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神宿ル劍  作者: 竹河参号
05章 正しき理の在処
64/78

09.闇夜の決死圏

洸牙

 退魔の光剣(エウトルーガ)の戦技

 光気を乗せた斬撃は光の波濤となり

 触れるものすべてを焼き尽くす


 溢れ出る激流のごとき灼光は、すべてを呑み込み

 邪悪なる“魔”を滅ぼすだろう

 正しき理のもとに、あるべき世界のもとに

 俄かに慌ただしくなった野戦陣の様子を、陣前方の崖上から観察するものがあった。距離にして、四半理もない。



「――始めたようだ」



 闇に溶け込むその姿は、小型の望遠鏡を構えたゴーシュだった。峡谷脇の林に潜み、聖都軍陣全体を見渡せる崖上で、その様子を伺っている。陣の後方から火の手が上がり、ざわざわと喧騒が巻き起こり始めたのを、彼はしっかりと視止めた。

 傍らには、同じように茂みに潜むクライド。長槍を構え、今か今かと待ち侘びている。



「こちらも往きますか」

「もう少し待つべきだろうな。まだ前衛部隊まで伝達が届いていない」

「しかし、それではあいつが……」

「懸念は(もっと)もだが、危険度が高いのは君の方だ。機を読み違えてはいけない」



 そわそわと落ち着かないクライドを、ゴーシュが静かに宥めた。クライドにできることは、ただぐっと長槍を握りしめることだけだった。

 作戦としては、少々複雑である。

 まず、使徒一行の偵察隊をすべて(・・・)始末する。当たりを引き当てた先の先遣隊だけを潰したところで、『報告がなかった部隊がある=使徒一行に迎撃された』という特定が可能になってしまう。そうならないために、本隊が動く手がかりをすべて奪うことで、その足を止める。ここまでは、日中の内に成し遂げた。崚が晦冥の湾刀(イーレグラム)の権能による空間転移を駆使し、可能な限り偵察隊を探し出して、その尽くを始末した。

 次に、崚が晦冥の湾刀(イーレグラム)の権能を用い、本隊後方から(・・・・・・)襲撃する。空間転移で後方に回り込み、闇の権能で気配を殺して接近し、そのまま攻撃を仕掛ける。この争乱が普通の戦争と異なる点は、聖都軍にとってはあくまで『討伐』であること――つまり、『背後からの攻撃(・・・・・・・)が想定されてない(・・・・・・・・)。そこを奇襲し、指揮系統を混乱させる。

 とはいえ、崚ひとりで起こせる混乱には限度がある。そのうち迎撃態勢が整い、後方に注意がいくだろう。そのタイミングで、今度はクライドとゴーシュが本隊正面から(・・・・・・)攻撃を仕掛け、新たな混乱を発生させる。肩透かしで油断している夜半、さらに指揮が二分されれば、いかに五千からなる軍勢とはいえ、その数的有利は減衰する。

 あとは、壊乱するまでひたすら擂り潰す――言葉にすれば簡単だが、綱渡りの苦行だ。晦冥の湾刀(イーレグラム)の権能で縦横無尽な機動を可能とする崚、“破邪の焔”で広範囲へ強力な攻撃を可能とするクライド、隠密行動と撹乱に長けイシマエルとしての異能をも備えているゴーシュ。この三人が揃ってこそ成立する作戦であり、一手でも誤ればその瞬間に瓦解する。特に炎を操るクライドは、否が応でも目立ってしまう。聖都軍が完全に後方に釘付けになる瞬間を狙わなければ、一斉に襲われておしまいだ。その現実は、元来熱くなりやすいクライドにとって、ひどく狂おしいほどの忍耐を強いるものだった。

 ざわざわとした喧騒が松明の揺らぎとなり、闇の深い峡谷を塗り替えるように、橙色が広がっていく。それが野戦陣全域を染めていくのを見下ろしたまま、二人は四半刻ほど待ち続けた。クライドの体感では、その五倍はかかった気分だった。



「――前衛が動き出した。伝わったようだな」

「往きます。いいですね」

「ああ」



 ついに前衛部隊がざわざわと動き出したのを見て、クライドは思い切り立ち上がった。ゴーシュの方を見向きもせずに放たれた言葉は、確認を求める意見ではなく、回答の如何にかかわらず断行する宣言だった。ゴーシュも今度は押し止めることなく、共に立ち上がった。



「――撹乱は私が務める。派手にやりたまえ」



 ゴーシュの言葉に、クライドは「言われなくとも」と言い残すと、眼下の崖をさっと飛び降り、滑り降りるように駆け出した。






 ◇ ◇ ◇






 斬る。

 斬る。

 斬る。



 無様に逃げ回る背後を斬る。

 当惑に振返った喉首を刺す。

 着の身着のまま飛び出した心臓を突く。



(なんだこれは)



 火の手と怒号が綯交(ないま)ぜになり、がやがやと兵士たちが騒がしく駆け回る陣内にあって、しかし崚の姿を視止めることができる者はいない。姿を隠し、気配を隠し、視覚すら欺く闇の衣に包まれ、黒刃を握って独り屹立する崚の、しかしその心胆は冷え冷えとしていた。心肺に、冷たい鉄芯が差し込まれているような気分だった。

 ――なんだ、これは。

 ここまで簡単なものか。ここまで呆気ないものか。ここまで、味気ないものか。

 倒壊した松明が、ぼおと天幕に引火していくのを横目に眺めながら、崚は黒刃を振るった。空間を歪めて放たれる斬撃が、一太刀で兵士三人の喉笛を裂き、どうと横倒しに絶命させた。散乱する鎧甲冑に躓いて倒れる兵士を抜き去りながら、その後首に向けて黒刃を突き立てた。錯乱して闇雲に武器を振るう兵士に目もくれず、その目玉を抉り抜いた。正体不明の敵襲に際限なく拡大していく混乱の中、崚は同じことをずっと繰り返しながら歩みを進めていった。鬱陶しい羽虫を払うがごとく、道の小石を退けるがごとく。

 「神器は“魔”を狩るための祭具であって、人を傷つけるための兵器ではない」――カヤたちの説明が脳裏に蘇る。不可思議なことにその前提は崩れているが、しかし裏を返せば、“魔”として――『斃すべき敵』として認定さえしてしまえば、その権能を最大限稼働させて殺戮を展開することができる。過程がどうあれ、結果として敵性判定が成立してしまえばこの通り、あっさりと虐殺することができるのだ。まるで、害獣駆除か何かのように。

 この兵士たちも、もとは立派にこの世界を生きる人間だ。たまたま利害が衝突し、たまたま敵対関係に陥り、たまたま神器の『敵認定』に適ったに過ぎない。だというのに、こんなにも無惨に殺して回ることができる。できてしまう。『不要』と見做されれば、『有害』と見做されれば、こんなにも酷薄な所業が可能なのか。こんな残酷なものが、正しい理の在りよう(・・・・・・・・・)だとでもいうのか。



(……冗談じゃねえ)



 凍り付いたかのような心胆が、ただその歩みを鈍くした。速さが肝要。混乱が収まらぬうちに、なるべく被害を拡大させなければならない。今更足を止めても無駄――頭で分かっていても、足が動かない。それを為す気力が、一向に奮わない。崚はただ機械的に刃を振るいながら、重い足を力ずくで動かした。その過程で振るわれた黒刃が、数十人の命を消していった。

 黒刃を振るいながらのろのろと、しかし闇の権能によって空間を飛び越え、縦横無尽に歩き続ける崚の視界に、巨大な鉄の塊が姿を現した。十字に割れた巨大な砲門が、シドー雷撃砲という名前の魔導兵器だということは、崚の知るべくもない。問題は、それが硬く分厚い鋼でできていることだった。闇を這う晦冥の湾刀(イーレグラム)の黒刃は、しかしあくまでも崚の腕力で振るわれるものであり、人智を凌ぐ破壊力を発揮するには足りない。だがここで退魔の光剣(エウトルーガ)の権能に切り替えてしまうと、これまでの隠密を可能にしてきた闇の衣が剥がれてしまう。しかし、これを放置していると、今度はクライドが危険に晒される。……



(――仕方ない)



 ――ぎち、と歯車を組み替える。

 崚の姿を覆い隠していた闇が、融けるように掻き消えた。その下に現れた白刃が、ぎらぎらと灼熱の光を放つ。臨界寸前のそれを、崚は力いっぱい振り上げた。

 ぶわりと溢れ出た白光がシドー雷撃砲に殺到し、丸ごと呑み込むように炸裂した。野戦陣をまるごと覆い尽くす勢いで放散するその凶光は、ほんの一瞬で掻き消えた。後に残ったのは、灼熱で焼き斬られ熔解する鉄の残骸と、白光に巻き込まれた兵士たちの焼け焦げた死体が、数十。

 突然の閃光と、炸裂。その跡に残された、見るも無残な魔導兵器の残骸と幾人もの仲間たちの死体に、兵士たちの動揺がさらに広がった。もはや迎撃指揮どころではない、恐慌すら始まっている。

 しかし同時に、何人かが唐突に姿を現した崚を目撃し、思わず戦闘態勢をとった。混乱のど真ん中に出現してしまえば、もう身隠しどころではない。咄嗟に突き出された槍をひらりと躱すと、崚は星剣を水平に構え、ぶおんと平薙ぎに振るった。ぶわりと溢れ出す白光が兵士たちを呑み込み、その焦熱で胴を焼き焦がすと、両断された兵士たちはどうと身を崩した。瞬く間に仕留められた仲間たちの無惨な姿に、一間離れた兵士たちは思わず腰が引けた。



「――見つけたぞ、匪賊め!」



 だが、そんな兵士たちを押し退けるように、一人の騎士が飛び出した。レノーン正規軍の豪奢な紋章が刻まれたサーコートを身に纏い、重厚な斧槍を携えた重装歩兵。――くさい(・・・)、と崚は即座に違和感を抱いた。この感じは、普通の兵士ではない。何か、魔力に類するものが作用している。



「せ、“聖徒”様だ!」

「エッカルド卿、エッカルド卿だ!」

「おい皆、卿を援護しろ!」



 一方、周囲の兵士たちは騎士ことエッカルドの登場に顔を輝かせ、士気を取り戻した。彼らの言う“聖徒”の意味するところは分からないが、どうやら精鋭の騎士らしい。崚はただ無表情のまま、だらりと下段に刀を構えるだけだった。そんな崚の態度を臆したと見做したのか、どうか。エッカルドは意気揚々と斧槍を構えて口を開いた。



「貴様が例の使徒もどきだな! 一人で来るとは見上げた度胸だ!

 しかァし! これ以上好きにはさせん! この“聖徒”エッカルド・フンボルトが貴様を討ち取ってみせ――ぐはっ!?」



 斧槍を高く掲げ、大仰な口上を述べるエッカルトを遮るように、その周囲から光の剣気が迸り、それぞれに五体へ突き刺さった。金属板の隙間と関節の薄い肉を突き破り、ずくずくと神経を焼き焦がす。その痛苦に、エッカルドは思わずのけぞった。

 ――ぎち、と歯車を組み替える。



「おぐっ……!?」



 黒い剣閃が奔り、エッカルドの無防備な喉首へと突き刺さった。空間を歪めて放たれた黒刃は、柔らかな鎖帷子で押し止めるには至らず、エッカルドの喉に深々と差し込まれた。呼気と出血が喉を逆流し、エッカルドは窒息に陥った。それが最後の知覚となった。



「え、エッカルド卿……!?」



 一方、それを見守っていた兵士たちの間には、大きな動揺が広がった。複雑な儀式を経て選ばれた“聖徒”、それが手も足も出ないままに討ち取られた事実を受け止めきれず、憔悴に襲われる。思わず硬直した兵士たちの前で、崚は刀を翻して逆手に握ると、その身で隠すように背後に構えた。

 ――ぎち、と歯車を組み替える。

 一瞬だけ、闇が野戦陣を覆い尽くした。焚火も、松明も、燃え上がる天幕も、焼け焦げた焼死体も、その輝きのすべてが消失した。生き残った兵士たちは、闇に呑まれた錯覚に襲われた。

 そうではない。光が奪われたのだ(・・・・・・・・)。光を放つものが、照り返すものが、その輝きの総てがあるべき場所から離れ、ひとところに掻き集められたのだ。ぎちぎちと軋む音を立て、ぎらぎらと灼光を放つ崚の白刃へ。

 ――退魔の光剣(エウトルーガ)は、光を支配する神器。その権能を以てすれば、周囲の光を奪い己が力とすることをも可能とする。



「――ふぅッ!」



 刃に収束する光が臨界を超え、崚自身すら焼き尽くす直前に、崚は横薙ぎに振り抜いた。ぶわりと閃光が溢れ出し、野戦陣を襲った。赤黒の夜を引き千切るような灼光に、その場にいる幾十の兵士たちが呑み込まれ、絶叫すら塞がれて絶命した。

 目も眩む灼光が消失し、赤黒の闇と少々の灯りが戻ってきた。野戦陣に、荒れ果てた巨大な空白が生まれた。その向こう側、辛うじて灼光から逃れた兵士たちは、目の前の地獄のような光景にたじろぎ、踏み出すことができなかった。

 好機。火傷で赤く爛れた手を強く握り込むと、崚はぎらりと酷薄な笑みを見せつけた。



「――さあ、第二幕だ。敲床舞踏(タップダンス)といこうぜ!」



 そうして無理矢理に鼓舞しなければ、とても前に進めなかった。






 ◇ ◇ ◇








「報告! 使徒もどきと思しき敵勢力を確認しました! 数は一!」



 野戦陣中央、司令部。夜半に急遽掻き集められた幕僚たちは、その報告に思い切り度肝を抜かれた。



「い、一!? 単騎で来たというのか!?」

「先の火災と併せて、すでに二百人以上の被害が出ています! 現在もなお拡大中!」



 幕僚たちは揃って唖然とした。なにか悪夢を見せられているかのような錯覚に襲われた。たった一人で、二百人以上を壊滅? それも、未だ拡大中? まるで捕捉できていないというのか? 僭徒どころではない、一騎当千の強者ではないか。



「“聖徒”を送り込め! 何としてでも殺せ!」

「そ、それが――エッカルド卿、レイネス卿、バルナバス卿との連絡が取れません!」

「ば、馬鹿な……!?」



 半狂乱に命じる幕僚の言葉に、しかし伝令兵は最悪をなお下回る報告を述べた。たった十人しかいない“聖徒”の、すでに三分の一が討ち取られているということではないか。まさに一騎当千の精兵を目指し、数十人の犠牲を経て術式確立した“聖徒”たちを、たった十人(・・・・・)と認識している時点で、すでに彼らは精神的に追い込まれていた。

 ぼん、と遠くで爆音が響いた。それは天幕ひとつ揺らすことも叶わない遠い残響だったが、動揺しきった幕僚たちの混乱を煽るには充分だった。



「こ、今度はなんだ!?」



 憔悴する天幕内に、もう一人の伝令兵が飛び込んできた。



「――報告! 前方より(・・・・)敵勢力の進攻を確認! 数は一!」



 荒い息混じりで発せられたその報告が、天幕内に新たな動揺をもたらしたことは語るまでもあるまい。

 この機を狙っていたのは間違いないだろう。だが、またしても単騎? しかも、報告を要する強敵たり得ると?



「前方から!? 何者だ!?」

「対象は火焔の魔導兵器と思しき武器を携行! 周辺で火災が発生し、被害はすでに五十以上、勢いを止められません!」

「ど、どうする――!?」



 もはや定石もへったくれもない。たかが二騎、しかも分断された兵力にいいようにされるなど、誇りも尊厳もあったものではない。憔悴しきった幕僚たちは、



「――生き残っている“聖徒”を全て前衛部隊に回せ! 総掛かりで抑え込み、何としてでもここ(・・)を守り抜け!」



 保身に走った。

 勝利の栄誉より、至高の使命より、死への恐怖が勝った。どのみち、対少数の戦闘ならば、“聖徒”の配置が鍵となる。ここで出し惜しみをしている場合ではない。



「しかし、それでは使徒もどきが――」

「“聖徒長”ロードリック卿をぶつけろ! 相手は一人だ、周囲の兵士と合わせて押し潰せ!!」






 ◇ ◇ ◇






「おおおおおッッ!!」



 “破邪の焔”――灼熱を滾らせながら疾走するクライドは、長槍を力いっぱい振るった。術も理もあったものではない、ひたすらに目の前を橙色に染める力任せの一撃。その激情を魔力に変換し、巨大な炎の刃と化したそれは、幾十の兵士たちと天幕を巻き込んで余りある暴力と化した。ごうごうと広がる火焔が、兵士たちの悲鳴を呑み込み、ぶすぶすとした黒煙となって赤黒の夜を汚していった。

 クライドの強みは、己の得物が火焔を司ることだった。その灼熱は金属鎧をも透徹し、その炎は延焼して被害を拡大する。注意が逸れていたころの不意討ちとはいえ、たかが一騎の兵力を大きく超える戦禍を挙げ続けていた。

 一歩でも前に。一秒でも速く。一人でも多く――クライドの脳裏は、それだけに満たされていた。他のことを考えている余地はなかった。火焔の壁の向こう側にいる兵士たちの悲鳴も、そのさらに遠くで兵士たちを惑わすゴーシュの撹乱も、欠片ほどにも考える余裕はなかった。この勢いが止む前に、自分が襲われる側に回る前に、彼方の戦友が危機に陥る前に――



「――むっ!?」



 炎の壁を突き破った一撃に、クライドは思わず足を止めて防御した。軽い衝撃を伴う半透明のそれは――水流? ぼうぼうと滾っていた穂先が、その勢いを弱めている。

 勢いの止んだ炎を掻き分けて、二人の騎士が現れた。レノーン正規軍の豪奢な紋章が刻まれたサーコートを身に纏い、長剣を携えた騎士。クライドは、咄嗟に何とも言えぬ違和感を抱いた。



「――単騎か。勇敢と称えるべきか、蛮勇と嘲るべきか。いずれにせよ、舐められたものだな」

「よせ、アロイジウス卿。どうやら相手も騎士だ、侮辱は許されんぞ」



 悠然と会話する二人は、しかしクライドの一挙手一投足を油断なく見据えている。ぽたりと落ちる残影は、水の魔術を放った残滓か。只者ではない雰囲気の二人に、クライドはぎりりと歯ぎしりしながら長槍を構え直した。



「騎士よ、名を訊いておこう。

 私はコンラート・ギーゼキング。レノーン聖王国より“聖徒”の資格を拝――」

「――邪魔だァァァッ!」



 騎士ことコンラートの口上を遮るように、クライドが咆哮とともに吶喊し、勢い任せに長槍を振り下ろした。音すら置き去りにする穂先からぼうと火焔が迸り、二人を咄嗟に大きく飛び退かせ、黒い焦げ跡となって分断する。



「……ほう? 騎士の誇りを持ち合わせていると思ったが、思い違いか」

「止めておけ、コンラート卿。彼奴は手負いの獣らしい。――つまり、もっとも恐るべき敵だ」



 名乗り上げを遮られて不満げなコンラートとは対照的に、アロイジウスは目つきを変えた。相手は単騎、こちらの圧倒的多数を相手にかかずらっている余裕はあるまい。加えて、初対面の二人でも分かるこの激情は、傷を負った瀕死の獣、あるいは我が子を守る猛獣のような印象を与えた。何を措いても目の前の敵を殺戮する――その気迫は、決して油断ならない強敵と化す。

 ともあれ、敵は敵。二人の騎士は裡に宿る魔力を迸らせ、その手の長剣に纏わせると、一気呵成に攻め込んだ。



「ふんッ!」

「ぬぅん!」

「くっ……!」



 二方向から迫る刃を、長槍を構えて受け止めるクライド。後天的に身体能力を調整された“聖徒”の膂力は、クライドの五体を透徹せんばかりに強い衝撃を与え、苦悶の声を上げさせた。

 ぼおと穂先から火焔を噴き出し、クライドは力ずくで振り払った。その灼熱は魔導騎士二人をしてなお、これは堪らぬと飛び退かせ――ない。コンラートの剣から半透明の色彩が溢れ出すと、その激流が火焔と衝突し、あっという間に掻き消した。先の炎の壁を破った、水の魔術だ。好機とばかりに振り下ろされたアロイジウスの輝剣を見、堪らぬとばかりに飛び退かされたのはクライドの方だった。



「どうした、その程度か!?」

「――くそ……っ!」



 挑発の言葉と共に、アロイジウスが攻め立てる。レノーン聖騎士隊でも選りすぐりの“聖徒”の苛烈な攻撃は、クライドをして防戦一方に追い込んだ。何とか火焔で打開を試みたところで、その度にコンラートが水の魔術で相殺する。これでは、体力を消耗する一方だ。

 打つ手がない――と苦悶に囚われたその時、彼方からひゅんと鎖鎌が飛来し、コンラートの首に巻き付いた。



「なっ!?」



 視界外からの攻撃に用意がなかったコンラートは、反応に一歩遅れた。その間隙を突くかのように、鎖鎌がずりずりと巻き取られ、コンラートの体勢を崩す。ぐいと首を締め上げ、僅かに鎖帷子と首肉を抉りながら、勢いよく巻き上げられるその先にあったのは――右腕を鎖鎌に変態させ、左腕を捩じくれた刃の束に変態させたゴーシュ。

 コンラートが彼の存在に気付いたその瞬間、ゴーシュは無言で左腕を突き出した。ぎゅるぎゅると唸りを上げて高速回転する刃が、コンラートの纏う金属鎧を削り貫徹していく。刃の先にあるのは、左胸――心臓。



「――おおおおおっっ!?」



 突然現れた第三者、その容赦ない攻撃に、コンラートは野太い悲鳴を上げた。右手から迸る水の魔術――効かない。乱雑に放たれた一撃は、しかしゴーシュがひょいと身を捻っただけで躱された。咄嗟に両手で刃を掴む――効かない。高速回転する刃は、その籠手(ガントレット)越しにコンラートの丈夫な手を巻き込んで切り刻み、肉と骨を抉り取る。ぶちぶちと不愉快な音を立てながら己の心臓が貫かれていくのを、コンラートは止めることができなかった。

 一方、クライドと刃を交わしていたアロイジウス。同輩が引っ張られていくのをちらりと見たきり、再び目の前の敵に向き直っていた。ここで気を取られ背後を晒しては、その隙をこの騎士に討ち取られる。それだけ油断ならない敵だった。



「なるほど、単騎ではなかったか!

 いずれにせよ、貴様らの末路は変わらん――ここで死ぬがいい!」



 そう言うと、アロイジウスは左手に蒼光を収束させ、もう一振りの長剣を現出させた。

 二刀流になり、いっそう苛烈に攻め立てるアロイジウス。魔力を纏う怒涛の斬撃に対し、クライドは長槍を巧みに操り凌いでいった。硬い鋼同士の衝突に、ぎゃりぎゃりと甲高い音が響き渡った。

 かつて崚と争った時、それ以上を思わせる激しい攻勢。膂力こそ並みの兵士を超える“聖徒”の攻撃は、しかし片手振りゆえに軽い。加えて慣性によって安定しない体幹は、一見隙の無い斬撃の嵐に、ほんの一瞬の空白を生み出した。

 好機。クライドは咄嗟に屈み、炎を噴き出しながらアロイジウスの足を薙ぎ払った。



「せいっ!」

「ぬうっ!?」



 まさかの反撃に、今度はアロイジウスの方が苦悶の声を上げた。

 それだけでは終わらない。クライドは慣性に身を任せながら火焔を振るい、炎の嵐を巻き起こした。反射的に両剣を構え防御するアロイジウスだが、取り囲む灼熱を前にはほとんど意味がない。

 ――橙色の囲いを突き破り、長槍の石突が飛び込んできた。



「うごっ!?」



 掬い上げるように振り上げられた石突が、アロイジウスの顎を鋭くかち上げる。思わずのけぞったアロイジウスの目の前で、炎の嵐が収束し球状に形を変えた。炎の檻だ。

 その炎を上から突き破ったクライドの両脚が、のけぞったアロイジウスの胴を足場に着地する。クライドは長槍を大きく振りかぶると、その真下――アロイジウスの胴へと穂先を突き立てた。



「食らえぇぇぇ――ッ!!」

「ぬぅぅぅぅっっ!!」



 咄嗟に長剣を交差させるも、その間隙をすり抜けた穂先が金属鎧に当たり、ぎゃりぎゃりと甲高い音を立てる。アロイジウスは反射的に剣を取り落とし、両手で穂先を掴んだ。長い刃で斬り裂かれた手から血が滲み出るも、高熱で蒸発していく。

 そのまま、二人の間で鬩ぎあいが始まった。中空で踏ん張りが利かない。己の炎で足元が焼ける。熱い。痛い。苦しい――知ったことか気合で押し込め!



「ぐ……が……!」



 激しい炎は、酸素を急激に消耗する。分厚い炎の檻に閉じ込められたアロイジウスは、急速に息苦しさを覚え、その強固な体躯に纏う筋力を弱めていった。ぼうぼうと燃える火焔の中で、みしみしと軋む音を立てながら、橙色の穂先が鎧に食い込んでいく。

 ――ぎち、と鈍い音を立てて、橙色の穂先がアロイジウスの鎧を突き破り、その奥の筋肉に突き刺さった。

 今こそ。アロイジウスを取り囲んでいた炎の檻が解かれ、クライドの長槍へと収束すると、いま一度強く突き込まれたその穂先――筋肉に差し込まれた刃からぶくりと噴き出した。



「がぁぁ……っ!」



 身体の内側(・・・・・)から焼かれる(・・・・・・)という壮絶な痛苦に、アロイジウスは絶叫した。その口から炎が漏れ出ると、それきりアロイジウスはどさりと倒れ伏した。

 黒焦げ死体の上で、クライドは荒い息を吐いた。そこにするりと駆け寄ったのは、疲労の色を見せない鉄面皮の男。両腕とコートを夥しい返り血で染めたゴーシュだった。



「クライド卿。大丈夫かね」

「えぇ……何とか……」



 いつもの調子で声をかけるゴーシュに対し、クライドは深呼吸をしながら答えた。“聖徒”を相手に無茶をしているのは明らかだったが、ゴーシュは一切斟酌しなかった。



「では、もう少し堪えたまえ。――修羅場はこれからのようだ」



 その言葉を合図とするかのように、四つ(・・)の影が姿を現した。

 蒼光の尾を引く斧槍を持った騎士。両腕に蒼炎を灯す騎士。背から二つの腕を生やした四刀流の騎士。身の丈ほどもある大弓を携えた騎士。

 ――“聖徒”、四騎。レノーン聖都軍最高峰の戦力が、二人の前に立ち塞がった。



不忍の衣

 晦冥の湾刀(イーレグラム)の戦技

 闇の力で身を包み、姿と気配を隠す

 「目の前に在りながら見落とす」という矛盾すら実現する


 闇を纏い、闇そのものと化す

 それは、自ら闇に溶ける危機を負うことになる

 それすら善しと思えねば、成せぬ業である

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