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神宿ル劍  作者: 竹河参号
05章 正しき理の在処
62/78

07.分断

命核結晶

 カドレナ公女、シルヴィアが扱う魔術触媒のひとつ

 魔力を込めて魔術式を起動し、即席の傀儡(ルスゴム)を生成する

 傀儡(ルスゴム)は周囲の無機物を取り込んで実体化し、自律行動を開始する


 傀儡(ルスゴム)は、石や鉄で構成された人工の使い魔である

 意志はなく、中核となる魔術式に基づいて活動する

 傀儡(ルスゴム)の出来が、魔術師の技量を表すとされる

 濁流のように押し寄せる死に蠢く(エンピエル)の襲撃は、ほぼ夜通し続いた。

 基本はカヤが防ぎ、崚とクライドとエレナが攻める。シルヴィアとモルガダ、傭兵たちは後詰めとして控え、三人の休憩と入れ替わるように亡者たちを追い払う――その繰り返し。汚れた赤黒の闇は、時刻感覚を曖昧にさせ、永遠と錯覚させるほどの疲弊を強いた。ようやく腐肉共の襲撃が止んだ頃には、ヘスの刻(午前二時ごろ)に差し掛かっていたと気付くことができたのは、果たして何人いたものか。少なくとも、これでお仕舞いだと安堵することができた者は、一人としていなかった。死に蠢く(エンピエル)は現れなくなったが、次に何が襲ってくるか分からない。魔力汚染による尋常ならざる光景も相まって、一行はまんじりともしない夜を過ごす羽目になった。



「……はぁ……」



 明けること、ヌーの刻(午前八時ごろ)。赤黒の空の東、仄明るい光の円が姿を現したのを見て、一行はようやく朝が訪れたことを悟った。疲労と寝不足で困憊しながらも、ようやく人心地ついたと、一同の間に安堵が広がった。一刻を争う道行きとはいえ、消耗した体力を取り戻さなければ前に進むことができない。その気の緩みを油断というべきか、どうか。

 がたがたと硬いものが地面を叩く音を、最初に聞きつけたのは誰だったか。――馬の蹄だ。騎馬が迫りくる音だ。



「――おおおおっ!!」

「うわーっ!?」



 その正体を訝しむまでもなく、林から複数の騎馬が躍り出た。

 真銀の甲冑と紅いサーコートに身を包んだ、騎兵小隊である。咆哮とともに重厚な斧槍を振り上げ、黄金色の結界へと飛び掛かってきた騎兵は五騎。



「ギャーッ!」

「ぬぅっ、結界か!」



 大仰な悲鳴を上げる団員の一人レインの目の前で、ぐにゃりとした感触とともに結界を横滑りする斧槍に、騎兵たちは苦い表情を浮かべた。こと守りにおいて、法術結界の右に出るものはない。尋常の武器で立ち向かうのは不利だ。



「――あの紋章! レノーン軍の騎士っス!」

「ヤロウ、もう来やがったのか!?」



 そんな騎兵たちの一人、そのサーコートの紋章を見咎めたラグの叫びに、カルタスが動揺の声を上げた。オーヴェルヌスからここまで、かなりの距離を走ってきたはずだが、もう追い付かれたというのか。



「――ちっ、一旦戻るぞ!」



 一方、奇襲に失敗した騎兵たちも、舌打ちをしながら旋回した。もとより、騎兵隊とは速度を活かした奇襲と一撃離脱に特化した編成である。頭数に劣る上、相手は聖都襲撃に成功しここまで逃走した手練れだ、これ以上拘泥するのは得策ではない。



「あっ、あいつら逃げる気だぞ!」

「――止めて! 本隊と合流するつもりよ!」



 それを見咎めた団員の一人ノーマンの反応に、シルヴィアが目の色を変えて叫んだ。

 とはいえ、寝不足で疲弊しきっている傭兵たちだ。反転し林の向こうへと駆けていく騎兵たちを、咄嗟に押し止めるだけの余力も、馬に飛び乗って追い縋るだけの気力も残っていない。なすすべもなく見送るしかなかったが――

 ――ぎち、と歯車を咬合させる。



「――ふんッ!」



 真っ先に闇に飛び込んだ崚が、その向こう側――駆け抜ける騎兵の一人の背に飛び掛かり、その甲冑の隙間に刀を差し込んだ。ぎちぎちと金属が擦れる音が、ずぶりと肉を貫く感触に上書きされた。



「がはっ……!?」

「なにっ!?」



 突然の襲撃に動揺したのは、穿たれた本人はもとより、併走してた騎兵たちだ。馬より、あるいは弓矢より(はや)いものを知らない彼らにとって、『瞬間移動』とは全く理解できない概念だった。そんなものは、魔術の域ではないか!

 そして当然、その決定的な隙を見逃す崚ではない。

 ――ぎち、と歯車を組み替える。



「ずぇいッ!」

「がぁぁっ!」



 騎兵の背中を貫いた刀のまま、崚はぶんと力任せに振り回した。その甲冑の隙間から白光がぶわりと溢れ出し、真銀を突き破って光の大剣と化す。横薙ぎに振るわれた回転斬りは光輝の大渦となり、残る四騎を呑み込んだ。

 赤黒の朝日を呑み込むような強烈な光熱に、騎兵たちは悲鳴を上げながら焼き焦がされ、そのまま絶命した。巻き込まれた騎馬たちは、騎上の焼け焦げた死体とともにどうと横に倒れ、それきり沈黙が流れた。



「……もうあいつ一人でいいんじゃないっすかね」



 団員の一人エタンの呟きに、傭兵たちのほとんどが無言で同意した。空間転移による縦横無尽な機動に、全身甲冑(フルプレート)すら意味をなさない光熱の斬撃。騎兵小隊すら一息で仕留めることができるなど、まさに一騎当千の怪物にも匹敵する。つくづく味方でよかった、と傭兵たちは半ば呆れるしかなかった。

 一方、そんな弛緩した空気に混ざれない者がいた。愕然と立ち尽くすカヤである。



「そんな……どうして……!?」



 震えるその声は、刀を引き抜いて馬から飛び降り、ぶんと返り血を払う崚に向けられた。

 そんなはずがない(・・・・・・・・)。神器とは、権能とは、人を護るためにあるものだ。いくら使徒と敵対しているとはいえ、無辜の只人を害することなどできるはずがない。あっていいはずがない。それはもはや、“大いなる理”に対する冒涜だ。



「――マズいわよ」



 また他方、シルヴィアは騎兵たちの遺骸へといち早く駆け寄り、サーコートに刻まれた紋章を検めていた。見る見るうちに暗くなっていく表情に、何やら不吉なものを覚えたカルドクが歩み寄る。



「どうした、公女さん」

「この紋章……レノーン聖都軍の紋章よ。レノーン軍の、精鋭が迫ってきてる」



 シルヴィアの返答に、さしものカルドクもぎょっと目の色を変えた。つまりこの騎兵たちは、たまたま巡回していた雑兵ではなく、正式に編成された追走隊の先遣ということだ。



「――セト! あっちの高台から見てこい!」

「さ、さっき馬かっぱらって行っちゃいました!」

「あんの野郎ォ……!」



 団員たちへ振り返り叫んだ団長の言葉に、しかし応えたのはセト本人ではなく、団員の一人クレイだった。その言葉通り、本人に加え騎馬の一頭がいない。肝心なところで独断専行をやらかす森人(ケステム)に、元々気の短いカルドクは、ただ地団駄を踏むことしかできなかった。



「とにかく急いで! 馬交換してる暇もないわ、全速力で逃げるわよ!」

「に、逃げるって言ったって……!」

「ぼーっとしてたって始まんないでしょ! ほら駆け足!」

「は、はいぃぃっ……!」



 シルヴィアの鋭い檄に、傭兵たちは尻を蹴り上げられるように駆け出した。まさに休んでいる暇もない。慌てて馬を繋ぎ直し、荷物を幌馬車(キャラバン)に積み込む。がやがやと騒がしくなった一同の許へ、一頭の騎馬が駆けてきた。



「団長。拙いことになった」

「セトさん!」



 つんのめるように騎馬を押し止め、半ば飛び降りるように下馬したのは、美しい銀髪を土埃で汚した森人(ケステム)――セトだ。団員の一人グライスに騎馬を押し付けるのと、団員たちを掻き分けてカルドクが詰め寄ったのは、ほぼ同時だった。



「どうだった」

「軍勢が押し寄せてきている。とても応戦どころではない」

「数は?」



 団長カルドクの詰問に、セトはあくまで冷静に答えた。冷静であろうとする緊張感が、その横顔にあった。

 先遣の様子からして、追走隊の本隊が迫っていることは間違いない。問題は、その数だ。どれだけの軍勢が迫っているというのか――



「目算で、五千」

「――ご、ごせっ……!?」



 その言葉に、誰もが唖然とした。一瞬、言葉の意味が理解できなかった。ごせん? ごせんって、あの五千? そんな大軍勢が、自分たちを追ってきているというのか?



「……ば……バカじゃねーの!? こっち、三十しかいないんだぜ!?」

「……ウソだろ……!? 昨日の今日で、いきなり……!?」

「騎兵隊、歩兵隊――動きは遅いが、構成は複雑だ。土地勘もないここに留まっていたところで、囲まれるだけだ」

「はァー……天下のレノーン聖王国サマが、こんな雑兵相手に巻き狩りだとよ。切羽詰まってんなァ、おい」

「冗談言ってる場合じゃないでしょ!」



 ようやく脳の処理が追いつき、ざわざわと動揺が広がる一行。カルドクでさえ、乾いた声で冗句を垂れるのが精一杯だった。誰もが思わず作業の手を止めた。止めざるを得なかった。どうする? どうしたらいい? どうやったら、五千という大軍から逃げ切ることができるというんだ? 味方の一人もいない、孤立したこの地で?



「ただ、まだ遠い。動きから言っても、こちらの詳細までは掴み切れていないのだろう。接触までには、一日ほど要ると思う」

「ど、ど、どうします……!?」



 付け足されたセトの推測は、果たして朗報たり得るか。少なくともラグにとってはそうではなく、ただ震え声で狼狽えるばかりだった。他の一同も似たようなものだった。

 どうする。どうする。どうする。どうする。どうするどうするどうするどうするどうするどうするどうする――ぐるぐると空転する脳は、しかし一向に明朗な解答を叩き出さない。つまり、どう足掻いてもどん詰まりだ。



「――んなもん、逃げるっきゃないでしょ! ほら急いで!」

「で、でも……!」



 停滞した空気を、シルヴィアの鋭い声が無理矢理に引き裂く。ほとんど悲鳴に近いそれに、傭兵たちも縋り切ることができなかった。

 その空気を叩き壊したのは、納刀しつつ冷静に歩み寄る崚だった。



「こっちもみんな疲弊してる。ただ逃げたところで、関所に阻まれているうちに追い付かれるのがオチだろ。

 どっかで、連中の足止めをしないと間に合わない」

「んなこと言ったって……!」



 非情なほど正確で、無慈悲なほど現実的な物言いに、シルヴィアが反射的に噛み付く。だがその顔を見て、彼女は言い知れぬ違和感を抱いた。諦めるでもなく、現実逃避するでもなく、不気味なほど落ち着いている。落ち着き過ぎている(・・・・・・・・・)

 ――では、迎撃? それこそ無茶だ。無学な傭兵たちでも分かる算数の問題は、勇猛果敢な戦士たちの気概を折るには充分すぎた。



「こ、公女サマの魔法でぼかーんとか……!」

「昨日のあれをまたやれって? 無茶言わないで。本当だったら星辰を合わせて、万全の機会に儀式をしなきゃいけないの。今回成功したのだって、半分奇跡みたいなもんなのよ」

「そんなぁ……!」



 団員の一人グランの縋るような言葉も、当のシルヴィアには無情に切って捨てることしかなかった。まさに万事休す、八方塞がりだ。これ以上、何をどうしろと言うのか。

 しかし、崚が言い放ったのは、まったく予想外の一言だった。



「俺が行く」

「……え?」



 毅然と放たれた言葉に、間抜けな声を返したのは誰だったか。唖然とする一同をよそに、崚は冷然と言葉を重ねた。



「俺が、連中を足止めしてきます。皆さんはその間に、“ニュクスの森”まで突っ走ってください」

「はぁ――!?」

「ば、馬鹿野郎! お前がいないと話にならないだろうが!」

「それに、一人でなんて無茶だよ!」



 ようやく理解の追い付いた一同が、口々に制止の声を上げる。しかし、覚悟を決めた硬い表情の崚を崩すことはできなかった。

 何かが(おか)しい。ただの自暴自棄ではなく、何か確信めいたものがある――その違和感の正体へと辿り着いたのは、慄然とするカヤだった。



「――リョウさん、まさか……!?」

「はい。使えてます(・・・・・)

「……え、何? どーゆーこと?」



 符牒すら交わさない短いやり取りに、置いてけぼりを食らったのは傭兵たちだ。何が何やら、と困惑する彼らをよそに、もう一人、シルヴィアがひとつの推測へ辿り着いた。



「――まさか……権能が、使えてるの?」

「ああ。人を傷付けないはずの――人を殺さないはずの権能が、使えてる。それで、戦える」

「だ、だったら……!」



 かすかな震えを伴うシルヴィアの問いと、それに毅然と答える崚に、団員たちはようやく希望の光を見出し、揃って顔を輝かせた。しかし、それを聞いていたカヤは今にも卒倒しそうな表情を浮かべ、シルヴィアもまた、その顔の憂いを晴らすことはなかった。



「リョウさん! なりません、そんなことは……!」

「無茶よ、物量が違い過ぎる。いくら権能ありきだろうと、五千対一なんて話にならないわ。幼児でも分かることよ」

「そこはまあ、作戦次第。幸い、俺なら(・・・)できそうな策がいっこだけある」

「だからって――」

「ここでうだうだやってても始まんねーだろ。やれることやんなきゃ、待ってるのは全滅だ」

「神器とは“世界の理”そのものです! それをヒトの血で穢す(・・・・・・・)など、あってはなりません!」

「じゃあこのまま連中に嬲り殺されて、共倒れで世界も滅ぼしますか」

「それは――ですが――!」



 それぞれに制止を試みる二人に対し、頑として譲らぬ崚との押し問答が始まった。

 いけるかもしれない。いや無理だ。あっていいはずがない。他の余地がない。できるものか。もし仕損じたら――希望と絶望が綯交(ないま)ぜになり、一同の混乱は際限なく広がる。こうして時間を浪費すること自体が悪手だと分かっていながら、しかし決断に至ることができない。そんな空気を切り裂いたのは、他ならぬ崚の一言だった。



俺が撒いた種だ(・・・・・・・)。刈り取んのも、俺の始末のうちだろ」



 そう言ったきり、崚は踵を返して歩き出した。あらゆる反論を振り切って行く先は、レノーン軍の騎兵たちが現れた林――一行がまる一日かけて逃げ延びた距離を、逆戻す道行き。

 迷いなく進む彼を、引き留める者は現れなかった。説得を諦めた者、絶望に言葉を失う者、一縷の希望を託す者――それぞれに、引き留める術を持たなかった。誰もが、心のどこかで解っていた。こうして崚に託すことを、崚に押し付ける(・・・・・・・)ことを避けられないと。



「――だめ! だめだよ、リョウ!」



 ただ一人、エレナを除いて。

 ずかずかと歩く崚を走って追い抜き、その歩みを遮るように立ちはだかる。息を荒げて両手を広げ、絶対に先へ行かせぬとばかりに、崚の前に立ち塞がった。突然の暴挙に一同がぎょっとする中、崚はただ無言で立ち止まり、冷淡な視線を向けた。



「行っちゃだめ! ひとりで行くなんて、だめだよ!

 何か――何か、方法があるはず……! みんなで乗り越えようよ! みんなで生き延びようよ! そのために頑張ってるんでしょ!?」

「エレナ様……」



 声を嗄らして叫び、頑として譲らないエレナに、誰も続かなかった。エリスでさえ、か細い声で制止することしかできなかった。



「捨て鉢になっちゃだめ! ひとりで背負うなんて――ひとりで命を捨てるなんて、だめだよ!!」



 それでも、彼女は譲らなかった。

 ――この少年を往かせてはいけない。独りにしてはいけない。今往かせてしまえば、きっと死ぬまで戦い続けることになる。そのために(・・・・・)往こうとしている(・・・・・・・・)。自分の命すら抵当に入れて、帰り途のない戦場に身を投げ込もうとしている。そんなもののために、自分の命を使い潰そうとしている!

 体を張って、意地でも止めようとするエレナの言葉に、崚の答えは――



「――悪い」



 短い一言と、重い拳打だった。



「かは……っ」



 重く深い一撃がエレナのみぞおちに突き刺さり、その肺から空気を押し出す。咄嗟に酸欠に陥り、強制的に意識を飛ばされたエレナの身体が、そのままぐったりと(くずお)れた。それを即座に抱き留めた崚は、ただ無感情にその顔を見下ろした。



「エレナ様!」

「エレナ!」



 突然の暴挙に、周囲が慌てて駆け寄る。そのまま失神したエレナを抱きかかえる崚は、駆け寄るエリスへと、半ば強引に押し付けた。



「こいつのことは、任した」

「リョウ殿……ですが……!」



 感情を消した硬い表情で言う崚に対し、エリスはただ、腕の中で気を失っている主君と、目の前の少年とを交互に見やり、困惑に呻くことしかできなかった。往かせてはならない――主君(エレナ)の想いは痛いほど分かる。しかし戦士ならぬ彼女では、この窮地をくぐり抜ける方法を思いつかなかった。

 もはや趨勢は動かない。諦念とともに、シルヴィアは息を吐いた。



「――分かった。せいぜい死なないよう、頑張ってきなさい」

「シルヴィア様!」



 そう捨て台詞を吐くと、シルヴィアは踵を返して馬車へと戻っていった。モルガダも無言でそれに続き、馬車の支度にとりかかる。後に残されたのは、愕然と立ち尽くすだけのカヤと、エレナを抱えて動けないエリスと、おろおろと狼狽えるばかりの傭兵たち。

 それらすべてに背を向けて、崚は再び歩き出した。



「……お、おい、待て! 待てよ、このクソガキ!」



 団員の一人グライスが慌てて制止の声を飛ばしたが、崚は一切顧みることなく林に分け入っていく。あっという間に遠ざかっていく彼を止める者は、今度こそいなくなった。






 ◇ ◇ ◇






 踏み分けられた草叢(くさむら)が、ざりざりと擦れた音を立てる。オルステン歴七九一年の七月も半ばを過ぎ、浅い紅に色づき始めた木々が、肩で風を切る崚の勢いに葉を揺らした。

 すべてを振り切って歩く崚の後を、追い縋る人影があった。



「私も同行しよう」



 艶のない、鋼色の影――ゴーシュは、自らの足を止めることなく、而して崚の足をも止めることなく、静かに言った。その言葉に、崚は僅かに歩みを緩め、無言でちらりと視線を向けた。



「君も必要不可欠な戦力だ。生き残る可能性は、少しでも増やした方がいい」



 崚を制止するでもなく、かと言って承諾を求めるでもない一方的な宣告に、崚が返せる言葉はなかった。舌打ちすら出てこなかった。

 切り捨てようと、託そうと、この人はきっと聞き入れない。どうせ似た者同士(・・・・・)だ、何を考えているか、聞かずともだいたい分かる。



「それに、君の――晦冥の湾刀(イーレグラム)の使徒の戦い方なら、ある程度想像がつく。私の本分だ(・・・・・)

「……そうですか」

「あと、敵の方向はそちらではない。そちらでは、別の街道に逸れてしまう」

「…………そうですか」



 付け加えられた冷淡な諫言に、崚はようやく足を止めた。土地勘がないというのもあるが、この異界に来てから、何かと道を間違えやすくなった気がする。見慣れない景色に順応しきれていないのか、あるいは生来有していた性質が表面化しただけだろうか。

 ようやく足が止まった二人の許へ、息せき切って駆けてくる騎馬の姿があった。



「――待て!」



 長槍を背負って馬を駆り、振り返った二人の前でどうどうと急停止したのは、汗とともに金髪を振り乱すクライドだった。焦燥感と昨夜の疲労から荒い息を重ね、何とか息を整えながら二人を見下ろす彼に対し、崚は無言で刀を抜いて突きつけた。



「お前は戻れ」

「話は最後まで聞け!」



 問答無用とばかりに言い捨てる崚に対し、クライドは声を荒げた。一度決めたら絶対に譲らない、この少年の頑固さはよくよく承知しているが、彼とてここで引くわけにはいかない。そんな気勢を受け取った崚は、しかし相変わらず刀を突きつけて、拒絶を示すのみだった。



「お前は、戻れ。こんなところで命捨てるな」

「それは、お前だって――」

「あいつの騎士なんだろ。あいつ守るのが、お前の使命なんだろ。だったら、それをきっちり果たせ」



 馬上のクライドの胴へぴたりと突き付けられた刀から、ぴりりとした冷たい、しかし殺意のない気迫が放たれた。ゴーシュの際とは明確に異なる拒絶の意志が、クライドから反論の言葉を奪う。

 ――魔王や魔人たちだけでなく、いまやレノーンという国家すらも脅威となった。“魔”に対しては絶大な力を発揮する神器の権能も、ヒトの悪意の前には無力な宝物でしかない。エレナが脅威に晒されたその時、“神なる理”に依存しない、確かな戦力が必要になる。

 そして、それは自分ではない。彼女を守れるのは、ひたすら血に塗れるだけの自分ではないのだ。



「――任せられるの、お前しかいないんだよ」



 ぎゅうと握られた刀が軋んだ音を立て、微かに震えを見せた。努めて無表情を保とうとするその横顔に、その言葉に乗せられた無念に、クライドは思わず息を呑んだ。

 主君(エレナ)の想いが分かった。この少年を、ひとりで往かせてはならない。往かせてしまえば、彼は戻って来れないだろう。己の血と敵の血に塗れ、血で血を洗う修羅道に、自ら足を踏み入れようとしている。それこそが必定なのだと、避けようのない運命なのだと、自らを規定している。

 そしてそれ以外の道はない。神器の権能が使える以上、彼を殿としてこの死闘に挑ませるしかない。五千という大軍が相手では、クライドでも、ゴーシュでも役者不足だ。この少年を、屍山血河の地獄へと送り込むしかない。

 だったら、やれることはひとつだ。



「――そのエレナ様のために、お前を守るんだ。

 お前だって、エレナ様の大事な友達で――オレの、戦友だ。失うわけにはいかない」



 共に往く(・・・・)。共に戦い、共に傷付き、共に乗り越える。彼が背負う重責と苦痛、そして罪科を、少しでも肩代わりするために。

 果たしてその言葉は、崚の納得を得られなかった。刀を突きつけたまま、じろりと睨み上げるばかり。想定内だ、クライドも彼の頑固さはよく分かっている。崚が口を開いたその瞬間、ゴーシュが両者の間に割って入るように進み出た。



「時間がない。押し問答をするより、作戦を組み立てる方が上策だ」



 ゴーシュの冷淡な言葉に、崚もついに諦めて刀を下ろす他なかった。



虚風送り

 晦冥の湾刀(イーレグラム)の戦技

 闇の力で空間を歪め、敵の攻撃を逸らす


 攻撃を逸らすだけで、無効化するものではない

 逸らした先に何があるか、注意が必要だ

 一人で戦うならば、気にする必要もないが…

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