06.保護
「ふぅむ、馬車の立ち往生か……乗客は無事なのか?」
崚から事情を聞かされた関所の衛兵は、特に驚いた様子もなく、のんびりした様子で問い返した。全国隅々までアスファルトできっちりと舗装され、しかも高品質なタイヤで走る自動車ばかりの現代日本とは、交通事情が何もかも異なる。この程度のトラブルは、割と日常茶飯事なのかもしれない。
「なんとか。ただ、護衛の兵士たちがやられちゃったみたいで」
「……兵士? 乗客は代官様か?」
「知らねえっす。『訳あって身分を明かすことはできぬ』とか、なんとか」
しかし続く崚の説明に対し、衛兵は不審げに首を捻った。傭兵ではなく兵士が護衛している馬車隊は、確かに珍しい。民間の馬車隊を兵士がわざわざ護衛してやることなど滅多にないし、よしんば貴族であっても、ただの行楽等ならば護衛自体をつけないことも多い。必然、兵士を動員してまで護衛をつける必要があるのは、貴重品や貨物の輸送、または貴族官僚の公務に限られる。
衛兵は関所を振り返り、休憩しているらしい同僚に向かって声をかけた。
「おーいドーセル、なんか連絡ってあったっけ?」
「何がー?」
「代官様か誰かの通行だよ。特に聞いてないよな?」
「だと思うぜ」
その返事は芳しいものではなかった。どうやらあの馬車隊は公的なものではなく、事前の通告もなしにやってきたらしい。現状と同様、身分を伏せたままここを通り抜けるつもりだったのだろうか。しかし、いくら領境の辺鄙な関所だからといって、そんな横紙破りがまかり通るものではない。ここまでして身分をひた隠しにする理由はなんだ?
「怪しいなァ……本当に兵士だったのか? 傭兵と見間違えたんじゃないのか」
「それにしちゃ、お高価い鎧を着けてましたけど」
「ふーむ……まぁ、お前らが言うならそうなのかな」
「おい今何基準で判断した」
釈然としない衛兵は、それでも崚の言葉に何となく納得したらしい。何か失礼な思考判断がなされた気がするが、ともかくも理解は得られたので、追及する意味はない。
「てなわけで、馬を貸してほしいんすけど」
「あぁ、そうだよなぁ。ちょっと隊長に聞いてくるから、ここで待っていろ」
「へーい」
やはり、こういう事態への対応も慣れている様子だ。言い残して踵を返し、関所の建物に入ろうとした衛兵は、ふと崚の方を振り向いた。
「それにしても、お前ひどい臭いだぞ。近くに獣の死体でもあったか?」
「……そんなに臭いますか」
「ひっどい。真夏に三日間放置した後の便所みたいな、腐った臭いだ。何があったらそうなるんだ」
「えんぴえる? が、いました」
失礼な野郎だな、と内心で思いながらも、崚は顔に出さず答えた。たかが衛兵の身でごく自然に失礼な物言いをしてくるのは、傭兵という職業を軽んじているのか、それとも官民の差による驕りだろうか。
ところが、崚の返答を聞いた途端、衛兵は目の色を変えた。
「えッ……死に蠢く!? バカやろう、何でそれを先に言わないんだ!」
「へ」
「全部始末したか!? まだ蠢いてるやつはいるか!?」
「い、いませんけど……」
「ちくしょう、神官様を呼んでこないと――あぁ乙女よ、水のご加護を……」
狼狽しながら声を張り上げると、衛兵は慌ただしく建物に入っていった。残された崚は何が何だか分からず、置き去りにされたままだった。
「……なに、あれ?」
「え、リョウ知らねえの?」
疑問符だらけの崚に対し、横にいたジャンが間延びした様子で声をかける。
「死に蠢くは古い魔王のしもべって言われてて、出てくるときは大体不吉の前触れだって言われてんだ。いろんな怪談に出てくる、おっかない連中だぜ」
「それは聞いた」
「リョウもやつらと戦ったんなら、普通に斬っただけじゃ死なないのは知ってるだろ? だから“七天教”の神官様を呼んで、遺体と土地を清めてもらわないといけないんだってさ。穢れと邪気を祓って、『正しい死』を迎えられるように」
「ふぅーん……」
要するに、信仰に基づく畏怖ということらしい。何だよくある話だったな、と急激に興味をなくした崚は、気のない返事を返した。
入れ替わるようにやってきたのは、カルドクとラグだった。マルク氏との交渉は済んだようだ。
「お疲れさんでーす。首尾はどうっスか」
「エンピエルが出たって言ったら、なんか目の色変えて行きました」
「あちゃー、やっぱりそうっスかー……」
崚の報告に対し、ラグはあちゃーと天を仰いだ。分かってたんなら言えよ、と崚は思ったが、いまさら文句を言ってもしょうがない。
「お客の方はどうだったんすか?」
「止しゃあいいのに、こいつが死に蠢くのこと言ったせいで大騒ぎしてな。ビビッて話も聞きゃあしねェ」
「遅かれ早かれバレることだから、先に言った方がいいと思ったんス!」
呆れた顔で語るカルドクに対し、ラグは口を尖らせて抗弁した。
「先方はたぶんお貴族サマだって言ったんスけど、『身分を伏せてるのが怪しいから、見なかったことにしよう』だの何だの。お貴族サマの恨み買ったら、後が怖いと思うんスけどねぇ」
「商人ってなァ、何考えてんのかよく分かんねェな」
「え、じゃあどうすんですか?」
「何とか、御者と道案内役だけは確保しましたよ。代わりに、こっちは相当強行軍させられることになりましたけど……」
ラグはげんなりした顔で言った。今日を含めて残り三日ほどかかる道中のはずだが、どんな条件にさせられたのだろう。カルドクはけろりとした顔をしているが、体力バカの反応など参考にならない。
「じゃあ、何人でやるんすか?」
「幌馬車二台の御者と、補佐に二人、道案内に君たち。全部で六人です」
「え、オレらっすか?」
自分が関わると思っていなかったらしいジャンは、素っ頓狂な声を上げた。反対に、崚は眉をひそめた。
「……その人数でイングスまで? ここまで、丸二日かかりましたよね」
「まぁ、さすがにそんな無茶は言えないっス。なんで――」
「いったんウチで預かる。砦に連れ帰って、しばらく面倒見とけ」
「はあ、……え?」
ラグの言葉を引き継いで、カルドクが命令を下した。頷きかけた崚は一瞬、カルドクの言葉が理解できなかった。
砦? どこの? ――まさか、ヴァルク傭兵団の砦のことか?
「馬でウチまでなら、一昼夜もあれば辿り着きます。そっちもちょっと強行軍になりますけど、どのみちこの人数でチンタラ歩いてらんないっスからね。全員で馬車に乗り込んで、さっさと駆け抜けちゃってください」
「いやいやいや」
構わずに説明を続けるラグの言葉を遮り、崚はぶんぶんと手を振って拒絶の意を示した。この連中、この明らかな厄ネタに対して、考え得る限り最悪の選択を採ろうとしている。居直っているカルドクとは対照的に、ラグの目は死んでいた。
「普通にこの関所に移動してもらうだけで充分でしょ。何でウチで抱え込もうとするんすか」
「バカかお前、助けるだけ助けてあとはポイ、なんてわけにゃいかねーだろ。あれだ、ジジョウチョウシュ、とかなんとか」
「えっなんで俺が馬鹿みたいな扱いなんですか?」
説得を試みる崚の言葉に対し、カルドクはいかにも当然と言わんばかりの顔をした。何なんだこの脳筋野郎、と思わず口走りそうになった崚は、そのまま口に出してしまおうが真剣に迷った。失礼度合いではいい勝負である。
「ほらラグさんもめっちゃ厭そうな顔してる。こういうのはお上に任せましょうよ、絶対面倒臭いことになりますよ」
「……イヤ、実は軍とはあまり関わりあいになりたくなくてな」
「あんた何したんだ!?」
「ああもォうるせェ! このまんま放り出すわけにもいかねーだろ! つーかお前が自分から首突っ込んだんだろ! とにかく連れて帰れ、団長命令だ!」
思わず飛び出た崚の物言いに、ついにブチ切れたカルドクは大声を張り上げると、肩をいからせたまま踵を返し、のっしのっしと去ってしまった。このまま、関所に残っていた傭兵たちの指揮に戻るらしい。
残された三人の間に、しばらく沈黙が流れた。「え、本当にやんの?」と戸惑う崚、「諦めてください」と目を伏せるラグ、「マジかー」と呆れるジャン。三者三様に、言葉が見つからなかった。
「……ま、そういうことなんで。あとは任せましたよ。僕は残りの連中に指示しに行くんで」
「しかも俺が!? せめて上の人に指揮取らせてくださいよ!」
疲れ切った様子で語るラグの言葉が、さらに崚を動揺させた。この人もこの人で、ちょっと投げやりが過ぎないか。
しかし、もう押し問答も面倒臭くなっているらしいラグは、うっとうしそうに手を振るばかりで取り合わない。呆然と言葉をなくした崚の肩を、ジャンの手がぽんと叩いた。
「ま、頑張ろうぜー」
「お前コトの重大さ分かってんだろうな!?」
「あんまり。どうせ苦労するのリョウっぽいし」
「お前もバッチリ巻き込まれてんだよ!!」
◇ ◇ ◇
「あ、戻ってきた」
「おつかれっすー」
二頭の馬を連れて戻ってきた三人に対し、残って見張りをしていた傭兵たちが声をかけた。傭兵たちに遅れて気付いたライヒマンは、その背後に厳しい表情の兵士が付いてきていることに気付き、不審げに眉をひそめた。
「ご苦労。……ところで、その兵士は?」
「そこの関所の隊長さんっス。馬を貸してもらいました」
「……これが襲われた馬車か? 中におられるのは誰だ?」
「さる高貴なお方だ。それだけ分かればよいだろう?」
硬い表情で問い質す隊長の言葉にも、ライヒマンはしらじらしく返答した。当然、隊長側もその程度で引き下がれる訳がない。
「死に蠢くが出たんだろう? 神官様も呼ばないとけないし、こっちは大事なんだ。事情を説明してくれないと――」
「悪いが、こちらにも事情があるのでな。これでなんとか」
食い下がる隊長に対し、ライヒマンはにこやかな表情で素早く歩み寄ると、ぽんぽんと親しげにその肩を叩いた。と同時に、反対の手で隊長の手を取り、何か革袋のようなものを握らせたのを、崚は見逃さなかった。
隊長はしばらく握られた手に視線を落とすと、しばらく逡巡したのち、ふっとその眼から警戒の色を消した。
「……まぁ、いいだろう。乗っている方によろしくな」
さっきまでの語気はどこへやら、急に物分かりのよい台詞を紡いだ隊長は、そのまま踵を返すと、そそくさと来た道を引き返し、関所へと戻っていった。
こういう現場に遭遇したことのない崚でも分かる。賄賂だ。
「マジかよ最低だな。エンピエルもびっくりな腐敗ぶりじゃん」
「おい、聞こえるぞ」
聞こえよがしに吐き捨てる崚を、隣のジャンが小突いた。二人に手綱を握られたままの馬が、ぶるるんといなないた。
とはいえ、これで手続き等の無駄な拘束が減るのなら、こちらとしても好都合だ。ライヒマンはラグの方に向き直った。
「それで、首尾は?」
「申し訳ないっスけど、先方の強いご希望のため、イングスまで送れるだけの人数は割けません」
「……なんだと?」
ラグの説明に、ライヒマンはぴくりと眉をひそめた。
「なんで、いったんウチの砦に移動してもらって、我々本隊が戻ってきてから、改めてイングスまでの道中を警護します。我々が戻ってくるまでは、この子たちが世話するんで、しばらくお待ちください。それでよろしいっスか?」
「それは……しかし……」
ラグの提案に、ライヒマンはもごもごと口ごもった。妥協案だというのは理解しているだろうが、当然に問題が解決するわけではない。あからさまな不満を見せるライヒマンに対し、ラグが冷ややかな声音で追撃した。
「――こういう言い方は失礼っスけど、こちらにも都合ってもんがあります。ただの行きずりの上、ご身分を明かすこともできない方へのご対応としては、それなりに譲歩してるつもりっス。どうしてもご希望に沿わないって言うんなら、そちらからもそれなりの誠意を提示していただけないと」
「き、貴様……こちらにおわす方がどなただと――」
「それを大っぴらにできない状況だから、こうして足踏みしてらっしゃるんじゃないんスか?」
「ぐ……」
思わず赤ら顔で詰め寄るライヒマンを、冷めた目のラグがぴしゃりと黙らせた。むぐぐと唸りながらも彼がが押し黙ったのを了承と受け取ったラグは、ぐるりと首を巡らせて傭兵たちを見やった。
「えー、そうだなぁ……カルタス、ドーツ、ロッツ、レイン! この二人と一緒に、この方々と後ろのお荷物を、ウチの砦まで連れて行ってください! 細かいことはリョウくんに任せます」
「うっす」
「よろしくな、新入り」
「……マジで、俺が指揮するんすか」
名前を呼ばれた四人の傭兵たちが、特に驚きも不満もなく返事をする。万事了解済みといわんばかりの傭兵たちを見て、崚は気後れで思わずたじろいだ。ジャンはともかく、残る四人は崚が逆立ちしても敵わないベテランである。新参者の自分が顎で遣えというのは、やはり無茶ぶりではなかろうか。ジャンはともかく。
「何か今失礼なこと思われた気がする」とジャンが小突いたが、当然のように崚は無視した。
「気にすんな。この馬車を砦に連れ帰ればいいんだろう? 大層な話じゃない」
「まあ、そうです」
「俺たちはあっちの荷馬車を運転する。向こうさんとの話は任せたぞ」
「お願いします。ジャン、ここからの道分かるか?」
「いけるぜー」
「じゃ、あのおっさんと話するか。俺たちは先頭の馬車に乗るんで、それについてきてください」
こういう時、手慣れているベテランはやはり頼りになる。同行する傭兵の一人レインの言葉にうなずくと、崚は連れてきた馬を軛に取り付けるべく、ジャンとともにライヒマンの方に歩み寄った。その後ろでは、残りの傭兵たちがラグに連れられ、関所の方へと戻っていった。
この後、崚は初めて乗る馬車の乗り心地に、激しく後悔することになる。
浄化の清流
水に由来する法術のひとつ
魔力の淀みを祓い、土地を清める
儀式は簡潔だが、聖水など事前準備が必要
七天教の神官たちが、最初に学ぶ法術
魔力は土地に淀み、いずれ災いをもたらす
それを祓い清め、世の安定を保つことこそが
神官たちの使命である