06.進路と退路
イラの刻(午後四時ごろ)。昏睡し続ける崚をムルムルに託し、エレナら三人が野営地を足早に通り抜けていく。戦闘によって倒壊した天幕や荷物、訳も分からないうちに重ねた負傷と疲弊、大規模な呪術干渉による魔力汚染……混乱にざわつく兵士たちに対して、しかしエレナらが直ちにできることはない。三人は、まず王女軍本隊の諸将と幕僚を招集することにした。総大将であるエレナが長く離れるとなれば、最初に首脳部に状況を伝達し、大まかな指針を定めておかねばならない。
そうして、壊れてしまった大天幕の脇に集められた諸将と幕僚の顔にも、隠し切れない疲労と混乱が見えた。一部の幕僚は、気まずそうにエレナから視線を逸らしている。呪術で操られていたとはいえ、主君を弑さんと剣を向けたわけだ、後ろめたいのも仕方あるまい。エレナとしても、何かしらフォローしてやるのが正しい対応なのだが、状況がそれを許さなかった。
「まず、首脳部の面々に伝達すべき情報がある。アレスタが失踪した」
「――は……!?」
「な、何故!?」
……が、開口一番にゴーシュがぶち上げた一言は、エレナとカヤを含む一同を、驚愕させて余りあるものだった。
少なくない人数の臣下たちが、ざわざわと喧騒に包まれる。それをもたらしたゴーシュは、いつもの鉄面皮のまま説明を続けた。
「理由は明らかになっていない。反乱軍、ボルツ=トルガレン双方で大きな混乱が広がっており、事情を把握している者はほぼいないようだ。
現場の情報を整理する限り、拉致および殺傷された可能性は低い。何かしらの謀略を企てていると見、緊急で帰還したところで、今回の件だ」
「し、しかし、それとこれと何の関係が……!?」
「魔王復活、その手引きを企てた可能性が高い」
「ま、魔王?」
躊躇も迷いもなく続けられたゴーシュの説明に、臣下たちの目が点になった。まぁ当然だよね……とエレナは同情するしかなかった。戦争という辛気臭い現実に取り組んでいる最中に、まったく関連性のない伝説が横殴りに乱入してきた形である。即座に順応しろという方が無理な相談だろう。
そこからの説明は、カヤが引き継いだ。霊王の剛槍の使徒として魔王復活を予知したこと。それを止めるべく動いたが、一歩及ばず復活を許してしまったこと。彼に挑んだ少年リョウが敗北したこと。ようやく駆け付けたカヤがエレナとともに交戦し、しかし間一髪のところで逃がしてしまったこと――
「……魔王復活、ですか……」
「かの大神官長様を疑うわけでは、ありませんが……その、誠のことで……?」
その一通りを聞き届けた臣下たちの顔には、しかし隠しようのない戸惑いが浮かんでいた。荒唐無稽というか、単純にスケールが大きすぎて付いていけない。そんなごく当然の困惑が、一同から言葉を奪っていた。
「信じられないのも無理はありません。ですが、紛れもない事実です。ベルキュラス王国におかれましては、最優先でご協力いただきたいと思っています」
穏やかだが有無を言わさぬ口調のカヤに対し、臣下たちはついに反論の言葉を失った。七天教の最高権力者という権威は、その言葉を認めざるを得ない圧力を伴った。
「……無論、大神官長様が仰せのことであれば疑う余地はありませぬ。――しかし、何故エレナ様をお連れに?」
問題は、王女エレナの処遇だ。王女軍の総大将たる彼女が軍を離れれば、混乱は免れない。いかに大神官長の命令といえど、困るものは困る。それこそ、合理的な説明がなければ納得できない話だろう。
しかし、それに答えたのは当のエレナだった。
「わたしが、玲瓏の宝珠の使徒だからです」
「……玲瓏の宝珠の……?」
きっぱりと、端的に告げられたエレナの言葉に、再びどよめきが広がる。真剣な表情を浮かべる彼女の顔からは、とても虚言の可能性を見出せない。しかし、信用するにはあまりに突飛な話だった。世界に点在する七つの偉大な神器――その一つが、他でもないベルキュラス王女を選んだと?
「俄かには信じがたい話ですな。いつ、どうやって、何故エレナ様が選ばれたというのです」
「『神器のどれか』という意味でも、現物がこの場に存在しないでしょう。なにか根拠が?」
「その懸念は必要ない。もう手にされておる」
「……は……?」
「――まさか……!?」
口々に述べる臣下たちの疑問に対し、第一副将モラドが進み出、きっぱりと切って捨てた。その言葉は、明らかに玲瓏の宝珠の所在を確信している。訝しげに首を捻る臣下たちのうち、数名がとある推測に辿り着き、驚愕に目を見開いた。玲瓏の宝珠――司る権能は“水”。それと同じものについて、我々には覚えがないか。
それを見届けたエレナが、携えていた剣を掲げ、一同に見せた。鍔元の空色の宝玉が、差し込む光を反射してきらりと輝いた。
「……ベルキュラス王家に伝わる“水精の剣”。鍔元のこの宝珠、権能の核たるこの宝玉こそが、玲瓏の宝珠そのものです」
「……なんと……!」
「そんな、ことが……」
三度、どよめきが広がった。一部の者に至っては、口をあんぐりと開けて驚愕している。歴史の表舞台から姿を消して幾百年、もはや御伽噺の存在である。そんなものが、我々のごく身近にあったなどと、とても信じられるものではない。
しかし、すべて紛れもない現実だ。王女軍三万を陥れた強大な呪術も、担い手たるエレナを護った加護も――つまり、この幼い主君とエルネスカの大神官長が語る“魔王”の脅威も。
「……それらのお話がすべて誠のことであれば、尋常な兵力は役に立ちませぬ。エレナ様は使徒として、魔王討伐に注力していただくのが適切かと」
幕僚の一人が発した言葉に、臣下たちは戸惑いつつも現実を思い出した。同時に、どうやってこの難局に対処すべきか、まるで定石が見えてこないことも。
「しかし、エレナ様をおひとりにするわけには……」
「反乱軍の動きも気になる。エレナ様が離れられたと悟られれば、これを好機と攻勢に転ずる可能性が高いぞ」
「いやしかし、主将たるアレスタがいないのであれば――」
「自作自演の狂言の可能性も――」
身分の上下も関係なく、それぞれが意見を述べ始める。しかし疑惑と懸念が錯綜し、議論は空転するばかりだった。見かねた幕僚長アスマンとモラドが目配せをすると、アスマンがぱんぱんと大きく手を叩き、一同の注目を集めた。
「魔王討伐にあたって、使徒の代わりになる者などいますまい。反乱軍の混乱という情報を信じ、奴輩めの鎮圧は我々が務めるべきでしょう」
「指揮は儂とレオール侯閣下が引き継ぎ、早急に再編成する。エレナ様、各々方、よろしいかな」
「ありがとう。よろしくお願いします」
有無を言わさぬ正論に、臣下たちは反論の言葉を失い、已む無く押し黙った。なんとか話をまとめたモラドに、それを聞き入れた臣下たちに、エレナは深々と頭を下げた。
「エレナ様の供回りはどうします。まさか、おひとりで向かわせるわけにもいきますまい」
「――オレが参ります」
諸将の一人が発した言葉に答えたのは、その場にいる臣下たちの誰でもなかった。全員が声のした方を振り向くと、そこには一人の騎士が立っていた。美しい金髪の端々を焼き焦がし、長槍を支えにやっと立つほどの疲労感を滲ませながら、しかしその瞳に強い意志を宿す若き騎士――クライドである。
「アークヴィリア卿?」
「エレナ様は、この身をもってお守りいたします。どんな脅威であれ、どんな事態であれ――この命に代えても、必ず」
汗と泥で汚れた顔を整えることもなく、否定も異論も認めぬと言わんばかりの力強さで語る彼に、臣下たちは思わず反論の言葉を失った。“魔公女”シルヴィアでさえ陥落せしめた呪術に、唯一抵抗に成功し、主君のために戦ったのがこの騎士だ。「その疲弊を慮らなければならないのではないか」という懸念と同時に、「この青年なら、確かに適任かもしれない」という予感が、一同を支配した。
「……確かに、貴様ならば不足はないが……」
「しかし、彼奴一人で足りるものか? 相手はかの“魔王”だぞ」
「護衛隊を組織するべきでは――」
「しかし、どのような基準で選出する――」
再び、臣下たちが口々に言葉を発する。またぞろ進展しない議論に空転し、無為な時間ばかり費やされる流れか。これでは埒が明かない、といよいよ堪らなくなったカヤが、思わず口を挟んだ。
「――事態は急を要します。もう一人の使徒のこともありますし、選任に時間を設ける余裕はありません。確定要員がいるのなら、ひとまずそれで進めていただくことはできませんか」
「しかし……!」
「『時間がない』、とわたくしは申し上げました。一分一秒が命取りになりかねない状況です。ご理解いただけますか」
口調こそ丁寧だが、問答無用と言わんばかりのカヤの言葉に、臣下たちはぐぐぐと唸りつつも、反論の余地を見つけられなかった。組織が大規模であればあるほど、こういう局面で意思決定に時間がかかってしまうのが、古今東西あらゆる集団における宿業だった。思わず口ごもる一同を見やり、モラドが再び口を開いた。
「――事態は、我々が思うより切迫している。ここは、アークヴィリア卿に任せるということでよろしいかな」
「……大神官長様の、お言葉であれば……」
「では、そのように。――卿。エレナ様のこと、頼んだぞ」
「はっ!」
苦み走った顔で承服する臣下たちを横目で見届けると、モラドはクライドに向き直り、声を掛けた。おそらく軍内の誰よりも疲労困憊しているだろうに、その返答の力強さにも、ばっと頭を下げて拝命する態度にも、まるで迷いが見つからない。その実績も含め、確かに最適な人選ではあろう、と誰もが納得せざるを得なかった。
と、そこに、割り込む声がもうひとつあった。
「――わ、わたくしも参りますわ!」
「エリス!?」
臣下たちの後方から、震え声で精一杯叫んだのは、エリスだった。予想外の人物の登場に、エレナも思わず驚愕の声を上げる。
「……グランツェ嬢か。その、こういう言い方は何だが……」
「残念ながら、貴公では肉の盾にもならんぞ。大人しく、ここで待っているがよい」
これを諫めにかかったのが、諸将である。クライドとは異なり、彼女はまるで戦力にならない。足手纏いでさえある。出しゃばりを咎めるというよりは、良識として止めてやらねばならないというものだろう。しかしエリスは、その顔いっぱいに恐怖を浮かべながらも、決して退く様子を見せなかった。
「た、戦いではお役に立てませんが……! 身の回りのお世話なら、つ、務まりますわ! きっと、長い戦いになるでしょうし、エレナ様のためならば、ど、どんな危険であろうと……!」
「――そこまで言うのであれば、止めはせんが……」
「ありがとう。心強いよ、エリス」
ここで押し問答をしていても始まらない。侍従として、身の回りの世話を務める者が必要なのも事実だ。揺らがぬ意志があるならば……と諸将は説得を諦めた。彼女の加入を素直に喜んだのは、エレナ本人だけだった。
ひとまず、この場で決めるべきことは決まっただろう。あとはモラドとエレナ、それぞれの仕事だ。最後に、モラドがエレナへと向き直った。
「……エレナ様。役立たずの爺めが申し上げるべきことではございませぬが……どうか、御身を大切に。
もしものことがあれば、御命を優先して下され。使命も大事ですが、御身の無事が何よりです」
「とんでもないよ、モラド。――ありがとう。いってきます」
◇ ◇ ◇
軍の再編成を指揮する諸将と幕僚、出立の支度を整えるクライドとエリス、そしてゴーシュと別れると、エレナとカヤの二人は幕僚長アスマンを伴い、まずカドレナ軍の野営地へと足を踏み入れた。“魔公女”シルヴィアへ、事情説明と協力要請を行うためである。
兵士たちを指揮しつつ野営地を立て直していたシルヴィアは、モルガダとともに即席の天幕を用意し、三人を迎え入れた。
「――魔王復活、か……こりゃまた、碌でもない話が降ってきたわね」
苦い顔を浮かべながら呟くその横顔に、信じがたい事実を拒んでいる様子は見られなかった。不思議に思ったカヤが、思わず口を挟んだ。
「疑っておられないのですね」
「逆に疑う要素どこにあるのよ。あんなド級の魔力汚染が発生した後で、かの大神官長様が出てきてそんな説明されちゃ、嫌でも信じるしかないわ」
夢ならさっさと醒めて欲しいけどね、とシルヴィアは嘆息した。先の呪術の仕手も判然としていない状況で、これである。厄介事以外の何物でもなかった。
「あたしも行くわよ。さすがに魔王本体には及ばないでしょうけど、追従戦力の排除くらいは務まるでしょ。使徒対魔王のお膳立てまでは整えないとね」
「ほんと!?」
「当然。大事な妹分の危機だもの、たとえ火の中水の中、よ。もっとも、“長巫女”サマのお気に召さないというのなら、話は変わるけど?」
「とんでもありません。音に聞く“魔公女”の力、お借りできるなら心強いです」
「ありがとう、シルヴィ!」
「モルガダ、あんたも付いてきなさい」
「分かっとる」
普段の尊大な態度とは打って変わり、真剣な表情でもたらされた提言に、エレナは分かりやすく喜色を浮かべ、カヤも真剣な表情で応えた。問答無用とばかりにモルガダに命じるシルヴィアだったが、彼も主の無茶ぶりには慣れたもので、ため息ひとつ吐くことなく応じた。このあたりの呑み込みの速さと即応ぶりは、彼女ならではといったところだろう。
「問題は、こっちに連れてきた麾下の扱いね。可能であれば連れていきたいところだけど、数が多けりゃいいって話でもないし……そもそも、法術の転移だって限度があるでしょ?」
「そうですね。多くても二、三十人が限度です。最終的にはご協力いただきたいところですが、今回の招集で必須というわけではありません」
「となると、連れていく要員を選抜するか、ひとまずあたし一人で動くか……どちらにせよ、居残り連中の扱いを決めないとね。軍務管理上は騎士長あたりに委任すればいいんだけど、建前としてあたしの要請ってのがあるから、そのあたしがいなくなっちゃうと……」
「では、私の預かりとさせていただきましょう」
うーんと唸ったシルヴィアに対し、アスマンが口を開いた。
「緊急事態による支援要請として、カドレナ軍の方々と話を詰めさせていただきましょう。主将シルヴィア様からの御口添えがあれば、手早くまとまるかと」
「あらそう? 幕僚長の要請なら、ひとまず大きな心配はないか。第一副将閣下にも話を通しといてよね」
「承知いたしました」
「ごめんね。負担ばっかりかけて」
「なんの。お二人が負うべき使命に比べれば、何のことはありませぬ」
申し訳なさそうに眦を下げるエレナに対し、アスマンはただ恭しく頭を下げた。魔王という甚大な脅威に対処できる者が限られている以上、それ以外の些末事は、できる者で捌いていかねばならない。
◇ ◇ ◇
「……皮肉なものだな。我ら砂人の苦境にも、王女の受難にも手を差し伸べなかった連中が、稀人ひとりの危機には動くのか」
手続きのために移動するアスマンと別れ、次に訪れたのは、砂人連合軍の野営地。急ごしらえの天幕で二人を出迎えたのは、隠し切れぬ疲労感をその瞳の奥底に堪えたラシャルの、嫌味にちかい物言いだった。
しかし残念ながら、独白じみたその言葉の意味を理解できるものは少なかった。
「――『稀人』……? ラシャル様、それはいかなる……?」
意図を測りかねた側仕えの通訳と、そもそも言葉が通じていないエレナ。カヤだけが、法術でその言葉を解し、そしてその意図するところを察することができた。
「んんっ――『ランガ氏族、ラシャル様。あなたは、彼の正体を知っていたのですね?』」
咳払いをひとつ。その次にカヤの口から出てきたのは、現代の共用言語ではなく、砂人の固有言語だった。ラシャルはそれに小さな驚きを覚えつつも、すぐに順応し無言で頷いた。
「『神の御名の許に、衆生を遍く救う』――ふん、聞こえだけは立派だな。貴様らの甘言を盲信する気も、それに縋る気もないが……自ら掲げたお題目すら守れぬようでは、片腹痛いと言わざるを得んぞ」
「『彼は星剣エウレガラムの使徒です。この難局を乗り切るために、彼を保護することはいけないことですか?』」
「――星剣、だと?」
ここぞとばかりに嫌味を重ねたラシャルだったが、切り返されたカヤの言葉に、目の色を変えて驚愕した。傍らの通訳が、その異変を察知した。
「どうされたのですか?」
「――……数年前から、巫女の占述にて『凶星が到来する』と示されていた。それも、ランガだけではない。ハジーやエンバでも、同様の占述が顕れたそうだ」
「『“凶星”ですか』」
通訳の質問に、ラシャルは動揺を抑えつつ答えた。それは、エンバ氏族の巫女シーラが、いつか崚たちに語った内容と同じだった。
「砂人諸氏族でも、魔王復活が占われていたようですね」
「それじゃあ……!」
ラシャルの説明から、砂人諸氏族の情勢を垣間見たカヤが、その内容を共用言語でエレナに説明する。それなら話が早い、と表情を明るくするエレナだったが、
「――王女エレナ。そしてエルネスカの巫女、森人の神官よ。我らは征けぬ」
「……なんですって?」
苦々しい表情を浮かべたラシャルの宣言に、カヤの思考が止まった。
「長巫女さま、ラシャル様はなんと?」
「――『征けぬ』、と……我々に協力できない、と」
「……え……!?」
その訳をせっついたエレナに対し、カヤが動揺のまま説明する。それは当然、エレナにも衝撃を与えたが、驚愕したのは二人だけではなかった。
横で聞いていた通訳も、これは拙いと止めにかかる。ここで「協力しない」と返答してしまえば、それはつまり『魔王側に与する』と解釈されてしまう可能性がある。
「ラシャル様、それは――!」
「占述を信じるならば――“星剣”と“魔王”、その二つこそが『砂人を滅ぼす凶星』だ。我らは、その運命を受け入れなければならん」
だが、硬い表情のラシャルを説得するには至らなかった。その顔からはとても、私利私欲による背信を見出すことなどできない。ただの利害対立ではなく、『選択肢がない』と言わんばかりの表情に不審なものを覚えながら、カヤは糾弾の言葉を紡いだ。
「『魔王側に付けば、あなた方砂人は生き延びられるとでも? それは甘い見立てではありませんか』」
「“星剣”もまた我らの脅威だ。呪われた民族である我らが、神理霊験に認められるはずがない。どちらが勝とうと、我らの滅びは避けられぬ」
しかし、ラシャルは頑として譲らない。ここでようやく、カヤは『凶星』の意味を誤解していたことを悟った。『砂人にとっての凶星』とは、人類全体の災厄――魔王が再臨することではなく、あくまで砂人のみに関わる話。つまり、“大いなる理”によって砂人が滅ぼされるという解釈だったのだ。
「あの、ラシャル様は……?」
「……星剣エウレガラムと魔王――そのどちらもが『砂人を滅ぼす凶星』であり、彼ら自身の滅びは避けられない。故に、その運命を受け入れるしかないと……」
「そんな……!?」
苦い表情を浮かべるカヤの説明に、エレナも愕然とした。どうして、そんな理不尽が。
「……しかし、ラシャル様。このまま放置という訳にも……」
「――……反乱軍めが、まだ残っているだろう?」
一方、いまひとつ信じられない通訳の諫言に対し、ラシャルは苦し紛れに口を開いた。ベルキュラス王国として、反乱軍の脅威を放置することはできないし、そのために割く戦力として砂人連合軍も不足はない――そんな、苦しい言い訳だった。
「我らはその鎮圧に協力してやる。王女よ、お前たちは魔王撃滅に専心しろ」
「――我ラハ反乱軍ノ鎮圧ニ協力スル。王女ラハ、魔王ノ撃滅ニ専念シロ」
「……分かり、ました……ご協力、ありがとうございます……」
議論の余地はないとばかりに言い切ったラシャルの言葉を、通訳が戸惑いつつエレナに伝える。彼女も、それを受け入れざるを得なかった。占いという不確かな情報――しかし、砂人たちの将であるラシャルが重視するならば、それを覆す強権はない。敵対しないだけ僥倖、そう考えるしかなかった。
これ以上できることはない。次に行こう、と席を立ったエレナとカヤの背に、ラシャルがふと声をかけた。
「王女」
「なんですか?」
呼びかけられただけならば、通訳がなくとも解る。即座に振り向いたエレナの目に飛び込んできたのは、普段の不敵さがすっかり失われた、ラシャルの苦々しい表情だった。
「――あの小僧によろしく言っておけ。次に逢う時は、互いに敵同士だろうからな」
そんなラシャルから投げかけられた言葉は、それを聞き届けたカヤと、訳した言葉を聞いたエレナに、深い深い動揺を植え付けた。
◇ ◇ ◇
「ま、魔王復活ぅ!? ウソでしょ!?」
一方、ゴーシュはヴァルク傭兵団と合流し、状況の説明を行っていた。
団長カルドクと参謀ラグ以下、古参新参の隔てなくすべての団員たちも集結している。殊更に大きな悲鳴を上げたラグを皮切りに、傭兵たちはざわざわと喧騒に包まれた。とはいえ、事態の重大さを理解できているものは半分もいない。いくら何でもスケールが大きすぎて、話についていけないのだ。ゴーシュもそれを察した上で、一同の理解を待つことなく畳みかけた。
「復活した魔王にリョウ少年が敗れ、瀕死の状態だ。今回は私が同行するが、傭兵団としても進退を明らかにしておいた方がいい」
「いやそんなこと言ったって! 相手、あの魔王なんでしょ!? 僕らがいたところで、どうにかなる話じゃないっスよ!」
「これからの戦いは魔王当人だけでなく、その眷属も立ち塞がるだろう。その排除を要請される可能性が高い」
おろおろと右往左往するばかりのラグに対し、ゴーシュは淡々と説明した。こういう場合、手に余る事態の深刻さを煽るよりも、現実的な対応に目を向けさせた方がいい。「そ、そうなんスね!?」とラグの動揺がひと段落したところで、ふとカルドクが口を開いた。
「ちょい待て、ゴーシュ。リョウの奴、死んでねェのか?」
「彼はおそらく、星剣エウレガラムの使徒だ。神器の加護によって、ぎりぎりのところで保護されたのだろう」
「……エウレガラム……?」
「神器ねェ……? ラグ、お前知ってっか」
「いや、僕も初めて聞いたっスけど……え、ちょっと待って。『神器自体知らない』とか言い出さないっスよね?」
謎めいた説明は、無学な二人の疑問を煽り、首を捻らせる効果しかなかった。「この場で詳しい話は意味がない」と、ゴーシュはそこで打ち切る。小難しい話はともかく、とカルドクも腕を組んで思考を切り替えた。
「とにかく、俺らも手伝わなきゃいけねェってこったな。どのくらい要るんだ」
そんなカルドクの言葉に、真っ先に目の色を変えたのはラグだった。それはまるで、『魔王を向こうに回して戦う』という意図があるようではないか。
「ちょ、団長! 事の重大さが分かってんスか!? 相手は魔王っスよ!?」
「んじゃ、尚更手を尽くさねェといけねェだろ。日和見決め込んでどうにかなるハナシか」
「で、でもぉ……!」
ラグが慌てて止めにかかるも、当のカルドクは頑として譲らない。正論と言えば正論だろう、だがあまりに無謀だ。こんな雑兵集団で対処できる次元の話ではない。ラグは必死になって説得の言葉を探した。ゴーシュは一切制止しなかった。
「おそらく大神官長の法術で転移することになるが、多くても二、三十人が限度だろう。同行するなら、部隊は選抜した方がいい」
「あいよ。そんじゃ――」
団員たちの方に首を巡らせ、目測を始めるカルドク。団長のその暴挙に、団員たちは思わずぎょっと後ずさった。
「……なぁ、カルドク」
「あァ? どした」
その人だかりを抜け、一人の傭兵が歩み出た。暗い表情を浮かべた、副団長カルタスである。
「俺は、行かねーや。つか、お前もやめとけ」
「――あ゛?」
眉根を寄せたまま言い放ったカルタスに、カルドクは一瞬で目を剥いた。
「てめェ、自分が何言ってんのか分かってんのか!?」
「分かってるよ、あいにくな」
カルドクがこめかみに青筋を浮かべてにじり寄り、その襟首を掴み上げられても、カルタスは苦い表情のまま言い捨てる。
「お前の無鉄砲なんか、今に始まった話じゃねぇけどよ。今回ばっかりは、さすがに付いていけねぇ。
魔王が復活した? 世界を護るための戦い? 冗談よせ、こんな木っ端の傭兵団が抱えられるような話じゃねぇだろうがよ」
「カルタス……! そりゃ、そうっスけど……!」
「傭兵商売にだって限度があんだろ。いくら何でも話がデカすぎる、俺らの手に負えねぇ。こいつぁもう、選ばれた使徒様とか、名だたる勇者様に任せちまおうぜ」
「んなもん知るか! ウチの若ェのがやられてんだぞ! 俺らが出張らなくてどうすんだ!」
「御伽噺に憧れる歳でもねぇだろ、現実見ろよ。それともお前、自分がそうなれるとでも思ってんのか」
「そういう問題じゃねェ!」
「どっちみち、俺らの出る幕じゃねぇんだよ。お前もいい加減頭冷やせ」
その言葉は、身内を見捨てるも同然の物言いだった。カルドクに次ぐ古株として、共に幾度も死線を潜り抜けた戦友とは思えない、あまりに非情な言いようだ。カチンときたカルドクが唾を飛ばして怒鳴る一方、当のカルタスはずっと表情を翳らせたまま、冷淡に言い返すだけだった。
何か奇しい、と違和感を抱いたカルドクの手を、カルタスがすかさず振り解いた。
「――ってなわけだ、お前らも無理に付き合わなくていいぞ。ひとつっきりの命だ、惜しんだって恥ずかしくないだろ」
「――カルタス、まさか……!」
ため息を吐きながら、団員たちに向かって放たれたカルタスの言葉に、カルドクとラグはようやくその意図を悟った。つまり、カルタス自身が行きたくないと主張しているのではない。この男は、『行きたくないと思っている団員たち』の意志を代弁するつもりなのだ。
その真意は、カルドクの怒りをさらに煽るだけだった。
「――ふっざけんな、この腰抜け共!!」
「ふざけてんのはてめーだ、この大バカ野郎!」
一段と激したカルドクの罵声に、ついにカルタスも怒号で張り合った。
「誰も彼も、お前みてーにまっすぐ突き進むだけのバカにはなれねぇんだよ! どんだけヤバい敵を相手にするかも知らねぇまんま、何も考えずに突っ走れる奴ばっかりじゃねぇんだよ!
好き好んで戦争やってる奴ばっかりじゃねぇ! どこにも居場所がなくって、仕方なく傭兵やってる奴だっている! 死にたくないって思いながら、必死に戦ってる奴だっている!
――それを団長のお前が『往く』って言っちまったら、こいつらも付いていくしかなくなるだろうが! 勝ち目もない敵を相手に、みすみす殺されに行くことになるだろうが! いつまで先代にケツ拭いてもらってる感覚でいんだ、てめーは!」
「だったら黙って付いてこいや!!」
いよいよ互いの襟首を掴み、額をぶつけ合いながら罵り合う。横で見ているだけのラグには、もはや止められない域の口論になり始めていた。ゴーシュは、ただ黙してなりゆきを見守るだけだった。
「イヤならイヤだって、手前の口ではっきり言え! 戦うなら肚決めろ! そんなことも出来ねェ腰抜けなんざ、勝手に死ね! 誰も安全なんか保証しちゃくれねェ、手前の身は手前で守るしかねェ、傭兵稼業ってなァそういうもんだろうが!
誰かに手前の生き死に押し付けといて『死にたくねェ』だァ!? 甘ったれんな、意気地なしの糞虫共が!!」
「そうやって割り切れたら誰も苦労しねーんだよ!!」
カルドクの面罵は、しかしカルタス本人ではなく、その後ろで沈黙するだけの団員たちに向けられたものだった。烏合の衆と化した団員たちは、気まずそうに視線を逸らすだけだった。
カルドクとカルタス、どちらの言い分にも正当性がある。ラグ自身、迷いがあるまま話が進んでいく中で、どちらにも肩入れしようがない。故に、緊迫した空気を打開することができたのは、彼らの誰でもなかった。
「――……あー、おほん。参謀君、少しいいかね」
「え、えっと、何っスか……?」
鎧甲冑に身を包んだ一人の老翁が、ちょいちょいとラグに声をかけた。主将エレナの代理として軍務に追われている最中の、第一副将モラドである。
「諸君への任務依頼として、エレナ様の護衛を頼みたい。事態は急を要するため、速やかに要員を調整してくれるかね」
「そ、それはやまやまなんスけど……」
「無論、大神官長様のご都合もある。要員は厳選してもらいたい。
残留する者たちのことなら心配無用じゃ、儂の命でまとめて預かりとする。特に、最近加入した者についてはの」
これ見よがしな言い回しに、ラグはどう反応すべきか困惑した。実のところ、護衛役はすでにクライドで決定している以上、無暗に人数を増やすのは上策ではない。魔王と交戦したリョウ少年が瀕死の状況ということで、カルドク団長を始め団員たちも気掛かりだろう、という気遣いによるものだった。その一方で、最近加入したばかりの新参団員たちに、それほどの善意と士気がないということも考慮した上で。
そのことまで汲み取ったラグが、目の前の大口論に対してできることと言えば――
「――ハイ、注目、ちゅうもーく!」
ぱんぱん、と大きく手を叩き、団員たちの注目を集めた。
「第一副将モラド様の依頼を受け、僕らヴァルク傭兵団はエレナ様の護衛として同行します! 時間がないんで、参加希望する人は今すぐ申し出て下さい! 連絡ない人は全員不参加ってことにしますけど、居残る人はモラド様の預かりにしてもらうんで、ついて来なかったからって即クビって話にはならないっス!
この任務は強制参加じゃないっス! つまり――余計なこと考えずに、自分の意思で決心して下さいね!」
何とか噛み砕いた説明に、団員たちはそれぞれに戸惑いの表情を浮かべるしかなかった。こうして逃げ道が用意された以上、彼らの意思決定には何の強制力も働かない。つまり――誰にも、何にも言い訳できないということだ。
「……ど、どうするよ?」
「っ言ってもよぉ……」
「相手、魔王なんだろ?」
「……勝てるのかよ。つか、勝負になんのかよ?」
「知るわけねーだろ、そんなもん」
ざわざわとどよめく団員たちを前に、カルドクとカルタスの二人はようやく口論を止めた。あとは、それぞれの意志を尊重するしかない。口を挟むことができなくなった二人は、ようやく互いに掴み合っていた襟首から手を離した。
誰からともなく、後ずさりする者が現れた。一人、また一人、躊躇うように後退する。全員ではないが、その数は少しずつ増していく。『行かない』という宣言も同然なその行動に、カルドクはフンと鼻を鳴らすだけだった。
やがて人の潮が引き、その明暗ははっきりと分かれた。不安げな表情を浮かべながらも、決して後退せず留まる古参団員たち。その場から逃げ出すかのように、後ずさりした新参団員たち。かつて、ヴァルク傭兵団の勇名にあやかろうと集った者たちが、そっくりそのまま退く形になった。
「――カルタスさん、俺ら、行きますよ」
古参団員の一人エタンが、代表して口を開いた。他の団員たちも同じ意志だった。その覚悟を感じ取りつつ、カルタスは再びため息を吐いた。
「……お前ら、本当にいいんだろうな。今度ばっかりは、相手が悪ぃぞ。逃げ出したって、誰も責めねぇ」
「でも、団長やあの坊主ほっぽり出して、俺らだけ安全な場所に逃げるわけにはいかないっしょ。
俺ら、ここしか居場所ないんすから。ここで見捨てちゃ、男が廃るってモンっすよ」
恐怖がないわけではない。躊躇がないわけではない。――それでも、これが彼らの決断だ。カルタスが口を挟めることはもうなかった。
「……しゃーねーな。じゃ、さっさと支度すんぞ、野郎共」
「あ? あんだけ言っといて来んのか、お前」
呆れたように、どこか安堵したように、がりがりと頭を掻きながら言うカルタスに、カルドクが噛み付いた。
「仕方ねーだろ。お前、突っ走るばっかりなんだから。ラグ坊にばっかり、後始末押し付けるわけにもいかねーよ。
――ここでこの団見捨てられねぇのは、俺も同じなんだからよ」
これで、王女軍の指針は整った。
それぞれに意志を固めた戦士たちが、あるべき務めを果たすために動き出す。昏々と眠り続ける、ただ一人を除いて。
玲瓏の宝珠
世界に点在する七つの“神器”のひとつ
“魔”を調伏し理を正す、世界の意志の具現
淡い輝きを湛える宝珠は、天地を巡る流水を司る
伝説に残る使徒カロリーネは“水の乙女”と呼ばれ
魔王大戦ののちにベルキュラス王国を興した
故に、ベルキュラスでは女に王位継承権が与えられる




