07.分断
命核結晶
カドレナ公女、シルヴィアが扱う魔術触媒のひとつ
魔力を込めて魔術式を起動し、即席の傀儡を生成する
傀儡は周囲の無機物を取り込んで実体化し、自律行動を開始する
傀儡は、石や鉄で構成された人工の使い魔である
意志はなく、中核となる魔術式に基づいて活動する
傀儡の出来が、魔術師の技量を表すとされる
濁流のように押し寄せる死に蠢くの襲撃は、ほぼ夜通し続いた。
基本はカヤが防ぎ、崚とクライドとエレナが攻める。シルヴィアとモルガダ、傭兵たちは後詰めとして控え、三人の休憩と入れ替わるように亡者たちを追い払う――その繰り返し。汚れた赤黒の闇は、時刻感覚を曖昧にさせ、永遠と錯覚させるほどの疲弊を強いた。ようやく腐肉共の襲撃が止んだ頃には、ヘスの刻(午前二時ごろ)に差し掛かっていたと気付くことができたのは、果たして何人いたものか。少なくとも、これでお仕舞いだと安堵することができた者は、一人としていなかった。死に蠢くは現れなくなったが、次に何が襲ってくるか分からない。魔力汚染による尋常ならざる光景も相まって、一行はまんじりともしない夜を過ごす羽目になった。
「……はぁ……」
明けること、ヌーの刻(午前八時ごろ)。赤黒の空の東、仄明るい光の円が姿を現したのを見て、一行はようやく朝が訪れたことを悟った。疲労と寝不足で困憊しながらも、ようやく人心地ついたと、一同の間に安堵が広がった。一刻を争う道行きとはいえ、消耗した体力を取り戻さなければ前に進むことができない。その気の緩みを油断というべきか、どうか。
がたがたと硬いものが地面を叩く音を、最初に聞きつけたのは誰だったか。――馬の蹄だ。騎馬が迫りくる音だ。
「――おおおおっ!!」
「うわーっ!?」
その正体を訝しむまでもなく、林から複数の騎馬が躍り出た。
真銀の甲冑と紅いサーコートに身を包んだ、騎兵小隊である。咆哮とともに重厚な斧槍を振り上げ、黄金色の結界へと飛び掛かってきた騎兵は五騎。
「ギャーッ!」
「ぬぅっ、結界か!」
大仰な悲鳴を上げる団員の一人レインの目の前で、ぐにゃりとした感触とともに結界を横滑りする斧槍に、騎兵たちは苦い表情を浮かべた。こと守りにおいて、法術結界の右に出るものはない。尋常の武器で立ち向かうのは不利だ。
「――あの紋章! レノーン軍の騎士っス!」
「ヤロウ、もう来やがったのか!?」
そんな騎兵たちの一人、そのサーコートの紋章を見咎めたラグの叫びに、カルタスが動揺の声を上げた。オーヴェルヌスからここまで、かなりの距離を走ってきたはずだが、もう追い付かれたというのか。
「――ちっ、一旦戻るぞ!」
一方、奇襲に失敗した騎兵たちも、舌打ちをしながら旋回した。もとより、騎兵隊とは速度を活かした奇襲と一撃離脱に特化した編成である。頭数に劣る上、相手は聖都襲撃に成功しここまで逃走した手練れだ、これ以上拘泥するのは得策ではない。
「あっ、あいつら逃げる気だぞ!」
「――止めて! 本隊と合流するつもりよ!」
それを見咎めた団員の一人ノーマンの反応に、シルヴィアが目の色を変えて叫んだ。
とはいえ、寝不足で疲弊しきっている傭兵たちだ。反転し林の向こうへと駆けていく騎兵たちを、咄嗟に押し止めるだけの余力も、馬に飛び乗って追い縋るだけの気力も残っていない。なすすべもなく見送るしかなかったが――
――ぎち、と歯車を咬合させる。
「――ふんッ!」
真っ先に闇に飛び込んだ崚が、その向こう側――駆け抜ける騎兵の一人の背に飛び掛かり、その甲冑の隙間に刀を差し込んだ。ぎちぎちと金属が擦れる音が、ずぶりと肉を貫く感触に上書きされた。
「がはっ……!?」
「なにっ!?」
突然の襲撃に動揺したのは、穿たれた本人はもとより、併走してた騎兵たちだ。馬より、あるいは弓矢より疾いものを知らない彼らにとって、『瞬間移動』とは全く理解できない概念だった。そんなものは、魔術の域ではないか!
そして当然、その決定的な隙を見逃す崚ではない。
――ぎち、と歯車を組み替える。
「ずぇいッ!」
「がぁぁっ!」
騎兵の背中を貫いた刀のまま、崚はぶんと力任せに振り回した。その甲冑の隙間から白光がぶわりと溢れ出し、真銀を突き破って光の大剣と化す。横薙ぎに振るわれた回転斬りは光輝の大渦となり、残る四騎を呑み込んだ。
赤黒の朝日を呑み込むような強烈な光熱に、騎兵たちは悲鳴を上げながら焼き焦がされ、そのまま絶命した。巻き込まれた騎馬たちは、騎上の焼け焦げた死体とともにどうと横に倒れ、それきり沈黙が流れた。
「……もうあいつ一人でいいんじゃないっすかね」
団員の一人エタンの呟きに、傭兵たちのほとんどが無言で同意した。空間転移による縦横無尽な機動に、全身甲冑すら意味をなさない光熱の斬撃。騎兵小隊すら一息で仕留めることができるなど、まさに一騎当千の怪物にも匹敵する。つくづく味方でよかった、と傭兵たちは半ば呆れるしかなかった。
一方、そんな弛緩した空気に混ざれない者がいた。愕然と立ち尽くすカヤである。
「そんな……どうして……!?」
震えるその声は、刀を引き抜いて馬から飛び降り、ぶんと返り血を払う崚に向けられた。
そんなはずがない。神器とは、権能とは、人を護るためにあるものだ。いくら使徒と敵対しているとはいえ、無辜の只人を害することなどできるはずがない。あっていいはずがない。それはもはや、“大いなる理”に対する冒涜だ。
「――マズいわよ」
また他方、シルヴィアは騎兵たちの遺骸へといち早く駆け寄り、サーコートに刻まれた紋章を検めていた。見る見るうちに暗くなっていく表情に、何やら不吉なものを覚えたカルドクが歩み寄る。
「どうした、公女さん」
「この紋章……レノーン聖都軍の紋章よ。レノーン軍の、精鋭が迫ってきてる」
シルヴィアの返答に、さしものカルドクもぎょっと目の色を変えた。つまりこの騎兵たちは、たまたま巡回していた雑兵ではなく、正式に編成された追走隊の先遣ということだ。
「――セト! あっちの高台から見てこい!」
「さ、さっき馬かっぱらって行っちゃいました!」
「あんの野郎ォ……!」
団員たちへ振り返り叫んだ団長の言葉に、しかし応えたのはセト本人ではなく、団員の一人クレイだった。その言葉通り、本人に加え騎馬の一頭がいない。肝心なところで独断専行をやらかす森人に、元々気の短いカルドクは、ただ地団駄を踏むことしかできなかった。
「とにかく急いで! 馬交換してる暇もないわ、全速力で逃げるわよ!」
「に、逃げるって言ったって……!」
「ぼーっとしてたって始まんないでしょ! ほら駆け足!」
「は、はいぃぃっ……!」
シルヴィアの鋭い檄に、傭兵たちは尻を蹴り上げられるように駆け出した。まさに休んでいる暇もない。慌てて馬を繋ぎ直し、荷物を幌馬車に積み込む。がやがやと騒がしくなった一同の許へ、一頭の騎馬が駆けてきた。
「団長。拙いことになった」
「セトさん!」
つんのめるように騎馬を押し止め、半ば飛び降りるように下馬したのは、美しい銀髪を土埃で汚した森人――セトだ。団員の一人グライスに騎馬を押し付けるのと、団員たちを掻き分けてカルドクが詰め寄ったのは、ほぼ同時だった。
「どうだった」
「軍勢が押し寄せてきている。とても応戦どころではない」
「数は?」
団長カルドクの詰問に、セトはあくまで冷静に答えた。冷静であろうとする緊張感が、その横顔にあった。
先遣の様子からして、追走隊の本隊が迫っていることは間違いない。問題は、その数だ。どれだけの軍勢が迫っているというのか――
「目算で、五千」
「――ご、ごせっ……!?」
その言葉に、誰もが唖然とした。一瞬、言葉の意味が理解できなかった。ごせん? ごせんって、あの五千? そんな大軍勢が、自分たちを追ってきているというのか?
「……ば……バカじゃねーの!? こっち、三十しかいないんだぜ!?」
「……ウソだろ……!? 昨日の今日で、いきなり……!?」
「騎兵隊、歩兵隊――動きは遅いが、構成は複雑だ。土地勘もないここに留まっていたところで、囲まれるだけだ」
「はァー……天下のレノーン聖王国サマが、こんな雑兵相手に巻き狩りだとよ。切羽詰まってんなァ、おい」
「冗談言ってる場合じゃないでしょ!」
ようやく脳の処理が追いつき、ざわざわと動揺が広がる一行。カルドクでさえ、乾いた声で冗句を垂れるのが精一杯だった。誰もが思わず作業の手を止めた。止めざるを得なかった。どうする? どうしたらいい? どうやったら、五千という大軍から逃げ切ることができるというんだ? 味方の一人もいない、孤立したこの地で?
「ただ、まだ遠い。動きから言っても、こちらの詳細までは掴み切れていないのだろう。接触までには、一日ほど要ると思う」
「ど、ど、どうします……!?」
付け足されたセトの推測は、果たして朗報たり得るか。少なくともラグにとってはそうではなく、ただ震え声で狼狽えるばかりだった。他の一同も似たようなものだった。
どうする。どうする。どうする。どうする。どうするどうするどうするどうするどうするどうするどうする――ぐるぐると空転する脳は、しかし一向に明朗な解答を叩き出さない。つまり、どう足掻いてもどん詰まりだ。
「――んなもん、逃げるっきゃないでしょ! ほら急いで!」
「で、でも……!」
停滞した空気を、シルヴィアの鋭い声が無理矢理に引き裂く。ほとんど悲鳴に近いそれに、傭兵たちも縋り切ることができなかった。
その空気を叩き壊したのは、納刀しつつ冷静に歩み寄る崚だった。
「こっちもみんな疲弊してる。ただ逃げたところで、関所に阻まれているうちに追い付かれるのがオチだろ。
どっかで、連中の足止めをしないと間に合わない」
「んなこと言ったって……!」
非情なほど正確で、無慈悲なほど現実的な物言いに、シルヴィアが反射的に噛み付く。だがその顔を見て、彼女は言い知れぬ違和感を抱いた。諦めるでもなく、現実逃避するでもなく、不気味なほど落ち着いている。落ち着き過ぎている。
――では、迎撃? それこそ無茶だ。無学な傭兵たちでも分かる算数の問題は、勇猛果敢な戦士たちの気概を折るには充分すぎた。
「こ、公女サマの魔法でぼかーんとか……!」
「昨日のあれをまたやれって? 無茶言わないで。本当だったら星辰を合わせて、万全の機会に儀式をしなきゃいけないの。今回成功したのだって、半分奇跡みたいなもんなのよ」
「そんなぁ……!」
団員の一人グランの縋るような言葉も、当のシルヴィアには無情に切って捨てることしかなかった。まさに万事休す、八方塞がりだ。これ以上、何をどうしろと言うのか。
しかし、崚が言い放ったのは、まったく予想外の一言だった。
「俺が行く」
「……え?」
毅然と放たれた言葉に、間抜けな声を返したのは誰だったか。唖然とする一同をよそに、崚は冷然と言葉を重ねた。
「俺が、連中を足止めしてきます。皆さんはその間に、“ニュクスの森”まで突っ走ってください」
「はぁ――!?」
「ば、馬鹿野郎! お前がいないと話にならないだろうが!」
「それに、一人でなんて無茶だよ!」
ようやく理解の追い付いた一同が、口々に制止の声を上げる。しかし、覚悟を決めた硬い表情の崚を崩すことはできなかった。
何かが奇しい。ただの自暴自棄ではなく、何か確信めいたものがある――その違和感の正体へと辿り着いたのは、慄然とするカヤだった。
「――リョウさん、まさか……!?」
「はい。使えてます」
「……え、何? どーゆーこと?」
符牒すら交わさない短いやり取りに、置いてけぼりを食らったのは傭兵たちだ。何が何やら、と困惑する彼らをよそに、もう一人、シルヴィアがひとつの推測へ辿り着いた。
「――まさか……権能が、使えてるの?」
「ああ。人を傷付けないはずの――人を殺さないはずの権能が、使えてる。それで、戦える」
「だ、だったら……!」
かすかな震えを伴うシルヴィアの問いと、それに毅然と答える崚に、団員たちはようやく希望の光を見出し、揃って顔を輝かせた。しかし、それを聞いていたカヤは今にも卒倒しそうな表情を浮かべ、シルヴィアもまた、その顔の憂いを晴らすことはなかった。
「リョウさん! なりません、そんなことは……!」
「無茶よ、物量が違い過ぎる。いくら権能ありきだろうと、五千対一なんて話にならないわ。幼児でも分かることよ」
「そこはまあ、作戦次第。幸い、俺ならできそうな策がいっこだけある」
「だからって――」
「ここでうだうだやってても始まんねーだろ。やれることやんなきゃ、待ってるのは全滅だ」
「神器とは“世界の理”そのものです! それをヒトの血で穢すなど、あってはなりません!」
「じゃあこのまま連中に嬲り殺されて、共倒れで世界も滅ぼしますか」
「それは――ですが――!」
それぞれに制止を試みる二人に対し、頑として譲らぬ崚との押し問答が始まった。
いけるかもしれない。いや無理だ。あっていいはずがない。他の余地がない。できるものか。もし仕損じたら――希望と絶望が綯交ぜになり、一同の混乱は際限なく広がる。こうして時間を浪費すること自体が悪手だと分かっていながら、しかし決断に至ることができない。そんな空気を切り裂いたのは、他ならぬ崚の一言だった。
「俺が撒いた種だ。刈り取んのも、俺の始末のうちだろ」
そう言ったきり、崚は踵を返して歩き出した。あらゆる反論を振り切って行く先は、レノーン軍の騎兵たちが現れた林――一行がまる一日かけて逃げ延びた距離を、逆戻す道行き。
迷いなく進む彼を、引き留める者は現れなかった。説得を諦めた者、絶望に言葉を失う者、一縷の希望を託す者――それぞれに、引き留める術を持たなかった。誰もが、心のどこかで解っていた。こうして崚に託すことを、崚に押し付けることを避けられないと。
「――だめ! だめだよ、リョウ!」
ただ一人、エレナを除いて。
ずかずかと歩く崚を走って追い抜き、その歩みを遮るように立ちはだかる。息を荒げて両手を広げ、絶対に先へ行かせぬとばかりに、崚の前に立ち塞がった。突然の暴挙に一同がぎょっとする中、崚はただ無言で立ち止まり、冷淡な視線を向けた。
「行っちゃだめ! ひとりで行くなんて、だめだよ!
何か――何か、方法があるはず……! みんなで乗り越えようよ! みんなで生き延びようよ! そのために頑張ってるんでしょ!?」
「エレナ様……」
声を嗄らして叫び、頑として譲らないエレナに、誰も続かなかった。エリスでさえ、か細い声で制止することしかできなかった。
「捨て鉢になっちゃだめ! ひとりで背負うなんて――ひとりで命を捨てるなんて、だめだよ!!」
それでも、彼女は譲らなかった。
――この少年を往かせてはいけない。独りにしてはいけない。今往かせてしまえば、きっと死ぬまで戦い続けることになる。そのために往こうとしている。自分の命すら抵当に入れて、帰り途のない戦場に身を投げ込もうとしている。そんなもののために、自分の命を使い潰そうとしている!
体を張って、意地でも止めようとするエレナの言葉に、崚の答えは――
「――悪い」
短い一言と、重い拳打だった。
「かは……っ」
重く深い一撃がエレナのみぞおちに突き刺さり、その肺から空気を押し出す。咄嗟に酸欠に陥り、強制的に意識を飛ばされたエレナの身体が、そのままぐったりと頽れた。それを即座に抱き留めた崚は、ただ無感情にその顔を見下ろした。
「エレナ様!」
「エレナ!」
突然の暴挙に、周囲が慌てて駆け寄る。そのまま失神したエレナを抱きかかえる崚は、駆け寄るエリスへと、半ば強引に押し付けた。
「こいつのことは、任した」
「リョウ殿……ですが……!」
感情を消した硬い表情で言う崚に対し、エリスはただ、腕の中で気を失っている主君と、目の前の少年とを交互に見やり、困惑に呻くことしかできなかった。往かせてはならない――主君の想いは痛いほど分かる。しかし戦士ならぬ彼女では、この窮地をくぐり抜ける方法を思いつかなかった。
もはや趨勢は動かない。諦念とともに、シルヴィアは息を吐いた。
「――分かった。せいぜい死なないよう、頑張ってきなさい」
「シルヴィア様!」
そう捨て台詞を吐くと、シルヴィアは踵を返して馬車へと戻っていった。モルガダも無言でそれに続き、馬車の支度にとりかかる。後に残されたのは、愕然と立ち尽くすだけのカヤと、エレナを抱えて動けないエリスと、おろおろと狼狽えるばかりの傭兵たち。
それらすべてに背を向けて、崚は再び歩き出した。
「……お、おい、待て! 待てよ、このクソガキ!」
団員の一人グライスが慌てて制止の声を飛ばしたが、崚は一切顧みることなく林に分け入っていく。あっという間に遠ざかっていく彼を止める者は、今度こそいなくなった。
◇ ◇ ◇
踏み分けられた草叢が、ざりざりと擦れた音を立てる。オルステン歴七九一年の七月も半ばを過ぎ、浅い紅に色づき始めた木々が、肩で風を切る崚の勢いに葉を揺らした。
すべてを振り切って歩く崚の後を、追い縋る人影があった。
「私も同行しよう」
艶のない、鋼色の影――ゴーシュは、自らの足を止めることなく、而して崚の足をも止めることなく、静かに言った。その言葉に、崚は僅かに歩みを緩め、無言でちらりと視線を向けた。
「君も必要不可欠な戦力だ。生き残る可能性は、少しでも増やした方がいい」
崚を制止するでもなく、かと言って承諾を求めるでもない一方的な宣告に、崚が返せる言葉はなかった。舌打ちすら出てこなかった。
切り捨てようと、託そうと、この人はきっと聞き入れない。どうせ似た者同士だ、何を考えているか、聞かずともだいたい分かる。
「それに、君の――晦冥の湾刀の使徒の戦い方なら、ある程度想像がつく。私の本分だ」
「……そうですか」
「あと、敵の方向はそちらではない。そちらでは、別の街道に逸れてしまう」
「…………そうですか」
付け加えられた冷淡な諫言に、崚はようやく足を止めた。土地勘がないというのもあるが、この異界に来てから、何かと道を間違えやすくなった気がする。見慣れない景色に順応しきれていないのか、あるいは生来有していた性質が表面化しただけだろうか。
ようやく足が止まった二人の許へ、息せき切って駆けてくる騎馬の姿があった。
「――待て!」
長槍を背負って馬を駆り、振り返った二人の前でどうどうと急停止したのは、汗とともに金髪を振り乱すクライドだった。焦燥感と昨夜の疲労から荒い息を重ね、何とか息を整えながら二人を見下ろす彼に対し、崚は無言で刀を抜いて突きつけた。
「お前は戻れ」
「話は最後まで聞け!」
問答無用とばかりに言い捨てる崚に対し、クライドは声を荒げた。一度決めたら絶対に譲らない、この少年の頑固さはよくよく承知しているが、彼とてここで引くわけにはいかない。そんな気勢を受け取った崚は、しかし相変わらず刀を突きつけて、拒絶を示すのみだった。
「お前は、戻れ。こんなところで命捨てるな」
「それは、お前だって――」
「あいつの騎士なんだろ。あいつ守るのが、お前の使命なんだろ。だったら、それをきっちり果たせ」
馬上のクライドの胴へぴたりと突き付けられた刀から、ぴりりとした冷たい、しかし殺意のない気迫が放たれた。ゴーシュの際とは明確に異なる拒絶の意志が、クライドから反論の言葉を奪う。
――魔王や魔人たちだけでなく、いまやレノーンという国家すらも脅威となった。“魔”に対しては絶大な力を発揮する神器の権能も、ヒトの悪意の前には無力な宝物でしかない。エレナが脅威に晒されたその時、“神なる理”に依存しない、確かな戦力が必要になる。
そして、それは自分ではない。彼女を守れるのは、ひたすら血に塗れるだけの自分ではないのだ。
「――任せられるの、お前しかいないんだよ」
ぎゅうと握られた刀が軋んだ音を立て、微かに震えを見せた。努めて無表情を保とうとするその横顔に、その言葉に乗せられた無念に、クライドは思わず息を呑んだ。
主君の想いが分かった。この少年を、ひとりで往かせてはならない。往かせてしまえば、彼は戻って来れないだろう。己の血と敵の血に塗れ、血で血を洗う修羅道に、自ら足を踏み入れようとしている。それこそが必定なのだと、避けようのない運命なのだと、自らを規定している。
そしてそれ以外の道はない。神器の権能が使える以上、彼を殿としてこの死闘に挑ませるしかない。五千という大軍が相手では、クライドでも、ゴーシュでも役者不足だ。この少年を、屍山血河の地獄へと送り込むしかない。
だったら、やれることはひとつだ。
「――そのエレナ様のために、お前を守るんだ。
お前だって、エレナ様の大事な友達で――オレの、戦友だ。失うわけにはいかない」
共に往く。共に戦い、共に傷付き、共に乗り越える。彼が背負う重責と苦痛、そして罪科を、少しでも肩代わりするために。
果たしてその言葉は、崚の納得を得られなかった。刀を突きつけたまま、じろりと睨み上げるばかり。想定内だ、クライドも彼の頑固さはよく分かっている。崚が口を開いたその瞬間、ゴーシュが両者の間に割って入るように進み出た。
「時間がない。押し問答をするより、作戦を組み立てる方が上策だ」
ゴーシュの冷淡な言葉に、崚もついに諦めて刀を下ろす他なかった。
虚風送り
晦冥の湾刀の戦技
闇の力で空間を歪め、敵の攻撃を逸らす
攻撃を逸らすだけで、無効化するものではない
逸らした先に何があるか、注意が必要だ
一人で戦うならば、気にする必要もないが…




