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神宿ル劍  作者: 竹河参号
07章 彼方の星を追う
81/82

03.汝、深淵に見えよ

群屍

 死体の群れが人型を成したもの

 死に蠢く(エンピエル)の上位種ともいえるそれは、決して死せることはなく

 立ち向かう兵士すら飲み込んで巨大化していく


 巨大な死の津波を前に、いかなる攻撃も意味をなさない

 ガルネスの勇者イーゼルは、自ら囮となって千里を駆り

 もって王と民衆の危機を救ったという


 勇者のその後は、語るに値しない

「吾は、実に稀有な駒を得た」



 “孕魔霊樹(ナヴァ・ム・グリア)”の中腹、淀んだ紫水晶の玉座で、“魔王”トガがぽつりと呟いた。

 それに反応したのは、流れるような金髪(ブロンド)、切れ長の怜悧な瞳、豊満でありながら無駄のない魅惑の肢体――しかしその唇を不機嫌そうに歪める、魔人カンデラリアだった。主たるトガの膝に座り、その体躯へとしなだれかかっている。



「なぁに、急に。この私の前で、新しい女の話? もう私に飽きてしまったの?」

「いいや。他ならぬ、貴様に対して言っている」

「まぁ、嬉しい」



 臆面もなく言い放ったトガに対し、カンデラリアはいかにも嬉しそうに抱き着いた。その豊満な乳房がふにょんと形を歪め、襤褸を着たトガの体躯に押し当てられるが、彼は顔色一つ変えない。



「それで? 魔王様は、この雌狐にどんな褒め言葉を与えてくれるのかしら」

「貴様は、“魔界創生”の位階に至っているな」



 まるで餌を待つ雌狐のように潤んだ瞳で乞うカンデラリアに対し、トガが言い放った。その断定に対し、カンデラリアは面倒くさそうに眉をひそめた。



「魔界……? ――あぁ、例の……『魔導の窮極』とか、そういう代物?」

「それだ」



 いかにも期待外れ、といった様子の彼女に対し、トガはその態度をこそ指摘した。

 “魔界創生”――魔術の到達点の一つであり、世界の理を外れた“魔”だけが到達できる窮極の領域。自らの魔力を無限に流出させ、世界を歪め、望むがままに“理外の理”を永久展開し、世界を塗り潰す“魔”の本領。使徒たちの永遠の仇敵、そして魔術師たちの永遠の渇望へ、彼女は一息で到達している。まるで、どうでもいい路傍の石を拾い上げたとばかりに。



「貴様の欲望は、貴様独りで完結している。魔術師共にとっての垂涎の的も、貴様にとってはどうでもいいおまけの類。

 いかなる賞賛も、いかなる畏怖も、『貴様という美術』を飾り立てる装飾――己を際立たせるための『脇役』でしかない。あまりに強大な自己陶酔、過剰なほどの自己愛によって、揺らぐことなく強固に塗り固められている。それこそ、“ひとつの世界”として成立するほどに」

「でも、アスレイさんも、マルシアルさんも――それこそ、魔王様だってお持ちでしょう? 己だけの魔界とやらを」

「然り。生態の遺伝ではなく、(おの)が意志をもって変生した魔人は、すべからく『“神なる理”に叛逆する何か(・・)』を有していなければならぬ。

 完全なる否定を。漉し極めた憎悪を。理想の創造を。それぞれの欲望と渇望のままに『世界の理想』を思い描き、人跡隔絶の“魔界”を創生する。

 ……その『叛意』のカタチが曖昧なまま、ただ膨大な魔力を有するだけのモノも、あるにはあるが――所詮は曖昧不全、もどき(・・・)だ」



 “魔王”トガ、“羅刹”アスレイ、“虚殖”マルシアル――紆余曲折あって手を組んでいる三騎だが、それぞれが裡に抱える心象世界は異なり、それによって描かれる『理想の世界』は異なる。それを実現し、世界中に押し広げるために、一時的に手を結んでいるのみと言っても過言ではない。人類廃絶を果たした後は、それぞれの思うがままに世界を蚕食する目論見を抱えている。



「翻って――貴様の欲望(カタチ)は、実に面白い。ひたすらに、己の内側にのみ向けられている」



 ただ一人――“堕落”カンデラリアを除いては。



「己が美しくあればいい。己が輝かしくあればいい。世界のカタチ、理のカタチなど知ったことか。全ては己の“美”を前に、ことごとく跪くだけなのだから――

 他の何物も関係ない、ただ『己という“美”』を唯一絶対とする欲望(せかい)。それが、貴様の在り方だ」



 それこそが、トガの興味を買っている点だ。

 世界がどうなろうと知ったことではない、ただ己が輝かしくあればいい――その渇望は、外界からの干渉を否定すると同時に、外界への干渉を否定するものだ。何を措いても『まず自分ありき』、他者の存在など代替可能な余剰物でしかない。前述の三騎とは、明らかに欲望(せかい)の形が異なる。



「ゆえに、その魔力は己の内側、己の理想とする“美”のためだけに循環する。使徒共を幾度となく陥れた(まじない)、その手練手管の数々も――そこから漏れ出た余剰(・・)、児戯にも劣る排泄物に過ぎぬ。

 自己陶酔はヒトの性だが、ここまで徹底しているモノも多くはない。確かに貴様が頂点だ、誇ってよいぞ」

「まぁ、非道(ひど)いひと。褒め言葉も素直に贈ってくれないなんて」



 トガの尊大な褒め言葉に、カンデラリアはわざとらしく口を尖らせた。いかにも大上段から褒めているような口ぶりだが、言葉選びがあまりに悪辣で、罵詈雑言と変わりない。

 とはいえ、この程度のじゃれ合いはピロートークのうち。トガも構わず言葉を続けた。



「貴様のありようを喩えるならば、そうさな……決して墜ちず、翳らず、独り輝き続ける“地の星”――そんなところか」

「ふふ。詩人でいらっしゃるのね、魔王様は。

 では、その魔王様は? いずれ喰らい合う(・・・・・)であろう、残り二人の魔人たちは、どんな姿でいらっしゃるの?」



 トガの胸板を襤褸越しに撫でつつ、カンデラリアは甘い声で問いかけた。並みの男なら腰砕けになりそうな愛撫に対し、トガの情欲が燃え上がったか、どうか。



「語るまでもあるまい。いずれ天を征し、余すことなく灼き尽くす覇道の軌跡――“天の道”よ」






 ◇ ◇ ◇








 一方、朱色に染まった天空を飛翔するムルムルと、その背に跨るクライドとシルヴィア。



「――くそったれ、魔力が重い……!」



 三者はマルシアルの魔界による濃密な魔力に喘ぎながら、そこから脱出するべく疾駆していた。特に負担がかかっているのが、只人であるシルヴィアだ。



「ど、どうにかなりますか……!?」

「ムルムルも余裕がない――クライド! 正面の魔力濃霧をぶち抜いて!」

「分かりました!」



 シルヴィアの指示に、クライドは素早く身体を起こすと、さっと魔槍を構えた。赤熱する穂先が限界まで魔力を絞り上げ、煌々と天地を斬り裂く輝きとなって放散する。



「――ぜぇぇあぁぁッッ!!」



 裂帛の気合とともに噴き出した火焔が、世界を区切る魔力の霧に衝突した。橙色の灼熱と朱色の轍が激突し、びりびりと世界に悲鳴を上げさせる。

 一瞬か、それとも永遠か――そう錯覚させるほどの濃密な激突の末に、橙色の灼熱が晴れた。その先は、上陸したばかりの時と同じ赤黒の空。ムルムルはその間隙に素早く飛び込み、ついに魔界を脱出した。



「――……ぬ、抜けた……!」



 魔力の重圧から解放されたシルヴィアが、どっと疲弊した声を上げた。いかに優れた魔術師とはいえ、人智を隔絶した“魔”に抗するのは並大抵ではない。

 しかし、彼女たちの苦難はそこで終わらなかった。



「グルァァァァッ!!」

「シルヴィア様!」



 ムルムルの咆哮とクライドの叫びに、シルヴィアははっと眼下の大地を見た。赤土の荒野を埋め尽くすかのように、死体の群れがうごめいている。巨大な人型に腐敗融合した死体の塊、現代ではおよそ最悪の魔物と言われる不死の怪物、“魔王大戦”の記録でしか知られないその名は――



「群屍……! しかも、こんな数……!?」



 飛翔するムルムルに気付いたかのように、無数の群屍たちがごぇぇぁああぁぁぁと腐った咆哮を上げた。腐食した肉塊を魔力で強引に繋いだ肢を持ち上げ、無謀にも単騎で突っ込んできた飛竜を叩き落さんと迫る。

 咄嗟に得物を構えたクライドとシルヴィア――その視界外から、ごおと強風が吹いた。赤黒の魔力を巻き上げるそれは、真紅の鱗、一対の巨大な皮翼、二対の大角、強靭な四肢を備えた巨竜。



「ゴアアァァァァァァッ!!」



 紅竜の咆哮とともに、その口腔から橙色の火焔が噴き出した。灼熱の息吹(ブレス)が、群屍たち目掛けて降り注いだ。大精霊の聖性を帯びた火焔が、群屍たちに宿る魔力を断裂し、焼き焦がし、絶叫とともに絶命させる。



『このくらいで怯むな、チビ!』

「――ガアアァァッッ!!」



 灼熱の息吹(ブレス)を吐き切った紅竜の叫喚に、ムルムルが呼応した。大きな顎をがばりと開き、碧炎の息吹(ブレス)を吐いて群屍たちを焼き払う。橙色と碧色の火焔に薙ぎ払われ、群屍たちが地獄の釜を開いたかのような悲鳴を上げる向こう側で、クライドとシルヴィアは紅竜の姿を仰ぎ見た。



「――あれが、まさか……」

炎精の戦斧(ガルマエルド)の使徒ベルーダと、大炎竜ヴァルムフスガ……」



 死体の塊を焼き焦がす火焔の地獄に隙間を見つけ、二騎の竜はどんと着地した。ムルムルよりも一回り大きな姿の紅竜――大炎竜ヴァルムフスガは、その巨体にも怯まないムルムルに対して、大きなため息を吐いた。



『――使徒たちと別れて、“魔”の幼生なんぞを背に乗せるたぁ……まったく最近の(ヤツ)ぁ、何考えてんだか』

「物言いが爺臭いよ、ヴァル」

『ベルだってよく同じようなこと言ってるじゃねぇか!?』



 物言いたげな様子のヴァルムフスガは、しかしその背に乗せた戦士ベルーダのツッコミを食らい、思わず首を巡らせて反論した。

 そんな騒がしいやり取りはさておき、ひとつの影がヴァルムフスガの背から降りた。見覚えのないローブ姿、見覚えのある白髪、見覚えのある細い曲がり刃の剣――



「――リョウ!!」



 クライドとシルヴィアは転げ落ちるようにムルムルの背を降りた。駆け寄る二人に対し、ローブ姿の人物こと崚は、いつもの仏頂面で歩み寄ってきた。



「この野郎、どこほっつき歩いてたのよ!」

「色々あった」

「色々って何よ! それで済む話なわけ――」

「い ろ い ろ、 あ っ た」

「お、おぅ……」



 大声で問い質そうとするシルヴィアの気勢を、崚はドスの利いた声ひとつで叩き落した。本物の戦士の気迫に、さしものシルヴィアも思わずたじろいだ。仮にも年下の小僧が、どこでこんな気迫を備えたのだろうか。

 その後ろで、ベルーダも黒鉄の甲冑をかちゃりと鳴らしながら、ヴァルムフスガの背を降りた。



「あんたが、カドレナの“魔公女”かい。噂は聞いてるよ、お嬢ちゃん」

「ど、どうも! 使徒様の覚えが良くて光栄ですこと!」



 ベルーダの声掛けに対し、つい崚の気迫に押されていたシルヴィアは、声を上ずらせながら答えた。ある意味不倶戴天の敵であるはずの魔術師に対してこうも友好的なのは、ひとまず喜ばしいことだ。

 それはそれとして――



「それで、状況はどうなってる? どうしてお前ら二人がムルムル従えて、正面突撃してんだ。エレナはどうした?」

「……それが……」



 ムルムル側の面子に違和感を覚えた崚が問いかけると、クライドとシルヴィアはうっと口ごもった。

 事情が読めない崚たち側からすると、奇妙な反応だ。使徒対魔人という大戦であっても、戦力分断が悪手なのはごく当然の話。それなのに使徒も伴わず、実質ムルムル単騎で“魔の王”へと挑むのは、無謀としか言いようがない。一体どんな事情で動いている?

 やがて意を決したクライドが、きっぱりと顔を上げて口を開いた。



「――……エレナ様は、連れ去られた」

「……は?」

「“ニュクスの森”で攻撃を受け、疲弊したところを――魔人の一騎に拉致された。

 生死は――分からない。魔王と“孕魔霊樹(ナヴァ・ム・グリア)”の魔力が邪魔して、エレナ様の気配が探知できない」



 クライドが語る説明に、崚はまったく予想外の衝撃を受けた。エレナが、拉致。それも、魔人に。生死不明――混乱する脳裏は、衝動のままに一つの信号を作り上げた。



「――何やってんだこの馬鹿野郎ッッ!!」

「ぐっ……!」



 崚は咄嗟に拳を振りかぶり、クライドの顔面に叩き込んだ。

 咄嗟の一撃を躱すことなく、その勢いのままよろけたクライドは、しかしその胸倉を捩じ上げられ、崚と強引に相対させられた。



「何やってるんだい、坊や」

「ちょ、落ち着きなさい! 喧嘩してる場合じゃないでしょ!?」

「うるせえすっこんでろ!」



 怒髪天を衝かんばかりに嚇怒する崚に対し、女二人がそれぞれに停止の声を掛ける。それを乱暴な一言で黙らせると、崚は改めてクライドの胸倉を掴み上げた。



「エレナを護るために、お前に託したんだろうが! よりによって、連れ去られた!? 一番ダサい不始末こいてんじゃねえよ!!」

「分かった! あんたの言い分もよーく分かった! だからこそ、今ここで揉めてる場合じゃないでしょ!? 落ち着きなさいったら!」



 シルヴィアが慌てて止めにかかるも、激情に支配された崚は止まらない。今にもクライドを撲殺せんばかりに捩じ上げていた。



「――確かに、オレの失態だ」



 そんなクライドは、絞り出すように声を発した。



「エレナ様をお守りできなかった。これから取り戻しに行ったとて、魔人共がエレナ様を害していなければの話だ。

 ――それでも。エレナ様を救うために、力を尽くさなければならない。手を貸してくれ、リョウ」

「そういう話をしてるんじゃなーい! まずは先を急ぐって話をしてるんでしょ!?」



 神妙な顔で崚に向き直るクライドに、シルヴィアが再びツッコんだ。それこそ一刻一秒を争う事態だというのに、これだから男は面倒臭い!!

 そんな折、ずずんと地響きが鳴った。四人と二騎が振り向いた先にいたのは、腐敗した屍肉を無理矢理に繋ぎ合わせた、人型の醜悪な巨塊――群屍。



「――あぁもう、言ってる傍から……!!」



 ぼぉぉぉおおぉぉぉと腐った咆哮を上げる群屍に対し、シルヴィアは舌打ちしながら錫杖を構えた。

 しかしそれより先に、崚が動いた。



「――今、」



 クライドの胸倉を掴んでいた手を離すと、エウレガラムを逆手に携え、両手で弓引くように構える。



「大事な話、」



 その両手から身の丈をも超える巨大な光の弓が形成され、数メートルもの光の大矢が番えられる。



「してんだよボケ!!!」



 そして叫喚とともに、光の大矢が放たれた。

 ぎらぎらと光を放つ大矢が疾駆し、群屍を呑み込んだ。万象焼き焦がさんばかりの光熱が群屍の全身を透徹し、光の大矢は彼方へと飛んでいった。後に残されたのは、魔力ごと全身の腐肉を焼き切られ、どうと轟音を立てて倒れ伏す群屍の残骸。その全身はぶすぶすと黒焦げ、魔力の糸屑すら残されていない。

 あの群屍を、たった一撃。



「――これが、星剣エウレガラムの真価か……」

「何よ、これぇ……もう無法もいいところじゃないの……」



 その超火力に、ベルーダは改めて感嘆させられた。シルヴィアに至っては、もう弱音を吐きそうになっている。

 これが、神器。これが、星剣エウレガラム。今度こそ魔王を斃すべく鍛えられた、大いなる世界の理の守護者。



「――では、然るべき場所で行うのが筋だろう?」



 そんな空気を斬り裂いたのは、さらに濃密な魔力の気配だった。どうと倒れ伏した群屍の向こう側から、その残留魔力を吹き飛ばすような気配が暴風の如く襲ってくる。

 そこに立つヒトの姿には見覚えがある。乱雑に流れる茶髪、古びた金彫を残すばかりの色褪せた装い、浅黒く焼けた顔に走る深い裂傷――いやそれよりも鮮明な、煮え滾るような濃密な魔力。



「あれは――」

「貴様は――!!」



 その正体を看破し、シルヴィアとクライドは目の色を変えた。それに気付いたのかどうか、“羅刹”の魔人アスレイは悠々と口を開いた。



「ここは“魔王”トガの忌地だ。貴様らのような禿猿共が、幅を利かせていい土地ではない。早々に消え失せろ」

「不法占拠して植林活動してる連中が偉そうな口利くな」



 気軽なその声とは不釣り合いに凄絶な気迫、そして濃密な魔力放出に対し、しかし崚は一切怯むことなく言い返した。

 一方、ベルーダもまたアスレイの魔力に怯むことなく、ぐっと一歩前に踏み出した。



「“羅刹”の魔人、アスレイ。ようやく娑婆の空気を吸えて、随分と機嫌が良さそうだね?」



 ベルーダの言葉に、アスレイようやくベルーダへ――正確には、その手に持つ戦斧に意識を向けた。



「貴様は――……? ……なるほど、“炎の使徒”か。少々歳を食った程度で、随分と調子づいているらしい」



 せせら笑うアスレイに対し、ベルーダはただ戦斧を担いで立ち向かうだけだった。魔人の魔力と神器の霊気、その二つが衝突し、世界がびりびりと悲鳴を上げた。



「行くよ。構えな、ヴァル」

『おう』



 そしてベルーダは、炎精の戦斧(ガルマエルド)を構えた。同時に放たれた短い一言に、ヴァルムフスガも迷わず呼応する。

 ふむ……? とその様子を観察するアスレイに意識を集中させながら、ベルーダは傍らの崚に向かって口を開いた。



「坊や! その(おチビ)たちと一緒に、先に行きな! こいつはあたしが食い止める!」

「ちょ――!?」



 それに目の色を変えたのはシルヴィアだ。魔王に勝るとも劣らない怪物に対し、使徒一人と臣獣一騎で相対するつもりか!?

 しかしベルーダは顔色一つ変えず、アスレイをまっすぐ見据えたまま、その手の戦斧に霊気を滾らせるだけだった。



「坊やが本命だ。ベルキュラスのお姫様を助け出して、魔王をきっちり仕留めてきな」

「――やれるのか」

「ふん、あたしを誰だと思ってんだい」



 さすがに身構える崚に対し、ベルーダは涼しい顔で笑い飛ばした。



「シモの毛も生え揃ってないようなひよっこ共が――最強最古の使徒、ベルーダ様を舐めるんじゃないよ!」



 ぐおん、と振りかぶった炎精の戦斧(ガルマエルド)の刃に霊気が爆裂し、ごおと橙色の炎を巻き上げた。その気迫は、眼前の敵を決して逃がさない決意が宿っている。

 一方、アスレイは戦意を漲らせるベルーダに対し、小さな驚きを見せていた。



「たかだか使徒と臣獣、一騎のみで(おれ)に相対すると……? なるほど、面白い挑発だ。

 いいだろう、乗ってやる。小童共、通るがいい」



 まるで遊興のような気軽さで、アスレイは言い放った。変わらずエウレガラムを構えたままの崚と並び、クライドとシルヴィアが思わず眉をひそめる。



「――……正気? 敵であるあたしたちを黙って通すなんて。“孕魔霊樹(ナヴァ・ム・グリア)”の完成が妨害されたらどうするの?」

「思い上がるな。貴様らの如き羽虫共がたかが数匹、()が王の覇道を止められるはずもあるまい。

 そもそもからして――」



 アスレイが赤錆の魔剣に手を掛けた瞬間、極大の赫熱と重力が降り注いだ。



「ぐっ……!」

「これは――!!」



 身を焼き焦がすような赫熱と、骨も髄も押し潰すような重力が広がり、世界がみしみしと悲鳴を上げる。赤黒の大地が圧し潰され、割れ砕け、その隙間から灼熱が噴き出す。超高熱と超重力によって熔解させられた溶岩だ。天変地異すら成し遂げる地獄の中心で、アスレイは涼やかな顔を見せていた。



「我が魔界を前に、逃げ果せることができればの話なのだがな?」



 侮蔑の笑みを浮かべるアスレイを前に、しかし容易く反論できるだけの余裕はない。タンデル歴をさらに遡っても、匹敵する例のない極大の魔界を前に、できることは数少ない。

 だが、そこで折れない男が一人いた。

 崚はエウレガラムを逆手に構え、その刀身にぎちぎちと光気を集めた。どす黒く燃える太陽、ベルーダの構える炎精の戦斧(ガルマエルド)、そこかしこから溢れ出る溶岩の化学反応、それら一切の光を呑み込んで――



「――ぜぇいッ!!」



 思い切り振り抜いた。

 万象を塗り潰す光の波濤が駆け抜け、アスレイの魔界を両断した。自身の真横を通り抜けていく死の輝きに対し、彼は眉ひとつ動かさずそれを見送った。

 赫熱と重力が支配する地獄の中に、一筋の空白が生じた。ちょうど、竜一騎が駆け抜けられる程度の隙間が、世界に亀裂を入れている。それを創り上げた崚は、ふんと刀を肩に担ぎながら言い放った。



「せいぜい後で吠え面かけよ、“(クソ)”共が。てめえらから足元晒したんだ、盛大に蹴っ躓け」

「やってみせろ、小童共」



 言うだけ言い捨てると、崚はさっとムルムルの背に飛び乗って跨った。クライドとシルヴィアが慌てて追従するのには目もくれずに、アスレイは涼しい顔で言い返した。



魔界創生:汝、深淵に見えよアンダー・ザ・グレイテスト・アビス

 “羅刹”の魔人、アスレイが司る魔界

 世界を侵食し、“理外の理”を押し広げる魔導の究極

 その憎悪は灼熱と化し、また極大の重力となって襲うだろう

 かつて彼を封じた、“アルマの井戸底”のように


 主を失ってなお、終わりなき抗戦に身を投じた羅刹は

 敗死ではなく、地の底深くに閉じ込められた

 その痛苦に耐えられる者だけが、立ちはだかってみせろ

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