05.香を断つ火窯
人馬
高原に棲む、人を馬を掛け合わせた姿の魔物
人の上躯と馬の四肢をもつ、野を駆ける覇者
多少の知能を有し、群れで活動する危険な種
カルヴェア公国では、人の手で躾を施し
人馬兵として運用している
レノーンに隷属する彼らの、数少ない長所だ
カルヴェア公国、北方のルテリア街道を外れた荒地。そこに、ひとつの武装集団が集結していた。
時刻にしてチムの刻(午前十時ごろ)。彼らの眼前にあるのは、霧深き大森林――“ニュクスの森”。幾多の冒険者、傭兵、正規兵を呑み込んだ神秘の森である。
「――本当に、上手くいくのだろうな」
「もちろん。君たちのような貧乏くさい方法とは訳が違うのだよ」
カルヴェア公国軍、北部特務大隊。その紋章を胸に掲げた大隊長が、硬い表情で疑念を零す。その傍らでふんとせせら笑ったのは、麗しい礼服に身を包んだ片眼鏡の男――“虚殖”の魔人、マルシアルだった。
「君たちカルヴェアの悲願――“ニュクスの森”侵攻とその神秘の簒奪。
本気で挑むのなら、こんな脆い結界のからくりくらいは把握したまえ。何のために、幾多の戦力を送り込んだのだね?」
涼しい顔で嘲罵するマルシアルに対し、大隊長はぐっと押し黙ることしかできなかった。
兵団は、ひとつの巨大な魔導兵器を取り囲んでいた。巨大な球状機関から延びる太く分厚い砲身に、それを取り囲むような格子状の魔術陣――レノーン聖王国で研究中だった魔導兵器『カリア爆導砲』の資料を掠め取り、マルシアルが独自に完成させた、文字通り最新鋭の兵器である。
「……これで、結界を突破できるというのか」
「その通り。かの法術結界は、あくまでも対人向きの幻術。たかが小兵をいくら送り込んだところで、そっくり取り込まれた挙句、後続の障害となるのが関の山だ。
――だったら、その森ごと破壊してしまえばいい。その程度の発想の転換は、魔術の初歩だよ?」
それができれば苦労はしない――そんな文句は、ぐっと呑み込んだ。できないからこそ、彼らカルヴェアは人ならざる“魔人”に縋ったのだ。
大隊長の無言の合図に、魔導兵たちは揃って起動手順を始めた。
「弾頭召喚術式、起動します」
「耐熱機構、作動開始。温度計測を開始します」
ぶおんと低い音を立てて、球状機関内部で複数の魔術式が起動する。そのまま、ぐおんぐおんと振動音を轟かせ続ける。
そのまま、五分ほど経った。一向に変化のない状況は大隊長の心境を焦らし、彼は堪らず口を開いた。
「――……いつまでかかるのだ、これは」
「何を言っているのだね。星を抉り、その奥底の血潮を絞り出す冒涜的所業だよ? 当然、数分数秒とはいかないとも」
地の遥か底、マントルの最中で漂う溶岩のことである。魔術式で制御された魔力がいくつもの地層を貫き、地殻を穿ち、高熱と重力の最中から液状化した塊を絞り出す。まさに星を侵す冒涜――それを責められるべきは、企図したレノーン魔導研究機関か、それを実現させたマルシアルか。
「しかし、これでは連中が――」
「どうせ気付かんよ。法術結界が妨害している。それに、気付いたところで何もできんさ」
大隊長の焦燥を、マルシアルは素っ気なく切り捨てた。その侮蔑は、今まさに蹂躙を企図する諸人の兵士たちではなく、大森林の向こう側に棲む森人たちに向いていた。
「しかし皮肉なものだね。自らを護る結界が、その実自らを閉じ込める檻になってしまうとは。これだから、“理”というモノは融通が利かない」
強大な権能を宿す大森林に護られた森人たちは、しかしそれ故に逃げ場がなく、その発想すらない。まさに自分たちを守る加護が破壊される瞬間、そしてその後蹂躙されるまで、彼らは何の手出しもできないのだ。
「――抽出召喚成功、充填までのカウントダウンを開始します」
やがて、ごおんと低い音が響いた。溶岩を引き当てた魔術式が、その赫熱を絞り出し、球状機関へと送り込む。魔導兵たちは、いよいよ射出の準備に入った。
「投錨安定機、セット」
「射角調整、三二度で固定します」
「耐熱機構安定中。充填に支障ありません」
ここまでは予定通り。魔導兵器が暴走する気配もない。いよいよ、と大隊長の胸中に緊張を走らせた。
やがて、ごおんという音が再び響いた。
「――充填完了。いつでも射出できます」
「充填了解。――放て!」
大隊長の命令に従い、がたんと撃鉄が落とされる。大地を丸ごとひっくり返すような衝撃とともに、分厚い砲身が赤熱を噴出した。
◇ ◇ ◇
一方、“ニュクスの森”。使徒一行の到着から、四日ほど経過したころ。
とりあえず休息の暇を与えられた傭兵たちは、思い思いに過ごしていた。自主的に筋トレをしたり、里の中を散策したり、森人たちとの交流を試みたり。
「しっかしリョウの奴、戻って来ねぇなぁ……」
割り当てられた家屋でだらりと休んでいた団員の一人アスターが、ふと呟いた。彼らの同僚であり、ある意味この大戦で最も重要な使徒である少年。最後に別れてから、もう一週間は経過しようという頃合いだが、合流どころか何の音沙汰もない。
「どこで油売ってんだろうなぁ」
「ひょっとして道に迷ってんじゃねぇの?」
「あー、あるかもな。あいつ、変なとこおっちょこちょいだし」
それに、団員のジョニー、ヴァン、リックが続いた。世間を斜めに見た厭世家を気取っているが、当初は王女エレナを笑えない程度には世間知らずだったし、それを差し引いても浮世離れしたところがある。まあそれも個性のうちだろう、と流すことができているのは、団長カルドクの気風に因るところが大きい。あいつはあいつ、自分たちは自分たちの仕事をきっちりやればいい。その結果がどうあれ、やれることをや
ばこん、と衝撃が走った。
「――な、なんだぁ!?」
里全体を走る重い衝撃に、アスターは跳ねるように飛び起きた。ジョニー、ヴァン、リックも同様に度肝を抜かれた。この静謐な森に似合わない轟音と衝撃が、里にいる全ての人間と精霊を動揺させた。
その正体をいち早く看破したのは、大社で結界を保っていた大甲龍マクサール。
『――結界が、破壊された……!?』
「何ですって!?」
驚愕するマクサールの言葉に、大社にいた幹部たちも慌てて立ち上がった。
『森を護る結界が破壊された……! 南方、カルヴェアの方からじゃ!』
「――モルガダ! 天降測板出して!」
「わかった」
動揺を抑えられないながらも、素早く出処を探知するマクサール。シルヴィアはモルガダに命じると、錫杖を持って大社を飛び出した。カヤやカルドクらもそれに続く。
「この気配は……! 魔物が襲来しています! かなりの数です!」
「でしょうね!」
「――お嬢、人間の兵士も一緒に侵攻しているようだ。こいつは……カルヴェアの人馬騎兵だな」
カヤの言葉に付け足すように、モルガダが分厚い板のようなものを見ながら言った。兵力の推移を俯瞰することができる魔導具には、多数の兵士を表す点が里に向かって進んでいた。
人馬。カルヴェアを中心に生息する魔物の一種で、人の上躯と馬の四肢を有する魔物。その姿の通り機動力があり、野戦では人間の騎兵を超える厄介な敵である。同国はこれを軍用に飼い馴らして騎兵部隊を作り上げており、全体的な国力に乏しいカルヴェアの数少ない長所とされている。攻戦で投入してくるのは当然といえよう。
「やっぱりカルヴェアか……! でもレノーンの腰巾着が、一体どうやって――!?」
「その奥に、巨大な機影が見える。おそらく、新型の魔導兵器だ」
歯噛みするシルヴィアに答えるように、モルガダが説明を重ねた。今まさに進攻している点のさらに後方に、巨大な円が見える。魔力の強さを表す濃い色からして、尋常な兵器ではないのは間違いない。
「とにかく迎撃だ! 野郎共、集合!!」
団長カルドクの号令に、里じゅうに散っていた団員たちはいち早く戻ってきた。戦慣れしていない里の人間を守りながら、迫りくる兵団を捌いていかなければならない。ひときわ面倒な戦場だが、文句を言っている場合ではない。
◇ ◇ ◇
「急げ急げ、どんどん送り込め!」
「今なら奪い放題だ、蹂躙しろ!」
人馬騎兵の軛を放ち、また自ら槍を執って走り出す兵士たち。それらには目もくれず、マルシアルは目の前の荒廃した森林の残骸を見つめていた。広範囲にぶちまけられた溶岩がどろどろと灼熱を放ち、周辺の樹々を焼き焦がし溶かしていく。鼻を突く焦げ臭い匂いに構わず、彼はふんふんと状況を分析していた。
「――ふむ、成功のようだね」
結界を構成する森林の物理破壊と、魔力汚染による精霊殺害。それは破壊された区画だけでなく、周辺広範囲にも被害を与えている。これならば、直に森全体の結界も崩壊することだろう。里の森人共は自らを守る防壁を失ったと同時に、生きる糧を得る拠り所すら失ったわけだ。
その結果に満足したように頷くと、マルシアルはそれきり興味を失い、くるりと背を向けた。
「おい、どこへ行く」
「帰るのだよ。これでも私は忙しい身でね、君たち凡夫や、あんな原生林ごときにかかずらっている暇はない」
「約束が違うぞ」
「とんでもない。もともと、君たちの都合だろう?」
それを大隊長が見咎める一方、マルシアルは振り向きもせず否定した。応対すら煩わしい、と言わんばかりだった。
「君たちは“ニュクスの森”の神秘が欲しい。私は魔導兵器の実験がしたい――これで、利害関係が成立した。
そして、お互いの目的は果たした。その後まで、私が拘束される謂れはないだろう?」
理路整然と放たれた言葉に、大隊長はぐぐぐと反論の言葉を失った。只人ならまだしも、相手は人智を超えた“魔人”だ。下手に機嫌を損ねれば、こちらが害されかねない。その業腹な現実が、大隊長の喉奥に苦み走った感覚を与えた。
「しかし、向こうには使徒がいると――」
「あぁ、それならば問題はない。置き土産は残してあげるさ」
苦し紛れに食い下がった大隊長の言葉に、マルシアルは初めて有意な言葉を返した。それは何だ――と大隊長が疑問を覚える間すら与えず、マルシアルは転移魔術陣を起動すると、その姿は溶けるように掻き消えた。
◇ ◇ ◇
「ギィィィィッ!」
「オォォォォッ!」
喚声を上げながら、その身を鎧う人馬騎兵が疾走する。目の前に在るのは、神秘的な輝きに包まれた――それが崩壊しかかった森。
彼らに複雑な思考はない。躾けられた通りの命令を覚え、「突っ込んで暴れろ」という命令に従い、ただただ蹂躙するのみ。簒奪と冒涜は、その後に続く人間の兵士たちの役割だ。未だどろどろと熱を放つ溶岩の横を駆け抜け、その熱に悶え苦しみながらも、蹂躙の快楽を求めて突っ走る。
そんな人馬騎兵の侵攻は、しかしその直前で、ごろごろと大きくせり上がった岩壁によって堰き止められた。
「ギャァゥッ!?」
あるものはせり上がった衝撃で高く吹き飛ばされ、落下の衝撃によって全身の骨を砕かれた。あるものは岩壁から突き出た鋭い棘に貫かれて絶命した。あるものは咄嗟に回避しようとして盛大に転倒し、うっかり溶岩に足を踏み入れて焼死した。
「な、なんだ!?」
動揺したのは後続の人間兵たちだ。侵入者を惑わせるという神秘の結界を破壊し、あとは里を蹂躙するのみと思っていたはずの兵士たちは、突然現れた障害に戸惑った。二層の分厚い岩壁、そこから飛び出した棘によって、前衛の人馬騎兵が尽く返り討ちに遭う姿を間近で見せられ、思わず足を止めて硬直してしまった。それは唯一カルヴェアの長所である『人馬騎兵による集中突破』という戦術の崩壊であり、つまり次善策などない想定外だった。
そこで足を止めてしまったのが、彼らの運の尽きだろう。さらに言えば、高くせり上がった二層目の上に屹立する人影を見落としたのも、決定的な隙だった。
“我が激情よ劫火をなし、天高く降り注げ――灼炎豪雨!”
壁上の人影――錫杖を高く掲げたシルヴィアの詠唱とともに、巨大な火焔が現出する。それは一際大きな光を放って炸裂すると、千々に放散し兵士たちへと降り注いだ。
「ぎゃぁぁぁっ!?」
ただでさえ溶岩で自由に動けない兵士たちは、なすすべもなく火焔の雨を浴び、次々に焼き焦がされた。それを見たさらに後続の兵士たちが、同じように足を止める。
同時に岩壁の隙間から、ごおと轟音を立てて清流が噴き出した。大河に匹敵する大質量は、溶岩の残骸を丸ごと覆うように迸ると、その熱を強引に捩じ伏せた。やがて激流が去った後には、じゅうじゅうと焦げ臭く燻る硬い岩塊だけが残った。
「今よ、突っ込みなさい!」
それを見届けたシルヴィアが鋭く叫ぶ。同時に、兵士たちは岩壁の隙間から飛び出した人影を目撃した。軽装の鎧に身を包み、それぞれに剣や斧を構える、森人とは似ても似つかない野蛮かつ勇猛な戦士たち――ヴァルク傭兵団の戦士たちと、両腕を武器に変態させたゴーシュだ。
「おおおおッ!」
「おらぁぁ!」
総勢三十にも満たない、しかし一気呵成に飛び出した戦士たちは、動揺収まらぬ兵士たちを次々に討ち取っていった。ある者は頭をかち割られ、ある者は胴を斬り裂かれ、ある者は喉笛を貫かれ、兵士たちは急速にその数を減らしていく。
「諸人の戦士だと!?」
「おい、話が違うぞ!」
その様を見、混乱を重ねたのが兵士たちだ。相手は戦慣れしていない森人共だけという話なのに、どうしてここに諸人の戦士が――その混乱は憔悴となって、兵士たちの動きを鈍らせた。
「おらァ!」
「ぎゃぁっ!?」
「どっせい!」
「ぐがっ!」
無論、それは傭兵たちにとって絶好の機会だ。数々の戦場を乗り越え、数々の死線を潜り抜けてきたヴァルク傭兵団にとって、この程度の弱兵は物の数にもならない。兵士たちはその勢いのままに次々に薙ぎ倒され、森の残骸に重なる血と遺骸と化していった。
「じ、陣形立て直せ! 長弓隊、構え!」
兵士の一部が、慌てて再起動した。幸いにして、溶岩は冷却され陣形を組み易くなっている。這う這うの体で陣形を立て直し、一斉に長弓を構えた。
“烈志よ溢れ、天地を征せよ――ヴィムの海嘯!”
それを阻むように、シルヴィアの詠唱が響いた。紫電迸る魔力が巨大な波濤となり、ようやっと陣形の整った兵士たちをまとめて薙ぎ倒していく。
「ぐぉぉっ!?」
「今よ!」
「野郎共、突っ込むぞ!」
薙ぎ倒される兵士たちの悲鳴、シルヴィアの号令、カルドクの咆哮とともに、傭兵たちが再び踏み込んだ。シルヴィアの魔術で文字通り総崩れとなった兵士たちは、もはや満足に起き上がることもできず、次々に物言わぬ屍と変えられていった。
「……ふぅ……こんなもんっすかね」
真っ先に人馬騎兵が襲撃する、ある意味最も危険な第一波は済んだ。功労者は無論、霊王の剛槍の権能でそれを阻んだカヤと、兵士たちの出鼻を挫いたシルヴィアには違いないが、後始末の殲滅も重要な務めだ。
「まだだ。じき第二波が来る」
「野郎共、気ィ抜くなよ!」
「げぇー」
しかしゴーシュが、彼方から迫りくる第二波の姿を見咎め、カルドクが団員たちに檄を飛ばした。後ろの守りが盤石なのはともかく、数で勝る先方を相手取るのは楽ではない。騎兵がいるなら尚更だ。
と、岩壁の隙間から清流が溢れ出し、団員たちを包み込んだ。瞬く間に傷と疲労を癒していくそれは、玲瓏の宝珠の加護だ。
「おぉ、こりゃ助かるな!」
「ありがとよ、嬢ちゃん!」
「いえ、皆さん頑張ってください!」
岩壁の隙間から姿を現したエレナに向かって、団員たちは歓びと感謝の声を上げると、その勢いで新たな敵影へと突っ込んでいった。
一方、これは堪らぬと及び腰になったのはカルヴェア兵だ。魔導兵器で蹂躙された森、その焦熱の残骸の向こう側から、気勢衰えぬ戦士たちが突っ込んでくる。まったく予定外の事態に、苛立ちを重ねるばかりだった。
「ちっ……往生際が悪い!」
「どうしてこんな連中が……!」
「後方の援護はまだか!?」
景気よく殴り返してくる傭兵たちに尻込みしながら応戦し、必死に後方を頼る。たかが二十数名の傭兵たちにいいようにされるカルヴェア兵たちが脆弱なのか、数的不利に構わず突っ込むヴァルク傭兵団が異常なのか、玲瓏の宝珠の加護でその傷を片端から治癒していくエレナの存在が理不尽なのか。
「――残念、そっちも対策済みよ!」
カルヴェア兵の動揺を聞き咎めたかのように、シルヴィアが鋭く叫んだ。
◇ ◇ ◇
「防壁の出現を確認! 使徒の権能と推察されます!」
「チッ……動きが速い!」
望遠鏡を構えた観測兵の報告に、大隊長は分かりやすく舌打ちした。魔人の言葉を信じるならば、完全な奇襲だったはずだが、こうも素早く対応されるとは。先鋒の人馬騎兵が阻まれるのは、カルヴェア用兵論として痛手でしかない。
だが同時に、魔人の言葉を信じるならば、人間兵には手出しできないはず。人馬騎兵を捨て駒に、人間兵が掻い潜るのを期待するしかない。
「第一隊、全滅! 第二隊も壊滅寸前です!」
ところが、続く観測兵の報告に、目の色を変えざるを得なかった。使徒の他には、戦慣れしていない森人しかいないはずの里で、先遣二隊がもう潰された? いったい何故?
「何をやっている!? 相手は森人共だろう!?」
「それが――諸人の傭兵らしき連中と交戦しています! 数は二十余り!」
「なに!?」
まったく想定外の報告に、大隊長は度肝を抜かれた。諸人の傭兵がいるなどと聞いていないし、たかが二十数人に返り討ちに遭っている事実も信じがたい。カリア爆導砲が放った溶岩で、相手も容易に反撃しづらくなっているはずだ。それがどうして、こうも簡単に堰き止められている?
動揺する大隊長を置き去りに、ひとつの人影が颯爽と駆け出したのを、彼は見落とした。
想定外の窮地に、大隊長は決断した。
「――カリア爆導砲、第二射準備!」
もう一度、あの爆撃をぶち当てる。神器の権能とのぶつかり合いになるが、あの威力ならば相殺くらいはできるはずだろう。諸人の傭兵共は、その巻き添えで始末できるはずだ。そうすれば、今度こそ――
「しかし、それでは味方が――」
「ここで引き下がるわけにはいかん! 前線を犠牲にしてでも、ここを征服するのだ!」
しかしこの状況で撃てば、前線の味方も巻き添えになる。それに戸惑う魔導兵たちを、大隊長は問答無用で叱りつけた。今この瞬間こそが、最大にして最後の機会なのだ。何としても、逃すわけにはいかない。
尻を蹴飛ばされるように作業を始める魔導兵たちだったが――その機会は間に合わなかった。
「ゴォォオッ!!」
「ぎゃぁぁぁっ!?」
碧炎が中天から降り注ぎ、カリア爆導砲に取り付いていた魔導兵を焼いた。驚愕とともに見上げた先にあったのは、逆光を照り返す碧い鱗、一対の巨大な皮翼、強靭な四肢――ムルムルである。
「あれは――竜……!?」
控えていた兵士たちに、一斉に動揺が走った。竜といえば、神器と並び七天教の本尊である。予想外の敵影への動揺は、瞬く間に畏怖へと変わった。
完全に身動きの取れなくなった兵士たちを見やり、大隊長だけはすぐさま意識を切り替えた。この竜を野放しにしては、作戦が完全に崩壊する。
「撃ち落とすぞ! 長弓隊、構え!」
「し、しかし……!」
「あれは敵だ! 何としても仕留めろ!」
半ば悲鳴じみた大隊長の命令に、長弓隊は動揺を押し殺しながら弓を構えた。ぐるぐると上空を旋回する飛竜の影は、震える手で構えられた弓矢では捉えられない。
竜への大逆に震える兵士たちは、その背から飛び降りたひとつの影を捉え損ねた。
「ぜぇぇあぁぁッッ!!」
「ぎゃぁぁぁっ!?」
落下とともに、長槍から爆炎を噴出させる騎士――クライドである。噴き上がる橙色の火焔が長弓隊に着弾し、その焦熱で兵士たちを蹂躙した。悲鳴とともに焼死していく長弓隊を見て、動揺したのは周りの兵士たちだ。それが決定的な隙となった。
着地したクライドは、長槍の穂先に滾る火焔を翳らせることなく、ぐっと脇に構えると、
「ずぇいッ!!」
「ぐわぁぁぁぁっ!!」
大きく横に薙ぎ払った。巨大な炎の渦が周囲の兵士たちを呑み込み、極大の焔禍となって放散した。いまや“魔”の兆しを見せ始めたクライドによる全力の一撃に、抗えるものなどいない。魔導兵、後詰の兵士たち、大隊長――それらすべてを呑み込み、瞬く間に絶命させた。
「ゴォォオッ!!」
ムルムルがその口腔から碧い聖炎を吐き、カリア爆導砲を呑み込んだ。本来からして、溶岩を抽出し充填させる魔導兵器は、当然に高い熱耐性を備えているが、聖性を伴う碧炎に対して、その身の魔術障壁をぼろぼろと焼き焦がされていき――とどめとばかりにムルムルがのしかかったことで、その身を完全に圧壊された。
「グルルルル……」
「――これが、例の魔導兵器か……」
敵影の完全な消失を見届けたクライドは、長槍から火焔を消失させ、ムルムルによって蹂躙された魔導兵器の残骸へと視線を遣った。いまや見るも無残な鉄の塊と化したカリア爆導砲は、しかしその質量からして、つい先ほど発揮した結界破壊の威力を裏付けるだけの根拠がある。
問題は、いったいどこから調達してきたかということだ。シルヴィアに曰く、カルヴェア公国はレノーン聖王国に実質的に隷属されており、その軍事力は歴然とした差があるという。無論、その冊封関係と引き換えに魔導技術の供与を受けてきたのだろうが――クライドは、どうにも言い知れぬ違和感を抱いた。臣獣が直に管理する古い結界を、一撃で破壊する強力な兵器。そんなものをレノーンが、ましてカルヴェア自身が有していたとは思えない。そんなものがあったのなら、今この時勢で持ち出す必要性などないはずだ。
(……何者かの手引きがあったのだろうか? 考えられるとすれば――)
――魔人。魔王か、その眷属しかいまいと、クライドは直感した。“ニュクスの森”に封印されている風伯の鉄弓――その奪取または破壊、あるいは使徒の殺害を企図したのであれば、合点がいく。
しかし、とクライドは違和感を抱いた。もしも本気で風伯の鉄弓の奪取を目論んでいたとして、肝心要の魔人の姿がない。最新鋭の魔導兵器を与えたといっても、よもや凡人、それもカルヴェアという弱兵を用いて神器奪取というのは、見立てが甘すぎるだろう。あくまでも、カルヴェア兵たちは当て馬だったというのだろうか? だとすれば、本来の目的は――?
そこで、クライドの“感”にぴりりと走るものがあった。この感じは――魔人、あるいはそれに匹敵する存在。それが、里へと向かっている!
「――ムルムル、急いで戻るぞ!」
焦るクライドは、一息でムルムルの背中に飛び乗り、その鱗へとしがみついた。その意を汲んだムルムルは、即座に大地を蹴り中空へと飛び出した。
浄罪の儀
七天教の神官たちが修める法術のひとつ
軽微な痛苦と引き換えに、罪を祓う
行使される術は、犯した罪に対応して異なる
神智学に曰く、人の裡より生まれる悪しき心が
“魔”の呼び水になるという
故にその原罪の形は、神と同じく七つに分けられる




