14.雷鳴の帰還
天領、宿場町レムルの中央に建つ七天教のレムル教会。
神と竜を祀る七天教は、いかなる国家間の戦争にあっても中立を貫いている。それはオルステン歴が始まる前、大智竜レーベフリッグが霊山エルネスカに根付いたころからずっと変わらぬ大原則のひとつであり、一度も忽せにされたことがない。ゆえに、ボルツ=トルガレンも反乱軍も、この聖域を侵すことは叶わず、戦乱に惑う市民にとって最後の拠り所となっている。
そのレムル教会の一室、奥まった小部屋のひとつで、二人の男が対面していた。
正確には、もう一人がその様子を見ている。――法術のひとつ、“水鏡”。水盆を介して、遠く離れた者同士での会話を可能とする法術である。
『そちらの状況はいかがですか?』
「良くはない、と報告するべきだろうな。戦況そのものは、王女側に傾いているが」
水盆から響く若い女の声に、男の一人――ゴーシュが回答した。中立地帯であるのをいいことに、王女軍の間諜としての活動拠点にしているのではなく、まったく別組織の諜報員として、定期報告にあたっていた。ゴーシュ自身は体質上法術を行使できないので、男のもう一人――このレムル教会を預かる司祭ウォラスに代行してもらっているのだ。
相手は――エルネスカの六代目大神官長、カヤ=ヘンリス。七天教の総本山、霊山エルネスカにおける最高神官である。
『確か前回の報告では、氷の悪魔が出現したとのことでしたね? その後はいかがですか?』
「ラムノ渓谷で交戦し、契約者ともども撃滅済みだそうだ」
『撃滅とは、どうやって? かの氷の悪魔ともなれば、上級神官がいなければ退治もままならないでしょう?』
「王女軍とカドレナ軍、双方で保有している魔導兵器を使用したと聞いている」
『魔導兵器、ですか……』
淡々と語るゴーシュの報告に、水盆の向こう側にいるカヤはわずかに顔をしかめた。小規模ではあるが、“魔”同士の衝突だ。放散する魔力汚染は並大抵のものではなく、周辺被害は決して小さいものではない。死に蠢くや悪霊の発生は言うに及ばず、その残り香から新たな悪魔が発生しかねないため、早急な対処が必要になるだろう。本来であれば、七天教に依頼してもらい、上級神官を派遣して浄化させるのが筋なのだが――
「――単なる悪魔退治ではない。他に手段がなければ、それに縋らざるを得ないのが戦争だ。貴公らが中立を貫く以上、そのツケは貴公らが負うべきだ」
「……」
『……痛いところを突きますね』
ゴーシュの言葉に、ウォラスは無言で顔をしかめ、水盆の向こうのカヤも肯定するしかなかった。反乱軍が氷の悪魔を戦術兵器として使役したのが仇となった。あくまでもベルキュラスの国政に関与せず、中立を保つべしと判断していた七天教は、「反乱軍と敵対しないために、討伐すべき氷の悪魔に手を出せない」というジレンマに陥っていた。結局、拙速を求めた王女軍は七天教の回答を待つことなく、魔導兵器に頼らざるを得なくなったわけだ。
『とにかく、浄化儀式を行わなければなりませんね。ラムノ渓谷――それと最初に出現したのは、オレリア湿原でしたね? 神官の手配を急がせます。ウォラス司祭、儀式の準備を』
「畏まりました」
とはいえ、すでに斃してしまったのであれば、問題がひとつ解決する。カヤの命令に、ウォラスは恭しく頭を下げた。
『しかし、悪魔と契約したということは……いえ、「契約者も撃破済み」と言いましたね? つまり、配下の者を使ったのですか?』
「そのようだ。奴はボルツ=トルガレンを配下に従え、その一人に契約を結ばせることで間接的に使役していたらしい」
『なるほど……では、アレスタ本人には影響がないということですか』
悪魔の力を借りるには、己の魂を捧げる必要がある――それは子供でも知っている一般常識だが、七天教でもごく限られた人間は、もうひとつの事実を知っている。すなわち、「特定分類の人間は、悪魔との契約を結ぶこと自体ができない」ということだ。
『あなたの“感”ではどうですか? アレスタは本当にそうだと?』
「権能を使っていない以上、私でも感知はできない。対面しない限り、識別は難しいだろうな」
『そうですか……それは、最終手段に取っておきたいですね』
真相にいまひとつ届かないもどかしさを、カヤはぐっと堪えた。もしもアレスタがそうであるならば、ゴーシュは不俱戴天の仇である。その両者を対面させることは、つまり殺し合いに発展する可能性が極めて高い――確定といっても過言ではない。確認手段としては、最後の手段に違いないだろう。
今回の報告はこの程度か――と、ウォラスとカヤが気を緩めたその時、ゴーシュがふと口を開いた。
「それと、氷の悪魔の撃滅だが――おそらく、“例の預言”も関係している」
「預言?」
ウォラスは言葉の意味を解せず、首を捻ったが、いち早く反応したのはカヤだった。
『――まさか、“星の剣”!?』
『失われた聖なる両面は、星の剣として再来する』――それがオルステン歴六一二年、四代目神官長オレステ・エリア・インサングイネによって発表された預言の内容だ。つまり、失われた退魔の光剣と晦冥の湾刀に替わる新たな神器が誕生することを示唆しているわけだが、これが同時に『退魔の光剣の使徒の末裔』を自称するレノーン聖王国の主張と真っ向から矛盾することになり、世界中に深刻な波乱を招いている。そんな劇物が、まさかこんなタイミングで――
『使徒に心当たりは!?』
「一人、いる。――本人は、おそらく自覚がない。預言どころか、神器についてもほとんど知識がないと思われる」
『そんな……ことが……』
淡々と述べるゴーシュの言葉に、カヤは愕然とした。失われたはずの神器が、それと知らぬまま戦争に参加しているということになる。なお悩ましいのは、最悪の場合、それが二つだという可能性だ。
『そんな……これでは、三百年前の――いや、下手をすると、“魔王大戦”の焼き直し……!』
「アレスタが気付いている可能性は?」
「分からない。お互いにすれ違ったのか、敢えて泳がせているのか――氷の悪魔を試金石にした可能性もある」
ウォラスの確認に、ゴーシュはかぶりを振った。アレスタの方が事実確認できない以上、これ以上の推論は不可能だろう。もしもアレスタがそうでないのならば、ただの悪い偶然という可能性もある。
つまり今懸念すべきは、“星の剣の預言”の方だ。カヤは決断した。これ以上、一刻の猶予もない。決定的な破綻を迎える前に、自ら立つ覚悟を決めなければならない。
『これ以上は危険です。レーベフリッグ様に掛け合い、私も参ります。くれぐれも、アレスタ本人との衝突は避けてください』
「了解した」
ゴーシュの返事を聞き届けるや否や、水盆はぽちゃりとひとつ波紋を起こし、それきり沈黙した。その向こう側にあったカヤの顔も声も、もはや届かなくなった。
◇ ◇ ◇
エレナの取り乱した様子に、これ以上軍議を続けられぬと判断した第一副将モラドの命により、一同はそのまま解散した。
カドレナ軍と砂人連合軍は、ひとまず王女軍の隣に陣を敷き、野営地を設営することとなった。砂人への連絡役として走り回らされた崚は、ちょうど一息ついた頃合いを見計らったように現れたモルガダから「お嬢が呼んでいる」と伝えられ、今度はカドレナ軍の野営地に足を踏み入れた。それぞれが、動員規模の比較的小さな野営地だったことが幸いした。
オルスの刻(午後六時ごろ)を過ぎ、辺りは少しずつ暗がりに呑まれ始めている。案内に従い、崚はシルヴィアのいる天幕へと入った。ちょうどひと段落ついたらしく、シルヴィアは幕僚たちを退出させると、崚とモルガダに椅子を勧めた。
「悪いわね、わざわざ来てもらって」
「え、あ、おう」
「――あんた、意外と腹芸とか向いてなさそうねぇ」
何気なく話を切り出したシルヴィアだったが、思わず舌を噛んだ崚を見て、呆れた視線を向けた。連絡役として駆け回っている間に落ち着いたと思っていたが、エレナの取り乱した様子がよほど心に引っかかっていたらしい。崚自身、意外に思ったことだった。
前置きも惜しいとばかりに、シルヴィアの目つきが鋭くなった。
「アレスタについて何か知ってるんでしょ。話しなさい」
有無を言わさぬ命令。だがその言葉は、崚も薄々予想していたことだった。驚くべきは、シルヴィアの観察眼だ。崚とアレスタの間に何かがあるなどと言っていないし、そのような話の流れもなかった。僅かな口ぶりや態度から、それを察知したわけだ。
崚はそれに反抗することなく、素直に告白した。
「あいつは――アレスタは、何かを探してる。たぶん、ベルキュラス王家に関係する何かだ」
崚の告白に、シルヴィアは無言で続きを促した。
「俺とクライドが駆け付けたとき、あいつはエレナに何かを尋ねていた。――陛下も王妃も王弟も、その時点ですでに殺されてた。
そもそも奇しいんだよ、『エレナだけを生かしてる』って構図自体が。普通なら、尋問するのは陛下か王弟で、人質として王女を使うのがセオリーだ。どんなやり取りがあったのか知らないが、アレスタの本意じゃなかったはずだ。――普通に考えたらな」
そんなはずはない。具体的な根拠はないが、崚はそう確信していた。少なくとも、あの場にいた全員――王本人も王弟もまとめて頸を刎ねる事態にはならないはずだ。得物の差はあれど、首には太い筋肉や硬い頸椎があり、『ついうっかり』で斬り落とせるような部位ではない。二人を含む全員が、最初から頸を刎ねる前提で殺されたということになる。
「悪いけど、エレナの記憶には期待しないほうがいい。明らかに、アレスタの言葉が耳に入ってる様子じゃなかった。お前が従妹のトラウマを掘り返して苦しめたいんなら、話は別だがな」
「……そうね。あたしも、それは酷だと思う」
崚の提言に、シルヴィアは逆らわなかった。あの取り乱しようを見せられた後では、まっとうな記憶を期待できるものではあるまい。
「じゃあ代わりに、あんたに訊くわ。あんた、どうやって切り抜けたの?」
シルヴィアのやや変化球じみた質問に、崚は首を傾げた。
「尋問の内容は訊かないのか?」
「知ってるかどうかを見抜けないほど、あたしも馬鹿じゃないし、あんたが知ってるなら、わざわざ勿体つけるような馬鹿じゃないって思ってるわ。期待外れかしら?」
崚の問い返しに、シルヴィアは挑戦的な笑みを浮かべた。何だか知らないが、崚の知性について高く買ってくれているらしい。ありがたがるより、緊張感の類を覚えた。この女、本当にやりづらい。
……そんなことはいい。先に、事実関係の整理だ。
「……とりあえず斬り込んだ。殺れるなんて思ってねえ、一当たりしてこっちに意識を向けさせて、その隙にエレナを回収させようと思ったんだ」
「一人で挑んだの? あんたも無茶するわねぇ」
「しょうがねーだろ、あいつのことなんて碌に知らなかったんだから。そんなおっかねえ英雄だと思ってなかったんだよ」
呆れ顔を向けるシルヴィアに対し、崚は口を尖らせて言った。あの時はほぼ初対面も同然であり、戦果どころか人となりも碌に知らなかったのだ。結果として正しい行動が取れただけ、上等だと思ってほしい。
「ただ、奴の得物とぶつかった時――変な反応があった」
「変な反応? どんな?」
「……よく分からん。異様に強い光と――何か、やたら澄んだ音が鳴った。鉄同士のぶつかり合いって感じじゃなかったな。鐘か何かに近い。
あと、異様に強く弾かれたな。あいつの攻撃がっていうより……同じ極同士の磁石を無理矢理ぶつけ合った、みたいな」
崚は当時を思い出しつつ、何とか形容を試みた。この刀を手にして以来、とかく不思議現象には事欠かないが、そのいずれに対しても明確な回答が得られないのがもどかしい。分かることを分かる範囲で思い返して、専門家の見地に縋るのが精いっぱいだ。
「向こうの反応は?」
「向こうも驚いてたみたいだけど――いや、あいつの方は何かに勘付いてたみたいだ。よく分かんねーこと言ってたよ、『お前がそうか』とか、何とか。
その隙にクライドがエレナを回収したから、こっちは即座に逃げの一手だ。あとは分からん」
つまり、アレスタの方はその詳細を把握していたということになる。ふーん……? と首を捻るシルヴィアを見る限り、真相は遠そうだ。これ以上は、奴自身を問い質すしか――
「――違う、それだけじゃない」
「なにが?」
「あいつ、最後になんか言ってた。――『いずれ会おう、同志よ』って」
その言葉の意味について、崚は未だ答えを得ていない。混乱の中で、何かしらの聞き違いがあった可能性もある――そう思って、意図的に推論を避けていた。つまり、本来アレスタに味方すべき立場という可能性があることを。
「……んー? なに、あんたボルツ=トルガレンの間者なの?」
「んなわきゃねーだろ、アホか!」
「分かってるわよ。冗談だっての」
半眼で睨むシルヴィアに、崚は思わず目を剥いて怒鳴った。意図的に悪辣な言葉選びに、従者たるモルガダもやれやれと嘆息するだけだった。
それはさておき、とシルヴィアは思考を切り替えた。
「その時の得物は? いつかのあれ?」
「これのことを指してるなら、正解だ」
言いつつ、崚は腰から佩刀を抜いてシルヴィアに見せた。いつかと同じように、水洗いで血と脂を落としただけだ。刃毀れひとつ、歪みひとつない刃が、三人の視線を浴びた。
「……魔術師のあたしが言うのもなんだけど、仮にも祭具を戦争に使うのって、いくら何でも罰当たりじゃない?」
「人斬り包丁の形してるのが悪い。戦争以外にどこで使うんだ、こんなもん」
「あんた、おっかない思想してるわねぇ……」
平然と開き直る崚に、シルヴィアは閉口するしかなかった。いつか語られたことを整理すれば、法術とはこの世界の信仰に関わる異能であり、祭具はそのための道具ということらしいが――つまるところ、崚の知ったことではない、ということである。武器とはこれすなわち殺傷加害を目的とする道具であり、刀はその機能を突き詰めた完成形のひとつだ。戦争という鉄火場において有用な道具を使わない理由はなく、つまりそれに向いた形態であるのが悪い。詭弁でも何でもなく、崚は本心からそう思っていた。
とまあ、そんな罰当たり思想はともかく……とシルヴィアは思考を戻した。
「モルガダ、どう思う?」
「……普通の剣じゃないことは確かだ。儂の専門じゃない」
シルヴィアに水を向けられたモルガダも、刀をじっと観察していたが、明確な情報は得られなかった。
「窟人の武器にも、いろいろあるんすか」
「あぁ。魔力の扱いが上手いもんは、魔力を宿した武器を鍛えるのが得意だが、精霊の力を宿した武器は鍛えられん。逆もまた然りだ。
……だが、こんな人斬り包丁に使えるような祭具は、まず鍛えんと思う」
「法術の儀式の方が主目的だからねぇ。『実戦にも使える』程度のものしか作らないと思うわよ」
専門家二人は、それぞれ芳しくない見識を述べるだけだった。奇妙なのは、『祭具として評価した場合』の不一致性だ。『儀式への使用が主目的』というのは、崚も何となく想像できるところだが、実際に振るっている崚から見ると、実戦に基づいた機能ばかり発揮されている様子で、とても儀式用の刀剣とは思えない。この矛盾は何なのだろう?
「で、アイツの方は何持ってた? 普通の剣?」
「……そういえば、あいつ変なもん持ってたな。
黒い大鎌。戦鎌って奴じゃない、農耕具の方を大型化した感じの奴。カドレナじゃああいうのが――」
「黒い大鎌!?」
何気なく問うたシルヴィアだったが、崚の答えに目の色を変えた。急な大声に、崚は思わずぎょっとする。モルガダもめずらしく驚愕した。
「うそ……冗談でしょ、ねぇ」
「お、おい。どうしたんだよ」
「まさか模造品――? いや、それにしては――それに、いろいろ辻褄が――」
「おい、何が分かったんだ」
せっつく崚にも構わず、動揺するシルヴィアは思考に沈む。一瞬で思索に集中し、崚のことなどまるで気に留めていない様子だった。
しばらく、沈黙が続いた。やがて一つの結論に至ったらしく、シルヴィアはかつてなく真剣な表情で顔を上げた。
「――今から言うことは、絶対に他言無用よ。どれだけ拷問されたとしても、絶対に誰にも言わないで。モルガダ、勿論あんたもよ」
「おいやめろ、他言無用の内容を俺に話すな。お前ひとりで抱えててくれ」
が、とんでもない爆弾発言に、崚は思わず逃げ出したい衝動に駆られた。冗談ではない。たかが一介の傭兵を、いったい何事に巻き込もうとしているんだ!?
「……諦めろ。こういう時、お嬢は問答無用で巻き込む」
「モルガダさんまで!」
「……ねぇ、なんであたしにはタメ口なのに、モルガダは敬称で呼ぶわけ?」
諦めたような表情のモルガダに、崚は希望を打ち砕かれた。半眼で睨むシルヴィアの様子を、どこまで把握していたことか。少なくとも、緊迫した空気を和らげる効果はなかった。
ともかく、とシルヴィアは緊張感を取り戻し、居住まいを正して口を開いた。
「――あたしの推測が正しければ、あたしたちはかなりヤバイ奴を敵に回していることになる。そりゃあ、ボルツ=トルガレンを従えられるわけよ。連中どころか、あたしたちにとってもご本尊じゃないの」
「話が見えん。つまり何なんだ? アレスタの正体は何者だ?」
焦れる崚を制し、シルヴィアは一つ深呼吸をした。――そうでもしなければ言えない、重大な真実だった。
「――“雷獣の鉤爪”。かつてカドレナ王国に存在し、パルグス戦役にて使徒レイヴェルと共に失われた“雷の神器”。
再来どころじゃない、アレスタは、雷獣の鉤爪の使徒そのものよ」
雷獣の鉤爪
世界に点在する七つの“神器”のひとつ
“魔”を調伏し理を正す、世界の意志の具現
紫電を纏う大鎌は、暗雲を裂く雷鳴を司る
かつてカドレナ王国に存在した宝具
ロンダール戦争の折、使徒とともに失逸したそれは
復讐の象徴として、密かに崇められている




