04.星落とし
大地の祝福
霊王の剛槍の加護
神器の加護を広く分け与え、傷を癒し続ける
使徒だけでなく、味方にも伝播する希少な権能
大地を母になぞらえることがあるように
その権能は、広範囲に影響することが多い
母の慈しみを、そして怒りを忘るることなかれ
もしも、この世界の天文学がもっと発達していたら。
高精度な望遠鏡が開発され、この星の遥か遠くを観測する手段が存在していたら。夜ごとに空のすべてを窺い知ることができるシステムが、どこかの国で構築されていたとしたら――
それに従事する天文学者たちは、腰を抜かすほどに驚愕したことだろう。
彼らは流れ星の正体を知る者たちだ。遥かな彼方、光すら遠い宙の闇の向こうで弾けた星の破片が、竜よりも速く飛翔する焦熱の岩塊、無数の塵芥。あるいはそれが、この星の大気に侵入したことで摩擦熱を生じさせ、天高く燃え尽きる最期の姿。あるいはそれが、なお燃え尽きることなく星の重力に引き寄せられ、衝撃と破壊を伴って大地に衝突するのが隕石だ。つまりどちらも、一朝一夕に生まれるものではない。まず遠い遠い彼方での星の炸裂から始まり、そこから飛散する破片が宙の闇を無限に飛翔し続け、この星の重力圏に捕まる。さらに、隕石として形あるままに地表に衝突するには、摩擦熱によって自ら焼滅しないだけの膨大な質量を必要とする。ヒトの思考を遥かに超える光速の破壊と、ヒトの寿命を遥かに超える遠大な旅の終着点だ。当然、その膨大な過程のどこかで観測され、着撃地点が事前に計算予測される可能性は極めて高い。まして、それが一国の首都へ正確に命中するなど、まずもってあり得ない。
だが、誰も予測できなかった。誰も監視できなかった。まるで隕石の破片がどこからともなく発生し、地表に向けて急加速し、聖都オーヴェルヌスに吸い寄せられるかのように墜落しているという異常現象。天文学的に、物理的に、論理的にあり得ない悪夢のような事態に、己の正気を疑う者が何人現れることか。
――それは、疑似的な運命操作。『落ちるべくして落ちた』という結果を、そこに至るまでの過程を後から創り上げる、世界の理を欺く魔術の窮極。“魔”の階に指を掛ける、外法の極致。
シルヴィアは、それを為した。錫杖ひとつ、儀式ひとつで。ただ、昂る激情のままに。
小島と見紛うほどの巨大な岩塊が、暗い海から降ってくる。
超高速で大気圏へと突入したそれは、摩擦熱によって自ら燃え上がり、焦げ落ち、その質量を急速に削ぎ落されていく。ばきり、とその表面に亀裂が走り、あっという間に総身を割断させ、流星雨となって降り注いだ。地表まで辿り着く頃には、その断片は大きなものでも人一人分、それが五、六個と小粒の破片たちがせいぜいと化していたが、それは散弾じみた衝撃の数々と化し、それぞれに散りながらオーヴェルヌスの市街地へと墜ちていく。そのうちのいくつかが、ベルグラント聖城の魔術防壁に衝突した。
間近にいたクライドとムルムルは、その瞬間を目撃することができなかった。二人と一騎が辛うじて直撃を免れ、掠める衝撃波に揉まれる程度で済んだのは、奇跡と言っていい。音すら置き去りにする超高速は、着弾の瞬間を誰にも知覚させなかった。
ぐわん、と障壁が大きくたわんだ。
人口十万を超える大都市、世界で最も繁栄している広大な都オーヴェルヌス全域に、閃光と衝撃が広がった。市井にいる者たちは、軒並み横倒しに突き飛ばされた。屋内にいる者たちは、天地がひっくり返る錯覚に襲われた。分厚い鉄板で造られたレーウェンフック火撃砲のいくつかが横倒しになり、倒れた兵士たち幾人かの手足を潰した。彼方に吹き飛んでいく二人と一騎を含めて、誰もがその衝撃に身を躍らされた。
そして、その小石たちは障壁を突き破った。レノーン国防省と魔導研究機関が総力を挙げて構築した分厚い防壁は、限界まで膨らませた風船が弾けるかのように、びゅんと甲高い衝撃を放散して消失した。霧散する魔力を押し退けながら急降下し、見る見るうちにプラズマ化していく小石、あるいは今まさに燃え尽きかけながら墜落している屑鉄の数々の軌道上に、ベルグラント聖城の中央棟が――
があん、ともうひとつ衝撃が走った。
破片のいくつかが聖城に衝突し、その一角を吹き飛ばした。外壁と硝子窓が、まるで紙細工のようにひしゃげ吹き飛んでいく。
分厚い鉄板で殴られたかのような重く厚い衝撃が、破裂するように崩れる内壁を巻き込みながら、崚たち一同を横薙ぎに吹き飛ばした。その重い波動は人間の聴覚域を容易く超え、崚は鼓膜を引き千切られる錯覚に襲われた。
鉄筋コンクリートに相当する建造物は別棟で試験中の建材であり、所詮木組みか煉瓦積みがせいぜいのベルグラント聖城――吹き飛ばされた崚たちの軌道上にある内壁は、衝撃で諸共に千切られ、一同は何物にも阻まれることなく壁数枚分を吹き飛んだ。やがて距離と共に衝撃が弱り、だんと内壁の一角に叩きつけられた崚たちが、その身の筋骨を捻じ曲げられていないのも、飛来した硝子や瓦礫の破片で頭部を潰されていないのも、半端に崩れた瓦礫に埋もれて窒息していないのも、ひとえに奇跡と言っていい。
「げっほ、げほ」
がらがらと崩れる瓦礫、もうもうと揺らぐ埃の中で、崚は激しく咳き込んだ。衝撃によって破砕された魔導灯の破片、調度の残骸があちこちに転がっている。崩れた瓦礫の隙間から、誰かの鮮血が流れている。辛うじて倒壊を免れた柱の隙間から、何物にも阻まれない陽光が差し込んだ。
鼻腔に入り込んだ埃でむせ返りながら、崚は首を巡らせて周囲を見回した。エレナ――居る。崚と同じように、身体じゅうを叩きつけられた痛みで呻いている。カヤ――居ない。咄嗟の暗視で、大きな瓦礫を挟んだ向こう側の陰に横たわっているのを知覚した。ネヴェリウス――居る。見た目には大きな外傷はないが、昏倒しているらしくぴくりとも動かない。周辺で無事に動けている衛兵――居ない。
動くなら、今だ。そう判断した瞬間、後ろ手に拘束されている崚の手の中に、ずしりと重みが生じた。その正体を思索するまでもなく、きらきらと白光が収束し、崚を後ろ手に拘束している手枷を焼き斬った。いち早く自由の身になった崚は、全身を駆け巡る痛苦を堪えながら立ち上がり、まずエレナのもとに駆け寄った。
「エレナ! 応えろ、エレナ!」
「けほっ、けほっ」
抜刀した星剣で手枷を力ずくで斬り刻みながら、その名を呼びかける。無事に意識を保っているらしく、ぱらぱらと舞う埃に咳き込んでいた。
「元気か!? 痛いところはないか!?」
「……ぜ、全身が……」
「だろうな!」
安否を確かめる崚の呼び声に、エレナは辛うじて苦しげな声を返した。細かな礫が柔肌を裂いた痕はあるが、ひとまず大きな外傷はない。手枷を乱暴に焼き斬られ、ようやく自由を取り戻した彼女を助け起こすと、崚は次に瓦礫の向こうに回り込み、そこに横たわるカヤの肩を揺すった。
「カヤさん! 聞こえるか、カヤさん!」
細かな擦過傷以外に大きな傷はない。しかし、その優美な横顔はぴくりとも動かなかった。
「どう……?」
「――ダメだな、完全に気ィ失ってる」
吹き飛ばされた衝撃で失神してしまったのか。身を庇いながら歩み寄るエレナの問いに、崚は首を振って答えた。兎にも角にも、致命傷を受けなかったのは僥倖といっていいか。
「これから、どうしよう」
「――混乱に乗じて逃げ出すなら、絶好のチャンスだ。あとは、どうやってシルヴィアとかと合流するか、だな」
「でも、神器が……」
「お前の、玲瓏の宝珠は何とかなんだろ。“来い”って念じろ」
混乱に呑まれたまま問いかけるエレナに、崚はカヤの手枷を焼き斬りながら答えた。脳裏を焦がしていた魔導結界の不快感はもうない。聖城すら破壊され大混乱に陥っている最中、脱出するなら今が好機だ。ひとまず使徒三人とも無事、あとは神器さえ確保すれば、もうここに用はない。使徒が失神している霊王の剛槍はともかく、玲瓏の宝珠が嵌められた“水精の剣”は、崚の星剣エウレガラムと同じ要領で喚び出すことができるはずだ。
ところが、エレナは一瞬だけ瞑目して念じたきり、困惑しながら目を開いた。
「……来ないよ?」
「えっ」
その言葉に、今度は崚が困惑する番だった。そんなはずはない。星剣エウレガラムなど、崚が思考するよりも速く姿を現した。同じ神器である以上、大なり小なり、同じような機能を備えているのではないのか。それとも、この程度の使い勝手すら“大いなる理”に抵触し、自ら窮地に嵌ってしまうとでもいうのか。
――あるいは、星剣だけの特性だとでも? “神なる理”に縛られた、摂理を守るための兵器にあってはならない事象だとでも?
「星剣は、晦冥の湾刀が混ざってるからじゃない? ――あ、来た」
「何か釈然としない!」
エレナの視界の隅から、ぴょーんと跳ねるように飛来してきた“水精の剣”を、彼女は過たず掴み取った。その瞬間、玲瓏の宝珠の加護が作用し、その肌を切り裂いた傷を癒していく。わずかに弛緩した空気の中、崚の叫びは誰にも届かなかった。
ともあれ、残る問題はあと一つ。目覚めないカヤを肩に担ぎ、崚は首を巡らせて脱出の糸口を探した。――それにしても、軽い。とても人一人を担いでいる重量感ではない。星剣エウレガラムの方が、よほど重量負荷を覚えさせる。『世界を守る神器の使徒』などという重い使命を、こんな手弱女が背負わされているのか――どうでもいい不安が脳裏をかすめた崚の視界に、ずるりと黒い影が割り込んだ。
「少年!」
「――ゴーシュさん!」
瓦礫と埃で荒れた廊下に飛び込んできたのは、艶のないロングコートに、鋼色の偉丈夫――ゴーシュである。細長い鉤縄がぐるりと自らとぐろを巻き、筋肉質の腕に戻っていくのがちらりと見えた。人に仇なす“魔”でありながら、つくづく頼りになる男だ。脳裏を掠める嫌悪感の正体を知った今、この不気味なほどの好機ぶりを訝しんでいる暇はない。
「無事か」
「今のところ。状況は?」
「公女殿下の攻撃で、このオーヴェルヌスの魔導結界を破壊した。その余波で、ベルグラント聖城も半壊している。脱出するなら、今が好機だ」
「足は?」
「ヴァルク傭兵団の面々が向かっている。混乱が収まる前に、急いだ方がいい」
「でも、霊王の剛槍を捜さないと……」
情報共有を交わしつつ、ゴーシュが近寄り、ごく自然にカヤに向かって手を差し出してきた。確かに、体格に勝るゴーシュが担いだ方が効率的だろう。崚は思わず気を抜いたままそれに応え、ゴーシュの手がカヤの肩に触れた瞬間、
――ぴり、と鋭い閃光が迸った。
ばこん、と瓦礫の一角が吹き飛んだ。思わず音のした方角を見やった三人の許へ、黄金の光が疾走してくる。あっと反応する隙もなく、その光はゴーシュの喉元でぴたりと止まった。黄金の穂先を備えた重厚な長槍――霊王の剛槍だ。いつの間にか、未だ目覚めていないはずのカヤの手が掲げられ、長槍の太い柄に添えられるように乗っていた。
これは――まさか、“魔”であるゴーシュの接触に気付き、神器が使徒を防衛すべく自動反応した、ということだろうか。
「……厭な機能もあったもんですね」
思わず閉口した崚が言えたのは、それが精一杯だった。ゴーシュは何も返答しなかった。「捜す手間が省けたな」とでも思っていそうなあたりが、いっそう腹立たしい。
◇ ◇ ◇
一方、聖都オーヴェルヌスの南、ノズトの丘に、碧い巨影がずどんと墜落した。
淡い紫の魔光に包まれ、土と泥を勢いよく跳ね上げるそれは、竜に化身したムルムル。隕石墜落の衝撃で吹き飛ばされた彼は、その背に乗せたクライドとシルヴィア諸共、ここまで吹き飛ばされたのだ。着弾寸前にシルヴィアが意識を取り戻し、咄嗟に魔力障壁を展開していなければ、二人はムルムルの下敷きとなって命を落としていたかもしれない。そもそも、急造の鞍に繋がれた命綱が千切れていないのも、奇跡と言っていい。
泥を跳ね上げ、がばりと起き上がったシルヴィアは叫んだ。
「――やりすぎた!!!」
「でしょうね!!」
クライドもまったく同じ感想だった。
「隕石を落とす」。魔術師でも天文学者でもないクライドにとって、どれだけ難解で大それた行為だったのかは推し量るべくもないが、彼の想像を遥かに絶する破壊力だった。あれでは聖城の破壊どころか、市街地にも深刻な被害を与えていることだろう。騎士道を重んじる彼にとって、無辜の民を巻き込む暴威は決して望ましいことではなかったが――
仕手であるシルヴィアが、他ならぬ『戦争』を望んだ。レノーンの横暴と愚行の報いを、流血によってのみ贖わせる。それは『国家』という怪物同士の殺し合いであり、その庇護下にある民衆さえ巻き添えにする。もはや民ひとりひとりの罪のあるなしを問うものではなく、その犠牲は国家こそが負わなければならない。戦争とは、政治とは、つまりそういうことなのだ。……無為な思考はやめよう。今は、できることをしなければ。つまり、主君を救い出すための手立てを。
「どうします? 本来は、市街地へ攻撃して退路を作る予定でしたが……」
「今からとんぼ返りして再攻撃……って言っても、足がないわ。ムルムルにだいぶ無理させちゃったものね」
「グルルルル……」
クライドの提言に、しかし両者とも芳しくない返事を返した。特にムルムルは連戦続きだ。使徒ならぬ二人を乗せて戦うという慣れない行為も含め、その負担は大きい。首を低く伏せぐるぐると唸るムルムルも、エレナの救出と自身の現状で板挟みの心境に陥っているらしい。
一方、シルヴィアは懐から輝石を埋め込んだ遠信機を取り出すと、ぶんぶんと振って反応を見ていた。ぽつぽつと明滅する輝石の様子からは、門外漢のクライドでは異変を見出すことができなかったが、うーんと唸った彼女の反応からして、芳しくない状態らしい。
「――モルガダとの通信も取れない。遠信機の魔力接続まで吹っ飛ばしちゃったわね」
「しかし、それでは……」
「どのみち、この距離だと間に合わないわ。ムルムルを急かしたところで、着くころには首都警備隊も復旧してるはず。あたしも魔力すっからかんだし、無茶したところで足手纏いになる可能性が高いわ。
あたしたちは、連中との合流を優先するわよ。――あの傭兵共の奮戦に期待しましょ」
ひとまず今は休憩しましょー、と伸びをするシルヴィアに対し、しかしクライドは、返すべき言葉を見つけられなかった。
◇ ◇ ◇
流星雨を浴び、その随所からもうもうと黒煙を立ち上らせる聖都オーヴェルヌス。そこに向かって、カマルグ街道を疾走する馬車隊があった。
急拵えの装甲を備えたそれは、戦車と呼ぶにはいささか不格好だった。さらに、併走する十騎ほどの騎馬を駆っているのは、武装した傭兵たちだ。誰がどう見ても、この混乱に乗じた進攻だった。そして誰がどう見ても、自暴自棄まがいの無茶だった。城内外の大混乱が波及し、乱流する人込みで溢れ返っている真っ最中の第三南関であっても、兵士の幾人かがその姿を視止め、戦闘態勢を整え始めている。
だが同時に、突入するとすればここしかない。この混乱が収まってしまえば、入ることも出ることも叶わなくなる。その過程でどれだけの死線を踏み越える羽目になろうと――どれだけの兵士を相手取り、どれだけの無辜を轢き殺すことになるとしても。
「――弩、構え!」
クロスボウを片手に、先頭の馬車で前方を観察していたラグが叫んだ。それに合わせて、馬車隊から一斉にクロスボウが顔を覗かせ、関所へと向けられる。いよいよ襲撃を察知した兵士の一人が、味方に連絡すべく声を張り上げようとしたその瞬間、
「ぐおっ!?」
ひゅんと風を切る音とともに、その喉笛を長矢で貫かれた。兵士はその勢いのまま関所の内側へと吹き飛び、幾人かの同僚と民衆を薙ぎ倒した。
「あっちょ、セトさん! 先に射たないで!」
「構うな、突っ込むぞ!」
「あーもー! 順次射って下さい!」
出鼻を挫かれたラグは、その仕手――つまり隣で弓を構えるセトを怒鳴りつけた。しかし、それを遮るように併走するカルドクが怒号を飛ばす。しでかしたセトも、相変わらずの仏頂面のまま、すでに二の矢を番えている。仕方なく叫んだラグの号令に合わせ、クロスボウが一斉に短矢を放ち、関所にいる人間を――兵士も市民も関係なく、次々と射抜いた。侵入と離脱にあたっては、どちらも邪魔者でしかない。悲鳴と怒号が綯交ぜになり、新たな混乱を広げる関所を、一行は半ば踏み倒すように駆け抜けた。がたんと大きく揺れる荷台と車輪が、倒れた誰かの頭蓋を踏み潰す感触を伝えてくるのを、傭兵たちは意図的に無視した。
血腥さを撒き散らす関所から、何とか侵入者へ追い縋ろうとする兵士たちが現れた。その視線の先、馬車隊の最後尾から、にゅっと鋼色の筒のようなものが姿を見せる。それを手繰るモルガダが、がちんと撃鉄を落とした。
ばこん、という轟音と衝撃と共に、鋼色の筒が火を噴いた。それは小ぶりな砲丸を雨霰のように押し出すと、追随する兵士たちと市民を巻き込んで大爆発を起こした。決して小さくはない質量と衝撃がそれぞれに炸裂し、関所を火と黒煙の海に変える。数十人分の人体の一部だったモノが紙屑のように吹き飛び、夥しい量の血と肉片に変じていく光景を見て、団員の一人アルバンが震え上がった。
「おっかねぇモン持ってんな、あんた……」
「お嬢ほどじゃない。それより、急げ。あまり長くは持たんぞ」
それに対し、モルガダはいつも通りの低い声で返した。薬室を押し開けて熱を逃がし、弾頭と魔力輝石を再装填しながら、炎上する関所になるべく視線を向けないよう作業に没頭する彼を、傭兵たちは見なかったことにした。
追走兵力を排除した馬車隊は、そのまま目抜き通りに踏み込んだ。カルドクを先頭に騎馬の先導組が飛び出すも、通りは炎上する建物と逃げ惑う市民とで騒乱に満ちており、一行を阻むような障害はない。首都警備隊が復旧する前に、仕事を果たそう。がらがらと疾走する馬車隊に揺られながら、団員の一人ドーツが通りの様子を盗み見た。倒壊した建物、荷物に引火し炎上している屋台、錯乱しごった返す人込み、ぶつかった拍子に倒れ、そのまま踏み潰される子供たち……
「うっわー……荒らしまくったな、あの公女サマ……」
「どうしますか!?」
「まっすぐ突っ込む! 先導組、着いてこい!」
「後続組、追っかけるっスよ!」
それら一切に気を払っている余裕はなかった。カルドクが連れる先導組が、半壊したベルグラント聖城を目指して疾走し、後続組の馬車隊がそれを追いかける。首都防衛戦を想定して数段分折り曲げられた通りは、しかし駆け抜ける一行に対し何の障害になることもなく、傭兵たちはついに聖城内郭へと踏み込んだ。美しき白亜の城は、しかし今や見る影もなく瓦礫の山と化していた。
「むっ、貴様ら――!」
「退けェ!」
混乱する近衛兵たちの幾人かが、一行を見咎めて武器を構えた。さすがに聖城内部は主戦力が集中しており、対応が早い。それらを馬上から薙ぎ倒しながら、カルドクら先導組は中庭へと踏み込んだ。どうせ道中の関所から奪ってきた軍馬、乗り捨てる気構えでちょうどいい。
先導組が近衛歩兵を蹂躙し、後続組が仕留める。それを三度ほど繰り返し、いよいよ先導組の騎馬も疲弊の限界を迎えようとしたその時、近衛兵の数人が背後から突き飛ばされて倒れた。鮮血を噴き出し、どうと倒れる近衛兵の向こう側にいたのは――黒刃を構える崚。
「団長!」
「よォ、無事だったか!」
暴れ回る騎兵たちの顔を視止め、崚が叫んだ。その背後から、剣を構えて追従するエレナと、カヤを背負ったゴーシュが現れる。これで、ひとまず合流は叶った。ゴーシュを牽制するかのように構えられた霊王の剛槍と、それに反して瞑目したままのカヤを見て、馬車隊のラグが叫んだ。
「――巫女サマは!? 大丈夫っスか!?」
「外傷はない。気を失っているだけだ」
「それより、首都警備隊が復旧し始めてます。脱出の段取りは!?」
「このままとんぼ返りだ! さっさと乗り込め!」
「エレナ様、お早く!」
問答も惜しいとばかりに踵を返す先導組の騎兵たちと、それを追ってぐるりと旋回する後続組の馬車隊。その荷台から顔を出したエリスが、エレナらに向かって叫んだ。
「もう、乱暴ですね!」
「いつものことっス!」
再会の喜びを分かち合っている場合ではない。崚たちが文字通り転がり込んだと同時に、騎兵たちと馬車隊は勢いよく飛び出した。シルヴィアの流星雨によって瓦礫が飛散した市街地で、もう右も左も斟酌している場合ではない。一行はただ手近な関所に向かって疾走した。
「そこの馬車隊、止ま――おぐっ!?」
「おらァ! 退け退けぇ!」
何とか事態の収拾を図っている首都警備隊の兵士が一行を押し止めようとするも、混乱する雑兵と直行する一行での衝突は、ほとんど一方的だった。先導組が轢き逃げるように斬りかかり、後続組が弓矢やクロスボウで討ち取る。よしんば致命傷を免れたとしても、最後尾のモルガダが火砲や連装弩で文字通り擦り潰した。
見えた、関所。方位磁針を取り出し、侵入した関所とは別の第二南関であると判断する余裕があったのは、セトだけだった。同じように混乱した人込みでごった返しているという意味では、どこでも一緒である。
「このまま突っ切るぞ! 気ィ抜くなよ、野郎共!」
「へい!!」
最後の踏ん張りとばかりに疾走する先導組が、兵士も市民も関係なく人込みを蹂躙した。その後を駆け抜ける後続組の射撃と強行突破、とどめに最後尾から放たれた火砲によって、第二南関は徹底的に破壊され、その機能を完全に喪失した。
燻る炎と黒煙を背に、そのまま南下していく血痕が、レラーゼ街道を赤黒く汚していった。
星砕きの波濤
隕石を落下させる大魔術
宇宙を漂う岩塊を誘引し、地表まで引き寄せる
たとえ小石であろうと、甚大な破壊力をもたらす
本来は万全の星辰のもと、複雑な儀式を要する大魔術
それは、遥か彼方で起きた星の爆発を利用するものであり
過去すら書き換える、疑似的な運命操作である




