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神宿ル劍  作者: 竹河参号
04章 魔の凱歌を謳え
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10.新生を燻る過去

「――言ってしまえば、ケチのつけ始めは最初(・・)からだった」



 エレナたちから身体ごと背け、欄干に(もた)れて茫洋と雲海を見下ろしながら、崚はぽつりと語り始めた。



「最初?」

「そう、最初。おぎゃあと産まれた、その時から」



 思わぬ展開に、聞いている女二人は戸惑い目を合わせた。『産まれたことそのものが間違い』という在り方について、彼女たちはまったく想像がつかなかった。



「俺の故郷は、地域的に黒髪黒目が殆どでな。居ても色が多少薄い程度で、それ以外の色っていったらまず染めてる以外にあり得ねえ」

「髪そのものを染めるのですか。かつらではなく?」

「そ。まあ、染める奴も染める奴で、『親から貰った体に手を加える奴』ってことで、結局碌でなし扱いされるような風習の地域なんだけどな」



 エリスの疑問に、「あんたも気が合うと思うぜ」と余計な茶々を加えつつ、崚は答えた。

 正確には、人的環境に()るところが大きい。おしゃれの範疇として肯定する者と、けしからんと否定する者。個々人の趣味嗜好の域を出ない話に、崚は興味などなかった。彼は後者に囲まれて産まれた――それが、すべてだ。



「で、だ。そんな地域で――黒髪黒目の両親から、こんな白髪のガキが産まれたら、どうなると思う?」



 こちらには目もくれずに投げられた問いに、二人はその意図するところを察した。口に出すのは憚られた。両親ともが黒髪黒目ならば、その子供も同じ特徴を備えるはずだ。――白髪灰目の子供(・・・・・・・)など、産まれてくるはずがない。



「……どうなったの?」

「簡単なことさ。母親の不貞を疑われた」



 かすかな声の震えを、何とか抑えながら問い返したエレナに、崚はあっさりと返答した。まるで他人事のようだった。

 血液型よりも、いっそうはっきりと現れた異様。口さがない者たちは、次々に囃し立てた。「母親の不倫によって生まれた子に違いない」と。当然、父雄一(ゆういち)も疑った。大金を支払いDNA鑑定まで行って、親子関係を明らかにした。結果は、シロ。二人は正しく親子であると証明された。

 父親は安堵した。それだけだった。噂は一向に止まなかった。「検査結果を誤魔化しているに違いない」「後ろめたいことがあるから庇っているのだろう」「でなければ、あんな異様(・・・・・)になるわけがない」――どれだけ厳正な真実を掲げても、人の口に戸は立てられない。蜜のように甘い嘘にばかり、人々は飛びついた。そうして不祥をあげつらい他人を嘲笑う方が、よほど日常を彩った。



「実際はどうだったの?」

「知らねえ。(じじい)は人を雇って母親の周囲を洗ったらしいが、結果はシロだった」



 実際のところ、何が原因だったのかは明らかになっていない。おそらく先祖の誰かからの隔世遺伝だろう、というのが担当した産科医の見解であったが、それを確かめる術はない。色素欠乏症(アルビノ)でないことが災いした。先天的な遺伝子疾患であれば、確率こそ低けれど「誰が親でも起きうる」「どんな子でも起きうる」と言い張ることができる――そうではない以上、誰かしらに責任(・・)を求めるほかない。そして、無数に枝分かれし辿りようのない故人たちから探り当てるより、直近の当事者たち(・・・・・・・・)を槍玉に挙げる方が、ずっと容易い話だった。



「それでも、母親は耐えた。親父も認めたくなかったんだろうな。『俺の妻は無実だ』と、周囲を説き伏せて回ったらしい」



 そんな生活が、二年続いた。



「妹を身籠って、無事に産まれた――それが、最後の引き金だった」



 無感情に語る崚の言葉に、エレナは小さな驚きを覚えた。新しい家族、その誕生を言祝ぐ――ひとりっ子であるエレナが知らないその感情を、しかし崚からはまったく読み取れなかった。



「妹さんがいるの?」

「ああ。誰かさん(・・・・)のせいで、酷い撥ねっかえりに育っちまった」



 けらけらと虚ろに嗤う今の方が、よほど感情的だ。その『誰か』のことを、問い質す勇気は持てなかった。



「妹の方は、ちゃーんと黒髪黒目でな。――それが、俺のことを混ぜっ返すきっかけになっちまった」



 両親と同じ黒髪黒目。DNA鑑定も、きちんと親子として結果を示した。今度こそ、疑いなく二人の子だろう。

 ――では、兄の時は何だったのか?

 やはり、母親の不貞だったのではないか。そんな噂が、二年越しにぶり返した。



「流石に、二度目は耐えられなくなったらしくてな。妹の乳離れも済まねえうちに、母親は蒸発した」

「じょうはつ?」

「いなくなっちまったのさ。ある日突然」



 エレナの鸚鵡返しに、パッ、と手を開く仕草をしながら、崚が言った。二人から見えないその顔には、空虚な笑みがひろがっていた。



「いなくなったって――どこに?」

「さあ、知らねえ。実家にも帰らなかったらしいし、親父の知ってる伝手を全部調べても、行方は分からなかった。誰も知らない遠くへ行っちまったのか、はたまた本当にいた間男のところへ行ったのか――今となっちゃ、誰にも分からない」



 逐電から数ヶ月、神崎家は大いに荒れた。父も祖父も、方々の伝手を頼って行方を追い、多くの人間がせわしなく家を出入りした。崚自身が覚えていることは、あまりない。母のいない不安に泣き叫ぶ妹の泣き声だけが、残響のように脳裏に刻まれている。



「最後に母親を目撃したのは、俺だった」



 義父の目を盗み、最低限の荷物を抱え、まさに家を出ていこうとしていた彼女は――よりによって、崚に見つかった。

 その時どうやって丸め込まれたのか、実のところ、崚はよく覚えていない。買い物に行ってくるから、すぐ帰ってくるから――そんなことを言われたのだろうと、深く考えることを放棄している。三歳児を騙して丸め込む手法について論じたところで、大した意味はない。故に、崚が覚えているのは――その去り際、一瞬だけ振返った彼女(ははおや)の、絞り出すような一言だった。

 ――ごめんね。

 それは、誰に対する謝罪だったのか。何のための謝罪だったのか。その答えを、崚は未だ知らない。



「それでも、子供心に分かったことが一つあった。――ぜんぶ俺のせいだってな」

「――リョウ」

「親父から妻を奪ったのは俺だ。(まい)から母親を奪ったのは俺だ。俺という存在さえなきゃ、二人は大事なものを失わずに済んだ」



 その感情が、その結論が、果たして正当なのかどうか――後から聞かされているだけのエレナには、口を挟めない。彼女に分かるのは、それが『神崎 崚』という人間を形作った起源である、ということだけだった。

 故にであろうか。崚は、無仁流の業を求めた。



「だったらせめて、舞を守れるようになりたい――そう思ったんだろうな」



 正式に稽古を始めたのは四歳から。保育所もそっちのけで、崚は稽古にのめり込んだ。

 祖父義晴(よしはる)は、子供だからと手を抜くような者ではなかった。元来、無仁流は実戦重視の流派である。稽古は厳しさを極めた。

 今にして思えば、児童虐待で即座にお縄を頂戴していたかも知れない。それほどまでに厳しい稽古だったが、時勢が彼らに幸いした。いまだ躾と虐待の境界線が曖昧だった頃、双方の合意によって成り立っていた稽古は、ぎりぎりのところで児童相談所の目を逃れていた。



「俺の世界じゃ、七歳になる年からは皆学校に行く決まりでな。

 そのころはまだ、基礎の基礎が出来上がったばかりだったが、それでも同い年との喧嘩じゃ負けなしだった」



 時には、年上の男子を相手に取って殴り勝ったこともある。が、その程度の勝利で慢心することはなかった。祖父であり師である義晴や、道場の門弟という格上の存在が、心技体全てにおいて発展途上の崚に、油断することを許さなかった。

 何より、崚が求めたのは妹を守る力である。たかが同い年の学童相手に勝ち誇ることなど、何の意味もなかった。



「最初の一年は、同い年に負けなしだった。次の一年は、年上にも勝てた。三年目になって、舞が小学校に入学した。妹に手を出す『悪い奴』はみんな殴り倒してやろうと、俺は意気込んだ」



 そして、実行した。妹をいじめる悪童共を、片端から殴り倒した。叱咤する教員の言葉など、右から左に聞き流していた。どれだけ肉体が傷付こうとも、構わず崚は猛進し続けた。それが、『妹を守る強い兄』の姿であると信じて。



「――大間違いだったよ。何もかも」



 結果はほどなく現れた。



「一年経っても、二年経っても、妹は独りぼっちだった。友達の一人もいやしなかった。休み時間に独りぼっちで座ったままの舞を見て、俺はようやく間違いに気づいた」



 崚の悲劇は二つ。

 一つは、それが自分のせいだと即座に理解できた聡明さ。

 そしてもう一つは、それが現実になるまで想像できない愚かさだった。



「当然だよな。『妹を守る』とか言って喧嘩する乱暴者の兄貴がいりゃあ、何がきっかけで暴力を振るわれるか分かったもんじゃねえ。そんな奴、怖くて付き合えるわけがねえよな」



 そこでようやく、崚は己の無為を知った。妹を守るという意志が、彼女を傷付ける。そのための方法論が、彼女に孤独を強いる。どのように振舞おうと、どのように生きようと、彼が彼である限り、どこにも逃げ場がない――つまり崚という(・・・・)存在そのものが(・・・・・・・)その起源宿痾からして(・・・・・・・・・・)間違えている(・・・・・・)のだと、彼はようやく思い知った。

 崚は深く深く項垂れた。いまさら後悔して何になるんだと、まさにその悔恨を自ら責めていた。ぐるぐると昏い感情に渦巻く背中を、エレナはただ見守ることしかできなかった。



「――リョウ」

「こんな馬鹿な話ねえよな。舞を守るために鍛えたはずの拳が、その舞をずっと傷付けてきたってわけだ。

 どうした、嗤えよ。――嗤ってくれよ」



 絞り出すような言葉に、応えはなかった。ぎりぎりと拳を握り、血が滲むほどに力を込めても、何も変えられなかった。

 それからの約八年――どのように生き抜いたのか、ほとんど記憶に残っていない。時はただ無為に通り過ぎていった。崚の目に映る世界はただ色褪せ、乾燥していた。どんな記憶も、どんな経験も、崚の脳裏に居座るだけの重みはなかった。ただ『無仁の業を継ぐ』という目的意識だけが残り、さながら鋳り曲げられた銑鉄のように、その心胆を稼働させ続けた。

 辛くはなかった。その資格はないから。

 苦しくはなかった。その資格はないから。

 ――楽しくはなかった。その資格はないから。



「お前たちが縋ろうとしてる『伝説の使徒サマ』ってのは、つまりそういう奴なんだ。誰かを傷付けることしか知らない、殺すことしか知らない――そういう、碌でなしのクソ野郎なんだ」



 己を苛むその言葉に、エレナは声をかけることができなかった。

 「そんなことは」と口を挟もうとしたエリスを、エレナはほぼ反射的に止めた。それを口にできたら、果たして彼は楽になれるだろうか。崚自身が、誰よりもそれを否定している。そんな上っ面だけの言葉では、この少年に届かない。

 しばらく、沈黙が流れた。重苦しく痛々しい空気が、七月の夜空をぴりりと冷やしていた。



「――ま、今回はマシな方だったよな」



 俯いたまま、崚がぽつりと呟いた。



「あの“魔王”ってヤツをブチ殺せば全部解決なんだろ? 鉄砲玉と思えば、まあまあ適任ってやつかもな」



 昏い諧謔を帯びたその言葉が、どれだけ不遜で冒涜的な発言であるか、果たして本人は気付いているだろうか。気に掛けるだろうか。事もあろうに、七天教の総本山たるこのエルネスカで、その本尊たる神器とその使徒を、まさか使い捨ての暴力装置と形容できる者など、この世に一人としていまい。つまり余所者(・・・)である崚を措いて、他には。

 その裏にある絶望の正体に、女二人は言葉を紡げなかった。



「せいぜい、巧く使え(・・・・)よ。狡兎死シテ走狗烹ラル――帰り道も、栄光も、最初から期待しちゃいない」



 崚はもはや諦めていた。過去に縋ることも、未来を夢見ることも。






 ◇ ◇ ◇






 翌朝、ランの刻(午前六時ごろ)。一行が霊山エルネスカに到来してから三日目の朝は、晩夏らしからぬ靄と共に始まった。

 まんじりともしない夜を明かした崚だが、洗面所で顔を洗っていた時に、ふと違和感を覚えた。濡れた顔で鏡を覗き込み、その違和感の正体を探るのに、しばらく時間がかかった。



(……赤いな?)



 鏡に映る瞳が、血のように真っ赤に染まっている。崚の記憶に間違いなければ、己の瞳は灰色だったはずだ。これはどうしたことだか――と思ったところで、心当たりが多すぎることに気付いた。魔王との戦いに、魂の損壊、そして神器との契約。いずれも決定的な変質を起こしうる重大事件であり、瞳の色が変わった程度は些末事だろう。果たして、どれを原因とする事態か。



「おはようございます。お加減はいかがですか?」

「おかげさまで――って、言いたいとこなんすけど」

「……何かありましたか?」



 と、昨夜会ったばかりの森人(ケステム)の女神官――カヤが寝間着らしい姿で現れた。にこやかな顔で挨拶をしたに過ぎなかった彼女だが、対する崚が芳しくない返事を寄越したことで、即座に目の色を変えた。

 七天教の神官といえば、法術を用いる異能者だったか。であれば何か解ることがあるかもしれない、と崚は尋ねることにした。



「これ、この目」

「目?」

「赤いでしょ。俺の目、もともと灰色だったはずなんすけど」

「……ふむ。レーベ様に伺ってみますね」



 崚から異状の仔細を聞かされたカヤは、口の中で小さく言霊を紡いだ。崚が聞き取ることのできなかったそれは、ふわりと色のない風に乗り、廊下の向こう側へと消えた。念話の類だろうか。



『おはようございます、レーベ様。――えぇ、はい。それが、リョウさんの目が赤くなっていると……

 ――なるほど、了解しました。では、そのように……』



 そのままあの巨竜へと繋がったのか、カヤはしばらく虚空へ向けて言葉を紡ぎ続けた。何も知らずに見ていれば奇行そのものだな、と崚が口にしなかったのは賢明と言っていいか、どうか。

 そのうちに念話は途切れ、カヤは崚へと向き直った。一通り、訊き出すことができたのだろうか。



「なんか、分かりましたか」

「結論として、あなたに害のあるものではないそうです。おそらく“聖眸”という加護の証かと」

「セイボウ?」

「特別な使徒にのみ授けられる加護で、神器のあらゆる加護の効果を高めるそうですわ。あなたの意識で切り替えられるものかどうかは分かりませんが――ひとまずそのままでも、害は特にないかと」

「さいですか」



 この世の人ならぬ崚にとって、それがどれだけ稀少な恩寵なのかは分からないが、ともかく警戒の必要はないらしい。崚はふと、改めて鏡へと視線を向けた。濡れた顔の鼻持ちならない小僧が、目つき悪く睨み返してくるだけだった。

 白い髪に、血赤色の瞳……まるで色素欠乏症(アルビノ)だ。『いっそそうであれば』と不謹慎な願望を抱いたことも、なくはないが――いざなってみた結果が、これだ。見た目だけなぞったところで、面白くもなんともない。

 崚の不機嫌を察したのか、その顔をカヤが覗き込んできた。



「ウサギさんのようで、可愛らしいと思いますよ」

「あんたひょっとして喧嘩売ってる?」



桜霞

 無仁流奥義のひとつ

 超高速の斬撃を繰り出し、敵を斬滅する

 捉えらず、しかし確かに纏いつくように斬る

 故にこの技は無形である


 師である義晴は、崚にこの技を一度だけ見せた

 一度教え、二度は見せぬ

 言葉にならぬ間隙に、伝えたいものがあったのか

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