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神宿ル劍  作者: 竹河参号
04章 魔の凱歌を謳え
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11.開戦の兆し

 三大忌地“ガルプスの渦”は、世界の中心にある。

 “魔王”トガと“聖剣使い”ヘクター・ベルグラントが最後の決戦を交わした地は、人智を隔絶する魔力と霊気の衝突により理が歪み、人跡を拒む最後の魔境として知られている。その時の魔力が未だ残留し、尽きぬ呪いを撒き続けている、というのが通説だが――

 そのさらに深奥に、それ(・・)はあった。

 地の底の大空洞、その中央に鎮座する巨大な水晶塊に閉じ込められた、黒髪の男。夥しい魔力が天地を汚染する中、その大空洞だけは清澄に満ちていた。退魔の光剣(エウトルーガ)晦冥の湾刀(イーレグラム)、そして玲瓏の宝珠(ラーグリア)――三つの神器の権能が成した、永久(とこしえ)の封印。朽ちず、衰えず、八百年前そのままに凍り付いた魔王の真体が、三重の霊気の奥底にあった。

 幻想的なその光景を前に、一人の少年が屹立した。かつて“雷電の復讐”に誓い、辺境の傭兵団に身をやつし、そして今、魔王の魂の依代となった少年は、霊気が織りなす結界を前に、無言で立ち尽くしていた。肉体と魂が切り離され、己同士が対面するというのは、世界広しといえど決して尋常ならざる体験だろう。少年の裡に宿る魂は、一瞬だけ奇妙な感慨を覚えた。

 少年の体躯から、赤黒い瘴気が噴き出した。汚濁に満ちた瘴気は、たちまち目の前の水晶塊に向かって殺到し――しかし、その遥か手前で押し止められた。水晶塊を包む霊気が、形なき魔王の魔力を拒んだ。本来あるべき肉体と魂の融合、魔王の完全復活を拒むかのような、最後の抵抗だった。

 ――みしり、と世界が軋んだ。

 極大の重力と赫熱が、大空洞を呑み込んだ。霊気の封印が圧迫され、みしみしと世界が悲鳴を上げる。大空洞を、水晶塊の封印を丸ごと崩落せしめんとばかりに膨れ上がる魔力が、ごろごろと轟音を響かせる。水晶塊の表面に、ぴしりと亀裂が走った。

 所詮は遠い過去の残滓、実体を伴わない霊気の残り香では、天地を噛み砕かんばかりの魔力を前に、いつまでも()つものではない。わんわんと悲鳴を上げて揺らぐ霊気の隙間を、赤黒の瘴気がすり抜けた。そのまま水晶塊に取り着くと、ひび割れた亀裂からするりと内部へ浸み込んだ。ずるずると這いずる瘴気は、やがてその総てが水晶塊の中身へと収まり、一握の欠片をも残すことなく少年の身体から失われた。すべてを失った少年の体躯は、そのままべしゃりと(くずお)れた。

 びしり、と水晶塊の亀裂が広がった。次々に亀裂が増え、広がり、交差し――やがて水晶塊を覆い尽くすと、ばきんと一際強い破砕音が響いた。水晶塊ががらがらと零れ、細かな蒼粒と化し、軽やかな音とともに崩落していく。その深奥に閉じ込められていた青年は、ゆっくりと目を開き――淀んだ血赤色の瞳で大空洞を睥睨した。

 ついに“魔王”トガが、その真体を取り戻した。

 それを見届けたかのように、重力と赫熱が止んだ。八百年ぶりに己が体躯を取り戻したトガは、それを確かめるように腕を動かした。腕を持ち上げ、手を握り、開き、魔力を循環させる。一通り支障がないことを確認すると、それ(・・)は足を動かし、水晶塊の残骸から進み出た。からからと転がる水晶の欠片は、もはや何の障害にもなり得なかった。

 トガの意識は、大空洞の入り口――そこに立つ魔人アスレイに向いた。八百年ぶりの再会、総身に“神なる理”との激戦の傷痕を刻んだ“羅刹”は、しかし往時と同じ、いやそれ以上の憎悪を滾らせて屹立している。狂おしいほどの激情の発露が、魔王の胸中に微かな郷愁を抱かせた。



「――再臨(もど)ってきたか。待ち侘びたぞ、我が友、我が王よ」



 流れるような所作で、アスレイが恭しく跪いた。往時とまったく同じ忠心は、まるで八百年という隔絶が嘘のようだ。懐かしき友との再会に、トガは鷹揚に頷いた。



「顔を上げよ。――虜囚の辱めに耐え抜き、よくぞ我が許へ戻った。大儀である」



 魔王らしく傲岸な言葉は、しかし不思議な温かさを伴っていた。八百年前、同じ戦場を駆けた唯一の戦友。無二の同志。その絆は、こうして永い時を越えても色褪せず、余人の邪魔を許さない。だがその根幹は、人類廃絶という呪いである。そんなものに付き合わされる世界の方こそ、堪ったものではない。“神”と“魔”、互いの全霊を懸けた大反攻を、この二騎は再び繰り返そうとしていた。

 猶更性質(たち)が悪いのは、そこに新たな勢力が加わろうとしていることである。



「――して、貴様らは?」

「あら、いけない方。何もかも知っているくせに、素知らぬふりして喋らせるのね」

「貴様らの口から語らせることに意味があるのだ」



 二騎の再会を遠目に見守っていた魔人たちへ、トガが視線を遣った。まさに恐れ知らずの口を利くカンデラリアと、薄笑いを浮かべるマルシアルだった。



「お初にお目にかかります、魔王様。マルシアル・テクス・アルトゥル・ガルガムス、しがない生物学者にございます。アスレイ様のご協力のもと、魔王様が尖兵たるイシマエルを使い、少々の研究をさせていただきました」

「それで?」



 まず応えたのは、マルシアルの方だった。仰々しく首を垂れ、歯の浮くような白々しい台詞を並べる。トガは興味なさげに続きを促した。



「御身の臣下としてお仕えさせていただきたく、伏してお願い申し上げます。

 御身を前にして恐縮でございますが、イシマエル共の量産と改造には一日の長があります。魔王様の悲願、人類廃絶のお力添えになれるかと」

「佳かろう。貴様の臣従を許す」



 流れるようなマルシアルの口上を、トガは二言で切り捨てた。(トガ)を失い、自ら死することも叶わず、少しずつ人間たちに対策され討伐され続け、その数を減らす一方だったはずのイシマエルたち――あろうことかその数を殖やし、人間世界の脅威として再び台頭せしめたのは、他ならぬこの“虚殖”の魔人に()るところが大きい。それが、本来の王たるトガの心境に影を与えたか、どうか。少なくとも、利用価値を見出させるには至った。

 続いて、カンデラリアが進み出た。



「私はカンデラリア。そこのアスレイさんとマルシアルさんの口車に乗せられて、貴方の復活に協力した通りすがり(・・・・・)の魔人よ」

「――くく。諧謔の嗜みはあるようだな」



 剽軽(ひょうきん)な自己紹介に、トガは口角を僅かに歪めた。魔人――世界に叛逆する“魔”の頂点が、通りすがり程度にありふれているはずがない。その存在そのものが、悪辣な諧謔に他ならなかった。



「それで? その『通りすがりの魔人』とやらは、吾が再臨をどう受け止める?」

「そうねぇ……お仕事は済んだのだし、これっきりでお別れでもいいのだけれど――」



 トガの問いに、カンデラリアはうーんと頬に手を当ててみせた。実のところ、選択肢は有るようで無い。すなわち、世界に蔓延る邪悪な“魔”の一角として征伐されるか、“魔王”の覇道を阻むものとして討滅されるかの二択だ。



「ただ……『人類廃絶』が果たされた時、どんな景色が見えるか、興味がないと言えば嘘になるわね」



 ――それでも、選ぶのは(・・・・)いつだって私の方(・・・・・・・・)。傲岸に不遜に世界を嘲笑い、甘く蕩かし腐らせる。そう啖呵を切れる者なればこそ、世界の軛を外れた“魔人”となるのだ。



「そのためにというのなら――『どうしても私の力が欲しい』というのなら、なってあげてもいいわ。貴方だけに尻尾を振る雌狗(いぬ)に、ね」

「佳かろう。求めるならば、吾が与えてやる」



 カンデラリアの嫣然とした言葉に、トガはふんと鼻を鳴らすだけだった。「まぁ、連れない方」とカンデラリアが口を尖らせたのも、遊興のうちと言っていいか、どうか。

 ともあれ、こうして二騎の魔人は魔王の軍勢へと加わった。数にして、たったの四騎――だが、それぞれが異なる形で人間社会を滅ぼす力を持ち、神器の使徒とさえ対等以上に戦ってみせることができる。世界の命運は、決定的な破滅へと舵を切り始めた。



それら(・・・)はどうする?」



 そう問うたアスレイの視線は、魔人二騎のさらに後方、二つの人影(・・・・・)に向いた。ひとつは、その身をもって魔王の魂の運び手となった――そしてたった今、その役目を終わらせた、ジャンという名前の少年だったモノ。

 そしてもうひとつが、ゆっくりと闇の中から姿を現した。雁字搦めに縛り上げられた糸人形のように、不格好で不自然な歩みを強制されているのは――大鎌を携えたアレスタだった。衣服はぼろぼろに破け、燃えるような赤毛も煤に汚れている。落ち窪んだ眼窩は、ひたすらに虚空を映すばかりだった。ぎちぎちと軋む音を上げる魔力が、その全身を余すことなく締め上げていた。

 アスレイの質問に対し、トガは一瞥だけ遣ると、すぐに興味を失くし視線を逸らした。



処分(ころし)はせぬ。使いようはあろう」

「ならば、管理は私めが。少し弄りますが、構いませんかな?」

「好きにせよ」



 すかさず口を挟んだマルシアルに対しても、ぞんざいに答えるばかり。仇敵の一角、憎き神器の使徒を手籠めにした達成感など、それ(・・)の裡には去来しなかった。何しろ、一度為したことのある(・・・・・・・・・・)大逆である(・・・・・)



「残りの使徒共はどうする。まさか、あれ(・・)一騎でどうにかなるとは思っていまい」

「覚醒済みの三人は、霊山エルネスカに集結しているようね」



 待ち侘びたとばかりに諸手を擦るマルシアルをよそに、残る人外たちは話を進める。“神なる理”からはみ出した魔人としての“感”が、(ころ)すべき標的の行方を知らしめていた。無論、無為に待ち構えるつもりはない。そこにはすでに、一つの戦力を送り込んでいる。



「構わぬ。所詮は竜、神理にとっても捨て駒に過ぎまい。――まずは、小手調べといこうか」



 ――あれ(・・)すら凌げぬようでは、己に挑む資格など与えられない。蘇ったばかりの魔王は、大上段から使徒(ヒトのこ)を見定めることにした。






 ◇ ◇ ◇








「さぁ、お勉強の時間です! 張り切ってまいりましょう!」

「は、はい!」

「……巫女サマ、それ何キャラ?」



 ヌーの刻(午前八時ごろ)、燦々と降り注ぐ陽光の下。つい昨夜訪れたばかりの大舞台にて、カヤが元気よく声を張った。対面するのは、新たな使徒こと緊張が抜けきらないエレナと、いまひとつテンションについていけない崚。十代の二人より遥かに年上、一行と比しても最年長であるはずの“長巫女”カヤだが、にこにこと上機嫌に笑うその顔は、とても齢を重ねた森人(ケステム)には見えない。



「一分一秒を争うって話じゃなかったっスっけ……?」

「並みの相手ならいざ知らず、相手はかの“魔王”です。神器の権能を知悉し、正しく使いこなすことは必須条件。大敵を前にしてこそ、しっかり足元を固めるのですよ」



 舞台の脇でたむろするラグたちの言葉を、カヤが即座に拾い上げた。今更にきりりと表情を正してみせたところで、隠す気もあるか疑わしい上機嫌では、保てる威厳などありはしない。

 世界に点在する六つの神器――すなわち、炎精の戦斧(ガルマエルド)玲瓏の宝珠(ラーグリア)霊王の剛槍(ゴールトムク)風伯の鉄弓(カルネクス)雷獣の鉤爪(イルンガルツ)、そして星剣エウレガラム。このうち、推定雷獣の鉤爪(イルンガルツ)の使徒であるアレスタは失踪しており、そもそもベルキュラス王室を弑逆した奸臣ということで、協力は期待できない。一方、炎精の戦斧(ガルマエルド)の使徒は南西のダキア王国から輩出されているが、当の本人はその臣獣とともに世界中を飛び回っており、すぐに連絡を取れる状況ではないらしい。また、風伯の鉄弓(カルネクス)はとある秘境に封印されているということで、こちらも即応できない。つまり、崚が星剣エウレガラムの使徒として正式に覚醒したことで、最低限三つの神器が戦力として揃ったということになる。

 問題は、『使徒としての戦力』だ。いくら“神なる兵器”に選ばれた特別な担い手とて、目覚めてすぐにその権能を使いこなすことなどできない。それはずっと“紅血の泉(オプセデウス)”の抑制に専念し、“水精の剣”の本来の権能に慣れていないエレナも同様であり、『神器を扱う能力』という意味ではほぼ最底辺といっていい。つまり、霊王の剛槍(ゴールトムク)の使徒として最も経歴の長い大神官長カヤを教師役として、ここに『使徒授業』が開催される運びとなったのである。



「クライドさんは魔導兵器を扱われるとのことでしたね? 法術の知識が直接関係するわけではありませんが、魔槍の制御にあたって参考となることもあるでしょう。是非役立ててください」

「はい。よろしくお願いいたします、大神官長様」



 エレナの隣に並ぶクライドが、びしりと姿勢を正して応えた。こういう辺りは、やはり騎士として馴れている。無論、崚も無仁流の稽古を積んできた身であり、決して馴れていないわけではないが、なにぶん内容が法術だの権能だの、いまひとつ胡散臭い代物である――というのは、言うまでもなく不信心極まりない思想だが、それを咎める者が現れなかったのは幸いと言っていいか、どうか。



「ぶー。魔術ならあたしの方が適任でしょ」

「っ()ってもよォ、兄ちゃんは槍ぶんぶんやる方が主体だろ。公女さんの戦い方で、なんか役に立つのかい」

「あなたの威力では、ここの結界を傷付けかねないので、控えてください」

「はぁーい」



 一方、カルドクら傭兵たちと同じように舞台脇でたむろしながら、シルヴィアがぶーと頬を膨らませていた。礼儀のなっていない傭兵たちに混じって胡坐をかき、無遠慮に野次を飛ばす姿は、とても高貴な大公家の令嬢とは思えない。隣で足を崩して座り、よれた毛玉姿のムルムルを頭に乗せているエリスの方が、よほど品がある。霊山の神殿を預かる長巫女(カヤ)に言い咎められ、魔公女(シルヴィア)はしぶしぶと引き下がった。



「つーか、あんたらは何してんだよ!?」

「見物」

「野次馬」

「暇つぶし」

「見世物じゃねーよ引っ込め!」



 崚の喚声に、傭兵たち(と、シルヴィア)は平然と言い返した。「いーだろ、減るもんじゃあるめぇし」と開き直る様は、崚とは異なる意味でとんだ不信心者共である。衆人環視の中で修行など冗談ではない、勘弁してくれ――というが、そんな崚の不満を誰よりも慮ってくれないのが、まさに教師役を務めるカヤだった。ある意味誰よりも熱意を込められた双眸が、もう始める前からげんなりしている崚を捉えた。

 何はともあれ、我儘を言っても始まらないのが戦争だ。ここは大人しく、まず座学からといこう。



「そもそも、神器とは『物質化した聖性そのもの』です。地のうごめき方を、水の流れ方を、火の揺らぎ方を、風の巡り方を、そして生の始まり方と死の終わり方を規定する“大いなる理”――それを守るため、荒ぶる力を振るう不滅の現御霊(うつしみたま)。故にその力は絶大ですが、ヒトの身で制御できる権能には限界があります。

 神器の権能は大きく『加護』と『神威』に分けることができます。使徒自身を保護し、脅威から身を守る『加護』と、外界に作用し、“魔”を排除する『神威』――それぞれ、防御と攻撃に関連するものと思っていただいてよろしいです。また、わたくしの霊王の剛槍(ゴールトムク)およびエレナ様の玲瓏の宝珠(ラーグリア)は、その加護を他者に分け与えることが可能です」

「それは、どうやったら使えるようになるのでしょう?」

「“先史の追憶”という加護を用いれば、神器と対話することが可能です。

 先人の使徒たちは、神器の権能から多くの加護と神威を見出してきました。神器と同調することで、その御業を継承することが可能になるのです」



 カヤとエレナの問答に、「ずいぶん都合のいい話だな」と崚が茶々を入れなかったのは、間違いなく賢明と言っていいだろう。つまるところ、先人たちが培った技術がそのまま伝授され、一から習得/開発する必要がないということである。あらゆる武芸者、いやすべての分野の技能者にとって垂涎ものの恩寵だろう。あるいはそれもまた、“神”を冠するモノゆえの特別性というべきか。



「具体的には」

「使徒であれば、神器の方から語りかけてくるのを拾うことができます。

 深呼吸をして、心を落ち着かせ、内なる(こえ)に耳を傾けてください――……」



 カヤに促されるまま、エレナと崚は目を閉じた。その手に握る剣の波動を感じ取り、深く深く思考に沈んだ――

 しばらく、沈黙が続いた。使徒二人の集中を乱さないように、見る者全員が固唾を呑んで見守っていた。……早々に飽きたカルドクが盛大な屁をこきそうになり、ラグやカルタスに殴られていたのは蛇足だろう。

 やがて、エレナの周囲にいくつかの水滴が浮かび上がった。ふよふよと彼女の周囲を滞留し、少しずつ数を増やし、そして秩序だって流動を開始する様を見るに、何かしらコツを掴めたのだろう。瞑目したままの横顔も、手応えを感じているようだった。

 一方、崚の方はといえば――



「――何も聞こえないんすけど……」

「えっ?」



 顔じゅうに困惑を浮かべて発した言葉に、カヤも思わず当惑した。



「そ、そんなはずはないでしょう? 現に、星剣の権能を行使できていたと聞いていますよ」

「いやアレ、何か『いける』って思った時に、勝手にぶわーっと出るっつーか。むしろ振り回されてるっつーか」

「危なっかしい奴だな……」



 おろおろと狼狽えるカヤ、平然と危険な告白をする崚を交互に見ながら、クライドが呆れた声を上げた。彼自身、今はなきベルキュラス魔導局で魔槍を授かった際、「一歩間違えば己だけでなく、味方すら巻き込む危険な兵器です」と口酸っぱく警告されてきた。結果として害なく済んでいるから良いものの、それと同レベルの危険を冒してきたということになる。

 しかし、問題は権能の習得だ。有史以来、霊王の剛槍(ゴールトムク)をずっと戴いてきた霊山エルネスカの記録、そしてカヤ自身の使徒としての経歴を踏まえれば、すべての神器に“先史の追憶”なる加護が存在することが大前提であり、それまで培われた技術と見識を継承した上で研鑽を積む想定になっているはず。いくら常識外れの神器とはいえ、これはどうしたことだろう――というか、どうしたらいいのだろう。



「『先史』がそもそも無くなってるんじゃない?」

「というと?」



 その答えは、二人のやり取りを眺めていたシルヴィアがもたらした。



星剣(それ)、“新しい神器”なんでしょ? 過去に存在した退魔の光剣(エウトルーガ)晦冥の湾刀(イーレグラム)、それ自体が二つくっついただけの単純な代物じゃなくて、一つに融け合って“星剣”という新しい神器になった――つまり、『星剣としての歴史』がそもそも存在しないわけよ。無い記憶に対して、追憶もへったくれもない。そんなところじゃないの?」

「そ、そんな……!」



 シルヴィアの指摘に、大仰に動揺したのがカヤだった。顔面蒼白、ががーんという擬音さえ聞こえてきそうな衝撃ぶりだ。そんなカヤをよそに、崚は思い切り顔をしかめた。



「じゃあどう使えばいいんだ、コレ」

「今まで通り、気合で何とかしたら? 正式に覚醒したんだから、使い勝手は向上してるはずでしょ」

「んなテキトーな話があるか!」



 シルヴィアの他人事のような――いや実際、他人事でしかないのだが――物言いに、他人事では済ませられない崚は容赦なく罵声を浴びせた。せっかく技能習得の手間を短縮できるはずだったのに、これでは話が違う。『神の権能』などという胡乱な代物を、一から覚え学ばなければいけないというのか!

 そんな不遜な不満を垂れる崚をよそに、心底から悲嘆で満たされたカヤが、がっくりと膝から崩れ落ちた。



「……せっかく、お弟子さんが増えたと思ったのに……!」

「そこ?」



 この人の感性分からん、と崚が内心で呟いたことを明かしていいか、どうか。






 ◇ ◇ ◇








「ほい」



 掛け声とともに、ふわりと魔力泡が二つ。濃藍色のそれに対峙する崚は、じっと星剣(かたな)を握ったまま、構えることなく念を込めた。

 その眼前にきらきらと白光が収束し、たちまち剣の形を成した。中空に現れた二つの剣気は、そのまま音もなく奔り、二つの魔力泡を貫く。魔力泡はぱちんと軽やかな音とともに弾け、跡形もなく消失した。



「ほら、四つ」



 それを見届けたシルヴィアが錫杖を振るい、今度は四つの魔力泡を展開する。それに呼応した崚が、同じように四つの剣気を現出させる。ぎゅんと迸る剣気が、過つことなくすべての魔力泡を貫いた。



「今度は動かすわよー」

「てめえの脳天ぶち抜くぞ」



 シルヴィアの掛け声に罵声で返しつつ、ゆっくりと上下に揺れる二つの魔力泡を目で追い、剣気を現出させて狙いを定める。びゅんと飛んだ剣気は、果たして両方の魔力泡を撃ち抜いた。



「何やかんや慣れてきたわね。心強いこと」

「そりゃどーも」



 錫杖を下ろしたシルヴィアの褒め言葉に、崚はへんと鼻を鳴らした。

 結局、権能の扱い方を一から学ぶしかなくなった崚は、シルヴィアの協力のもと権能習得に励むことになった。カヤにはエレナの教導に集中してもらい、崚のことは諦めてもらうことにした。

 基本方針は、『権能のみを扱う』方法論の確立だ。剣技に絡めて権能を行使するやり方は、今まで扱ってきた感覚の延長線でいい。となれば、権能単体で扱う方法を習得すれば、それだけ手数が増えるということになる。光気の現出、固定収束と操作、射出による攻撃……とくに退魔の光剣(エウトルーガ)の権能に集中し、攻撃の起点となる神威の習得を優先した。一刻ほど費やした結果、崚はひとつの権能を獲得することに成功した。すなわち、光気を現出させて剣状に固定収束し、射撃に用いる神威だ。馴れていけば、使い勝手のいい飛び道具として役立つことだろう。



「折角だし、名前とか付けたらどう?」

「名前ぇ?」



 シルヴィアの提言に対し、崚は分かりやすく顔をしかめた。



「なんか必殺技みたいじゃん。恥ずかしいからやだ」

「なんの話よ? 名前を付ける、つまり『定義する』『識別する』ってのは、魔術的には重要なのよ。権能を扱うにあたっても、同じことじゃない?」

「そうですね。幾多の使徒が様々な権能に名を付け、御業として記録してきました。法術も同じことです。それを重ねることで、技術は発展していくのですよ」

「さいですかー」



 二人のやり取りに、カヤが素早く割り込んだ。一理ある言葉に逆らうことができず、「いいからエレナの方に集中してくんないかな」と言い返さなかったのは、賢明と言っていいか、どうか。

 ともあれ、名前か――と思考に沈んだ崚をよそに、カヤはエレナへと向き直った。



「あちらも一区切りついたようですし、休憩としましょうか」

「はい!」



 カヤの言葉に、その向こう側で鍛錬を積んでいたエレナも応えた。この様子だと、ある程度の成果はあったらしい。一緒に講義を受けていたクライドも、何かしらの知見は得られたようだ。広い舞台の隅で、一同の邪魔にならない程度に鍛錬をしていた傭兵たちも、揃ってだらりと気を抜く中、



「――何か、来る」

「は?」



 セトが素早く立ち上がり、東の空を睨んだ。



『――カヤ! 敵襲だよ!』

「レーベ様!?」

『急いで支度をおし! ――これは――まさか……!』



 何だ何だと傭兵たちがざわめく中、レーベフリッグからの念話がカヤにも届いた。緊迫したその(こえ)に、カヤも異様なものを察知する。

 しかし、何が来るのだろう。七天教の総本山たる霊山エルネスカ、法術の結界で守られたこの場所を襲撃するものなど、容易く想像がつかない。きょろきょろと見回す一同は、じっと東の一点を睨むセトと同じ方向を見やり、そして雲海の彼方から迫りくる影を見つけた。

 遠く、黒い影が飛翔してくる。加速度的にその大きさを増すのは、それだけ高速で迫ってきているということで――同時に明るみになる、それの巨大さに目を疑うことになった。傭兵たちのほとんどは、何かの見間違いだと思った。雲の上に聳える神殿で、めったに見ない絶景のせいで、遠近感が狂っているに違いない――そう信じ込もうとした。そんな妄想を容易く超える巨体が、儚い現実逃避を打ち砕いた。見覚えのある威容から、彼らは目を背けることができなかった。

 ちかちかと鋭く反射する鱗、ぼろぼろの皮翼、風圧に揺れる四肢と尾、捩じくれた二対の大角。幻想の中にしかいないはずの、しかしどこぞの毛玉のせいですっかり見慣れてしまった、大いなる獣。



「――あれは……!?」



 竜だ(・・)。巨大な竜が、狂ったように飛翔しながら、この神殿へ迫っている。



「ゴアアァァァアアァァッッッ!!!」

「ぎゃーっ!?」



 驚愕する一同を待つことなく、巨竜はあっという間に神殿へと到達した。その口腔から紫電の光が瞬いたかと思うと、神殿は紫焔のスパークに呑み込まれた。竜を象徴する権能、破壊の息吹(ブレス)だ。大仰な悲鳴を上げるラグをよそに、紫焔は一同の目前で見えない壁に遮られたかのように逸れ、そのまま山麓へと流れていった。神殿全体を守る法術結界がびりびりと軋み、それを成す紫焔の向こう側で、巨竜はその目にぎらぎらとした狂気を宿していた。

 その姿を見て、シルヴィアは愕然とした。



「――嘘……冗談、でしょ……!?」



 彼女は知っている。彼女だけは知っている。失われた祖国(・・)の象徴、いつか果たすべき復権の先にある栄光の姿として、その絵姿を見たことがある。

 ――でも、そんなはずがない。かつて見た姿は、もっと雄大だった。もっと華美だった。もっと威容だった。こんな薄汚れた姿で、こんな狂った痴態で、こんなみすぼらしい醜態であるはずがない!



「……大天竜、ナルスタギア――!?」



 美しい真珠色の鱗を、いまや醜い黒斑で汚した怪竜は、ただただ狂った咆哮を上げていた。



先史の追憶

 全ての神器に共通する加護のひとつ

 古の使徒たちの戦いの記憶を呼び起こす


 新たな使徒は、まず神器と深く同調し

 その記憶から、先達が編んだ戦いの技を知る

 そして使徒は、彼らの歴史を継承するのだ


 ただ一つ、もっとも新しき神器を除いて

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