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神宿ル劍  作者: 竹河参号
05章 正しき理の在処
56/78

01.謀略の夜

断絶の格子

 闇に由来する法術のひとつ

 空間を断絶し、あらゆる害意を遮断する

 もっとも高位の防御術のひとつ


 神智学に曰く、“魔”は闇に惹かれるのではなく

 闇を恐れる心にこそ“魔”が巣食うという

 闇を厭うな。それもまた、世界の一部なのだ

 大神官長カヤ=ヘンリスを筆頭とする使徒一行が霊山エルネスカを旅立ったのは、大天竜ナルスタギアの襲撃の、まさに翌日のことだった。

 魔王側の勢力と動向が掴めない以上、事は一刻を争う。神殿中をひっくり返す勢いで支度を整えると、一行は法術の転送装置を使い、標高千五百メートルを一気に下山した。急激な酸素濃度の変化に、神官として修業を積んできたカヤはともかく、傭兵たちの多くが眩暈と頭痛を訴えたのは仕方のないことだろう。教会が管理する麓の施設で一日の休みを経たのち、一行は“ニュクスの森”なる秘境に向けて出発した。

 問題は、そこに至るルートだ。目的地がレノーン聖王国とカルヴェア公国の国境上にあるため、どちらかを経由する必要がある。つまり、北東のレノーン領内を通り抜ける陸路か、東のメンリ大湖を往く水路だ。エルネスカとレノーンが敵対関係にある都合上、そのエルネスカのトップが堂々とレノーンを通り抜けるのは難しいのではないかという意見が出たが、後者である水路はカヤとレーベフリッグの提言で却下された。カルヴェアはレノーンの実質的な属国であるらしく、つまり宗主国の命令に逆らえない。そんな国に真正面から乗り込んだところで、港を押さえられて右往左往させられるのが関の山だろう。何より、霊山の南にある“アルマの井戸底”から飛来する呪いの影響により、湖とは思えないほどの荒波を伴う危険な(みち)らしい。結局、『レノーンの目を盗んでその端ぎりぎりを駆け抜ける』という険路しか残されなかった。



 幌馬車(キャラバン)隊に揺られること、のべ四刻。レノーンとの国境を前に小休止を挟んだ頃には、オルスの刻(午後六時ごろ)を回っていた。霊山エルネスカとレノーン聖王国、対立する二大勢力が睨み合うクルタ関には、関とは名ばかりの巨大な城砦が設けられており、一行を阻むように聳えているが、その手前に森林が広がっており、ちょうどよく隠れ蓑となる。一行はエルネスカの支配領域――つまり安息地での、最後の休息を取ることにした。

 星剣エウレガラムの加護により、ひとまず自力で歩けるほどに回復した崚は、凝った全身をほぐすついでに散歩に出た。見知らぬ土地を歩き回るのは危険を伴うが、流石にレノーン領内よりはまし(・・)だろう。いざとなれば、闇の権能で周囲を探知すればいい。世界を護る至高の神器を、よもや地図アプリ替わりに使おうなどという罰当たりな輩は、後にも先にもこの少年しか現れまい。夕闇に呑まれつつある林の中を、きいきいと鳴く虫の声を聴きながら、崚はそぞろ歩いた。

 痛みを覚える前に、一休みしよう。ちょうどよく生えていた樹の根に座り込んだ崚の頭上に、すい、と違和感が生じた。何事だろうと首を上げてみても、何も見つからない。なにか細いものが崚の髪を掴み、僅かに引っ張られる感覚がした。



「きゅー」

「なんだ、お前かあ」



 気の抜けた鳴き声に、崚はその正体を悟った。ベルキュラス王女のペットもとい、玲瓏の宝珠(ラーグリア)の臣獣。(ちい)さな毛玉と(おお)きな竜の姿を併せもつ、一行のマスコットと呼ぶには不可思議極まる謎生物こと、ムルムルだ。心なしか元気のないその鳴き声に、崚は違和感を覚えた。ひょっとしてこいつ、先日の傷がまだ癒えていないのだろうか。



「まだ傷治んねえのか、お前」

「きゅ」

「頼むよー、大事な戦力なんだぜ」

「きゅー」



 崚の呼びかけに、ムルムルは間の抜けた声を返すばかりだった。この数日間、まともに飛翔している姿を見ていない。エレナやエリスの頭に乗っかり、ぐったりと(やす)んでいる様子を見せるばかりだ。この毛玉とあの竜姿では、体組織の構成からして異なるだろうに、化身前後で影響があるものだろうか。

 とはいえ、あの大天竜ナルスタギアとの機動格闘(ドッグファイト)に加え、シルヴィアの魔術や傭兵たちの攻撃で、相当な負担を強いられたのは事実だろう。それに崚の思い違いでなければ、それ以前の交戦――おそらくは魔王か、ナルスタギアか――で負傷を抱えており、度重なる戦闘の負荷も響いているのかも知れない。崚自身、同じ役回りを務めろと言われたら、少なくとも六度は死ねる確信がある。“大いなる理”とやらのために戦っているというのに、その支援もしてくれないとは、何とも勝手の悪い話だ――という罰当たりな思想を口に出さなかったのは、賢明といっていいか、どうか。

 そんな一人と一匹のもとへ、ざっと草叢(くさむら)を掻き分けて歩み寄る者があった。



「君か」

「……ども」



 視線を遣った先にいたのは、艶のないロングコートに、鋼色の偉丈夫――ゴーシュだった。確かこれからの段取りによると、この男はシルヴィアとともに一行に先行し、レノーン正規軍が待ち構えているであろうクルタ関で混乱を起こすことで、一行が通り抜けるための隙を作る役回りを請け負っていたはずだが。彼は座り込んでいる崚を見咎め、しかし特に表情を変えることなく近付いた。



「安静にしていたまえ。まだ先の負傷も完治していないのだろう」

「って言われても、あの揺れ具合じゃなあ……」



 ゴーシュの諫言に、しかし崚は素直に応えることができなかった。馬車というものは、とかく揺れが激しくていけない。街道と言ったところで、所詮は幾多の人跡が踏み固めただけの地面であり、その平定ぶりと安定感はアスファルト製の舗装路には遠く及ばない。まして、分厚いゴム製の空気タイヤも、柔らかで丈夫な合成皮革のクッションも存在しないこの異世界では、地面の凹凸や小石などの障害物がそのまま衝撃として伝わってしまう。間が悪いと、雑草が車輪に絡み付いてしまい、運転そのものに支障が生じる。重い積荷と共に走る馬、その手綱を取る御者の方が辛いのは承知の上だが、それでも崚は言わせてほしい。乗っているだけでも、相応に疲れる代物なのだ。



「君も大事な戦力だ。不要な局面で無理をするべきではない」

「……一昨日のあれ、『不要な局面』でした?」

「難しいところだな」



 ムルムルとのやり取りを聞かれたのだろうか。重ねられる諫言に、崚は少しだけ厭味を乗せて反抗してみせた。半分冗談だっのだが、大真面目に返答するゴーシュに、崚はつい閉口した。いっそ見事なまでの噛み合わなさは、果たして『“使徒”と“魔”の違い』という言葉で片付けていいものだろうか。

 ……そういえば、ずっと疑問だったことがある。これを好機と、崚は思い切って問うてみることにした。



「……その、ひとつ訊いてもいいですか」

「内容による」

「ゴーシュさん、イシマエルなんすよね。……なんで、人間(こっち)側に付いてるんすか?」



 真正面から突き付けられた問いに対し、ゴーシュは何の反応も示さなかった。動揺も、憤慨も、当惑さえも。崚が期待していた反応の、いずれも返さなかった。



「私が疑わしいか」



 淡々としたゴーシュの言葉を、崚は否定はしなかった。言葉で飾ったところで、“人”と“魔”の違いは覆らない。そこに横たわる断絶を埋められない以上、取り繕っても意味がない。それこそ、崚本人がどう思っていようと。



「君の疑念は正しい。大智竜レーベフリッグと同じ慧眼だ」

「褒め方が回りくどい……」



 崚の無言の肯定を認めたゴーシュだが、その返答は崚の顔をしかめさせるだけだった。かの長命な臣獣の名を引用するのだから、最上級の褒め言葉なのだろうが、残念ながら異世界人である崚に、その真価が分かろうはずもない。本人は大真面目に言っているものだから、なおさら性質(たち)が悪い。

 ともあれ、問いには答えを。黙って促す崚に、ゴーシュはしばらく沈黙した。



「――……私は、捨てられた兵器だ」



 答えは、ひとつの告白から始まった。ぽつりと呟かれた言葉の、しかしその意味を理解できない崚は、当然に首を傾げる。



「捨てられた?」

「生みの親、魔人マルシアル本人に。『失敗作』として、廃棄された」

「……なんでですか?」

感情を持ったからだ(・・・・・・・・・)



 禅問答か。

 崚がそうツッコミを入れなかったのは、間違いなく賢明と言っていい。しかし言葉にせずとも伝わったのか、ゴーシュは何に促されるでもなく言葉を続けた。



「イシマエルは人造兵器だ。誕生した後で知性を得、教えられ、学び育つ人間とは異なり――私は、兵器として生み出された。誕生したその時点で、私にはある程度の知性を与えられていた。己が何者で、何のために生み出され、何のために生きるべきなのかを知っていた。そのように入力(・・)されていた。

 私はある日、培養槽の向こう側から、生みの親である魔人マルシアルに尋ねた。『何故戦わされるのか』と」

「……なんで、そんなこと訊いたんすか?」

「それを知りたかったからだ」



 崚の問いに、ゴーシュはただ端的に返した。文字に起こせば奇妙な問答だが、不思議と崚は、その意図するところを直感した。決して厭戦的な感情があったわけではなく――ただ、存在意義(レゾンデートル)が規定されていること。それに疑問を抱いたこと――その思考、その感情そのものについて、何かしらの納得が欲しかったのだろう。



「だが――それは彼の魔人にとって、ひどく不愉快な行動だったらしい。『不要な因子を発見した』『不要な感情を獲得した』……『与えられた存在意義(レゾンデートル)疑問を持つ(・・・・・)』、それ自体が、『至高の兵器』にあるまじき不純物だったらしい。そういった理由で、私は『失敗作』と見做され、廃棄された。

 そして放り出された私は、人間の社会を彷徨った。先代のヴァルク団長に拾われ、傭兵団に身を寄せたこともあり……以降は、君も知っての通りだ」



 と言われても、崚は彼の半生など知らない。止まり木を得る機会を何度も拾いながら、しかしいずれをも選ばなかった、ただ飛び続けるだけの渡り烏――そう言いたいのだろうか。



「“魔”の側に、私の居場所はない。“神”の側にもない。だが“人”の側には、辛うじてある。……これで、答えになったか」



 そしてゴーシュは口を閉じた。最後の言葉は、崚へ投げかけた問いのようにも、自己完結した独り語りのようにも思えた。崚がどう答えようと――それこそ「納得いかない」「信用に足りない」と糾弾しても、それで当然だと認めてしまいそうな雰囲気があった。

 しばらく、沈黙が続いた。



「――私からも、ひとつ質問していいか」

「内容によります」



 無表情のゴーシュからの問いに、崚は意地悪く返した。何となく言ってみただけである。答えを躊躇うような問いが投げられるとは思っていないし、内容次第で沈黙するような腹積もりもないが……こんな茶番に興じてみようと思える程度には、この不気味な人造兵器に親しみを抱いていることに、まったく無自覚だった。



「人間の命とは、それだけで価値があり、尊ぶべきものだという。――君は、君自身の命を(・・・・・)尊ぶことが(・・・・・)出来ないのか(・・・・・・・)



 崚は思わず息を呑んだ。

 喉奥で呼気と吸気が逆流して衝突を起こし、咄嗟に咳き込みそうになった。んぐぐっと自らの呼吸を呑む崚の醜態を、その頭頂で揺れるムルムルがぎゅうと不満げな鳴き声を上げる様子を、ゴーシュはただ黙して見つめていた。ようやっと崚が応答できるようになるまで、しばらく沈黙が続いた。



「――……できてないように、見えますか」

「君の戦い方は、他の戦士たちとは違う。クライド卿とも、カルドク団長とも、兵士たちとも、傭兵たちとも。

 彼らと君との違いについて、その原因について。私が推察できるのは、それだけだった」



 やがて、掠れた声で問い返した崚に対し、ゴーシュは淀みなく言い放った。崚の動揺をまるで斟酌しないその言いようは、彼の図太い心胆を鋭く抉り、その図星を狂いなく突いた。その衝撃に、崚は咄嗟に何も言い返すことができなかった。

 無言の動揺を、見下ろすゴーシュはどう解釈したのか。彼は崚の答えを待つことなく、くるりと背を向けた。



「答えたくないのなら、それでいい。ただの、一方的な興味だ」



 颯爽と歩き出すゴーシュは、本来の仕事に戻るのだろうか。ただ茫然と見送ることしかできない崚を気遣うものなど、どこにもなかった。きいきいと鳴く虫の声だけが、辺りを満たしていた。






 ◇ ◇ ◇






 クルタ城砦――もとい、クルタ関。その西南西にある林の陰から、一本の煙が立ち上っていた。

 言われなければ、それと気付くことはできまい。夕暮れに紛れるそれを、よしんば自力で見つけられたとして、だから何だという話だろう。行商隊か、傭兵くずれのならず者共かが、街道のはずれで火を焚いているとしか思うまい。



「――竜に守られた七ツ星……七天教の紋章を確認。間違いありません、あれが標的です」



 だがそう思わない者たちが、城砦の壁の上から見下ろしていた。レノーン聖王国の魔導研究機関で発明され、中央から辺境各地の至る城砦要衝に配備されている、最新鋭の望遠鏡を手繰りながら、兵士の一人がそれを捉えた。

 彼が捉えたのは、七天教の紋章が刻まれた掲旗(バナー)だ。いま幌馬車(キャラバン)隊の各々に堂々と掲げられているそれは、やがてこの関を通る前に、積荷に紛れて隠されるだろう。だが偉大なるレノーンは見逃さない。よもや聖王国を守る最前衛、にっくきエルネスカを臨むこのクルタ関の精兵が、そんな姑息な小細工に騙されなどしない。

 そして、それは相手も了解済みのはずだ。必ず、先手に何か(・・)を仕掛けてくる。



「では、手筈通りに。……雑兵共は任せたぞ、魔人」



 親の仇のように睨みつける兵士の報告を聞き届け、その背後に控える黒衣の部隊長が頷いた。そして、何もない内壁の一角に視線を遣ると――



「えぇ、もちろん。そちらもせいぜい、巧くやることね」



 暮れなずむ闇から、鈴を転がすような声がした。

 同時に音もなく姿を現したのは、流れるような金髪(ブロンド)、切れ長の怜悧な瞳、豊満でありながら無駄のない魅惑の肢体――その唇を蠱惑的に歪める、魔人カンデラリアだった。影もない場所から現れた女の姿に、しかし部隊長は動揺ひとつ見せることなく「無論」と言い返す。まるで示し合わせたかのように――いや真実、両者は示し合わせてここに居合わせている者たちだった。



「『廃棄処分』の対応は?」

「もちろん織り込み済みよ。ちゃんと(・・・・)騙されて(・・・・)ちょうだいね(・・・・・・)?」



 謎めいた符牒を交わしたきり、その場にいる者たちはそれぞれに散った。沈みかけの太陽に朱く焼かれる内壁が、やがて黒紫に呑み込まれていくのを、止める者などいなかった。






 ◇ ◇ ◇






 鼻を突くような甘ったるい匂いに、崚はぱちりと覚醒した。



(くさい)



 即座に起き上がり、佩刀を握る。幌馬車(キャラバン)の荷台で休んでいた崚は、一寸の迷いもなく飛び出した。

 時刻はリィヘスの刻(午後十時ごろ)をとうに過ぎている。月明かりが照らす森に、崚が違和感を抱いたのはすぐだった。――焚火が消えている。傭兵たちが持ち回りで寝ずの番をしているはずで、ほぼ最初の当番である今日は確か、レインとロッツだったはずだ。甘ったるい臭気に鼻を潰された崚には、血の臭いがするのかどうかさえ分からなくなっている。崚は動揺することなく辺りを見回した。星剣の片割れ、晦冥の湾刀(イーレグラム)の使徒たる崚にとって、闇はもはや目晦ましになりえない。

 いた。火の消えた薪を前に、呆然と眠るように蹲っている。燃え殻の様子からして、火が消えてからさほど経っていないらしい。



「レインさん! ロッツさん!」



 崚は即座に駆け寄り、二人を揺すった。んごぁ、と喉奥から間抜けな声が漏れるだけだった。だらしなく涎を垂らすその様は、どうやら眠っているようだ。いびき混じりの声を上げる二人に異状は見られないが、しかし目覚める様子もない。この嗅ぎ覚えのある異臭と、この異状。関連付けるなという方が無理だろう。

 では、仕手はどこの何者か――と思索に入り込もうとしたその瞬間、がたりと幌馬車(キャラバン)の一角が揺れ、そこから人影が現れた。



「――りょ、う……」



 長槍を杖代わりに、ふらふらと覚束ない足取りで歩み寄るのは、クライドだった。何かに耐えるように強く歯を食いしばり、その端正な顔を苦悶に歪めている。反射的に駆け寄った崚に対し、クライドは半ば(くずお)れるように(もた)れかかった。



「クライド! 無事か!?」

「……何、とか……」

「そのツラは無事って言わねえよ、馬鹿野郎」



 立っているのもやっと、という有様に、崚ができることはなかった。今にも瞑りそうになる目元を、ごしごしと力ずくで擦っている様子からして、強烈な眠気に襲われているらしい。月も高い夜中とはいえ、こうして立っている状態から倒れそうになるほどの眠気は尋常ではないだろう。レインとロッツの様子からしても、何者かの作為である可能性は高い。



「どういう状況だ。こないだの呪術と同じか?」

「……た、ぶん……」

「じゃあ、術者を見つけて仕留める必要があるってことか」

「おそ、ら、く…………だ、が……」



 崚の問いに、クライドは息も絶え絶えながら答えた。眠気で思考もままならないだろうに、何とも気丈な奴だ、と感心させられる。

 ともかく、事態を打開しなければならない。くんと鼻をすすり、臭気の出処を探ろうとしたその瞬間、



「――()ッ!」



 物陰から飛来した針状のナニカを、咄嗟に鞘で払い弾き飛ばした。明後日の方向へくるくると宙を舞うそれは、投擲用の短剣だ。

 同時に飛び出した人影を、崚は迷いなく捉えた。数は三。風体を伺わせない外套(ローブ)を着込み、小剣を構えながら疾走してくる。



(敵襲――! ち、先手を取られた!)



 その事実に歯噛みしながらも、崚は迷わず鯉口を切り、ずらりと刀を抜いた。敵は敵、やらねば、やられる。

 ――ぎち、と歯車を咬合させる。月明かりを照り返す紫電が、向かってくる賊らにとっての目印となったか、どうか。



「――敵襲、か……!?」

「下がってろクライド!」



 何とか応戦の構えを見せるクライドを振り切ると、崚は音もなく三方向から飛び掛かった賊に対し、咄嗟に前に踏み込んだ。目標を逃した二方向の剣が背中を掠めていく最中、突き出された正面の剣を脇構えの刃で押し退けながら、交差突きを繰り出す。緩く曲がった刃が小剣を押し退けながら外套(ローブ)を食い破り、ぞぶりと賊の脇腹へ突き刺さった。ぐぅぅと低く唸る賊の声は、しかし致命傷には遠い。崚はその体勢のまま、身を押し込むように体当たりした。目的は目の前の賊でも、両脇の二人でもなく――林の奥で、クロスボウを構えている一人。



(――視えてんだよ、そのくらい!)



 晦冥の湾刀(イーレグラム)の加護がもたらす暗視。それは、林の奥に潜む伏兵の姿を鮮明に――いや、この表現には語弊がある。暗がりは暗がりであり、明彩を用いた視覚知能のいずれにも該当しない。暗闇のままに(・・・・・・)そこに在る(・・・・・)を視止める(・・・・・)異能である――捉えた。果たしてその伏兵は、味方の陰に隠れたまま戦う崚へ射かけることができず、戸惑いの色を見せている。この隙を逃す手はない。

 だが、戦闘員は他にもいる。初手を躱された二人は、すぐさま刃を翻し、崚の背後へと斬りかかった。背後から迫る死の刃に目もくれないまま、崚が取った行動は――ぐっと左足を突き出し、よろけた目の前の賊の股下に差し込むことだった。

 急な制動によって全身を襲う運動エネルギーを、両足で踏ん張って受け流す。その力をぐっと腰にためると同時に、鞘を捨てて目の前の賊の胸倉を掴み、ぐるりと身を翻す。反転した勢いと足腰から伝わる力を利用し、崚は賊を背負い投げた。



「なにっ!?」

「ぐぅっ」



 必殺の二撃に対し、文字通り差し挟まれた味方の体躯に、驚愕した二人が思わず剣を止める。しかし勢いに乗った鉄の刃を完全に止め切ることはできず、その刃は宙を翻るローブを斬り裂き、その奥の肉へと僅かに食い込んだ。そのまま衝突した三人は、ごろごろと地面を転がり、ざざっと泥を巻き上げた。投げ出したその勢いに乗じて、崚は抉るように刺さっていた刀を引き抜いた。

 好機。林の奥で見守っていた伏兵は、改めて崚の無防備な背中にクロスボウの照準を合わせ、



「ふんッ!」

「ぐがっ!?」



 背後から(・・・・)突き込まれた刃が、その身を襲った。

 闇を潜り、その背後に回り込んだ崚の平突きによって、賊はその身を深々と貫かれた。肋骨の隙間をすり抜けるように差し込まれた黒刃は、その心肺に決定的な創傷を与え、そのまま事切れさせるに至った。その遺骸を蹴り押すように刃を引き抜きながら、崚の視線は団子状態で藻掻く三人の賊に向けられた。レインやロッツ、他の団員が起きて戦闘に参加する様子は、ない。

 とはいえ、尋問なら一人残って(・・・・・)いればいい(・・・・・)。肉の奥深くに突き刺さった刀を蹴って引き抜くと、崚は再び闇を潜って距離を詰め、ようやく起き上がろうとした一人の頭蓋に向けて刃を振り下――



「――動くな!」



 彼方から響いた鋭い声に、刀をぴたりと止めた。

 目の前の賊にしてみれば、まさに九死に一生の光景だろう。その目の前に刃を突き付けていた崚は、両手で握り込んだ刀をぴくりとも動かさぬまま、むっつりと声の方へ振り向いた。

 視線の先には、諸手を挙げて立ち尽くすエレナとカヤがいた。その手のどちらにも、本来携えているべき神器(ぶき)がない。二人の背後を捕まえる黒ずくめの賊が、およそ十人。



「――リョウさん……!」

「……ごめん……!」



 心底悔しそうな表情を浮かべる二人の様子は、崚に己の不始末を際立たせる効果しかなかった。両者の僅かな会話さえ遮るように、黒ずくめの賊の一人が言い放った。



「動くな。得物を捨てて、そのまま跪け」



 くぐもった声で下されるその命令に、崚が抗う術はなかった。ご丁寧に、崚の死角から二人へと得物を突き付けている。――打つ手はない。崚は舌打ちをひとつすると、両腕を脱力させ、がらんと刀を投げ捨てた。

 ぎりぎりと歯噛みしながら中腰で跪く崚の姿を見て、目の前の賊はようやく自らの生還を確信した。生死の瀬戸際から解放された賊は、しかしこのために仲間が一人討ち取られ、もう一人が重傷を負ったという事実に、頭巾(フード)の下で思わず苛立ちを覚え、すっくと立ちあがると、そのまま崚の顔面を横薙ぎに蹴飛ばした。



「っ()えよ、クソが!」

「黙れ。喋っていいとは言っていない」

「やめろ、クレト」



 口の中が切れた。血と共に吐き出された崚の罵声を聞き流しつつ、クレトと呼ばれた賊は懐から荒縄を取り出し、そのまま崚の胴と腕を縛り始めた。崚はただ、己を満たしていく憤懣を自覚しながら、しかしなすがままにされることしかできなかった。それを合図として、賊の幾人かが同じように懐から荒縄を取り出し、エレナとカヤをも縛り上げる。

 一方、エレナらの傍に立っていた賊の一人が、クレトを窘めつつ歩み寄り、崚の投げ捨てた刀――星剣エウレガラムを拾い上げた。血と脂に濡れた刃が、月光に照らされてきらりと輝いた。



「ふん、これが例の“星の剣(まがいモノ)”か……贋物らしい安っぽさだ」



 これ見よがしに嘲るその声には、忌々しささえ込められている。それが崚に対する嘲罵たり得たか、どうか。少なくとも、言い返す余地は与えられなかった。



「――待、て……!」

「ん……?」



 エウレガラムを睥睨していた賊の足に、何かが縋りついた。ついに倒れ伏したクライドが、それでも辛うじて這って進み、賊の足を掴んでいた。



「エレナ、さま、に……手を、出すな――!」

「チッ、まだ意識があるのか」



 息も絶え絶えに、それでも必死の抵抗を見せるクライドに対し、賊はただ冷淡な視線を向けた。取るに足らない邪魔者を排除すべく、小剣を抜き放ち、その背へと突き立てんと構える。



「クライド――!」



 思わず身を乗り出したエレナも、別の賊に取り押さえられる。這いずるのが精一杯のクライドでは、その刃を避ける術が――

 その猶予は与えられなかった。ぼん、という轟音が、一同の空気を切り裂く。はっと一斉に振り向いた先にあったのは、爆炎と共に黒い煙で夜空を汚すクルタ関の城砦。



「隊長!」

「チッ……好き勝手に暴れてくれる。

 おい、急ぐぞ! 向こうの騒ぎ(・・・・・・)に乗じて移動する!」



 次々に増えていく爆炎を見、咄嗟に放たれた賊の一人の呼び声に、賊もとい隊長は舌打ちしながら号令を発した。辛うじて足止めを試みるクライドの胴を蹴飛ばし、足早に林の向こうへと歩みを進める。崚はただ、呻くクライドを見守ることしかできなかった。

 黒い帯のようなもので、崚の視界は塞がれた。そのまま力ずくで立たされると、駆り立てられるように足早に歩かされる。やがて、どんと堅く平たい何かの上に横倒しにされた。ぎぃと軋む音からして、幌馬車(キャラバン)の荷台に乗せられたのだろうか。



「――待、て……! エレナ、様を、返せ――!」



 遠くなるクライドの叫び声を置き去りに、一同を乗せた馬車が走り出す。鼻の奥にこびりつく臭いが、いつまでも離れなかった。



天祐

 全ての神器に共通する加護のひとつ

 霊気で使徒を守り、あらゆる魔導への耐性を与える


 味方の有用な魔術をも打ち消してしまうが

 補ってあまりある防御性をもつため、問題はない

 もとより、魔術に縋るべき道理などあるまい

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