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神宿ル劍  作者: 竹河参号
06章 神の形、魔の形
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03.魔の萌芽

霊験の芽吹き

 霊王の剛槍(ゴールトムク)の加護

 神器の権能を一時的に分け与え、精霊との交信を助ける

 エルネスカの神官全てに与えられている加護


 精霊との交信には特殊な知覚が必要であり

 これは、それを補助するための権能

 力を借りられるかは、交渉次第だ

 “ニュクスの森”、大甲龍マクサールの大社の中。巨大な竜の前に立たされたクライドは、居心地悪そうに立ち尽くしていた。



「――えっと、その……“魔”というのは、オレのことでよろしいのでしょうか……?」

『とぼけるな。お主のその濃密な魔力、“魔”の幼生と呼ぶほかあるまい』

「と……言われましても……」



 文字通り噛み付かんばかりの気勢を見せるマクサールの言葉に、しかしクライドは困惑を深めるばかりだった。まさについ先ほどまで、普通の人間だという自己認識を抱えていた彼に、『“魔”の幼生』などという大それた呼び名を突き付けられても、納得のしようがない。



「でも――クライドが“魔”というのは、変じゃないかと。これまで霊王の剛槍(ゴールトムク)玲瓏の宝珠(ラーグリア)が反応してきませんでしたし……」

「その……オレは、この“破邪の焔”――魔導兵器を保有していますが、それのことではないと……?」

『ほざけぃ。そんな小枝なぞ、今のこの儂でも噛み砕けるわい』

「あたしもないと思うわね。魔術触媒としての質なら、あたしの杖の方がよっぽど強力よ」



 エレナが庇おうとするも、マクサールの気勢を和らげるにはまるで足りなかった。魔導の長槍に話を逸らそうとしても、まさかのシルヴィアが追撃してくる。クライド当人が思い至らない不可解に、周囲はただ困惑を深めるばかりだった。



「ですが、先日まで彼は普通の人間でした。この僅かな期間で“魔”に変生したとは、いささか考えにくく……」



 そこに、カヤが助け船を出した。“魔”とは世界の理を歪めるほど膨大な魔力を宿しているもので、往々にして長い時間をかけて蓄積されるものである。一朝一夕に成るとは考え難い――その事実は、マクサール自身も重々に承知しているものだ。

 だからこそ理解できない。以前がどうあれ、目の前の青年は間違いなく“魔”の兆候を宿している。別行動をしていたという短期間に、いったい何があったというのだ?



「……ただ――魔力がすごく増大してるのは確かね。質も量も、あたし以上を感じる」

「……え……!?」

「でも、ちょっと波がある感じ? 今はすごく小さく収まってるわね」



 更なるシルヴィアの追撃に、エレナはいよいよ動揺した。彼女が知る限り、シルヴィアは指折りの優れた魔術師だ。その知見で己以上と断言するからには、クライドは今や常人を遥かに上回る魔力の持ち主ということになる。それこそ、魔人が比較対象たり得るほどに。



「なにか心当たりは? 魔人の干渉を受けたとか……」

「えっと、その……」



 不安げなカヤの問いに、クライドはうっと言い淀んだ。――正確には、ある。しかし内容が内容だけに、主君(エレナ)を始め周囲に心配をかけてしまうことになる。

 その心情を汲んでか汲まずか、それまで沈黙を守っていたゴーシュが口を開いた。



「――言うべきか」

「え」

「何か、あったんですか!?」



 クライドへ投げかけられた確認の言葉に、いち早く飛びついたのがエレナだった。そもそもが三対五千、無茶の塊のような作戦だ。その最中に、何か『良くないこと』が起きてしまったとしても不思議ではない。

 焦る様子でせっつくエレナに、クライドはしかし口ごもったまま言葉にできず――



「――その……」

「彼は、一度死んだ」

「――えっ?」



 ゴーシュの端的過ぎる説明に、一同は唖然とした。

 死? なぜ? どこで? どうやって? じゃあ今ここにいる彼は? ぐるぐると錯綜する一同の混乱に、ゴーシュは淡々と畳みかけた。



「“聖徒”と呼ばれる、精鋭の魔導騎士。その集団との戦闘を余儀なくされ、彼は致命傷を受けた」

「そんな……!?」

「で――でも、今、こうして生きているではありませんか。何かの間違いでは……!?」

「それについては――クライド卿、君自身が、最も承知しているはずだ」



 認めがたい現実に愕然とする一同の視線が、クライドに集中した。全てを明かされた彼にできるのは、深いため息とともに誤魔化しを諦め、全てをはっきりと認めることしかなかった。



「――はい。ゴーシュ殿の言う通りです。オレは大矢の一撃を食らい、致命傷を負いました。今こうして復活しているのも、何故だか分かりません。

 ……魔人の干渉を受けたとも、考え難い。何らかの理由で、“魔”なるものに変生してしまった――と考えるのが、妥当でしょう」

「そんな……」



 沈痛に、しかしはっきりと肯定したクライドに、エレナは悄然となった。無茶を承知で送り出すしかなかったのは事実だが、まさかそんな重傷を負っているなんて……

 ところで、ようやく口を開いたゴーシュに向かって、マクサールがじろりと睨んだ。



『ところで、そちらの黒い方は何じゃね。“魔”と知っていてのことかね』

「彼は元々、わたくしが雇った諜報でございます。もちろん、イシマエルという身元も承知の上で」

『……つまり、なんじゃね。片方は生まれながらの“魔”で、もう片方は先日より“魔”と化しかけている身にもかかわらず、どちらも味方として協力している、ということかね』

「そういうことになるわね」

『…………なんともはや……』



 カヤとシルヴィアの肯定に、マクサールは思わず閉口した。いくら手勢に劣り、採れる手段が乏しいとはいえ、よもや“魔”に縋るなど――巨竜の心中は苦悶でいっぱいだった。



「言っとくけど、文句は言わせないわよ。こっちだって手札に限りがあるの。“魔”だろうが何だろうが、魔王に対抗できるモノは何だって使っていくしかないの」

「シルヴィア様、それ以上は――!」

「これが現実でしょ。老いた竜が戦力になってくれない以上、あたしたちで何とかするしかないんだもの」



 シルヴィアの鋭い言葉に、カヤが慌てて制止の言葉を述べるが、彼女はそれでも止まらなかった。そもそも使徒だけで、『選ばれた勇者様』だけで事足りるなら、本来は彼女さえ必要ない。臣獣が万全ならば尚のことだ。それらの手札が足りない以上、言葉通り“魔”だろうが何だろうが使える手は全部使って、勝利をもぎ取るしかない。マクサール自身、それを分かっているのか、シルヴィアの不敬を咎めなかった。



『……分かっておる。儂らの不甲斐なさが招いたことじゃ。しかし……』

「何か懸念が?」



 しかし尚も渋い顔を見せるマクサールに、カヤが問いかけた。



『魔王が創りしイシマエルのひとつ。そして未完成の“魔”の幼生。――これらが魔王の術中に、魔王に抱き込まれぬ保証など、どこにもない。

 儂らは――いや、お主らは、身内に爆弾を抱えることになっているやも知れぬ』

「それは――ですが――」



 マクサールの懸念を、カヤは否定できなかった。使徒のように完全な耐性があるならばともかく、かたや魔王の眷属、かたや未完全な“魔”だ。今でこそ頼もしい仲間だが、万一魔王の呪術によって篭絡されてしまえば、途端に危険な敵となる。そしてその懸念を否定できる根拠は、二人のどちらにもない。



「否定はできない。私は本来そのように造られ、彼もまた“魔”に惹かれ得る存在と化した。大甲龍マクサールらしい、賢明な推察だ」

「それは……そうですけど……」



 ゴーシュの淡々とした肯定に、エレナは返す言葉を失った。味方が敵になる想定などしたくない、だがしなければならない――そんなジレンマに陥っていた。



『――……まぁ、事情は分かった。今は“大いなる理”の味方として、ここに留まることを認めよう。

 だが、あまりうろつかんでくれよ。精霊たちがざわつく』



 マクサールの苦み走った言葉を最後に、この押し問答は打ち切られた。






 ◇ ◇ ◇






 武装を解き、長槍を置くと、クライドは近くの樹の下に座り込んだ。

 精霊たちの織りなす微光の波、森と調和する素朴な家屋、清らかな空気に包まれた麗しい人々――これまで目にしたことのない、美しい景色である。それらの総てが、クライドという異物に拒否反応を示していることを除けば。



(……思ったよりキツいな、これは)



 世界の総てに拒絶される疎外感。どこにも居場所がない孤独感。それらは、己が“魔”と化しかけていることを何よりも雄弁に示していた。あるいはこの感覚こそ、異世界の稀人である崚が味わってきたものだろうか――

 そんな思いに耽る彼の許に、一人の少女が歩み寄った。



「……クライド……」



 彼の主君、エレナである。一人疎外感に包まれる彼に、どんな言葉を掛けたらいいか分からない様子だった。



「……申し訳ありません。エレナ様のために戦ったというのに、要らぬ懸念を抱えさせてしまいました」

「ううん、クライドは悪くないよ。無事に帰ってきてくれて、良かった」

「はっ、ありがたき言葉に存じます」



 目を伏せて謝罪するクライドに、エレナはふるふると首を振った。彼がどんな死闘を繰り広げたかは、武装や傷痕を見れば概ね想像がつく。どんな形であれ、無事に戻ってきてくれた――その事実の方が、彼女にとって大事なことだった。



「……レノーン軍との戦闘は、どうだった?」



 エレナはクライドの隣に座り込むと、そう問いかけた。クライドは少し考えてから、口を開いた。



「奇策を弄しましたが、手強い相手とぶつかりました。結果的に、リョウの負担を軽減させることができたとも言えますが――オレの方は、このざま(・・)です」

「まだ傷は痛む?」

「いえ――いえ、はい。まだ少々」

玲瓏の宝珠(ラーグリア)の権能は使わない方がいいのかな。逆に負担になっちゃうかも」

「どうでしょうか。“魔”の沈静化にも役立つかもしれません」

「そう? じゃあやってみようか」



 そう言うと、エレナは佩剣を抜き、その鍔元の宝玉――玲瓏の宝珠(ラーグリア)の権能を起動させた。きらきらとした清流がたちどころに放たれ、クライドの全身に刻まれた傷痕に入り込み、潤していく。



「――くっ……」



 傷口から入り込む異物感、強引に筋肉と神経が繋がれる感覚に、クライドが思わず苦悶の声を漏らした。それを見たエレナが、急いで清流を引っ込める。



「やっぱり苦しい? これ以上はやめとく?」

「……いえ、だいぶ楽になりました。流石ですね、エレナ様」

「良かった」



 その言葉は、エレナを気遣っての強がりだろうか。真実彼を癒すことができたのだろうか。どちらにしても、強い負担となっていないことにエレナは安堵した。



「――無理は、しないでね」



 “水精の剣”を仕舞ったエレナは、クライドの手を取り、ぽつりと俯きながら呟いた。



「今回は、わたしが無理させちゃったけど――わたしにとっては、あなたの方が大事。あなた自身を、大切にして」

「はっ。勿体なきお言葉です」

「そんなことないよ。――ずっと傍で戦ってくれた、わたしの大事な騎士。今までがそうであったように、これからもそうであって。

 ……わたしを、一人にしないで……」



 エレナは、クライドの手をぎゅっと握りしめた。その脳裏には、目の前で両親を失った時の悲しみが去来しているのだろう。クライドはそう直感した。

 ヒトだろうが“魔”だろうが関係ない。王室だろうが騎士だろうが関係ない。これ以上親しい人を亡くすのは、その苦痛を味わうのは、とても耐えられない――そんな想い(なみだ)が、辛うじて堰き止められていた。



「――はい。騎士の誇りに懸けて、誓います」



 そんなエレナの手に己の手を重ね、クライドはきっぱりと言った。敬愛するこの主君のためなら、どんな手を使ってでも生還してみせる――他ならぬ自らに、そう誓った。

 その誓いを受け取ったエレナは、ぶんと首を振って顔を上げた。作られたその笑顔の眦に光るものを、クライドは見なかったことにした。



「ところで、リョウはどうだった?」

「……作戦で別れてから、あいつとは顔を合わせていません。オレの方は、疲弊していたので……ゴーシュ殿と合流した後、オーヴェルヌスに引き返したのだと思われます」

「……どうして、一人で……聖王の暗殺なんて……」

「ゴーシュ殿によると、『レノーンを完全に機能停止させなければ、この戦争(・・)が終わることはない』と。そのために、適任があいつしかいなかったと……」



 クライドの説明に、二人は揃って暗い表情を浮かべるしかなかった。レノーンを完全停止させなければ、こちらが魔王討伐に集中できない。そのためには、晦冥の湾刀(イーレグラム)の権能を以て聖王を暗殺するしかない――理屈として分かっていても、感情として納得がいかない。それこそ、クライドと同等かそれ以上に戦ったはずの崚が単身で挑むなど、危険が過ぎる。



「……申し訳ありません。オレが万全であれば、止めることもできたはずです」

「しょうがないよ。それに、リョウは頑固だしね」

「はは、違いありませんね」



 それでも――誰が何を言ったとしても、彼は往っただろう。同じ結論に行き着いた二人は、上っ面の軽口で力なく笑った。

 せめて、彼が無事であるように――二人にできるのは、ただそう祈ることだけだった。






 ◇ ◇ ◇






 少し離れたところで、そんな二人を見守る者たちがいた。



「――……あれ、どう思う?」



 大社の隅に(もた)れかかったシルヴィアとカヤである。いまひとつ浮かない表情を浮かべるシルヴィアとは対照的に、カヤは柔和に微笑んでいた。



「大変微笑ましいかと」

「そうだけどそうじゃない。ボケのつもり?」



 のほほんとした返答を寄越すカヤを、シルヴィアがじろりと睨んだ。



「未だなりかけとはいえ、“魔”なんでしょ。神器の使徒として、なんか思うところとかないの?」

「――……微弱ではありますが……ない、とも言い切れませんね」



 シルヴィアの詰問に、カヤはようやく心苦しげな表情を見せた。いくら手札が足りないとはいえ、無条件に“魔”に縋ることを良しとできるほど、彼女の信仰心は浅薄ではない。



「マクサール様の台詞じゃないけど、なかなかに厄介な爆弾を抱えることになっちゃったわね。

 もちろん、無条件で隷属させられるってこともないでしょうけど……今の中途半端な状態が、一番危ないわ。当たり前だけど、魔王も相当な手練れみたいだしね」



 シルヴィアの言葉に、今度はカヤがぴくりと眉をひそめた。



「それは――完全な“魔”として、変生してしまった方が良いとでも?」

「最悪の想定よ。元に戻れるならそれに越したことはないけど、対魔王戦力の手札にはなれないまま。

 だったらいっそ、完全に独立した存在になって、魔王に対抗できるだけの耐性を獲得してくれる方がいいわ」

「ですが、それは……」



 シルヴィアの分析は正当だろう。中途半端な人間、中途半端な“魔”である現状、魔王の術中に陥る可能性は低くない。いっそ完全な“魔”として変生してしまえば、魔王の呪術に耐性ができるかも知れないし、何より大きな戦力増強に繋がる。

 だがそれは、新しい“魔”を生み出すということになり――



「……カヤ様の想像通りよ。無事に魔王を斃すことができたとして――今度はアイツという“魔”が残る。あの子とアイツで、殺し合いが始まるってわけ」

「……後味の悪い結末ですね」



 視線の先で仲睦まじい様子の二人を見ながら、二人は苦い顔を浮かべた。あの二人の殺し合いを想定し、それを平然と許容できるほど、二人は非情になり切れない。



「問題は、どっちに傾ける手段もないってこと。魔力を取り払いヒトに戻すことも、完全な“魔”に変生させることも、今のあたしたちでは手出しができない。

 神器ってそういうところ、融通が利かないでしょ?」

「……耳の痛い話です。――いえ、もしかしたら……」



 シルヴィアの指摘に、カヤは心苦しい表情を浮かべるが、ふと何かに気付いた声を上げた。



「何か妙案でも?」

玲瓏の宝珠(ラーグリア)は、“鎮静”の権能を有しています。“魔”を殺すのではなく、その力を鎮める。かつて、“魔王の紅涙”を鎮め封印していたように。

 それを以てすれば――少なくとも現時点なら、人間に戻すことも不可能ではないかと」

「なるほどねぇ」



 要領としては“紅血の泉(オプセデウス)”――“魔王の紅涙”とまったく同じだ。玲瓏の宝珠(ラーグリア)の権能を以て、クライドの裡に宿る魔力を鎮め封印する。あるいは完全な“魔”として変生してしまった後でも、同じことは可能かもしれない。まさに魔王と同じように、代々の使徒によって永久に鎮めることも。



「となれば、少なくともアイツを封印する手立てはあるってわけか。

 ――嫌な話ね。魔王という強大な“魔”を斃すために、仲間を新しい“魔”に成らしめた挙句、その封印を画策しないといけないなんて」



 シルヴィアの苦み走った呟きに、カヤも無言で同意するしかなかった。



エルネの水壁

 水精の剣の戦技

 刀身に水気を纏い、目の前で高速回転させる

 厚い水壁は防御に優れ、敵の攻撃を弾くことができる


 古の使徒、エルネはベルキュラス全域の治水に貢献し

 レスター河の大氾濫を、その権能で治めたという

 故に、彼女は水辺の守護聖人として知られている

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