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神宿ル劍  作者: 竹河参号
04章 魔の凱歌を謳え
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09.激突する神魔

 ベルキュラス王国はカーチス領の西――エニスラ岬。

 南方にあるカドラ港とは異なり、この周辺はほとんど開発されていない。街道も通っておらず、灯台も集落もなく、ただごつごつとした岩塊で構成された浜辺と、整地もされていない荒野とが広がっているばかりだった。原因は三大忌地のひとつ、“ガルプスの渦”にある。海を隔てたベルキュラス王国において、かの場所に最も近いこのエニスラ岬は、その呪いの影響も強い。その波は荒く、潮風は毒を孕み、魚も獲れず、作物も育たない。荒涼とした大地は景勝地にもならず、半ば忌み地として打ち捨てられていた。

 その断崖に、“魔王”トガは立っていた。かつて『ジャン』という少年のものだった肉体を乗っ取り、潮風にその茶髪をなびかせながら、悠然と海を見下ろしていた。膨大な魔力と瘴気は形を潜め、びょうびょうと鳴く潮風を、僅かに汚すのみだった。そこには異様な雰囲気の少年が独り立つのみで、見るものが見なければ、とても伝説の“魔王”とは信じられまい。

 ――この先に、己が“真体”がある。

 荒波の彼方、潮風の彼方に、己の体躯が封印された地があることを、トガは確信した。かつて、あのヘクター・ベルグラントと激突した終末の地。“水の乙女”めの姦策に嵌り、幽封の辱めを与えられたあの孤島。世界の中心で呪いを撒き続けるそこに、かつての肉体が在る。魔王の真体に残留する魔力が衰朽を否定しているのか、それともこの魂と同じように、神器の封印を施されているのか――いずれにせよ、その無謬は終わりを迎える。伝説の“魔王”が自らの真体を取り戻した時こそ、呪われたその力は真髄を取り戻し、今度こそ世界は終焉に向けて奔り出す。終わりにして始まりたる呪いの地、人類廃絶の(はじまり)へと飛翔すべく、トガはその仮初の身体から魔力を溢れ出させ、



「――どこへ行くのだね」



 その背後に向かって、一人の男が声をかけた。

 トガは心底意外そうに振り向いた。何者かが近付いているのは気付いていたが、こんなにも軽やかに声をかけてくるとは思わなかった。しかも驚くべきことに、その声には(・・・・・)聞き覚えがある(・・・・・・・)。果たしてそこには、一人の男が立っていた。燃えるような赤毛を後ろに撫でつけ、右手に黒い大鎌を携えた騎士――ベルキュラス王国湖聖騎士団の元将軍にしてボルツ=トルガレン首領、レイナード・アレスタだった。



『「――首領……」』

「どこに行こうというのだね? 我が同志、ジャンよ」



 トガが思考するよりも早く、その呟きは口を突いて出た。勿体つけた物言いを返すアレスタは、その反応を了解していたかのようだった。雷獣の鉤爪(イルンガルツ)の使徒たる彼が、目の前の存在を“魔王”と見抜けぬはずがない。己と相手の言動に違和感を覚えたトガは、即座に脳髄を浚い、記憶を洗い出し――その理由に辿り着いた。“魔王の紅涙”を解き放ち、そのままトガの依代とされてしまったこの少年の、微かにこびりついた記憶と魂が、目の前の男に反応したのだ。



『……ふむ、なるほど。貴様が、これ(・・)を遣った黒幕というわけか』

「いかにも。初めまして、“魔王”トガ」



 即座に真相に辿り着いたトガに対し、アレスタもまた驚くことなく、白々しい挨拶を述べた。

 その反応に、トガはふんと鼻を鳴らした。つまりこの若造は、魔王復活のために配下を遣っただけでなく、こうして魔王の依代にされることまで織り込み済みだったという訳だ。



『なるほど――使徒ともあろうものが、なかなかに悪辣な真似を思いつく。吾が依代とするために、己の配下すら欺いたわけか』



 魔王の嘲弄に、しかしアレスタは不敵に笑うと、その隣へと静かに並び立った。ともに眼下の荒波を――その向こう側にある忌地を並び見る様は、まるで旧知の友と語らい合うかのようだった。とても、幾百年を隔てた仇敵同士とは思えぬ空気が流れていた。



「貴方の入滅より、およそ八百年の時が経ちました。此度の復活はいかがですかな?」

『相も変わらず、下らん世界だ。禿猿共の腐臭ばかり鼻につく。人間共も、いよいよ堕落しているらしい』

「そうですか、それは残念ですな。人類とは群体として(・・・・・)の進歩と発展こそが、その真価だというのに」

『――く。使徒たるものが、世迷言を弄するか?』



 そのやり取りは、この場にいない第三者をして、果たして歓談と呼ぶことができる行為だろうか。悠然とした空気の端々に、隠しようのない棘が互いに突き刺し合う。その緊迫した雰囲気を破ったのは、ふたりのどちらでもなかった。

 ごおと大気を裂く音が響き渡り、巨影が降ってきた。超重量が荒野を揺らし、ふたりの立つ大地に衝撃を走らせた。



『――下らん茶番に付き合わせてくれたな、小僧』



 両者を踏み潰さんばかりの勢いで前脚を突き出し、金色の瞳で忌々しげに睨んでいるのは、一頭の巨竜だった。両者より遥かに大きく、それでいてしなやかな肢体。刃のような皮翼と二対のねじくれた大角は見るものを圧倒するが、刺々しく並ぶ真珠色の鱗は、ところどころが傷に汚れている。

 ――雷獣の鉤爪(イルンガルツ)の臣獣、大天竜ナルスタギア。汚物を見るかのような憎々しげな視線の先にいるのは、魔王(トガ)か、それとも使徒(アレスタ)の方か。



「これはこれはナルスタギア様、お待ち申し上げておりました」



 一方、その金色の殺意を向けられたアレスタは、しかしまったく怯むことなく、悠然と口を開いた。今にも噛み殺さんばかりに睨む巨竜の、全身のそこかしこを汚す傷痕を見て、アレスタは意外そうな表情を見せた。



「――ふむ、存外に手古摺られたご様子。あの若き竜も、なかなか健闘したようですな」

『たわけが。あんな卵の殻も取れておらぬ赤子めに、この儂が後れを取るかよ』



 が、当のナルスタギアはふんと気炎を吐くだけだった。大蛟竜カルヴェアの後継たる玲瓏の宝珠(ラーグリア)の臣獣、碧翼竜ムルムル。この竜からすれば、確かに赤子同然の若さだろう。しかしこの古竜をして、少なくない傷を負わせたのは事実だ。さぞ大健闘を演じたことだろう、とアレスタは感心した。



『ほう、使徒と竜がお揃いか。何とも壮観なことだ』



 両者のやり取りを見守っていたトガが、ようやく口を開いた。軽薄な物言いは、すでに臨界を迎えている巨竜の嚇怒を煽るだけだった。



『抜かせ、薄汚い“魔”ふぜいが。玲瓏の宝珠(ラーグリア)めの姦策が無ければ、この幾百年もの歳月を待たず、即刻叩き潰してやったものを』

『神の奴隷が笑わせる。その齢は……せいぜい五百年か? 大口だけは立派なことだ、若造(・・)

『思い上がるな、魔王! 最早貴様を護るものなど何一つない――我が牙にて滅せよ!!』



 気炎とともに放たれた咆哮に対し、しかしトガは身動ぎひとつしない。その烈風に髪をなびかせながら、しかし冷たくせせら笑うだけだった。その貌は千年の仇敵に対峙するそれではなく、子供の癇癪を眺めるだけのものだった。ついに堪忍袋の緒が切れたナルスタギアが、その顎を突き出し――



「――できると思うてか、隷獣ふぜいが」

「残念ですが、お覚悟いただきましょう。大天竜ナルスタギア」



 そこに、三つの影が落ちてきた。

 トガを庇うように、巨竜を取り囲むように現れた姿は、ヒトのそれに酷似していた。深い裂傷をその顔に刻んだ剣士、麗しい礼服に身を包んだ片眼鏡(モノクル)の男、金髪(ブロンド)をなびかせる妖艶な女――しかし、背後に佇む魔王に匹敵するほどの濃密な魔力を纏う彼らは、もはやヒトと同じ位階の生物ではない。世界を狂わせる“魔”へと至りながら、ヒトの知性を保ち続ける怪物――“大いなる理”を外れた超越者、“魔人”と呼称されるモノたちである。

 伝説の彼方より復活した魔王の許に集った三騎は――“羅刹”の魔人、アスレイ。“虚殖”の魔人、マルシアル。“堕落”の魔人、カンデラリア。およそ現代における、最大にして最悪の戦力が、ここに集結した。



「おやおや、魔人が揃い踏みか。涙ぐましい忠心だな」

「あら、随分と余裕があるのね? この形勢で、まだ勝ち目があると思っているのかしら」



 一方、その手の大鎌をすらりと構えつつ、アレスタが優雅に口を開いた。振り返ったカンデラリアの嘲弄に対して、しかし不敵に笑うその貌には、とても不利や下策を悔いている様子がない。むしろ、その皮の下で煮え滾る戦意を押し止めているかのようだった。



「何事も『やり通す』という覚悟が必要なのだよ、魔人カンデラリア。人を超えた君たちでは――人の道から外れてしまった君たちでは、忘れてしまったかな?」

「うふふ、その通りね。『魔王を斃す』という使命感だけで、主君を弑逆した使徒様は言うことが違うわ」



 あくまで優雅に振舞おうとするアレスタに対し、カンデラリアは嫣然と微笑んだ。

 すでに戦の嚆矢は放たれている。神器の霊気と魔人の瘴気とが衝突し、びりびりと大気を軋ませている。彼方の呪いに冒され荒廃した天地は、人外の対決に耐えきれず、悲鳴を上げながら千々に引き裂かれていた。

 それを見守るばかりだったトガが、ついにその魔力を解き放った。ぶわりと赤黒い瘴気が噴き出し、天地を汚濁に染め上げる。海すらもその魔力の前にひれ伏し、逃げるような逆波が奔った。



『――佳かろう。その覚悟と決意に免じて、吾らに挑む権利を呉れてやる』

『ほざくな、“魔”共! ここで(みなごろし)にしてくれる!』



 魔王の言葉に、戦意漲る巨竜が咆哮で応えた。

 噴き出す霊気に呼応して、暗雲が赤黒い天を覆った。見る見るうちに膨れ上がった黒雲が、ごろごろと重い衝撃を響かせる。ばりり、と大気を裂いて雷が落ちた。目にも留まらぬ速度で炸裂した雷電が、岬に落ちて巨岩を砕く。一筋ではない。十重二十重に響き合う灼光が、雨霰とばかりに降り注ぎ、忌々しい“魔”を撃滅せんと取り囲む。

 アレスタもまた、己の得物――雷獣の鉤爪(イルンガルツ)を高く掲げた。天地を囲う雷の一筋が、黒光りするその刃に落ちた。ひときわ強く輝くそれは、アレスタの身を焼くのみならず、その刃に宿り鋭い霊光を放散した。



「我が悲願、ここに成就せり――さらば死に給え、化外の怪物共」



 魔王対使徒。魔人対臣獣。誰も知らぬ岬の端で、世界の命運を懸けた戦いが始まった。






 ◇ ◇ ◇






 倒れたときと同じように、意識が復活するのもまた急だった。

 急激に浮上する意識に、崚はぱちりと目を開いた。魔王との戦いでひどく消耗したであろうに、倦怠感はまるで覚えなかった。

 その目に飛び込んできたのは、天井すら見えない暗がりだった。視界の端に、揺らめく篝火の灯が見える。崚はゆっくりと体を起こした。どうやら大広間のような場所で、わざわざ寝台を持ち込んで横たえられていたらしい。滾々と広がる暗がりの端々、まばらに配された篝火では、到底全貌を照らすことはできない。ここはどこだろう――そう思考する前に、その答えは降ってきた。



『――目覚めたかい』



 頭上から響く老婆のような声に、崚はぎょっと振り向いた。即座に、鈍い金色の瞳と目が合った。それだけなら、崚も小さな驚愕だけで済んだろう。だが、崚の背丈ほどもある巨大な目を突きつけられては、さすがに平静を保てない。



「ぎゃーっ!?」

『いきなり酷いねぇ。そんなに(ばば)の顔は怖いかい?』



 大仰な悲鳴を上げる崚に対し、目の主たる巨竜――大智竜レーベフリッグは呆れた声を上げた。これが世界の命運を背負う星剣エウレガラムの使徒だというのだから、まさに世も末だ。あるいは、こんな子供に縋らなければならないほど追い詰められているというべきか。



「大智竜レーベフリッグ――霊王の剛槍(ゴールトムク)の臣獣たる老竜だ。君の敵ではない」



 動揺する崚の背後から、聞き覚えのある声がした。振り返った崚の目に飛び込んできたのは、暗がりに溶け込むような黒衣と、鋼のような褐色肌の偉丈夫――ゴーシュだった。

 どうしてここにとか、この竜とどういう関係なんだとか――そんな思考は、綺麗さっぱり吹き飛んだ。かつてその目に見えていなかったものを、崚はどうやって形容したらいいか分からない。色覚で語ることができるものではない。それなのに――



「――ゴーシュさん、あんた」



 この男は、尋常なイキモノではない。

 かつて会った時とどこがどう違うのか、具体的な説明ができない。その容姿に、視覚的な情報に明確な差異があるわけではない。だが、崚の脳髄が『違う』と判断を下していた。五感のいずれか、三次元世界の生物として形容可能な知覚ではない。文字通り次元の違うなにか(・・・・・・・・)が、目の前の異常を訴えている。崚は、自分の脳髄がなにか別物に作り変えられた気分に襲われた。

 ひとつ、かつてと同じ感覚で説明できるとすれば――くさい(・・・)



「――あんた(・・・)魔物なのか(・・・・・)

「やはり、気付くか。――君には、最初に説明しておいた方がいいと思ってな。害意がないことを証明するには、これしかない」



 愕然とする崚の言葉を、ゴーシュは静かに肯定した。まるで、崚が気付くことすら織り込み済みであるかのようだった。



「君の見立て通り、私は“魔”に属するものだ。そのように造られた(・・・・)

「……造られた?」

「私は、イシマエルだ」

「いしっ――はあ!?」



 斜め上の告白に、崚は思いきり驚愕した。イシマエルといえば、知能のない屍肉もどきではなかったのか。目の前の理性的なゴーシュとは、とても印象が噛み合わない。『理性的に過ぎて、むしろ非人間的である』という意味では、確かに妥当かもしれない――そんな屁理屈を弄しなければ、とても呑み込める事実ではなかった。ぎょっとする崚の後ろで、レーベフリッグがのっそりと口を開いた。



『敵ではないよ。業腹だけど、カヤの協力者として働いているからねぇ。坊やたちのことを知ることができたのも、その男のおかげだよ』

「……誰って?」

「霊山エルネスカの大神官長カヤ=ヘンリス。霊王の剛槍(ゴールトムク)の担い手――君と同じ、神器の使徒だ」



 知らない名前を出されて困惑する崚の疑問に答えたのは、ゴーシュだった。竜と魔物、相反する二存在がこうして争うことなく並び立っている以上、両者が手を結んでいるというのは事実なのだろう。そこに使徒が混ざるというのならば、受け入れざるを得ない。ひとまず衝撃が過ぎ去った崚は、無理矢理に呑み込むことにした。



「……そんで? ゴーシュさんがイシマエルってのは、どういうことなんすか」

「“虚殖”の魔人、マルシアル――イシマエルの研究に取り憑かれた男がいた。奴は、伝説の大魔“羅刹”に憧れ、己の手で造り出すべく、様々な研究を行った。

 既存のイシマエルたちを量産し、解剖し、改造し――ついに、新しい生命体を生み出すことに成功した。その試作個体が、私だ」

「……つまり、人造人間?」

「そうなる。もちろんそれは――」



 ゴーシュの言葉と共に、その腕がぐにゃりと輪郭を歪めた。暗がりでなければ、目の錯覚を疑ったかもしれない。それほどに自然な溶解で、使徒としての知覚――いわゆる第六感とも違うこれ(・・)に相応しい表現を、崚は未だ知らない――で感じ取ってさえ、違和感を取り零しかけた。



「――手足の形状を自在に変更できる魔導兵器を、人間と呼ぶならば、だが」



 そして、固着もまた一瞬だった。

 その右腕は捩じくれた刃の分厚い束へ、左腕は棘を纏う太い棍棒へと変容していた。彼が一歩でも踏み出していれば、崚も即座に抜刀していたかもしれない。殺意に満ち満ちた形態への変化は、つまり人間として擬態することを諦めた、ということが言いたいらしい。最初の邂逅から僅か数ヶ月、片手で数えるほどしかないやり取りの中で、崚は初めて彼のまともな感情表現を目撃した。



「……ま、そのくらいなら――まだ人間って呼べる方じゃないすか」

「寛容だな」



 いろいろと込み上げる言葉を諦め、ため息とともに言い放った崚に対し、ゴーシュはほとんど無感情に返した。皮肉ではないようだった。



「腕がガトリングくらいまでなら、ぎりぎり人間の範疇だと思います」

「がとりんぐ? 異界の兵器か何かか」

「そうで――えっ」



 それは崚にとって、しょうもないジョークのつもりだった。本来の手足、あるいは日常生活用の義手義足の代わりに兵器を装着するのは、アニメや漫画でよく見るデザインだ。携行兵器を手足にくっつける程度なら、文句を付けてもしょうがない――とおどけようとした崚は、つい違和感を見過ごしそうになった。

 この人は――ひとまず『人』という前提で進める――今、なんて問うた? 何故『異界由来の概念』であると気付いた?



「――あなたが異界より現れた『稀人』であることは、レーベ様より聞き及んでおります」



 ごろごろと大広間の扉が開き、外の灯りが差し込んだ。崚が視線を向けた先に立っていたのは、僧衣を纏い、金色の長槍を携えた森人(ケステム)の女――大神官長カヤだった。



「初めまして、若き稀人。星剣エウレガラムの使徒」

「……どちらさまで?」



 カヤが一行の前に姿を現したのは魔王との戦闘後であり、つまり崚が倒され気を失っている間のことだった。初対面の人物に警戒心を露わにする崚に対し、カヤはにこやかに微笑んだ。



「わたくしはカヤ=ヘンリス。あなたと同じ、霊王の剛槍(ゴールトムク)の使徒です」

「……どうも……」

「そう警戒しないで下さい。わたくしたちは、轡を並べて戦う同志なのですから」



 が、それに笑顔で応えられるほど、崚は愛想のよい人間ではなかった。何より、自分の与り知らぬところで己の素性が()らされるというのは、気分の良い話ではない。



「……今更だけど、竜ってのは口が利けるんだな。おまけにプライバシーもないと来た」

『精霊たちは皆知っているよ。坊やが異界から招かれた、星剣エウレガラムの担い手であることも』

「……セトさんは、そんなこと言ってなかったけど……」

『坊やたちと一緒に来た森人(ケステム)だね? 霊格の(ちい)さな微精霊たちは言葉を持たない。森人(ケステム)といえど、正確に聞き出すのは難しいだろうね』

「屁理屈じゃねえか」



 振り返ることなく零した崚の厭味に対し、背後のレーベフリッグもまた白々しく答えた。つまりそれは、「そもそも精霊(あいて)に言語能力がないから教えられなかった」というだけの話ではないか。人ならぬ巨竜の分際で、小賢しい屁理屈を弄する。崚は呆れて嘆息するしかなかった。



「ま、この際大目に見てやるよ。――そんで、状況は?」



 ともあれ、過ぎ去ってしまったものはどうしようもない。思考を切り替えた崚の問いに、カヤもきりりと表情を引き締めて答えた。



「ボルツ=トルガレンの手引きによって“魔王”トガが復活し、あなたは敗北しました。遅れてわたくしも到着し、王女エレナ様やムルムル様とともに迎撃しましたが、一歩及ばず逃走を許してしまいました。あなたの保護と魔王討伐の策を整えるべく、エレナ様や護衛隊の皆さんとともに、ここ霊山エルネスカに移動し――あなたが目覚めるまで、まる一日ほど経ったところです」

「……エレナが? なんで?」



 意外な名前に、崚は困惑した。これまでの戦争は、相手がアレスタ率いる反乱軍であればこそ、ベルキュラス王国の内乱であればこそ、唯一生き残った王女(エレナ)が矢面に立たねばならない――そういう理屈だったはずだ。しかし魔王相手に、王室の威光など何の意味もない。その真価(・・・・)を知らない崚にできることは、ただひたすらに首を傾げることだけだった。



「彼女は、“水精の剣”に認められた担い手――玲瓏の宝珠(ラーグリア)の使徒だからです」



 カヤのその返答が、崚にとってまったく予想外だったことは、語るまでもあるまい。






 ◇ ◇ ◇






 リルの刻(午後八時ごろ)。寝直す気にもなれず、社内を散策する許可をもぎ取った崚は、しかし気もそぞろにとぼとぼと歩くばかりだった。

 日はすっかり落ち、ぱちぱちと爆ぜる篝火が廊下を薄暗く照らす灯りしかない。今の崚に、灯りの有無などもはや関係ないが、少なくとも気を明るくする効果は得られなかった。この異界で最も標高の高い霊山エルネスカ、その頂上に建てられた社は、晩夏の七月でさえひやりと肌寒さを覚えさせる。灯の列に流されるがままに角を曲がり、交差する分かれ道をそぞろ歩く。やがて、舞台のような開けた場所に出た。屋根もなく、設備らしい設備もなく、文字通り演舞のために設けられたような広い空間だ。崚はぼんやりした気分のまま踏み込んだ。申し訳程度に配された欄干の先では、醒めた灰色の雲が月に照らされ、眼下に暗黒の海をなしていた。

 崚は欄干に(もた)れかかり、雲海をぼんやりと眺めた。見るものが見れば、詩を吟じさせるほどの絶景であろうが――残念ながらこの神崎 崚という人間は、もはやそのように感受性豊かな生態ではなく、そしてそんな気分にもなれなかった。ただ茫洋と見下ろすだけのその背を、ふと見つけるものがあった。



「――リョウ! よかった……!」



 聞き覚えのある声に、崚は振り返った。もうずっと前、数週間ぶりに聞いたような気分だった。

 視線の先には、寝間着姿にストールを纏ったエレナが立っていた。健勝そうな崚の姿にぱぁっと顔を明るくし、ぱたぱたと駆け寄るその背後から、同じような格好をしたエリスも歩み寄ってくる。どうやら就寝前の支度を整えていたらしい。そんな状況でこんな場所を出歩くとは、すっかり不良少女が板につきやがったな、と口に出さなかったのは賢明と言っていいか、どうか。



「よ。いろいろと、ケツ拭いてくれたらしいな」

「気にしなくていいよ。友達だもん」

「貴方の無茶など、今に始まったことではありませんわ」

「うるせえ」



 欄干に背を預け、おどけた台詞を吐いた崚に、女二人がそれぞれ返した。両者ともまったくいつも通り、己とは大違いの心配無用で何よりだ。



「そういえば、お前も神器の使徒なんだってな。玲瓏の宝珠(ラーグリア)だっけ?」

「……うん。ごめんね、秘密にしてて」

「気にすんな。お互い様って奴だろ」



 分かりやすく後ろめたい顔をするエレナに、崚はあっけらかんと返した。その意味するところを、エレナもすぐに察した。



「……レーベフリッグ様から聞いたよ。異世界から、来た人なんだよね」

「そ。記憶喪失だの、流れ者の剣客だの、そんなのは全部嘘っぱちだったってワケさ」

「――仕方ないよ。いきなり言われたって、そんなの信じられないもん」

「そりゃそうだ」



 まるで他人事のようにからりと笑う崚に、エレナは違和感を覚えた。良く言えば剛毅、悪く言えば横柄なところがある少年だが、あまりに泰然とし過ぎてはいまいか。



「……不安じゃないの?」

「何が」

「いきなり、こんな異世界に連れてこられて。元の生活もあっただろうし――帰りたいって、思わないの?」



 エレナの問いに、ようやく崚の顔から虚飾の笑みが剥がれ落ちた。まるで急所を突かれたような、苦虫を噛み潰したような渋面に変わった。



「痛いとこ突くなよ。そんな資格ない(・・・・・・・)って現実と、厭でも向き合う羽目になるだろ」

「……どうして?」

「そりゃおめー、誰にも望まれてない(・・・・・・・・・)からさ」



 おどけた言葉とは裏腹に、その顔から急速に感情が削ぎ落されていく。舞台を奔るひやりとした夜風が、白髪をびょうと揺らした。



祝福

 全ての神器に共通する加護のひとつ

 神器の加護を自らに降ろし、傷を癒す


 神器の加護と神威は多岐に渡り

 同じ権能でも性質に差異がある

 神器の“色”ともいうべき、性格の違いだ

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