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神宿ル劍  作者: 竹河参号
04章 魔の凱歌を謳え
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08.契約

 闇があった。

 まさしく闇であると、崚は直感した。真っ白だとか真っ黒だとか、そういう次元ではない。文字通り何もない、何も認識できない空間が広がっている。きょろきょろと見回す崚の視界に、ひとつの影が割り込んだ。



『ジャッジャーン!』



 端々にフリルがついた、赤と青と白のマーブル模様の衣装。先が枝分かれした間抜けなとんがり帽子。白粉の上に、涙のマークと口裂け女ばりのメイク。巷では「道化恐怖症(コルロフォビア)」という形で恐れられる、忌々しいまでの剽軽(ひょうきん)さ。

 かつて崚をこの異世界に導いた道化が、そこにいた。



「てめえ――」

『よっ! 久しぶりだネ!』



 気色ばむ崚とは対照的に、にこやかに声をかけてくる道化。にやにやとした薄気味悪い笑顔は、崚の神経を逆撫でる効果しかなかった。



『何だよぅ、怖い顔しちゃってぇー。そんなんじゃ女の子にモテないぜぇ? ほらほらスマーイル!』

「仕事も碌にしねえ『ナビゲーター』が、偉そうな口利くな」

『何事も、初体験は新鮮さが大事っしょ? あ、リョウchanはまだ(・・)なんだっけェ? ギャハハハハハ!!』



 急降下する崚の機嫌にもお構いなしに、むしろそれを煽るかのように道化が下品に捲し立てる。不快極まりない言葉に思わず苛立った崚は、反射的に拳を握り――ふと、違和感を抱いた。



『あれれぇ、怒っちゃったァ? 殴るの? 殴っちゃうの? でっきるっかなぁその身体で(・・・・・)ぇ???』



 それに気付いた道化は、その歪んだ笑みをいっそう深めながら煽った。その言葉に、崚は反射的に己の手足へと視線を遣り――その光景に瞠目した。



「これは――」



 手足の先が、(ひび)割れ欠けている。

 それだけではない。(ひび)は崚の総身に走り、崚の輪郭をおぼろげにしていた。砕けた右手を掲げてみても、そこには指が欠け、(ひび)割れた手があるだけだ。痛みはなかった。道化に指摘されるまで気付かなかったのだから、当然といえば当然である。



「……なにが、どうなっている?」

『またまたァ、とぼけちゃってぇ』



 驚愕する崚に、道化はニタニタといやらしい笑みを浮かべた。



『自分でも憶えてるっしょ? アンタはあの“魔王”にやられて、魂を砕かれた。いまのその姿は、アンタの魂の状態を示してるのさ』

「魔王――例の、“魔王大戦”って伝説か? 本当にいたのかよ」

『そのとーり! 封印されていた伝説の魔王が、長い長い時を経て現代に蘇っちまった! どうよ、アンタら日本人(ジャパニーズ)好みの展開っしょ?』

「冗談じゃねえ、そんな傍迷惑はアニメでお腹いっぱいだっての。つか俺を巻き込むな」



 揶揄するような道化の言葉に対し、崚は文字通り吐き捨てた。そもそもこの異世界紀行じたい、望んで行っているものではない。伝説の何某が蘇ろうと、いい迷惑でさえある。

 問題は、目の前でニタニタと気色悪い笑みを浮かべるこの道化だ。分厚いメイクのせいで、いまひとつ表情が読めないが――不機嫌を押し殺しているようには、見えない。つまり、魔王復活という一大椿事も、崚の異世界紀行という発端も、この道化の謀略のうちと考えるべきだろうか。



「この状況がてめえの望みだったのか? 魔王の手先か何かだったのか、てめえ」

『やっだ、チョー迷惑! あんなの(・・・・)と一緒にしないでヨ!

 でもチョット惜しい、(サンカク)はあげちゃおっかなー! アタシの目的はこの先さァ』



 崚の問いかけに、道化はきゃらきゃらと笑った。――だがその瞳の奥に、ひどく強い不快感が浮かんだのを、崚は見逃さなかった。

 さて、問題は道化の言葉だ。「惜しい」――どういう意味だろうか。『この先』という言葉通りならば、少なくとも現状はこれの目論見通りというか、前提条件なのだろう。では、その現状とはどういう状況か。

 魔王が復活した。解放の鍵は“紅血の泉(オプセデウス)”――そして、あの祭具ことサーベル?



(――ちょっと待て。俺、関係ねえじゃん)



 “紅血の泉(オプセデウス)”、もとい、“魔王の紅涙”。それを砕いたのは確かにあの剣だが、それを振るったのはジャンである。ということは、魔王復活の条件は“魔王の紅涙”を砕くことのみで、崚自身は特に必要なかったということになる。

 ならば、己を()んだのは何故だ? この道化は、俺に何をさせようとしている?



「……まさか、俺に魔王討伐をやれとか言うんじゃねえだろうな」

『だいせいかーい! チョットは賢くなったみたいだねェ!』



 ひとつの予想に行き着いた崚を、道化がこれ見よがしに嘲った。対する崚にできることは、ひたすらに顔をしかめることだけだった。



「ふざけるな。こんな状態で、あの魔王を斃せるわけがねえだろうが」

『ンーそうなんだよねェ。アンタのその状態は、アタシにとって誤算だった』



 崚の罵倒に、道化はうーんと腕を組んで唸った。崚に言わせれば、誤算どころではない。『魔王討伐』などという重大な使命を勝手に与えたのも不愉快極まりないが、今の己がそれを為せる状態である筈がない。今の崚の姿を、先ほど道化は『魂の状態』と呼称した。『魂を砕かれる』という事態がどれほど稀少なのか分からないが、少なくとも地球科学では診断すら不可能な重篤であることは間違いないだろう。当然、身体の方も無事とは限らない。そんなことは、この道化も重々承知のはずだ。

 そもそも、『神崎(・・) ()である必要性(・・・・・・)がない。崚は所詮、武術を十数年かじっただけの未熟な子供だ。実際の戦争経験という意味でも、才能の将来性という意味でも、己より遥かに優れた候補がいたはずだろう。この異界は言わずもがな、地球人類に限定してもなお、より良い候補は万単位で存在しうる。魔王という未曾有の脅威に対して、そもそも異世界人――それも崚を起用した理由が、まるで見えてこない。



『そう――とってもとっても、嬉しい(・・・)誤算だった』



 しかし、道化はニヤリと笑みを浮かべるばかりだった。

 謎めいた言葉を吐くと、道化はどこからともなく一本の剣を取り出した。くすんだ金色の護拳と、そこから少し伸びる柄。薄身に反して刃毀れひとつない、緩やかに湾曲した片刃。幾多の戦場を共に潜り抜け、しかしその正体を一向に示唆しない、相棒というにはあまりに不気味な得物。



「こいつは――」

『そう、アンタの愛剣! アンタが何も知らずに使っていた“神器”!』

「え、神器?」



 道化の説明に、崚は目を丸くした。



「“剣の神器”はない、って話だったぞ」

『そー無くなった――ように思われてたダケー!』

「だけ?」

『人間って視野が狭くってダメよねェ! 自分たちが見つけられないからって、勝手に「無くなった」ってコトにしちゃったワケ! 馬鹿だよねぇ、そんな片手落ちで“世界の理”が廻るワケないじゃん?』



 これ見よがしに人間を嘲弄する道化の言葉に、崚は違和感を抱いた。崚自身、べつだん人間主義という訳でもない。しかし、道化の視座は明らかに人間より上位、『世界の内側』で生きて死ぬ尋常な生物のそれではない。もっと高次元の、まるで世界を一つの箱庭として俯瞰するような視点だ。



「――もう一度訊く。てめえは、何者なんだ?」

『ヤダ、そんなにアタシのことが知りたい? グフフ』

「とぼけるな」



 気色悪い笑みを浮かべる道化の言葉を切り捨て、崚は改めて問い詰めた。

 ――この道化は、人間ではない。次元の違う高位存在だ。安い戯言で誤魔化されるほど、油断していい相手ではない。



『……そろそろ気付いてんじゃない? 本当のところ』



 警戒する崚の疑念に気付いたらしい道化は、しかし相変わらず下品な嘲笑を浮かべ続けるだけだった。――いや違う。作為的な笑顔のメイクの奥で、冷たい眼光がこちらを見ている。問い返された崚は、深呼吸をひとつしてから、口を開いた。喉の奥で、ぱきりと軋む音がした。



「この世界そのもの。あるいは、その神」

『――だいせいかァい』



 はっきりと告げられた言葉を、道化はいっそうニンマリと笑みを深めて肯定した。



『正確には、この世界の意志(・・)ってヤツ。でも、そんな巨大な意識がリョウchanに接触しても、スケールが違い過ぎて理解できないっしょ? だからリョウchan自身が、自分でも分かり易いように擬人化(イメージ)した存在――それが、アタシの正体ってわけ』

「イメージ? 実在しないってことか?」

『そ。つまりアタシという存在は、アンタの妄想ってコト。ヤダ、リョウchan悪趣味』

「は、てめえのようなイカレ野郎が実在しないってだけマシだ」

『いひゃひゃひゃひゃ!』



 何がおかしいのか、道化はげらげらと笑いながら跳ね回った。これがすべて崚自身のイメージに基づくというのだから、性根が悪いのは崚か、世界か。



『さァて! 話を戻しましょーか!』



 ぐりん、と上半身だけこちらに向けたような奇妙なポーズで、道化が話題を切り替えた。その正体が知れた今、そんなコミカルぶられても面白くもなんともない。



『伝説は聞いてるっしょ? 八百年前、敵味方に分かれた退魔の光剣(エウトルーガ)晦冥の湾刀(イーレグラム)が衝突し――でも、失われたワケじゃない。

 相反する“色”を宿した二つの神器は、一つに融け合った。そして生まれたのが、この“新しい神器”』



 くるくると手中でサーベルを弄んでいた道化は、



『――名を、“星剣(エウレガラム)”という』



 ぞっとするほど低い声で、その名を口にした。



『その時、世界(アタシ)はめちゃくちゃ困ったのヨ。そりゃもう今のアンタの比じゃない! めちゃくちゃに焦ったヨー! だって二つの神器が融け合ったことで、その使い手がいなくなっちゃったんだから!』



 その口ぶりほどに、困惑も焦燥も見せない道化の言葉に、崚はぴくりと片眉を上げた。



「そんなもん、テキトーに手に入れた奴が使えるようにすりゃよかっただけの話だろ」

『そうできたら誰も苦労しないのよねェ。そんなことも分からないのぉ?』



 崚の指摘に、道化はあからさまな嘲罵を込めて返した。崚としては、あくまでも当然の指摘をしたに過ぎず、ここまで馬鹿にされる謂れはないのだが。そもそも、『神器に選ばれた特別な使い手』などというものを限定する理由は何なのか。



『神器は己に相応しい“使徒”を自ら求め、その使徒が振るわなければ力を発揮できない。だって誰にでも使えるようにしたら、人間はすーぐ戦争に使っちゃうもんネ!

 神器の使徒にはそれぞれ異なる適性を求め、同じ人間が複数の神器を使うことはできない。だって一人の人間が神器を独占したら、効率が悪いじゃない?

 ……でもまぁ、今回はそれが裏目に出ちゃったノ。二つの属性を持った神器は、二つの神器に適応できる使徒を求めるようになった――なーんて口ではサラッと言えるけど、実際そんな奴いるわけないじゃない? そもそも神器同士が衝突すること自体が想定外だし。まぁ設計ミスってやつよネ。よくあるよくある』



 よくあってたまるか。そんな崚のツッコミは、あっさりと無視された。



『かといって、じゃあそのまま放置、というわけにもいかない。だって“魔”は放っておくとすーぐ()えるし、引き換えに人間は神器をありがたがって出し惜しみするし。どいつもこいつも使えねー! って感じよネ!』



 『ぷんすこ!』と道化はわざわざ声に出して地団駄を踏んでみせた。崚の神経を逆撫でる効果しかなかった。



『だから、星剣(アタシ)はずっと探し続けてた。姿を変え、形を変え、人の世を渡り歩き――相応しい使徒を探し続けてきた。

 八百年間、ずっとそれを続けてきた。――でも、適格者は一度も現れなかったワ』



 しみじみと語る道化の説明に、崚はようやく話が見えてきた。魔王打倒の鍵、常識はずれの神器を振るう使徒を選ぶのに、尋常な選定基準は通用しない。この世界の内側から適格者を探し出そうとした結果、いつまで経っても見つからない現実に、見切りを付けたわけだ。



「――だから、()に求めたのか。異世界から、“星剣”の使徒に相応しい人間を」

『そのとーり! そうしてよーやく見つけたのが、リョウchanってワケ!』



 崚の推測を、道化は諸手を叩いて肯定した。



『それでも、星剣(こいつ)をちょっと反応させるのがせいぜいだったワ。アタシもこれは流石にお手上げでネぇ。いろんな(ルール)を曲げてリョウchanを招待したのに、その力をちょびっと引き出すのが精いっぱい! ここらで妥協するっきゃねーか――そう思ったところで、思わぬ事態になった。

 ――魔王が蘇り、アンタの魂を砕いた』



 雲行きが怪しくなり始めた話と同時に、道化の瞳がぎらりと妖しい眼光を帯びた。



『……薄々気付いてんでショ? 魂は、命の力。それを砕かれたアンタは、もう間もなく死ぬ』



 道化の言葉に、崚は何の反応も示せなかった。

 ただの一瞥で崚を狂気に陥れ、その魂を圧潰せしめた膨大な魔力。こうして今、己の意識が持続していることすら、何か性質(たち)の悪い冗談にしか思えない。しかも恐ろしいのは、この悪い予感を信じるならば――あれは、全力には程遠い。身じろぎひとつせず、傷ひとつ負わず、溢れ出る魔力と瘴気だけで崚を叩き伏せてみせたあれが、本人にとっては寝起きの片手間でしかないということだ。



『ただし――神器と“契約”すれば、それを回避できるのさ!』



 容赦ない口撃から一転、ばっと大仰に諸手を広げる道化の言葉に、崚は一瞬付いていくことができなかった。



「どういうことだ」

『神器のパワーを利用して、アンタの欠けた魂を補完するのさ! この神器とアンタの魂を繋げば、アンタは神器のパワーを振るうことができるようになる!

 アンタは命を繋ぐことができてハッピー、世界(アタシ)は“星剣(エウレガラム)”の使徒を得られてハッピー! まさにWIN-WINの関係ってやつよネ! やだ、アタシったら天才!?』



 グフフと気色悪い笑みを浮かべる道化と対照的に、崚は「ちょっと待て」と口を挟んだ。



「勝手に話を進めんな。俺の意志はどうなる」

『はァ? じゃ死ぬ?』



 崚の抗議に、道化の笑みが初めて剥がれ落ちた。分厚いメイクとともに塗りたくられた虚飾の下には、剥き出しの侮蔑だけがあった。聞き分けのない子供の癇癪に苛立つ大人そのものだった。



『アタシ言ったよねぇ? 今の状態で、放っといたらリョウchan死ぬって。

 契約・オア・ダイ。アンタに選択肢なんか無い。お分かり?』



 道化の言葉に誤謬はない。魔王の魔力に汚染された肉体と、潰れかけの欠けた魂。このまま神器の加護から放り出されれば、あっという間に死という結末だけを残すだろう。それは、他でもない崚自身が理解している事実だ。ここで契約を蹴れば、すなわち己はここで死ぬ。



「――それでも、俺の未来だ。選ぶのは俺の意志で、俺の覚悟だ。てめえが勝手に決めんじゃねえよ」



 中空から見下す道化に向かって、崚はきっぱりと言い切った。

 生きるも、殺すも、崚の意志だ。そうでなくてはならない。自分の意思で戦うからこそ、自分の覚悟で背負うのだ。流されるまま生きて、流されるまま戦わされるなど、冗談ではない。そんな生き方をするくらいなら――そんなものを良しとするくらいなら、初めから生きたくない(・・・・・・・・・・)

 一方、そんな崚の言葉を聞き届けた道化はといえば――



『ぶはははははははは!!』



 大爆笑した。

 まさに抱腹絶倒、全身を捩らんばかりの勢いで笑い転げた。侮辱、嘲弄、軽蔑――そのすべてを込めて、崚の意志を嘲笑した。



『なァにそれ! 人間の尊厳ってやつぅ!? おっかしぃー、好きだよねぇ人間ってそういうの! どうせすぐに死んじゃうくせにさァ! 馬っ鹿じゃねーのォ!?』



 ヒーヒーと荒い息を吐きながら笑う道化の言葉を、崚も否定しなかった。世界を司る側の存在が、たかだか百年足らずで死ぬ人間の心情を慮る理由などどこにもない。個人の犠牲をいちいち躊躇っていられるほど、“世界の理”という概念は矮小ではない。そんなものに勝手な期待を寄せられるほど、崚も人間主義に傾倒できなかった。



『そんなに言うなら選んでみなよ! 星剣(こいつ)と契約して魔王を斃すか、契約を蹴ってここで死ぬか!』



 対話も交渉も放棄したのか、それとも結末を見透かしているのか――道化はついに、その判断を崚に委ねた。

 放り出された崚は、しばらく沈黙した。



「――……別に、生きていたい理由があるわけじゃあねえんだよ」



 生涯を掛けて成したいことがあるわけではない。そんな大志を、希望を抱けなかった。

 何が何でも故郷(ちきゅう)に帰りたいわけではない。未練を残すには、あまりにも傍迷惑な半生だった。



(……実のところ、ここで終わってしまった(・・・・・・・・)方がいいのだろうか?)



 そんな予感を、崚は捨てられなかった。

 己の自由を、生を肯定するには、あまりに傷付け過ぎた。彼女(・・)はきっと、己の失踪を喜んでいることだろう。このまま異界の彼方で屍となれば、歓喜さえするかも知れない。彼女にはその資格があった。この身勝手で傲慢な兄に振り回されることが、永遠になくなるわけだ。そう言われるだけの罪業を、崚は積み重ねてきた。

 ……だけど。



「――ここで、終われない。あいつらを、見捨てられない。あいつらに危機だけ押し付けて、俺一人逃げるなんてできない」



 エレナとクライド。異世界で出逢った、はじめての『ともだち』。

 魔王の脅威――その本質を、崚はほとんど理解できていない。しかし本物だとすれば、彼女らも無事では済まないだろう。その戦いに直接巻き込まれるかもしれない。傷つくことだろう。苦しむことだろう。悲しむことだろう。ここに己を捨てる(・・・・・)ということは、そんな理不尽に彼女らを放り出したまま、自分一人楽になるということである。

 ――もしも、それを覆す選択肢がこの手にあるとしたら?



「斃してやるよ、あの魔王とやらを。俺に、その資格があるのなら」



 ニタニタと顔を歪める道化を前に、崚はきっぱりと宣言した。

 これで逃げ道はなくなった。崚が生き残る道は、誰かを護る手段(・・・・・・・)は、前にしかない。その手に刃を握り、屍山血河を築いた先にしかない。



『じゃ、契約すんのね?』

「ああ」

『なぁーんだァ、やきもきさせないでよねェ!』



 崚の迷いなき言葉に、道化はやれやれと肩を竦めた。苛立たしいだけの演技でしかなかった。下卑で不快で鬱陶しいばかり、欺瞞だらけの醜い世界――それが、この道化(せかい)の正体だ。

 それでも、そこで足掻く人々がいる。『善いもの』を護るために、自らを擲って戦う人がいる。だったら、己も戦うだけだ。そういう人をこそ(・・・・・・・・)護りたくて(・・・・・)足掻いているのだから(・・・・・・・・・・)



『――ま、せいぜい頑張んなよ。そのでかい口に似合う成果を出せるとイイネ!』



 道化の嘲笑を最後に、色のない闇が崚を呑み込んだ。急速に遠のいていく意識に、崚は何の抵抗もできなかった。






 ◇ ◇ ◇






 篝火が照らす暗がりに、閃光が迸った。

 目も眩む鋭い輝きに、エレナたちは反射的に目を覆った。レーベフリッグだけが、その光の奥にあるものを捉えていた。

 眩光が散る。暗闇が散る。世界を斬り裂くように、白と黒が交互にスパークを放ち続けていた。



「……これは……いったい……!?」

『――成った(・・・)ようだねぇ』



 見たこともない現象に戸惑うカヤに、レーベフリッグが応えた。

 みしみしと輝く黒白のスパークの中心にあったのは、崚が握るサーベル――星剣エウレガラムだった。主の意識がないまま、引っ張り上げられるかのように掲げた腕の先で、“神”の新生を示威するかのように、輝きを放ち続けた。



『契約は成立した。この坊やは、星剣エウレガラムの使徒として新生した』



 そう語るレーベフリッグの目の前で、スパークが止んだ。輝きを失ったサーベルが、それを握る腕がだらりと力を失い、床に落ちてかつんと小さな音を残す。慌てて駆け寄った一同が見たのは、相変わらず瞑目したまま、死んだように眠り続ける崚の顔だった。不安げな表情を見せるエレナたちに、レーベフリッグが静かに声をかけた。



『肉体も、魂も、深く傷付いている。もうしばらく休ませておあげ。

 ――心配せずとも、この坊やは必ず目覚めるよ。魔王と戦うために、魔王を斃すために』



星剣エウレガラム

 世界に点在する“神器”のひとつ

 “魔”を調伏し理を正す、世界の意志の具現

 光と闇を司る神の化身が、ひとつに融け合った姿


 その威光は、只人を狂わせて余りあるが

 それでも受け入れなければならない

 これに縋るほか、生きるすべはないのだから

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