無為に終わる。たった一つの些細な疑問すら果たせないまま。あるべきでない命は、何の成果もないまま朽ちて――
「――おいィィィィィ何やってんだお前ェェェェェ!?」
そんな喚声が、ゴーシュの感傷をぶち壊した。
返り血と汗にまみれたカルドクが、全身をぼろぼろにした姿で、どたどたと喧しく駆け付ける。
「ちょっと目ェ離した隙に何をやってるんだお前はァ!? 火の扱い方も知らねェガキか!? つかガキでもこんな事態になるかボケェ!!
オイ本当にどうすんだこりゃ!? 水掛けりゃ消えんのか!? 水ってどこだ!? どっち見てもイシマエルの血ばっかりだよバカヤロウ!」
紫焔に燃え上がるゴーシュの姿を見て、カルドクはおろおろと狼狽えた。魔術法術の見識が無い彼にとって、火を止める手段は水か土かを被せる以外にない。周囲を見回しても、色を失い乾燥しかかった汚泥しか残っていなかった。
「とりあえず浜まで連れてくか! いやそれまで保つか!? お前も黙ってねェで何か言え! つか熱くねェのか!?」
言いつつ、カルドクはゴーシュの肩を担いで連れ出した。明らかに尋常のものではない、ごうごうと燃え盛る紫焔が彼自身に燃え移らないことを不審に思えない程度には、彼も疲弊していた。
――その姿を見ていると、何だか馬鹿馬鹿しくなった。
「――……きみは、かわらないな」
ゴーシュがふっと脱力すると、それまで爛々と燃え盛っていた紫焔が勢いを失った。急激に萎びていき、ぐずぐずと崩れていく。何だ何だと見守るカルドクの目の前で、紫焔はついに黒焦げた燃え殻だけを残して消失した。あとには、ぼろぼろの装備を身に着けた二人が残された。
「……お? なんだかよく分からんが、どうにかなったのか」
「そうらしい」
とりあえず、問題は解決したらしい。どっと疲弊した二人は、そのまま乾いた汚泥の中心で座り込んだ。
魔界の主、マルシアルを擁していた浮島は、主の死亡消滅に伴って浮力を失い、ゆっくりと高度を落とし始めている。
「何だ、アレか。公女さんが使ってる魔術みてーなやつか」
「似たようなものだ」
「んだよ、人騒がせな奴だなァ……そうならそうと、先に言いやがれ」
「団長が勝手に騒いでいただけだろう」
「お前が黙ってボーボーやってるからだろうがよ! ホント変わんねェなお前! ちゃんと都会でやってけてんのか!?」
「田舎者の団長には分かるまい」
「何だ喧嘩売ってんのか!? 上等だ、ボコボコにすんぞこの野郎!」
いつになく横柄なゴーシュの物言いに、カルドクは応戦の構えを見せた。とはいえ、イシマエル共との大激戦の後、取っ組み合いをするほどの元気は残っていない。
それはともかく、今後のことだ。朱色の空が崩れゆくのを見上げながら、カルドクは首を巡らせた。
「さァて、どうやって戻っかなァ。まだ飛べそうか? つか歩けそうか、お前」
「……分からない。少し、厳しい」
「うーんそうか。ここまでの足がお前頼りだったからなァ……ま、とりあえず俺らの仕事はしたし、あとはあいつらに任せるか。ここで迎えが来るのを待つかねェ」
「――何とかするだろうさ。団長の仲間だろう?」
「まーなー」
ひとまず、敵は始末した。無用に心配を巡らせるより、次に備えて休んだ方がいい。できることはやった、後は野となれ山となれ、だ。
“虚殖”の魔界が崩れ、魔力が解けて崩壊していくのを、二人は座り込んだまま眺めていた。その先に聳える赤黒の空へ、立ち向かう手段はない。ここから先は、使徒様の戦いだ。
「ところで団長、剣はどうした」
「あ? 最後にブチ折れたわあんなもん。まァ相当使い込んでたし、よく保った方だよ。
公女さんの魔術は――よく分かんなかったな。使えたような、使えなかったような」
「そんなものだろう。団長に、クライド卿のような華やかさは期待していない」
「何だお前、今日はよく口が回るなァおい。喧嘩なら買うぞ、ちょうど暇だしな」
座り込んだまま応戦の構えを見せるカルドクに対し、ゴーシュはふっと薄い笑みを浮かべるだけだった。初めて見るその表情に目を白黒させるカルドクをよそに、ゴーシュはただ赤黒の空を見上げていた。
意味などなくていい。目的などなくていい。
それでも、助けてくれる誰かがいる。身を案じてくれる誰かがいる。
それは間違いなく、価値のある幸福だ。
戦いの記憶:“虚殖”の魔人、マルシアル
類稀なる強者との、死闘の記憶
その経験は、新たな地平を切り拓くだろう
あるいは、擂り潰して力の糧にしてもよい
あらゆる生物を愛する、心優しい生物学者がいた
やがてイシマエルの研究に取り憑かれた男は、七天教により追放され
あらゆる書物と記録から、その名を消し去られたという
……可能性があるのだ。私は、人は、もっと優れた生命になれる
ならば友よ、何の迷いがあるだろうか!




